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あるキタキツネの晴れやかなる死──映画『チロンヌㇷ゚カムイ イオマンテ』が記録した幻の神送り|北村皆雄×豊川容子×コムアイ ⑴

1986年に北海道屈斜路湖を臨む美幌峠で、大正時代に行われてから75年ぶりに行われたアイヌ民族の幻の祭祀を記録した北村皆雄監督のドキュメンタリー映画『チロンヌㇷ゚カムイ イオマンテ』。その公開を記念して行われた座談会の記録。

 


 

1986年に北海道屈斜路湖を臨む美幌峠で、大正時代に行われてから75年ぶりに行われたというアイヌ民族の祭祀「チロンヌカムイ イオマンテ(キタキツネの霊送り)」。

その祭祀の模様の一部始終を記録した映画『チロンヌカムイ イオマンテ』が撮影から35年の時を経て描き出したのは、優しい人々に育てられ、やがてカムイとして盛大に送られることになった一匹のキタキツネ・ツネ吉の、晴れやかなる死だった。

この記事は2022年4月30日に公開となる本作をめぐって、本作の監督である北村皆雄、音楽と語り部を担当した豊川容子、アーティストのコムアイ、そして聞き手である筆者の四名にて行われた座談会の記録である。

(文・構成/辻陽介:DZ)

 


 

 

女性の憑依術と儀礼的な泣き

(北村皆雄氏が主催するヴィジュアルフォークロアの事務所にて『チロンヌプカムイ イオマンテ』の映像を眺めながら)

北村皆雄 今、イオマンテの祈りは男性が中心で行われていますよね。アイヌの世界には、かつては女性のシャーマンが憑依して精神世界を担ったり、神謡の場で活動したことがあったと言います。それが徐々に男性の力が強くなり、女性の憑依術が消えていった。現代では祈りの世界で女性が前に出ているのは祖先崇拝の時くらいですよね。

コムアイ おお、それはタイムスリップして覗いてみたいなあ。ここ100年200年で、儀礼のやり方がダイナミックに変わってきたってことなのかな。ちょうどこの前に聞いた話なんですけど、シャーマンの世界では女性は憑依型が多くて男性は脱魂型、魂が抜けて旅をするみたいなタイプが多いらしいですね。身体が抜け殻みたいになって魂だけが空を飛んでいってビジョンを見るみたいな。カスタネダのドン・ファンとかまさにそうですよね。

北村 宗教学者のミルチャ・エリアーデが、シャーマンを脱魂型と憑依型に分けたんですよ。ただ、そう簡単に分けられるかは微妙ですよね。今まで20数名のシャーマンをアジアで映像で撮って来たけど、女性でも脱魂型のシャーマンはいましたから。

コムアイ そうなんですね。

北村 韓国では「明図」といって、何か依頼を受けると脱魂して旅立つのですよ。その時、魂は亡くした子供の霊になるんです。韓国の大邸にはそういうシャーマンが集まっている街がありました。私が会ったのは1980年です。亡くなった子供の衣服や小さい靴がシャーマンの部屋には置いてあった。相談を受けると子を亡くして不幸なお母さんがシャーマンになります。離れられない子供の霊がお母さんに憑くんです。だから神がかった時には脱魂して赤ちゃんになっちゃうんですよ。声が突然赤ちゃんの声に変異して語り出すんです。

コムアイ 北村さんの映画「冥界婚」といい、韓国のシャーマニズムすごいですよね。

 

『冥界婚』(北村皆雄/2018年)

 

DZ 泣き女の習俗とかもある意味では何かを降ろしている感じがありますよね。

コムアイ 自分が泣いてるのか何かに憑かれて泣いてるのか分からなくなりそうですよね。

北村 台湾でも泣き女の撮影をしたことあるんですけど、そこの地域ではマイクを使って墓中に鳴き声を拡散するんです。やはり40年以上前ですが、台南に「嘆亡歌団」っていう人たちがいたんですが、彼らは墓場だけしか行けない芸能の民なんです。沖縄の遊行芸人「チョンダラー」を思わせる。リヤカーを曳いてやってきた。男の人が女装、スカートを履いてギターをかき鳴らしながら墓の前で歌い踊るんですよ。その場で現ナマをもらって去っていく。道教の葬式では軽業師が活躍する。粗末な麻布を纏った遺族の前で、一輪車に乗ったり、皿を回したりして遺族を慰めるために軽業をやる人は、道教の道士と違い最下層に位置づけられる人たちですね。彼らは遺族の悲しみを晴らすために道化を演じるんです。

豊川容子 アイヌにも泣き女とは少し違うけれど似た風習がありますね。葬式の時に遺族の手を握って、泣かなきゃいけないわけじゃないけど「う、う、う」っていう声をあげる役があるんです。

北村 泣きの演技ですね。それでいうと一番すごかったのは中国のパイクヤオ族です。広西省チワン族自治区にいる白袴を着た人たちなんですが、彼らは農繁期に村の人が亡くなると、農閑期になるまで家の床の間の下を掘って遺体を埋めておくんです。そのまま何ヶ月も暮らして、農閑期になったら遺体を掘り出して村全体で葬式をする。男たちは家で大切に保管している銅鼓を持ち寄ってきて野外で叩いてね、叩くだけでなく銅鼓の裏側で桶を使ってウネリを入れる。嘆きのようだ。女の人は棺の前にいて、その銅鼓が鳴りだした途端に「うわーっ」て一斉に泣くんです。70人、80人が同時に。本当に泣いてるのか、儀礼的に泣いてるのかは、見ていてもよく分からないんですけど。ただ、その人たちが去った後をみると、地面が濡れているんですね。それは必ずしも涙ではなくて、涙の代わりに垂らした唾だったりもする。ようは「泣いた」という証なんです。その次は水牛を殺めて、亡くなった人とともにあの世に一緒に行ってもらうんですが、牛を供犠するときも、今度は村中の男女がまた全員泣くんです。本当に泣きの葬式でしたね。

コムアイ 銅鼓!でた!いいですよね。音がすごくいい。一音でも怪しいところへ引き込まれる。それにしても泣きの文化は各地にあるんですね

北村 台湾の伝統的な「入れ墨」の映像を撮りにパイワン族という原住民族の村に行った時も面白いことがありましたね。女性に僕が持参した戦前の入れ墨の写真資料を見せたら「これは自分のお父さんだ」と言って泣きだしたんです。僕は本当に泣いているもんだと思ったんですが、一緒に行った専門家に言わせると、どうやらそれは儀礼的な泣きらしい。泣き方に独特のリズムがあるらしいんです。

 

 

DZ 「演じる」というのはあらゆる儀礼において重要なファクターですよね。イオマンテにもまたそういう「演技的」な側面があるように感じます……というところで、そろそろ本題に入りましょうか(笑)

コムアイ そうだ(笑)。映画の話をしないと。

 

「カムイシンタ ウワリモシリ」

DZ さて、今回は北村さんの新作『チロンヌカムイ イオマンテ』の公開を記念して、あらためて皆さんに語っていただこうという場なわけですが、まず北村さんは本作の監督であり、1986年に行われたキタキツネのイオマンテに実際に立ち会われ、その様子を撮影されたご本人でもあります。豊川さんは現在ミュージシャンとしてアイヌの伝統音楽に携わられていて、本作においては語り部、そして劇中音楽の制作も務められてる。いわばお二人はこの作品の製作者側なわけですけど、コムアイさんは……

コムアイ 私はただの観客です(笑)

DZ ですよね(笑)。ただコムアイさんはここ数年、阿寒湖のアイヌの音楽祭であるウタサ祭に連続で参加されていたりと、音楽の方面からアイヌ文化と関わりを持たれていて、この作品に登場していたアイヌの方々とも親交を持たれてる。なので、まずはコムアイさんに聞きたいんですが、本作『チロンヌカムイ イオマンテ』を観客として鑑賞されてどんなことを感じられましたか?

 

 

コムアイ そうですね……、あらためて色々なことを考えさせられましたね。多分、今回のこの映画でイオマンテという儀礼について知るという人も多いと思うんですけど、そういう人が見たら、もしかしたら「なんでこんなに苦しいことやるんだろう」と思うかもしれないですよね。でも多分、その問いみたいなものが大事なんだろうなと思ったんですよね。

映像を見ていると、善次郎エカシやキヨさん(※1)がツネ吉(※2)を本当に可愛がって育てていたっていうところが、感情も含めて伝わってくるじゃないですか。アイヌについての本とかで「イオマンテとは一年間育てた子熊を」って書いてあるのを読んでもなかなかピンときづらいけど、実際に映像で「ツネ吉、ツネ吉」って呼んでいるところとかを見てしまうと、それだけ可愛がって育てた動物を殺めて、あの世に送るっていうのはどういうことなんだろうって、私もあらためて真剣に考えさせられたんです。

※1 日川善次郎エカシは日高・沙流川地方、振内の出身で、不世出のアイヌ神事の伝承者として知られる。本作が記録した86年のイオマンテにおいてはカムイノミを担当している。キヨさんとは善次郎エカシの妻でもあり、アイヌ歌謡とムックリの名手だった。

※2 本作が記録するイオマンテにおいてカムイとして送られたキタキツネ。善次郎エカシとキヨさんに「ツネ吉」と名付けられ、大切に育てられた。

やっぱり今回のイオマンテはチロンヌカムイ、キタキツネのイオマンテじゃないですか。熊とかだったら体も大きいし、強いし、あたたかい毛皮も、お肉もたっぷりいただくことができる。だから理屈としても熊を殺めるということの意味が分かりやすいんだけど、この映画のイオマンテでは子犬のように可愛がって育てたキタキツネが送られてるわけで。命からもらえるものに対して礼儀を尽くすという意味を超えて、この世界における人間のあり方、人間以外の存在との付き合い方、折り合いのつけ方って言うのかな、その切迫した感じが熊のイオマンテの映像よりもありありと感じられたんです。

現代的な感覚からしたらすごく苦しい儀式にも思えるけど……、でも同時にすごい晴れやかなんですよね。イオマンテのときの歌や踊りは、切迫した感じがありながらも楽しそうで、それに声や動きに気持ちが行き届いていて、とても美しい。多分、少しずつ形は違うとはいえ、こういう儀礼はアイヌの人たちに限られたものではなくて、他の民族でも普遍的にあったもので、人間はずっとそういう風にしてきたんだろうなって思うんです。死後の世界ってブラックボックスのようなものだから、死をめぐる物語の描き方は時代や地域によってバラエティがあるけど、死を明るく晴れやかに送る文化が珍しいわけでもないのではって。現代的な視点から見ると少し不思議な感じもするけど、じゃあその現代が何かって考えると、むしろ現代の方が異様な感じもしますよね(笑)

それは私自身、東京で生まれて東京で育ってきて、ずっと感じてる違和感でもあって。本当にたくさんの動物の死骸の上に私たちの生活は成り立っているはずなのに、その死が都会の暮らしからは遠ざけられてる。自分で動物を殺していないから、その死の感覚に触れることなく生きてしまっていて、そのせいで生きている実感がずっと希薄だったというか。だから私はあえて鹿の解体を体験したり、自分で鶏とか鴨とかを締める体験をしてみたかったんだと思います。やっぱり取り戻したい実感というのかな、自分がどんな死の上に立っているのかっていうのをちゃんと掴みたい、ちゃんと味わいたいっていうのがずっとあったし、今もあるんですよね。

そこで言うと、この映画にはまさにその実感があったと思います。だから、これから観る人にも自分のことを意識しながら見てほしいなって思う。もし映画を見て「キツネちゃんかわいそう」って思うんだとしたら、自分が食べる、住む、着る、生きるために、動物の尊厳を傷つけていないかどうか、まず考えてみてほしいなって。結局、どんな時代に生きていたとしても、人が他の命の上に生きているという事実は変わらないし、それと向き合わなければいけない…向き合わざるを得ないと思うんです。そこにどこかでちゃんと折り合いをつけておかないと、ずっとむず痒いままだと思う。その折り合いのつけ方に関して、アイヌが出した一つの答えがイオマンテなんだろうなと、この映画を見てあらためて思いました。

この映像が撮影されたのは86年ですけど、それから35年が経った今、社会はますますホワイトニングされて、クリーンになっていってますよね。だからこそ今の日本で見られてほしいし、見られるべき作品だなって思う。本当に素敵な映画でした。

 

日川善次郎エカシ(『チロンヌプカムイ イオマンテ』より)

 

DZ ありがとうございます。いや、すごくいい感想で、すでに色々とここから話が広がっていきそうなポイントがたくさんありましたが(笑)、まず話を広げていく前に豊川さんのお話もお聞きしたいです。今回、豊川さんは語り部、そして音楽制作者として映画に参加されているわけですが、今回この映画の製作に参加されて、また完成した作品を見てみて、どんなことを感じられましたか?

豊川 そうですね。まず、イオマンテってアイヌの儀式の中で一番大事なものだと思うんですよね。私が子供の頃、帯広でも熊のイオマンテがあったそうなんですが、うちの祖母はずっとアイヌの文化から離れてたにも関わらず、帯広でイオマンテがあるって話を聞いた途端、やっぱり保存会に入るって決意したみたいですから。アイヌから離れてたというのは、やっぱり差別とかがあったからだったみたいですけど、イオマンテがあると聞いて保存会に入り直した。祖母にそういう決断をさせるくらいイオマンテは大事な儀式だったということなんだろうなと思うんです。

多分、この映画のイオマンテをやった時も、参加者には間違えちゃいけないっていう怖さみたいなのがすごいあったと思うんですよね。すごく大事な儀式だからこそ、それを背負ってやるっていうのはすごい勇気だなって。もし間違えたら、自分だけじゃなくて自分の家族にも責任を負わせてしまう、それくらい怖いことなんです。それでも文化を残すために本当にやってみるんだっていう勇気がまずすごいなって思います。

そして自分たちで育てたキツネをね……、何回見ても、私は最後のところで泣いちゃうんですよ(笑)。キヨさんのあげた団子をツネ吉が食べないところとか。もう思い出しただけで泣けてしまうくらい。これからのアイヌのためにこの伝統をこういう形で残そうとしたエカシの家族は本当にすごいなって思います。

 

ツネ吉(『チロンヌプカムイ イオマンテ』より)

 

音楽作りに関して言うと、実ははじめお話をもらった時には、自然の風景が映し出されるシーンとエンディングの音楽のみという話だったんですよね。その後、いくつかシーンが増えていって、その中にツネ吉の解体のシーンがあったんです。その時、私「やばい」と思って。もしこれによってなんかあったら家族に迷惑かかるんじゃないかってすごい怖くなっちゃって、結構、落ち込んでしまったんです。どうしよう、私には作れないって、ずっと、それこそキツネに憑かれてるんじゃないかってくらい重く考え込んでしまって。それで切羽詰まったところで夫に「私が音楽をやることで送られたカムイが怒って、うちの家族になんかあったらどうしよう」って相談したら「大丈夫、作りな」って言ってくれて。それで作る気にはなれたんですけど、今度はじゃあどうやって作ろうとなって。

うちの子供はまだ3歳なんですけど、いつも夜、なかなか寝ないんですよね。で、ある夜に子供を寝つかせようと子守歌みたいな感じで「カーラース、なぜなくのー」って歌ってたんですけど、その時にふと「この気持ちのまま作ろう」と思い立ったんです。で、まだ寝ない子供を放って(笑)、録音しようと思って隣の部屋に行ってすぐに録音しました。それを北村さんに聞いてもらったら「それでいいですよ」って言ってもらえて。どういう気持ちで作ればいいんだろうって悩んでたんですけど、あの時に不意に、そうだ、お母さんみたいな気持ちで作ろう、と思ったんですよね。

コムアイ そうだったんですね。それはツネ吉のお母さんのような気持ちってことだったんですか?

豊川 ツネ吉の本当のお母さんというより、キヨさんみたいな、育てたお母さんみたいな気持ちでしたね。

北村 あれはアイヌ語で歌ってるんだよね。

豊川 そうです。『アイヌ伝統音楽』という本では「ウワレ ホ-/多くなっておいで」っていう意味で。でもあの言葉はアイヌ語の辞書には載ってないんですよね。ただ知里真志保さんの本で読んだんですが、美幌の伝承ではカムイの国から見たアイヌの世界は「カムイシンタ ウワリモシ」っていうらしいんですよね。それは神のゆりかご、お産の国という意味なんです。だから「多くなっておいで」っていうのは、きっとお母さんみたいな気持ちが込められた言葉なのかなって。

北村 いっぱい増えてまた帰っておいで、と。まさに神の国に送った先でまた多くなって戻ってきてほしいという、アイヌの祈りのようなものを歌にしてくれたんですね。

コムアイ 「増える」って生と死の境にある言葉ですよね。

北村 今回、善次郎さんのアイヌ語のお祈りを全て翻訳してもらったんですよね。そうするとね、お祈りの中に言い訳のような言葉がすごく多かったんです。間違えることがすごく怖いのか、善次郎さんはものすごく自分を卑下していてね。「こんな年寄りですけれど、お祈りを捧げます」とか。「もし間違ってしまってキタキツネが神の国に行けなかったら大変なことになるのでどうか助けてほしい」とか。最初に翻訳を見たときは、なんて言い訳がましい祈りなんだろうと思ったんですが、今の豊川さんの話を聞いて理解しました。彼自身にもそういう怖さがあったっていうことなんでしょうね。

 

日川善次郎エカシ(『チロンヌプカムイ イオマンテ』より)

 

コムアイ 畏れですよね。豊川さんは今回の映画を見たことでもともともってたイオマンテのイメージから変わったこととかありました?

豊川 まずキツネのイオマンテがあるって知らなかったですよね(笑)。熊とかフクロウとかはあるって知ってたけど。やっぱり、キツネだとちょっと感覚が変わりますよね。ツネ吉がまた可愛いじゃないですか。熊だと大きくなったら触れないけど、キツネはいつまでも身近で。実際、オリにも入れずに育ててて。たとえばこれが自分の飼っている犬だったらって想像したら、すごくつらいなって思いますよね。

コムアイ 阿寒の人たちと話してみてもコタンコロ(シマフクロウ)カムイのイオマンテをやったことを覚えてる人は多かったですね。同じ80年代にやってたみたいです。ただ、当時すでにシマフクロウは天然記念物で傷つけることが法的にも許されてなかったから、儀式はするけれども実際にはフクロウを殺してはいなかったみたいですね

北村 NHKがそのイオマンテを記録してますね。僕の友達が担当していたんだけど、あの時は儀式を行って、実際に解体するところは他の鳥、鶏かなんかを使ったって言ってましたね。

コムアイ なるほど。でも儀礼の形を今に残すためにはそれでもやることが重要だったんでしょうね。コタンコロカムイ イオマンテというものがあったということを忘れないために。

北村 あの映像の中でね、おばあさんが「何か足りない、何か足りない」って言ってずっと怒っていたんですよ。その場面が印象的でしたね。

 

『チロンヌㇷ゚カムイ イオマンテ』が記録した幻の神送り⑵を読む>>

 

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北村皆雄 きたむら・みなお/1942年長野県生まれ。ドキュメンタリー映画監督。早稲田大学第一文学部演劇専修卒業。 1960年代以来、アジアや沖縄・日本各地をフィールドに、映像人類学・民俗学を掲げ百を 超える映画・テレビ番組を撮り続けてきた。1986年に撮影した『チロンヌカムイ イオマンテ』を、後世に伝えるため2021年に完成させた。代表作として『神屋原(カベール)の馬』(1969年) 『アカマタの歌』(1973年) 『見世物小屋』(1997年) 『ほかいびと』(2011年) 『冥界婚』(2016年)などがある。

 

豊川容子 とよかわ・ようこ/アイヌ伝統歌、舞踊を取り入れたバンドnin cup(ニンチュプ)のボーカル。関西を中心に活動したのち北海道帯広に戻り、自身のルーツであるアイヌの歌(ウポポ)を取り入れ歌い始める。短編アニメ『60のゆりかご』(アイヌ民族文化財団)では、夫のルーツである北海道平取地方のイヨンノッカ(子守歌)を担当。アイヌのフチ(嫗)の声をはじめ 、さまざまな声質を変幻自在に操る。2016年度STVラジオのアイヌ語ラジオ講座講師。札幌在住。

 

コムアイ KOM_I/アーティスト。1992年生まれ、神奈川育ち。ホームパーティで勧誘を受けて加入した「水曜日のカンパネラ」のボーカルとして、国内だけでなく世界中のフェスに出演、ツアーを廻る。20219月に脱退。音楽活動の他にも、ファッションやアート、カルチャーと、幅広い分野で活動。2020年にアートディレクターの村田実莉と、架空の広告を制作し水と地球環境の疑問を問いかけるプロジェクト「HYPE FREE WATER」が始動するなど、社会課題に取り組むプロジェクトに積極的に参加している。

 

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〈INFORMATION〉

映画『チロンヌカムイ イオマンテ』、2022年4月30日よりポレポレ東中野ほか全国順次公開

 

監督:北村皆雄

語り:豊川容子

音楽:豊川容子+nin cup

制作:三浦庸子

監修・カムイノミ対語訳:中川裕(千葉大学名誉教授、『ゴールデンカムイ』アイヌ語監修)

司祭者:日川善次郎エカシ

企画・スチル:堤大司郎

製作・配給 ヴィジュアルフォークロア

文化庁「ARTS for the Future!」補助対象事業

公式HP: https://www.iomantefilm.com/

 

〈MULTIVERSE〉

「現代魔女たちは灰色の大地で踊る」──「思想」ではなく「まじない」のアクティビズム|磐樹炙弦 × 円香

「生死観」としての有機農業 ──エチオピアで学んだ生の豊穣|松下明弘

「病とは治療するものにあらず」 ──全生を説いた体育家・野口晴哉の思想と実践

「俺たちはグレーな壁を生き返らせているんだ」──1人の日本人がまなざしたブラジルのストリート|阿部航太×松下徹

「BABU伝」 ──北九州の聖なるゴミ|辻陽介

「汝はいかにして“縄文族”になりしや」──《JOMON TRIBE》外伝

「土へと堕落せよ」 ──育て、殺め、喰らう里山人の甘美なる背徳生活|東千茅との対話

「今、戦略的に“自閉”すること」──水平的な横の関係を確保した上でちょっとだけ垂直的に立つ|精神科医・松本卓也インタビュー

フリーダムか、アナキーか──「潜在的コモンズ」の可能性──アナ・チン『マツタケ』をめぐって|赤嶺淳×辻陽介

「人間の歴史を教えるなら万物の歴史が必要だ」──全人類の起源譚としてのビッグヒストリー|デイヴィッド・クリスチャン × 孫岳 × 辻村伸雄

「Why Brexit?」──ブレグジットは失われた英国カルチャーを蘇生するか|DJ Marbo × 幌村菜生

「あいちトリエンナーレ2019」を記憶すること|参加アーティスト・村山悟郎のの視点

「かつて祖先は、歌い、踊り、叫び、纏い、そして屍肉を食らった」生命と肉食の起源をたどるビッグヒストリー|辻村伸雄インタビュー

「そこに悪意はあるのか?」いまアートに求められる戦略と狡知|小鷹拓郎インタビュー

「暮らしに浸り、暮らしから制作する」嗅覚アートが引き起こす境界革命|オルファクトリーアーティスト・MAKI UEDAインタビュー

「デモクラシーとは土民生活である」──異端のアナキスト・石川三四郎の「土」の思想|森元斎インタビュー

「Floating away」精神科医・遠迫憲英と現代魔術実践家のBangi vanz Abdulのに西海岸紀行

「リアルポリアモリーとはなにか?」幌村菜生と考える“21世紀的な共同体”の可能性

「NYOTAIMORI TOKYOはオーディエンスを生命のスープへと誘う」泥人形、あるいはクリーチャーとしての女体考|ヌケメ×Myu

「1984年、歌舞伎町のディスコを舞台に中高生たちが起こした“幻”のムーブメント」── Back To The 80’s 東亜|中村保夫

「僕たちは多文化主義から多自然主義へと向かわなければならない」奥野克巳に訊く“人類学の静かなる革命”

「私の子だからって私だけが面倒を見る必要ないよね?」 エチオピアの農村を支える基盤的コミュニズムと自治の精神|松村圭一郎インタビュー

「タトゥー文化の復活は、先住民族を分断、支配、一掃しようとしていた植民地支配から、身体を取り戻す手段」タトゥー人類学者ラース・クルタクが語る

「子どもではなく類縁関係をつくろう」サイボーグ、伴侶種、堆肥体、クトゥルー新世|ダナ・ハラウェイが次なる千年紀に向けて語る

「バッドテイスト生存戦略会議」ヌケメ×HOUXO QUE×村山悟郎

「世界ではなぜいま伝統的タトゥーが復興しようとしているのか」台湾、琉球、アイヌの文身をめぐって|大島托×山本芳美

「芦原伸『ラストカムイ』を読んで」──砂澤ビッキと「二つの風」|辻陽介

「死者数ばかりが伝えられるコロナ禍と災害の「数の暴力装置」としての《地獄の門》」現代美術家・馬嘉豪(マ・ジャホウ)に聞く

「21世紀の〈顔貌〉はマトリクスをたゆたう」 ──機械のまなざしと顔の呪術性|山川冬樹 × 村山悟郎

「ある詩人の履歴書」(火舌詩集 Ⅰ 『HARD BOILED MOON』より)|曽根賢

「新町炎上、その後」──沖縄の旧赤線地帯にアートギャラリーをつくった男|津波典泰

「蓮の糸は、此岸と彼岸を結い、新たなる神話を編む」──ハチスノイトが言葉を歌わない理由|桜美林大学ビッグヒストリー講座ゲスト講義

「巨大な夢が繁茂するシュアール族の森で──複数の世界線を生きる」|太田光海 × 清水高志

「反・衛生パスポートのための準備運動──連帯主義と生-資本に抗する」|西迫大祐×塚原東吾