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逆卷しとね 『ガイアの子どもたち』 #05 BUMMING AROUND UNIDENTIFIED LANDSCAPES──宮川敬一はどこの馬の骨かわからない「風景」を放浪する

学術運動家・逆卷しとねが毎回異なるゲストと共に、オリジナルなクリエイターという“古いフィクション”を乗り越え、「動く巨人」と共に行う制作という“新しいフィクション”の可能性を考察する対話篇。四人目のゲストは北九州は小倉のアートスペース「GALLERY SOAP」のディレクター・宮川敬一。

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<<#04「革命こそが総合芸術だ」──人民の敵・外山恒一は「集団」を創造する

INTRODUCTION ── ゴミ

 2020年秋ぐらいだった。たぶん。忙しすぎて記憶が曖昧だ。

 SECOND PLANETの宮川敬一と外田久雄の発案で、GALLERY SOAPで外山恒一展を開催するという企画が進行中だということを僕は知った。そして2/24にその構想はホワイトキューブを埋め尽くす無数のブツとして具体化した。

 ダイソーに買い物に走ったり、ビス止めする展示物を押さえていたり、切ったテープを手渡したり、ビールを飲んだり、タン塩をつまんだり、タバコを吸ったり、芋焼酎のロックを啜ったり、といったエッセンシャルワークに従事した内部者の僕が言うのもなんだか憚られるけれども、よい展示だと思う。ただしこれは資料展ではない。外山恒一がこれまで雑誌や本、ミニコミに書き連ねてきたことすべてを読んでもわからない、なにか得体のしれないものがこの展示にはある。選択と配置による構成と、30年間以上にわたって外山が蓄積してきた具体物がもっている力だろう。

 構想から展示が実現するまでのあいだにもいろいろあった。外山邸でみつをアートの山に埋もれたり、コーラを飲んだり、未刊行の原稿を読んだり、ミニコミを読んだり、インタヴューをしたり、鍋を食べたり、外山お笑いコレクションを堪能したり、タバコを吸ったり、こっそり放屁したり。僕はそのようなエッセンシャルワークの重責に耐えながら、話が進行していくのを傍目に見ていた。楽しみつつも、緊張感のあるメイキング過程だった。

 謀略の輪には外山恒一はもちろん、西日本新聞社も某公立美術館の学芸員もHAGAZINE九州支部も我々団の構成員もいたが、まずはSECOND PLANETがあった。そしてGALLERY SOAPという、音楽、芸術、ストリート、パフォーマンス、世間、酒が入り乱れる、もうすぐ24年目を迎える大変に歪んだ時空があった。

 GALLERY SOAPとSECOND PLANETを両輪とするリアカーが宮川敬一である。先日還暦を迎え、元スタッフに赤いちゃんちゃんこを着せられ、ぶぜんとした表情で写真に収まっていた、あの宮川敬一である。若者に負けずさんざん呑み散らかしたあとの深夜、ベッドに身体を収める際に「あー、きっちー、もうきっちー」と年相応に叫ぶ、あの宮川敬一である。

 外山恒一の活動報告誌『人民の敵』第5号(2015年2月1日発行)収録のインタヴュー(※)によれば、外山と宮川敬一が出会ったのは、阪神淡路大震災や少年Aの事件、そしてオウム真理教による地下鉄サリン事件が起こった95年以降だというのは間違いない(97年か98年ぐらいか)。ふたりの認識に食い違いがあるので正確な時期を断定することはできないが、宮川がかかわった《パラサイト・プロジェクト》の記録にシンパシーを感じた外山の出した手紙がふたりの緩やかな交流のきっかけになったという。以後、外山は宮川に『人民の敵』を毎月郵送したり、劇団・どくんごの公演告知ビラをGALLERY SOAPに持ってきたり、と交流は続いた。僕の目から見て、密接交際者というわけではないし、活動の内容も方向もまるで異なるけれども、きっとお互いのあいだには緩やかな信頼はあるのだろう。

※『人民の敵』第5号収録の宮川と外山の対談は、部分的にここでも読める。http://www.warewaredan.com/jinteki05-03bassui.html。ウェブ上で読める宮川のインタヴューには、友利香「はりぼて社会の深層」http://www.peeler.jp/people/miyagawa/index.html、岡部あおみインタヴューhttp://apm.musabi.ac.jp/imsc/cp/menu/artspace_alternativespace/soap/interview.html、「ZEN-LA-ROCK × NONCHELEEEがDIGる、北九州市にしかない魅力」https://www.cinra.net/report/201808-zenlarocknonchelee?page=5 がある。

 宮川敬一は享楽の人である。自分が楽しくないことはしない。注目の若手アーティストとして注目されニューヨークで個展を開いたり、秋篠宮(当時)のパーティに呼ばれて泥酔しSPにつまみだされたりしていた頃から変わらない。その享楽の範囲は「アート業界」を遥かに超える。宮川は、路上生活者から医者に至るまで、有象無象と関わり続けるタガの外れたリアカーだ。美大を出て、美術館やギャラリーで展示をし、世界各地でレジデンスをし、名のある美術館に作品を所蔵してもらう、というような業界の常識をあまりおもしろいことだとは思っていない。その代わり宮川は、市民を巻き込んでいたずらを繰り返したり、ストリートのやんちゃな連中を焚きつけたり、売れないミュージシャンたちに演奏の場を提供したりする。もちろん世間的に有名な人たちとも交流はあるが、宮川の享楽に国境や貴賤の基準はない。宮川は、享楽に牽かれるリアカーである。

 宮川は酔っぱらうとよく口走る。虐げられたやつやろくでもないやつが、それでも隅っこのほうで生きているという事実にしか希望を感じないんだよね、と。いみじくも外山と出会う縁をつくった《パラサイト・プロジェクト》について、宮川は次のように語っている。

 

ちょうどオウム事件の直後ぐらいで、なんか警察とかもうるさくて……。“街角美化運動”みたいなのがおこなわれてて、そういうところに、まあ何でもいいんだけど、 “ゴミ”を街じゅうに置いて回って、どれぐらい生き残れるのかっていう“実験”だよね(笑)。だから目立っちゃいけないし、かといってまったく目立たないのもダメだよなあってことで、その “アンバイ”を探る的な感じのプロジェクトだった。しかもそれを“アーティスト”であるとかないとか関係なしに、誰でも参加できる形で。(『人民の敵』第5号 18)

 

 僕もゴミである。編集の辻もゴミである。宮川もゴミである。生き残りを模索するゴミである。できればよく燃え、しかしなかなか燃え尽きないゴミでありたい。かくて、ゴミたちのゴミゴミした対話をここにお届けする。

※2021年3月27日から熊本市現代美術館で開催される「段々降りてゆく」展(https://www.camk.jp/exhibition/dandan/)に宮川がディレクターを務めるHOTEL ASIAが参加する。

 

 

 

壁が壊れたから旅に出た

逆卷しとね(以下、逆卷 宮川さんと初めて会ったのは3年くらい前かな。当時僕は、小倉で手売りの批評誌『アーギュメンツ』のトークイベントを開催する場所を探していて、GALLERY SOAPにスペースを貸してくれないかと宮川さんにメールで相談していた。そのあと、僕がかかわっていた文芸共和国の会の関係で、ジュディス・バトラーの『アセンブリ』の訳者のひとり清水知子さん(※)のトークを旦過市場の大學堂で開催したんだけど、そのとき宮川さん聞きに来てくれたんだよね。コンビニの袋を片手にぶら下げてフラフラ歩いてて、このおじさんが宮川さん? って思ったのを覚えてる(笑)

※2014年7月20日、千葉県松戸市にて、清水は宮川の《Hotel Asia》に関するトークの聞き手を務めている。清水は、北九州国際ビエンナーレに関するシンポジウム「シンポジウム3:多文化主義におけるアートと公共性」(毛利嘉孝編『公共性の再創造』多文化メディア市民研究会 2012年 61-71)にも参加している。

宮川敬一(以下、宮川) そっか、しとねと会ったのはまだ3年前か。

逆卷 そうそう。それ以来、展示やイベントに参加したり、酒を飲みにきたりしているんだけど、今日はあらためて宮川さんの活動について聞きたいなと思ってて。これまでも断片的には聞いてきたんだけど、《HOTEL ASIA》にせよ、《パラサイト・プロジェクト》にせよ、あるいはこのGALLERY SOAPという場にせよ、宮川さんの活動はバラバラで気ままなように見えて、実は一貫している部分がある気がするし、どれもめちゃくちゃでおもしろいからね。

宮川 それはどうも(笑)

逆卷 今は宮川さん、裏方というか、キュレーターやインストーラー、飲み屋のマスター、ギャラリーオーナーとしての仕事もあるからいろいろたいへんだろうと思うんだけど、もともと80年代頃までは個人名義でアーティスト活動してたんだよね? ペインティングに100回射精した作品()とか。

 

※《昼下がりの自画像》(1986年 キャンバスに油彩・コラージュ 194×130.3cm 北九州市立美術館蔵)

 

宮川 《昼下がりの自画像》ね。それはもう初期も初期で23歳くらいの頃(笑)。その後、絵画からインスタレーションにいって()、臓器売買をテーマにした作品()なんかを作っていたんだけどね。

 

※《R.O.I (Region of Interest)》 1991. 10/3-10/20@福岡市・三菱地所アルティアム(棺桶大の鉛の箱、鉛のシート、液晶モニター、TVモニター(14インチ)、ビデオデッキ、蛍光灯、アクリル板) 映像:アーティストのポートレート、テレビ、ビデオからランダムにサンプリングし、編集された映像。アーティストの心電図の波形と音

 

※《human body shop》(福岡市・ミュージアム・シティ天神’96)最新医療機器を用いて身体のデータを視覚化してつくられた、臓器売買のテナント・ショップ。全裸になった宮川の等身大パネルが物議を醸し、展示中止になった。http://www.asahi-net.or.jp/~RY4H-MYMT/work.06.miyagawa.html

 

宮川 なんかね、個人名義で作品つくるってなんなんだろと思い始めてさ(※)。たとえばピカソも、ピカソって個人というより、ピカソっていうブランドを作ったわけだよね。ピカソの作品制作には色々な人が関わっていたわけでさ。まあそれぐらいのなんだかなあという時期に、世界を2年くらい旅したんだよね。

※「90年ぐらいまでは、個人で作品を作っていて、出していたんですよね。そのあと90年代に入ってからは、例えば宮川敬一展とか、自分の名前、個人名義ではやらないように、それは意識的にやっている。」(『thinking on the boderland art talk session vol.1 宮川敬一―都市に侵入するアーティスト』私家版 39)

逆卷 ああ、葬式をめぐる旅ね。89年くらい?

宮川 そうそう。葬式ってさ、その集落なり民族の文化をほぼパッケージで見れるんだよね。音楽もあるし、踊りもあるし、美術的な要素、装飾的な要素もあるし。信仰も分かるしね。実際、彼らは個人じゃなく集団でそういうのやってるわけで、やっぱそうだよなあって思いながら巡ってたね。

逆卷 それはアジア中心の旅だったの?

宮川 まあ、そう。ただアジアって言ってもアジア全域を回ったわけではなくて、割とひとつの国に長くいたんだよね。一番長くいたのはインドネシアで、4ヶ月くらいいたのかな。ツーリストビザだと3ヶ月までしかいれなくて、シンガポールに一度出て、もう一度戻るみたいな感じにしてた。インドネシアってかなり広くてさ、ジャングルまで行っていたから、それだけで時間かかったんだよ。

逆卷 ノープランで旅してたんだ?

宮川 金が尽きたら帰ろうくらいの感じだったよ。

逆卷 で、主にインドネシア各地の葬式をまわってたら、自分の葬式になりかけたんだよね(笑)

宮川 病気に2回なってね。高熱で死にかけた。

逆卷 マラリアとか?

宮川 いや、それが分かんないんだよ。なんかある少数民族の村に行きたくて、そのためには川をボートで何日も上っていかなきゃいけなかったんだけど、船上で2日目くらいに高熱を出しちゃって、次に留まった村で強制的に降ろされてさ。フラフラになって宿に行ったんだけど、言葉も全然分からなくてね。

逆卷 それつらいね。インドネシア語?

宮川 いや、今と違ってインドネシア語がインドネシア国内でほとんど使われてなくて、島とか村ごとに言語が違ったんだよね。だからまるで分からないの。なんか僕が高熱出してるの分かったら、村の人が黒い煎じ薬みたいなのを出してきて、それをただただ飲むしかなかった。

逆卷 信じるしかないもんね(笑)

宮川 いや、信じてもいなかったけどさ、飲むしかないし、高熱で思考力もなかったから。まあ5日くらい経ったら熱が下がってきてね、あの煎じ薬のおかげではないと思うけど(笑)。あの時は本当に死ぬかと思ったね。マラリアじゃないのは分かっていた。というのも、現地に入るときにマラリアの飲み薬みたいなのは先に飲まされてたからさ。でもまたそれもヘビーな薬でさ。強すぎるせいか肝臓に負担がかかって、めちゃくちゃ具合悪くなるの。

逆卷 基本的に言われるがまま飲むんだ?

宮川 調べることもできないしね。ネットもない時代だから。もう行き当たりばったり。

逆卷 知り合いとか一切いなかったの?

宮川 まあ、福岡で会ったインドネシアのアーティストの知り合いとかはいたよ。「遊びに来いよ」って言われて向かったんだけどさ、まあやりとりがまず手紙でしょ。「何月何日の何時にどこどこ村のこの辺にこい」みたいな、そういう待ち合わせなんだよ。しかも、その村がものすごい山奥だったりしてね、そもそも辿り着けるのか、辿り着いたとして実際に行って誰も来なかったらどうしようという……。

逆卷 土地勘ゼロで言葉も通じないんだもんね。超怖いなあ。

宮川 でもね、ずっと旅しているとね、ほとんど怖いものはなくなるんだよね。やばいところに行かなきゃ平気でしょ、みたいな。そういう危険を嗅ぎ分けることができるようになってくるものなんだよね。

 

地下鉄サリン事件のあとのいたずら

逆卷 なるほどね。で、その葬式をめぐる旅を終えて、日本に帰国して。

宮川 いや、そのあとにヨーロッパに行ったんだよ。ちょうど(1989年に)ベルリンの壁が崩壊して間もない頃でさ、ベルリンの壁見たかったから。だからまずベルリン。そしたら至る所で若い人たちがスクォッティングしてて、そこがギャラリーとかライブハウスになっててさ、そういうところに泊まらせてもらってたね。タダで泊まるなら掃除しろよ、とか言われて。まあ掃除しながら泊まってたんだけど、そもそもお前らも金払ってないだろ、って話なんだけどね(笑)

 

1990年当時の東ベルリンの風景

 

逆卷 不法占拠者だもんね(笑)

宮川 そうそう。ただ、やっぱり場所として面白くてさ。雰囲気も良かったし。こういうことやりたいなって思いつつ帰国したんだけど、日本ではスクォッティングまではできないから、しばらく作品制作したりしながら金貯めて、ここを借りてSOAPを始めたんだよ。

 

1997年、GALLERY SOAP設立時のスタッフたち(左:母里聖徳 右:高木恵子)

 

1997年、GALLERY SOAPのグランドオープン、松蔭浩之個展、ゴージャラス ライブ

 

1998年、ピーター・ハリー展 @GALLERY SOAP

 

逆卷 居酒屋を始めたんだね。

宮川 一応アートスペースね(笑)

逆卷 その頃の作品制作は個人で?

宮川 いや他の人とコラボとかで。外田(久雄)さんとSECOND PLANET(※1)を組んだのもその頃だし。他にもCandy Factory(※2)もあるし、イェスパー・アルバー(※3)とコラボもやっているし。それぞれ人の組み合わせを変えていろんな作品をつくる。まあ適当だよね。

 

※1 SECOND PLANETは外田久雄と宮川を中心としたコラボレーション・ユニット(http://g-soap.jp/2018_artists/secondplanet.html)。作品によって森秀信や岩本文緒、古郷卓司などが参加する。構成は流動的。《Future for Art Museum》(2004- http://g-soap.jp/sp/museum/index.html)、《An Interview with Andy Warhol》(2006  https://www.youtube.com/watch?v=RXQlhrabgZI&fbclid=IwAR2bz74BLSgxae-dfSltB6cqUs8c_kGs7Uy6EpsL2YebAd5OmjIlBFOs8jY)など。

※2 Candy Factoryは古郷卓司を中心としたコラボレーション・ユニット(https://artonline.jp/)。古郷は次のように語っている。「そもそも、芸術家というのが特別な人間で、特別な表現を個性的な人間が個性的な表現をしているっていう考え方に僕は全然賛成できなくて、コラボレーションをするユニットを作ったんです。キャンディ・ファクトリー自体が作品でもあるんですけども。」(『公共性の再創造』 68-69)

※3 イェスパー・アルバーはプラハ在住のアーティスト。宮川との共作に《ハイライト・ツアー》(2002年 「福・北 美術往来」 https://artscape.jp/artscape/view/recommend/0301/kawanami/kawanami.html)など。

 

逆卷 で、1997年5月に母里さんという彫刻家と宮川さんが中心になって、当時空き家になっていたお菓子工場の跡地を改造して、GALLERY SOAPを立ち上げる。そこからはここが拠点だよね。

 

1998年、大友良英ソロライブ @GALLERY SOAP 江上計太展

 

1999年、ダン・グレアム@GALLERY SOAP

※有象無象が出入りし、酒を飲みかわし、ジャンル横断的なイベントが立て続けに行われるソープという運動体については、10周年を画した記事、福住廉『今日の限界芸術』(BankART1929 2008年)322-25を参照。福住いわく、「東京からやってきた評論家の無自覚な地方蔑視の発言を耳にしたスタッフが、怒りのあまり室内にあったすべての椅子を高く積み上げ、おまけにストーヴの火をガンガンに焚きつけて、反逆の態度を表明したという逸話も残っている」(324)。

 

宮川 そうだね。最初は3、4年くらいでやめるつもりだったんだけどね。

逆卷 最初の頃はかなりハードなことやってたらしいね。24時間フルオープンで何かやり続けるとか。

宮川 それはちょっと経ってからだね。《RE/MAP Project KITAKYUSHU》の一回目だから2001年ぐらい。この街の地図を作り直すというプロジェクトを2年くらいやってたんだけどさ、その時に一週間限定で24時間オープンにして、誰でもイベントやっていいし、ベッドとかも置いてさ、一杯だけ酒頼んでくれればいつまでもいてくれていいよ、というようなことをしたんだよ。ただスタッフが疲弊しちゃってね。

 

※2001年10月からはじまった《RE/MAP Project》については、毛利嘉孝「「フィールド」を開くこと 文化研究とフィールドワーク」(田島則行+久野則光+納村信之編『都市/建築 フィールドワークメソッド』 INAX出版 2002年 132-44)と毛利嘉孝「RE/MAP 北九州再地図化計画」(『10+1』26 2002 173-80)、福住廉『今日の限界芸術』(BankART1929 2008年)の94-111を参照。ひとつの作品に収斂することなくつくり続けるプロセスを体現するこのプロジェクトの特徴は、福住の言葉を借りれば、「アーティストの作品ではなく、普通の人びとが日常的におこなっている創造的な活動に注目」(105)、「「作家」と「観客」という役割分業をとりあえず破棄」(106)、「今のところ小倉を拠点に行われているが、福岡に飛び火するかもしれないし、あるいはまた別の都市に出現するかもしれない」(107)という点に求めることができる。写真はいずれも《RE/MAP Project》(2001~2003 SECOND PLANET、毛利嘉孝企画)の記録写真。

 

逆卷 そりゃそうだよ。超ブラック。

宮川 バイト代はいつも通りだったからね。まあ、やりがい搾取(笑)

逆卷 じゃあ、《パラサイト・プロジェクト》は《RE/MAP Project》よりも前か。

 

パラサイトプロジェクト》(1996年、都市型ゲリラプロジェクト)の記録写真。(http://g-soap.jp/sp/parasite/PARA.html http://g-soap.jp/sp/parasite/PARA_Document.html)。毛利嘉孝『文化=政治』(月曜社 2003年)の175-79を参照。

 

宮川 そう、あれは96、97年だから。ストリートでゲリラ的に色々ないたずらをしていくというプロジェクトを1年続けたんだけど、パラサイトではアーティストじゃない普通のやつも一緒に巻き込んで、落書きしたり、電柱に変なもの貼り付けたり、花壇に何か埋めたりとか、まあ街でいたずらしてたんだよ。

逆卷 わけのわからんことするよね。

 

《パラサイトプロジェクト》時に発行していたフリーペーパーの第一号

 

宮川 面白かったのはさ、小倉駅の南口の通路って人通りが多いんだけど、鈴木淳っていう参加者が、その通路の真ん中に白いガムテープをバーって引いたんだよね。そしたら通行人が勝手に右と左に分かれてすれ違って歩き始めてさ。線引いただけでそうなるんだって思ったね。

逆卷 (笑)

宮川 あとコンビニのチョコレートのバーコードを剥がして、持ち込んだビニールホースかなんかに引っ付けて、それをレジに出す、とか。

逆卷 意味がわからない。

宮川 いや、ピッてやると画面にチョコレートって表示されるんだよね。それで「あれあれ?」ってなる。

逆卷 くだらねえ(笑)

 

ネガティブ・オプション》SECOND PLANET(パラサイト・プロジェクトより)

 

メタスタンク》SECOND PLANET(パラサイト・プロジェクトより)

 

宮川 これはパラサイト・プロジェクトの時にSECOND PLANETがやった《メタスタンク》というプロジェクトね。大きなポリバケツをストリートに置くでしょ。そしてこのポリバケツ宛てに郵便物を送るわけ。最初はさ、郵便配達人はこのプロジェクトを知らないので、前にあるレコードショップの店員に住所を尋ねるんだけど、店員はこのプロジェクトを知っているので、バケツを指差して「まあ、あれですよ」と教えてあげるの。それで、郵便配達員はふたを開けて、郵便物をバケツの中に置く。これが数日続くと、郵便配達員は店員に尋ねることなく、メタスタンク宛ての郵便物を自分で入れるようになり、バケツに住所があるということが既成事実化するんよね。この時点で、歩道に置かれたバケツは、登記はされていないわけなんだけど、少なくとも郵便ネットワークのなかでは、独自のアドレスを得たということになる。

逆卷 郵便配達員の人は、ただ日常の業務をマジメに遂行しているだけなのに共犯者になっちゃうね。

宮川 ところがね、話はここで終わりではなくて、このポリバケツを毎日レコード屋からちょっとずつ離していくの。一旦既成事実化した住所が、もとの場所から離れても通用するのか、という実験ね。郵便のネットワークを部分的にハックしていくうちに、それとは少し異なるネットワークができるんじゃないか、という実験だったんだけどね。このあと、話題になっちゃって新聞に載ったりしてしまったもんで、警察と行政から撤去命令が来て終わっちゃったんだけどね。

逆卷 いや、配達員の人、困ったろうね。これ動いているよね、どこまで行くのかな、隣の番地まで行くのかな、みたいな。

 

《パラサイト・プロジェクト》のフリーペーパーより

 

宮川 まあ、そういうイタズラを延々とやり続けたんだよね。ちょうど前年の95年にオウムの地下鉄サリン事件があって街で何かするってことがやりづらくなってたからさ。それもあったんだけどね。

逆卷 はー、だから外山(恒一)さんは《パラサイト・プロジェクト》が好きなんだろうね。

宮川 外山からいきなり手紙が来たからね、パラサイトやってた頃に。

逆卷 地下鉄サリン事件後の自粛ムードの中で何もできなかった、という後悔が外山さんにとっては大きかったみたいだから。

宮川 ちょうど地下鉄サリン事件があった頃は、変なことしてると本当にすぐオウム信者扱いされてたからね。当時、僕が若松の使われていないビルで企画した展覧会()に、相方の外田久雄さんが牛の死体が腐っていく様子を監視カメラで見るっていう作品を出してて、それを片付けるとき、ウジとかもすごい沸いて臭いもすごかったから、白い服着てマスクして焼いたんだよ。そしたら、警察が来たよね。

 

※REAL LOUNGE展(1995. 11/2-11/26@北九州市若松区旧古川ビル)。写真は外田久雄の作品《Personal Channel》(牛の頭部、ビデオ・システム、鉄の箱、フェンス、板ガラス、蛍光灯など)。

 

逆卷 サティアンがここにもあった、みたいな(笑)

宮川 そうそう、オウムみたいなのがいるって通報を受けたらしくて。ただ肉を焼いているだけですよ、と説明したら大丈夫だったんだけど。

 

HOTEL ASIAという出会いの接線

逆卷 その後、RE/MAPを経て、毛利(嘉孝)さんや古郷(卓司)さんと《北九州国際ビエンナーレ》(※)を始めたんだよね。第一回は2007年に門司港、2009年と2011年には「移民」をテーマにして開催。2013年の第四回は「i(information)」をテーマにして、北九州市、釜山、ベルリン、東京の山谷、シンガポールと展開する。2015年「FIFTH」では北九州市とベルリン、シンガポール、そして2016年のあいちトリエンナーレでは集大成として、ビル一棟借りてグループ展示をしている。展示だけではなくシンポやライブなどさまざまなイベントを併走させる、足かけ9年にわたるプロジェクトだったわけだけど、だいたいビエンナーレやトリエンナーレってある一定の地域で開催されるものだよね。それが売れっ子バンドみたいにワールドツアーをやっている(笑) 同じく展示のツアーをやっているHOTEL ASIAの原型が北九州国際ビエンナーレにはあるような気がするんだけど、この頃からアジアのアーティストが多めだった?

※北九州国際ビエンナーレに関しては、毛利嘉孝「ポスト・ビエンナーレの試み 北九州国際ビエンナーレ07を考える」(暮沢剛巳+難波祐子編著『ビエンナーレの現在』 青弓社 2008年 236-67)を参照。

 

北九州国際ビエンナーレ2011ポスター

 

北九州国際ビエンナーレ2011会場旧三井興産ビル

 

北九州国際ビエンナーレ2007ライブイベント 出演:大友良英、sachiko M、梅田哲也、一楽儀光、ジム・オルーク、カヒミ・カリィ他

 

北九州国際ビエンナーレ2007 エントランス ヨンへ・チャン・ヘヴィー・インダストリーズ作品

 

宮川 いや、北九州国際ビエンナーレにはそんなにアジアの人は呼んでないよ。ヨーロッパの人が多め。シンガポールからチャールズ・リムとかは呼んだけど。ただ、その後の《HOTEL ASIA PROJECT》に比べると地位が確立しているアーティストが中心というかね。HOTEL ASIAはまだクズ同然みたいなやつを集めてたから(笑)。今はまあみんな、僕よりもずっと有名になってしまっているけど。

逆卷 まだ知られてないアーティストを発掘する、みたいな意識があったの?

宮川 いや、そんなことは全然考えてないよ。

逆卷 じゃあ、HOTEL ASIAはどうやって始まったの?

宮川 どうだったけな。きっかけは…、そうだ、麻生晴一郎さん(※)という、主に中国共産党に抵抗する活動を中国で追っていたジャーナリストかな。麻生さんのお父さんが小倉に住んでて、こちらにも来ていたみたい。それで、麻生さんが中国では上映できない中国の面白い映画を日本で上映する場所を探していたことがあって、じゃあうちで上映していいですよ、という話になってね。それからいろいろ一緒にやることになった。実際に映画を見てみたらすっげえ面白くてね、だいぶ前の作品なんだけど。

※麻生晴一朗 https://researchmap.jp/gikyoudai

逆卷 へえ、どんな?

宮川 たとえば、違法DVDを街で販売して、それで生計を立てていくうちに、どんどん映画に詳しくなって批評家並みになっていく男の子を追ったドキュメンタリー映画(笑)。あるいはアパートに軟禁されている人が自分の部屋から、見張っている公安か警官たちを盗み撮りしている映像。公安たちが昼寝してたりラーメン食ってたりするやつで面白い。向こうではおおっぴらには流せないから、それをSOAPで上映してね。

麻生さんはジャーナリストのかたわら、政治活動らしきこともしていてさ。中国の内陸部の村で労働争議を支援する民主派の弁護士と一緒に活動をしていて、中国を内側から転覆させる運動のようなことをずっとやってたようなんだよね。今やブラックリストに入っちゃって中国に入国できないみたいだけど(笑)

逆卷 なるほど。じゃあ麻生さんが中国のアーティストと繋いでくれたおかげでHOTEL ASIAが始まったのかな?

宮川 最初はアーティスト呼ぶお金がなかったから、麻生さんに中国の話をしてもらって、あとソウルからジョン・ジョンフンっていう、なんかゆるい活動をやっている学者さん(※1)とか、釜山からク・ホンジュっていうグラフィティライターで独立文化空間アジトっていうアートスペースをやってるやつとか、いろいろ呼んで、シンポジウムというほど大げさでもないんだけど2日間にわたるトークをやったんだよ(※2)。それで、同じ年の秋に第三回北九州国際ビエンナーレ「移民」に(佐々木)玄ちゃんとの共作で《HOTEL ASIA》(※3)という作品を出したのも大きいね。それがいつの間にか《HOTEL ASIA PROJECT》になったんだろうね。翌年には中国に自腹で向かって、キュレーターのニ・クン(Ni Kun)とも知り合って、じゃあせっかくだから一緒にプロジェクトをやろうかってなってね(※4)。

 

※1 ジョン・ジョンフンは研究空間「スユ+ノモ」主宰者のひとり。

 

※2 東アジア現代文化シンポジウム(2011 5/28-29@GALLERY SOAP)。登壇者は、麻生晴一郎(ジャーナリスト)、宮川敬一、佐々木玄、毛利嘉孝(社会学者)、キム・スヨン(インディペンデント・キュレーター)、岩本文緒(インディペンデント・キュレーター)、矢作昌生(建築家)。

 

※3 《HOTEL ASIA》宮川敬一、佐々木玄(写真上は北九州ビエンナーレ 2011に、写真下はREAL ESTATE / LANDSCAPE @Bangkok University Galleryに出展した際のもの)

※4 2012年、重慶・中国のオルガンハウスで展示「THE THEME PARK」を開催。

 

逆卷 なんかドラクエみたいな感じだね。

宮川 ドラクエって何よ(笑)。ゲームやらないから分からない。

逆卷 最初はひとりなんだけど、旅しているうちにちょっとずつ仲間が増えていくみたいな。

宮川 まあ、そんな感じ。ドラクエでいいよ。(※)

 

※「専門家の人にいろいろお伺いしても、何がアートのフレームワークで、それから何が飛び出しているのかも分からないし、アートってこうですよって、ちゃんと言ってくれる人っていないじゃないですか。分かんないだけで、だから何か僕の場合は何かたまたま会っていく人とやれることをやってきただけで、それは、相手が誰なのか、分からないじゃないですか」(『thinking on the borderland』46)

 

逆卷 で、プロジェクトが動き出した?

宮川 そうそう。まあ各地で変なアーティストを集めて飲み会をやってる感じだね。そのついでに展示もやって。そうこうしていると、どんどん知り合いも増えて。中国でも上海や北京だけじゃなくて重慶とかのアーティストとも繋がってね。こっちにいると全然分からないじゃん、重慶とかって。日本の北九州みたいなもんだから。

逆卷 大都市なんだよね。

宮川 人口的には三千万都市だよね。真ん中に揚子江が流れててさ、ハドソン川みたいに。ニューヨークかよって。でも、メンタリティは田舎でさ、ギャラリーのようなものは全然なくて。一応、四川美術大学っていう美大が重慶にはあるんだけど、大学内に掘っ建て小屋みたいなのがあって、森山大道の作品集とかが3000円くらいで売られてるんだよね。これ本物かよって(笑)

逆卷 絶対偽物でしょ(笑)。重慶のあと、HOTEL ASIAは東南アジアにも展開しているよね。

宮川 最初はバンコクだね。それもたまたまでさ、なんかバンコク大学ギャラリーのディレクターのファーサイっていう女の子がエイジと一緒にふらっとSOAPに来て、すごい酒飲みの子で色々と話してたら、なんか一緒にやろうってなったんだよね。パスポート落として帰っちゃってさ、次の日に取りに来たけど、大丈夫かこいつって思って(笑)

逆卷 で、ファーサイの誘いでバンコクに向かったんだ?

宮川 そう、バンコクに遊びにね。まあバンコクとの繋がりでいうとピシタクン(Pistakun Kuntalang)の個展()はそれ以前にすでにSOAPでやってたんだけどね。タイの偽札かなんかをつくって展示して、王様批判してたよ。日本でそれやってどうするって思ったんだけど(笑)

 

※《GET OUT》展、Pisitakun Kuantalaeng(ピシタクン・クアンタレーン)、2014年、GALLERY SOAP

 

逆卷 ピシタクンは過激派だからね。王様の写真が入ったボールでセパタクローをする作品をつくったりしてたんでしょ? 王様を蹴りまくる(笑) それでバンコク大学には出入り禁止になった(笑)。でも宮川さんたちは、王政批判にまでは踏み込まない比較的穏健なタイのアーティストともつながっている。

宮川 そうそう。彼らとピシタクンは顔も合わさないからね。ピシタクンはバンコク大学のギャラリーでやるときは入れられないから、外さざるを得ない。でもバンコク大学で展示をやった翌年、ピシタクンが関わってるスペース、スピーディ・グランマで展示をしたり。HOTEL ASIAだから一緒にやっているけど、そこから一歩でも離れたらまったくの没交渉だからね。

逆卷 なんかHOTEL ASIAは、タイ国内よりタイの多様性をくみ取っているね。節操なく仲間が増える。

宮川 まあ、そんなもんだよね。積極的に仲間を見つけてるって感じじゃない。バクダパン(bakudapan food study group)も、僕と(佐々木)玄がジョグジャに行った時にこんなプロジェクトやってるって話をしたら興味を持ってくれて。10代の女性だけのコレクティブなんだけど、話を聞いたら面白くてね。全体として食を介して政治的な問題を掘り下げていくプロジェクトをやっているみたいなんだけど、HOTEL ASIAに出品してくれた作品では、かつて赤狩り(※)で捕まえられた経験を持つおばあちゃんたちのインタビュー映像なのね。でも政治的なことは聞かない。牢屋の中で何を食べていたのかを聞いてるんだよ。当時の牢屋は酷いもんでさ、ネズミ殺して食べたり、そこらへんに生えてる草を調理して食べたりしてたわけだよ。その時の調理をおばあちゃんたちに再現してもらいながら話を聞いてくの。看守にレイプされたエピソードなどはイラストにして、映像と交えてインスタレーションで見せていく。

 

映像作品《Cooking in Pressure》より/bakudapan food study group/Yogyakarta, Indonesia

 

※1965年の「9月30日事件」以降の一連の出来事(https://ja.wikipedia.org/wiki/9%E6%9C%8830%E6%97%A5%E4%BA%8B%E4%BB%B6)。1965年10月から1966年3月ぐらいまでにスマトラ、ジャワ、バリで大量虐殺が続き、犠牲者数は現在も未確定ながら、数万人とも数百万人とも言われる。多数の政治犯が投獄された。

 

逆卷 あとジョグジャではランガ(Rangga Purbaya)も食いついてきたんだよね?

宮川 そうそう。ランガもね、お父さんが捕まった後、行方不明のままなんだよね。で、お父さんを探すために政府に手紙を出したり、返ってきた手紙を頼りに色々とリサーチしていて、その父親捜しの過程を作品化してるんだよね。写真家でもあるから、インドネシアで何十万人も虐殺されたビーチを、さもなんでもないビーチかのように撮影したりしてて、それもおもしろかったな。

 

写真連作《LANDSCAPE OF DECEPTION  偽りのランドスケープ》より/Rangga Purbaya / Yogyakarta, Indonesia

 

未確認の風景

逆卷 バクダパンもランガも、HOTEL ASIAの2018年のプロジェクト《UNIDENTIFIED LANDSCAPE》のときの作品だよね。

宮川 そうそう。インドネシアはおもしろくてさ、定番のお土産にインドネシアの風景画があるんだよね。それが生まれた背景には植民地時代にオランダから技術が入ってきて、それを現地の美術教師が習得して、食い扶持にしていったっていう歴史があるんだよね。日本でもさ、明治になってから志賀重昂が『日本風景論』を書いてるけど、近代以前には風景みたいな概念がそんなになかったわけだよ。日本に独自の風景の確立は半ば国策のようなもので、中国や台湾を侵略していく時にも、いちいち「~富士」みたいなものをゆく先々でそれらしいものを見つけて名付けていたりもするんだよね。一方、『日本風景論』はさ、日本の風景を賛美するというのに、ヨーロッパの風景を引き合いにして「どこそこは日本のライン川だ」みたいな書き方をしてる。インドネシアの風景画とかもやっぱりそうで、欧米の風景に対する考え方を真似ているうちに、それが近代人としてのアイデンティティになって、アジア諸国に輸入されていくんだよね。

 

 

逆卷 あんまりちゃんと見たことないけど。

宮川 まあ椰子の木があって、川が流れてて、小舟が浮いている、みたいなさ。もちろん植生はまったく違うんだけど、『日本風景論』の挿絵とインドネシアの風景画の構図はそっくりなんだよね。それが面白くて。他にも、インドネシアで今カルティニ・ビーチって呼ばれてるビーチがあるんだけど、カルティニ(※)っていうのはジャワ人の貴族階級の女性で、女性の地位向上や教育の普及に尽力した人なんだよ。まあ貴族だからこそオランダ人からそういうことを学べててさ、カルティニ自身はそのビーチがオランダのどこかのビーチに似てるとかで、やっぱりオランダの名前でそのビーチを呼んでるんだよね。まあそういう構造が戦前の日本にもインドネシアにもあったんだね。

※Raden Adjeng Kartini〔1879-1904〕。Hari Ibu Kartini(われらが母カルティニ)としても知られる(https://en.wikipedia.org/wiki/Kartini)「ジュパラの進歩的貴族の家に生まれ、ヨーロッパ人の学校でオランダ語を学ぶ。社会生活の変革の必要を自覚し、1902年にジャワの娘を対象にした私塾を開き、女性の経済的自立を進めるべく職業教育を構想したが、産褥熱のため25歳で死去した。彼女のオランダ人の友人にあてた手紙が出版されて広く知られるようになり、その収益でカルティニ基金が設けられ、各地にカルティニ女学校が開設された。1964年には「国家独立英雄」に列せられ、誕生日の4月21日は「カルティニの日」として祝賀行事が催されている」(https://www.y-history.net/appendix/wh1403-123_1.html)。

逆卷 これはおらが村の風景です、あー懐かしい故郷の風景、とみんな言うけれども、実は「風景」と呼ばれているものは土地に固有の美意識に根ざしたものではなく、どこでも同じように進行していた近代化のプロセスをある程度反映したものなのかもしれないね。だから、逆に「どこの馬の骨かわからない風景」(笑)と銘打って、もちろんなにかはあるんだけど、見た目ではわからない風景写真を展示してるんだね。宮川さんはよく全体主義が怖いって言ってるけど、そういうものに対する忌避感にも近いのかな。

宮川 全体主義っていうかなんていうか、みんながそれ一色になっちゃうのが苦手なんだよね。全体主義っぽい体制に対して、それに戦う側も一色になっていく感じってあるでしょ? 風景にしても、ひとつの文脈に縛られちゃって、ある特定の意味でしか見ることができないみたいな、そういうのはつまらないなって思う。

逆卷 だから同調圧力や闘争とは違う感じの繋がり方みたいなのを考えてるのかな。たとえばHOTEL ASIAで展示した佐々木玄との共作《Blasted Rock/ The Happiest Place on Earth》(※)でもさ、辺野古の海を撮ってしまうとふつう文脈はすごいはっきりしちゃうわけだよね。まあ今なら米軍基地問題に集約されちゃう。ただ、宮川さんたちはそれを遠くから引きで撮ってて、そうするとただ綺麗な海の風景で、工事をやっているかも分からない感じになってて。綺麗な海だよね、でもここには何かがあるかもよ、ぐらいの感じであからさまな意味づけはしてない。

 

《Blasted Rock/ The Happiest Place on Earth》2018年、辺野古の海

 

宮川 まったくしていないわけじゃないんだよ。辺野古の海の埋め立て用の岩ずりの70%くらいが北九州市門司区の採石場から運ばれてるんだよね。近所からそれが運ばれてるの。僕はそれをその時まで知らなかったからさ。「ほら、繋がってんじゃん」みたいな個人的に意識してる文脈はあるんだよ。

 

《Blasted Rock/ The Happiest Place on Earth》2018年、門司の採石場

 

ただ、風景ってさ、さっきの話もそうだけど、基本的に場所を特定するものだっていう通念があるんだよね。辺野古の海もそう。ただ、そこに基地の問題があるとしても、基地そのものは世界中にもあるわけで、そこまで辺野古にこだわらなくてもいいんじゃないのって思ってね。まあ沖縄の子にはさ「特別なんすよ!」みたいに言われるし、それはそれでいいんだけど、一方で沖縄だけの問題でもないんじゃないの?って視点もこっちにはあって。部外者的な発想だけど共有できるポイントもあるんじゃない?って。

 

 

逆卷 なるほど、そういうコンテクストはあるんだね。でも、僕的には《UNIDENTUFIED LANDSCAPE》の面白さは、投げっぱなし感にもあるんだよね。ぱっと見はよく分からないただの風景ってところ。見る側はそこにあるコンテクストに気づいても気づかなくてもどっちでもいいよね、みたいな。

宮川 原理主義的な感じが嫌なんだよね。こういう方向からしか見ちゃダメです、みたいな。当たり前だけどいろんなパースペクティブがあるから。

逆卷 これはかくかくしかじかの問題を捉えた意義のある映像です、みたいにはしたくないんだね。

宮川 そうそう。それが進むと原理主義になっちゃうでしょ。共産主義であろうがなんであろうがさ。

 

 

原風景・足立正生

逆卷 宮川さんは映画監督の足立正生さんとも仲良くしているけど、足立さんの作品に宮川さんが惹かれるっていうのもそういうところなのかな。足立さんの映画を上映するようになったのはいつくらいから?

宮川 足立さんは面白いよね。最初は第一回の北九州国際ビエンナーレかな。足立さんがイスラエルの刑務所から強制送還されたあとに作った『幽閉者 テロリスト』(2007)と『A.K.A Serial Killer(略称 連続射殺魔)』(1975)を上映してね。そこから足立さんとよく飲むようになったんだよ。おもしろいのがさ、足立さんのファンって世界各地にいるんだよね。ジョグジャにも「アダチの大ファンだ!」って言っているやつがいたし、ベルリンにもそういう人いたし。

 

 

逆卷 そうなんだ(笑)。HOTEL ASIAでも巡回先で時々足立作品を上映してるよね。

宮川 ランドスケープってお題目でやってたからね、『A.K.A Serial Killer』を流しつつ、床にテキストを写したりして、で、向かいにはBABUの福島の映像を流したりね。簡単なインスタレーションだけど。そもそも『A.K.A Serial Killer』は見たことある?

逆卷 ないんすよ。どこで見れるんすか?

宮川 今、全編YouTubeにあがってるんだよ。違法だと思うけど。

逆卷 あ、じゃあ見よう。(※現在は削除されている模様)

宮川 足立さん自身が「あがってんだよね~」って言ってたから(笑)。まあ頓着してない。で、どういう映像かっていうと、69年に永山則夫事件があったんだよね。ざっくり説明すると北海道から集団就職で出てきた永山が東京に馴染めなくて、米軍基地で銃を盗んでさ、その後、日本を放浪しながら4人くらい人を殺したんだよね。捕まった時に永山はまだ19歳で、それで大きく話題になったんだけど。

この永山をモデルにして新藤兼人が『19歳の地図』(1979)っていう映画を撮ってるんだけど、まあヒューマニズムで永山を包んだ感じの作品でね、それが足立さんは気に食わなかったらしいんだよ。それで、足立さんも永山則夫事件を撮ろうとしたんだけど、足立さんがどう撮ったかというと、永山が生まれてから逮捕されるまでに移動してきた道を辿って、永山が見たであろう風景だけをカメラに収めていったんだよ。だから風景のスライドショーみたいな感じで、本当に永山が見たと思しき風景だけの作品なんだけど、それがすげえおもしろいんだよね。

 

 

逆卷 永山みたいに東京に出てきて、気にくわない思いをした人って当時はいっぱいいたわけだよね。

宮川 そう、大なり小なりね。足立さんが言うには、永山は一生懸命働いてもまともな生活を送ることもできないし、友達もできなくて、かといってすげえグレてヤクザ者になるかって言ったらそうもなれなかった。そういうよくいる奴なんだよ。新藤はさ、永山が網走の貧乏な家の生まれであることとか、そういうのをヒューマニズム的にしっかり描いてるんだけど、それだと個人のドラマになっちゃって、バックグラウンドにあるもっと深い問題が出てこない。そうなることを避けたかったらしい。ただ、風景だけを撮って、編集は他に人に任せてしまう。永山の映画を撮り終わると、すぐにパレスチナに行っちゃったから。パレスチナではパレスチナのゲリラを撮ってた。殺す側を撮ったから今度は殺される側を撮るみたいな意識だったみたい。

逆卷 へえ。永山と同じ風景を見ていたやつは実際に結構いたんでしょうし。

宮川 当時はね。ただ、風景のおもしろいところはさ、なんでもない風景を撮って繋いでるだけなのに、いろんなものが期せずして映り込むんだよね。たとえば北海道のシーンでは大名行列のお祭りが映り込んでてさ。

 

足立正夫監督《A.K.A. Serial Killer 略称・連続射殺魔》1975年より

 

逆卷 北海道には大名いなかったでしょ。

宮川 そうそう。足立さんも、北海道で大名行列っておかしいやろって言ってて。北海道の小さな町に戦前なのか戦後なのか、いつからか本州から輸入された文化だと思うんだけどさ。あくまでも永山の視線の軌跡を追っているだけなんだけど、和人とアイヌの問題が、その風景には期せずして映り込んでしまったりして、それがいいんだって言ってたよ。

逆卷 さっきのインドネシアの風景画の話に近いね。

宮川 そう。ぱっと見はなんか普通のお祭りなんだけどね、よく見ると「あれ?」ってなる。なんでもない風景のヤバさっていうのかな。映画自体は本当に何もない映画なんだけど。

逆卷 メッセージ性もない。

宮川 だけど、それが逆にものすごいメッセージ性になっててね。2時間くらい風景を見させられる退屈な映画でもあるけど。

逆卷 タルコフスキー並みに眠くなりそうだな(笑)

宮川 いや、眠くなるよ。タルコフスキーほど上等なつくりでもないし(笑)

逆卷 でも、そういう意味では《UNIDENTIFIED LANDSCAPE》は足立さんの『A.K.A Serial Killer』の精神に近いのかもね。

宮川 僕の中ではね。

逆卷 多分、宮川さん自身の関心がそこなんだろうな。2019年にSECOND PLANETが発表した《カタストロフが起こらなかった場所》も、方向性は近い気がする。

 

《カタストロフが起こらなかった場所》SECOND PLANET、2019年(本年中に韓国のプロジェクトでウェブ展示予定)

 

宮川 原爆って長崎と広島に紐づけて語られるけど、実はもともとは小倉が第一ターゲットだったんだよ。横浜や京都も候補地だったし、どこにでもありえた話だった。実際、ファットマンの模擬ミサイルを米軍は日本各地に落としてたんだよね。要は投下実験。爆発はしない模擬原爆を各地で落としてた。だから本当にどこでもよくて、それが天候やらなんやらの理由で、たまたま広島と長崎になっただけ。偶然、カタストロフが訪れた町と訪れなかった町が分けられたんだよ。

逆卷 模擬爆弾を落とすことができる町は全て、本物を落とそうと思えば落とせたわけだしね。

宮川 そう。作品としては、ボックスカーと呼ばれていたB-29がペニャン島司令部と交信した記録をスライドショーでネット上に公開しただけだけどね。

逆卷 長崎の原爆の日に、リアルタイムでツイッターとフェイスブックで同じ時間に流したんだよね。

宮川 誰も気づいてないけど(笑)。まあ、こういうのも足立さん的手法なのかもしれない。

 

意味と映え(バエ)

逆卷 やっぱり宮川さんは意味的な理解を退けようとしているんだなって気がした。強い意味を置いてしまうと、そこに対しての是非が問われるというか、分かりやすい判断が求められるでしょ? それをかわして何かしようとしてる。

宮川 よくさ、普通の人が「あの絵は理解できん」みたいに言うじゃない? いや、僕だってできないからって思うんだよね。理解ってなんなんだろう。そもそもなんで理解をしなきゃいけないってことになってるのかな。

逆卷 僕も理解はしてないなあ。理解するっていうのは多分、そこに流れてるものを言葉で掬い出して、そこに意味とかを感じ取るっていうことなんだと思うけど、それは自分の経験を言語化しているだけで、あくまでも自分の経験だっていうエクスキューズ付きでしか言えないし、ある作品をバチっと理解するなんて無理。

宮川 なんかその辺、文章って強い気がしててさ、絵とかより。美術批評みたいなのも、たとえば自分の作品についても批評家が書いたりするじゃない? まあ大抵、違うんだよなって思いながら読むんだけど、でもそれが印刷物になったらあたかも事実みたいになっていく。そこに権力的なものを感じるんだよね。

逆卷 でも絵には絵の強さみたいなのがあるよね。権力志向で言えば肖像画とかさ。ただ、ビジュアルと文章ではその方向性が違うのかもね。辻さん(取材同行していたHAGAZINE編集人)はどう思う?

 まあ…確かに文字のメディアをやっててうんざりするときもありますよ、意味の強さに。特に僕は身近で非言語で表現してるアーティストの友人、知人が割といるんで、羨ましいなって思うことは多いです。もちろん、文章でも多義性を孕ませることはできなくはないんですけど、そこを追求していくと全てが詩になっちゃうし(笑)。どんなに意味をカチッと定めないようにと思っても、なにがしかのコンテクストの中に位置付けていかないと、記事としては成立しないですからね。

逆卷 文章はどこかで切断しなきゃいけないからね。終わらせないといけない。絵の場合は永遠に違う角度から眺め続けることもできるけど、文章は詩でもない限り、何度も繰り返し読み直してくれる人なんてそうはいないし。

宮川 昔読んだものを年取って読み直すと違う読み方ができたりみたいなことはあるけど、それは自分の経験とかだからな。

逆卷 ビジュアル表現は普遍化できないんだよね。この作品は誰が見てもこうだって意味をしっかり固定することはできないんだけど、それに対する批評とかは固定された感じで出ちゃうから。

 そうですね。文章は読むと「わかった気」になりやすい。絵はいくら見ても「わかった」と言い切れないですけど。

逆卷 だから、わかりやすさは敵なんですよね(笑)。この絵はこういう風に見ればいいんですねって、絵の見方を文章から学びました、と言われちゃったら、それは最悪。その点、「風景」はいい言葉だよね。

宮川 新しい着眼ではまったくないけどね。

 「風景」は身体的なものだから面白いと思うんですよね。僕がタトゥーを面白いと感じているのもそうで、タトゥーを入れると端的に風景が変わるんです。それこそ顔にタトゥーを入れて町を歩けば、それまでと明らかに風景は変わってるはずで。それは「理解する」とはちょっと違うものだと思ってて、もうちょっと曖昧な感じ、「腑に落とす」って感じなんですよね。たとえばファッションなんかもそうで、ヤンキーのことを理解するためにはヤンキーについて書かれた社会学の本を読めば足りるのかもしれないけど、ヤンキーの世界を腑に落としたいのであれば、深夜にコンビニの前でGALFYのセットアップを着て、ツバ垂らしながらうんこ座りをして、その角度から町を眺めることが最も近道なんです。そこにヤンキーの風景があるわけですから。それは「理解」とは異なる水準のものですよね。

 

 

宮川 それは理解とは全く違うよね。僕は絵でもそうだと思っていて、そこには常に理解や解釈みたいなこともつきまとってくるのかもしれないけど、要は「経験」なんだよね。旅が好きだというのもそういうことだと思う。

逆卷 遠くから見るか、近くから見るか、とか、それだけでも絵は変わるし、要するに、絵はそんなに止まっているものではないわけだよね。止まって見えるのはこちらが止まっているからであって。こっちが動けば向こうだって動いてく。

 前に『TATTOO BURST』の元編集長の川崎美穂さんと話していた時に、川崎さんが「映え」の話をしてくれたんですよね。ヨーロッパではブラックワークと呼ばれる黒塗りのタトゥーがすごく人気で、入れている人も多いんですけど、それはヨーロッパの気候風土にタトゥーの黒が「映え」るからだと思う、と。あるいはカリフォルニアでは極彩色のタトゥーが流行ってて、それもやっぱり「映え」るからというのが大きい。この「映え」っていうのは、もちろん皮膚色にも関係はしてるけど、風土や気候にも依存してて、たとえばブラックワークを入れた白人が日本に来た場合、やっぱりヨーロッパにおいてほどは「映え」ないんです。そこがテクストと違うところですよね。ビジュアルアートは基本的に風土から切り離せない。

 

 

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※ブラックワークタトゥーの世界的レジェンドであるトーマストーマスの作品。昨年よりトーマスは長きに渡り拠点としていたロンドンを離れ、埼玉県の熊谷に移住、新たにスタジオを構えている。熊谷の風土気候がトーマスの作風にいかなる影響を及ぼすのか、個人的に楽しみ。(辻)

 

逆卷 なるほどね、同じタトゥーが入っている身体でも、どこにある身体かで見え方は変わってきちゃうっていう。

 アートでも巡回展ってあるじゃないですか。ただ、それは本当に同一の展示と言えるのか、そもそもある場所で行われたある展示を違う土地で再現することなんて本当に可能なのか、と言えば、かなりあやしいですよね。

逆卷 そもそも建物の構造や大きさとかも違うわけだからね、完全に同じはありえない。

宮川 もちろん(笑)

逆卷 それでいうと、宮川さんのHOTEL ASIAも各地を巡回しているけど毎回違う展示なんだろうしね。

宮川 そうだね。たとえばウィーンでやった時は地下のワイン倉庫でやることになってさ、12メートルくらいの地下倉庫で、結局、空間の一番奥の壁にBABUの映像作品を一個だけ展示したんだよ(※)。他にも作品はあったんだけど、地下の空間にBABUのスケボーの音がひたすら鳴り響いてる感じが良くて、こっちの方がカッコいいよねって。これも「映え」だよね。

 

《GO HI!》BABU、デジタルビデオ 2分58秒 @Medo Art ウィーン、オーストリア 2018

 

宴は続くよどこまでも

 さっき《UNIDENTIFIED LANDSCAPE》の話の時に、風景が持っているコンテクストを固定しないように見せるっていう話があったじゃないですか。すごくおもしろいなと思うんですけど、一方で、今の巡回展の話もそうだったように、展示を作る、キュレーションをするっていう行為は、とはいえ、何かを目指していくわけじゃないですか。展示作品に対して、「これはこの意味で受け取れ」とは言わないにせよ、「どうぞご自由に受け取ってください」とまで本当に言い切れるのかって言えば、そうは言い切れないというか。何かを作る以上、何かしらの同じ経験だったり同じ感動を共有することを目指して作っていくものなんじゃないかな、とも思うんです。そこらへんの按配は、宮川さんはどう意識してるんです?

宮川 多分、それぞれのアーティストはそれぞれに個人的な文脈を作ってるんだよね。たとえばBABUとユ・グオ(Yu Guo)の作品があったとして、こっちは展示を作る上でBABUの作品だけにするか、ユ・グオの作品だけにするか、両方展示するか、その場合、どんな感じにするかっていうのは考えるわけだよね。そもそもHOTEL ASIAのアーティストは、それぞれバラバラなんだけど、なんかゆるく繋がってる気はしてて、それをロジカルに説明しろって言われたら難しいんだけどさ。だからいい感じにそれを見せるために展示に関してはすごく考えてやりますよね。

ただ、その時に、たとえばタイの作品だとして、「これは王様批判の作品です」ってこっちが指定しちゃったら元も子もないっていうかね(笑)。もちろん、どれもこれも一番いい感じで見て欲しいなとは思うわけだけど、その時にそれぞれの作品の持ってる一義的なコンテクストを前面に出せばいいかというと違うっていうかさ。

以前、テートモダンで見たすごくいい企画があって、それはテート内のすごい小さな部屋を使った若いキュレーターの展示だったんだけど、ロイ・リキテンスタインのトムキャット(アメリカ海軍が保有するジェット戦闘機)を描いたでかい絵がまず展示されてて、その向かいに未来派のウンベルト・ボッチョーニの彫刻が一個置かれてたんだよね。なんていうか、その二つの作品だけでモダニズムの系譜が見えたっていうかさ。並べて置くだけで、それぞれが持ってる固有のコンテクストとは全然違うインスピレーションが浮かんでくるっていう経験をあの時したんだよね。要は時代も制作背景もそれぞれ違うんだけど、同じ問題を共有してる。ああいうキュレーションはすごい面白いなって思うよね。

 まさにラディカルミュゼオロジー。

逆卷 この前、宮川さんとアートって結局は選択と配置だよねって話したね。制作するっていうのは何かを選びとってどこかに置くことだ、みたいな。

宮川 誰かが言ってたと思うんだけど。まあ実際に他にやることないからね(笑)

逆卷 そういう意味ではさ、宮川さんは他のアーティストの展示を作ったり、キュレートしたりするわけだけど、それは自分の作品制作をするのと、感覚的にはそんなに変わらないのかな?

宮川 まあ、展覧会を自分の作品とは思わないけどね。そんなに偉そうではないから(笑)。ただ、やってることはそんな変わらんよね。

逆卷 僕はSOAPでの展示しか観れてないけど、たとえばそこの壁に二枚の絵が掛かっていて、そこには一定の距離や関係があるけど、それは感覚なのかな? 文法みたいなのがあるの?

 

森山安英、安倍幸子、岡本光博等の作品 @GALLERY SOAP

 

宮川 まあインストーラーの文法みたいなのはあるよね。そこはオーソドックスにやってる。空間に緊張感を持たせたいしね。ダラっとはしたくないから。

逆卷 ただ、その文法は僕がやってる言語表現なんかに比べると曖昧な気がするね。

宮川 それこそ「映え」に近いよね。ビジュアルアートだから。

 展示作品を選ぶ際の基準になる「映え」っていうのは、ある種、非言語的なコンテクストなのかもしれないですね。

宮川 細~い文脈で繋がってる、ような気がする。それくらいの曖昧さ。

逆卷 HOTEL ASIAのアーティストの繋がりもそんな感じで、すごく緩そうだよね。今、美術業界はコレクティブブームみたいな感じで、集団制作している人たちはいっぱいいるけど、それとはまた違う感じ。僕が一番好きなのはさ、北九州市の助成金の関係で宮川さんが作ったHOTEL ASIAの動画のさ、最後の方、宴会のシーンで、タイ語とか中国とか日本語とかが無造作に飛び交ってるシーン。あれがいいなあって。

宮川 ああ、飲み会の映像ね(笑)。中国の上海から一時間くらいのところにあるヘーフェイ(合肥 Hefei)っていう街のアートスペースで展覧会をやった時に、たまたまタイ人やらインドネシア人やらも来ててさ、まあみんなで屋台で飲んでたんだけど、次第にみんな母国語で話し始めちゃって、よくわかんないよって。お互い何言ってるかも分からないんだけど、なんとなくみんなで盛り上がってるっていうね。

 

※宮川と佐々木玄、毛利嘉孝の連名で2011年に出されたHOTEL ASIAのステートメントには次のように綴られている。「むしろ、私たちに今求められているのは、多言語状況を他言語環境のままで、あえて翻訳を交えずに一気に把握する能力ではないのか。裸眼のまま、耳をふさがずにリアルな世界と向き合うことではないのか」(冊子『東アジア現代文化シンポジウム』)。

※毛利の次のような発言もHOTEL ASIAの宴会的な協働制作をうまく言い表しているように思う。「あのプロジェクトでやろうとしていることは、たとえば、一方が日本語でひたすら喋り続けて、そのもう一方がひたすら韓国語で喋り続けて、全然お互い言っていることが分からないんだけど、最後は「やってるね!」って握手するみたいな」(『公共性の再創造』 70)。

 

逆卷 細~い文脈(笑)

宮川 美術でも絵でもさ、翻訳すると何かがズレちゃうんだよね。まあズレてもいいんだけどさ、別に。ただ翻訳ってそもそも不可能で、それを強引に翻訳とかしなくてもいいんじゃないのとも思ってて、多言語で喋ってても楽しければいいし、よく分からなくても実際に盛り上がれるからね。

逆卷 HOTEL ASIA自体が飲み会サークルみたいなもんだしね。メンバーも固定してなくて、境界線が緩くて、内と外の区切りが曖昧で。GALLERY SOAPもただの居酒屋だし。

宮川 GALLERY SOAPはね、アートの展示もやるけど、音楽イベントもやるし、ワカミホ(若林美保)さんが来てパフォーマンスもするし、学者がトークもするし、ふだんはただの飲み屋だし。まあ、イベントがない時もアートにまるで興味のない自衛隊の子とかが来て普通に飲んでるわけでね。

 

2021年、外山恒一展「人民の敵」@GALLERY SOAP

 

逆卷 閉じてないんだよな。

宮川 色々と混じってる方が面白いしね。アートですって言ってアートコミュニティに引きこもってもつまらないでしょ。まあ、地方都市だからできることだとは思うけどね。大都市だと、それぞれのクラスターが楽しめる場所がそれぞれにあるけど、そもそもこの街にはそんな人口いないし。だから、なんていうんだろう、多目的スペース(笑)

逆卷 多目的トイレみたいな。

宮川 トイレはやめてよ(笑)

 

 

2020年12月、小倉・GALLERY SOAPにて|編集:辻陽介

 

 

OUTRODUCTION——正体不明の奇縁と大喜利

 葬儀はひとりの人間の死を契機に、その死にふさわしい物品や財、感情を投入して制作された非日常の時空である。古墳時代に豪族が死んだ場合には埴輪が一緒に埋葬され、古代の中国では時の権力者と一緒におつきのものたちも生き埋めにされていた。ピラミッドのようなそれ自体巨大な建築物がつくられ、装飾品や動物を象った彫刻品や絵が投じられる。人ひとりの物質的な死に対してさまざまな趣向が凝らされる。埋葬品はもちろん、葬式にまつわる衣装や儀礼、舞踏のようなパフォーマンスに至るまですべてが芸術の原型だという仮説も成り立つのかもしれない。葬式はスペクタクルであることだし。とはいえ死は平等に訪れても、葬式が平等に催されるわけではない。芸術と同じように、葬式もある種の資本の論理に貫かれている。

 東南アジアで見た葬式のなかには、豚や牛などの家畜が大量に殺されるものもあった、と宮川敬一から聞いたことがある。しかし家畜は供犠のためだけに屠られているわけではない。儀礼はそのまま市場を開く。家畜の肉は埋葬品とはならず、遠くの共同体からやってきた買い手の手に渡る。人々の舌で味あわれ、胃袋を満たし、たんぱく源となる。葬式は遺族やそれが属するコミュニティの儀礼に閉じることなく、他の世界との交易と交流の回路を開く。葬儀はコミュニティをヒトとモノのコミュニケーションに開く。埋めてしまうとお金にならないから売ってしまう。葬儀は、資本の論理にとても近い。

 ところで葬儀といえば、宮川から、自分が死んだ際には、自らの肉を具材とするカレーを弔問客にこっそり振る舞いたい、というアイディアを聞いたことがある。まったく余計なお世話である。実現したならば、宮川のカレーは最悪のいたずらとして記憶されるだろう。

 無関係のモノが失われても、ヒトは哀しみを覚えない。思いを込めるだけの「関係がある」モノが失われたときに、人は弔意を示す。ヒトが悼んでいるのは死者そのものではなく、死者とのかけがえのない関係である。ふつう、葬儀はこの関係の喪失を悼む喪の儀礼である。宮川のカレーは、死者との有限な関係を無限とも思える自然のエコノミーに還す鳥葬や散骨に近い。鳥葬や散骨は、喪われた関係を喪失として受け入れるのではなく、それを大いなる自然との関係に変換する。ただし宮川のカレーの場合、そのような「エコ」に回収できるポジティヴな要素はあまりない。まずもって残されるのは、哀しみや悼みにとってかわる、吐き気や悪意のような情動である。故人との関係に込められた思い入れが吐き気に変わることを弔問客は許さないだろう。故人との失われた関係は、その情動が結ぶ醜聞のえにしに変換され、忌み嫌われることになるだろうか。

 死体のケアを動物とは異なる人間の文化の根源と考えるトマス・ラカー(※)のような論者から見れば、宮川のカレーは非人間的であり動物的ですらある。「自分が死んだら死体は埋葬せず、どこかに放置して欲しい」と願ったディオゲネスのように死を唯物論的に理解している人であっても、食べる人-食べられる亡骸というカニバリズム的関係に望んでもいないのに勝手に巻きこまれるところまでは想定していない。とはいえ、宮川のカレーはクリエイティヴではあるだろう。死者との関係の悼むべき断絶は消え、吐き気を催す奇縁が弔問客をふたたび死者と結びつけるからだ。宮川の肉はあなたの肉体の一部になる。意図を問おうにも作者はもう死んでいる。人間的な意味への回収を退け、招かれざるいわくつきの気持ち悪い奇縁だけが残る。これは宮川らしいアートだと呼べるのかもしれない。

※Thomas W. Laqueur. The Work of the Dead: A Cultural History of Mortal Remain. Princeton UP, 2015. 同書は、以前第三回文芸共和国の会@広島での読書会の課題図書にしたことがある。https://www.dropbox.com/s/x6d0x63w916pcp9/The%20Work%20of%20the%20Dead%E8%AA%AD%E6%9B%B8%E4%BC%9A%E8%A6%81%E7%B4%84%E9%9B%86.pdf?dl=0

 えにし、縁、ゆかり、奇縁。こうしたものにはその正体を基礎づける次元が欠けているからいつも胡乱でありうる。2021年2月に北九州のGALLERY SOAPとプラハ、そしてジョグジャカルタの三か所で同時に開催されていたHOTEL ASIAのプロジェクト「The Happiest Place on Earth」展もそういうものだった(GALLERY SOAPの展示だけを語るのはルール違反かもしれないが、許してほしい)。

 

「The Happiest Place on Earth」展の会場風景

 

 宮川と佐々木玄による共作プロジェクトにつけられた「地上の楽園」という名称は、ディズニーランドのキャッチコピーでもある。実際、ディズニー好きにとってディズニーランドは地上の楽園に違いない。ところが同時に、そこのしきたりに従うのが苦手な人間にとっては地獄かもしれない。たとえば、着ぐるみのなかにどんな人間が入っているのかわからないミッキーマウスやドナルドダックに不安を感じる人にとってディズニーランドは地獄になりうる。キャラクターの中身を確かめるのはもちろんご法度だ。テーマパークにつけられた「地上の楽園」というキャッチフレーズには、そこを楽園として楽しまねばならないという強い呼びかけが伴う。呼びかけに応えることのできない適応障害者にとっては、そこは正体不明の輩が跋扈する地獄となりうる。

 ディズニーランドだけではない。地上の楽園というイメージは、世界各地への移民・開拓民政策で多用されてきた。楽園だと喧伝されている土地に行ってみたらほとんど苦力と変わらない労働を必要とする地獄だったという話には事欠かない。在日朝鮮人の帰還事業はその代表例だろう。しかしながら楽園幻想が破れた後に、本物の地獄だけが残されるわけではない。楽園も地獄も実在への接近を阻む空想的な遮蔽幕である。楽園という幻想が破れたとしても、経験されているのはあくまでも地獄「のような」インターフェースであり、地獄そのものではない。このように遮蔽幕の向こうには遮蔽幕があり、いくら玉ねぎ状の膜をめくり続けても楽園/地獄の実在に達することはない。僕たちはある場所の実在に触れてすべてを悟ることができない。だがそれは可能性であり、決して絶望ではない。イメージが破れたあとに残るのも別のイメージである以上、どのような生においても別様のイメージをつくることを許す余地がある。およそ生きのびることが不可能だと思われるような苦難のなかにあっても、その不適応はイメージをつくりかえながら生きのびるための奇貨を呼び起こす。笑う。娯楽をつくる。そして文化をつくる。これこそが奇縁の糸口である。

「The Happiest Place on Earth」展では、これまでHOTEL ASIAのプロジェクトにかかわったことのあるアーティスト、リサーチャー、アクティヴィスト、ミュージシャン、キュレーターなど、国籍も関わり方も多岐にわたる人たちが制作したポストカードが展示されていた。コロナ禍において「The Happiest Place on Earth」をお題にポストカードをつくる。それだけが参加者に与えられたお題である。僕にはなんだか大喜利にように思えた。

 

 

 「Unidentified Landscape」も「Theme Park」も、HOTEL ASIAのプロジェクトのすべてが大喜利だったのかもしれない。言語によって厳密に定義されたコンセプトに沿ってそれぞれが誠実に制作を行い、そこから少しでも外れるものを許さない、という態度は微塵もない。参加作家たちは未定義のままの問いかけに対し、それぞれの解釈をし、思い思いの応答をする。大喜利の結果生まれた作品に、キュレーションを行う宮川や佐々木が異論を差しはさんだり、ボツにしたりすることはない。どのような作品であろうとHOTEL ASIAにおいては受け入れられる。HOTEL ASIAという場への信頼が、あるいは大喜利に参加することの享楽が、ここでは共有されている。

 作品となるポストカードのひとつひとつは、世界各地のバラバラの個人が書いた文字やデザインからなる。そこに共通点はほとんどない。共有されているのは、HOTEL ASIAに参加したことがある人たちがポストカードをつくった、という事実だけだ。彼らのゆかりは展示空間において否応なく結ばれてしまうわけだが、それらはあくまでも実体を確認することのできない、薄くて脆い偶然の産物に過ぎない。参加者同士は仲が悪かったり、一度も顔を合わせたこともなかったり、互いの名前さえ知らなかったり、一緒に参加したことがあるかどうかさえ覚えていなかったりするだろう。だから僕にはHOTEL ASIAを「コレクティヴ」や「グループ展」として一般化することはためらわれる。

 よくよく考えてみると、「ホテル」というのは実に奇妙な空間だ。僕が宿泊する以前に僕が使っている同じ部屋をあらゆるタイプの人間が使った可能性がある。そして僕がチェックアウトしたあとにも別のあらゆるタイプの人間が利用する。僕は彼らの正体を知らない。僕とはなんら関係がないどころか、顔を合わせたことすらないにもかかわらず同じホテルの同じ部屋を利用したことがあるという奇縁を共有している。通時的にだけではなく、共時的にも同じことは言える。今隣に宿泊している人たちはギャングかもしれないし、エリートビジネスパーソンかもしれないし、彫り師かもしれないし、下水の汲み取り業者かもしれないし、スパイかもしれないし、八百屋かもしれないし、ジャグラーかもしれないし、幽霊かもしれない。縁もゆかりもない出自・性別不明の人間どうしがただ一回の投宿経験によって縁を結びうる。しきたりや通貨、法、契約書といった縛りを必要とする、国家や団体、法人のような共同体の構成員は、スケールの違いはあれども、たいていお互いの顔を知らないし、会ったこともなければ特に親近感も抱かないはずなのになぜか所属意識をもち、排他的な目を部外者に向ける。ホテルにはそのような帰属感や排他性がない。ホテルに一時的に逗留する客は奇縁があるかどうかさえ意識しない。奇縁を意識し始めるとちょっぴり気持ち悪い。

 ホテルに立ち寄るのは美術の観客も同じだ。HOTEL ASIAの制作側と同じように、観客にもはっきりとしたコンセプトは示されない。その目路はポストカードの群れを舐めていく。どの角度から見ても、どれを気に入っても、どれを駄作だと判断しても、そもそも見ても見なくてもどちらでも構わない。Hotel Asiaの観客は、この大喜利を見てなにかを考えるかもしれないし、なにも考えないかもしれない。観客は、この場に立ち寄ったことでなんらかの、よくわからないえにしだけは持ち帰ることになるのだろう。これは共同体ではない。国家や団体のような確固たるメンバーシップも帰属感もない、ただの奇縁である。なんらかの意見やイデオロギーにしがみつき、それらから生じる敵対関係を材料にして防壁にモルタル塗りを重ねる共同体とは無縁である。教条や原理とは無縁の、誰がなにが含まれているのかよくわからない奇縁に僕は縛られる。奇縁は正体不明だからこそ奇縁と呼ばれる。奇縁を意識し始めるとちょっぴり気持ち悪い。

 ところで、あなたは宮川敬一の葬式で出されるカレーを食べるつもり? 僕は食べないけど。

 

 

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宮川敬一 みやがわ・けいいち/アーティスト。1961年北九州市生まれ/北九州市在住。1997年に、北九州市でGALLERY SOAPを設立以来、キャンディー・ファクトリー、藤浩志、松蔭浩之、大友良英、灰野敬二、ダン・グレアム、ピーター・ハリー、イエスパー・アルバーなど国内外のアーティストの個展やイベントを企画。同時に、パラサイト・プロジェクト、RE/MAP、北九州ビエンナーレ、HOTEL ASIAなどの国際プログラムを含む、数多くのアートプロジェクト、音楽イベント、上映会やシンポジウム等を企画している。また、セカンド・プラネット名義でも活動しており、国内外の美術館やアートスペース等で作品を発表している。

 

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〈ガイアの子供たち〉

<<#01 序論「巨人と/をつくる──涯てしない“わたしたち”の物語」

<<#02 不純なれ、異種混淆の怪物よ──大小島真木は《あいだ》をドローする

<<#03 革命はこの〈せせこましい身体〉から始まる──長谷川愛と「あいみょん革命」の20XX

<<#04「革命こそが総合芸術だ」──人民の敵・外山恒一は「集団」を創造する

<<#05BUMMING AROUND UNIDENTIFIED LANDSCAPES」──宮川敬一はどこの馬の骨かわからない「風景」を放浪する

 

〈MULTIVERSE〉

「土へと堕落せよ」 ──育て、殺め、喰らう里山人の甘美なる背徳生活|東千茅との対話

「今、戦略的に“自閉”すること」──水平的な横の関係を確保した上でちょっとだけ垂直的に立つ|精神科医・松本卓也インタビュー

フリーダムか、アナキーか──「潜在的コモンズ」の可能性──アナ・チン『マツタケ』をめぐって|赤嶺淳×辻陽介

「人間の歴史を教えるなら万物の歴史が必要だ」──全人類の起源譚としてのビッグヒストリー|デイヴィッド・クリスチャン × 孫岳 × 辻村伸雄

「Why Brexit?」──ブレグジットは失われた英国カルチャーを蘇生するか|DJ Marbo × 幌村菜生

「あいちトリエンナーレ2019」を記憶すること|参加アーティスト・村山悟郎のの視点

「かつて祖先は、歌い、踊り、叫び、纏い、そして屍肉を食らった」生命と肉食の起源をたどるビッグヒストリー|辻村伸雄インタビュー

「そこに悪意はあるのか?」いまアートに求められる戦略と狡知|小鷹拓郎インタビュー

「暮らしに浸り、暮らしから制作する」嗅覚アートが引き起こす境界革命|オルファクトリーアーティスト・MAKI UEDAインタビュー

「デモクラシーとは土民生活である」──異端のアナキスト・石川三四郎の「土」の思想|森元斎インタビュー

「Floating away」精神科医・遠迫憲英と現代魔術実践家のBangi vanz Abdulのに西海岸紀行

「リアルポリアモリーとはなにか?」幌村菜生と考える“21世紀的な共同体”の可能性

「NYOTAIMORI TOKYOはオーディエンスを生命のスープへと誘う」泥人形、あるいはクリーチャーとしての女体考|ヌケメ×Myu

「1984年、歌舞伎町のディスコを舞台に中高生たちが起こした“幻”のムーブメント」── Back To The 80’s 東亜|中村保夫

「僕たちは多文化主義から多自然主義へと向かわなければならない」奥野克巳に訊く“人類学の静かなる革命”

「私の子だからって私だけが面倒を見る必要ないよね?」 エチオピアの農村を支える基盤的コミュニズムと自治の精神|松村圭一郎インタビュー

「タトゥー文化の復活は、先住民族を分断、支配、一掃しようとしていた植民地支配から、身体を取り戻す手段」タトゥー人類学者ラース・クルタクが語る

「子どもではなく類縁関係をつくろう」サイボーグ、伴侶種、堆肥体、クトゥルー新世|ダナ・ハラウェイが次なる千年紀に向けて語る

「バッドテイスト生存戦略会議」ヌケメ×HOUXO QUE×村山悟郎

「世界ではなぜいま伝統的タトゥーが復興しようとしているのか」台湾、琉球、アイヌの文身をめぐって|大島托×山本芳美

「芦原伸『ラストカムイ』を読んで」──砂澤ビッキと「二つの風」|辻陽介

「死者数ばかりが伝えられるコロナ禍と災害の「数の暴力装置」としての《地獄の門》」現代美術家・馬嘉豪(マ・ジャホウ)に聞く

「21世紀の〈顔貌〉はマトリクスをたゆたう」 ──機械のまなざしと顔の呪術性|山川冬樹 × 村山悟郎

「ある詩人の履歴書」(火舌詩集 Ⅰ 『HARD BOILED MOON』より)|曽根賢

「新町炎上、その後」──沖縄の旧赤線地帯にアートギャラリーをつくった男|津波典泰

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PROFILE

逆卷しとね さかまき・しとね/学術運動家・野良研究者。市民参加型学術イベント 「文芸共和国の会」主宰。専門はダナ・ハラウェイと共生論・コレクティヴ。「喰らって喰らわれて消化不良のままの「わたしたち」――ダナ・ハラウェイと共生の思想」(『たぐい vol.1』 亜紀書房)、Web あかし連載「ウゾウムゾウのためのインフラ論」 (https://webmedia.akashi.co.jp/categories/786)、その他荒木優太編著『在野研究ビギナーズ 勝手にはじめる研究生活』(明石書店、2019 年)、ウェブ版『美術手帖』、『現代思想』、『ユリイカ』、『アーギュメンツ#3』に寄稿。山本ぽてとによるインタヴュー「在野に学問あり」第三回 https://www.iwanamishinsho80.com/contents/zaiya3-sakamaki