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NYOTAIMORI TOKYOはオーディエンスを“生命のスープ”へと誘う──泥人形、あるいはクリーチャーとしての「女体」考|ヌケメ × Myu

NYOTAIMORI TOKYOの代表Myuと、ファッションデザイナー/アーティストのヌケメが語る「泥人形、あるいはクリーチャー」としての女体論。バラバラに生き、バラバラの感覚を持つ僕たちが、その“女体”を通じて同じ景色を見るために必要ないくつかのこととは。


 

“女体盛り”という言葉をバイアスなしに読むことは難しい。そもそも、ほとんどの人がそれを実際に見たこともなければ、実際に食べたこともないからだ。その語によって連想するのはフィクションを通じて得た断片的なイメージであり、そのためもあるのだろう、“女体盛り”という言葉には、迂闊に触れれば火傷でもしてしまいそうな(およそウェブ上に一般公開される記事のテーマにすることを憚られるような)、どことなくアンタッチャブルな響きすらある。

この“女体盛り”を、現代的なエンターテイメントとして提示するという、ともすれば「蛮勇」ともいうべきコンセプトにおいてショーを展開しているのが「NYOTAIMORI TOKYO」である。今回、ヌケメが対談するMyuとは、「NYOTAIMORI TOKYO」の発起人であり主催者。Myuはまた、その異世界的で、キッチュで、“現実界”的なパフォーマンスの、総合的な演出を手掛けるアーティストでもある。

対談収録前に編者が個人的に想定し、また期待もしていた「女性のモノ化」や「女体の脱コード化」といった、およそ誰もが思い浮かぶであろう月並みなテーマは、しかし現場の収録に際し、鮮やかに裏切られることとなった。Myuは一切の屈託なく(それによってこちらが暗に抱いている屈託を暴くように)「男も女も所詮は泥人形」と言い放つ。あるいは、人間も動物も虫も植物も、元をただせばドロドロで未分化の「生命のスープ」だったのだ、と。

ヌケメとMyu、兼ねてより親交のある二人による語りは、女体と女体盛りに端を発し、神話、環世界、SM、扮装、サイケデリックス、カポエイラ、囲碁、シャーマン、X JAPANへと、目紛しく、縦横無尽に展開した。まさに言行一致の「混沌」とした対話がなされたのであり、原稿の構成にあたっては非常に苦労させられたということも、あらかじめ、これ見よがしに、付記しておく。

(Text_Yosuke Tsuji)


 

 

 

不完全な法とそれゆえの抜け道

Myu 今日はヌケちゃんが質問してくれる感じ?

ヌケメ 質問するし、意見もする感じ。インタビューよりの対談ってとこかな。

Myu そっかぁ。飲み屋で話している感じで話してって言ってたけど、私さ、そうすると大体の話にピー音が入っちゃうんだよね(笑)。人生レベルで「ピー」だから。どうしよう、普通に話したら書けることがなくなっちゃいそう。

ヌケメ まあそうだよね。でも、そこはうまいこと編集してもらおう(笑)

Myu OK。で、なんの話するの? 前のヌケちゃんの鼎談(※)は「バッドテイスト」がテーマだったけど、今回もそんな感じ?

ヌケメ×HOUXO QUE×村山悟郎|バッドテイスト生存戦略会議

ヌケメ いや、そういうわけでもないけど、ただ繋がるところはあると思う。あの鼎談ではさ、社会的なモラルと、人間としての倫理みたいなものはまったく別物だよねって話をしたんだけど。

Myu 倫理に反するわけではないけど、社会においてはなんとなく良くないとされていることがある、みたいな話?

ヌケメ そうそう。

Myu まさに女体盛りじゃん(笑)

ヌケメ そうなんだよね。だからMyuちゃんと話したかったっていうのもあって。

Myu なるほどね~。でも実際、最初はすごくビビってたよ。女体盛りなんてやったらヤバいんじゃないのって。私自身はまったくヤバいとは思ってないんだけど、色々なところから突っかかられるだろうなとは思ってて。

ヌケメ もう言葉の響きだけで怒る人もいそうだしね。

Myu うん。だから、すごく用意周到に始めたんだよね。衛生面とか、法律面とかさ。もし勝手に始めたら保健所と警察署は絶対にくるだろうし。「NYOTAIMORI TOKYO」を始めようって決めてからも、まずは保健所に行ったり、警察署に問い合わせて、不安点を全部クリアーにするところから始めていってさ。だから実際のローンチまでに一年くらいかかっちゃったんだけど。

ヌケメ Myuちゃんって見た目の割に慎重だよね(笑)

Myu そうそう(笑)。でも、ちゃんと警察署とか保健所に行けば「YES/NO」がハッキリするかと思ってたんだけど全然そんなこともなくて。なんていうんだろう、反応自体がグレーというか、現状では問題あるとは言えませんが、問題がありそうだったら捕まえます、みたいなどっちとも取れるスタンスだったんだよね。

ヌケメ なるほどね。ただ、「NYOTAIMORI TOKYO」は体に触れたりするわけじゃないし、基本的には出張型のサービスだし、法的にも問題はなさそうだよね。

Myu うん。だから「今のところは取り締まれる法律はありません」みたいな、いやらしい言い方をされた(笑)

ヌケメ やな感じだね(笑)。恣意的に法律を運用する余地をあえて残しておく、みたいな。

Myu まさにそれ。まあさ、そうしておかないと、法の抜け道をかいくぐって悪さをする人がいたときに柔軟に対処できないっていうのがあるからなんだろうけど。

ヌケメ 法に抜け道があるってことは、つまり法の運用にも抜け道があるってことなんだよね。逆に行政機関とかじゃなくて、一般の人からのクレームみたいなものはなかったの?

Myu あるよ~。法律を知らない人や専門家じゃない人が「これは法的にアウトなんじゃないの?」とか「衛生法はちゃんとしてるの?」とか、別に詳しく知らないのに言ってきたりしてた。

ヌケメ ありがちだね(笑)

Myu ようはイチャモンをつけやすいんだよね、女体盛りっていうテーマが。好意的に見れば「OK」に見えるし、悪意をもって見れば「NG」に見えちゃう。もともと、微妙なラインを狙って設定したコンセプトだから、それ自体はそれでいいんだけどね。

ただ、たとえば実際に騒ぎになったケースとして、銀座のイベントスペースに呼ばれてショーをやってほしいとオファーがあった時に、そのビルオーナーから苦情が出ちゃったことがあったんだよね。なんかハコとビルオーナーが元からモメてたみたいで、なんかしら理由を見つけて喧嘩したかったみたい。ようは、うちがそのダシにされた感じ。オーナーさんに警察に駆け込まれたんだけど、事件性も違法性もないから「はいはい」みたいな感じで終わって。

まあ、それって結局、うちのショーそのものへの評価じゃなくて、あくまでも「女体盛り」のイメージだけで判断してるんだよね。すごく正当な感じの意見を盾にしてはいるけど、実際のところは自分の感情を押し付けたいだけなんだなって。

 

コンテクストが混線する場所

ヌケメ すごくよく分かるよ。ただ、「女体盛り」っていうテーマは、そうしたことを引き起こしやすいテーマでもあるよね。なんであえてそこにいったの?

Myu うーん、まあそっちの方が面白いでしょ? 昔から人がこうだと思っていることに対して「別にそうじゃないだろ」って思ったりすることは色々あって、それを微妙に崩すようなことをしたいって思ってたから。

ヌケメ 常識をズラすみたいな?

Myu そうそう。当たり前にこうだよね、みたいに言われてるものに対してすぐに斜めに見ちゃう性格の悪さがあるので(笑)。たとえば女体盛りをやってて言われがちなのは「食べ物を粗末にするな」とか「女体をモノ扱いするな」とかってことだけど、じゃあ「食べ物ってなに?」みたいな気持ちにもなるわけ。たとえば馬の肉は食べ物とも言えるけど、一方で競馬ではギャンブルの道具になってる。それ以前に馬は動物であって、野生の存在でもあってさ。結局、人がその時々で見たいように見ているだけだよね。それなのに、そういう時になって急に「食べ物を粗末にするな」とか言われても、ピンとこないんだよね。

ヌケメ そもそも、「NYOTAIMORI TOKYO」で使われる食材は実際に食べるわけだから、粗末に扱ってるっていう批判はおかしいけどね。

 

NYOTAIMORI TOKYO|和の演出で行われる寿司盛りショーのプロトタイプ。(2016/9)

 

Myu 食べられるようにしてるからね、うちは(笑)。実は最初の方は「食べれる」ってことをあまり重要視してなかったんだけど、最近はこの「食べれる」ってことのヤバさをすごく感じてて。だって、お客さんに自分の作品の一部が食べられちゃうんだよ? その人の血肉になるんだよ? 作品の干渉度合いとしてかなりヤバいし、衝撃的だし、最高(笑)

ヌケメ たしかに、考えてみると自分の作品が誰かの一部になるってヤバいな。

Myu でしょ? うちの場合、ショーに関しては結構なお膳立てをしてて、色々な工程を踏んだ上に、最後に体に食事を盛り付けして完成するんだよね。その盛り付けをしてる時の感覚って私としてはお供え物してる感覚に近くてさ。そのお供え物をその場にいるみんなで食べるっていうのが結構グッとくるポイント。

ヌケメ 部族の儀式で生贄のヤギを食う、みたいな感じがあるよね。いまふと思ったんだけど、女体盛り用の食べ物は軽減税率って適用されるのかな。

Myu 分からない、どうなんだろ(笑)

ヌケメ なんかさ、果物のゆずってあるでしょ? ゆずって食べ物だから基本は8%なんだけど、冬至にお風呂に入れるゆずは10%になる、みたいな話があってさ。

Myu めんどくせえ。

ヌケメ そうそう、節分の豆はどうなの? まくだけで捨てるなら10%なの? とか今回の税制改革で色々と混乱が生じるんだよね。

Myu 8%で豆を買って、もし豆まきだけして食べなかったら脱税だ(笑)。まあ、さっきの話と似てるよね。馬が食べ物になったり、ギャンブルの道具になったりする瞬間の話。

ヌケメ 法ってそういうもんだからね。どっかで必ず線が引かれる。いくつかのコンテクストがあった時に、それらが交錯するポイントってのがあって、たとえば女体盛りとかはまさにその交錯点にあるわけで。だからこそ面白いんだけど。

Myu そうそう、混線するから混乱する。その混乱が面白いよね。

 

ウンコで島を作るようなバイブスで

ヌケメ 「NYOTAIMORI TOKYO」は女体盛りって言葉のイメージをかなりアップデートしてる感じがあると思うんだよね。

Myu ありがとう。ただ、私的にはそもそもの「女体盛り」のイメージ自体に違和感があるっていうか、そのイメージって本当にあってる? みたいな気持ちもあるんだよね。ていうのも、うちは海外のお客さんとかが結構多いんだけど、「日本の伝統的な女体盛りが見たいんだ!」みたいなことを言う人がたまにいて。

ヌケメ ああ、Myuちゃんがやってる洗練された女体盛りみたいなのじゃなくて?

Myu いや、そこもおかしくてさ、彼らが言う日本の伝統的な女体盛りのイメージが、まさにうちみたいな女体盛りだったりするんだよね。うちはまだ始めて4年だから伝統とはいえないし、そもそも伝統的な女体盛りってなんだろう、みたいにも思うようになってさ。たとえば、うちのパフォーマンスを擁護するような形で「女体盛りは日本の伝統文化ですから」みたいなことを言う人もいるんだけど、正直、そこにも「本当かな?」みたいなのがずっとあって。実際、調べてみても、ちょっと女体盛りに関しては都市伝説的というか、曖昧な表現での記録くらいしか残ってないんだよね。

ヌケメ へぇ、そうなんだ。

Myu そうそう。結局、そういうぼんやりしたイメージをもとに近年になってヤクザ映画とかでデフォルメされた形で描かれるようになってて、そこで作られたイメージが一般に広まったっていうのが実際のところかなと思ってるんだけど。

ヌケメ さらにいうとバカ殿だよね、お茶の間へのイメージの普及としては(笑)

Myu そうかも(笑)。最近では『Sex and the City』とかにも女体盛りが描かれてたりしてて、イメージからさらにイメージが再生産されていってる。だから伝統的な女体盛りっていうのが一体なんなのか、私が聞きたいよって感じなんだよね。

ヌケメ でも、いわゆる「伝統」にアプローチできないんだとしたら、Myuちゃんが女体盛りのパフォーマンスをする上で、イメージしているものはなんなの?

Myu 色々と考えた結果、私がやっている女体盛りの源流に存在するのはオオゲツヒメなんだよね。

ヌケメ オオゲツヒメ?

Myu オオゲツヒメは日本神話に登場する神様で私の写真集の表紙にもなってるんだけど、五穀の起源みたいな存在なの。スサノオが空腹で現れてオオゲツヒメは食べ物を用意してあげるんだけど、その食べ物はどれもオオゲツヒメの体から出てきたもので、その食べ物を出すところを見たスサノオが「気持ち悪い!」って怒って斬り殺しちゃうんだよね。そしたら、その死体からいろんな作物が生まれた。だから食べ物の神様なんだけど。で、実はこのオオゲツヒメに似た神様が世界中の神話に登場してるの。そういう神話をハイヌウェレ型神話っていうらいしいんだけど。

 

『NYOTAIMORI TOKYO photo book』より

 

ヌケメ 食物を起源とする神話形式の一つってことかな。

Myu そうそう。ハイヌウェレっていうのはインドネシアの神様なんだけど、オオゲツヒメと同じで体から食べ物とか宝物を出せる神様なんだよね。ハイヌウェレの場合は排便で宝物を出したりしてるんだけどさ。まあ、そういう神話が色々あって、私の考える女体盛りはそっちに近いんだよね、バイブスが。

ヌケメ バイブスがオオゲツヒメ(笑)

Myu (笑)。だから、よく言われるような江戸時代の遊郭の女体盛りみたいなイメージはあまりピンときてなくて、あくまでも形式や言葉だけ借りてきてるだけで、実際に私がやっていることとは近くない。なんか遊郭で女体盛りって誰でもその意味が分かるし、発想として理解できるでしょ? でもオオゲツヒメとかハイヌウェレ型神話とかって設定からなにから無茶苦茶なんだよね。その無茶苦茶な感じが私はすごく好き。

 

『NYOTAIMORI TOKYO photo book』より

 

ヌケメ 神話ってやばいよね。予言を疑った瞬間に死んだりするし、そもそも神々が殺し合いまくってるし。

Myu シュールだよね。不倫とかもしまくりだし、爪や鼻クソから神様が生まれたりするし。そういうバイブスが最高。

ヌケメ ウンコが島になったりね。

Myu ウケる(笑)。まあさ、神々の世界に限らずだけど、私は現実世界じゃない世界を感じたいし、そういう世界を女体盛りを通じて作りたいわけなんだよね。だって、人間の世界って疲れるでしょ?

ヌケメ 疲れるよね。

Myu なんかさもそれが正しいと決まっていることかのように色々と言われてるけどさ、いつも「それほんと?」って思っちゃう。だって、この世に生まれて数十年とかでこの世のことを知ったような顔なんてできるわけないじゃん。だから意見とかグジャグジャで当然なのに、「いや、これが正しいのです」とか言われるとさ、「だったらお前、ウンコで島とか作ってみろよ」みたいに言いたくなる(笑)

ヌケメ まあ「無理です、ごめんなさい」だよね(笑)

Myu でしょ。別に一つの世界で生きなくていいんじゃないのって思う。だから私は非現実的なものを作りたいんだよね。人が「怖い」とか「やばい」とか感じるもの。そういう感情にならないと、神々の世界みたいなところに入れない気がする。分からないけどさ。

ヌケメ 芸術の根幹ってそういう「怖さ」だったりするのかもね。

Myu うんうん。自分たちの想像以上のものを感じたいじゃん。クリーチャーとかバケモノとかを見たい。だから私は扮装とかが好きで、NYOTAIMORI TOKYOのショーにもそういう要素を入れてるんだよね。

ヌケメ フィクションってそういうものだしね。

Myu そう、でもフィクションが現実になったりすることもあるわけだし。想像していたものが現実になるっていうことは実際にあるわけでしょ? 当たり前の話なんだけど、違う世界のことを想像しないと、そういう世界になったりすることもなくてさ、だから私はいつもそういう違う世界を想像していたいんだよね。

 

お前の目ん玉くりぬくぞ」

ヌケメ 別の世界を想像すること、さらにその想像した世界の実現を信じられることって、すごく大事だよね。前の鼎談でも、その想像すらできなくなってきてる現代のヤバさみたいなことを話したんだけど。

Myu 私にとってはそういう別の世界を体感させてくれる場所がパーティーなんだけどね。

ヌケメ Myuちゃんはパリピだもんね(笑)。15歳くらいからイベサーみたいなのやってたんだっけ?

Myu ああ、あれはサークルってわけでもないんだよね。なんか仲のいい友達4人で毎月パーティーをしてたの。当時、「毎日パーティーじゃないのっておかしいよね?」「毎日ドレスを着れないっておかしくない?」みたいに思ってて。

ヌケメ そういうバイブスの時があったんだね(笑)

Myu そう(笑)。だから、せめて毎月1度は絶対にパーティーをしようってなって。友達4人で一ヶ月に一回、何かテーマを決めてそのテーマに沿った衣装を着て集まる会をしてたんだよね。テーマはたとえば「お葬式」とか「サーカス」とか「アゲ嬢」とか、結構適当なんだけど、それに合わせた装いで集まって、路上でゲリラ撮影をするっていう。ファッションテロリストを略して「F☆T」っていうチーム名だったんだけど。

ヌケメ 完全に友達の内輪ノリで始まったんだ?

Myu うん。本当に毎月やってたんだよ。当時はミクシーとかブログとかで撮影した写真をアップしてて、そしたらだんだんと追っかけみたいなのができてきて。大体は原宿のマックが集合場所で、そこがメイクルームだったんだけど。今もサイト残ってるよ、多分。

 

「F☆T」official site  http://loose.in/69ft69/

 

ヌケメ (F☆Tのサイトを見ながら)すごいね、これ。キャッチコピーがやばい。「お前の目ん玉くりぬくぞ」ってどういうこと?(笑)

Myu あ、それ私が考えたキャッチコピー(笑)。まあ、そんな感じでワーワーやってたんだよね。そのうちにイベントとかにも呼ばれるようになって、蜷川実花さんから写真のモデルをお願いされたりするようになって。10代の時はそんなことをしてたんですよ(笑)

ヌケメ 筋金入りのパリピだよね。

Myu 別世界に憧れてたのは10代の頃から変わらないんだよね。それでいうと、最近は虫がアツいと思ってる。

ヌケメ 虫? いきなり? 昆虫食みたいな話?

Myu ううん、虫の世界。

ヌケメ 虫の環世界ってことかな。

Myu そうそう、虫の知覚してる世界。その世界ってヤバいなって思う。

ヌケメ メディアアートとかでもあるよね。フクロウの視線になって移動するVR映像とか(※)。

※ VRで人間以外の目になる。マシュマロ・レーザー・フィースト《In the Eyes of the Animal》
http://boundbaw.com/world-topics/articles/13

Myu 完全に違ったりするもんね。紫外線しか知覚できない、みたいな。あるいは嗅覚とか触覚だけで生きてる生物もいるし。そういう一緒に生きてるけど違う世界を生きてるものとかについて知ることって、私にとって神々の世界を考えることと近いんだよね。

 

 

ヌケメ 時間の感覚とかもまるで違うんだもんね。

Myu ノミとかね。虫までいかなくても、たとえばネズミのレベルでもかなり違うっていうよね。心臓の鼓動の速さが違うから。

ヌケメ 象とネズミの話は面白いよね。ネズミには象が動かない巨大な物のように見えてて、象にはネズミが速すぎて存在すら気づかないっていう。

Myu なんか強制的に一度ネズミとかになったらいいのにな、みんな。

ヌケメ (笑)。Myuちゃんのそういう関心がサイケデリックスに向いていかないのが不思議だよ。

Myu うーん、ドラッグは不思議と興味ないんだよね。そもそも、常にきっかけさえあればスイッチできたりトランス状態に入っていける感覚があるからかもしれない。このトランス状態って、ある種の別人になる感覚なんだけど、手がかりがあれば、ストーンと自分を飛ばすことができるっていうかさ。

ヌケメ そこ興味あるなあ。

Myu 説明が難しいなぁ……、あ、私のすごく仲のいい友達にSMの女王様をやってる子がいるんだけど、すごく共感できるポイントが多いんだよね。SMって基本的にロールプレイでしょ? S役とM役がいて、その舞台を成立させるためのアイテムが色々ある。アイテムを使わなくても2人の間でルールを作るとかでもいいけど、別世界に入っていくための仕掛けやシチュエーションがいっぱいあるんだよね。そういう手がかりがあればスイッチできる。私にとってはF☆Tの時の扮装とかも言っちゃえばロールプレイであってさ。メイクや衣装で変身してパーティをすることによって別人の状態を獲得できる。でも、ドラッグとかの場合、そのスイッチを自分でコントロールできない気がして、それは怖いんだよね。

ヌケメ なるほどなぁ。俺は自分の意識をつねに自分でコントロールしているところがあって、たとえばMyuちゃんと話してる時の自分、親と話してる時の自分、仕事をしている時の自分、みたいに人格とか役割を意識的に制御しているんだよね。それ自体は普通のことだと思うけど、そのコントロールが強すぎるって感じるときがあって。たとえば、クラブとかに行ってみんなでワーッと盛り上がってる時とかも、どこか微妙に冷めているところがあってさ。リミッターを飛ばせない。だから、コントロールしようとする自分の意識を殺したいみたいな欲望があるんだよね。

Myu そういう人はそれこそSMとかやればいいんじゃない? 紹介するよ、友達。

ヌケメ (笑)

Myu 強制的に意識とか飛ばされちゃって、おしっことかも漏らしちゃって、なにがなんだか分からなくなる経験をした方がいいのかも(笑)

ヌケメ その状態にはなってみたいね(笑)。でも、なかなかおしっこって意識的には漏らせないよね。前にテレビでバカリズムさんも言ってたけど。

Myu へぇ、なんて?

ヌケメ まあネタかもしれないけどさ、バカリズムさんはおしっこを漏らしてみたいと思って、家でわざとおしっこを漏らそうとしたんだって。でも、意識的に漏らそうとすると全然漏らせなくて、頑張って頑張って、ようやくお漏らしに成功したらしいんだけど、今度はその後の一週間、毎日おねしょしてたんだって(※)。

※ 2012年12月29日放送 「すべらない話」(https://www.fujitv.co.jp/suberanai/cs121229.html)

Myu ウケる(笑)。リミットが外れっぱなしになっちゃったんだね。

 

泥と言葉とクリーチャー

Myu でも、そういうグジャグジャのおしっことか漏らしちゃう状態みたいにならないのがヌケちゃんの作品の面白さなのかなって気もするんだよね。ヌケちゃんの作品ってすごいポエティックだから。

ヌケメ そう? ちなみにヌケメ帽に刺繍されてるポエムは俺が作ってるわけじゃないんだけどね。

 

Nukeme “ヌケメ帽”(2008)/刺繍された散文は詩人の辺口芳典によるもの

 

Myu うん、それは分かってる。そういう意味じゃないところでポエティック。グリッチの作品もPayPalの作品もそうだし、結構、言葉から連想してる感じの作品が多い気がするんだよね。多分、ヌケちゃんの作品はインターネット的って言われることが多いかもだけど、私は個人的にすごくポエティックだなって感じる。グジャグジャにならないように言葉でコントロールしてるイメージ。

ヌケメ ああ、でもそうだね。作品を制作するときはまず言葉から作るから。「○○が、××してる、△△」みたいに。「PayPal型の、物理的に壊される、貯金箱」だったり「黒い帽子に、日本語の詩が、刺繍されたやつ」だったり。形にする前に一回ヤフートピックの見出しくらいの長さに整理して、そこから具体化していくっていうプロセスを経てるんだよね。

 

Nukeme “Savings Bank”(2013)

 

Myu そんな感じする。私がまったく言葉的じゃないから余計にそう感じるんだよね。言葉がついてないもの、言葉で考えることができないものから作りたい、みたいな感覚が私にはあって。実際、言語化されていない「泥」の中からイメージを引っ張ってきてることが多い。だからヌケちゃんの作品とは少し違うの。ヌケちゃんの作品はもう少し高次のところを経由してるというか、一回、言葉で抽象化されてるものを、さらに組み換えて制作してるみたいな感じ。その点、私は原始的で、直に「泥」から引っ張り上げてるんだよね。ヌケちゃんみたいな作り方は頭良くないとできない(笑)

ヌケメ 俺の場合は言葉にする手前に「泥」があるんだよね。ただ、その「泥」から最初に引っ張り上げるのが言葉なの。泥、言葉、モノっていう変遷なんだよね。

Myu 上品だよね。私は泥をそのまま相手の顔に投げつけてるみたいな感じだから(笑)

ヌケメ 逆にそれができるってすごいなとも思うんだよね。俺は「泥」からいきなり作ろうとすると、作ってる間に方向性が変わっちゃうというか、制作があっちこっちに行っちゃって収拾がつかなくなる。だから方向性を変えないようにあらかじめ言葉を挟んどかないと永遠に終わらなくなっちゃうんだよね。

Myu なるほどねぇ、それはいい話だ。

ヌケメ 自分と「泥」の区別がつかなくなっちゃうっていうかさ。言葉ってその点、俯瞰して見ることができるから便利なんだよね。

 

Nukeme “Glitch Embroidery”(2016)/ 中国の銀川現代美術館での展示風景

 

Myu 私、頭悪いから諦めちゃうんだよねぇ、段階を経るってことを。そもそも、その段階を経る意味あるのか、みたいにも思っちゃって(笑)

ヌケメ でも、そんな大したもんじゃなくてさ。さっきのF☆Tのパーティーにおける「葬式」とか「アゲ嬢」とかっていうのが言葉なんだよね。パーティーやろうぜってだけじゃなくて、そこにもう一つテーマを用意しておくというか。それと一緒なんじゃないかな?

Myu ん~、ちょっと違う気もするかも。そういう意味でなら、私のショーにも言葉を使ったテーマはいっぱいあるから。でも、NYOTAIMORI TOKYOに関しては、実際にやってることはいつも私の中では一緒なんだよね。ビジュアル的なテーマとかは、もうちょっとエンタメ的な要素であってさ。作品の本筋ではなくて、人を楽しませるための付加価値の部分。だから根本ではやってることはつねに一緒で、その表層だけが変わっていってるって感じ。

 

【Dear Eater】NYOTAIMORI TOKYO×PRBAR×RPCATERING×LIQUID WORKS コラボレーションイベントDear Eater。牧畜の祝祭前夜。北欧の伝承、Wild Huntをテーマにジビエとエディブルフラワーを使ったストーリー仕立てのNYOTAIMORIショー。(2018/10)

 

たとえば、これとかはジビエの女体盛りなんだけど、その時のテーマは北欧の伝承のワイルドハントだったの。そのテーマ自体は秋の季節にぴったりのパーティにしたいなという点で選んでるけど、個人的にはやってることはいつものコンセプトと変わらない。でも、ヌケちゃんの場合は、言葉にした段階、そのポエムの時点ですでに作品化されている感じがするから。「泥」から一回キレイに磨かれてて、そこからさらにもう一個作業が入るってイメージでしょ。言葉の役割がすごく大きくて、その点、私の作品はもっと「泥」に近いんだよね。

ヌケメ なるほどね。そもそもMyuちゃんにとって、その「泥」ってどういうイメージなの?

Myu 抽象的な話になっちゃうんだけど……、私の中では「泥」と並んで「生命のスープ」っていうのがすごく大事な言葉なんだよね。ロシアのオパーリンっていう学者の説が元なんだけど、地球上に生命とかが生まれる前は、やがて生命になるようなものがドロドロに混ざり合ったスープのような状態があったっていう話で、それってすごく分かるっていうか。ちなみに「泥」は中学生の時に読んだ村上春樹の『ねじまき鳥クロニクル』の一節から拾った言葉なんだよね。「私たちはみんな温かな泥の中からやってきたんだし、いつかはまた温かな泥の中に戻っていくのよ」っていうセリフがあって、それが妙に腑に落ちてしまってずっと私の根幹にあるの。なんで村上春樹なんだって感じなんだけど(笑)

だから、NYOTAIMORI TOKYOのショーでも全ては「泥」であって、女体というより泥人形に近いというか、そもそも男も女も「泥」だから、それが女であるのもたまたまで、そういう全てがドロドロに溶け合った生命のスープの状態により近い世界を見せたいと思ってるんだよね。普段は、段階を踏んで「泥」にはもう見えなくなった世界を生きてるんだけど、私のショーにおいては、もっと「泥」に近い段階の世界を見せたいというかさ。

だから……、そうだ、いま思った。私がクリーチャーみたいなものを作るのも、クリーチャーって人間よりも「泥」に近いからだと思うんだよね、形状的にもさ。

ヌケメ クリーチャーって不定形なんだよね。「何者でもない」ということが逆説的にその定義になってるみたいなところがあって。

Myu そう、まだ決まりきってない。だから、そういうイメージで作ってるのにジェンダー論的なことを言われたりすると、全然響かないんだよね。「女が作る女体盛り」みたいなことを言われれば「たしかにな」とは思うんだけど、本質的なところは全然ちがう。私からすれば男も女も泥人形だし、みたいな(笑)

ヌケメ 階層がまるで違う話だよね。

Myu そうなの。女の人をモデルに起用したとしても、女として見てるわけじゃないし。もっとクリーチャー寄りに見てるし、そういう未分化な状態としてショーに出てもらってるから。まあでも本当はこういうトピックを扱ってる以上、フェミニストの人とかにもちゃんと応じないとなとは思うんだけどさ。

ヌケメ まあ、そうだね(笑)

Myu 分かってはいるんだけどね、やっぱり個人的な関心はそこになくって。昔のイメージの女体盛りと比べられたり、女性差別とかの文脈で言われたりしても、違う! バイブスはオオゲツヒメなんだ! ってなっちゃう(笑)

 

ムニャムニャのカオスの中を踊る

ヌケメ でも、それって女体盛りがやりたいっていうより、女体盛りはあくまでも仮のテーマで、ようするに祭りがやりたいってことだよね? 少し小さめのバーニングマンをやりたいというか。

Myu ああ、近いかも。

ヌケメ バーニングマンってさ、男とか女とか社会的立場とか、そういうこと全部抜きにして「音が鳴ってる。だから踊る」みたいな、そういう原始的な感覚に戻ろうとするお祭りじゃん。会場は砂漠でお金も使えない中でさ。

Myu いいよね。嘘くさいものをいったん全部ぶっ壊して、瓦礫の中で泥になって遊ぼうぜって感じ。お前は「泥」に戻れるんだ! みたいな。すごい偉そうだけど(笑)。まあ、誰もかれもが「泥」に戻るべきとかは思わないんだけどさ、もとは「泥」だと思えば世の中の細かいこととかはどうでもいいって思えてくるな。

ヌケメ 全ては仮象みたいにね。

Myu ムニャムニャなの。一見すると世の中ってソリッドなんだけど、本当はムニャムニャで、ムニャムニャなものを無理やりに法で仕切ろうとしたりするから、結局、ムニャムニャしちゃうっていうか。あんま無理しないでもっとムニャムニャな状態で考えればいいのにさ。だからムニャムニャを作ってるんだけど。

ヌケメ もうムニャムニャのカオスになってるよ(笑)

Myu (笑)。でも、だから作品をパフォーマンスっていう形式にしてるってのもあるんだよね。パフォーマンスってそれこそ祭りに近くて、その時間内はそのパフォーマンスのルールで空間が作られていて、みんなでその空間を共有していて、共有しなくちゃいけなくて、そこでは通常のルールが解除されていて、いろいろなことが不定形なムニャムニャの状態に入っていけるのがすごくいい。それで最終的にそのお祭りにお供えされた食べ物をみんなでシェアして食べる。絶対、楽しいでしょ。

 

 

ヌケメ たしかにね。でも、俺は怖さを感じることもあるんだよね、「泥」の状態に。Myuちゃんは「泥」の状態に対しては完全にハッピーなイメージしか持ってないの?

Myu 死んだら「泥」になるって思ってるからね。全然ポジティブなイメージだよ。

ヌケメ ある意味ではさ、秩序がない全てがムニャムニャの「泥」の状態っていうのは怖いといえば怖いじゃん? 自分と相手の区別もつかなくてさ、全てが溶け合ってく感覚っていうのは快楽でもあるんだけど、一方では個体としての自分は死につつあるってことでしょ。本当は泥になりたくないのに勝手に泥になっていってしまう、みたいなバッドな精神状態になることもあると思うんだよね。

Myu たしかに、言われてみれば。でも私は怖いって思ったことないんだよな、やばいな。

ヌケメ ドラッグの世界のバッドトリップってそういうことだと思うんだよね。グッドとバッドって同じ現象に対する対極的な二つの反応であって、起こっていること自体は同じなんだと思う。「泥」になるっていうのは「狂う」ということでもあって、それは喜劇でもあるし悲劇でもある。

部族の集落とかでもさ、シャーマンの役割を担う人物は誰でもいいわけじゃなくて、特定の誰かに決まっていたりするでしょ。それって普通の人だとその「泥」の世界になかなか耐えきれないからだとも思うんだよね。戻ってこれなくなったりしちゃう。だから、それが怖くないMyuちゃんはシャーマンなんだよ(笑)

Myu ん~、シャーマンかぁ。

ヌケメ シャーマン兼パリピ(笑)。率先してパーティーをオーガナイズしていくシャーマン。

Myu そう、私はパーティー系なんだよね(笑)。それに怖くないっていうのも、死なない限りは完全に「泥」にはならないっていうのが分かってるからでもあって。祭りって完全には「泥」じゃない。やっぱりそこに入る言葉はクリーチャーなんだよね。「泥」と人間の中間。だから、まだ怖くないの。最終的に「泥」になって死ぬまでは、ずっと「泥」を模し続けてパーティーをした状態で楽しみたい、みたいな感じかな。

 

春川ナミオとカポエイラの神様

ヌケメ これも前の鼎談の時に話したんだけど、春川ナミオさんっていう豊満な女性に顔面騎乗された男の絵ばかりを描いてる人がいるんだけど、その春川さんの作品集に掲載されていた解説の中に「フェティッシュとは究極の愛の対象を手に入れたいと願いながら、それが叶わないから一番似た何かで代用する行為だ」って書かれてて(※)。

 

※ 「フェティシストとは、究極の愛の対象をその近似物、代替物で置き換え、その代替物をこよなく愛する者のことである。」(藤田博史 春川ナミオ考 p.284 /「THE INCREDIBLE FEMDOM ART of NAMIO HARUKAWA 春川ナミオ画集 ドミナの玉座、あるいは顔面騎乗主義者の愉楽」春川ナミオ (著) 河出書房新社  2019年出版)

 

Myu すっげえ分かる。

ヌケメ たとえば本当に欲しいものが母親の無償の永遠の愛だとして、それは実際には手に入らないから、それに一番近いものは何かってなったら春川さんの場合は「でけえケツ」だったってわけなんだよね。で、その「でけえケツ」をひたすら愛でる、それがフェチなんだ、と。多分、「泥」もそういう究極の欲望の対象で、でもその「泥」は死なない限りは至ることができないものだから、生きているうちは代替物で「泥」の片鱗を召喚して楽しんでいく。それが女体盛りだったりするわけだよね。

Myu うんうん。それも色んなバリエで、そのバリエを楽しんでるの。ようするに、その都度、模してるんだよね。さっきSMの話をしたけど、SMの役割分担もあくまでも「模してる」なんだよね。友達の女王様も見た目は完全にバリバリで、刺青も入ってるし、身長もすごい高くて、「こえー」って感じなんだけど、実際はすごく優しいから。「SMは役割分担だからね」ってすごくさらっと言ってて、実際にM男をバカにする感じとかじゃないんだよ。あなたがたまたまMの役で、私がたまたまSの役で、その設定で楽しみましょうねっていうスタンス。そこの線引きがすごいしっかりしてて、それがすごく面白い。自分たちにとって最高の状態を作るための役割をそれぞれが担うことが大事なんであって、そのパーティーが終わったらフラットな状態に戻るっていうかさ。

ヌケメ ある種の対戦相手だよね。

Myu そうそう。あなたが今回は負ける役ね、みたいな。それってベタな勝ち負けではなくて、その場を最高の状態に導くための設定でしかないっていう。そういうことがSMだとすごく分かりやすくできるんだなって思った。さっきも言ったように、仕掛けが多いから、設定が作りやすい。日常から一旦、自分たちを切り離すことができる。

ヌケメ 俺さ、カポエイラをやってるんだけど、カポエイラもすごく似たところあるんだよね。カポエイラはブラジルの格闘技とされてるんだけど、いわゆる格闘技でありながら踊りでもあって、その中間に位置してる感じなんだよね。そもそも相手に技を当てない。蹴るんだけど、相手には絶対に当てない(※)。当てちゃうのは下手くそな行為。そういう風に当てないように技を掛け合い続けている二人の周りをギャラリーが輪になって取り囲んで、楽器を弾いたり手拍子を打ったりしてる。当てないからどっちかが倒されるということも永久にないし、そもそも相手を倒すことが目的じゃない。その場で戦いながら踊っているという演技をカポエイラの神様に捧げてる感じなんだよ。

※例外的に、カニ挟みのように相手を両足でつかんで倒すような技もある。また鍛錬の一環として、実際に相手に蹴りを当てて戦うスタイルで行われる場合もある。

俺はその感じがすごい好きで、でも、倒さないからって強さが関係ないかと言えば違くて、カポエイラでいい試合をやるためには、お互いの実力が高くて、なおかつ拮抗していなきゃいけないんだよね。お互いが強くないとうまくいかない。互いの高度な技が連続していって、「すごい、最高だ!」ってなった時には、戦ってる二人だけじゃなく取り囲んでいる全員がその最高の瞬間を共有できる。この瞬間が本当に尊い。

カポエイラを始めた後にキックボクシングのジムにも試しに通ってみたことがあったんだけど、サンドバッグを打つ練習とかしてみても、俺はやっぱりノレなくて。その時に、俺、別に人を倒したいわけじゃないんだってあらためて気付いたんだよね。これを性愛に喩えると、「あ、挿入が目的じゃなかったんだ」という気づきというか。挿入によって得られる快楽と、SMのロールプレイの中で得られる快楽ってまったく別種だと思うんだよね。

Myu すごく分かるよ。プロレスとかもそうだよね。あれもすごく演技的で、その演技空間の中で全員が湧いていく感じ。単純な勝負ではないから、二人の関係性の信頼度みたいなところがすごく重要で、お互いが容赦なく力をぶつけ合えるっていうのが最高の状態であって。でも、そういうのって普通の現実のコミュニケーションではできないんだよね。なんらかのルールが与えられたり、縛りが与えられたりして、そのルールをお互いが絶対に破らないという信頼関係のもと、お互いに委ねきるような関係が構築できる。これはすごい難しいことなんだけど、だからこそそれができたと感じられた時はすごい感動するんだよね。

ヌケメ 俺の本気を受け止めてくれたのはお前だけだ、みたいな感じだよね(笑)。勝つことだけが目的になっちゃうと、ズルしてみたり、毒を盛ってみたり、手段を選ばないみたいな感じになっちゃうけど、「最高の試合」そのものを目的にすると、相手も最高の状態でいてもらわなきゃ困る。

俺は中学の頃から囲碁を打ってるんだけど、囲碁にもそういうところがあって、勝ち負け以上に、二人で囲碁の真理にちょっとでも近づこうみたいなバイブスがあるんだよね。究極の一手というものが存在するとして、その究極に少しでも接近したい。だから勝ち負けは副次的なもので、たとえば相手のミスとかで勝てても少しも嬉しくない(※)。

Myu お前、もうちょっといけたじゃん、もうちょっと粘れよ~、みたいな感じだよね。

ヌケメ そう。ようするに求めてるのはグルーヴ。敵なんだけどバンドメンバーみたいな感じがある。たとえばラップのフリースタイルバトルもそういうノリでしょ。ディスりあいながらも「共に上がってこうぜ」みたいなさ。

 

バラバラの私たちが同じ夕焼けを見るために

Myu 私のパフォーマンスにおいてもさ、ルール設定を設けることが、異空間的な感覚を立ち上げる上では本当に重要だと思うんだよね。独自の感覚を味わうためには独自のルールが必要だと思ってて。

ヌケメ ルールっていうのはマナーみたいな感じ?

Myu 何かしらの規則性であったり、何かしらのフックであったり、かな。いきなり体に食べ物を乗せた女の人が運ばれてきて、「はいどうぞ、召し上がれ」って言ってみても何も喚起されないでしょ。普通に考えたらギャグでしかないんだから。だから、そこに至る過程の中で、なんかしらのルールに従ってこの人たちは動いてて、なんかしらの規則性がある形で盛り付けがなされていってっていうのを見せていくことが大事だと思うの。そうすることで、「今、私は“何か”を見ているかも」っていう状態にお客さんを持っていける。

もちろんモデルの表情や立ち振る舞いのルーリングも重要で、そういう細かい演出を詰めていくことで、「女の体にご飯が盛り付けられる」っていう言葉にするとあっけないものに、独自の意味が付与される。イマジネーションをみんなで共有するためにはそのための導線作りが欠かせないんだよね。

それは「この道を辿っていくとこれが見えるよ」みたいにガイドをしてる感覚に近いかも。たとえばそれが山道だとすれば、一緒に夕焼けを山頂から見るためには、そっちの道から行くと遠回りで疲れちゃうし、あっちの道から行くと夕焼け前に着いちゃう。だから、この道を通ってきてね、そうすれば一緒に夕焼けを見れるから、みたいな(笑)

 

【TWO】八坂神社の祭神である牛頭天王と、スサノオノミコトの影が離れては重なるバリエーション豊かな動きを取り入れたNYOTAIMORIショー。牛頭天王の妃、頗梨采女が白百合と和菓子を盛り付けていく。京都・祇園のカルチャーハブスペースY gionにて開催された。Photo by Mitsuru Wakabayashi(2019/03)

 

ヌケメ 目の前にいるのがただの裸の女の人ではなく、不思議な何かに見える気持ちを作るためには、導入でなにがしかのイニシエーションが必要になるってことだよね。それって多分、「結構な高い金額を払う」とかでもいいんだろうし、メイン会場に入る前に真っ暗な廊下を通るとかでもいいのかもしれない。気持ちが切り替わるスイッチが何かあるだけでかなり変わるよね。

俺、この前、展示でニューヨークに行ってたんだけど、空いてる時間に「スリープ・ノー・モア」(※)を観に行ったんだよね。「スリープ・ノー・モア」はミュージカルなんだけど、雑居ビルの全体が舞台になっていて、まず最初に6階とかまで上がって、そこから順にキャストと移動しながら鑑賞するというシステムになってるんだよ。で、ルールとしてお客さんは鑑賞時に仮面を被らないといけないんだよね。だから仮面をつけてない人は全員俳優。実際、そういう仕掛けがあるからこそ、独特の世界観が作られてる。

 

https://mckittrickhotel.com/sleep-no-more/

 

Myu 仮面はいい仕掛けだよね。そういうところをすごく私も意識する。普段、私たちはみんなバラバラに暮らしてて、バラバラのストーリを持って生きてるわけで、そのバラバラの人たちにいきなり「私の感覚を共有しろ」って言ってみても絶対に無理だから。バラバラの私たちが、何か一つの感覚を一時的にでも共有するためには、仕掛けや導線が必要なんだよね。SMもカポエイラも囲碁も一緒だと思うけど、急に結果だけがポンとあるわけじゃないから。その導線を一緒に通ってきたからこその成果物や感動があるっていう。

ヌケメ 女体盛りそのものだけだと見る人によって勝手にトリミングされちゃうというか、ある人はエロい目線でしか見ないかもしれないし、ある人はフェミニズム的な目線でしか見ないかもしれない。ただ、そこに導線を作ることで、ある種のイメージの共有状態を作り出すってことだよね。

Myu 神話がストーリー仕立てになっているのもそういうことだと思うんだよね。たとえば「隣人を愛しなさい」っていう結論だけ言って終わりにできるところを、キリストが聖母受胎によって生まれて、各地で奇跡を起こして、挙げ句の果てに磔にされて、やがて復活しました、みたいなストーリーがあった上での「隣人を愛しなさい」です、みたいな(笑)

ヌケメ 女体盛りも4日間くらいのショーにして、最初の3日を導線にあてて、4日目でいよいよ女体盛り、みたいにしたら、さらなる新次元にいけそうだね。

Myu ああ、なんだっけ、ポリネシアンセックスみたいな(笑)

ヌケメ そうそう、あるいはヴィパッサナー瞑想みたいな。普段あまりにもそれぞれが生きている状況が違いすぎるから、感覚をしっかり整えるためには時間も必要でしょ。シャーマンの儀式とかでも、参加者に一週間同じ生活をさせて、ようやく最後に儀式を行うみたいな形もあるわけで。

 

【GARDEN】松村宗亮氏の茶室で行われた晩春の茶会。庭園から流れ込む風と箏の音色を聴きながら茶菓子をいただいた後は、お庭を歩いて茶室にどうぞ。(2018/04)

 

Myu 今の話で思い出した。友達がバリに行ってバリ島の儀式を見たらしいんだけど、なんか儀式の途中で参加していたおばさんの一人が泡を吹いて倒れたんだって。すごくビックリしたみたいだけど、あとで話を聞いたらそのおばさんは毎回倒れてるらしいんだよね(笑)

ヌケメ X JAPANのYOSHIKIみたいな感じだね(笑)

Myu そう(笑)。でもその演出によって儀式性が高まるんだろうね。

ヌケメ あるいは韓国の葬式で呼ばれる泣き女みたいなね。

Myu うん、あとは汁男優とかもそうかもね(笑)

ヌケメ 汁男優(笑)

Myu まあ、話を戻せばさ(笑)、そういう仕掛けを作っていくことで、初めて同じ感覚を共有できるんだよね。だから、「NYOTAIMORI TOKYO」に関しても、ショーを見ないで文句を言う人はいっぱいいるけど、実際にショーを見た後で文句を言ってくる人ってほとんどいない。前にタイでショーをやることになったとき、わざわざ文句を言うためだけにショーに訪れた人がいて、ショーが始まる前に「こういうのはひどいことだ、問題だ」みたいに私に説教してきたんだよね。わざわざお金払ってだよ?

あまりにも頭ごなしだから私もムカついちゃって、「まあ、そんなに言いたいことがおありなら、私にも言い分があるし後でじっくり話しましょ。とりあえずその前にショーを見てください」って言ったの。で、実際にショーが終わって、その後にまた話しかけにいったんだけど、今度はもう表情とかニッコニコで、「僕は勘違いしていたよ。最高だったよ」とか言われて。なんならこっちは喧嘩する気満々だったのに、みたいな。こういうの往往にしてあるからね。

ヌケメ あるあるだけど、実際に偏見を打ち破るだけの力が、その場にあったからそうなってるわけでしょ(笑)

Myu まあ、そうであれば嬉しいんだけどね。言葉ってイメージ一つあれば走り出しちゃうし、それを相手に投げつけることもできちゃうんだけど、具体的なモノを前にすると、なんていうか、結構さらっと変わっちゃう。だから、世界ってすごく軽い言葉で回ってるんだろうなって思う。別に実体験が大事とか、そういう話がしたいわけじゃないんだけどね(笑)

ヌケメ 実際、SMだって外から表層だけを見れば一方がもう一方にただクソひどいことしてるだけでもあるわけだからね。

Myu そうだよね。それをイメージだけで「ひどい!」って言うのって筋違いなんだよね。ただ、私はそういう風に突っかかってくる人がいても全然問題ないって一方では思ってもいてさ。人々がそれだけ悲しんだり、怒ったり、喜んだりして、色々な強い感情をぶつけたくなるようなものを作れたとしたら、それは嬉しい。自分の作ったものを見て、衝撃のあまりにゲロ吐いたりとかして欲しいじゃん。だって、こっちは命削って作ってるわけだから。それなのに「ふーん」みたいな感じで言われるよりかは、突っかかってきてくれた方が嬉しいし、なんなら「かかってこいや」みたいな気持ちもあるし(笑)

ヌケメ 「お前の目ん玉くりぬくぞ」ってね。

Myu ウケる。でも、本当それ。もっとグジャグジャな気持ちにさせてやる、みたいな感じ。それこそ全員まとめて「泥」になってね(笑)

 

『NYOTAIMORI TOKYO photo book』

2017年に発表した『NYOTAIMORI TOKYO photo book』フォトグラファーTRMNによる15のテーマでの豊富な撮り下ろし、世界的な特殊メイクアーティストJIRO氏とのコラボレーション作品、NYOTAIMORI TOKYOのこれまでの活動の軌跡を収めたショーの記録も収録されている。性別、人種を超えた様々なモデルを起用し、ファッショナブルなNYOTAIMORIアートブックに仕上がっている。(http://nyotaimori.thebase.in/items/13675561

 

 

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ヌケメ ぬけめ/1986年、岡山県生まれ。デザイナー、アーティスト。ミシンの作動データにグリッチを発生させる『グリッチ刺繍』など洋服を支持体とした作品を主に制作する。現在は彫刻作品を制作中。https://nukeme.nu/

 

 

 

Myu みゅー/1991年、東京生まれ。2015年より、日本初の“女体盛り”をテーマとするパフォーマンス集団「NYOTAIMORI TOKYO」を主宰している。経営・コンセプトメイキング・お針子・演出担当。https://www.nyotaimori.info/

 

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