大島托 『失われた“紋”を求めて──1ミリ向こうの古代』 南米カヤビに伝わる食人タトゥー④
タトゥー・アーティスト大島托が世界中の「タトゥー」を追い求めた旅の記録。書籍化された『一滴の黒』に続く、現在進行形の新章。
ラペの渦に巻かれて
…マラカンエーエマラカンレ
タマユレテーエタマイレテ
タビルタビルリル
タベルリタベルリル…
耳でコピーしたフレーズを口ずさみながら、両隣りの者と手を繋いで反時計回りに渦を巻くような陣形で皆んなに合わせて動き続ける。日本の「カゴメ」みたいな感じだ。斜め前に右足から一歩踏み出し、続けてやはり右足から後ろに一歩退がる。これをひたすらに繰り返しながらゆっくり旋回し続けるのだ。女たちは全員、男は10代ぐらいまでが参加していて、それ以上の年代は周りで座って見守っている。僕らは旅行者なので首長とともに輪に加わっている。渦の中心部では幼児たちが辿々しい足踏みで回っている。全体の音頭をとる歌手の右の足首には木の実の鈴の束が取り付けられてらいて、右足の動きとともに「シャンッ!シャンッ!」と鳴り響く…
…鳴り響いて…渦を巻く…そのうち耳に蓋をしたような感覚とともに、渦に深く巻き込まれて行く…
祭りのゲストとして年老いたシャーマンが村に来た。70代ぐらいの老人は珍しい。儀式の段取りやその際の精神的なことをレクチャーしてもらうために招かれたようだった。村人とは互いにポルトガル語で会話しているので、どこかよその部族の人なのかもしれない。僕がタトゥーのことで招かれているように、この村は勉強熱心なのだろう。タトゥー以来村に留まっていたシャーマン青年がいろいろ質問している。アヤワスカやラペのことも聞いているようだ。
アヤワスカというのはDMTを主成分とする薬草のミックスされたもので、摂取量によってはかなりの深度に達するサイケデリクスだ。あの世のビジョンと言っても間違いではないだろう。彼らの体験談は僕らの体験と同じだった。こうしたヒトという種としてのレベルであろう深い感覚には個人の経験や時代ステージの差異を超える普遍性が存在するのだ。
ラペは独特のV字パイプを使って鼻腔の奥に刺激の強い植物の粉を吹き込むもので、これをやると必ず涙目になる。粉ワサビを鼻から吸い込むとどうなるかを想像して欲しい。これは浄化とか気合いを入れるみたいな目的でやっているらしい。この村にはラペの会みたいな有志の集まりもある。
南米のインディオ社会ではこれらはどちらも広く普及していて、それぞれの儀式空間とも結びついているようだ。
そのうち誰かが、老シャーマンに訊くことはあるかと僕に振ってきたので、例の口元のタトゥーのことをまたしつこく尋ねてみた。
日本にはアイヌという民族がいて、かつてその女たちは口元にタトゥーを纏っていました。それは口のサイズを拡張するようなデザインであり、僕の見立てでは大蛇の口を模しています。古代アジア地域では蛇信仰はごく一般的に見られ、祖先としての蛇を表すタトゥーがたくさんあるのです。カヤビの口元のタトゥーも大きな口を表すものと見受けますが、何か特定の動物を祖先とするような信仰があるのでしょうか?
老シャーマンは何か言いかけて、少し考えた後でこう言った。
あとでカヤビのことを詳しく教えましょう。夕飯の後で私のところに来てください。
かかった。釣りは根気だ。
愛しいものにこそ生け贄としての価値がある
夕方になると村の空気が急に変わった。ある村人の、街に出ている親戚が交通事故に遭って危篤状態だという。轢いたのは警察官で、立件すらされなさそうな状況とも聞いた。村の祭りは中止され、すぐに被害者に霊的なパワーを送り込む儀式が3人のシャーマンによって始まった。
被害者の親戚が集められ、彼らの身体を通してパワーを転送する。向こう側から伝わって来る悪いパワーを押し返す意味もある。ラペが使用され、その場にはシャーマンたちの「プシュー、シュ、シュ、シュ、シュ」という特徴的な呼吸法の音がいくつも交差する。村のラペ会の探求者たちも全員列席していて、それぞれに長い段取りを踏んで加わっていく。セレモニーは深夜までつづいた。
シャーマン青年は老シャーマンの手前ということで、張り切ってラペを吸引しすぎたせいで、物陰にダッシュして行っては嘔吐を繰り返していた。
涙も鼻水も汗も、胃の内容物も、全て本気で出し切った後に訪れる妙な開放感は、洗浄剤「パイプユニッシュ」のスッキリ感に通じるものがあると感じる。人間は管であり、やはりこれは浄化なのだ。
1950年代までのカヤビは、近隣の敵対する部族やブラジル人開拓者たちとの闘争に明け暮れる集団だった。そしてそれを見かねたブラジル政府の介入により、ブラジルの国内法の遵守(細々したことはともかく、殺人はやめる)と引き換えに、静かで魚もたくさん獲れるシングー川上流域の保護区への移住のサポートや、政府からの定期的な補助金の支給と医療サービスを約束されたのだった。今は服を身につけているが、その頃はフルチン&フルマンだったそうだ。
当時は襲撃して殺した敵の戦士の首は切り取って村に持ち帰り、焚き火でスモークローストした後でさらに煮込みにして、村の男たちで食べていたという。強力な敵のパワーを己の中に取り込み、さらにパワーアップするためだ。これは古代社会では珍しいことではない。
とはいえ自分達と同じような人間の肉なのだ。はじめて食べる時からすんなりと、食欲をそそるという感じではなかったかもしれない。僕は、急に破水した近所の友人を助産院まで連れて行った成り行きで、なぜか彼女と赤ん坊を繋いでいた胎盤をホカホカの生でいただいたことがある。生の胎盤はレバ刺しのような味わいで、これはイケると思ったのだが、いざ飲み込む段階で喉が一瞬ためらったのだ。結局は意識的に飲み込んだのだが、これが人間を食うということなのかと自分の中の自動停止装置みたいな心理の働きに驚いたものだ。
カヤビの口元のタトゥーは人間を襲って食べるジャガーやワニなどの危険な肉食獣のそれを模していて、それを纏うことによって人間の肉を不都合なく食べれるようになるのだという。人肉用のインストーラーアプリのようなものだったのだ。このタトゥーはかつて敵対していたアピアカ族から狩りとった首に入っていたものをカヤビでも採用したとのことだった。首長たちが知らないと言っていたのは外国人のゲストへの配慮だったのかもしれない。
アピアカは言語も風習もDNAもカヤビと重なるところの多い、カヤビの最大のライバルだった。アピアカの口元のタトゥーにはさらに多くのバリエーションのデザインがあったことが知られていて、ジャガーが大口開けたような激しいやつも資料にはあった。首狩りやカニバリズムをカヤビ同様に行っていたが、彼らの生け贄の風習に関する興味深い記録がある。アピアカは、襲った敵の集団の大人の男たちは皆殺しにし、女子供はアピアカの村に連れ帰る。女はアピアカの男の妻にし、その子供も男の子供として村のアピアカの子供達と同様に育てる。そして妻は5年ぐらいして夫との間に新たに産んだ子の子育ての忙しい時期が過ぎたあたりで生け贄となる。連れ子も12~15才ぐらいで大人になったと思われるあたりで生け贄となるのだ。生け贄の処刑に直接手を下すのは夫であり継父である当のアピアカの男自身で、女の肉は女たちで、男の肉は男たちで食べたのだという。アイヌの熊送りの内容にとてもよく似ている。
殺すべき敵やどうでもいい存在は生け贄とはならない。ノーペイン、ノーゲインだ。失っては困るもの、愛しいものにこそ生け贄としての価値があるのだ。その喪失に大きな悲しみや痛みを伴うことが、それに相応しい大きな対価を得るのに必要なのだ。いや、ひょっとしたら悲しみと痛みこそが生け贄の最高の対価そのものなのかもしれない。女たちも男たちもきっと大泣きしながらその肉を食べたのだと僕は想像する。心の底から大泣きするために、わざわざそんな手の込んだことをしてまでして愛情を育てたのだ。
悲しみも痛みもなかなか得難い贅沢な快楽であり、それらはヒトを健全に浄化するものなのだろう。ドラマティックな人生として。
〈INFORMATION〉
『一滴の黒』大島托 著(ケンエレブックス 刊)
https://books.kenelephant.co.jp/products/9784910315157
日本を代表するタトゥーアーティスト・大島托が、トライバルタトゥーをめぐるリアルな習俗と歴史、そして現在を描き出す旅の記録。全国書店にて発売中。
〈MULTIVERSE〉
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