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人間の歴史を教えるなら万物の歴史が必要だ──全人類の起源譚としてのビッグヒストリー|デイヴィッド・クリスチャン × 孫岳 × 辻村伸雄

2019年11月、最新刊『オリジン・ストーリー』の刊行に合わせて初来日を果たしたデイヴィッド・クリスチャンが、ジュンク堂池袋本店にて、同書の中国語版の翻訳者・孫岳(スン・ユエ)、日本語版の解説者・辻村伸雄を交えて行ったトークショーの模様。


 

世界はどのように始まったのか、私たちはどこからやって来たのか――

創世記や古事記など、私たちの祖先はそうしたことを伝えるオリジン・ストーリー(起源の物語)を語り継いできた。

それらのいとなみを受け継ぎ、現代の科学にもとづきもう一度オリジン・ストーリーを作り直してみようという試みがビッグヒストリーであり、デイヴィッド・クリスチャンはその主唱者である。

ビッグヒストリーが描く“ヒストリー”とは一体どのようなものなのか、あるいは、なぜビッグヒストリーが現代の、それも全人類のためのオリジン・ストーリー(起源の物語)となりうるのか。

2019年11月、最新刊『オリジン・ストーリー』の刊行に合わせて初来日を果たしたデイヴィッド・クリスチャンが、ジュンク堂池袋本店にて、同書の中国語版の翻訳者・孫岳(スン・ユエ)、日本語版の解説者・辻村伸雄を交えて行ったトークショーの模様を掲載する。

 


 

あらゆる文化圏で通用する起源譚を

辻村伸雄(以下、辻村) 今日はオーストラリアと中国からゲストをお迎えしております。お一人目は、このトークショーのテーマでもある『オリジン・ストーリー』の著者であり、マッコーリー大学の卓越教授であるデイヴィッド・クリスチャンさんです。クリスチャンさんは「ビッグヒストリー」の主唱者でもあり、今回が初めての来日になります。

クリスチャンさんのお隣にいらっしゃるのが孫岳(スン・ユエ)さんです。孫さんは北京にある首都師範大学の教授で『オリジン・ストーリー』の中国語版の翻訳者でいらっしゃいます。

そして私は辻村伸雄と申します。2014年に設立されたアジア・ビッグヒストリー学会の会長を務めており、この度、日本語版の『オリジン・ストーリー』の解説を書かせていただきました。

では早速、お話へと入っていきたいのですが、まずはお二人の方からも、皆さんに向けて自己紹介をお願いいたします。

 

『オリジン・ストーリー 138億年全史』(デイヴィッド・クリスチャン著、柴田裕之訳/筑摩書房)

 

デイヴィッド・クリスチャン(以下、DC) 皆様お越しいただきまして誠にありがとうございます。デイヴィッド・クリスチャンと申します。私は子ども時代をナイジェリアとイギリスで過ごし、大人になってからの大部分の時間はオーストラリアで過ごしてきました。元々はロシア史を専門とする歴史学者だったのですが、30年ほど前に、全人類の歴史に関心を持つようになりました。そして人間の歴史を教えるのであれば、あらゆるものの歴史を教えなければならないということに気がついたのです。本日はどうぞよろしくお願いいたします。

孫岳(以下、孫) はじめまして、孫岳と申します。まず皆さんが日曜日の夜に2時間も時間を割いてお越しくださったということを非常に光栄に思います。私だったらまず来ません(一同笑)。明日の朝早くから仕事になりますから(笑)。

私がビッグヒストリーを知ったのはおよそ12年ほど前のこと、2007年にクリスチャンさんが北京の私たちの大学(首都師範大学)で行われた会議に参加するため、お越しになった時でした。その際にクリスチャンさんから『Maps of Time』の中国語版をいただき、それを読んで以来、意識的にビッグヒストリーについて勉強するようになったんです。

 

『Maps of Time』初版の中国語版

 

私自身がどういう研究をしていたかと言いますと、博士論文では、近世ヨーロッパで行われていた魔女狩りをテーマとしていました。かつて、多くの女性たちが「魔女」と称され殺された、その歴史についてです。実はその博士論文のあとがきで、私はなぜこういうことが行われたのか、あるいはこうしたことをもう起こさないために何が必要なのか、ということを考察したのですが、その時に私が使った言葉が「愛・律・序」(love, law, order)でした。

しかし、ビッグヒストリーを知るようになり、その三つにもう一つ付け加える必要があると思い至りました。それは「知」(science)です。今日はこうしたことをお二人とお話ししていければと思っています。

辻村 ありがとうございます。実は今、孫さんが話されたことについては後ほど伺いたいと思っておりました(笑)。少し補足しますと、孫さんはビッグヒストリーが、まさに「知・愛・律・序」の4つに集約されるものであると考えられているんです。

ビッグヒストリーというものは、私たちがこの宇宙、この地球、あるいは人間や生命といったものを、どういう風に認識し、またそれらとどういう風に関係を築いていくか、ということを問うものです。その上で「知」というのは世界を知るということ、「愛」というのは世界や人を愛することです。そして、私たち人間が宇宙、自然の中で暮らしていくためには自然の法則に合致した暮らしを営まなければならない。またそれだけではなく、人間らしく生きていくためには人間愛に合致したルールを作っていかねばならない。これが「律」です。そうしたものがあることによって、最終的に「秩序」が生まれてくる……と、そういうわけです。

一言で言うと「天人合一」につながっていくものが、孫さんにとってのビッグヒストリーということですよね。

 ……皆さんはきっとクリスチャンさんの方からビッグヒストリーについて色々と聞きたいと思っていらっしゃると思うので(一同笑)、私の話はいったんこの程度にしておきましょう(笑)。

辻村 たしかに(笑)。では、クリスチャンさんにお話を伺っていきます。まず今回、『オリジン・ストーリー』の日本語版が出版されましたが、日本以外にも様々な国の言語に翻訳されていますよね。現状で何ヵ国語に翻訳されているんでしょうか?

DC 今日の午後に確認しましたところ、すでに30言語に翻訳されているようです。さっきの孫さんと辻村さんの議論にも通じるのですが、私はビッグヒストリーを全人類のための起源譚(オリジン・ストーリー)だと考えています。というのも、これまでの起源譚は全て、特定の地域や文明、宗教にもとづいていました。ただ、私には、間違っているかもしれないけども、夢想していることがあるんです。今日の一体化した世界において必要なのは、あらゆる文化圏で通用する起源譚ではないか。そう考えているんです。もちろん、ビッグヒストリーの扱われ方はそれぞれの国によって少しずつ違うでしょうけど、その中核となる部分は世界のどこの国の人にも通じるはずです。

辻村 すでに『オリジン・ストーリー』には世界から様々な反応があっただろうと思います。中でも一番印象に残った反応についてお聞かせください。

DC 一番というのは分かりませんが、反響はとてもよいものでした。しかし、今の世の中を見ていますと、知識というものが国や宗教ごとに分断されているという状況があります。あるいは学術界を見てみても、ディシプリン(専門分野)ごとに分断されてしまっている。ですから、世界のあらゆる人びとが分かち合える物語があるんだということをわかってもらうのは、簡単なことではないと感じています。

辻村 では孫さんに聞きます。中国での『オリジン・ストーリー』の受け止められ方はどのようなものだったんでしょうか?

 おそらく他の国も同じだと思いますが、最も熱烈であたたかい反応があったのは一般の読者からでした。

一方で、プロの歴史学者たちからは芳しい反応がありません。というのも、今クリスチャンさんがおっしゃった通り、プロの歴史学者たちは自分たちで作り上げた知のサイロ(倉庫)の中にこもっていたいものなんです。クリスチャンさんのようなビッグヒストリアンたちがやろうとしていることは、それとは逆で、人間の持つあらゆる知を統合し、そうすることで森羅万象の大きな絵(見取り図)を描くことなんです。

このことを踏まえると、プロの歴史学者たちがなかなかビッグヒストリーを受け入れない一方で、それより多くの一般読者から受け入れられているのは、自然なことだと皆さんも思われるのではないでしょうか。

ところで、私の方からもクリスチャンさんに質問があるんです。クリスチャンさんは2004年の著書『Maps of Time』の序論において、ビッグヒストリーとは現代の「創造神話」(creation myth)であると書かれていました。ところが十数年が経ち書かれた新しい本『オリジン・ストーリー』では、ビッグヒストリーとは「起源譚」(origin story)であると書かれている。どうしてこのように変わったんでしょうか?

DC あらゆる文化圏で通用する物語を書く上での課題の一つは、孫さんは翻訳家でもありますからよくお分かりかと思いますが、それぞれの文化や言葉はそれぞれに異なる荷物(来歴や含意)をかかえているということです。これが普遍的な物語を作ろうとする時に難しい点です。

たとえば同じ英語圏のオーストラリアとアメリカであったとしても、「創造神話」という言葉のとらえられ方は違う。これは同僚(ビッグヒストリアン)のシンシア・ブラウンさんに指摘されたことなんですが、もしアメリカで「創造神話」(creation myth)という言葉を使うと、「創造」(creation)と言っている以上、そこになんらかの「創造主」(Creator)が存在するという風にとらえられかねない。また「神話」(myth)という言葉を使うと、まるで嘘であるかのようにとらえられるだろうとも言われました。しかし、オーストラリアではそういう風にはとらえられません。

そこでこの本を『オリジン・ストーリー』(起源譚)というタイトルにしたわけです。英語ではこれが一番よく通じるからです。もちろん、この言葉でもうまく伝わらない場合はあります。ハンガリー語に翻訳してくれた方は、「オリジン・ストーリー」という言葉は使いたくないと言っていました。その言葉だとハンガリーの人びとにはうまく伝わらないからと。

そうした違いがあるからこそ、その違いを乗り越えて、この本がたくさんの言語に翻訳されているということがとても嬉しいんです。というのも、地球規模の問題について地球規模で考える術を身につけたいのであれば、異なる言語の間、文化の間にあるそうした難しさを乗り越えていかねばならないからです。ビッグヒストリーがそのための一助になればよいなと思っています。

 実は中国語版のタイトルも『起源故事』(中国語で「オリジン・ストーリー」の意)ではなく、ただの『起源』になっているんです。

辻村 なぜ「ストーリー」(故事)をタイトルからとったんでしょう?

 それは出版社の判断です(一同笑)。私の意思ではありません(笑)。私自身は当初『原道(ユェンダオ)』というタイトルにすべきだと考えていました。中国において、世界の始まりは何かと言えば、ビッグバンではなく「道(ダオ)」なんです。ただ、原著者の考えを私は尊重しました。クリスチャンさんがそれではダメだ、ちゃんと科学的概念を用いないとダメだ、という風におっしゃられたので、最終的にはビッグバンの方が生き残り、『起源』となったんです(笑)。

 

『オリジン・ストーリー』の中国語版(孫岳訳)

 

現代の科学は真理の全てを占有しているわけではない

辻村 お二人ともありがとうございました。では、ここでスライドに映し出されている絵をご覧ください。この絵はフィンセント・ファン・ゴッホの《ローヌ川の星月夜》というタイトルの絵です。このスライドは、2014年に開催された国際ビッグヒストリー学会において、クリスチャンさんが会長として講演https://youtu.be/0vuZnisUvsgをされた際に使われたものを作り直したものです。この絵は私たちが今やろうとしていることをよく表しています。

 

 

そこで、クリスチャンさんに質問です。今回の本の中でクリスチャンさんは「ビッグヒストリーとは現代の起源譚である」と説明していますが、なぜビッグヒストリーが現代の起源譚だと言えるのか、この絵が持つ意味を説明しながら簡潔に教えていただけますか?

DC わかりました。これから私がビッグヒストリーをどのように理解しているかについてお話しします。ただし、これが必ずしも唯一の理解の仕方ではありません。

啓蒙主義以来、多くの思想家たちが、現代の科学にもとづいた新たな形の知を作り出すことはできないかと考えてきました。このプロジェクトに思想家たちは3世紀もの間、取り組んでいます。今日の世界ではおそらく科学が、現実や宇宙や人間や私たちの住む世界に関するもっとも普遍的な考え方でしょう。ですから、世界規模の起源譚を作るのであれば、その基礎は科学でなければなりません。

ビックヒストリーの基本となるアイディアはとても単純なものでした。ビッグヒストリーを教え初めた時、私はビッグヒストリーについて何もわかっていませんでした。ですがこう考えたのです。まず天文学者が世界の始まりをどうとらえているのかを聞いてみよう。続いて地質学者はどうとらえているのか、生物学者はどうとらえているのか、人類学者はどうとらえているのか、順番に聞いてゆこうと。そして、それらを全てひとまとめにして、統一した物語に仕立て上げることができるかどうか試してみようと考えたのです。これが私がずっとやってきたことです。

さて、ゴッホの絵についてですが、私がこの中で指差したいのは下の方に描かれている二人の人間です。星々、地球、生命、人間社会があって、それら全てを理解しようとしているあなたと私がいる。この物語の中心にいるのは、私たちなのです。この絵は、そんな風に全てをひとつにまとめるのです。

私が「起源譚」という言葉を使っている一つの理由は、現代の科学が真理の全てを独占しているという誤解を生みたくないからです。現代科学の物語が必要なのは、私たちが現代世界に生きているからにすぎません。私は今オーストラリアに住んでいますが、同じオーストラリアでも500年前のオーストラリアに私が住んでいたとしたら、今の起源譚は何の役にも立ちません。500年前であれば、私に必要なのは、アボリジニのドリーム・タイムの物語であるはずです。

よく私は考えるんです。誰かがこの本を一冊取って、タイムマシーンで500年前のオーストラリアに落として来たとしたら、一番いい使い道はなんだろうかと。燃やすことです(一同笑)。火を起こすために。

今、申し上げたことで二つ大事なことがあります。一つ目はどの時代においても時代に見合った起源譚が必要なのだということです。ですから、この本は今の時代を生きている私たちだからこそ真剣に受け止める内容なんです。

それともう一つ、私が「起源譚」という言葉を使う別の理由は、この言葉を使うことで、他のあらゆる起源譚を敬意をもって扱うことができるようになるからです。また、過去の起源譚には今の起源譚に欠けているものがあるのではないかと問うことができるようになるからなんです。事実、欠けているものはあります。だからこそ孫さんの質問(なぜ創造神話という言い方から起源譚という言い方に変えたのか?)は非常に重要なんです。

 今の点に関して、クリスチャンさんと私は完全に意見が一致しています。つまり、最新の科学と最も信頼できる知識を使って、人間を含めた森羅万象の絵を描くという点です。ビッグヒストリーはユヴァル・ノア・ハラリさんの本のような、他の大きなスケールの歴史とはどこか違っているかもしれません。別に私はハラリさんを批判しているわけではありませんよ。でも、ハラリさんは彼の物語を語るのに、科学以外のもの(巧みな語り口や自分の空想)を用いようとしてきました。ですから老いも若きも、もっとも信頼できる起源譚にふれたいのであれば、ビッグヒストリーに頼るはずです。

あともう一つ、先ほど、神話(myth)という言葉を使ったからといって、オーストラリアでは嘘の話とは思われないという話がありましたね。他のところだとどうだかわかりませんが、実は中国では近年、神話の信頼性が高まってきているんです。私の友人でもある中国の指導的研究者たちは、古代の神話は古代の史書よりも信頼できると主張しています。たとえば、中国には、中国は「翡翠」に対する信仰から生まれたのだ、という神話があります。これが神話学の研究によって、たとえば司馬遷の歴史叙述より信憑性が高いということが証明されつつあるんです。

辻村 クリスチャンさんが言われたように、ビッグヒストリーは西洋の文脈では啓蒙主義の延長線上にあるものとして理解することができます。しかし、私はビッグヒストリーは単に西洋で生まれたものという風には思わないんです。たとえば孫さんは中国にはビッグヒストリー的な伝統が昔からあるのだと主張されてきました。そのように、アジア・ビッグヒストリー学会として重要なミッションの一つは、ビッグヒストリーを多文化的なものにすることだと考えています。

 中国だけではありません。それぞれの地域が独自の起源譚を持っています。クリスチャンさんが先日お話しされていたことですが、起源譚の考えを伝えると、ほとんどの人が「自分たちにもそういう伝統があるよ」と言うそうです。実際そうでしょう。

DC 私がビッグヒストリーを起源譚と呼ぶのは、全ての社会が同じことをやろうとしてきたんだということを伝えるためです。あらゆる社会が、ありったけの知識を結集し、単純明快にまとめ、それを若者たちに伝えようとしてきた。それは古代のオーストラリアでも中国でも変わりません。

 

保苅実『ラディカル・オーラル・ヒストリー オーストラリア先住民アボリジニの歴史実践』(岩波現代文庫)

 

物語には「あらすじ」と「語り部」が必要

辻村 ところで、もう一つ、質問したいと思っていたことがあるんです。クリスチャンさんは1989年からビッグヒストリーを教えられていますよね。でも最初の何年間かは自分が何を学生たちに教えているのか、自分でもちゃんとは理解できていなかったと聞いています。そんな時、クリスチャンさんの奥さんであるチャーディさんが、あなたが教えているのは創造神話あるいは起源譚の現代版なのだ、とクリスチャンさんに教えてくれたのだと。そのことを知って以来、私はチャーディさんにとても興味があるんです(一同笑)

DC チャーディはきっと辻村さんのことを気にいると思いますよ(一同笑)。今の話で、ビッグヒストリーを教え始めた頃の私がとても素朴に考えていたことを思い出しました。先ほども言ったように、私は各分野の専門家から講義してもらえれば、それで起源譚が出来上がるはずだと思っていたんです。しかし、実際のところ、それはもっと複雑な作業でした。部分部分を寄せ集め、切手のように貼り合わせるというわけにはいかなかった。

そんな時、妻に、大事なのは伝えるべき部分部分だけではない、それをどう伝えるかもまた大事なのだ、ということを指摘されたんです。つまり、ビッグヒストリーにはそれを伝える「ストーリーテラー」(語り部)が必要なんだ、というわけです。

なぜ妻にそれがわかったかというと、彼女自身がストーリーテラーとして働いていたからなんです。妻は色んな学校を回って、伝統的な起源譚を始めとする様々な物語を語り聞かせるという仕事をしていました。彼女はカール・ユングを敬愛していたので、「ストーリーテリング」(物語る)という行為がいかに奥が深いか、わかっていたのです。

とても面白いことに、私が科学は物語だと言うと、科学者の方々はかえって大喜びするんです。もちろんそうではない方もいますが、多くの方は受け入れてくれる。というのも、物語は物事を理解するための強力な手段だからです。

辻村 おっしゃる通り、歴史は単なる事実の寄せ集めではありません。歴史を語るためには、事実と事実がどう関連し合っているかを説明する必要がありますし、それらを一貫した一編の物語に織り上げる必要があります。

そこで次のスライドをご覧ください。ここにある「複雑さ増大の臨界(敷居)」は、『オリジン・ストーリー』の基本的なあらすじを表しています。クリスチャンさんは長年ビッグヒストリーを教えるうちに、こうしたあらすじが段々と見えるようになってきたそうですね。このあらすじについて、簡単に教えていただけますか?

 

 

DC 実はこの「複雑さの増大」という物語は、天文学者のエリック・チェイソンさんから盗んだものなんです(笑)。もちろんご本人から了承は得ていますよ。チェイソンさんは私がビッグヒストリーの講義を始めるずっと前から、ハーバード大学で天文学者バージョンのビッグヒストリーを教えられていた方なんです。

チェイソンさんによれば、誕生したばかりの初期の宇宙というものは、非常に単純なものでした。水素とヘリウムの原子からなる薄い霞に覆われているだけの状態だった。しかしそうすると、ある疑問が湧いてきます。というのも、東京を散策してみますと、目に飛びこんでくるのはとんでもなく複雑な景観です。一体全体、水素とヘリウムの霞から、どうしたらこんなにも複雑なものが生まれてくるのか?

その段階的移行を表しているのが「複雑さ増大の臨界(敷居)」です。ここでは一つ一つの臨界についてはいちいち説明しません。それをやると、10時間はかかってしまいますから(一同笑)。臨界はビッグヒストリーを教える際の一つの手法にすぎません。臨界とは、要するに一段と複雑な新しい何かが現れた瞬間のことです。

この本の物語はいかにして複雑なものが形成されてきたのかをめぐって展開されます。恒星、新たな元素、惑星、生命、人間、農耕、化石燃料革命というように。これはチェイソンさんの物語を私なりに語り直し、発展させたものなんです。

 

単純さへと向かう宇宙の中でなぜ一段と複雑なものが作られるのか

辻村 ありがとうございます。『オリジン・ストーリー』は「複雑さの増大」の物語であると同時に、「エントロピー増大」の物語でもあります。エントロピーはクリスチャンさんの共著『ビッグヒストリー われわれはどこから来て、どこへ行くのか』ではふれられていませんが、それが全面に出てきているのがこの本の一つの特徴です。しかも、この本には人間以外の登場人物が色々と出てきますよね。中でも一番重要な役者がエントロピーです。そこで、このエントロピーとは何なのか、あるいは何者なのかということを教えて頂けますか?

 

『ビッグヒストリー われわれはどこから来て、どこへ行くのか――宇宙開闢から138億年の「人間」史』(明石書店)

 

DC その質問をされるんじゃないかと恐れていました(一同笑)。できるだけ手短に説明しましょう。エントロピーというのは、すべてのものがよりランダムでより混沌とした状態になっていく傾向があるという法則を表す言葉です。たとえば、家に鍵をかけて出かけて1年間留守にしたら、戻ってきた時、家の中は出かける前よりもめちゃくちゃになっているはずです。

このことはビッグヒストリーに根本的な問いを突きつけます。つまり、エントロピーが支配する(秩序立ったものに乏しい単純な状態へと向かっていく)宇宙の中で、一段と複雑な(秩序立った)ものが作られるということが、どうやったら可能なのか? これは実にそそるあらすじです。ドラマには試練が欠かせないからです。それだけではありません。これは甚深かつ重要な知見なのです。

この問いに関して、私が知りうる限りの一番良い答えはこうです。複雑なものは莫大なエネルギーを必要とします。たとえば東京をドライブしてみてください。そして目に映る全ての車と工場を動かすのにどれだけのエネルギーが必要か、考えてみてください。とんでもない量のエネルギーが必要です。

そこで使われたエネルギーは最後は廃エネルギーになります。考えてみてください、東京のような大都市が生み出す廃棄物がどれほどのものか。この問題の解はこうです。エントロピーを擬人化するならば、エントロピーは複雑なものが現れるたびに揉み手をして喜びます。やった、しめたぞと思うわけです。なぜなら、複雑なものはどんどん廃棄物のカオスを生み出していくからです。

このことが大切な教訓を与えてくれます。今日の世界は化石燃料の上に成り立っています。しかし、それによって莫大な廃棄物が生み出された。この(温室効果ガスを含む)廃棄物が(人為的)気候変動を生み出したのです。これが海と大気を変えつつあります。このように、複雑なものと同じく、今日の世界のいたるところでエントロピーの存在を感じとることができます。

しかし、これを理由にエントロピーを「悪」としてしまうのは早計です。1年ほど前にある会議で私は話をしました。そこに宇宙物理学者のチャールズ・ラインウィーバーさんという方がいました。私はそこでエントロピーこそが悪者なんだという風な話をしたんです。エントロピーは私たちが大事にしているものを全て壊そうとするからです。ところが、ラインウィーバーさんは、そうじゃない、むしろエントロピーはヒーローなのだ、と言うのです。なぜならエントロピーの過程はエネルギーの流れを生み出す(エネルギーの偏りを均そうとする)からです。このエネルギーの流れがあるからこそ私たちは(エネルギーを寄り集めて)複雑なものを生み出すことができるのです。良い物語には悪役がつきものです。そう考えると、悪役がいい奴に見えてくるかもしれません。

辻村 今のお話はつまり、宇宙がどんどん単純な方向へと向かっていく傾向があるのに、なぜどんどん複雑なものを作っていくことが可能なのか、ということをめぐるものですね。

ここで孫さんにお聞きします。中国語版の『オリジン・ストーリー』では、日本語版では「臨界」と訳されているthresholdという英語を「節点」(中国語で「節、結節点」の意)と訳されています。『オリジン・ストーリー』では臨界によって時代が区分されていますが、孫さんはこのような時代区分についてどのようにお考えですか? このあらすじから私たちは何を学ぶことができるのでしょうか?

 とても難しい質問をいただいてしまいました(笑)。時代を区分するというのはいつでも難儀なものです。率直に言って、私が答えられる範囲を超えています。ですので、そのお話ではなく、今しがたクリスチャンさんが話された内容についての私の理解をお話しさせていただければと思います。というのも、今のお話だけで皆さんがこの「複雑さの増大」についてよくお分かりになったかどうか、分かりません。第三者が解釈を加えることで理解が進むということもありますから。

さて、先ほどクリスチャンさんが説明されたエントロピーというのは熱力学の第二法則にあたるものなんです。この法則は、私たちの世界の全般的傾向を指すもので、普遍的に当てはまると考えられています。この法則によりますと、宇宙にある全てのものは、どんどん単純になっていくということになります。それを私たちはエントロピーの増大と呼んでいるわけです。つまり、これまでよりも混沌とした状態になっていくということです。なのに、なぜ私たちは(それとは反対の)複雑さ、すなわち秩序ある状態の増大について語っているのでしょうか?

ズバリ言うと、生き物は単純なものも含めて身の回りの環境から資源やエネルギーを奪い取ることができるからです。もちろん、人間はそうしたことに他のどの生き物よりも長けているわけです。人間はあらゆる資源、エネルギーを大量に取り出して、かつてないほど複雑な社会を築いています。

人間は、大きな宇宙的スケールから見れば取るに足らない存在かもしれません。でも、進化、複雑さの上では頂点に立っています。ですから、人間は取るに足らない存在であるかのように見えて、実のところ「複雑さ」という点においては全宇宙でもっとも重要な存在なのです。私はこの物語をそういう風に理解しています。違ったら言ってください(笑)

DC 辻村さんは私たちに論争させたいようなので応じましょう(一同笑)。二点、違うと思います。第一に宇宙に私たち以外の知的生命体がいるのかどうかについて、私たちは全く何もわかっていません。そのような知的生命体が膨大に存在している可能性もありますし、もしそうなら、その中には私たちよりはるかに複雑な文明を持っている生命体がいるかもしれません。

第二に、エントロピーの話ですが、要は「複雑になりたいんだったらなってもいいよ。ただその分、犠牲は払ってもらうけどね」というのがポイントなんです。今や私たちは、自分たちがどういう犠牲を払って複雑さを手にしているのかということを、目の当たりにし始めています。

恐竜が栄えていた頃には、恐竜は自分たちより賢い存在などいないと思っていたかもしれません。しかし、彼らは大きくなりすぎてしまったのでしょう。

 なるほど。二点目については全くその通りだと思います。複雑であることには対価が伴います。ただし、一点目については全く同意できません。もちろんどこかにE.T.(地球外生物)がいるかもしれませんが、現時点ではそれが事実かどうかはわかりません。なので、今はいるという可能性を排除して考えることができるんじゃないでしょうか。

私にとって一番大事なことは、ビッグヒストリーの物語は概して人間中心であるということです。この点については何の異論もありません。あなたも以前そういうことをおっしゃっていたように思います。ビッグヒストリーは人間中心なのだ、これは私たち人間の物語なのだと、私たちがいかにより良い存在になれるか、持続可能な存在になれるかの物語なのだと。

別に私はクリスチャンさんと喧嘩してるわけじゃありませんよ(笑)。どういうことが問題になっているのかを、皆さんに理解していただけるようにお話ししているんです。

 

[注]

エントロピーについて、ここで語られた内容だけでは理解しがたいと思われるので簡単に補足したい。

初期の宇宙は水素やヘリウムしかない単純な世界だった。そこではエネルギー(とその凝縮形態である物質)がほぼ均等に分布していた。しかし、そこにはわずかにムラがあった。わずかに水素とヘリウムの多いところでは、重力によってより多くの水素とヘリウムが引き寄せられる。こうしてどんどんと水素とヘリウムが寄り集まっていった結果生まれたのが、より複雑な秩序体である恒星だ。

一方で、恒星と恒星の間には巨大な虚空が広がっているように、宇宙の大部分は今でも単純なままだ。どうやら宇宙では、そうした単純な状態の方が自然らしい。だから宇宙ではエネルギーの偏りを均し、複雑な秩序体を解体して、秩序立ったもののない、単純な状態へと戻っていこうとする作用がたえず働く。こうした傾向のことを『オリジン・ストーリー』では(厳密な用法ではないが便宜的に)「エントロピー」と呼んでいる。

では宇宙にはエネルギーの偏りのない単純な状態に戻っていこうとする傾向があるにもかかわらず、どうして複雑なものが現れて来たのか? 端的に言えば、そうした傾向を乗り越えてエネルギーと物質が寄り集まってきた(偏った)からである。

こうして現れた複雑なものは、複雑なものであればあるほど、己を維持するためにたえず高密度のエネルギーを必要とする。これは至難の業なので、複雑なものほどもろく短命となる。複雑さは諸刃の剣なのだ。

しかも、複雑なものはその一生のうちに、複雑なものの出現・維持に必要な高品位のエネルギーを、ほとんど役に立たない低品位の廃エネルギー(熱)と廃棄物にどんどん変えていく。こうして劣化したエネルギーは、もはや複雑なものを生み出さない。宇宙のエネルギーは有限だから、複雑なものは自分たちに必要なエネルギーを使い潰していっていることになる。

つまり、複雑なものは、宇宙の単純化に抗っているかに見えて、実のところ宇宙が単純になっていくのを手助けしているのだ。これについては、長沼毅『世界をやりなおしても生命は生まれるか?』(朝日出版社)の第4章の説明がわかりやすい。(辻村伸雄)

 

人間の歴史から万物の歴史へ

辻村 お二人の議論はとても興味深いのですが、残り時間があとわずかになってきましたので、最後のスライドに移りたいと思います。これは人間が初めて月に降り立った時の写真ですが、実は2019年は人間の月面着陸からちょうど50周年なんです。そこで私からの最後の質問です。なぜチンパンジーではなく、人間が月に到達することができたのでしょうか?

 

 

DC 時間がないようなので1分でお答えしましょう(一同笑)。ビッグヒストリーの不思議なところの一つは、とても複雑なミステリーのように思えていたことが、一歩引いて(大きなスケールから)見ることによってシンプルになるということです。何年も前から言っていることですが、チンパンジーと私たちの間には非常に小さいけれど決定的な違いがあります。もちろん、チンパンジーは大変賢い動物です。けれども、私たち人間は、はるかに効率的にコミュニケーションをする能力(言語能力)をもっているんです。(生命史)40億年の間に現れた他のどの生き物より、ずっと。

たとえば、私が「E=mc2」という式をひらめいたとします。私は人間ですから、それを皆さんに話して伝えることができます。しかし皆さんは、チンパンジーが似たようなことをする場面を、ついぞ見ることはないでしょう。

私たち人間は世代から世代へと知識を蓄積していくことができます。しかも、(人間史)20万年の間に、蓄積の速度がどんどんどんどん増してきた。私はこれを「集合的学習」と呼んでいます。この「集合的学習」があったからこそ、私たちは強大な存在となり、月面着陸を成し遂げ、チンパンジーは10万匹ほどしかいないのに、70億もの人口を誇るまでになったのです。おしまい!(一同笑)

 では私にも1分ください(笑)。クリスチャンさんが人間の決定的特徴を示すのに「集合的学習」に言及してくださったことをとても嬉しく思います。集合的学習は現代にあってはとりわけ重要です。私たちは国境を超える問題をかかえているからです。ただ、私としては「集合的学習」だけではなく、それらの問題を力を合わせて解決する「集合的行動」がもっとあってしかるべきではないかと思っています。

だからこそ、冒頭で私は「知・愛・律・序」の4つを必要なものとして挙げたんです。一体、私たちをつなぐ糊としての「愛」がなければ、どうやって集合体としての行動を起こせると言うのでしょうか? 他人の福祉などどうでもいいというのであれば、手を携えて前に進んでいけるでしょうか? 行動を起こすためには「知」、つまり科学だけではダメなんです。それ以外のもの、すなわち「愛・律・序」があればこそ、万人にとって持続可能な未来を実現していけるのです。さて、これで1分ですね(笑)

辻村 お二人ともありがとうございます。最後に私の方からちょっと補足と異論を挟ませてください。先ほど、お二人がビッグヒストリーは人間中心の物語であるということを言われていましたが、お二人は単に人間はエラい、一番上なんだということを言われているわけではないんです。

ビッグヒストリーは人間の歴史のスケールを飛び越えて、もっと大きな歴史の中に人間というものを位置づけます。そうすると、人間は相対化されます。そのことによって、初めて見えてくるものがある。また謙虚になることもできる。

しかし、それを突き詰めて人間を相対化しきってしまうと、宇宙から見れば人間など塵のようなもので無意味なのだ、ということになりかねない。そこで終わってしまうと虚無のままです。人間を疎外してしまう。

そうではなく、ビッグヒストリーは人間をいったん相対化して、そこから戻ってくるのです。相対化するだけではない。そうしたことがクリスチャンさんと孫さんがおっしゃったことの背景にはあるんです。人間を相対化した上で、ふたたび中心に据えるのだと。人間とは何か、自分たちはどうしていけばよいかを再考するのだと。

しかし、それだけでいいのでしょうか? ビッグヒストリーとは結局、人間の物語なんでしょうか? 私はそうは思いません。

たとえば、私は月面着陸を果たしたのは人間だけではないと考えています。というのも、人間の体には非常にたくさんの微生物が住んでいるからです。人体そのものが一種の生態系なんです。くわえて、月へ行くためには、ロケットであったり、燃料であったり、宇宙服であったり、色々なものが必要です。それらは全て地球上の物質から作られたものです。

こうしたことを考えると、月面に降り立ったのは、実際には「地球もん」(earthlings――長崎弁で「地球の者」の意)のチームだった、というのが本当のところでしょう。このチームには人間だけでなく、他の生物(体内の微生物)や非生物(道具・関連物資)が含まれます。

これは多自然的な観点です。私にとって、ビッグヒストリーとは私たち全てを巻きこむ物語なんです。ここで言う「私たち」には、生物だけではなく、非生物も含めたあらゆるものが含まれます。(ビッグヒストリアンの)バリー・ロドリーグさんの言葉をお借りするならば、それは「存在するあらゆるもの」の物語なんです。

ちょうど時間になりました(笑)。トークは以上になります(拍手)。続いて質疑応答に移ります。

質問 素晴らしいお話をありがとうございました。クリスチャン教授はどうしてロシア史を研究する歴史家になられたのでしょうか? また、ビッグヒストリーを発想するきっかけとなったのは、どんな出来事だったんでしょうか?

DC 一言で言うと、ロシアはとても大きいからです(一同笑)。もっと真面目に答えると、私は青春を冷戦の只中で過ごしましたので、キューバ・ミサイル危機を経験しました。当時通っていたイングランドの高校で、私は来るべき破滅について思いをめぐらせました。その時のことを、鮮明に覚えています。私は考えました。向こう(ソ連側)にも自分のように怖い思いをしている子どもたちがいるんだろうかと。そして思ったのです。これは狂気の沙汰だ、私たちと同じくらい賢い人たちが私たちを滅ぼしうる兵器を作るなんて。これは後で学んだことなのですが、危機が去った後、ある人がジョン・F・ケネディに尋ねたそうです。実際のところ、核戦争のどれぐらい間際まで来ていたのかと。ケネディは答えたそうです。1と2の間、あるいは1と3の間だった(寸手のところまで来ていた)と。これが私が向こう側の世界、つまりロシアに夢中になった理由の一つです。

次いで、ご質問の後半部分に端的にお答えします。私は長年ロシアとソ連の歴史を教えてきました。そうするうちに気づいたのです。自分は部族の歴史(tribal history)を教えていると。自分は人間の一集団の歴史を、あたかも他から切り離されているかように教えてしまっていると。そうして思ったのです。核兵器をかかえる一体化した世界にあって、私たちが教えるべきは全人類の歴史ではないかと。次に、どうしたらそのような歴史を教えることができるか、自問しました。人間の歴史を理解するには、まず旧石器時代(人間史のもっとも長い時代)について話をしなければいけないぞ。それから人類の成り立ちを理解するには、生物学(生命の成り立ち)について話す必要がある。生命の成り立ちを理解するには、地質学(地球の成り立ち)の話もしなきゃいけない。地球の成り立ちを理解するには、天文学(宇宙の成り立ち)だって教えなきゃ。そうやってどんどんさかのぼっていくうちに、ビッグバンに行き着いたのです。人間の歴史を教えるには、宇宙の歴史を教えなければならないと。私の話は以上です。皆さん、どうもありがとうございました(拍手)。

 

左から、辻村伸雄、デイヴィッド・クリスチャン、孫岳

 

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デイヴィッド・クリスチャン/1946 年アメリカ生まれ。オックスフォード大学でPh.D.(ロシア史)を取得。1975 年からオーストラリアのマッコーリー大学で、2001 年から2008 年までアメリカのサンディエゴ州立大学で、教鞭をとる。現在は、マッコーリー大学教授および同大学ビッグヒストリー研究所所長。ビックバンから現代までの歴史を一望する「ビッグヒストリー」を提唱、マイクロソフト社創業者ビル・ゲイツとともに「ビッグヒストリー・プロジェクト」を立ち上げ、一躍注目を集める。2005 年、『Maps of Time』で世界歴史学会著作賞を受賞。2010〜2014年、国際ビッグヒストリー学会の初代会長をつとめる。おもな邦訳書に『ビッグヒストリー われわれはどこから来て、どこへ行くのか』(共著、明石書店)、『オリジン・ストーリー 138億年全史』(筑摩書房)などがある。

 

孫岳 スン・ユエ/1966年生まれ。中国・首都師範大学 教授。国際ビッグヒストリー学会 理事。2013年に中国語の史学誌『全球史評論』(Global History Review)にてビッグヒストリーの主要論者を集めた特集号を編さん。2014年にドイツ・ヤーコプス大学ブレーメンでドイツ初となるビッグヒストリーの講座を実施。近年は『オリジン・ストーリー』の他、フレット・スピール『ビッグヒストリーと人類の未来』(未邦訳)、ウィリアム・H・マクニール 『西洋の勃興』(未邦訳)などの中国語訳を手がける。

 

辻村伸雄 つじむら・のぶお/1982年、長崎生まれ。アジア・ビッグヒストリー学会 会長。国際ビッグヒストリー学会 理事。2016年より桜美林ビッグヒストリー・ムーブメント 相談役・ウェブマスター。2019年に桜美林大学・片山博文教授らとともに日本初となるビッグヒストリーの国際シンポジウムを実現。近著に「肉と口と狩りのビッグヒストリー――その起源から終焉まで」(『たぐい』Vol. 1、亜紀書房、2019年)。ビッグヒストリーの名づけ親であるデイヴィッド・クリスチャンの集大成となる最新刊『オリジン・ストーリー 138億年全史』(筑摩書房)の解説を担当。

 

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