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大島托 『失われた“紋”を求めて──1ミリ向こうの古代』 インド中央部に暮らすバイガ女性たちの全身タトゥー❷

タトゥー・アーティスト大島托が世界中の「タトゥー」を追い求めた旅の記録。書籍化された『一滴の黒』に続く、現在進行形の新章。

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カレーは全て美味い

 ツレのタマキがさっそくマンガラに彫ってもらうことになった。

 バイガ族のデザインは、こうしたコンベンションの限られた時間で入れるのはだいぶ無理があるボリュームなので、マングラのもう一つの得意領域である「ゴダナ」のワンポイントを入れることにしたようだ。

 

タトゥーの入ったバイガの女性

photo by Maki Ohkojima

 

 ゴダナとはタトゥーを表すヒンディー語だ。だから要はタトゥーそのものなわけだが、これは何百年、何千年とインド亜大陸でファッションとして楽しまれてきたタトゥー文化なのだ。そしてそれだけの歴史を持ちながらも、特定の部族、民族のトライバルタトゥーということではなく、もっと巨大な文化圏全体で共有されているタトゥーなのだ。つまりはとても長い歴史を有する現代タトゥーなのだとも言える。

 が、いちおうインド人としては、なんとなーく、最近入ってきて流行っているのがタトゥーで、今まで既にあったものがゴダナ、なんて呼び分けしているようだ。

 このへんの感覚は、僕の親世代が、東京や大阪の若者が入れているワンポイントのやつをタトゥー、映画で高倉健の背中に入っているのをイレズミ、などと呼び分けていたセンスと全く同じだと思う。

 ゴダナのデザインは小さなワンポイントデザインが多く、ジュエリーやその他の装飾品のような美しい形にまとまっているものがよく見られる。

 考古学的研究によれば、今日のインド地域に見られる宝飾品のデザインは、もともとはこうしたゴダナデザインから直接の影響を受けているようだ。つまりゴダナの方がオリジナルで、女性のオシャレ文化としては先輩格なのだ。その後、徐々にインド社会が物質的に豊かになってくるにつれて、都市部の裕福な人々を中心に宝石や貴金属の装飾品が広まってきた。褐色の肌に金製品が鮮やかに映えるのはご存知の通りだ。そしてさらに、さまざまなジュエリーを取っ替え引っ替えして変化を愉しむようになってくると、ゴダナの不可逆性がかえって邪魔になってもきたのだ。

 こうしてゴダナは今日、都市部よりも田舎の地域で多く見られるものとなっている。

 ぶらぶら散策しながら、会場を訪れているインド人のお客さんたちに話しかけてみた。皆んな現代タトゥーをカッコいい、キレイ、というふうに素直に見ているようだ。ラッパーやスケーターのコンテストも同時に開かれているから、バッドボーイカルチャーの雰囲気もあるのかなと思っていたが、拍子抜けするほどホンワカしていてまったく悪ぶった感じはない。職業もエンジニア、学生、教師、医師、など偏りない社会人たちだ。

 さらに、ごく一般的なインド人家庭でのタトゥーに関する空気感をもっと深掘りしたかったので、親や祖父母の反応なども聞いてみたが、日本や欧米などの年配の保守層に見られる、タトゥーをヤクザやギャングと結びつけるような発想は皆無だった。ただ、田舎の貧乏人の趣味と思ってる裕福な親御さんは一定数いるようで、それはゴダナの実際の分布状況とも合致するようだ。

 会場のセンター辺りには、大きなスペースを有するタトゥーイング専門学校の総アクリル張りのブースがあって、10人ほどの生徒たちが真剣に実作中だった。皆んなモノトーンの写実的な作品に取り組んでいる。リアリスティックな描写力を見せることがテクニックを証明する分かりやすい手段ということなのだろう。僕はタトゥーコンテストの審査員を会期中ずっとやっていたのだが、この傾向は各カテゴリーのエントリー作品にも共通して見られた。おそらくこれは、リアルな表現を可能とするタトゥーが現代タトゥーなのだ、という感覚をインドのマーケットが強く持っていることを表しているのだ。そしてもちろんそれはゴダナという、写実性とは無関係なタトゥーの文化がもともとのベースにあることとの比較によるのだろう。

 だからインドにこのたび入ってきた現代タトゥーというモノは、目新しいコンテンツということではなくて、既存のそれのアップデートぐらいのもの、ということなのかもしれない。

 マンガラは裁縫用の縫い針をザラっと箱から取り出して、何本か軽く束ねて針先の形を好みの感じに整えていき、ベストのフォームになったところで糸で本格的にガッチリ固めていた。そしてその上から針束のケツの部分に布片を丸めたボールを取り付けて、指先でグリップしやすいようにしている。

 

マンガラの針 

photo by Maki Ohkojima

 

 鉄の針が手に入らない時代は植物のトゲが針だったという。彼女はこれまでは多くの他のトライバル彫師と同様に、使った針束はアルコールで洗うだけでまた使用していたそうだが、この度は現代マーケットに適応するために客ごとに新品の針を準備することにしたとのことだった。その分のコストをギャラに上乗せすればいいだけの話なので、これを機にこれからも続けたら良いと思う。今後、欧米人客を相手にするなら必須条件なのだし。

 インクは植物の種をすり潰して採った黒い汁だった。これはとても珍しい。マンガラは、煤から作られる一般的な黒インクよりもこっちの種汁に今でも信頼を置いている。健康上の利点があるという。アユルヴェーダ医学みたいなものだろうか。

 タマキの臍下にハンドポーク手法で彫られたゴダナは当日はやや褐色だったのだが、不思議なことに翌日には変化して黒くなっていた。僕らの使っている通常の黒インクではこういうことは起こらない。

 マンガラは当初、自分のやっているバイガタトゥーやゴダナを、域外の人が、それも他の州のインド人どころか、遠く離れた他の国の人たちが入れたがるものなのだろうかと懐疑的だったらしい。というのも地元の商売すらも最近は縮小気味だったからだ。でも蓋を開けてみたらこの大盛況だ。いろいろな海外のタトゥーイストたちが彼女にタトゥーを彫ってもらいにブースを訪れていた。彼女も我々タトゥーイストのコミュニティのそういうノリが分かったみたいで、最終日には自らもいろんなブースを訪ねてさまざまなタトゥーを楽しそうに彫ってもらっていた。ヨーロッパにも出張してみたいか聞いてみたら、ぜひやってみたいけどお金がない、と言っていた。まあ、コネクションはたくさん出来たようだし、そのへんはこれからどうにか回っていくんじゃないかなと僕は思う。もっとエアチケットが安くなってきたら、日本に呼んで各地のツアーをアレンジしても面白そうだ。

 今回のミッションとしてはとりあえず上々の進捗だ。

 残るミッションは高級カレーだけなのだが、これがなかなかどうして苦戦していた。グルメ情報などを検索したりしているのだが、カレー店が見当たらないのだ。ひょっとして僕はカレーの中に深く入り込み過ぎて、カレーというものがかえって見えなくなっているのだろうか。

 そもそも「美味いカレー」が存在するためには、相対的に「不味いカレー」の存在が不可欠なわけだが、カレーが不味かったことなど僕の記憶の限りではかつて一度たりともないのだ、などとインド的思索に耽る。

 

        

交換文身

 会場の外の喫煙エリアあたりは常にたくさんの人が集まっている。タトゥーイストやタトゥーファンは国籍を問わずスモーカーが多い。

 その中でもひときわ賑やかな67人の若いグループがいて、知り合いも混じっているようなので話しかけてみると、皆んなゴアで活動してるタトゥーイストたちだった。イタリア、ネパール、コロンビア、イギリス、モルディブ、オーストラリア、インド。現役バキバキのパーティーフリークスだ。どうりで騒がしいわけだ。一月半ばと言えばトップシーズンで、仕事も遊びもピークなのに向こうを留守にしちゃっていいのか?と聞けば、ウソかホントか知らないが、皆んな僕を見に来たのだと言う。僕もゴアのチャポラで94年にタトゥーを始めたんだと言えば、イェーイもちろん知ってるぜー!みたいに盛り上がってる。ホンマかいな。可愛いやつらだ。

 1人ずつインスタを見せてもらうと、皆んなトライバル系ブラックワークを得意にしてる。ホントに僕の直系の後輩たちのようだった。しかも皆んな5万人ぐらいのフォロワーを抱えている。このジャンルの規模でいえば世界のトップアーティストということだ。可愛いどころか、そうとうエグい実力派ぞろいだ。

 今のゴアはとんでもなくレベルが高いようだ。

 彼らの作風は、ハンキーパンキー親分の呼ぶところの「ベルベル状」というやつだ。太めの線の集合でジュエリーやテキスタイルみたいな画面を構成する洒落たスタイルだ。もともとこの手のトライバルタトゥーは世界中で広く見られるもので、必ずしもある地域から他の地域への伝播に頼らずとも、それぞれに自然発生し得るぐらいの普遍性を備えているのではないかと僕は考えている。そしてこれらは主に女性の美の娯楽の色彩が強いトライバルタトゥー文化だったのだ。

 この10年、欧米タトゥーシーンでは女性客の激増とともに、これらのタトゥーデザイン群が脚光を浴びることとなり、そのスタイルは年々枝葉を広げ洗練の度合いを深めてきている。

 そういう流れを踏まえてあらためて考えてみると、マンガラの手掛けているバイガのパターンやゴダナもまたそうした女性の装飾タトゥーの確かな一員であるわけで、アピールするにはとても旬なタイミングを迎えているということなのだ。番組内で僕は、外国人客で20年凌げばインド人客が来るという予想を立てたが、あるいはそれはもっと早く起こることなのかもしれない。

 ゴアグループの中の1人、スワスティクもまた、そういうベルベル状デザインの一種である南インドのコーラムデザインに特化したタトゥーイストで、最近はユニークなパターンの全身作品などでトライバル業界の注目を集めている新星だ。彼女は10歳までをマドラス、ヴァラナシなどインドで過ごし、それ以降はイギリス、オーストラリアに移住。祖母は南インド、カルナータカ州の現役のゴダナ彫師だ。

 冒頭の番組内で僕は、インド各地のトライバルタトゥー彫師のところに売れっ子現代タトゥーイストを派遣することを提案したのだが、それを受けて実際に現地を廻っているのが、その時の共演者の1人でもあったスワスティクだったのだ。その経歴と才能の特別さを考えると、10頭身のインド版バービー人形のような彼女がインドのトライバルタトゥーシーンにおける「カーリーマー(黒い母)」になるのは因果律の必然だったと思う。インド人の言うところのカルマなのだ。

 そんな縁があったので、僕らは互いにタトゥーをプレゼントし合うことなった。

 僕は施術ベッドに仰向けに寝て、頭をベッドの外まで出して顎を反らした姿勢で、喉元あたりにコーラムデザインを彫ってもらうことにした。決してオッパイで頭を挟み込まれたいからこの部位にしたわけではないが、結果として挟み込まれてしまったからには正直とても心地良い。母に抱かれている気分だと伝える。

「あなただってベイビークリシュナみたいに可愛いわよ。」

 股間がガネーシャにならないように気をつけよう。

 僕の隣のブースにはシルバージュエリー「fangophilia 」のアーティストのタロー君が出展していた。彼は元歯科医師としての型取りの技術を使った、歯や耳などへの身体装着タイプのジュエリーを作っていて、その前衛&独創性で非常に高い評価を得ている。顧客層は各国のファッション誌のモデル撮影チームや、マリリン・マンソンやレディー・ガガなどをはじめとする芸能人だ。

 突然何かモノモノしい空気が会場入り口あたりからこちらに向かって迫ってきた。ざわめく人々。鋭く牽制するような声。皆んな写真を撮っている。その群衆の中央には6人のゴツい黒スーツのボディーガードに守られた背の高い女性がいるようだ。僕は視界が逆さま状態で寝ているので定かではないのだが、おそらくはかなりの美人だ。後でインド人客に聞いたら凄く有名なボリウッド女優ということだった。お父さんはさらなる大物で、インドを代表する俳優とかなんとか。それがタロー君のブースに来てジュエリーのサンプルを見ている。昨日も見に来ていた女性スタイリストの案内らしい。fangophilia は個別の型取り作業が必須なので、誰かに買って来てもらったり、ネットで注文したりは出来ず、こうして本人とタロー君が直接セッションすることからしか始まらないのだ。そして、ジュエリーそのものはお手頃価格だが、東京の外、特に海外からのオーダーに関しては自分自身か彼の交通費、宿泊費がそこにプラスされることを考えると一般人にはかなりハードルが高い。やはり海外セレブ御用達のイメージが強い。

 ちなみにうちの逆サイドのブースでは、なんと、さっきまであんなに寡黙だったバイガ族の踊り手たちやマンガラが、ボリウッド女優に向かって嬌声を上げ、手を叩きながら飛び跳ねて喜んでいるではないか。初日の自分たちのステージよりもよっぽど勢いがある。これも逆さま風景なので定かではないのだが、皆んな最高に幸せな表情をしているようで、どうやら根っからのミーハーのようだった。この勢いで自分たちもfangophilia のジュエリーをオーダーして村で着けてたらウケるよな、などとほくそ笑む。何はともあれ、めでたいことだ。

 施術の休憩中に、昨日少し会話したタトゥー専門学校の校長が「ポーハ」という軽食を差し入れてくれた。これがまた、やたらと旨い。何だこれ。コメのフレークをターメリックと一緒に黄色くフワフワに炊いたものに、みじん切りのタマネギとピーナッツをざっくり大量にかけたカレーピラフのような料理だった。調味料は好みで砂糖とかチリとかいろいろ合わせるみたいだ。それをビニール袋に入れてシャカシャカ振って混ぜ合わせてからいただく。軽い食感。いくらでもいけそうだ。最近はこんなものが出てきたのかー、なんて感心していると、昔からムンバイの朝食の定番だよと言われた。昔も昔、7000年前からあるらしい。英雄クリシュナの好物だったとか。そんなポピュラーなメニューに食いしん坊万歳の僕が今まで一度もかすらなかったというのか。そんなことがはたしてありえるのか。

 翌日朝、家族と一緒に商店街の屋台でポーハを頼んだらすぐに出てきた。

「何これ、めっちゃ美味い!」

 棚ぼた的にミッションコンプリート。

 やっぱりインドの美味は10ルピーなのだ。

 

タトゥーの入ったバイガの女性

photo by Maki Ohkojima

 

 

 

〈INFORMATION〉

『一滴の黒』大島托 著(ケンエレブックス 刊)

https://books.kenelephant.co.jp/products/9784910315157

日本を代表するタトゥーアーティスト・大島托が、トライバルタトゥーをめぐるリアルな習俗と歴史、そして現在を描き出す旅の記録。全国書店にて発売中。

 

 

〈MULTIVERSE〉

「レオ・ベルサーニをめぐって 」──クィアが「ダーク」であること──|檜垣立哉

「ゴシックからブラックへ、アフロ・マニエリスムの誘惑」── “暗黒批評”家が紡いだ異貌の黒人音楽史|後藤護インタビュー

「死と刺青と悟りの人類学──なぜアニミズムは遠ざけられるのか」|奥野克巳 × 大島托

「聴こえざるを聴き、見えざるを見る」|清水高志×松岡正剛

「あるキタキツネの晴れやかなる死」──映画『チロンヌㇷ゚カムイ イオマンテ』が記録した幻の神送り|北村皆雄×豊川容子×コムアイ

「パンク」とは何か? ──反権威、自主管理、直接行動によって、自分の居場所を作る革命|『Punk! The Revolution of Everyday Life』展主宰・川上幸之介インタビュー

「現代魔女たちは灰色の大地で踊る」──「思想」ではなく「まじない」のアクティビズム|磐樹炙弦 × 円香

「生死観」としての有機農業 ──エチオピアで学んだ生の豊穣|松下明弘

「病とは治療するものにあらず」 ──全生を説いた体育家・野口晴哉の思想と実践

「俺たちはグレーな壁を生き返らせているんだ」──1人の日本人がまなざしたブラジルのストリート|阿部航太×松下徹

「BABU伝」 ──北九州の聖なるゴミ|辻陽介

「汝はいかにして“縄文族”になりしや」──《JOMON TRIBE》外伝

「土へと堕落せよ」 ──育て、殺め、喰らう里山人の甘美なる背徳生活|東千茅との対話

「今、戦略的に“自閉”すること」──水平的な横の関係を確保した上でちょっとだけ垂直的に立つ|精神科医・松本卓也インタビュー

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「Why Brexit?」──ブレグジットは失われた英国カルチャーを蘇生するか|DJ Marbo × 幌村菜生

「あいちトリエンナーレ2019」を記憶すること|参加アーティスト・村山悟郎のの視点

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「Floating away」精神科医・遠迫憲英と現代魔術実践家のBangi vanz Abdulのに西海岸紀行

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「僕たちは多文化主義から多自然主義へと向かわなければならない」奥野克巳に訊く“人類学の静かなる革命”

「私の子だからって私だけが面倒を見る必要ないよね?」 エチオピアの農村を支える基盤的コミュニズムと自治の精神|松村圭一郎インタビュー

「タトゥー文化の復活は、先住民族を分断、支配、一掃しようとしていた植民地支配から、身体を取り戻す手段」タトゥー人類学者ラース・クルタクが語る

「子どもではなく類縁関係をつくろう」サイボーグ、伴侶種、堆肥体、クトゥルー新世|ダナ・ハラウェイが次なる千年紀に向けて語る

「バッドテイスト生存戦略会議」ヌケメ×HOUXO QUE×村山悟郎

「世界ではなぜいま伝統的タトゥーが復興しようとしているのか」台湾、琉球、アイヌの文身をめぐって|大島托×山本芳美

「芦原伸『ラストカムイ』を読んで」──砂澤ビッキと「二つの風」|辻陽介

「死者数ばかりが伝えられるコロナ禍と災害の「数の暴力装置」としての《地獄の門》」現代美術家・馬嘉豪(マ・ジャホウ)に聞く

「21世紀の〈顔貌〉はマトリクスをたゆたう」 ──機械のまなざしと顔の呪術性|山川冬樹 × 村山悟郎

「ある詩人の履歴書」(火舌詩集 Ⅰ 『HARD BOILED MOON』より)|曽根賢

「新町炎上、その後」──沖縄の旧赤線地帯にアートギャラリーをつくった男|津波典泰

「蓮の糸は、此岸と彼岸を結い、新たなる神話を編む」──ハチスノイトが言葉を歌わない理由|桜美林大学ビッグヒストリー講座ゲスト講義

「巨大な夢が繁茂するシュアール族の森で──複数の世界線を生きる」|太田光海 × 清水高志

「反・衛生パスポートのための準備運動──連帯主義と生-資本に抗する」|西迫大祐×塚原東吾

『ごきげんよう、ヒドラちゃん』|逆卷しとね

「HOW TO SCAN THE WORLD 」── 世界をくまなく、そして注意深く、「見る」「触れる」「遊ぶ」|BIEN × 石毛健太 × 髙木遊

 

 

PROFILE

大島托 おおしま・たく/1970年、福岡県出身。タトゥースタジオ「APOCARIPT」主催。黒一色の文様を刻むトライバル・タトゥーおよびブラックワークを専門とする。世界各地に残る民族タトゥーを現地に赴いてリサーチし、現代的なタトゥーデザインに取り入れている。2016年よりジャーナリストのケロッピー前田と共に縄文時代の文身を現代に創造的に復興するプロジェクト「JOMON TRIBE」を始動。著書に『一滴の黒』(ケンエレブックス)。【APOCARIPT】http://www.apocaript.com/index.html