logoimage

「死と刺青と悟りの人類学──なぜアニミズムは遠ざけられるのか」|奥野克巳 × 大島托|『続・今日のアニミズム』|TALK ❶ |前編

人類学者・奥野克巳と哲学者・清水高志による共著『今日のアニミズム』の出版を記念する対談篇。その第一弾となる今回は、奥野克巳がタトゥーアーティストの大島托と語り合う。

 


 

2021年に出版された本のうち最も感銘を受けた本を一冊挙げよ、と言われたなら、僕は間違いなく『今日のアニミズム』(奥野克巳、清水高志/以文社)の名を挙げる。

実際、すごい本なのだ。アニミズムという、西洋思想とはまた異なる機制を持つ叡智として、しかし決して西洋的論理によっては汲みつくしきれぬものとして、半ばブラックボックスのように、あるいはジョルジュ・バタイユがいうところの「非-知」に類するもののように、語られ、また語られ損ねてきた知ならざる知を、あらためて、かつ正しく、壮大なる知の歴史の中に定位すること――それが本書においては試みられている。そして、僕の限られた読書遍歴において望見する限り、本書はその試みに、かつて誰もが至りえなかった水準で成功している。

より具体的には、本書では主体と客体、一と多、内と外、包摂と被包摂といった、西洋哲学を悩ましてきた種々の二項対立を、ポストモダニズムとはまた異なる仕方によって組み合わせて超克することが目指されている。また、主題として掲げられたアニミズムこそがそれらを超克する視座であるということが、人類学者(奥野克巳)と哲学者(清水高志)、それぞれのアプローチ、それぞれの理路によって、実に説得力を伴った形で説明されている。

いや、もっとありていに言った方が良いだろう。非西洋にはすごいものがある、というオリエンタリズムならば、19世紀の昔からあったのだ。しかし、それはある種の神秘化ともセットだった。「西洋的な論理を超えた世界」という常套句は、非西洋を短絡的に外部化し、かつ、そうすることによって当の西洋的な論理を逆説的に無傷のまま保存し、その地位の盤石を保つことに資してきた。要はそうすることによって、非西洋にはなにか真理めいたものがあるが、それは我々が普段プレイしているのとはまた別のゲームにおいてなのだ、という風に高を括って、彼らが首尾よく黙殺するということが可能となってきた。あまつさえ、非西洋圏に生きる我々さえも、かかる神秘化と周縁化を甘受し、語り尽くせぬ東洋という鏡像反転したナルシシズムに自ら酔ってきたフシがある。

本書が楔を打つのはそこだ。この書物は西洋的知と非西洋的知という二項対立の虚構を暴き、実はそれらが同じゲーム内の出来事であるということを明らかにしている。ライプニッツの中にアニミズムの残響を聴き、道元の中にブリュノ・ラトゥールの幽かな予感を見出し、アイヌやユカギールのコスモロジーを親鸞や西田幾多郎の哲学に共振させることで、本書はアニミズムと仏教思想と西洋人文知を貫通する、古くて新しい知の展望切り拓いている。この本を経た今、アニミズムはもはや神秘化されたブラックボックスではなくなった。アニミズムはようやくここから思考を開始できるのだ。

なんと痛快なんだろう。一読して直ちに、僕は版元である以文社に本書の宣伝企画をDOZiNE上で行わせてほしいと申し出ていた。かくして、著者ふたりそれぞれが異なるゲストと際会して行う対談シリーズがDOZiNE主宰において実現する運びとなった。

座組にも遊び心を忍ばせた。今回、人類学者の奥野克巳にはタトゥーアーティストの大島托と、哲学者の清水高志には編集者で文人の松岡正剛と、それぞれロング対談を敢行してもらっている。すでに両対談ともに収録を終えているが、良い意味で毛色の全く異なる、『今日のアニミズム』という本の射程の広さを表すようなあべこべな内容となったのではないかと思う。ただし、いずれの対談においても『今日のアニミズム』の解説的な内容ではなく、その先へと向かうような議論がなされている。それゆえ、本企画のタイトルはいささか大仰ながらも『続・今日のアニミズム』と銘打つことにした。

以下、『今日のアニミズム』から著者それぞれの言葉を引いておきたい。

「アニミズムは、そうした万物の母胎としての世界、事々無碍的な絶対的な至境との連絡通路を開いておくことにより可能になる。逆に、壁のかなたにある世界、そこに住まう動植物やモノに出会うことなく、アニミズムとの連絡通路を断ったままにしておくならば、私たちは今後、私たちの行く末を困り果てて、永遠に見失い続けたままなのではないだろうか」(奥野克巳)

「アニミズムの大地において、すべてはすでに予感されている。このうえ何を言い足したら良いのだろうか。始まりもなく、終わりもない世界を語るこの思索は、文字通り尽きることがない。私たちはここでようやくその輪郭と驚くべき思惟の軌跡をかいま見た」(清水高志)

さて、まずはひとつ目の対談をお届けしよう。

聞き手・文/辻陽介

 


 

 

「人間だけが地球における主人ではないという姿勢がアニミズムの基底にある

DZ 今日は人類学者の奥野克巳さんと哲学者の清水高志さんが昨年の12月に出された共著『今日のアニミズム』の出版を記念し、著者のお二人がそれぞれがゲストを交えて行う対談シリーズの第一弾収録になります。今回はまず奥野さんの方にご登場いただき、タトゥーアーティストの大島托さんとトークしていただきます。僕は一応、進行役として入らせてもらう形ですが、場合によって質問や意見など挟ませてもらうかもしれません。

さて、お二人の共通項としては、ともにいわゆる旅人としての過去を持ち、これまでに世界中の先住民族の集落を様々にめぐってこられたということがあると思います。特にマレーシアのボルネオ島(インドネシアのカリマンタン島)は、奥野さんがフィールドワークの対象としていた先住民プナンの居住エリアであり、大島さんが立脚するトライバルタトゥーの世界において極めて重要な存在であるボルネオトライバルタトゥー発祥の地でもあります。おそらく、今日はそこらへんにも話が及んでいくのではないかなと思っていますが、ともあれ、まずは話題の書『今日のアニミズム』の話から始めましょうか。

大島さんはすでに『今日のアニミズム』を読まれたんですよね。いかがでしたか?

大島托(以下、大島) じっくりと読ませていただきました。人類学の本としてはかなり踏み込んだ感じじゃないですか? ある種の悟りの人類学みたいな感じもあって、とても面白かったですね。

奥野克巳(以下、奥野) ありがとうございます。まあ今回の本はアニミズムというテーマに対して、人類学者と哲学者が一緒に正面から取り組んだ一冊となっているわけですが、そうした本はこれまであまりなかったでしょうね。そもそもアニミズムそのものがほとんど忘れられたテーマだったところもありますから。

大島 そうですよね。僕も今回この本を手にした時、そういえばアニミズムって自分の中で漫然とカテゴライズされたままで、これまでそれについて深く考えたこともなかったなと思いました。忘れ去られていた、というか、もうお決まりの了解事項になっていた感じ。今回の本ではアニミズムと仏教の話が絡めて論じられていて、いわゆる悟りとか空のようなものもアニミズムをコアにしてそこから派生しているものなんじゃないかということが書かれているわけですけど、まあ言われてみればそうだなと思いました。ただそんな風に考えたたことはこれまでなかった。アニミズム的な世界の見方自体は世界中どこにでも自然にあったりするものじゃないですか。

奥野 なんらかの現象に対して「これはアニミズム的だ」みたいな、そういう言われ方はこれまでも結構してきたんですよね。ただ、アニミズムとは一体何なのか、どういう視座のことなのか、という点については、1871年、今から約140年前に人類学者エドワード・タイラーが最初の定義をして以来、あまり変わっていなかったんです。

 

 

大島 僕の認識もそこらへんの感じで、要は精霊信仰という理解でしたね。

奥野 そうですね。人間以外の動物や物にも魂が宿るのだ、と。そういう視座がアニミズムである、と。そういう定義になっている。この言葉自体は結構一般的にも使われていて、それこそ高校の教科書にも日本の古代の信仰の形態として載ってますからね。

大島 僕のバアさんがね、いつも仏壇に大真面目に話しかけてるような人だったんですよ。神社とか稲荷さんとかにお参りに行ってもやっぱり話しかけてた。それだけではなく、植木や道端のヒキガエルなんかにも必ず話しかけてたんです。しかも一方的に話しかけてるだけじゃない。どうも向こうの話も聞こえているようで、ちゃんと受け答えをしているんですよね。

奥野 お祖母さんはもうお亡くなりになられて?

大島 僕が大学の頃には亡くなってましたね。

奥野 じゃあ明治生まれくらいの方でしょうかね。

大島 そうですね。で、僕にとってはアニミズムというのはバアさんのあの感じなんですよね。そのイメージでこれまで捉えてきたんです。

奥野 それは的確だと思いますね。人間以外のものに話しかけて、かつ相手の声を受け取り、対話をする。つまり、人間だけが地球における主人ではないという姿勢。これはアニミズムの基底にあるものと言っていいでしょうから。

大島 しかもね、バアさんは姿勢だけではなくて、実際に枯れかけた植木とかを蘇生させるのがすごい上手かったんですよ。グリーンサンみたいな言葉があるじゃないですか。植物と相性のいい人。多分、そういうタイプだったんだろうと思いますけど。

奥野 なるほど。話しかけることで相手の生命を活性化する、と。それはある種のシャーマンでもありますよね。

大島 そう、生け花とかもバアさんが手入れするとすごい長生きするんです。多分、そのコアにあるのは「話してる」ってところなんだろうと思う。娘たち、つまり僕の母親の姉妹たちもバアさんのそういう力を不思議がってましたけど、ただやっぱり母の世代になってくると迷信みたいなものをすごく嫌うんですよね。不思議がりながらもバアさんの行動を「おかしな行動」として捉えてた。一方、僕くらいの孫世代になってくると、バアさんの行動を自然と受け止められてたんですよね。実際、バアさんに話しかけられてヒキガエルも楽しそうにしてるし、植木も再生するわけで、そこにはなんらかの道理が伴ってるんだろうな、と。

奥野 こちら側から語りかける気持ちがあること、そういう態度、感性を持つこと、そこが非常にアニミズムに関しては大事なポイントですよね。そして、お祖母さんの場合、それが実際になんらかの効果をもたらしてた、と。・

大島 いまの精神医療においては統合失調症として診断されるようなところもあったのかなとは思います。人付き合いとかは別に問題ないんだけど、本気で非人間と対話できる、非人間の声を聞くことができると思っていたわけですから。ただ、ジュリアン・ジェインズの『神々の沈黙』じゃないですが、古代まで遡れば、そういう気質の人は割と多かったんじゃないかなとも思いますけどね。

 

 

奥野 柳田國男の『遠野物語』第63話に「迷い家」の話があるんですが、そこにはある女性が登場していて、その女性はやや魯鈍な人物として語られてるんですよね。ちょっと鈍い。

 

 

話の中では彼女がある時に山の奥へと入っていくと大きな家があったとされている。その中に入ると誰もいなかったんですが、いろんなお椀であるとかが置かれていて、囲炉裏もあった。人がさもいるようだった。彼女は怖くなって帰ってきたんですが、それは当時の遠野では「迷い家」と呼ばれていて、そういう家に入った時には何か置かれているものを取ってきていいと伝わっていたんです。それからしばらく経ってその女性が今度は川で洗濯していたら上流から赤いお椀が流れてきたという。それで彼女はお椀を取って、ただ普通に使うのは憚られるものですから、ケセネ(米やヒエなど)を測るのに使ったらしい。そしたらそのお椀からどんどんと穀物が溢れてくるようになって家が幸運に向かったと、そういう話なんです。

これはつまり、昔からそういう選ばれし人、祝福される人たちがいたんだという話だと思うんですね。目に見えない世界にアクセスして、福を招き寄せるような人たちが。それは平均的な人格というよりも、何か鈍いであるとか、普通でない性質を持った人たちだった。

大島 仙台四郎みたいなものですよね。

奥野 仙台四郎はまさにそうですね。幼児の頃川に転落して障害を持ったが、四郎が行く店は必ず繁盛したという。仙台四郎は、水木しげるの『神秘家列伝』にも出てきますね。『神秘家列伝』には、水木に影響を与えた古今東西の、変わり者、不思議なことをなした「神秘家」がたくさん出てきます。チベットのミラレパとか、スウェーデンボルクとか、柳田國男も。あるいは水木さん自身もまさに「神秘家」だったのでしょう。

 

 

「僕は座敷わらしを何回か見てるんですよね」

大島 そうですね。ところで水木しげるといえば、僕は座敷わらしを何回か見てるんですよね。

奥野 あ、そうですか。

大島 新宿でタトゥースタジオを開いていたことがあるんですけど、そのスタジオ特定で現れていたんです。当時はよく家に帰らないで仕事場で寝ることが多かったんですが、そのスタジオで夜中に寝てるとたまに金縛りに遭うんです。目が覚めてるんだけど体が動かない。そうすると子供が一人から複数人、どこかから出てきて、それがまあ無茶苦茶にやりたい放題やるわけです。そこらへんの機材を散らかしまくったりとかね。

奥野 わらしなんですね。

大島 そう、わらしなんです。僕の真正面に来ることはなくて、必ず斜めの方で動いてる。でも明らかに幼稚園児くらいのやつらだということは分かるんです。あんまり無茶苦茶するから僕もそのうちブチギレて、ひっぱたいてやろうかと思うんだけど、指一本動かせないし声も出ない(笑)。そういうことがそのスタジオでは何度か起こってたんですよね。

奥野 なるほど。座敷わらしは、経済人類学や民俗学では「富貴自在」の妖怪とも呼ばれてますね。家の盛衰を支配するという意味で、その存在によって富貴が自在になっている、と。『遠野物語』でも何度か語られていました。第18話では、橋のほとりで二人の童女に会って、お前たちどっからきたんだと聞くと「山口孫左衛門の家から来た」と答えた。どこへいくんだと聞くと「何某の家に行くんだ」と。この場合、座敷わらしが出かけていった家が栄えるわけです。一方、出ていった家が没落していく。だから座敷わらしは、家を繁栄させる存在なんです。つまり、いっぱいわらしが出ている時はその家は富んでいるという証なんですよ。

大島 なるほど……、ただ僕は貧乏でしたけどね(笑)。水木しげるの本にも家が栄えるとか書いてあったんで、「お、これは儲かったりするのかな」とか当時も思ったりはしたんですけど、時期的にはかなり貧困に喘いでいた時期でしたね。

奥野 (笑)。今はもう見られてないんですね?

大島 そう。そこに地縛した奴らなのか知りませんが、そのスタジオを僕が出て以降は見てないですね。

奥野 『遠野物語』ではわらしがいなくなった家の主は毒キノコにあたって死んでしまったんですよ。第19話です。山口孫左衛門の一家が毒キノコを食べて死に絶えたんです。

大島 どうなんでしょう、一応、僕はまだ生きてますね(笑)

 

「初めてインドに旅に出た時も『中論』を傍らに携えてましたね」

DZ ちょっと本の話に戻りましょうか(笑)。先ほど大島さんはアニミズムを当たり前の言葉としてこれまで受け止めてきたと話していましたが、今回あらためてアニミズムを主題とする『今日のアニミズム』を読み、どういうことを感じられましたか?

大島 僕が全編を通して感じたのは、まずこの本においては悟りの経験そのものがコアな部分としてあるということですよね。これまでの多くの人類学の本でも悟りについては語られてきたわけですが、基本的にはその経験をある種の透明人間である人類学者が観察し、記述するというやり方が一般的だったように思う。ただ、この本では悟りの体験の内側へと深く分け入っていってますよね。そこから古くて新しい視点としてアニミズム的な視点に到達しようとしている。僕はそういう本だと思いましたね。引用されていた岩田慶治の文章なんかも完全に悟りの側からの言葉じゃないですか。道元の『正法眼蔵』なんかも常に参照されていましたしね。

 

 

奥野 そうですね。単に「アニミズムとはこういうもんだ」と観察して描いているのではなくて、岩田慶治、道元禅師に導かれながら、彼らが悟りとして捉えているような世界、それこそがまさにアニミズムなのだと捉え直し、かつその経験の内側へと入っていく、そういう本になっています。

実は私は仏教的なものからはかなり長い間遠ざかっていたんです。かつては自身も仏教僧をやったこともあるんでもちろん関心はあったんですが、研究者としては距離をとっていた。そんな中、かねてより西洋哲学と仏教思想を絡ませながら深い思索を続けてきた清水さんと親しくさせていただく機会を得て、彼に触発されるような形で仏教思想への関心が再び盛り上がってきたんです。で、今回、清水さんと一緒に仏教の悟りの世界に入っていき、おっしゃる通り、そこからアニミズム的世界へと突き抜けていったわけです。

大島 僕も学生の頃はこの本でも取り上げられてるナーガルジュナの『中論』を読み解こうとしてもがいたりしてましたよ。確か初めて旅に出た時も『中論』を傍らに携えてましたね。ただ、やっぱり僕の頭ではきちんと読み解けなかった。それで、これはやっぱり体験的に学ばないと、つまりは体覚しないとダメなんだろうって思って、そのまま何年も旅を続け、同時に各地でドラッグを摂取しながら、内と外の両線において探求を続けるということをしていたんです。

 

 

やがて僕はその体験を実際にすることになったわけですけど、そうすると、『中論』が確かに分かるようになるんですよ。内側から分かる。どう分かったのかを自分で丁寧に言語化することはできないんだけど、書かれていることについてははっきりと「ああ、分かる」となる。「確かにそういう風にも言えるよね」と。僕自身は言葉が足りないのでそれこそ岩田慶治のようには表現できないんだけど、岩田慶治の言ってることが正しいということだけは明確に分かりますね。

奥野 面白いですね。『中論』を持って出かけられたというのはどこなんですか?

大島 まずはインドでしたね。その後、タイ、インドネシア、マレーシアと足を伸ばして、アジア各地へと向かっていった感じです。たしか持っていった『中論』は最終的にデリーのバックパッカー向けの古本屋に売っぱらったんじゃないかな。

奥野 (笑)、そうでしたか。私も大学時代からいろんなところに旅をしてたんですよ。時期的には1982年くらいからですね。最初はメキシコに行ったんですけど、いきなり山の中の先住民の村に入っていった。そこでまず衝撃を受けたのが幻覚体験でしたね。いわゆるペヨーテです。

大島 ウィチョル(※)のペヨーテですね。

※メキシコのナヤリト州、ハリスコ州に暮らす民族。サボテンの一種であるペヨーテという幻覚剤を用いた儀式を行うことでも知られる。

奥野 私が体験したのは、ウィチョルの北の山の中に暮らしているテペワノという人たちのものでした。わりと近い文化圏の人たちです。彼らがペヨーテを取ってきて、ヴィジョンを見るという儀礼をするわけですが、それにたまたま参加できた。20歳の頃ですね。それから私も色々と旅をして、東南アジア、インド、西アジアなんかも旅して、バングラデシュでお坊さんになったわけですが、その間はドラッグの経験はほぼありませんでしたね。

その後、大学を卒業し、一度就職した後、会社を辞めて再び旅に出て、今度はインドネシアに向かって、一年間放浪したんです。行く先々で団塊の世代(1947~49年生まれ)前後の、つまり私よりも一回り以上年の上の世代の日本の旅人たちと親交をもったんですが、彼らの話が抜群に面白かったのを覚えてます。だいたい日本社会からドロップアウトしたり、現代に違和感を感じて、ふらふらと旅をしている人たちでした。出会った中で「ドラッグ研究家」を自称している人がいたんですが、彼に言わせれば、最も究極だったのはインドのケララ州のトリバンドラムのハシシなんだ、と。次いでインドネシアのスマトラ島のトバ湖のマジックマッシュルームだと、そう言ってましたね。

大島 トバのマッシュルームは僕もやりましたね。僕は日本から赤玉と呼ばれる向精神薬を大量に持っていっていたんですけど、それをトバの若い子たちにあげたらすごい大流行して、そのお礼にと彼らが持ってきたのがマッシュルームでした。まあ物々交換ですね。

奥野 トバも面白いところですよね。

大島 ヒッピーライクなコミュニティがいくつかあって、割と長く滞在している旅人もいてね。それにしてもインドネシアは本当にダイナミックですよね。島によっても文明の段階がすごい違う。ジャカルタからパプワまで横断していくと顔つきも島ごとにどんどん変わっていくし。文化のグラデーションがものすごく鮮やかですよね。

 

面白いのはバハウでは死んでから重要なのがタトゥーの濃さであるという点なんです」

奥野 そうですね。大島さんの連載(※)を読みましたがボルネオ島の方にも行かれていたんですよね?

※大島托『一滴の黒』https://hagamag.com/category/series/s0051

大島 主にサラワクの方ですね。クチンあたりを軸としつつ島内をめぐっていた感じです。

奥野 イバン(※1)であるとかクニャー(※2)がいるところも訪ねられたのですね。

※1 ダヤク諸族の一つでボルネオ島最大の民族。狩猟採集、農耕を生業とし、豊穣なタトゥー文化を持つ。また勇猛な首狩り族としても知られる。

※2 イバンと同じくボルネオ島に暮らす先住民族。焼畑農耕を営む。

大島 行きましたね、まあ僕の場合はほぼ観光のようなものであって彼らの村に住み続けたとかではないですけど。ただ僕が一番興味あるのはプナンなんですよね。あそこに住んだら面白いだろうなとは思う。

 

狩猟した猿を丸焼きにするプナン(写真提供:奥野克巳)

 

奥野 私は、一年間放浪中に、インドネシア側のダヤク(※)の村に入っていったのが最初でしたね。カリマンタンでは、サマリンダからマハカム川をポンポン船のような蒸気船に乗って4、5日かけて、鬱蒼とした熱帯雨林を通り抜けてさかのぼりました。町から上流の方へ向かうにつれ、トイレが厠になり、やがてなくなっていくのが面白く、非常にワクワクしましたね。

※ボルネオ島に住む先住民族のうちプロト・マレー人系民族の総称。ダヤク諸族といった場合。カヤン、クニャー、イバンなどがそこに含まれる。

結局、私はその後、大学院で文化人類学を勉強し始めるんですが、最初にフィールドワークに入ったのもボルネオ(カリマンタン)でした。西カリマンタン州の州都ポンティアナックからカプアス川を4,5日かけて遡っていったところから、さらにその支流のカリス川を遡った奥地に暮らしているカリスという焼畑農耕民の居住地です。今日は大島さんがお相手というところで言うと、カリスはタトゥーの文化を持っていなかったんですよ。ただ、カリマンタンにはタトゥーのある部族が結構いて、中でも私が印象に残っているのは東カリマンタンのマハカム川上流のバハウの人たちでした。バハウはカヤンに近い人たちです。

大島 カヤンやクニャーは僕のフィールド的にもかなり重要なエリアですね。

奥野 今日ちょっと本も持ってきたんです。『A JOURNEY AMONG THE PEOPLES OF CENTRAL BORNEO IN WORD AND PICTURES』というもので、これは19世紀にH.F.ティレマという人が中央ボルネオを探検した記録です。で、この本に書かれていたタトゥーに関する記述をあらためて読んだんですけど、ちょっと驚きました。私がかつてマハカム川上流の村に入った時に、おばあさんがものすごい真っ黒な刺青をしていたんですけど、その時に女性から聞いた話と同じことが書いてあったんです。何かと言うと、タトゥーは死んだ時のためにやるんだ、ということ。人が死んだらあの世への旅に出るわけですが、その旅路には川があって橋を渡らなければならない。濃いタトゥーをしているのであれば、その橋をすんなりと通してもらえるんだ、と。私はかつてバハウの女性からそういう風に聞いていたんですが、この本にもそれと同じようなことが書かれていた。面白いのは、死んでから重要なのがタトゥーの濃さであるという点なんですよね。

 

 

大島 つまり、みっちり入れているかどうか、ということですよね。ボルネオの女性のタトゥーは基本的に死後の平安と結び付けられてるんですけど、そこでいうタトゥーの濃さというのは経年変化でもあって、若い時に入れた細かい文様が年とともに潰れていくと、あたかも真っ黒に塗りつぶしたみたいになっていくんです。一定の密度を超えて描きこまれているとそうなる。まあ、それくらい入ってないと一人前じゃないということですよね。

奥野 念入りにタトゥーを入れるわけですね。クニャーやカヤンは階層社会ですけど、階層ごとにタトゥーの文様も違うようですね。いずれにしても、ボルネオの人たちは身体変工、ボディモディフィケーションに力を注いできた人たちであることは間違いないでしょう。

 

クニャーの装飾があしらわれた籠(写真提供:奥野克巳)

 

大島 ただ、カヤンとかクニャーの人たちのタトゥーは現代にリバイブされてないんですよ。リバイブが進んでいるのはクチンのあたりにいるイバンやダヤクの人くらい。それも、あくまでも男のタトゥーまでなんです。マレーシアもインドネシアもイスラム教国家なんで女性が前に出てきづらいってのもあるし、そもそもタトゥーの復興に関しては世界的にも男が先行するんです。まず男が先走ってバーっと復興させて、そこである程度安定した基盤が築かれてくると、ようやく女も参入してくるというのがお決まりの流れ。その例から考えると、カヤンやケンヤーあたりの女性主体のタトゥー文化を持っていたエリアはなかなかリバイブの突破口を開きづらいんです。

 

大島托によるボルネオトライバルをモチーフとした作品

 

奥野 なるほど、そういう流れなんですね。クチンあたりにはすでにトライバルタトゥーのスタジオが何軒かありますね。

大島 クチンには沢山ありますね。

奥野 ヒルトン・ホテルの裏の辺りですよね。私も見たことがある。

 

ボルネオ島のタトゥーコンベンション(写真提供:大島托)

 

大島 そう、ちょうどその辺にボルネオのリバイバルタトゥーアーティストとしては最も有名なエルネスト・カルムというのがいます。

 

 

奥野 大島さんがDOZiNEの連載で書かれていた方ですね。彼が行なっているようなことも、いわゆるモダンプリミティブズの文脈に位置付けられるんでしょうか。今日はRE:SEARCHの『MODERN PRIMITIVES』も持ってきたんですが。

 

『RE:SEARCH』のMODERN PRIMIITIVES特集号

 

大島 そうですね。エルネストはトライブで生まれながらヨーロッパの大学を出ているインテリで、西洋的な視座をいったんインストールした上でこれはリバイブする価値のあるものだろうとタトゥーを初めたタイプです。本当は彼の親は彼にトライブを代表する政治家になって欲しかったみたいですけど、エルネストにとってはタトゥーのリバイブこそがアクチュアルな政治活動だったってことですよね。

奥野 やっぱりこの本『MODERN PRIMITIVES』はそうした流れを作り出したバイブル的な一冊なんですね。私は一時期、プナンのペニス・ピンという身体加工技術を調べていたことがあって、その流れでこの本も入手していたんです。プナンはペニスは盛んに改造するんですけど、一方でタトゥーはあまりやっていないんですよね。

 

プナンのペニスピン(写真提供:奥野克巳)

 

大島 プナンは現在はタトゥーをほとんどやらなくなってますよね。おそらく150年前くらいに途絶えたんだろうと言われてます。一方、イバンは現在こそ盛んにタトゥーをやっていますけど、そのタトゥーの歴史は実は150年くらいしかない。つまり和彫りと同じくらいの歴史しかないんですよ。

 

あるプナンのタトゥー。伝統的なトライバル文様ではなく和彫調の現代的なタトゥーが入っている(写真提供:奥野克巳)

 

奥野 私の知っている、サラワクのラジャン川のカピットの上流の村に住んでるイバンのシャーマン(マナン)は、よくカピットの町にロト(くじ)を買いに来るんですが、彼は物凄いタトゥーをしていました。イバンのタトゥーは、19世紀からですか。

大島 どういうことかというと、ボルネオ島の中にはタトゥーカルチャーがずっとあったんだけど担当部族が結構入れ替わったりしてるんですよ。イバンのあのスタイルはここ150年くらいに生まれたもので、ある説によればそれはプナンから引き継いだものじゃないかと言われてます。

奥野 現在、イバンは他の民族に比べて格段に人口が多いんですよね。ほとんどの民族は人口がそんなに多くない。プナンはボルネオ島全体で1万人くらいだし、クニャーも20万人くらい。それに比べるとイバンは100万人を超えている。どうやら19世紀の半ばくらいから急激にエクスパンションしていったらしい。人口増加とともに土地が必要となり、他の民族から土地を奪うテロルの手段として、そこに住んでいる人たちを蹴散らすために首狩りを用いたと言われてますね。そこに住んでいる人たちも吸収しながら、人口を増やし、勢力範囲を拡大していった。

大島 そういうイメージは現在の彼らにもありますよね。他の諸部族とも違うイバン独特のノリのようなものがある。

 

イバンのロングハウス。首狩り時代に集められたという大量の頭蓋骨が飾られている(写真提供:大島托)

 

奥野 そうですね。おそらく、そのエクスパンションの過程でタトゥー文化なども吸収していったのかもしれません。彼らは陸稲、つまり米を食べるんですけど、彼らにとって美味しい米というのは急傾斜の土地に作られる米なんです。平地で創られる米は美味しくないとされる。急傾斜地を求めて首狩りをしながらどんどんエクスパンションしていった。だから首狩り族と呼ばれ、かつては彼らが来ると逃げなきゃいけないと他の民族は考えた。実際、現在もイバンの居住エリアはすごく広いんですよね。クチンのあたりから、ブルネイを経て、サバまで。こんな民族、ボルネオには他にいないです。

大島 そう思いますね。タトゥーサイドから見ても、人類学的に有名なのはケンヤーの女性のタトゥーデザインだったりするんですけど、現在最も勢いがあるのはイバンの男性タトゥーです。それにしてもなんで19世紀に彼らは唐突にキングダムを目指し始めたんでしょうね。

 

ボルネオ島出身のタトゥーアーティストであり、大島の友人でもあるジェレミー・ローによるボルネオトライバル作品(写真提供:大島托)

 

奥野 まあ西洋の植民地政策の影響はあるでしょうね。ちょうど彼らがエクスパンションを始めたと言われる19世紀の半ばにあたる1841年からの100年間は英国のブルック家があのエリアを統治していましたし。

大島 まあ、ボルネオ島では民族の離合集散と同様にタトゥー文化も変遷し続けてきたんでしょう。イバンもさらに昔まで遡ればまた別のタトゥーを入れていた可能性もありますからね。

 

後編を読む>>

 

✴︎✴︎✴︎

 

奥野克巳 おくの・かつみ/1962年、滋賀県生まれ。立教大学異文化コミュニケーション学部教授。大学在学中にメキシコ先住民を単独訪問し、東南・南アジアを旅し、バングラデシュで仏僧になり、トルコ・クルディスタンを旅し、大卒後、商社勤務を経てインドネシアを一年間放浪後に文化人類学を専攻。一橋大学社会学研究科博士後期課程修了。清水高志との共著『今日のアニミズム』(以文社)、『絡まり合う生命 人間を超えた人類学』(亜紀書房)はじめ、著作多数。

 

大島托 おおしま・たく/1970年、福岡県出身。タトゥースタジオ「APOCARIPT」主催。黒一色の文様を刻むトライバル・タトゥーおよびブラックワークを専門とする。世界各地に残る民族タトゥーを現地に赴いてリサーチし、現代的なタトゥーデザインに取り入れている。2016年よりジャーナリストのケロッピー前田と共に縄文時代の文身を現代に創造的に復興するプロジェクト「JOMON TRIBE」を始動。【APOCARIPT】http://www.apocaript.com/index.html

 

✴︎✴︎✴︎

 

 

〈MULTIVERSE〉

「現代魔女たちは灰色の大地で踊る」──「思想」ではなく「まじない」のアクティビズム|磐樹炙弦 × 円香

「生死観」としての有機農業 ──エチオピアで学んだ生の豊穣|松下明弘

「病とは治療するものにあらず」 ──全生を説いた体育家・野口晴哉の思想と実践

「俺たちはグレーな壁を生き返らせているんだ」──1人の日本人がまなざしたブラジルのストリート|阿部航太×松下徹

「BABU伝」 ──北九州の聖なるゴミ|辻陽介

「汝はいかにして“縄文族”になりしや」──《JOMON TRIBE》外伝

「土へと堕落せよ」 ──育て、殺め、喰らう里山人の甘美なる背徳生活|東千茅との対話

「今、戦略的に“自閉”すること」──水平的な横の関係を確保した上でちょっとだけ垂直的に立つ|精神科医・松本卓也インタビュー

フリーダムか、アナキーか──「潜在的コモンズ」の可能性──アナ・チン『マツタケ』をめぐって|赤嶺淳×辻陽介

「人間の歴史を教えるなら万物の歴史が必要だ」──全人類の起源譚としてのビッグヒストリー|デイヴィッド・クリスチャン × 孫岳 × 辻村伸雄

「Why Brexit?」──ブレグジットは失われた英国カルチャーを蘇生するか|DJ Marbo × 幌村菜生

「あいちトリエンナーレ2019」を記憶すること|参加アーティスト・村山悟郎のの視点

「かつて祖先は、歌い、踊り、叫び、纏い、そして屍肉を食らった」生命と肉食の起源をたどるビッグヒストリー|辻村伸雄インタビュー

「そこに悪意はあるのか?」いまアートに求められる戦略と狡知|小鷹拓郎インタビュー

「暮らしに浸り、暮らしから制作する」嗅覚アートが引き起こす境界革命|オルファクトリーアーティスト・MAKI UEDAインタビュー

「デモクラシーとは土民生活である」──異端のアナキスト・石川三四郎の「土」の思想|森元斎インタビュー

「Floating away」精神科医・遠迫憲英と現代魔術実践家のBangi vanz Abdulのに西海岸紀行

「リアルポリアモリーとはなにか?」幌村菜生と考える“21世紀的な共同体”の可能性

「NYOTAIMORI TOKYOはオーディエンスを生命のスープへと誘う」泥人形、あるいはクリーチャーとしての女体考|ヌケメ×Myu

「1984年、歌舞伎町のディスコを舞台に中高生たちが起こした“幻”のムーブメント」── Back To The 80’s 東亜|中村保夫

「僕たちは多文化主義から多自然主義へと向かわなければならない」奥野克巳に訊く“人類学の静かなる革命”

「私の子だからって私だけが面倒を見る必要ないよね?」 エチオピアの農村を支える基盤的コミュニズムと自治の精神|松村圭一郎インタビュー

「タトゥー文化の復活は、先住民族を分断、支配、一掃しようとしていた植民地支配から、身体を取り戻す手段」タトゥー人類学者ラース・クルタクが語る

「子どもではなく類縁関係をつくろう」サイボーグ、伴侶種、堆肥体、クトゥルー新世|ダナ・ハラウェイが次なる千年紀に向けて語る

「バッドテイスト生存戦略会議」ヌケメ×HOUXO QUE×村山悟郎

「世界ではなぜいま伝統的タトゥーが復興しようとしているのか」台湾、琉球、アイヌの文身をめぐって|大島托×山本芳美

「芦原伸『ラストカムイ』を読んで」──砂澤ビッキと「二つの風」|辻陽介

「死者数ばかりが伝えられるコロナ禍と災害の「数の暴力装置」としての《地獄の門》」現代美術家・馬嘉豪(マ・ジャホウ)に聞く

「21世紀の〈顔貌〉はマトリクスをたゆたう」 ──機械のまなざしと顔の呪術性|山川冬樹 × 村山悟郎

「ある詩人の履歴書」(火舌詩集 Ⅰ 『HARD BOILED MOON』より)|曽根賢

「新町炎上、その後」──沖縄の旧赤線地帯にアートギャラリーをつくった男|津波典泰

「蓮の糸は、此岸と彼岸を結い、新たなる神話を編む」──ハチスノイトが言葉を歌わない理由|桜美林大学ビッグヒストリー講座ゲスト講義

「巨大な夢が繁茂するシュアール族の森で──複数の世界線を生きる」|太田光海 × 清水高志

「反・衛生パスポートのための準備運動──連帯主義と生-資本に抗する」|西迫大祐×塚原東吾