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大島托 『失われた“紋”を求めて──1ミリ向こうの古代』 スカリフィケーション──あるいは悦ばしき傷の文化❷

タトゥー・アーティスト大島托が世界中の「タトゥー」を追い求めた旅の記録。書籍化された『一滴の黒』に続く、現在進行形の新章。

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五千年の執念

 各国のスナック菓子にはそこに暮らす人々の好む味覚がとても分かりやすく表れる。

 父の社員旅行のお土産で初めてアメリカのスナックを食べた小学生の時は、スターウォーズに出てくる別の惑星の味がした。ずいぶん長いことお世話になっていたインドのそれは徹底的にマサラトリップだった。そういうのを経て日本のものを顧みると、何味を謳っていようともベースに醤油と味醂の「旨味」が必ず効いていることも分かる。

 「辣条(ラーティアオ)」という最近大流行のスナックには、だから中華の味覚が凝縮されている。すなわちそれは、香ばしくて、辛くて、ビリビリして、甘い。そしてもちろん油っこいのだ。小麦粉製品らしいのだが、油揚げや湯葉のようなその質感は精進料理系の大豆製品を思わせるようなところがある。豆腐で有名な湖南省の名産品なので、たぶん製法も似ているのだろう。牛とか鴨とかの字が入った商品名が多いのも、肉の代替品のベジタリアンフードがルーツだからだろう。ベジタリアンフードだが優しい薄味とかではなく、あくまでもギットリと濃い。動物の殺生を避けるという縛りの中でも、あるいは身体の健康や美容を考える上でも、まだどれだけ楽しくガツガツ食いまくれるのかを追及するという方向性に、インドとはまた違う種類の五千年の執念を感じる。そう、ヨガと太極拳の違いのような。

 最初は新スタッフのシャオアイが中国からお土産としてどっさり持って来たのだった。一口食べて弟子たちや日本人のお客さんたちは皆んなギブアップして水を飲んだ。僕と相方の彫あいは辛味リミッターが解除されていて、その奥の派手な旨味を感じることが出来たので、仕事の合間にちょびちょび食べていた。そしてそれが全部無くなると、いつしか自然と足が大久保通りの中華食材スーパーに向かっていた。

 

廊坊国際紋身芸術節

 北米とヨーロッパの全てのタトゥーイストを合わせた数20万人に匹敵するだけのタトゥーイストが、たったの一国内に存在しているという噂を聞いて北京に出向いたのは2018年のことだった。ちなみに日本の専業彫師はわずか1000人ぐらいのものだ。

 日本から見ればほんの隣の地理関係にある中国ではあるが、彼我の境には情報の万里の長城とも言える「グレートファイアーウォール」が張り巡らされていて、お互いに向こう側のことはよく分からないようになっていた。GoogleYouTubefacebookInstagramなどが排除されている社会の人々が西側世界のタトゥーイストのことなんて知りようがないし、逆に微博、WeChat といった向こうでメジャーなソーシャルメディアの存在を、実際に現地を訪れるまで僕は知らなかった。

 廊坊国際紋身芸術節は、こちら側の世界の業界では「北京コンベンション」として知られる中国最大のタトゥーコンベンションだ。例の情報防壁のおかげでこちらからのエントリー方法は実質上無いようなものだったが、知り合いの知り合いを手繰ってどうにか潜り込んだ。

 

 

 事前に大会ホームページで500人を超えるエントリーアーティスト紹介欄の作品画像を片っ端からチェックしたところ、ようやく1人だけ僕と詳しい話が通じそうな参加者を見つけた。ジウジ(九吉)という幾何学模様系のブラックワークのタトゥーイストだ。手描きフラクタルとも呼べそうな作風がユニークで技術レベルも非常に高い。ちなみにポリネシアンやベルベルのようなトライバル系のタトゥーイストは全くいないようだった。これには新鮮な驚きがあった。いくらなんでもそんなことってあるのだろうか。

 コンベンションに入ってから、その他の大多数をじっくり見渡すと、まあだいたいこちらの世界と同じ各ジャンルが展開していたのだが、特に目立つのは和彫りだった。和彫りにもクラシック、リアリスティック、モダン、アバンギャルド、というようないろいろ異なるテイストがあるのだが、そのどれもが唸るほどに見事な出来だった。基礎となる画力が非常に高いのは、旧ソ連邦のアーティストたちがやはりそうであることを考えると、共産圏のアーティストの特徴でもあるようだ。デッサン重視の古典的美術教育を修得しているということなのだろう。さらにもうちょっと踏み込んで分析を加えると、毛筆による書画の線の感覚に関しては彼等の文化こそがその起源にして中心だという事実を忘れてはならないということだ。とにかく線が生きているのだ。

 江戸時代に始まった和彫りの柄には、龍や鯉の他にも人物画が多いことは一般的にも認知されていると思う。「九紋龍史進」「花和尚魯智深」「張順の水門破り」といった、たとえ名前は知らずとも誰しも見覚えぐらいはある豪傑たちの姿は、浮世絵師、歌川国芳の大ヒットシリーズ「通俗水滸伝豪傑百八人之壱人」の絵をそのまま刺青の構図にアレンジしたものだ。水滸伝は中国の明の時代に書かれた大衆小説で、腐敗した国家権力の打倒を企てる反乱軍の英雄たちの活躍を描いている。これが鎖国下の江戸の庶民たちには大受けだったのだ。そうやって中国のレジスタンスヒーロー達のカッコ良さを日本の浮世絵のスタイルで描写したものが和彫りの定番となり、そこから200年の時を経た現代では、それが日本のアウトロー風のカッコ良さの象徴のようにして、抑圧的な政策下に置かれた中国の庶民たちに逆輸入されて流行っている様子はとても面白い。

 実際に会って話してみると、ジウジは僕より一回りほど若かった。会った瞬間になんか思わず日本的にペコリとお辞儀をしてしまった。中国人と日本人に顔つきの違いなど実際ほとんどありはしないのだが、何というか、度を超えた日本人顔なのだ。どこに行っても必ず日本人に間違われるんですよ、と言って彼も苦笑する。どうやら世界中を旅してきたらしい。彼は中国におけるブラックワークのパイオニアだった。中国内で初めてボディーサスペンションを実践した人でもある。そして、ジャグラーとしても広く知られているらしい。ジャグリングは、もともとサーカスや大道芸などのプロの演目だったような、さまざまな道具を使ったトリッキーな身体操術の総称なのだが、それらがヒッピー文化においてアクティブな瞑想法として捉え直されて以降は自分でやってみてなんぼの娯楽となったものだ。

 僕の世代のトランスパーティーシーンではボールやクラブ、デビルスティック、ポイ、とかが流行っていたものだった。なんだか身近すぎるプロフィールを持つこの男が以前からの知り合いではないことがあらためて不思議だった。並行世界や異世界転生物語の中にいるような感覚に陥る。これまで訪れた世界各地の辺境などとはまた違った種類の隔絶感だ。

 

部落紋身

 コンベンションが終わってから北京のジウジのスタジオに招かれた。高層ビル上層階のセレブ感の漂う立派なスタジオだ。彼は時間500ドルの超売れっ子だったのだ。そんな高額ギャラ彫師は僕の知り合いでは他にはいない。

 そのスタジオのロビーでコパンガンの友人彫師ジェイ(Tikiroa)と一緒にトライバルタトゥー講座を開いた。コパンガンはフルムーンのトランスパーティーで有名なタイ南部の島だ。ジェイはそこに20年以上住み着いてる。彼はNZのマオリ族で、タイのサクヤンの手彫り手法である「バンブー」の使い手で、なおかつマルケサス諸島のトライバルタトゥーのデザインを専門とし、さらに技術が高過ぎてマシンで彫っているようにしか見えず、せっかくの手彫りの有り難みが減ってしまう、という何重にもヒネリが入りまくった世界で唯一のファニーな変わり者だ。

 聴衆はジウジの周りのプロやジウジのやっているタトゥースクールの生徒たちだった。ジウジの同世代の仲間たちは男ばかり。生徒たちはほとんどが女性で、美大に在学中で掛け持ちという人が多かった。

 講座では、クレイジートライバルからポリネシアン、ベルベルといったトライバルタトゥーの種類、そしてインドのメンディーの手描き幾何学紋様の流行を経て、それらのトライバルタトゥーのような特定のルーツには囚われない現代先進社会トライバルタトゥーとしてのコンピューター幾何学模様のドットワークの大流行、など今日の西側世界におけるブラックワーク全体の概要を画像を見せながら説明した。そしてその後で、これだけの巨大タトゥーマーケットである中国でこれらのジャンルが、ジウジという唯一の例外を除いて見事なぐらい全く入って来ていないのはなぜかという点について皆んなでディスカッションした。

 中国語でトライバルタトゥーは「部落紋身」となる。日本語と中国語ではちょっと語彙の概念やニュアンスに違いがあるようには感じるが、日本語内では差別的表現としてすでに消えたこの「部落」という語彙は、もともとはただのコミュニティの状態を説明するニュートラルなものだったのが、時間の経過の中でその実体に対するその他の人々のネガティブなイメージと直結したため、「同和地区」という語彙に置き換えられたのだと思う。精神分裂病が統合失調症になったり、メクラやツンボが何度も呼称を変えたりとか、この種の名詞の置き換えはパチンコ屋の新装開店のようにしょっちゅう繰り返されるのだ。

 中国における部落は主に言語や文化を異にする辺境の地域集団を指しているので、社会のマジョリティである漢民族との違いは大きい。また、かつての戦いに負けて周縁に追いやられた者と、勝って中心に居座っている者という歴史的関係性もある。以前の「夷狄(いてき)」という呼称が差別用語として廃されて、部落というワードになったとのことだが、そこに潜むネガティブな響きはどうやら日本社会のそれと似たようなものらしい。そしてそれが翻って良識ある善人にとっては下手に触れてはいけない腫れ物みたいなセンシティブな感覚もあるという。ますます日本の状況と似てる。

 トライバルタトゥーが日本を含む中華圏以外のアジアのマーケットに入ってきた時は、その言葉の意味するところはほとんど意識されることなく、ただ単に「トライバル」という名の白黒のデザインのスタイルと理解されて普及したのだった。これがもし部落紋身や部族刺青や同和タトゥーだったら、80年代後半の日本では流行らなかったかっただろうと思う。現に自国内のアイヌのシヌイェや沖縄のハジチといった正真正銘のトライバルタトゥー文化は「トライバル」流行以降も本当にごく最近までの長きに渡り顧みられることはなかったのだ。当事者からも、その他多数からもだ。まとまろうとする力が優勢に働いている間は各々の違いを際立たせるアクションは変に自発的に抑えられるものなのだ。何かのスポーツのルールみたいなものだろうか。

 まあ、日本でも中国でも何でも、まとまるにはとりあえずセックスが一番効果的だと僕は思う。気を使って変な遠慮ばかりしていても何もどうにもならない。当事者でもあり、その他多数でもある人間が具体的に増えたらいいだけなのだ。

 

「文」の起源

 とりあえず今日の彼我の現代トライバルタトゥーの有無は、外から来る情報を表義的に変換する漢字の文化と、とりあえずカタカナなどで表音変換するにとどめて様子を見る文化の違いが大きかったようだったが、結局、ジウジとジェイ、それから僕の共通点は、触れてはいけないとされる門の扉を、自分の手でこじ開けて、向こう側に広がる異世界を自分の脚で旅せずにはいられない性分というところなのだろう。我々はスポーツをやっているわけではないのだ。だから、まあ、そういう類いの人間のやっていることが、今、ある程度の商売的な成果につながっているなどというのは、ある種の誤解や、何かの偶然の作用も多いのだろうとは思う。マグレってことなのだ。生徒さんたちには反面教師にして欲しい。

 ジウジのスタジオスタッフにシャオアイ(小愛)という女の子がいた。僕より二回りは若い。中国で唯一のスカリフィケーションアーティストで、今回の北京コンベンションがその技の初の全国規模のお披露目だった。前職は看護師、父親は医師で、その環境や知識を活かして独学でスカリフィケーション技術を身につけていた。コンベンション後の打ち上げパーティーで、彼女は全身を蛇のウロコで覆い尽くすというエクストリームなアイデアを僕に打ち明けてきた。

 もともと中華で文身(タトゥー)そのものを示していた「文」という文字は、その形成プロセスの初期の象形文字の段階では、人が腕をやや広げて立っていて、その胸に緩やかな渦巻き線が2本対照に向き合うようなマークが徴されている様子を描写したものだった。「キングダム」の「羌廆(キョウカイ)」の鉢巻の模様と言えば分かるだろうか。この渦巻き線マークこそが古代中華のタトゥーデザインを象徴している可能性があり、またそれは蛇を意味していると思われた。青銅器に表現された紋様の変遷を見ると、この蛇の徽は、やがてその後に現れた鳥の徽と合体して、空を飛ぶ蛇の徽となる。それがつまり今日まで連なる龍の信仰だ。そしてスカリフィケーションはタトゥーのオリジンであり、その渦巻き線はそもそもスカリフィケーションで創られていたのかもしれない。そういう話を彼女にした。

 さっそく北京で2セッションを行い、その後シャオアイは新大久保の僕のスタジオに拠点を移し、その身体に徐々に纏われていく蛇肌タトゥーは、彼女自身の着エロ自撮り趣味とも相まって西側世界で知名度を得ていった。

 

小愛(写真:ケロッピー前田)

 

 ジウジのタトゥースクールの生徒の1人、マンマンはジェイと僕の講座に影響を受けてポリネシアンタトゥーを本格的に勉強し始めた。そして翌年の北京コンベンションではマルケサスタトゥーデザインの辞書本「テ・パトゥ・ティキ」を、ちゃっかり独自に中国語訳にした本の販売と共に、彼女は中国初のポリネシアンタトゥーイストとしてデビューした。

 ジウジは、妻をはじめとする家族や多くの弟子たちの反対にやはり一切聞く耳を持たず、あっさりと離婚、廃業し、道教の新米道士として山中の道観(寺院)で仙人修行の生活に入ったという。シャオアイはそんな師匠を、ロールスロイスにだって乗れたはずなのにショボいインチキ占い師に成り果てたアホ扱いして呆れていたが、正直なところ僕は先を越された感でハッとした。それ絶対面白いやつだろ。

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〈INFORMATION〉

『一滴の黒』大島托 著(ケンエレブックス 刊)

https://books.kenelephant.co.jp/products/9784910315157

日本を代表するタトゥーアーティスト・大島托が、トライバルタトゥーをめぐるリアルな習俗と歴史、そして現在を描き出す旅の記録。全国書店にて発売中。

 

 

〈MULTIVERSE〉

「レオ・ベルサーニをめぐって 」──クィアが「ダーク」であること──|檜垣立哉

「ゴシックからブラックへ、アフロ・マニエリスムの誘惑」── “暗黒批評”家が紡いだ異貌の黒人音楽史|後藤護インタビュー

「死と刺青と悟りの人類学──なぜアニミズムは遠ざけられるのか」|奥野克巳 × 大島托

「聴こえざるを聴き、見えざるを見る」|清水高志×松岡正剛

「あるキタキツネの晴れやかなる死」──映画『チロンヌㇷ゚カムイ イオマンテ』が記録した幻の神送り|北村皆雄×豊川容子×コムアイ

「パンク」とは何か? ──反権威、自主管理、直接行動によって、自分の居場所を作る革命|『Punk! The Revolution of Everyday Life』展主宰・川上幸之介インタビュー

「現代魔女たちは灰色の大地で踊る」──「思想」ではなく「まじない」のアクティビズム|磐樹炙弦 × 円香

「生死観」としての有機農業 ──エチオピアで学んだ生の豊穣|松下明弘

「病とは治療するものにあらず」 ──全生を説いた体育家・野口晴哉の思想と実践

「俺たちはグレーな壁を生き返らせているんだ」──1人の日本人がまなざしたブラジルのストリート|阿部航太×松下徹

「BABU伝」 ──北九州の聖なるゴミ|辻陽介

「汝はいかにして“縄文族”になりしや」──《JOMON TRIBE》外伝

「土へと堕落せよ」 ──育て、殺め、喰らう里山人の甘美なる背徳生活|東千茅との対話

「今、戦略的に“自閉”すること」──水平的な横の関係を確保した上でちょっとだけ垂直的に立つ|精神科医・松本卓也インタビュー

フリーダムか、アナキーか──「潜在的コモンズ」の可能性──アナ・チン『マツタケ』をめぐって|赤嶺淳×辻陽介

「人間の歴史を教えるなら万物の歴史が必要だ」──全人類の起源譚としてのビッグヒストリー|デイヴィッド・クリスチャン × 孫岳 × 辻村伸雄

「Why Brexit?」──ブレグジットは失われた英国カルチャーを蘇生するか|DJ Marbo × 幌村菜生

「あいちトリエンナーレ2019」を記憶すること|参加アーティスト・村山悟郎のの視点

「かつて祖先は、歌い、踊り、叫び、纏い、そして屍肉を食らった」生命と肉食の起源をたどるビッグヒストリー|辻村伸雄インタビュー

「そこに悪意はあるのか?」いまアートに求められる戦略と狡知|小鷹拓郎インタビュー

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「Floating away」精神科医・遠迫憲英と現代魔術実践家のBangi vanz Abdulのに西海岸紀行

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「私の子だからって私だけが面倒を見る必要ないよね?」 エチオピアの農村を支える基盤的コミュニズムと自治の精神|松村圭一郎インタビュー

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「子どもではなく類縁関係をつくろう」サイボーグ、伴侶種、堆肥体、クトゥルー新世|ダナ・ハラウェイが次なる千年紀に向けて語る

「バッドテイスト生存戦略会議」ヌケメ×HOUXO QUE×村山悟郎

「世界ではなぜいま伝統的タトゥーが復興しようとしているのか」台湾、琉球、アイヌの文身をめぐって|大島托×山本芳美

「芦原伸『ラストカムイ』を読んで」──砂澤ビッキと「二つの風」|辻陽介

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「21世紀の〈顔貌〉はマトリクスをたゆたう」 ──機械のまなざしと顔の呪術性|山川冬樹 × 村山悟郎

「ある詩人の履歴書」(火舌詩集 Ⅰ 『HARD BOILED MOON』より)|曽根賢

「新町炎上、その後」──沖縄の旧赤線地帯にアートギャラリーをつくった男|津波典泰

「蓮の糸は、此岸と彼岸を結い、新たなる神話を編む」──ハチスノイトが言葉を歌わない理由|桜美林大学ビッグヒストリー講座ゲスト講義

「巨大な夢が繁茂するシュアール族の森で──複数の世界線を生きる」|太田光海 × 清水高志

「反・衛生パスポートのための準備運動──連帯主義と生-資本に抗する」|西迫大祐×塚原東吾

『ごきげんよう、ヒドラちゃん』|逆卷しとね

「HOW TO SCAN THE WORLD 」── 世界をくまなく、そして注意深く、「見る」「触れる」「遊ぶ」|BIEN × 石毛健太 × 髙木遊

 

PROFILE

大島托 おおしま・たく/1970年、福岡県出身。タトゥースタジオ「APOCARIPT」主催。黒一色の文様を刻むトライバル・タトゥーおよびブラックワークを専門とする。世界各地に残る民族タトゥーを現地に赴いてリサーチし、現代的なタトゥーデザインに取り入れている。2016年よりジャーナリストのケロッピー前田と共に縄文時代の文身を現代に創造的に復興するプロジェクト「JOMON TRIBE」を始動。著書に『一滴の黒』(ケンエレブックス)。【APOCARIPT】http://www.apocaript.com/index.html