「新町炎上、その後」──沖縄の旧赤線地帯にアートギャラリーをつくった男(文/津波典泰)
「私たちには、このどうしようもない土地に、雑多な人々をつなぎとめ、生きさせる場所が必要だ」。2020年、火災事故により存続が困難となった沖縄の旧赤線地帯・真栄原新町のアートギャラリー「PIN- UP」。再建への願いを込めて、その歩みを振り返る。
ギャラリー、燃ゆ
2020年12月、PIN-UPで開催されていたミツグさんの個展「VORURTEIL」の様子
2020年末、沖縄県宜野湾市の住宅街――通称・真栄原新町――。寒波の訪れはまだ先。晴れた日の夕方は西日が心地よくて、屋外でだらだらと談笑するのが楽しい。路面にアウトドアチェアを置き座っているのはこの地にアートギャラリーを構える許田盛哉(キョダ・モリヤ)さんとロンドン帰りのアーティスト、ミツグさん(https://hagamag.com/uncategory/6106)、そして一人だけ缶ビールをあおっている筆者だ。
外で酔っぱらってへらへらしている男が言うのもあれだが、我々は断じて目的無くたむろしているというわけではない。背後には、火災で全焼したにもかかわらず催しを断行している許田さんのPIN-UP Galleryがある。この日は、焼けた建物をどうにかこうにか利用して、ミツグさんのインスタレーション展示「VORURTEIL」が開催されていた。そのために集まっているというのが路上の一角を占拠する大義名分だった。
ミツグさん個展の物販コーナー
昨年の9月5日の早朝、原因不明の火災に見舞われた建物は、コンクリートブロック造りの外壁こそ残っているものの、中にあるのは文字通り炭と化したインテリアとその骨組みと思わしき金属片たち。まあ、事故からはすでに3カ月経っていて、許田さんや関係者たちがかなり片づけを進めていたこともあり[1]、内部は歩ける程度には整理されていた。空気もかなり入れ替わった。火災直後に比べると煤や煙の強烈な臭いはしないし、あの時ここに充満していた悲壮感のようなものはずいぶんと減衰したと思う(これは許田さんや関係者たちの落胆が、周りから見ても事故直後に比べて和らいでいたのも要因だろう)。近い将来、取り壊しを控えている建物の内部を満たしていたのは不思議な静けさと落ち着きだった。
2020年9月5日、鎮火後のギャラリーの様子。火元だったと見られる建物裏側。
火災当日。現場検証を終えたばかりのオーナー、許田さん。
一部ヌードを含む男性の写真群と、火災で燃え残った物品を組み合わせたミツグさんの個展はかなりエッジーで、忙しい許田さんは宣伝方法を間違ったらしい。火災現場だし、ヌードもあるので大々的にアピールするのも…、ということでSNSでの情報拡散をミニマムにしすぎたものだから個展初日の来場者は片手で数えるほど。終了間際の会場では我々3人が談笑するのみとなっていた。
あたふたしながら、しかしいたずらを思いついたような表情で個展の宣伝用の投稿を行う許田さん。なぜだろう、こういう時の彼はすごくいきいきしている。近くではミツグさんが思いつきで、しかし未知の星座をつなぐように筆者と話していたのだが、その合間を縫うように、許田さんがふと言った。
「普通はギャラリーって別でちゃんとした収入がある人がやるんすよねー」
それが当たり前だろ、今更かよ! という突っ込みは彼には野暮なので、筆者は声を出して笑った。この1年、許田さんは夜勤シフトで運送業に就きドライバーや番重清掃をしながらギャラリーを回してきたのだ。資産家が余剰で行うギャラリー経営と零細ビジネスのPIN-UPとでは全く背景が違う。
そんなことは初めてここに来たときからわかってるよ、許田さん。
ギャラリー内部の様子。建物正面側には、かろうじて原型をとどめている物品もある。
新町の青い箱
そうそう、PIN-UPがある真栄原新町は2010年ごろまでは有名な赤線地帯で、性風俗店がひしめくエリアだった。沖縄旅行好きの方であれば、その名を聞けば懐かしく思う人もきっといるだろう。土地の歴史や当時の実相については、藤井誠二さんのルポ『沖縄アンダーグラウンド』に詳しいので、そちらを読んでいただきたい。ここで要点として押さえておきたいのは、官民あげた「浄化作戦」(実際に取り締まり側のアクターが使っていたワード)の結果、性風俗店は一斉に摘発され、または営業継続が不可能となり、街の様子が一変した、ということだ。
2010年以前には、形ばかり、と言うにもチープなやり方でスナックやバーを装い売春を行う店が立ち並んでいた新町も、現在は店舗だった物件の多くが空き家となり、すでに更地にされた場所もちらほらある。店の撤退後、新たに入居者を得た物件もあるが、宜野湾市は新町の再開発を進めており、いつまでこの土地に住まうことができるかは分からない。この記事を書いている2021年1月に至っては、新町を訪れても、土地の歩みを伝えてくれる要素はわずかだ。目に映るものと言えば、寂れる一方の空き店舗、空地と瓦礫、狭い道、粗大ごみ(おそらく不法投棄も多数)といったほとんど朽ちていくものばかりである。そんなどうしようもない土地において、さわやかなブルーと壁画で彩られたギャラリーPIN-UPは時に全盛期の風俗街を想起させるようなギラギラとした熱気を放ちながら、「浄化作戦」後の新町に人の流れを復活させていたのだが、今回の火災を受け、この場所での存続は不可能となってしまった[2]。
火災のダメージと許田さん
1988年生まれ、宜野湾市出身の許田さんは当然、取り締まり以前から新町のことを知っていた。というか彼は新町に極めて近い場所で育っていた。
これまであまり公には話したことがないらしいのだが、実は許田さんの父方の祖父は新町の風俗店の経営者だったそうだ。そのこともあり、許田さんのお母さんは父方のおじいさんと孫をあまり会わせたがらなかったらしいのだが、そこは親族での行事を重んじる沖縄。年に数回はどうしても顔を合わせる機会があった。旧盆の時など、おじいさんの働く家、すなわち風俗店を訪れると、女性たちが「もーりー(許田さんのこと)よく来たね」と出迎えてくれ、奥の部屋で三線を引くおじいさんのもとに通されたという記憶を許田さんは話してくれた。大昔に沖縄土産として流行ったウミガメのはく製がある部屋だったそうだ。
おじいさんのいる家の様子からは、子どもなりにもいろいろなことを感じ取れただろう。許田さんは、小学校1、2年の頃にはすでに、新町が「男の人と女の人が遊ぶ場所」という認識を持っていた。高学年の時には、両親が慌てて隠そうとする様子から、店を経営するおじいさんが摘発され逮捕されたという事実に感づいたと言う。
結局、許田さんが中学2年生の時、おじいさんは亡くなり、同時に風俗店も営業を終了した。
そんなわけだから、許田さんは取り締まり後の町からも、場所に対する個人的な因縁を強く感じていて、「新町で何かしたい」という気持ちが漠然とあったようだ。これがいつからか、自らのアートギャラリーを持つという構想ともリンクしていった。そして新町の元風俗店が貸しに出されているのを発見したその時に、許田さんの頭の中にはPIN-UPの完成像が明確に描かれたのだろう。
ちなみに、ギャラリーオープン以前の許田さんは普通に会社員として働いていた。とはいえアートや表現の世界とも無縁というわけではなく、沖縄ローカルの雑誌でモデルの仕事をもらったり、コミュニティFMで仲間と番組を持ったり、『ドラゴンボール』のベジータのコスプレでニューヨークに渡って動画を撮影したりしていた。ギャラリー経営を始めなければユーチューバーかインフルエンサーにでもなっていたかもしれない。こういう活動を通してすでに沖縄県内の表現者たちともゆるやかな関係を結んでいたようだ。
NY滞在時の許田さん。2013年ごろ
キュレーター・許田盛哉
2016年末より、物件を借り受け、改装に着手し始めた許田さん。ほとんどの作業工程はDIYだ。家賃は一戸建てで駐車場付としては破格の値段だった[3]。風俗店時代、性行為が行われていた複数の部屋は、仕切りを取り払い大きな展示スペースとした。入口付近に設置されていたバーカウンター(性風俗店が、警察への建前・偽装として設置していたもの)はそのまま利用し、ギャラリーのドリンクスペースに。内装は白を基調に塗ったが、これは後にいくらでも手を加えることができるように、と構想したからだ(実際、展示スペース以外の内壁、外壁共に多くのアーティストがペイントを施すこととなる)。一時は建物に寝泊まりしながら作業を進めていた許田さんの努力の末、PIN-UPは2017年5月28日にオープンする。前述したような土地の背景に加えて、ローカルの庶民がオーナーで、どうにかこうにか経営している、という要素も相まって、地に足の着いた、 地元民からも親近感の沸く雰囲気が最初から作られていた。
火災までの3年間のPIN-UPにおいて、紹介すべきイベントや展示はたくさんあるのだが、許田さんとアーティスト双方が攻めの姿勢を見せていたと感じられたいくつかの展示が、特に筆者には印象深く残っている。それらは「アーティストのやりたい表現に関して、とても寛容なギャラリーなんです」といった当たり障りのないレベルの月並みな話ではなくて、どちらかというと「やべーものを提供したい」という許田さん自身の意欲が前面に押し出されていた。具体的な展示名を挙げると、2018年5月に開催された石川竜一さんの『adrenami(a)x』、同年9月の吉山森花さんの『MORIKA YOSHIYAMA FIRST SHOW』、2019年7月の前田洋平の『93 Hard Core』がそうだった[4]。
地元宜野湾出身の写真家である竜一さんの展示は、沖縄の高温多湿な空気を纏う風景、それと同じくらいアクの強い人々を撮りためたものだったが、どういうわけか、展示スペースの中に建設用の足場が組まれ、スムーズな鑑賞をはばんでいた。そのせいで来場者はジャングルジム遊びをするように鉄骨を交わしながら、壁に設置された作品を観るはめになった。
石川竜一『adrenami(a)x』(2018年)
森花さんの初個展では、スペースの壁が真っ赤に塗り上げられていて、意図せず彼女の私室に入り込んだ招かれざる客、のような気持ちで生々しいセルフポートレートや絵画を鑑賞することになった。あの感覚は、女友達と話していて、何かの拍子に「あ、この人生理中だ」と解ってしまった時に似ている気がした。
吉山森花『MORIKA YOSHIYAMA FIRST SHOW』(2018年)
パリ郊外の移民地区を写した前田の写真展は、展示スペースの床にガラス片が敷き詰められ、来場者に撮影地の緊張感を強制的に追体験させていた。入場は「各人の判断で」という注意のもと行われたが、筆者の見た限りではほとんどの人が足を踏み入れたし、ドリンクを注文した後で、フロアのガラス片を増やすのに協力した人がそこそこいたのも記憶に残っている。
前田洋平『93 Hard Core』(2019年)
ギャラリーのいち常連客である筆者の感想ではあるが、3人の個展は来場者に安全な位置から作品を鑑賞することを良しとしなかった点で共通している。部屋の壁に沿って横歩きし、作品を眺めるというタイプの展示を期待して訪れれば、居心地の悪さを感じるものだったに違いない。
展示のための強烈なしかけたちは、無論、各作家が魂を削って行う創意工夫の賜物であるけれど、許田盛哉という男を知っていると共犯関係のようなものも感じるのだ。「あ、許田さんがまた悪だくみしたな」という具合に。この人は、アート展示という多様な見方が推奨され、許容される場に、過激さ、悪ふざけ、フェイムを獲得するための話題作り、その他有象無象のおもしろいことを織り込むのがほんとに上手い。彼のキュレーションの通奏低音にあるのはそういう悪ふざけ、悪だくみではないか、と筆者は感じている。
何? そんなふざけた態度は感じが悪い? ――いやいや、許田さんが様々な文脈・視点をイベントに織り込むからこそ、PIN-UPは表現者も来場者も雑多な背景を持つ人々が集まる場となっていた。ハードコアやアンダーグラウンドの表現にも身を振れる、という事実は、どんな作品も表現者も受け入れる、というギャラリーのスタンスを証明するのに一役買っていたと思う。実際には、これまでPIN-UPで開催されてきた展示のほとんどは、穏やかな雰囲気の中でじっくり作品を鑑賞するようなものだった。しかし柔軟でおおらかな空気を演出するにしても、一方で極端な表現の存在も認め、その振れ幅の中に位置付けられた方が説得力は上がるはずだ。あれもこれも混ざっていた方がおもしろい。かつての新町を身近に感じながら育ち、社会の矛盾も人間の多面性も見てきた許田さんなりの表現の自由がここにはある。
再建支援の落とし穴
昨年9月末の火災の直後から、許田さんを助けよう、PIN-UPを建て直そうとたくさんの人が行動し、多くの善意が集まった。しかし、地元メディアの取材や公共の場で支援を呼びかけた結果、生み出されたのは「困難に遭っている、地域のすばらしいアートギャラリーとそのオーナーを助けよう」というどこにでもありそうなストーリーだった。これに感化され支援をしてくださった人もいるし、そうした善意に噛みつこうという気は毛頭無い。火災自体はどうしようもない悲劇で、許田さんや関係者だけの力だけでは如何ともしがたい状態になっているのも事実だ。だが、不特定多数に発信するために描きだされたPIN-UPのパブリックイメージはあまりにも整いすぎていて、許田さんがこれまで携わってきた数々の表現を無毒化・去勢してしまった。
ここで白状させてほしい。ギャラリーの内実を一部だけ抜き取って伝えたという点において、筆者も同じ間違いを犯した。筆者は火災直後から再建のためのクラウドファンディングの運営に携わってきたが、説明文やアピールの際に使ってきた文章やタームは、ニュース受けし、所謂いい話ばかり。加えて、公的なメディア・場所に求められるがままに「ギャラリーの社会的意義」みたいなものを作ることで、PIN-UPの雑多さをずいぶんとないがしろにしたと思う。火災が発生してから日が浅く、今より状況が不透明ではあったが「お金を集める今だけ」と公序良俗にすり寄ったために、PIN-UPという場を矮小化して伝えてしまった気がしてならない。これでは新町を「浄化」したやつらの論理にそっくりじゃないか。許田さんを始め関係者の方々に窮屈な思いをさせたことを強く後悔している。
雑多さを排し、消毒しすぎたような「社会的意義」アピールによって支援が集まったら、PIN-UPを再建しても、ミツグさんのようなジャンルレスのアーティストを受け入れたり、自由な表現活動の拠点となるような余地を残すことは難しいだろう。不可能とも言えないけれどそれなりに面倒なことも予想される。そんなことよりも、ギャラリーの特色たる雑多さも保持しながら進むことを選んだ方がいい。
道半ばである今ならまだ大丈夫だ。窮屈な思いをしたり、欺瞞を抱えたり、誰かを排除してしまいそうなら急ぐ必要はない。火災現場に忘れられている――しかし、確実に燃え残っている――雑多で、意義の無さそうなものたちを拾い集めなければいけない。ギャラリーにあったカオスを取り戻すまでが再建活動なのだ。そうですよね、許田さん?
性風俗店時代を想起させるような演出のもと開催されたパーティーイベント。2019年9月
あまりにも私見にまみれた散文で、説得力にも欠けるのだけど、最後に再建のための支援をお願いしたい。現在、支援窓口として、許田さんの銀行口座を公開している他、近日中には竜一さんがキーパーソンとなったクラウドファンディング第二弾も計画されている(こちらは昨年行われた第一弾とはがらりと雰囲気を変え公開される予定だ)。
私たちには、このどうしようもない土地に、雑多な人々をつなぎとめ、生きさせる場所が必要だ。
(文/津波典泰)
[1] 火災直後のギャラリーを利用し、展示を決行した昨年10月の個展「AKAI NU AGATA」(https://agata-info.tumblr.com/)をここに紹介したい。展示の中心を担ったメンバーたちは火災当日、最悪のタイミングで沖縄地方に迫っていた台風への対策と応急措置をPIN-UPに施した。その後も建物内の整理やダメージの少ない外壁部分を利用した展示スペースの構築、作品によって焼失した出入り口をふさぐ、個展会場での義援金募集など多様な方法でギャラリーの延命に貢献している。
[2] なお、火災以前より、PIN-UPの入居する建物も宜野湾市の計画する再開発区画に含まれており、近い将来の新町から場所を移すことは決定事項である。火災後の建物での展示は、物件の所有者との話し合いのもと、安全確保と、「建物内部の様子を来場者に見せない」ということに留意しつつ開催している
[3] ちなみこのエリアだと月3万円代で2DKの部屋が借りられる。参考までに。
[4] 竜一さんと森花さんは、筆者がローカルで顔を合わせることのある先輩なのでさん付け。前田洋平は紹介した個展以来の友人なので敬称略とした。
〈MULTIVERSE〉
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