汝はいかにして“縄文族”になりしや──《JOMON TRIBE》外伝 ❶| 縄文タトゥーをその身に纏いし人々
縄文時代のタトゥーを現代に創造的に復興する「JOMON TRIBE」。その壮大なプロジェクトに自らの身体を捧げる「縄文族」とは一体どのような人々なのだろうか。自身「縄文族」のメンバーである辻陽介が「族」の仲間たちに話を聞く。
「族」、にしては関係性が薄い。メンバーの多くとは会ったこともないし、互いに顔も名前も知らなかったりする。出自も、趣味嗜好も、イデオロギーも、あるいは国籍も、多分、みんなそれぞれバラバラだ。
そもそも、この「族」には一体何人くらいの人が参加しているのかもよく分からない。誰が最初の一人なのかもよく分からない。街中ですれ違っても、特に冬の時期であれば、互いに気づかない可能性の方が高い。
しかし、全くの赤の他人かといえば、なんだかそんな気もしない。僕たち「族」のメンバーは、僕たちの皮膚上に寄生している黒い線によって、薄く、緩く、部分的に、繋がっている。僕たちは互いのことをほとんど何も知らないけれど、互いの身体の、とりわけ皮膚の様子については写真越しに知っている。
別にこのまま深く知らないもの同士のままでもよかった。Instagram上で互いの存在をぼんやりと認識しているだけでもよかった。ただ、少しだけ知ってみたいと思った。「族」の仲間、いや仲間未満であり、あるいは仲間以上でもある彼らと、少しだけ話してみたいと思った。思いつきの気まぐれ、怖いもの見たさで開くオフ会のような感じだ。
とはいえ、いきなり話してみると言っても一体何を話せばいいんだろう。こんにちは。はじめまして。お名前は? ご趣味は? 聞きたいことは色々ある。多分、そうした様々な関心は畢竟、次の一つの問いへと集約される。
「汝はいかにして“縄文族”になりしや」
そう、僕たちはみな“縄文族”のメンバーなのだ。それはしかし、「族」と呼ぶにはあまりに不定形で、まとまりを欠いた集合体なのだけれど。
JOMON TRIBE──縄文族の掟
身体改造ジャーナリストのケロッピー前田と、タトゥーアーティストの大島托によって2013年に始動したアートプロジェクト「JOMON TRIBE(縄文族)」も、今年で早8年目を迎える。すでに国内だけでも数回の展示を重ね、2016年にはドイツはフランクフルトでも展示を成功させているこのプロジェクトの来し方については、ケロッピー前田の著書『縄文時代にタトゥーはあったのか』や、本媒体における大島托の連載『一滴の黒』の縄文編に詳しい。
大島托『一滴の黒』縄文群島の明かしえぬ黒い文身|日本最古のタトゥーを復興する https://hagamag.com/series/s0051/9234
ここでざっくりとその概要だけを説明しておけば、この「JOMON TRIBE(縄文族)」とは、縄文時代にこの日本群島に生きていた人々が入れていたかもしれないタトゥーを、土偶や土器などの発掘品に刻まれている文様を頼りに再現し、果敢にも現代人の皮膚に実際に彫ってしまおうというプロジェクトだ。実際にそれが存在していたのかどうかという、冷凍保存されたミイラでもうっかり発見されない以上は決着のつきそうもない学術的な議論を尻目に、「いやもう体に彫っちゃいましたから」、「これがその証明ですから」とドヤ顏でちゃぶ台をひっくり返すための、破天荒で向こう見ずな歴史的実践だ。
僕がこのプロジェクトの参加者に、つまりは“縄文族”の一人となったのは、2017年のことだった。縄文族になるとは、すなわち、自分の身体に大島托による縄文タトゥーを受け入れることに他ならない。明確な規定があるわけではないのだが、基本的にはフルバック(背中全面)以上、望ましくは全身サイズの「作品」になるべく、自らの身体をプロジェクトに捧げることが、縄文族に入族するための条件となっている。大島托のInstagramや、ケロッピー前田による縄文タトゥーの写真展、あるいは縄文族メンバーの生きた広告塔としての身体が呼び水となり、いまや縄文族は総勢40名以上にものぼるらしい。僕が誘い込んだ人も何人かいた。こう書くと新手のマルチ商法みたいだが、別段、縄文族になることで得られる金銭的な利益はない。
なぜ僕が縄文族に参加したのかについては、昨年に本媒体で公開した拙稿『我はいかにして縄文族になりしや』(https://hagamag.com/uncategory/6351)にある程度のことは書いた。あらためて要約すると、僕がこのプロジェクトの主催者であるケロッピー前田の長年にわたる担当編集者であったこと、僕にとって「縄文」という言葉の響きが包摂性と排他性のさじ加減において「ちょうどいい」ものであったこと、当時の僕は自分の身体を自分の好きにしか使えないということの貧しさにほとほと倦みきっていたということ、そしてこの縄文族が、かのファキール・ムサファーが編纂した一冊の本に端を発し、1990年代に世界的なムーブメントを巻き起こした「モダン・プリミティブズ」の意志を引き継ぐような、壮大稀有なコンセプトを持ったプロジェクトであったということ──、大きくはこの四点が参加の決め手だった。
もちろん、これは飽くまでも僕の個人的な動機に過ぎない。メンバーはそれぞれに、それぞれの思いを携え、このプロジェクトに参加している。この「族」が暮らしている集落へと至る道は決してひとつきりではない。そして、そのいずれの道もが、野草の生い茂った、うっかりすれば泥濘に足首を持っていかれかねない、前人未踏のけもの道だ。
汝はいかにして“縄文族”になりしや
いささか仰々しく書いてみたが、とはいえ縄文族になったところで、縄文タトゥーを身体に彫られるということ以外に、特に大きな役割があるというわけでもない。展示のための写真撮影があれば応じ、あるいはイベントなどで実演パフォーマンスが行われる場合、必要に応じてモデルとして参加するくらいのものだ。
基本的に、縄文族のメンバーはこのプロジェクトにおいて主体性を求められてはいない。言ってしまえば生きたキャンバスであり、僕なりの表現を使うなら、僕たちはこのプロジェクトにおいて肉人形として存在している。プロジェクトの今後の展開に関しても、ケロッピー前田と大島托の方針に従うのみであり、特に発言権があるわけでもなければ、定期集会のようなものが開催されているわけでもない。撮影の現場でも、ケロッピー前田によるきめ細やかなポージングの指示にみな唯々諾々と従うばかりで、その様子は意思をもった人間というよりも、縄文文様の入ったオブジェのようだ。
2017年に阿佐ヶ谷TAV GALLERYで開催された「JOMON TRIBE」展の様子(写真:ケロッピー前田)
悪し様に書いているようだが、別段、その方針に文句があるわけではない。それでいい。なんせ「JOMON TRIBE」は一万年前から一万年後を生きた皮膚を媒介に繋ぐ、マクロな視野を持った前代未聞のプロジェクトなのだ。数万年というスケールの大河ドラマを演出する上で、ある個人の特異性などは、本筋にノイズをきたす夾雑物に過ぎない。みんなそれを理解していて、また理解した上で参加している。だから率先して肉人形にだってなる。僕たちは縄文タトゥーという後世へと伝播されるべきミームを纏った容器なのであって、それ以上でもなければ、それ以下でもないのだ。
あるいはそうした主体性の喪失体験を伴うアノニマスな様式こそが、自我が過剰する現代に対して、極めてラディカルな問いを提起しているとも言えるかもしれない。重要なのは「I」ではなく「We」。「JOMON TRIBE」に単数形の一人称は不要なのだ。
しかし──。そうとはいえ、その縄文タトゥーを、激しい痛みさえ伴う形で、全身の皮膚に引き受けているのがある特定の個人であるということもまた、紛れもない事実ではある。仮にいつの日か、「JOMON TRIBE」がプロジェクトとしての終わりを迎えたとして、それでも縄文族の一人一人は、その後の人生を全身に刻み込まれた漆黒の縄文文様とともに生きていくことになる。そこには確実に、一人称単数形の具体的な生があり、物語がある。
考えてみれば酔狂な話だろう。あったのかなかったのか、あったとしてそれがどんなものだったのか、狭義の実証性をことごとく欠いた「縄文タトゥー」という物語に己の身を文字通りに投じ、あまつさえ身体に刻まれる文様のデザインについても、基本的には大島托にお任せ。タトゥーとは本質的に不可逆的な変化を身体にもたらす行為であり、それゆえ、タトゥーはその人物のその後の人生を祝福するものともなれば呪詛するものともなりうる。ありていに言えば、それがどんなデザインであっても、タトゥーというものは原理上、一生消すということができない。そのような個人としての一大事を、他人にほぼほぼ丸投げしてしまおうというのだ。今日の日本において支配的な価値観に照らしてみれば、とても正気の沙汰とは言えないだろう。
そんな酔狂に好んで身を窶した奇特なものたちを、物言わぬ肉人形としての役割のみに留め置いてしまってもよいものだろうか。痛みと引き換えにその肉体を供物に捧げる彼ら一人一人の物語を、夾雑物であるという理由でむざむざと聞き逃してしまってよいものだろうか。
むろん、ダメに決まっている。彼ら彼女らがその数十年ほどの人生の過程で縄文タトゥーに辿り着いたという極私的な物語は、「JOMON TRIBE」という壮大な万年紀に比しても、その面白さ、興味深さにおいて、決して見劣りするものではない。確かにそれは一見ちっぽけな夾雑物ではあるだろうが、大きな歴史とは実のところ、そうした小さな夾雑物の集積によってこそ推進されてきたものでもあるのだ。余談だと思われていたエピソードが、本筋を凌ぐほどに面白かったり、あるいは本筋において決定的な役割を果たしていたりすることはままある。不純物を完全に取り除いた超純水はひどくまずいらしい。水にはミネラルが、雑味が、必要なのだ。
そこで、ここではその雑味を提供したい。
本編「JOMON TRIBE」からのスピンオフ、あるいは外伝として、ここでは縄文族のメンバーそれぞれから、縄文族に参加することとなった経緯、実際に縄文タトゥーを身体に刻まれた上での感想などについて話を聞き取り、紹介してみようと思う。実は縄文族、かなりの役者揃い、というか曲者揃いなのだ。肉人形のままにしておくには、その意味でも、かなりもったいないのだ。
とはいえ、縄文族はすでに40人を超す大所帯でもある。ロビン・ダンバーが推定した原初的社会集団の定数である150にこそまだ及ばないものの、このままのペースで増員を続ければいずれはそこに到達しかねない勢いだ。その全員から話を聞き取るというのは、いささか僕の手には余る。そのため、聞き取り対象については無作為に絞らせてもらった。以降、数回に分けて連載していく予定だが、もし記事を読んで、「自分にも話したいことがある」という縄文族の方がいたら、是非とも僕に連絡してほしい(vobomagazine@gmail.com)。
さて、「汝はいかにして“縄文族”になりしや」。酔狂なる肉人形たちのかくかくしかじかに耳を傾けるとしよう。
文/辻陽介
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辻陽介 つじ・ようすけ/1983年、東京生まれ。編集者。2011年に性と文化の総合研究ウェブマガジン『VOBO』を開設。2017年からはフリーの編集者、ライターとして活動。現在、『HAGAZINE』の編集人を務める。『BABU伝—北九州の聖なるゴミ』を弊誌にて連載中。
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