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世界ではなぜいま伝統的タトゥーが復興しようとしているのか──台湾、琉球、アイヌの文身をめぐって|大島托×山本芳美

2019年10月に沖縄県立博物館・美術館で開催される「沖縄のハジチ、台湾原住民族のタトゥー 歴史と今」を前に、タトゥーイストの大島托と、同展示の企画発起人である文化人類学者の山本芳美が、伝統的タトゥーの復興状況を巡って対談した。

蘇りつつあるパイワン族のタトゥー

HZ 今年の10月5日から11月4日までの約一ヶ月間、沖縄県立博物館・美術館で「沖縄のハジチ、台湾原住民族のタトゥー 歴史と今」展が開催されます。今日はお二人に、その展覧会においてもテーマになっているトライバルタトゥー、つまり少数民族の伝統的なタトゥーのリバイバル(復興)の今日的な状況についてお伺いしたいと思っています。

今回展示される台湾原住民族のタトゥーについて、なかでもパイワン族のタトゥーに関しては、大島さんはタトゥーアーティストとして、山本さんは文化人類学者として、それぞれ直接的にではないにせよ関わっていらっしゃいます。そこで、まずはパイワン族のタトゥーの現状についてからお話していただき、最終的にはそれと対比する形で、日本の琉球民族、あるいはアイヌ民族のタトゥーをめぐる状況についてもお話いただければと思っています。

 

琉球ハジチと台湾パイワンタトゥーの比較図(資料提供:山本)

 

大島托(以下、大島) まずその前提として、トライバルタトゥーのリバイバルが世界的に起こっている背景について話しておくと、最初にポップアートとしてのタトゥーのブームが起こったのが1980年代で、それは主に欧米を中心に起こったものです。そのブームの中で、世界中に残るトライバルタトゥーの資料にも注目が集まり、そうした資料にインスパイアされる形で、アレックス・ビニーなどのアーティストによってネオトライバルというジャンルが形成されました。今日のテーマであるリバイバルというのはそのあとに起こった現象です。現代的なネオトライバルタトゥーの流行に影響された現地の側の人たちが、自分たちの伝統に向き合う形で、自分たち民族の歴史の中に存在したタトゥーのリバイバルを始めていった。それもまずは先進国に暮らす先住民族から起こり始めていて、それが徐々に外へと広まっていき、ようやく台湾くらいまで飛び火した、というのが現在の状況です。

山本芳美(以下、山本) そうですね。ただ、台湾のパイワン族のタトゥーについては、まだリバイバル元年といったところで、完全にリバイバルに至ったとは言えないですよね。そもそも台湾の先住民族(※)文化のリバイバルはまず工芸運動から始まっていて、それがタトゥーへと至ったのは最近のこと。これはパイワン族に限らず、台湾の先住民族では全体的にその流れになっています。大きなきっかけとなったのは2000年頃に始まった台湾の民主化運動で、あの時、同時に原住民族運動が起こった。あの当時は原住民族に限らず、台湾全体で台湾そのものを見直そうという機運が高まっていた時期でもあったんです。

※台湾では先住民族という言葉は、すでに亡くなった人との語感がある。このため、先住民族のあたる人びとは、「原住民」すなわち「元から住んでいた人」という総称を自ら選び取っている。後に、民族交渉権という概念が浸透するにつれて、「原住民族」という総称を用いるようになっている。

そこには理由があって、2000年より以前の世代の台湾の人たちは、学校で台湾そのものを習ってきてなかったんです。歴史といったら中国大陸の歴史のことで、いつかは中国大陸に帰るという姿勢の国民党的教育しか受けていなかった。だから、台湾の中の物事すべてがすごく新鮮に感じられたんですよ。その流れの中で、少数民族も自分たちの伝統とはなんだろうという視線を持つようになり、まずは伝統工芸などに関心が向いていったというわけです。

 

慈済科技大学の資料館内(写真提供:山本)

 

タトゥーへと関心が向くようになったのは、2004、5年頃になってからじゃないでしょうか。それもごく局所的なもので、パイワン族の伝統工芸品を作っているトンボ玉工房の女の子たちが、その頃、パイワン族のタトゥーを手に入れています。私にも報告の連絡がきました。その際の施術はマシンを使ったものだったようですね。ただ、現在はパイワン族出身のキュジー・パッドレスなど、かつての手法(ハンドタップ)でリバイバルにあたっているタトゥーイストも存在しますね。

大島 僕はキュジーとは2012年くらいからの付き合いで、そもそも僕が自分の仕事としてパイワン族のタトゥーの背中のパターンをウェブで発表した時に、それを見て向こうから「僕も(パイワン族のタトゥーの)リバイバルに取り組んでいるんだ」と連絡をくれたんです。その時点ですでに完全なレベルのリバイバルだったので驚きましたね。すぐにタトゥー人類学者のラース・クルタクやハワイアンタトゥーの第一人者であるケオネ・ヌーンズに報告したところ、たちまち世界中の関係者にバっと話が広がっていった。パイワン族のタトゥーは非常に細かく繊細な柄を持つタトゥーとして知られていて、トライバルタトゥーの世界においてとても重要なものなんです。

 

キュジー・パッドレス

 

ラースやケオネのサポートもあり、今年の9月にはタイでサクヤン(タイの伝統的なタトゥー)とパイワン族タトゥーの合同展示も行われますよね。流れとしては非常にいい状況にあるんじゃないでしょうか。ただ、その上で僕からの目線だと、パイワン族タトゥーのリバイバルに関しては、山本先生の存在というのが非常に大きい。台湾原住民族のタトゥーの資料は多くを日本の植民地統治期の資料に頼らざるをえないわけで、実際にキュジーがリバイバルにあたって参考にしているのは、日本の論文だったりする。その上で、山本先生が彼らと日本の学会との架け橋になっているように見えます。

山本 いえ、なってないですよ。私は日本台湾学会にも入ってないですから。ただ、たしかにキュジーは私の本も見たとは言ってましたね。彼がああいう風に積極的に活動できている背景には、なにより台湾の制度が充実しているという部分があると思います。台湾では原住民族が自分たちの民族に関する伝統活動など、つまりお祭りなどで動く場合は、雇用者は休暇を与えなきゃいけないと決まっているんです。これは台湾が多様な民族のあり方を認めるということに積極的に取り組んでいるということ。補助金も豊富に出していますからね。そうした支えもあり、タトゥーに限らず、あらゆる文化産業が台湾ではすごく盛り上がっていると思います。

大島 補助金の存在は大きいですね。実にうらやましい(笑)。僕の体感においても、そうした背景に後押しされてか、台湾人の文化的、美的センスは急激にアップしてきているように感じています。僕のところに来る台湾のお客さんたちも、非常にレベルが高い。色々と学んで、比較検討した上で、自分のアイディアをこっちに伝えてきますから。日本人は完全に負けています。

山本 かつては台湾のものは安かろう悪かろうでしたが、今は「メイド・イン・タイワン」が売り言葉になるくらい、あらゆるもののレベルが上がっています。やはり、中国大陸との競争を凌ぐ上でも、付加価値をつけるということに非常に意識的なんだと思います。工芸の方も自信を持って自分たちの文化をデザインワークの中に忍ばせて売っていくという流れがあって、それがタトゥーにも影響しているように思いますね。

大島 台湾の若い人たちの文化に対する意識の変化は本当に目覚ましいと感じますが、ただ一方、パイワン族のタトゥーリバイバルに関しては若くない人も結構入れていますよね。僕がこれまでに会ったパイワン族タトゥーの実践者は2、30人くらいですが、割と歳をとった女性の方なんかも入れていました。

山本 頭目筋の年配の女性なんかも最近入れたという話を聞きますね。

大島 キュジー自身、きちんと古来のルールに従って頭目筋の人たちに許可をもらった上、「お前がやれ」という命を受けて彫っていると言っていました。すると、これはいわゆる現代的なリバイバルという枠組みではもはやないようにも見えます。現在進行形のトライバルタトゥーとも言えるんじゃないか、と。

山本 パイワン族は階級社会ですからね。昔の記録を読むと平民は刺青の権利を買ったりしていたようです。キュジーはパイワン族においては平民ですから、やはり頭目筋の許可が必要なんです。それは台湾の他の原住民族であるタイヤルやタロコとも違う点で、その強い階級社会があったがゆえ、パイワン族のタトゥーは1945、6年に実は一度、復活している。

というのも、日本占領時代に先住民族のタトゥーは失われてしまったわけですが、戦後、この時を見逃すかとばかりにパイワン族の長老たちが皆に入れろと指示したというんです。それはなぜかというと、パイワン族においてはタトゥーは身分の証明だから。貴族たちが自分たちは平民と違うんだということをタトゥーが示してくれるわけです。その後、国民党の支配によって、再び廃れてはしまいましたが、そうした特殊な事情があるんです。

ただ、現在のタトゥーリバイバルが本当にかつてのトライバルな文化の復活かと言えば、そうとはやはり言えなくて、キュジーも言ってますけど、あくまでも文化創意(台湾では、文化創意とは文化クリエイティビティという意味となる)なんです。2015年にタイヤル族とパイワン族とで小さなタトゥーシンポジウムが開かれ、私も見にいったんですが、壇上には頭目系の人が並んでいました。その時、原住民族テレビの記者がいて、その人はパイワン族の平民の人だったらしく、「平民でもタトゥーを入れていいんですか?」と頭目たちに質問したんです。そしたら頭目たちはあっけにとられたように大笑いしていて、私にはその姿が印象的でしたね。

 

トンボ玉工房にて(写真提供:大島)

 

リバイバルを牽引するもの

HZ ところで、そもそも台湾国内において、タトゥーはどのような文化として捉えられているのでしょう。たとえば日本のように、台湾にもタトゥーに対して苦手意識を持つ人が一定数いるのでしょうか?

山本 年配の人たちの中には刺青を自分たちに入れるなんて考えられないという人もいます。台湾には日本と同様にヤクザの人たちが秘密結社的に刺青をしてきたという歴史もあり、そういう部分での抵抗感はあるにはある。ただ、すでに2000年くらいの頃に西門町という、日本の歌舞伎町とセンター街を掛け合わせたような街にタトゥーストリートが形成されていますから、若い人たちの間では、かなりポピュラーな文化と言ってよいと思います。現在40歳くらいの世代の人たちには普通に一つや二つタトゥーが入っていてもおかしくない。それくらいに普及はしていますね。

大島 これはリバイバルに限った話ではないんですが、台湾やタイやインドネシアのように気候が温かいところはタトゥーがポップカルチャーとして広がりやすいというのはあるんです。逆に北の方へゆくとタトゥーに対しては保守的な傾向があり、リバイバルなども進んでいません。ただ、台湾に関して言うと、台湾のタトゥーマーケットにはトライバルタトゥーというジャンルはなかったんです。和彫りとかニュースクールなどのお店はあったけど、トライバルというジャンルだけすっぽり抜け落ちていました。台湾にトライバルタトゥーというジャンルが伝わったのは、それこそ日本のタトゥー雑誌だった『TATTOO BURST』の台湾版が出るようになって以降だと思いますね。

 

台湾版『TATTOO BURST』

 

山本 その背景には、多くの台湾人が原住民族に対していまだ悪いイメージを持っているという部分があります。台湾は90%以上が漢民族なんですが、彼らの中には人口2、3パーセントの原住民族に対して、明確に差別意識がありましたから。諸手を挙げてトライバル的な感性に対していいよねって言える人は、正直、現在でもあまりいないと思います。

大島 他の諸地域を見ていても、トライブの存在がリアルに感じられる社会だとそうなりがちです。トライブにファンタジーを感じ、自分の中にエスニックなものを取り込みたいという感性は、先進国で、なおかつ現役のトライブや、ちょっと前までトライブだった人たちが、自分たちの見える範囲にある程度のボリュームを持って暮らしていない地域だからこそ生じるものです。すぐ隣にトライブがいるところでは、なかなかそうはならない。

山本 私が台湾人の友人が初めてできたのは修士時代ですが、やはり漢民族のいいとこの出の子で、私が台湾の原住民研究をしていることに対して、非常に否定的でしたね。現在、デザインワークなどの盛り上がりで、ようやくそうしたトライブ的な感性をポジティブに感じる人たちが漢民族の中からも出始めてきた段階だと思います。

大島 これは台湾に限った話ではなく、中国においてもトライバルタトゥーはほぼ存在していませんね。タトゥーシーンとしては超絶技巧的でレベルは非常に高い。タトゥーイストの人口もすごい。ただ、トライバルというジャンルはようやく一人ポリネシアンを彫り始めたくらいで、ほぼ存在していないも同然です。

山本 やはり中華思想があるんだと思います。中華思想においては髪を結っていない人間、刺青をしている人間は野蛮人という見方がある。たとえば、歴史的にも日本、朝鮮、琉球は髪を結っているから朝貢国という認識でしたが、それ以外になると途端に野蛮人扱いになっていた。だから、現代的なタトゥーにおいても漢字を彫ってみたりと、そういう方向が主流ですよね。

ただ、台湾においてはそうした漢民族との文化的摩擦があるからこそ、原住民族が伝統工芸などによって自分たちのアイデンティティを表現しようという流れが生まれているところはあり、タトゥーもそうした大きな流れの一つとしてある。まだ人数としては少ないけれど、タトゥーによっても表現しているということなんだと思います。

それこそ原住民族の子供が、自分たちは何者なんだということを知るためにおじいさんやおばあさんから話を聞きたくても、言葉そのものが通じない。台湾には、そもそも無数に言語があったわけですけど、そこから初めての共通言語となったのが日本語です。その後、国民党の統治によって中国語が共通言語となり、とここ100年程度でめまぐるしく言葉が変遷している。そうした状況下で、伝統工芸やタトゥーが自分たちを知るためや表現のツールになりうるなら、それは意義のあることだと私は感じます。

大島 そうですね。僕もリバイバルにおいてタトゥーというのは一部であって、それは複合的に動くものだと思ってます。ただ結局、それがどこに向かっているのかと言えば、ヨーロッパを中心としたマーケットだとも思うんです。実際、世界のトライバルタトゥーのリバイバルを牽引している人たちは格好こそ森から出てきたみたいな感じにしていますけど、実際はヨーロッパの名門大学を卒業していたりする。ヨーロッパの視点を学んだ人間が現地に帰ってきてリバイバルを起こしているんですよね。

山本 それはそう。台湾においてもリバイバルを牽引しているのは高学歴なんですよね。現代的な発想と知識を持っていないと、漢民族の中で立ち回っていくことができませんから。

大島 マレーシアのボルネオ島のイバン族のタトゥーのリバイバルも同じです。先頭に立っているタトゥーアーティストのエルネスト・カルムはオックスフォード大学を出ていますから。本来、部族を背負ってマレーシアで政治家になるはずだったのに、地元に帰ってきて彫り師になった。でも、それは同じことなんですよ。ヨーロッパ的なアングルを手にした時に、今タトゥーをリバイバルすることが、最もアクチュアルな政治活動だったというだけで。

 

ボルネオトライバルのパターン(資料提供:大島)

 

その文脈で言えば、長らく先進国の一員である日本は本来、80年代くらいのタイミングで誰かがリバイバルに手をつけていたもおかしくはなかったんだけど、特殊な事情があったために、いまだに手をつけられていない。結局、台湾にも先を越されてしまったわけです。ここらでどうにかしなきゃならないんじゃないの、と。だから、僕がサイドワークでリバイバルプロジェクトを作っていたり、あるいは山本先生が琉球ハジチの展示を沖縄で企画していたりするわけですよ。

ハジチとシヌイェの復興を阻む特殊な事情

HZ ちょうど琉球ハジチの話が出ましたので、ここからは日本のトライバルタトゥーについてお聞きしたいと思います。日本において知られているトライバルタトゥーとしては、アイヌ民族のシヌイェと琉球民族のハジチがありますが、それらの現在の状況はどうなっているのでしょう?

大島 沖縄に関してはタトゥースタジオも多くあるので、僕らが把握していないだけで、現代タトゥーの一つとしてハジチを入れている人はそこそこいるんじゃないかと思ってます。アーティストの吉山森花さんなんかもそうですよね。割とタトゥーのリバイバルを受け入れる風土的なキャパシティはあるんではないか、と。ただ、話が北海道になると状況は少し変わってくる。

山本 アイヌ系ですと、マレウレウというアイヌの伝統歌を歌っているグループのマユンキキさんなんかは、かつての手法で手に入れたりされてますよね。あるいは90年代後半くらいには結婚式の際にシールでシヌイェの柄を貼ったりというようなことが行われたりしていたようですが、ただアイヌの顔のタトゥーに関しては、部位的にもなかなかリバイバルが難しいだろうなと思います。

大島 ただ、これだけ正確な資料も残っている中でリバイバルが遅々として進まないというのは、世界の他の例から見たら異常事態だとは思います。歴史のすぐそこまで繋がっていて、ほんの短い期間途絶えていただけ。やろうと思えば誰でもすぐに、正確に繋いでいけるという状況にも関わらず、誰も手をつけていない。それだけ日本が特殊な事情に包まれているということだとは思いますが。

 

10月の展示では若い女性にハジチが入っていたら、という設定で彫師Mayさん(Chunky maymay inks)が1930年初頭に小原一夫が記録した文様をシリコン製の手腕に再現したものを展示予定。

 

山本 私はアイヌ文化の復興活動をされている方とも少しお会いしたりしていますが、どうやらマオリの人たちから復興のあり方を学んでいこうという動きがあるようです。たとえば、言語の復活をどうすればいいのか、ということなどについてですね。ただ現状ではまず都心にアイヌの拠点を作ろうという段階であり、それを考えるとタトゥーの復興に踏み込むまでには、なかなかに時間がかかる気もします。

台湾では政策や制度的な部分が整っていて、そうした伝統文化の復興が奨励もされているというのが大きい。一方、日本の場合、ようやくアイヌ新法という形で法律ができたとは言え、それ以上に政策的に何かやっているかと言えば、他の国の先住民族文化政策からしたらほぼ何もやってないに等しい。だから、まずは一つずつ足場を作っていく必要があるでしょう。

それに差別も実際にひどいものだった。昔の資料を読むと街中で「あ、犬だ」と声を掛けられたなんてことが書かれている。戦前の資料などを読むと刺青のあるお婆さんたちの描かれ方もひどく差別的なもので、そういう過去に対するトラウマはものすごく大きいと思います。

そこに関して言えばアイヌの受難というのは琉球のそれ以上でしょう。沖縄には明治以降も琉球の人たちがいっぱい暮らしていて、それでも禁止令以降はハジチが廃れてしまったわけですが、一方のアイヌは人口自体も減ってしまったし、北海道には開拓民の人たちもどんどん増えていったわけです。当時、刺青を入れていた人たちは相当につらい状況だったと思います。

大島 そうですね。あるいは現状でリバイバルが難しいというのは、それらが女性主体のカルチャーだったと言う点も大きいかもしれません。ハジチもシヌイェも女性の中で受け継がれてきた伝統ですから。同化政策に対して、もし刺青が男性主体の文化だった場合、もっと強く反発が起きていた可能性が高い。

山本 そう、当時、男性は簡単に体を変えられたんです。沖縄の場合は髪を切るだけで日本人になることができた。女性はそれができなかった。いわば女性は男性に置いてけぼりを食らってしまったところがあるんです。日本人にいくら差別されようが、まるで烙印のように手の刺青はいつまでもあるわけで、擬態することもできない。実際、沖縄でも外に行くときにハジチの入った女性がハジチを手袋で隠したり、植民地期の台湾では息子が成功したので呼び寄せられた女性のなかには、来客があるときは押入れの中に閉じ込められたなんて話もある。ハジチを理由に離婚されたというケースも聞きました。

大島 マレーシアのボルネオ島においてもリバイバルが進んでるのはイバン族やダヤン族とかペナンといった男のタトゥー文化だったトライブのデザインばかりなんです。カヤン族やケンヤー族など、女性のタトゥーが主体だったトライブのタトゥーについては依然としてリバイバルが起こっていない。それはムスリムがマジョリティのマレーシアの中で、女性がリバイバルを牽引するということが、社会状況として非現実的だからでもある。

山本 だから、時間が掛かってしまうことは仕方ないんです。たとえばマオリの場合、マオリ族の元大臣が自分と息子にもタ・モコ(マオリ族のタトゥー)が入っていると発言していたりしている。リバイバルというのはそういう状況を指すのであって、日本はそのはるか手前にいます。当時のヤマトの人間は、それくらい彼らと彼らの文化を追い込んでしまったということだと思います。

大島 そうですね。マユンキキさんもシヌイェが廃れてしまったこと以上に、シヌイェを美しいと感じる感受性を奪われてしまったことに行き場のない怒りがあるということを語られていました。失われた時間というのはそういう意味でも非常に大きい。

山本 そう、沖縄でもまだハジチの記憶さえ蘇っていないという状況がある。ハジチをモチーフにしたグッズが沖縄にどれくらいあるかと言えば台湾に比べてもほとんどないわけで、まだ文化としては忘却の中にあるんです。実際、学校でも習っていない。教え子には沖縄出身の学生もいますが、私に会うまでハジチを知らなかったりする。それはリバイバルからは程遠い。

10月から私が沖縄県立博物館で「沖縄のハジチ 台湾原住民族のタトゥー 歴史と今」という展示をすることになったのも、たまたまその期間、「台湾-黒潮がつなぐ隣(とぅない)ジマ」展(2019年9月4日から11月6日まで開催)があり、その展示をお手伝いしていたら声を掛けてもらえたからであって、イレズミの歴史は台湾と沖縄の共通経験との視点から成立しただけなんです。是非それをやりたいという、現地からの強い声があったわけではない。

ただ、そうだとしても、こういう形で記憶をつないでいくしかない。私は沖縄の人間ではなく、消滅期と言われていた沖縄のハジチと台湾原住民族のイレズミを92年から98年にかけて調査した一介の文化人類学者です。本来は傍観者であるべきなんです。ただ、世代的にみたら他にやる人がいない。だから、蛮勇を振るってやっています。

大島 実際、それをやったという事実が重要なんだと思います。それがないとその後は続かないわけですから。ただ、たしかに今回は山本先生、かなり踏み込みましたよね(笑)。本来は分担してできるはずのことが、山本先生しかいないから全部一人でやられているという印象です。

僕も似たような状況で、実際のところ、僕はタトゥーを外で始めた人間なんで、つねによそ者なんです。しかし、たまたま拠点にしてるのが日本という国で、その日本でいまリバイバルを担う人が誰もいないという状況がある。だから、僕はよそ者なりの視点から、ハジチのリバイバルに関わったり、縄文タトゥーを作ったりして、世界に発信しているというわけです。まだゴールまでの道のりは長いですが、面白い時代に、面白い国にいたな、とは感じています。ここまで何もないと、逆にやり甲斐はありますからね(笑)

 

 

 

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大島托 おおしま・たく/1970年、福岡県出身。タトゥースタジオ「APOCARIPT」主催。黒一色の文様を刻むトライバル・タトゥーおよびブラックワークを専門とする。世界各地に残る民族タトゥーを現地に赴いてリサーチし、現代的なタトゥーデザインに取り入れている。2016年よりジャーナリストのケロッピー前田と共に縄文時代の文身を現代に創造的に復興するプロジェクト「JOMON TRIBE」を始動。【APOCARIPT】http://www.apocaript.com/index.html

 

山本芳美 やまもと・よしみ/1968年生まれ。学術博士(論文・昭和女子大学大学院)/文化人類学者/都留文科大学比較文化学科教授。跡見学園女子大学在学中の1990年より、イレズミをはじめとする身体をめぐる文化の研究を開始し、現在に至る。著書に『イレズミと日本人』(平凡社新書)など。

 

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