大島托 『失われた“紋”を求めて──1ミリ向こうの古代』 スカリフィケーション──あるいは悦ばしき傷の文化❸
タトゥー・アーティスト大島托が世界中の「タトゥー」を追い求めた旅の記録。書籍化された『一滴の黒』に続く、現在進行形の新章。
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インクラビングスカリフィケーション
クロアチアの彫師仲間サーシャがFBにアップした旅の写真の中に面白いタトゥーが写っていた。
アフリカのどこかの集落の黒人女性の腹部をコルセットのように広く覆うそのタトゥーの質感が何か独特だったので、拡大して見てみたところ夥しい数の細かい傷跡がタトゥーの黒に沿うようにして入っていたのだ。インクラビングスカリフィケーションだ。非常に精密だ。こんな見事な出来栄えのやつを高画質で細部まで見るのは初めてだ。
インクラビングスカリフィケーションとは傷を創り、そこに煤などを擦り込むことによって色素を定着させる手法で、僕の見立てでは大昔にスカリフィケーションからタトゥーが枝分かれして独立する過程の中間点に位置するものだ。とてもレアなものだし、さらにそれが入っている女性たちの中には、そんなに年寄りでもない人もいる。もしかしてまだ施術者が存在するのだろうか。そうだとしたらその高い技術を実際に体験してみたいところだ。僕は今まで自分でもある程度インクラビングスカリフィケーションの実験を重ねているので、具体的な疑問点がいくつかあるのだ。
聞いてみると、サーシャも彫師を探し回ったらしかったが見つからず、結局、請われるままに自分が村人たちに彫って帰ってきたのだという。ほとんど同一地域内に、針で彫るタトゥーの部族とインクラビングスカリフィケーションの部族が寄り集まっているらしい。ただのスカリフィケーションは、わざわざ探さなくてもそこらじゅうで普通に見られるようだ。田舎では外国人は「白いATM」としか見られていないから気をつけろ、とも。大柄でツルツル頭の彼は、アフリカの炎天下でさぞかし立派に光り輝いていたことだろうと思うと笑いがこみ上げてくる。
そのサーシャから現地ガイドを紹介してもらった。サーシャは、最初はいつものように自力でバスやバイクを使って探索しようとしていたのだが、まったく歯が立たず、仕方なく頼った旅行代理店でもトライバルタトゥーのことに詳しいガイドは居らずにたらい回しにされ、ようやく、詳しくはないけれどとりあえず探すのは手伝いますというガイドにたどり着いたのだという。
ベナン共和国のコトヌー空港まで迎えにきたその現地ガイドのラシドという男の両頬には僕の頬のタトゥーとそっくりな形のスカリフィケーションが入っていた。挨拶も早々にそのことを尋ねてみると、彼は隣国トーゴのヨルバ族出身で、このマークは自分たちが蛇であることを表しているのだと言う。これは蛇の顔の模様であり、またその牙による咬み傷でもある、と。…マジか…。壮大なる答え合わせが、前ぶれもなくあっけなく果たされる。もうこのまま日本にとんぼ返りしてもいいぐらいの収穫だ。そしてこの連載の最終回の原稿を書いてもいいぐらいなのだ。
一緒に来たシャオアイの反応がイマイチ薄いので、もう一度ゆっくり説明した。蛇だぞ。スカリフィケーションなんだぞ。君がここに来たのは大きな因果律によって定められたことだったんだ。これって凄くないか?
「そうね。」
もしかしてこれはしごく当たり前のことで、僕はちょっと騒ぎ過ぎのジイさんなのだろうか。
信仰からIDへ
空港から街の大通りに出ると、炎天下をバイクがたくさん走っている。2ケツしているバイクが多い。それにしても後ろに座っている人たちの乗り方が独特だ。男も女も皆、手ぶらで乗っている。つまり、後部座席後ろのタンデムバーや後部座席用ベルトや、前の運転手の肩や腰などを、何もつかんでいないのだ。ただ自分の腿に手を置いていたり、両手に買い物袋を下げていたり、ケータイをいじっていたりとかなのだ。バイクの後ろに乗ったことがある人なら誰でも分かると思うが、そんなこと普通はやらない、というか怖くて出来ない。それをごく当たり前の物事にしているのは彼らの体幹の優れたバランス感覚なのだ。どうやら、僕はドえらく遠い場所に来たようだ。
クルマの窓を開けてその驚異的なバランス能力をしげしげと眺めていると、バイクがどんどん寄ってくる。向こうは向こうで僕の顔が物珍しいのだろう。頬に線を引くゼスチャーをしてニコニコしているドライバーがいる。その男にも、その後ろに乗った女にも、両頬にスカリフィケーションがある。見渡すところ顔にスカリフィケーションがある人は、このコトヌーという大都市では全体の半分もいないようだ。4~5人に1人ぐらいか。
ベナンには40以上の部族がいて、特に都市部では幾つもの部族出身者たちがごちゃ混ぜに暮らしている。そういう状況の中で、現代のスカリフィケーションは部族や出身地が分かるIDの役割りを果たしている。だから自分と同じパターンのスカリフィケーションを見れば話しかけて、故郷の話で盛り上がったりすることもあるという。
とはいえ、都市化やイスラム教、キリスト教の普及とともにスカリフィケーションの風習自体がずいぶん下火になっているらしく、例えばヨルバでもそれが入ってない人が増えていて、ラシドのスカリフィケーションも上の世代と比べると浅く小さくなったものらしい。
なお、スカリフィケーションがもともとそういった互いの見分けのためだけのマークなのかというとそうではなく、あくまでもそれぞれの部族の信仰宇宙と結びついた通過儀礼的行為こそがその本体なのだ。それが三本線が両頬に入る、ラシドのヨルバ族なら蛇なのだ。街で出会ったウェダのフォン族の若者には二本線が顔の5箇所に入っていたが、これもまた蛇だった。
以降も顔面にスカリフィケーションがある人に片っ端から話しかけ続けてみると、IDという答えはほぼ共通していたが、どの部族のスカリフィケーションも必ず蛇に直結しているというわけでもなさそうだった。概ね、スカリフィケーションで流した血が何かしらの神への生け贄的な供物でもあり、その対価として個人はその神からの加護を得るというイメージはベースにあるようだと僕は感じた。
ウェダにある、ブードゥー教の世界的な聖地である蛇神社にも行ってみたが、そこではあの古代中華のマークのように2匹の蛇が左右対称に向き合う構図のデザインがたくさん見られた。日本の神社のしめ縄状に蛇が絡み合うデザインもあった。ただしそれらは全て身体の模様が描かれていて、目も口もあり、舌もピュルッと出ている。我々のそれのような抽象化や暗喩ではない、剥き出しの具体的な蛇なのだ。
こうした蛇の神聖視はベナンやトーゴだけではなく西アフリカ全域のさまざまな古来の信仰の大きな共通基盤を成しているということだった。力、知恵、治癒、生命力、循環、再生、永遠、そして水のイメージと特に強い結びつきがあるようだった。そういえば、西アフリカのみならずカリブ海の諸宗教でも非常に重要な信仰対象である、あの「マミワタ」という水の女神も蛇と人の融合した姿で表されることが多い。
ベナンにおける現代のスカリフィケーションがもっぱらIDとして認識されるようになったのは、大きな王国や植民地国家という括りの多部族混成社会が形成されて以降の傾向らしい。それ以前の昔は人々は基本的に部族内で同一地域に暮らしていたわけで、そこでは皆と同じパターンのスカリフィケーションは互いを見分けるIDとしては働いてはいなかったのだという。ラシドはサーシャから質問攻めにされたらしく、かなり勉強して詳しくなったようだ。
その様子は、グローバル化した現代世界で、かつてそれぞれの信仰に基づく普遍的人間性の発露であったトライバルタトゥーが、今では外側のその他とこちら側との差別化を図るIDとしてスポーツチームのユニフォームのデザインのように捉え直されつつある現状の傾向とも重なる。
信仰からIDへ。そして信仰自体も何教の何派の何団体であるとかの、分類のIDとしての役割で語られることが増えてきている。
命の剥き出し
ところで蛇神社の宮司が年間行事の説明をしている時に言っていたのだが、儀式を執り行う際の巫女たちは処女でなければならない決まりがあるのだが、これを集めるのがとても大変らしい。なにしろ初潮が始まる前の9歳前後とかからセックスしているから、巫女の募集要件である月経のある大人やハイティーンはおろか、ローティーンにも処女がいないのだと言う。
もともとセックスを恥じたり、タブー視したりする風潮が非常に薄く、女も男も思春期がきたらどんどんやる。なんだったら親も子供たちにセックスを勧めてどんどん自立していって欲しいと思っているらしい。こっちにもやっぱり剥き出しの具体的な生命力を感じる。児童婚により奪われる女性の未来とか、人口爆発とか、慢性的な飢餓とか、あるいはこちら側の少子化問題とか、セックスレスとか、いろいろな単語が浮かんでくるが、そういえば自分自身の性的能力のピークは飛距離でも打数でもどう考えても中学生の頃だったよなぁ、などとも思い出す。もしも、その生物学的な生殖最適期を抑圧的環境下で過ごさず、相手もいて、勢いに任せて励んでいたとしたら、今の自分の年齢ならひょっとして子から玄孫まで総勢200人ぐらいの子孫に囲まれていたのかもしれないという試算も成り立つ。
部族楽器コレクターのケロッピー前田のために露店でゴングを買っていると、下校途中の制服を着た小学生男子の群れに出くわした。1人が僕の買ったゴングをチャカポコ鳴らす。これがむちゃくちゃ上手い。そしてその音に合わせて数人がコミカルに踊り出す。これはもう上手いなんてもんじゃない。この子たちは天才なのだと認めざるを得ない。チップとしてポケットから小銭を取り出すと、関係ない小学生たちもわーっと一斉に駆け寄ってきて揉みくちゃにされた。このまま胴上げとかされそうな勢いだ。やはり剥き出しだ。剥き出し過ぎるのだ。
200人はヤバいよ、さすがに。
ヤムとソーメン
僕の高尾の家の庭には野生の自然薯(じねんじょ)が生えている。いわゆるヤマイモだ。地上部のつる草のボリュームでだいたいイモの収穫サイズが分かるので、ちょうど良さそうなやつは晩秋から冬にかけてのタイミングで掘り出して食べる。擦り下ろすと粘りの強い餅状の塊になる。これに出汁を混ぜて緩くしたのが「トロロ」だ。これを食べるととにかく精がつくらしい。ネバネバしてるからか。ナガイモのサラッとしたやつとは別物だ。
自然薯はそこらへんの草刈りされてない空き地や裏山の斜面にも自生している。たくさんあるので取り放題なのだが、イモを完全に掘り出すには地面を1メートル以上も掘らなければならないので、自力でそれをやり遂げる人は今どきあまりいない。でも、もし僕が丸腰で秋冬の山で遭難したら、とりあえずはそのへんの木の枝を使って自然薯を掘るだろう。50センチも掘ればとりあえず食べる分ぐらいは充分に取れる。ヤマイモは栄養価が優れている上に、何と言っても生でそのまま食べられるのが大きい。きっと火を使う以前からこの植物はずっと人類にとって重要な食料だったのだと思う。そして、地面にこぼれ落ちたムカゴや地中に取り残したイモの破片から新しい苗が出てくる単純明快さを考えるとかなり古い栽培植物でもあったはずだ。
世界中のヤマイモのグループは総称してヤムと呼ばれている。とくに西アフリカはヤムベルト(地帯)などとも呼ばれるぐらいのヤムの本場だ。そこではヤムは杵と臼で突いて柔らかい餅にする。それが古来からの主食で、それをカレーやデミグラスのようなソースにつけて皆んなでモニュモニュ食べている。
ためしに、今からスーパーで自然薯を買って、それを擦り下ろしたもっちりした塊から手で小量をつかみ取って、カレーにつけて食べてみて欲しい。それが西アフリカの味、でとりあえずほぼ間違いない。
西アフリカの主食は他にもキャッサバやトウモロコシを乾燥させて石臼で挽いた粉に、熱湯を加えてぐるぐるかき混ぜて、餅状や粥状、あるいはゼリー状のものに仕上げたものが一般的だ。発酵プロセスが入って酸味が効いたものもある。それらをやはりカレーのようなソースにつけてモニュモニュいただくのだ。キャッサバの粉、ガリ(ウガリとも)はそのまま豆のトロトロ煮込みスープにどっさり振りかけたりもする。これはブラジルのフェジョンとファリーニャの組み合わせと全く同じだなと思ったら、かつて奴隷労働者としてブラジルに連れて行かれた人々が持ち帰って来た食文化なのだという。なるほど。しかし、アフリカ人奴隷が出先から帰ってきていたイメージというのは今まで無かった。根拠もないままに、なんとなく連れて行かれっぱなしのような気がしていたのだ。でも、よく考えてみたら帰れる状況になれば、そりゃ帰って来るよな。
とにかく、西アフリカ人は全体的に噛む必要がない流動食のような食感を好む人々だと言える。日本人が暑くてそんなに食欲がない時にソーメンをすする、みたいなことがここでは常態化しているのかとも考えた。いや、実際に陽射しの強さが半端じゃないから僕は完全に夏バテにもなっていたのだ。おそらくソーメンを紹介したらあっという間に普及して、皆んなで例のカレーみたいなソースにつけてツルツル食べるはずだ。
オカズは、南部は海に面しているので魚やエビ、カニが豊富だった。魚料理はただの丸焼きが主体で日本人好みだ。コトヌーの宿の近所の飯屋のメニューに焼き魚とあるのを注文すると、イシモチ、アカメ、スズキ、フエフキダイ、サワラ、とか毎回違う種類が出てくるのだが、サイズはどれもほぼ同じで、値段も同じだった。ひょっとして魚の種類には日本人ほどの頓着はないのかもしれない。
車は国道をひたすらに真っ直ぐ北上している。車内でずっとフェラ・クティを流していた。アフロビートの名盤の数々。外の景色は灼熱で乾燥しきっていて逃げ水が見えたりしていたかと思うと、いきなり嵐が吹いてきてドシャ降りの雷雨になったりもする。厳しいと自然だ。車のエンジンの調子が落ちてきて、何度か沿道のモーター屋に止まったが、毎回違う問題点を指摘される。モーター屋の近くにはだいたい軽食屋とかフルーツ売りの露店みたいなものもあるので、揚げパンとかミカンとかを買い食いしながらヒマをつぶした。
シャオアイは露店のものは怖がって食べない。医師の父親から何か言われているのか。まあ、当たったら当たっただ。「Water no get enemy 」。水に敵などいない。自然に抗っても仕方ない。他のさまざまな物事の状況と比べると西アフリカの現代音楽のシーンは飛び抜けて凄い。なにしろここでは天才が標準なわけだから。そしてその天才たちが今も影響を受け続ける伝説の存在。それがフェラ・クティなのだ。彼を真似て前歯をわざとスキッ歯にするファンも多い。
明るい皮膚
例のインクラビングスカリフィケーションのホリ族や、顔タトゥーのフラニ族の集落のある北西部アタコラ県にやっとこさっとこ来た。だいたいそこら辺から北部にかけてバラエティに富んだタトゥーやスカリフィケーションの文化が展開しているらしかったが、北部は外務省から退避勧告の出ているブルキナファソ、ニジェール、と国境を接していて、現在は旅行者が入れるような治安状況ではなかった。西アフリカは全体的に政情が不安定で、特に内陸部の治安が悪い。そしてその内陸部に行くほどに、つまり無政府状態になるほどに、身体改造が凄くなるというのは、フランクフルトでジャーナリストのオリバーから聞いていたとおりだった。だから今回はギリギリの北西部だったのだ。情勢を考えるとここがあるだけラッキーだったと思うしかない。
ホリ族の村の代表者と落ち合うために立ち寄ったホテルで、インフラ工事のために中国から派遣されたエンジニア達と出会ったのだが、部族の村に行くなんて危ないからやめておけと皆口々に言う。数ヶ月前に彼らのチームリーダーが身代金目的で誘拐された事件があり、それ以降はずっと軍に警備された状態で仕事をしているのだという。
村の代表者とは、1時間滞在してインクラビングスカリフィケーションを見せてもらう条件で200ドルを払うことで交渉が成立した。最初に向こうが提示した500ドルから値切っての200ドルなのだが、いずれにしてもこの辺りの農村の生活物価からしたらもの凄い大金だ。一方でトライバルタトゥーとスカリフィケーションのプロである僕らにしてみれば500~200ドルとかをケチってこの機会を逸するなんてことはあり得ないのだが、いちおう値切ったのは「黄色いATM」と見なされてこれ以上際限なくタカられないようにするための牽制の意味もあった。
ホリの女たちの胸や腹部をびっしりと埋め尽くすインクラビングスカリフィケーションを、ついに生で間近に見ることが出来た。指で触れて伸ばして質感をじっくりと観察してみる。凄い。こんなの初めて見た。圧巻だ。細かな傷がパターンに沿って規則的に集まっていて、傷そのものには色が入っておらずにその周りが黒く染まっている。ちょっと離れてみると黒のタトゥーそのものなのだが、寄ると夥しい小さくて浅い傷の盛り上がったレリーフが黒の背景に浮かび上がっているのだ。いや、傷自体が黒く染まって溝のように沈下している人もいる。そうかと思えば、傷の痕跡がまったく感じられないただのタトゥーに見える人もいる。全てデザイン様式は同じだ。
アドレナリンがドパーンと放出される。施術を見たい。どうしても見たい。というか自分でくらって術後の経過なども観察したい。が、それらを手掛けたのは他の地域の同族の行商の彫師で、最近の若い子はこのインクラビングスカリフィケーションは入れないので、もう廃業しているかもしれない、とのことだった。そしてその女の彫師は女にしか施術することを許されていないので、いずれにせよ僕には彫れないということだった。男の彫師を探すしかない、とのことだ。
仕方ないから、英語→仏語→現地語と2人の通訳を介して、覚えている範囲で詳細にやり方を説明してもらった。モンジャのコテみたいな形の小さなナイフで皮膚表面を切ったあと、デンプンを塗って止血。血が止まったら煤を擦り込むのだという。シンプルだ。やはり自身の目で観察しないとダメだ。
胴体の前面だけに入っていて背面は空いている理由を尋ねると、ベリーダンスみたいな動きをしながら、背面はセックスと関係ないから意味がないじゃないかと言う。そんなこと当たり前だろと言わんばかりだ。今まで僕がインタビューしてきた世界のタトゥー部族女性たちは皆、男にモテるから、という婉曲な言い回しをしていたが、やっぱりこの人たちは剥き出しの真実で圧してくる。とりあえず、この人たちは後背位はやらないということも分かった。
胴体部は女だけだったが、顔は男女皆やっていた。最近はユニセフがうるさいことを言ってくるらしいが、伝統的にはだいたい5歳ぐらいでやるらしい。これはまた全然違う作風と質感で、黒く染まったシンプルで長くて深い沈線だ。他の部族がただのスカリフィケーションとしてやっているものを、そのままインクラビングスカリフィケーションにしている感じだ。つまりは黒く染まったシンプルな傷だ。それと比べると胴体部のものは黒色で複雑な模様を表現するための手段としてナイフを使っていて、いわばナイフによるタトゥーなのだ。この二つの微妙に違う様式が一つの部族内で行われているのを観察出来たこともとても大きい。やはりこの手法がスカリフィケーションからタトゥーが生み出される際のキーなのだと確信した。
ホリの人々はベナン人の中では比較的明るい皮膚色で、離れていても表情が分かるぐらいだ。そのこととインクラビングスカリフィケーション手法にはもちろん関係があるだろう。これより肌が黒かったら煤の黒色は実際問題としてまったく目立たないから意味がないのだ。さらに同じホリでも女は男よりも若干明るい茶色だ。だから女に入っているものの方がより目立つ。
日本で育った子供の頃から薄々感じていて、インドにいる時に確信になったのだが、同じ人種、同じ村、家族などで比較する限り、平均して女は男よりも肌色が明るい傾向があるのだ。色が薄いことが女性的な魅力とされ、濃いことがより男性的とみなされる感覚が世界中のさまざまな民族で普遍的に見られるのはこうした生物学的な男女の差異に基づいているのかもしれない。髪や瞳の色もそうなのだ。この、女の方が肌色が薄いということと、世界のトライバルタトゥーは女が主役という事実もまた関係があるのかもしれない。
包皮の宇宙論
そこから車でわずか10分ほどの集落に住むフラニ族はトゲや針を使って顔にタトゥーを施す人々だった。あらかじめ想像していたとおり、ホリ族よりもさらに肌色が明るい。顔つきも北アフリカ系とミックスしたような感じで、個人的には特にチュニジアのサハラ砂漠北部のトゥアレグ族の風貌を思い起こさせる。タトゥーのデザイン様式もベルベルやアラブと似ている。これはおそらくサハラ砂漠を越えた人々の混交によって西アフリカにまで拡がってきた古代の北アフリカや中東のタトゥーの一種なのだと感じる。
さらに調べてみると、フラニ族にはインクラビングスカリフィケーションで同系統のデザインを彫る集落も存在することが分かった。面白い。スカリフィケーション→スカリフィケーション寄りのインクラビングスカリフィケーション→タトゥー寄りのインクラビングスカリフィケーション→タトゥー、と西アフリカから北アフリカに向かって人々の皮膚の色の変化に伴うようにして施術法もグラデーションをかけるように変化していく様子がよく分かる。
さらに10分ほどの別の場所に住むグルマンチェ族の女性も訪ねてみたら、彼女の顔のスカリフィケーションはくっきりと盛り上がっていた。アフリカのスカリフィケーションと言えば、エチオピアのオモ峡谷や南スーダンなどの大きく隆起したものが視覚的なインパクトがあるということで世界的には知られているのだが、実はベナンで多く見かけるのは傷跡が凹んだ沈線紋タイプで、このようなタイプの隆線紋は珍しいのだ。なぜ盛り上がっているのか彼女にも聞き取りをした。
アフリカのスカリフィケーションでは切った後に傷口に塗り込む物質にさまざまなバリエーションがあるようだ。今のところ僕に分かる範囲でまとめるとこのように分類できる。
1、ある種の植物の汁。これにはサリチル酸が含まれていて、その皮膚組織を軟化させて傷を盛り上げる作用が目的。日本の植物で言えば柳などがそれに該当する。
2、石灰。これは傷口の水分を吸収して乾燥させ、なおかつその強いアルカリ度で皮膚組織を腐食して火傷のようにケロイドを発生させて傷跡を盛り上がらせる目的。
3、デンプン。止血目的。
4、灰。生の傷口を清潔に保つ目的。
5、煤。傷を黒く染める目的。
なお、傷口がダイナミックに隆起するには体質的な要素が基本的には重要で、アフリカ人のほとんどはケロイド体質だとされている。これはヨーロッパの白人にはほとんどおらず、アジア人には平均10%ぐらいの割合で存在している。アジアの中でもインドのドラヴィダ系やインドネシア人などの肌が黒い人々でよりその発現率が高まるというデータから、メラニン色素とケロイドの間には因果関係があるのではないかと昔から言われているのだが、実際のところその仕組みはまだ分かっていないようだ。
とにかく情報の密度が高すぎるのと日差しが強すぎるのとでフラフラになって宿にたどり着いた。とりあえず「パナシェ」というこっちで人気の飲み物で喉を潤した。ビールとライムジュースの中間みたいなもので、軽くて甘い。ガブガブ飲む。
夕食に出てきた鶏肉のローストは痩せていて歯応えがあり、味が濃かった。旨い。骨の形が何かちょっと違うなと思っていたら、ニワトリではなくてホロホロ鳥だった。そういえば今日回ったどこの集落でもそこらへんをうろちょろしていた。そうか、こんなに旨いのか、ホロホロ鳥。知らなかったよ。
ラシドには奥さんが1人いる。彼女は17歳で最初の出産をして、26歳の今は3人の子供とコトヌーの家で暮らしているという。ラシドは、コロナの不景気も終わったので、最近はもう1人妻を娶ろうと考えているところだと言う。今回の旅先でも若くて美しい未亡人と知り合い、我々の目の前で堂々と口説いていた。
「タクと同じだね。」
シャオアイが言った。
同じではない。僕は男女関係はオープンで対等なのが好みなのだ。お互いに持ち物のように独占したり、されたりしたくないだけだ。相手が複数と付き合うのを受け入れた上で、自分も複数と付き合うのだ。だから結婚という制度自体に最初からそぐわない。
ラシドは戒律的に重婚が認められているイスラム教徒なのだが、イスラム教徒だから重婚をするというわけではなく、これはもっと前からある西アフリカ人の伝統なのだと言う。本来の人間の男女関係が一夫一妻スタイルだけに収まりきるわけがない。男はなるべく多くの女とセックスして種を撒きたい数打ち志向のわけだし、複数の女を同時に愛することが実際に出来るのだ。一方で女は自分の子を確実に育てていける手堅い一点志向が強い。それぞれの理想の形が少し違うのだ。だから一夫一妻の単婚を社会のベースとしながらも一夫多妻の重婚というオプションも用意されていることは自然なのだ。実際に生まれてくる別の女性との間の子供たちの地位を貶めないためにもそれは必要なのだ、と言う。水に抗えるはずもない。かのフェラ・クティはラシドと同じヨルバ族なのだが、アフリカの伝統の実践として自分のバンドのコーラスやダンサーの27人の女性と同時に結婚し、それらの女性たちを一晩毎に順番でサイクルする生活をしていたという。
ラシドの話は分かる。僕との違いは女の側にも重婚する選択肢があるのかどうなのかというただその一点だけだ。
「どんどん他の男と遊べって言われたって、女はそうじゃないんだから、結局は同じじゃない?」
いや、同じでは、ない。
ユニセフや欧米の女性人権団体からの圧力により西アフリカにおける女子の割礼はだいぶ下火になった。これは女性器のクリトリス部分、あるいはもっと広範囲を切除する通過儀礼なのだが、これには生命の危険も伴うような健康リスクがあることや、性的な快楽を奪い去るという目的が非人道的であるとしてずっと批判されてきたのだ。
が、男子の割礼はまだ続いている。これは男性器の亀頭部を覆う包皮の切除で、これをやると亀頭が常に剥き出しになる。日常的に沐浴することが難しい地域においては特にこれにより各種性病への罹患率が下がるという、衛生が目的の通過儀礼だ。これもまたイスラム教の戒律でもあるのだが、もっと古くからの西アフリカの伝統でもある習慣だ。チンコが本格的に成長する前の少年期に行われる。今は病院で医師が手術メスを使ってスパッと切ることが多いが、昔は村の広場で衆人環視のもと石器でゴリゴリ切って、おめでとう!みたいにやっていたらしい。
とにかく男は全員これをやる。そしてその際、意地でも泣いたりわめいたりしてはならない。そして傷が回復したら村のセックスの輪に参加するのだ。これは完全に通過儀礼だ。そしてこれも身体改造なので何かしらの信仰宇宙と結びついたものではないかと思って深掘りを試みたのだが、ただの衛生、以上の答えを引き出すことは出来なかった。
「とにかく、これをやってない男の相手をするアフリカの女なんていない。汚らしいからだ。」
いやいや、包皮なんて、中学生ぐらいでチンコが育ってくると自然に剥けるようになるじゃないか。
「エッ!?そうなのか?」
えっ?知らないのか?
フェラ・クティと27人の妻たちは、やがて妻同士がお互いに張り合うようになり、自分勝手な利己主義がはびこり、バンドとしての活動に支障が出るようなったため、離婚している。彼がバンドリーダーだったのは夫になる前までだったようだ。男の社会的ポジションなんてその妻には関係ないのだ。なお、割礼は性病リスクを下げるというデータはあるものの、彼はエイズで亡くなっている。
結局、最後もまたチンコの話だったか。
〈INFORMATION〉
『一滴の黒』大島托 著(ケンエレブックス 刊)
https://books.kenelephant.co.jp/products/9784910315157
日本を代表するタトゥーアーティスト・大島托が、トライバルタトゥーをめぐるリアルな習俗と歴史、そして現在を描き出す旅の記録。全国書店にて発売中。
〈MULTIVERSE〉
「レオ・ベルサーニをめぐって 」──クィアが「ダーク」であること──|檜垣立哉
「ゴシックからブラックへ、アフロ・マニエリスムの誘惑」── “暗黒批評”家が紡いだ異貌の黒人音楽史|後藤護インタビュー
「死と刺青と悟りの人類学──なぜアニミズムは遠ざけられるのか」|奥野克巳 × 大島托
「あるキタキツネの晴れやかなる死」──映画『チロンヌㇷ゚カムイ イオマンテ』が記録した幻の神送り|北村皆雄×豊川容子×コムアイ
「パンク」とは何か? ──反権威、自主管理、直接行動によって、自分の居場所を作る革命|『Punk! The Revolution of Everyday Life』展主宰・川上幸之介インタビュー
「現代魔女たちは灰色の大地で踊る」──「思想」ではなく「まじない」のアクティビズム|磐樹炙弦 × 円香
「生死観」としての有機農業 ──エチオピアで学んだ生の豊穣|松下明弘
「病とは治療するものにあらず」 ──全生を説いた体育家・野口晴哉の思想と実践
「俺たちはグレーな壁を生き返らせているんだ」──1人の日本人がまなざしたブラジルのストリート|阿部航太×松下徹
「汝はいかにして“縄文族”になりしや」──《JOMON TRIBE》外伝
「土へと堕落せよ」 ──育て、殺め、喰らう里山人の甘美なる背徳生活|東千茅との対話
「今、戦略的に“自閉”すること」──水平的な横の関係を確保した上でちょっとだけ垂直的に立つ|精神科医・松本卓也インタビュー
フリーダムか、アナキーか──「潜在的コモンズ」の可能性──アナ・チン『マツタケ』をめぐって|赤嶺淳×辻陽介
「人間の歴史を教えるなら万物の歴史が必要だ」──全人類の起源譚としてのビッグヒストリー|デイヴィッド・クリスチャン × 孫岳 × 辻村伸雄
「Why Brexit?」──ブレグジットは失われた英国カルチャーを蘇生するか|DJ Marbo × 幌村菜生
「あいちトリエンナーレ2019」を記憶すること|参加アーティスト・村山悟郎のの視点
「かつて祖先は、歌い、踊り、叫び、纏い、そして屍肉を食らった」生命と肉食の起源をたどるビッグヒストリー|辻村伸雄インタビュー
「そこに悪意はあるのか?」いまアートに求められる戦略と狡知|小鷹拓郎インタビュー
「暮らしに浸り、暮らしから制作する」嗅覚アートが引き起こす境界革命|オルファクトリーアーティスト・MAKI UEDAインタビュー
「デモクラシーとは土民生活である」──異端のアナキスト・石川三四郎の「土」の思想|森元斎インタビュー
「Floating away」精神科医・遠迫憲英と現代魔術実践家のBangi vanz Abdulのに西海岸紀行
「リアルポリアモリーとはなにか?」幌村菜生と考える“21世紀的な共同体”の可能性
「NYOTAIMORI TOKYOはオーディエンスを生命のスープへと誘う」泥人形、あるいはクリーチャーとしての女体考|ヌケメ×Myu
「1984年、歌舞伎町のディスコを舞台に中高生たちが起こした“幻”のムーブメント」── Back To The 80’s 東亜|中村保夫
「僕たちは多文化主義から多自然主義へと向かわなければならない」奥野克巳に訊く“人類学の静かなる革命”
「私の子だからって私だけが面倒を見る必要ないよね?」 エチオピアの農村を支える基盤的コミュニズムと自治の精神|松村圭一郎インタビュー
「タトゥー文化の復活は、先住民族を分断、支配、一掃しようとしていた植民地支配から、身体を取り戻す手段」タトゥー人類学者ラース・クルタクが語る
「子どもではなく類縁関係をつくろう」サイボーグ、伴侶種、堆肥体、クトゥルー新世|ダナ・ハラウェイが次なる千年紀に向けて語る
「バッドテイスト生存戦略会議」ヌケメ×HOUXO QUE×村山悟郎
「世界ではなぜいま伝統的タトゥーが復興しようとしているのか」台湾、琉球、アイヌの文身をめぐって|大島托×山本芳美
「芦原伸『ラストカムイ』を読んで」──砂澤ビッキと「二つの風」|辻陽介
「死者数ばかりが伝えられるコロナ禍と災害の「数の暴力装置」としての《地獄の門》」現代美術家・馬嘉豪(マ・ジャホウ)に聞く
「21世紀の〈顔貌〉はマトリクスをたゆたう」 ──機械のまなざしと顔の呪術性|山川冬樹 × 村山悟郎
「新町炎上、その後」──沖縄の旧赤線地帯にアートギャラリーをつくった男|津波典泰
「蓮の糸は、此岸と彼岸を結い、新たなる神話を編む」──ハチスノイトが言葉を歌わない理由|桜美林大学ビッグヒストリー講座ゲスト講義
「巨大な夢が繁茂するシュアール族の森で──複数の世界線を生きる」|太田光海 × 清水高志
「反・衛生パスポートのための準備運動──連帯主義と生-資本に抗する」|西迫大祐×塚原東吾
「HOW TO SCAN THE WORLD 」── 世界をくまなく、そして注意深く、「見る」「触れる」「遊ぶ」|BIEN × 石毛健太 × 髙木遊