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大島托 『失われた“紋”を求めて──1ミリ向こうの古代』 インド中央部に暮らすバイガ女性たちの全身タトゥー❶

タトゥー・アーティスト大島托が世界中の「タトゥー」を追い求めた旅の記録。書籍化された『一滴の黒』に続く、現在進行形の新章。

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10ルピーの香味

 クラクションもけたたましく土煙を上げて行き交う車やオートリクシャーの流れを、避けるともなく避けながら通りを横切る。人がいきなり飛び出してくることを前提として運転しているので、見た目の喧騒ほど危険ではない。

 リクシャーとバイクの客待ちエリアにはだいたいチャイ屋がある。こんな朝っぱらから開いてるのはこの手のチャイ屋だけだ。

 店の前のバニヤンツリーの根本を囲う石垣の上に腰かけて、チャイを飲む。砂糖もジンジャーもミルクも茶も全てがとても濃い。そしてグラスはとても小さい。この変わらぬ感じに気分がとても落ち着く。遠くの湖畔には昇る朝日に向かってヨガをする人々。隣に座ってるドライバーが話しかけてきた。

「その顔の模様はタトゥーなの?」

 そうだよ。僕の国では昔は皆んなこれを入れてたんだ。今じゃ僕だけみたいなんだけどさ。

 チャイ屋がパコラ(天ぷら)を揚げはじめる。ジャガイモをマッシュドしたやつをオクラと混ぜて練り上げたピンポン球大のボールだ。

 プリプリプリプリプリプリ

 たちまち辺りに良い香りが漂う。これをいただかない手はちょっとないだろう。

 ちょっと竪穴式みたいに路面より下がった薄暗い店内に入って、揚げたてのパコラを焼きたてのパンで挟み、グリーンチリソースをドップリかけていただく。正直、毎日これでいいなと思う旨さだ。

 10ルピー(16)。物価はそれほど上がってないようだ。

 オンデマンド配信の生放送番組「All about tattoo India 」というところから声がかかって出演したのは2022年の春のことだったか。

 

生きたトライバルタトゥー

 ヨーロッパやオセアニアなど世界で活躍しているインド人タトゥーイストとインド国内のタトゥーインフルエンサー芸能人を集めたzoom形式の討論番組で、その回のお題は、インドのトライバルタトゥー文化、だった。そこにニュージーランドのマオリ族のトゥ(トゥルマキナ)と日本の僕は外部からトライバルタトゥー専門家パネリストとして呼ばれたのだ。トゥは、今やニュージーランドでは大臣やニュースキャスターや警官までもが入れているマオリのトライバルタトゥーのモコのリバイバル運動の初期からの変遷をざっとおさらいするような話を(したと思う)。僕は日本の和彫りやタトゥー裁判のことに触れつつ、沖縄のハジチ、アイヌのシヌイェのリバイバル、そしてネオトライバルタトゥーの新たな試みである縄文タトゥーの近況報告をした。ちなみに僕はトゥの、いくつかの単語をまとめて、気合いを入れるように下っ腹から一気に吐き出す発音を聴き取るのが昔から苦手で、この時も実は何がなんだかサッパリだったのだ。

 インドではここ最近、都市部の若者を中心に現代タトゥーが流行し始めているそうで、アメリカントラディショナル、和彫り、リアリスティックなどのさまざまなジャンルが一気になだれ込むようにして活況を呈しているようだ。和彫りのインド人。隔世の感がありまくる絵面だ。シュールな音楽の曲名とかに良さそうな響きもある。

 番組ではインド各地の田舎に今なお細々とではあるが存続しているいくつかの少数民族のトライバルタトゥーを取り上げて、その現代的な意義を再検討する話し合いが行われた。今日、世界の現代タトゥーマーケットではそれぞれの地域のトライバルタトゥーのリバイバルが進んでいるのだが、その多くはすでに一度滅びている文化を現代向けに再構成する性質のものとなっている。一方でインドという巨大な国の中にはまだそれが生きた文化として残っている地域があるのだ。そういう状況の国に現代タトゥーのブームが今来ているのだ。そして海外にまで進出した凄腕のインド人タトゥーイストたちは、自国内にトライバルタトゥーがまだ生き残っているという事実が世界的に見たらとんでもない「お宝」だという視点をすでに獲得しているのだ。

 それらのトライバルタトゥーの多くは交通アクセスもかなり不自由な田舎の自給自足コミュニティにある場合が多いのだが、インドの都市部の拡大は年々進んでおり、その経済圏が近づくごとに村独自の文化は薄れてきているという現状がある。金になる仕事や、教育、娯楽を求めて若者たちが都会に出ていけば村が過疎化するのは日本も同じだ。僻地にまでもスマホが普及して情報化が進んでいる現在、その流れ自体を止めることは誰にも出来ない。そこで我々に出来ることは何なのだろうか、ということなのだ。

 村人がいなくなるということは、代々受け継いできた伝統習俗としてのタトゥーは継続出来なくなるということだ。それは不可避だからまあ残念がってばかりいても仕方ない。ならばその技術とデザイン体系の魅力を宣伝すれば街のインド人たちが入れに来るだろうか? いや、いきなりそうはならないだろうと僕は思う。こういうのは段階を重ねる必要があるのだ。技術やデザインを保存するなら、まず現在そこに価値を感じている欧米諸国のマニアたちが当地にスムーズに入れるような導線を明示することが先決だ。推奨できる優良ガイド、ドライバー、宿泊施設のピックアップと宣伝。同時に村の中での食事や宿泊の体制も整えていく。施術の衛生レベルやインターネットを介したスタジオのマネージメントも一流の現代タトゥーイストに監修してもらう。そしてインドの大都市で開かれるインターナショナル規模のタトゥーコンベンションに、インドのトライバルタトゥーのブースを出して世界の客たちに向けたアクションを実際に起こすのだ。そうすれば当地の彫師はとりあえずは生き残れるだろう。経済格差を考えると欧米プライスでギャラを得ることが出来るのなら、一カ月に外国人客1人のペースだとしてもインドの田舎ではそれなりに生活を回していけるはずだ。そうやって技を錆びつかせずに凌いでいれば、20年後ぐらいには経済超大国となったインドで「インド人としての誇り」をタトゥーに求める風潮が出てきて、古代から連綿と繋いできた文化が高く再評価される時が来ると僕はイメージする。

 別に全く大した内容でもないのだが、夢中で唾を飛ばしながらしゃべりすぎて、いつのまにかヒトラーの演説を真似たチャップリンみたいな動きになってしまっていたと思う。これが老害というやつの実態だ。

 前歯のない赤ん坊のような顔で無邪気に笑っていた番組プロデューサーのアンドレは、実はかなりのやり手だった。僕の提案のほとんどはすぐに形となり、1年後にはインドのトライバルタトゥーの中の一つであるバイガを前面にフィーチャーするインターナショナルタトゥーコンベンションが、多くの企業のスポンサードによって大々的に行われる手筈が整ったのだ。場所はインド最大の商業都市ムンバイの国際展示場だ。スケーター、ブレイクダンサー、ラッパー、ヒューマンビートボックス、DJ、グラフィティー、カスタムハーレー、といったインドではまだ新興のサブカルチャーのコンテストイベントも一緒にセットされている。スゲェ、の一言だ。

 

タトゥーの入ったバイガの女性

photo by Maki Ohkojima

 

 言い出しっぺの僕がこれに参加しないという選択肢はもちろんない。

 が、息子とツレも一緒に行くという。いわく、

「美味いカレーが食べたい」

 チケット代トータル30万円の超高級カレーだ。

 これで、コンベンションでどんなにシャカリキに頑張って仕事したとしても黒字で日本に帰れる目処はない。でもまあ、僕が若い頃にさんざん世話になったインドという場所を息子に見せておくのは悪くないかもしれない。

 現地のホテルのロビーでトゥに会ったので、その話をした。

「うちは子供8人だからいつも単身赴任だ。バッハッハッ!」

 18人か80人の可能性もあるが、いずれにせよ凄い数字だ。

 

デカン高原を旅する彫師の一族

 銅鑼と太鼓の、激しくもグルーヴィーな演奏でコンベンションの幕が上がった。インド人は太鼓が大好きだ。出展者、お客さん、皆んなでひとしきりエントランス前の広場で踊りまくる。破れてしまった太鼓もあるほど盛り上がった。

 が、僕の目当ては続くメインステージ最初の演目であるマディヤプラデーシュ州のバイガ族による、やはり太鼓と踊りだ。女の踊り手たちの服から出ている部分の背中、腕、脚などの肌にはびっしりと太い線の紋様が刻み込まれているのが見て取れる。円陣を組んで内側向きに旋回している彼らの動きは、それを観る者を想定した出し物ではなく、あくまでも踊っている自分たちが楽しむためのものだ。きっと村の祭りの踊りなのだろう。

 身体の前面のデザインもよく観察したかったので、演奏終了後に楽屋を訪ねてみた。6人のバイガ女性たちは皆んな140センチ台ほどの身長だった。顔つきはドラヴィダ系そのものといった感じ。ステージで踊りを披露した感想を聞いてみたら、観客の前でやったのは初めてだったので凄く緊張していたらしい。というかムンバイに来るのも皆んな初めてらしい。英語で直接やり取り出来ないということもあるが、反応は素朴でほとんどリアクションはYES NOぐらいだ。だいたいこれぐらいの人数の女のグループになると笑い袋みたいなキャラが1人自然発生することが多いと思うのだが、村に置いてきたのか、ここにはいない。とても寡黙な集団だ。

 

バイガタトゥーの図柄

photo by Maki Ohkojima

 

 6人ともタトゥーが入っているのだが、その面積にはばらつきが見られ、年配者になるほどたくさん入っているように見えるが、果たして誰も自分の年齢は知らないのでそれも正確には分からない。制作過程としては全身のデザインの中の特定のブロック単位で施術していくらしく、それぞれの抽象紋様のブロックには「牛」とか「鍬」などの名前がついている。これらはバイガ族の村の生活用品を表したタトゥーデザインということなのか、それとも抽象デザインの特定部分を呼称するために、何となく連想出来なくもない生活用品の名前を便宜的に被せた命名なのだろうか。大昔からやってることなので、そのへんはもう誰にも分からないことだ。

 施術時期は、踊り手たちの姿から判断すると、娘時代の一時期に通過儀礼的にドカッと全部まとめて入れるというよりも、子供の頃から入れ始めて、生涯にわたって、お金と時間がある時にジワジワと増やしていくみたいだ。これだけの面積を伝統手法で彫るとなると相当の時間数だ。タトゥーはあの世にも持っていける唯一のオシャレなので、せっせと働いて貯めたお金をタトゥーに注ぎ込むのが彼女たちにとっては大事な娯楽なのだということだった。

 ちょっと蛇足になるが、東京のスタジオでは、何かの裁判で保釈中のお客さんが来て、塀の中に収監される前にタトゥーを急いで仕上げていくというパターンがたまにある。金も服も時計も、イカした髪型もアクセサリーもボディーピアスも、全部取り上げられてしまう刑務所内という「他界」の生活で、唯一誰にも取り上げることの出来ない特別なオシャレ。それがタトゥーなのだ。

 バイガ女性たちのタトゥーを彫っているのは、バーディー族という別の民族の、マンガラ・バイ・マラヴィというプロの女性彫師で、僕の2つ隣にブースを出していた。エントランスから1番目、このコンベンションの最大の呼び物という位置付けだ。周りには他にもインドのゴンド、ボルネオのイバン、シッキム、マオリのトゥ、などが配置されていて、一角がトライバルタトゥーで固められている。

 マンガラのバーディー族は、ゴンド族というデカン高原地域ではメジャーな民族の支族の一つと言われる。マンガラは七世代に渡って代々バイガのタトゥーを担当してきた彫師の家系の現在の当主だ。もっとも、彼女はバイガ族のタトゥーだけを彫っているわけではなく、普段はゴンド族の主に女性たちの間で広く楽しまれている「ゴダナ」と呼ばれるタトゥーも手がけている。インドにはカーストという身分制度があるのはよく知られていると思うが、そのカースト内にはさらに細分化された、職業の種類ともリンクしているジャーティと呼ばれる区分があり、マンガラのバーディー族はゴンド族社会の彫師ジャーティと言ってもいいのかもしれない。その営業形態は、道具一式を持っていろんな町や村を順繰りに旅して回っていくスタイルだという。いわゆる行商というやつだ。

 

タトゥーの入ったバイガの女性

photo by Maki Ohkojima

 

 Amazonや楽天でオーダーしたら翌日には品が家まで届くのが当たり前の今の世の中ではあるが、行商はそれこそ日本でも1970年代ぐらいまではいろんな売り物で普通に見られた。有名だったのは富山の薬売りなどで、最近まで残っているのは「たーけやー、さおーだけー。」の物干し竿とかだろうか。

 これは交通網の発達していない時代や地域の、専業の彫師の仕事のやり方としても世界規模でとても一般的と言える。たいがいの場合、地元の街の客だけで専業が成り立つほどの仕事量はないから、何人かまとまった客が見込めるような遠くの街々にまで彫師の方が出向くのだ。現代でもそうした出張のメリットはまだあるし、他所でのゲストワークはタトゥー業界の大きな文化なのだ。

 マンガラのケースでは、それが異なる民族の伝統の習俗に専属的に関わっている点が独特で面白い。おそらくマンガラの七世代前よりももっと前の時代、つまりだいたい150200年以上前の昔は、バイガ族の村では比較的手先の器用なオバチャンなんかが農作業の合間を縫ってアマチュア手芸的に村人にタトゥーを彫っていたのだろうが、それが手際や仕上がりの良さでいつしか行商の彫師にスイッチしたということなのだろう。

 餅は餅屋、ということで今の我々は家で餅をつくことはめっきりなくなって真空パックの切り餅を買うようになったわけだが、裏のラベルをよく見たら生産地は外国だった、みたいなものだ。うまいに越したことがないのは餅もタトゥーも同じようだ。

 ところで、カレーはカレー屋、であるところの本場インドのはずだったのに会場内のフードコートはハンバーガーと中華だった。どっちもインドの都会で今、とても流行っているらしい。もちろんシヴァの乗り物である牛を食べるのはタブーなので、ハンバーガーのパテは鶏やマトン、青椒肉絲も鶏の細切り、だ。

 

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〈INFORMATION〉

『一滴の黒』大島托 著(ケンエレブックス 刊)

https://books.kenelephant.co.jp/products/9784910315157

日本を代表するタトゥーアーティスト・大島托が、トライバルタトゥーをめぐるリアルな習俗と歴史、そして現在を描き出す旅の記録。全国書店にて発売中。

 

 

〈MULTIVERSE〉

「レオ・ベルサーニをめぐって 」──クィアが「ダーク」であること──|檜垣立哉

「ゴシックからブラックへ、アフロ・マニエリスムの誘惑」── “暗黒批評”家が紡いだ異貌の黒人音楽史|後藤護インタビュー

「死と刺青と悟りの人類学──なぜアニミズムは遠ざけられるのか」|奥野克巳 × 大島托

「聴こえざるを聴き、見えざるを見る」|清水高志×松岡正剛

「あるキタキツネの晴れやかなる死」──映画『チロンヌㇷ゚カムイ イオマンテ』が記録した幻の神送り|北村皆雄×豊川容子×コムアイ

「パンク」とは何か? ──反権威、自主管理、直接行動によって、自分の居場所を作る革命|『Punk! The Revolution of Everyday Life』展主宰・川上幸之介インタビュー

「現代魔女たちは灰色の大地で踊る」──「思想」ではなく「まじない」のアクティビズム|磐樹炙弦 × 円香

「生死観」としての有機農業 ──エチオピアで学んだ生の豊穣|松下明弘

「病とは治療するものにあらず」 ──全生を説いた体育家・野口晴哉の思想と実践

「俺たちはグレーな壁を生き返らせているんだ」──1人の日本人がまなざしたブラジルのストリート|阿部航太×松下徹

「BABU伝」 ──北九州の聖なるゴミ|辻陽介

「汝はいかにして“縄文族”になりしや」──《JOMON TRIBE》外伝

「土へと堕落せよ」 ──育て、殺め、喰らう里山人の甘美なる背徳生活|東千茅との対話

「今、戦略的に“自閉”すること」──水平的な横の関係を確保した上でちょっとだけ垂直的に立つ|精神科医・松本卓也インタビュー

フリーダムか、アナキーか──「潜在的コモンズ」の可能性──アナ・チン『マツタケ』をめぐって|赤嶺淳×辻陽介

「人間の歴史を教えるなら万物の歴史が必要だ」──全人類の起源譚としてのビッグヒストリー|デイヴィッド・クリスチャン × 孫岳 × 辻村伸雄

「Why Brexit?」──ブレグジットは失われた英国カルチャーを蘇生するか|DJ Marbo × 幌村菜生

「あいちトリエンナーレ2019」を記憶すること|参加アーティスト・村山悟郎のの視点

「かつて祖先は、歌い、踊り、叫び、纏い、そして屍肉を食らった」生命と肉食の起源をたどるビッグヒストリー|辻村伸雄インタビュー

「そこに悪意はあるのか?」いまアートに求められる戦略と狡知|小鷹拓郎インタビュー

「暮らしに浸り、暮らしから制作する」嗅覚アートが引き起こす境界革命|オルファクトリーアーティスト・MAKI UEDAインタビュー

「デモクラシーとは土民生活である」──異端のアナキスト・石川三四郎の「土」の思想|森元斎インタビュー

「Floating away」精神科医・遠迫憲英と現代魔術実践家のBangi vanz Abdulのに西海岸紀行

「リアルポリアモリーとはなにか?」幌村菜生と考える“21世紀的な共同体”の可能性

「NYOTAIMORI TOKYOはオーディエンスを生命のスープへと誘う」泥人形、あるいはクリーチャーとしての女体考|ヌケメ×Myu

「1984年、歌舞伎町のディスコを舞台に中高生たちが起こした“幻”のムーブメント」── Back To The 80’s 東亜|中村保夫

「僕たちは多文化主義から多自然主義へと向かわなければならない」奥野克巳に訊く“人類学の静かなる革命”

「私の子だからって私だけが面倒を見る必要ないよね?」 エチオピアの農村を支える基盤的コミュニズムと自治の精神|松村圭一郎インタビュー

「タトゥー文化の復活は、先住民族を分断、支配、一掃しようとしていた植民地支配から、身体を取り戻す手段」タトゥー人類学者ラース・クルタクが語る

「子どもではなく類縁関係をつくろう」サイボーグ、伴侶種、堆肥体、クトゥルー新世|ダナ・ハラウェイが次なる千年紀に向けて語る

「バッドテイスト生存戦略会議」ヌケメ×HOUXO QUE×村山悟郎

「世界ではなぜいま伝統的タトゥーが復興しようとしているのか」台湾、琉球、アイヌの文身をめぐって|大島托×山本芳美

「芦原伸『ラストカムイ』を読んで」──砂澤ビッキと「二つの風」|辻陽介

「死者数ばかりが伝えられるコロナ禍と災害の「数の暴力装置」としての《地獄の門》」現代美術家・馬嘉豪(マ・ジャホウ)に聞く

「21世紀の〈顔貌〉はマトリクスをたゆたう」 ──機械のまなざしと顔の呪術性|山川冬樹 × 村山悟郎

「ある詩人の履歴書」(火舌詩集 Ⅰ 『HARD BOILED MOON』より)|曽根賢

「新町炎上、その後」──沖縄の旧赤線地帯にアートギャラリーをつくった男|津波典泰

「蓮の糸は、此岸と彼岸を結い、新たなる神話を編む」──ハチスノイトが言葉を歌わない理由|桜美林大学ビッグヒストリー講座ゲスト講義

「巨大な夢が繁茂するシュアール族の森で──複数の世界線を生きる」|太田光海 × 清水高志

「反・衛生パスポートのための準備運動──連帯主義と生-資本に抗する」|西迫大祐×塚原東吾

『ごきげんよう、ヒドラちゃん』|逆卷しとね

「HOW TO SCAN THE WORLD 」── 世界をくまなく、そして注意深く、「見る」「触れる」「遊ぶ」|BIEN × 石毛健太 × 髙木遊

 

 

PROFILE

大島托 おおしま・たく/1970年、福岡県出身。タトゥースタジオ「APOCARIPT」主催。黒一色の文様を刻むトライバル・タトゥーおよびブラックワークを専門とする。世界各地に残る民族タトゥーを現地に赴いてリサーチし、現代的なタトゥーデザインに取り入れている。2016年よりジャーナリストのケロッピー前田と共に縄文時代の文身を現代に創造的に復興するプロジェクト「JOMON TRIBE」を始動。著書に『一滴の黒』(ケンエレブックス)。【APOCARIPT】http://www.apocaript.com/index.html