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そこに「悪意」はあるのか?──いまアートに求められる戦略と狡知|小鷹拓郎インタビュー 1/3

世界中を旅しながら数々の映像作品を制作してきたアーティスト・小鷹拓郎。彼の作品はいつだって「嘘」を起点としていて、その作品制作の根底には「悪意」が漲っている。


 

小鷹拓郎の映像作品はいつだって「嘘」を起点にしていて、その作品の根底には「悪意」が潜んでいる。

しかし、そうした小鷹の作品に潜む「悪意」に、もし仮に道徳的に非難されるべきことがあるのだとしたら、それは、それが「悪意」であるということにおいてではなく、その「悪意」がまだ十分には足りていないかもしれない、という可能性においてだろう。

「いまの日本で作品を制作する上ではコンセプトシートが一枚では足りない」

そう小鷹拓郎は言う。あるいは、それは自分自身の過去の失敗に基づいた自戒の言葉でもある。

9月、「表現の不自由」をめぐって揺れ続けているアートシーン。すでにある不自由さをかいくぐり、本当の意味で「その後」へと向かうために必要なこととはなにか。筆者は、それは“狡知”であると考える。

小鷹拓郎と共に向かったタイの紛争地域の取材から約1ヶ月、あらためて小鷹拓郎のキャリアを振り返りながら、いま表現をする上で不可欠な戦略と狡知について、小鷹拓郎と語った。

(Text_Yosuke Tsuji)


 

 

テロの街に勃興したアートシーンを旅して

HZ 小鷹さんと初めて会ったのは2015年頃だったと思います。以来、何度か仕事を一緒にさせてもらっていますが、大抵、会って話すことといえば小鷹さんが海外で体験された強烈なエピソードなんかが中心で、アーティストとしての小鷹さんの作品制作などについて深い話をしたことはありませんでした。そこであらためて小鷹さんと向き合ってお話をしてみたいなと思い、急遽、ここ新宿の珈琲西武に呼びつけてしまったわけです(笑)

小鷹 いえいえ、どうぞよろしくお願いします。

HZ そもそも僕は小鷹さんの作品がとても好きなんです。特に小鷹さんのその人なつっこい笑顔に隠された作品制作上の悪意に魅力を感じていて(笑)。今日は是非そこについてじっくり聞いていきたいと思っているんですが、ただ、その本題に入る前に少しだけ、パタニーの話もしておきたいな、と。

小鷹 辻さん(インタビュアー)とパタニーを取材したのは、ちょうど1ヶ月前くらいですよね。楽しい旅でした。最終日には爆弾テロとニアミスして、あやうく死にかけたりもしましたが。

HZ そうでしたね(笑)。音源収録用に話すと、今年の7月末に僕らは写真家の千賀健史さんとともにタイ深南部の紛争地域・パタニーのアートシーンを取材したんです。その詳しい取材記事については9月20日発売のSTUDIO VOICE vol.415に掲載されるので是非お読みいただきたいんですが、記事に先行してざっくりとした旅の感想を言っておくと、まあ、色々な意味においてこれまでの価値観が覆された(笑)。あるいは、今まで僕がした旅の中では一番刺激的な旅だったかもしれません。

 

『STUDIO VOICE』vol.415

 

小鷹 間違いないです。僕はこれまで数十カ国、様々なエリアを旅してきましたが、パタニーにはかなり食らいました。おそらく、読者の方にとっては聞いたことない地名だと思うので補足的に説明しておきますが、パタニーはタイのイスラム教徒が多く暮らすエリアで、仏教徒がマジョリティのタイにおいては、やや特殊な地域なんです。歴史的にはもともとパタニー王朝という独立した国として存在していたんですが、18世紀の終わりにタイ王朝によって併合され、以来ずっとタイの王権との政治的な軋轢が続いています。90年代には恩赦政策などもあり、一時的に平和な状態が築かれましたが、15年ほど前より反政府テロが再び活発化し、以来、パタニー周辺では約3日に一度くらいのペースで爆弾テロが起こり、死者も多数出ている。ここらへんはSTUDIO VOICEに掲載されるハラ・シンタロウさんのインタビューに詳しいので是非お読みいただきたいですね。

HZ そうですね。僕もまた小鷹さんに話を聞くまでは、その街の存在すら知りませんでした。今回、実際に足を運んでみたわけですが、まず街の風景からして異様だった。街中の各所に軍の検問所が設置されていて、重装備の軍人が人々を監視している。そんなものものしさがある一方で、街の人々の暮らしはタイの他の地域と比較しても牧歌的。そのコントラストにとても不思議な感覚を覚えました。

今回の取材旅ではそんな「テロの街」に勃興したアートシーンを回ったわけですけど――評価の仕方はさまざまあるとは言え、パタニーのアーティストの作品の特徴は、なんといってもその極端なまでの政治性の強さでしょう(笑)。アートと政治を切り離して考えることはそもそも間違っているとは思いますが、そういう本質的にアートが宿している政治性というのではなく、もっと意図的で、露骨な、言ってしまえばチンチン丸出し的な政治性がパタニーアートにはありました(笑)

小鷹 僕も初めてパタニーアートを観たときはその政治性の強烈さにビビりました(笑)。そもそも僕がパタニーの存在を知ったのは、2017年にチェンマイで開催された「PATANI SEMASA」という、パタニーアートにとって初めてのパタニー外での展示会がきっかけだったんです。ちょうどその頃、僕はチェンマイに滞在していて、「とんでもない展示がやってるぞ」と知り合いのアーティストから噂を聞きつけ、開催場所であったMAIIAMというギャラリーに足を運びました。会場内には銃弾やら手榴弾やらをモチーフとしたザ・ポリティカルな作品が所狭しと並んでいて、しかもその展示方法がまた、なんとも田舎の町の書道展みたいな無骨さで(笑)。よく知られているようにタイは軍事政権で、表現の自由は著しく制限されているんですよね。基本的に政府批判的な表現はまず許されない。それなのに、パタニーのアーティストたちはものすごくダイレクトに政治的な表現をしていて……、ただただ衝撃的でしたね。

HZ その展覧会の後、小鷹さんはパタニーに実際に向かわれて、現地のアーティストたちと交流を持つようになったわけですよね。さらには彼らと一緒に「RE/FORM/ING PATANI」という国際展を企画し、また映像作品『POLITICAL PRANET X』も共同制作している。ここらへん、実に小鷹さんらしい動き方ですよね(笑)

小鷹 最初はおっかなびっくりでしたけどね。大使館からも渡航を止められているエリアでしたし、バンコクやチェンマイの知人たちは「あんなところ行ってはダメだ、危険だぞ」みたいに露骨に嫌悪感を示してましたから。ただ、実際に現地に行って彼らと会ってみると皆とても穏やかでいいヤツだったんです。僕は当初、彼らの作品を見て、政府との武力闘争も辞さないゴリゴリの革命戦士たちといったようなイメージを抱いていたんですが、実際の彼らはすごく冷静で、アーティストとしても戦略的でした。闇雲に政治性の強い作品を作っていたというわけではなかったんです。たとえば、彼らの作品はモチーフこそ過激ですが、一方で彼らは展示に際して作品タイトルやキャプションを一切置かないようにしていたりする。その作品のコンセプトなどについては来た人だけに口頭で伝えるようにしているんです。表現に関してすごく強かで、自分たちの立ち位置についてもよく考え抜いてるんですよ。

 

 

(小鷹の映像作品『POLITICAL PRANET X』より)

 

HZ 今回、一緒に取材させて頂いて、僕もそれを強く感じました。インタビューしていても、話が政治的に核心部分に至りそうになると、彼らはすぐ話を逸らすじゃないですか。言葉というものを非常に警戒している。おそらく、言葉というものが作品の意味やコンセプトを固定してしまうからだと思いますが。それに、パタニーの代表的なアーティストの一人であるJehabdulloh Jehsorhohなんかは、ダイレクトに政治的な表現をしている理由についても「そうでもしないと外の人たちに無視されるからだ」ということを語っていましたよね。

小鷹 そうそう。しかも、その意識をアーティストたちが皆、共有してるんです。あるいは、全てひっくるめて彼らの嘘かもしれないけど、それがつまりタクティクスということなんですよね。彼らには日本に生きる僕たち以上に「自由」がないわけで、その中で表現をする上ではどうしても戦術が必要になる。これはパタニーに限らず、タイの他の地域でも同じです。コンセプトを重層的に作り、カムフラージュしながら、重要なメッセージを表現しているんです。

 

 

(パタニーアートの国際展「RE/FORM/ING PATANI」の会場風景

 

HZ もし、そこの調整に失敗したらパタニーではそれこそ生死に関わりますしね。彼らは数世紀に渡る受難の歴史を生きてきていて、本音としては王朝や政府に対して強い反抗心を持っているわけです。だからこそテロが日常的に起こっているわけですが、アーティストたちの表現は一見すると非常に強い政治性を持っているものの、政府との対立においてはとても慎重に駆け引きしている。表層における大胆さと深層における強かさ。そうした二面性が印象的でした。

 

(パタニーのアーティスト・Muhammadsuriyee Masuのアトリエにて/撮影:小鷹拓郎

 

小鷹 実際に彼らの周辺でも公安が目を光らせていますから。それに、パタニーにはこの15年、本当にテロしかなかったわけで、アートにはそうした闘争とは違うものが託されているという部分もあると思います。パタニーは自然がすごい豊かじゃないですか。人々は互恵的だし、とても暮らしやすい。とはいえ、暮らしの中につねに闘争があるというのはやっぱり大変なことなんですよね。ここ15年は外の世界ともほぼ隔絶されていたわけです。

そんなテロしかなかったあの街にとって、アートは最近発見されたばかりの新しいチャンネルなんですよ。テロ以外の方法で外部と関わる手がかりというか。そして、実際にそれが外とのこれまでとは違う形の交流をパタニーにもたらしている。まさに僕らが取材に向かったのもその一環ですよね。

ただ、パタニーで興味深いと感じるのは、テロリストとアーティストがともに住民たちに支えられる形で存在していて、決して対立しているわけでもないというところなんですよね。下手すると、アーティストの中にもテロリストがいるかもしれない。そうと彼らは言いませんが、ある種の役割分担がなされているようにも見える。そこでいうと、僕たちが日本に帰国した時に騒動になっていた「あいちトリエンナーレ」の話などとは、「テロ、自由、アート」と要素的には非常に似ているんですけど、だいぶ趣きが異なるんですよね。

 

(パタニーのアーティスト・Anuwat Apimukmongkonの作品/撮影:小鷹拓郎

 

コンセプトシートは一枚では足りない

HZ そうですね(笑)。僕もパタニーのリアリティを引きずったまま日本で「あいちトリエンナーレ」の騒動に触れてしまったせいか、悪く言うと「日本はお花畑だな」と感じてしまいました。もちろん、あいトリの騒動には様々な問題が混在していて、不当な行政の介入だったり歴史修正主義であったりを含めて批判しなければならないことは多いのですが、どこか全体的な議論の方向として「正しさを主張することこそが大事」みたいな甘さを感じたのも事実です。

小鷹 分かります(笑)。パタニーやタイの状況からすると、それってすごくリアリティがないんですよね。

HZ そう。「正しさ」や理念は言わずもがな大事なわけですけど、理念先行でこれこそが「正しさ」なんだと主張しながら負けてしまったとしたら、結果、その「正しさ」は後退してしまう。それって逆に正しくないんじゃないの、と。ただ、僕は参加アーティストたちの動きは冷静だし、戦略的だなと感じて見てましたよ。ディレクションやキュレーションなど、内側の問題点にメスを入れて態勢を立て直す、あるいはそのような態度を積極的にアピールしていく、というのはまさにタクティカルでしょう。逆に彼らのそうした冷静さを内向きだとか、社会との距離がどうのと言って「Jアート」と揶揄するような態度にこそ日本の閉鎖性を感じましたね。ああ、正しさを声高に主張さえできれば負け戦でもいいんだ、あいかわらず意識は神風特攻隊なんだ、と。……話がだいぶ逸れてしまいましたが(笑)

小鷹 たしかに、理念としての正しさと戦略としての是非というのは別軸で考えなきゃいけませんよね。僕もあいちトリエンナーレの参加作家である毒山凡太郎さんや加藤翼さん、村山悟郎さんらの一連のアクション、アーティスト・ラン・スペースの立ち上げなどは、アーティストとして絶対的に正しいと思っています。あの局面で対立を際立たせることが、ポジティブな意味を持つとは思えない。もちろん、直接的なカウンターをしていく人たちはカッコいいし、そういう立場のアーティストのことも尊敬はしています。ただ、アーティストが自ら対話というチャンネルを手放してしまうのは、やっぱり違うなと僕も思いますね。

 

(アーティスト・ラン・スペース「サナトリウム」/画像提供:村山悟郎)

 

それこそタクシン政権下だった頃のタイにおいては政治的な対話の場自体がものすごく規制されていたんです。黄色派と赤派の対立が激化する中、公安も目を光らせていたことから、日常においても迂闊に政治的な話なんてできなかった。そんな中、僕の友人であるスラチェというアーティストはなんとか政治的な対話の場を作るべく「WIN WIN 1Km Project」というプロジェクトを起こしたんです。これは、アーティスト数名がバイクタクシーのドライバーとなり、街中で「0円で乗せますよ」とお客さんを集め、実際に乗せるというもので、表面的なコンセプトとしてはそこまで。ただ、隠れた本当のコンセプトは、そこに乗ってきたお客さんと走行中に政治的な対話をするというものなんです。アーティストは基本的に反タクシン派が多いんですが、乗客の中には当然タクシン派の人もいて、そういう人たちの声にもきちんと耳を傾けていった。そして、その様子を撮影して音声を消した状態で作品化したんです。

HZ バイクの上なら盗聴もされないし、話していても怪しまれないし……、なるほど。

小鷹 そうそう。ようするに、コンセプトが二重になっているんですよね。彼らにとって対話をする自由というのは、そうしたトリックを使いでもしないと守ることができないものだったんです。また彼らにとってはそうした対話の場を作るということ自体が極めて政治的なアクションでもあった。スラチェの他にもカップケーキパーティーや鍋パーティーという名目で人を集めて、実は政治的な討論をするというプログラムを行なっているアーティストもいました。当時のタイ国内の分断は本当に深刻で、だからこそまず対話が求められたんです。あいちトリエンナーレでアーティストたちが起こしたアーティスト・ラン・スペースも、その線上にあるプロジェクトだと僕は見てますね。

HZ そもそも今回の騒動で巻き起こった議論を見ていると、政治とアートが別のものだとされ、あたかもそれらが対立するものかのように語られているフシもある。僕はそこにも違和感があったんです。僕は8月にキュレーターの長谷川新さんらとマニラも取材してきたんですが、フィリピンもまたドゥテルテ政権発足以降、人権問題が非常に大きな問題となっていて、また経済的な格差も日本など比にならないレベルで激しく、アーティストたちもそうした社会問題を強く意識していました。ただし、やっぱり表現においては極めて戦略的なんです。直接的で分かりやすい政治的アプローチをすることも当然あるけど、政権を本気にさせて一気に潰されてしまっては元も子もない。ラインは必ず見極めてる。

とりわけターニャ・ヴィリャヌエヴァというシングルマザーのアーティストが語っていた「死なないで生きていくためのアート」という言葉が非常に印象的でしたね。彼女の作品はとても女性的で、また日々の暮らしに根ざしたものでもあり、一見すると政治的な匂いはまるでしない。ただ、だからこそ強烈なまでに政治的なんです。人権弾圧や激しい経済格差などさまざまな問題を抱えた苦しい環境において、アートとは生きるためのアート(技術)でなければならないと語る彼女のリアリティは、ちょっと感動的ですらありました。

もちろん、それぞれの国にそれぞれの環境というものがあり、日本はタイやフィリピンに比べて、ある部分においてはまだ自由があると言えますけど、状況としては大差はなくなりつつあるとも感じます。パタニーの現実はそれほど遠い話でもないんですよね。現実の不正を直接的な闘争によって是正することは当然に必要ですが、それだけでは少し素朴すぎる。少なくとも、今の局面においては不十分さを感じる。もちろん、アートに限らず、僕がいるメディアの世界も同じですが、表現に携わる人はもっと“狡知”を持たなければならないと自戒を込めて感じます。

小鷹 同感です。日本ではまだアートは正義というイメージが強くて、これが様々な混乱を招いている気がします。でもパタニーアートの場合なんかはタイの他の地域からすると正義じゃない。テロとも結びついた「悪」に他ならないんです。パタニーのアーティストたちやパタニーの住民がテロリストを悪くいうことってなかったじゃないですか。彼らは自分たちが「悪」として見られていることを踏まえた上で戦略を立ててるんですよ。

 

(パタニーのアーティストたちと共に/画像提供:小鷹拓郎

 

僕も日本の表現者として数多くの失敗を重ねてきた身なので決して他人事ではないんですが、日本ではキュレーターもギャラリストも「表現の自由」という大正義のもとで話を進めているところがありますよね。ただ、それがいかに重要な正義であってもアートに興味がない人からすれば「またアートが変なことをやってるよ」なんです。あまりにも乖離してる。この乖離を無視したり、あるいは理解してくれない人をモンスター化してしまったりするのは、危険だと思いますね。

HZ 小鷹さんの場合は「経験者は語る」ですしね(笑)

小鷹 はい(笑)。特に2010年代は僕は自分の作品によって様々なトラブルを起こしてしまいましたから。実際、そのせいでものすごい苦労もしました。日本の場合は、上からの検閲というより、下からの検閲の方が強く、むしろ下からの検閲を上が利用している感じがあるじゃないですか。当初、自分がトラブルを起こしてしまった時、心の中では「表現の自由があるはずなのに」みたいにも思ったところはありましたよ。でも、そう思っていたところでこの状況は変えられないんです。特にSNSが浸透して以降の変化は本当に大きいと思います。

僕は表現の根底に悪意があるタイプですから、まっすぐにやりたい表現をすれば右とか左とか関係なく集中砲火を浴びかねない。それこそ「Jアート」だと言われて、吊し上げられてしまう。「何言われたっていい」というのも個人的にはあります。ただ一方で、炎上を起こして表現を潰されたりしてしまったら、嫌な前例を積み重ねることにもなってしまうわけで。やっぱり時代に合わせてアーティストも変化していかなきゃいけないとは思うんです。

でも、そこで炎上を回避するために悪意を捨て去ってお行儀のいい作品を作るか、と言ったら違う。それだとただの萎縮になってしまう。そうじゃなく、もっと作品のコンセプトを多層化させていく必要があると感じたんです。今の日本で作品を作る場合、コンセプトシートが1枚だけでは足りないんだ、と。少なくとも、僕がやりたいようなことに関しては。

HZ あるいは「今まで以上に悪意が必要になった」とも言えそうですね。とても面白い。ところで、枕程度にパタニーの話をしようかと思っていたら、あいちトリエンナーレへと話が飛び火して、思いの外、長々と話してしまいました。ここからは、小鷹さんがどうしてそのように思うに至ったのか、小鷹さんのこれまでのキャリアと、その煮えたぎる悪意について、話を聞いていきたいと思います(笑)

 

小鷹拓郎インタビュー②を読む>>

 


 

小鷹拓郎 こたか・たくろう/1984年、埼玉生まれ。アーティスト。これまでアフリカ、中東、アジア、欧米で映像作品を発表。2017年からの一年間はタイに渡り、軍事政権下における芸術表現をリサーチ。タイ深南部ではテロリストと宇宙人を置き換えたSF映画をイスラム教徒たちと共同制作。2019年10月からは一年間インドネシアで活動予定。

 


9月26日(木)表現規制をかいくぐれ!小鷹拓郎トークショー STUDIO VOICE vol.415「次代のアジアへ」リリース記念イベント開催決定@高円寺Pundit’_

 


 

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