ゴシックからブラックへ、アフロ・マニエリスムの誘惑── “暗黒批評”家が紡いだ異貌の黒人音楽史|後藤護 『黒人音楽史 奇想の宇宙』インタビュー
黒人音楽の精神史をひもとき、アフロフューチャリズムも飛び超えるアフロ・マニエリスムが浮き彫りにする新たな黒人文化論。気鋭の“暗黒批評”家・後藤護の新刊『黒人音楽史 奇想の宇宙』をめぐって。
気鋭の“暗黒批評”家・後藤護が新刊『黒人音楽史 奇想の宇宙』(中央公論新社)をひっさげて、従来の黒人文化やブラックミュージックの歴史を挑発した。
2019年刊のデビュー作『ゴシック・カルチャー入門』(Pヴァイン)では、日本ではお馴染みの耽美的なゴス趣味を縦横無尽な博覧狂気ぶりで凌駕して大きな話題となったが、今回は肉体偏重が横行する黒人文化のパブリックイメージを覆し、知性と暗号と隠喩から奇想の宇宙に彩られた地表の下に眠るディープ・ブラックネスの系譜を掘り起こす。
アメリカ黒人の歴史とは壮絶な差別との闘いであったが、黒人霊歌からブルース、ジャズ、ファンク、ホラーコア、ヒップホップまで、黒人音楽の精神史をひもとき、アフロフューチャリズムも飛び超えるアフロ・マニエリスムが浮き彫りにする新たな黒人文化論は、BLM(ブラック・ライヴズ・マター)以降のさらなる未来の黒人音楽の歴史をも予見する。
『黒人音楽史 奇想の宇宙』(中央公論新社)の著者、後藤護氏に聞いた。
インタビュー・文/ケロッピー前田
後藤護とは何者か?
ケロッピー(以下、ケロ) 後藤さんといえば、ずっと黒眼鏡が印象的でした。澁澤龍彥や阿木譲といった系譜に属する存在かなと。
後藤護(以下、後藤) そこにみうらじゅんも入れてください(笑)。黒眼鏡について聞かれたのは初めてです。知はお客さんを前提としたパフォーマンスだと思ってるので、はっきり言って僕が書いてる本より、ときに黒眼鏡の方が重要かも(笑)
ケロ そういうところも恩師・高山宏さんから学んだことでしょうか?
後藤 そうですね。高山さんこそ、ロックスターです。本人曰く、15万冊を読破したと豪語してますが、僕の周りにいる人たちはそれに憧れて一生懸命勉強してます。とはいえ、一番肝心な高山宏のロックスター性を真似する者が現れないことに苛立っていました。まずサングラスだろう! どう見てもロン毛で黒服なのが高山宏だろう!まずはそこから真似ろ! お勉強はその後だ、と思ってました。
ケロ 暗黒批評なんですからどんどん言っちゃってください。
後藤 高山さんって、一番の専門は視覚文化論なんですよ。ヴィジュアル・スタディーズ、人間はどう見るかっていうことですよね。僕がサングラスをかけるのは、変身願望ってのもありますが、それ以上に、視線が隠されている僕に対する相手の反応を観察するのが楽しいんです。ちょっと世界をずらしたい、斜に見たい、暗黒批評というのは夜道でこそ黒眼鏡をかけるダンディズムです。あとカオスのパワーに惹かれるというか、知的なマニエリスムを標榜しつつ情念的な(バ)ロックにいつも流れちゃうのが僕なので、そこが高山さんとの素質の違いだと思います。でもその過剰さがあったからこそ、いい意味で道を踏み外せたかなと。
アフロ・マニエリスムの誕生
ケロ 今回の新刊で黒人音楽をテーマにしたのも高山さんが絶対にやらないからとか?
後藤 そうですね、師匠と同じこと再生産しても仕方ないですから。でも最初に興味を持ったのはヒップホップで、ほんと恥ずかしいんですけど、『フリースタイルダンジョン』(テレビ朝日系)がきっかけだったんですよ。だから、黒人音楽史なんて本を書いていい人間じゃないんです。実際、黒人文化についてはここ4、5年位しか勉強してないから。それでも、ヒップホップのヤンキー文化が僕のセンスに徐々になじまなくなって、逆にヒップホップがマニエリスムとつながってきて、もうひとつ先に行けるんじゃないかと思ったんです。
ケロ そのきっかけはなんでしょうか?
後藤 第一にアフロ・フューチャリズムですね。日本語ラップを掘り下げるだけじゃみえてこない黒人文化のおもしろい側面があることがわかってきました。さらに第二の転機となったのは、ジェームス・ブラクストン・ピーターソン『ヒップホップ・アンダーグラウンドとアフリカ系アメリカ文化-表層の下へ』(バルグレイヴ)でした。洋書ですが、ここでいう“アンダーグラウンド”って、60年代的なアングラということでなくて、文字通り、地表の下という意味で黒人文化の根っこにあるものを扱っていて、ああ、これで黒人文化の200~300年間を整理できるなと、一気に裾野が広がりました。
ケロ 後藤さんの『黒人音楽史』の肝の部分じゃないですか!
後藤 そうです。そこで秘密結社ファイヴ・パーセンターズとか、日本の音楽シーンの人たちが教えてくれない未知のエソテリック領域があることがわかったんです。あとピーターソンの本を通じて、“地下鉄道”という、奴隷だった黒人の間でやり取りされていた暗号文化があったこともわかりました。コルソン・ホワイトヘッド『地下鉄道』(早川書房)が翻訳される前だったんで、おいおいマジかと衝撃でした。『ヒップホップ・アンダーグラウンド』から、暗号だとか、身を隠す身ぶりだとかの要素を抜き出して並べてみると、それに肉付けして新しい黒人音楽史が書けると確信しました。
ケロ 後藤さんのなかで、アフロとマニエリスムが結びついたのはいつ頃ですか?
後藤 2017年、最初の単著『ゴシック・カルチャー入門』が出る前ぐらい。まあ、マニエリスムって、すべてをつなげる行為なので、バラバラのものをつぎはぎして、トータルで充溢した何かを見せられればいいアートなんです。だから両者がつながることは僕にとって当然のなりゆきだったかな。
ケロ 黒人音楽史のまえがきによると、歴史順に並べるんじゃなく、根底に共通するものを導き出して提示していくことこそがマニエリスム的であると書いています。
後藤 そうです。地下にまつわる表現で、山師という言葉があるじゃないですか。僕も山師とよく言われるんですけど、もともとは地下の鉱脈がどこにあって、どうつながっているかを測量する鉱山技師のことなんです。つまり、地表からは見えない地下のネットワークを僕はみつけていく、それがアナロジーなんです。つながるはずのないものがつながるときこそが知的快楽なんです。それはコンピュータには出来ないこと。まぁ、それをうまくやっているのが、僕の本ということです。
『黒人音楽史』という名の思想書
ケロ 『黒人音楽史』には、アフロ・マニエリスムもそうですが、キーワードがたくさん出てきます。そればかりか、参考資料が文献でどんどん出てくるのがいい。ネットからの情報もあるだろうけど、本の森にちゃんと連れて行ってくれるんですよね。
後藤 僕にとって、本はびっくり箱みたいなもので、本を読むのも書くのも世のため人のためとか大義名分ありきでは断じてなく、極めて個人的で秘匿された快楽です。その快楽を皆さんにも味わってほしい。最近の音楽本は、参考資料にURLをくっつけていることが多くてガッカリします。もっと秘密の、秘教的な、普通だったら見つけようのない知識が欲しいのになあ。だから、『黒人音楽史』は失われつつある知的伝統を復権しようという本とも言えます。澁澤龍彥や僕の先生だった高山宏先生、荒俣宏さん、松岡正剛さんといった偉大な先人たちが守ってきた博学者(ポリマス)の伝統というものがあって、そこでは書物を通じたコミュニケーションは秘密結社的なあり方なんです。
ケロ まさしく同意します。後藤さんと最初に会ったのは文学フリマでしたが、それに触発されて、僕も“BURST公開会議”として文学フリマに出店するようになりました。
後藤 僕が作っている『機関精神史』を通販しないのもまさにそこにあります。つまり、秘密結社にしたい、ネット民のモラルにチューニングしただけの安い言説は入ってくるな、それぐらいの勢いでやってます。ダークウェブとかディープウェブより、通販皆無の手売り同人誌のほうが遥かにアンダーグラウンドで、好きなことやれます。
ケロ 『黒人音楽史』についてみていくなら、まずは最初の二つの章が力作ですっかり引き込まれました。黒人霊歌に隠された暗号を黒人奴隷を逃亡させるための秘密結社“地下鉄道”で読み解き、キルトの布地に縫われた暗号を解読するに至っては黒人フリーメーソンも登場します。それに続く、鳥獣戯画ブルースでは、アメリカン・フォーク・ミュージックの収集家としても知られるハリー・スミスを導き手にセンス・オブ・ワンダーな領域に分け入り、鯰(なまず)や害虫などを歌うブルースの不条理性の果てに、西洋の魔術的ルネサンスに通じる“存在の大いなる連鎖”にも関連づけられています。
後藤 霊歌とかブルースって、今の音楽ライターほとんどノータッチのところじゃないですか。最近、『アフロフューチャリズム』(フィルムアート社)の翻訳も出ましたけど、あそこらへんは全然扱っていないでしょう。畑の真ん中でラバ引きながら叫んでる黒人の話というか、そういう土着的なところを持ってくれば、他と一線を画することができるという考えがありました。僕は精神史をテーマにしているから、最初に黒人霊歌とブルースを持ってきたのは、ハッキリと差異化をはかったわけですね。
ケロ 全然知らない話ばかりで面白かったです。
後藤 書いている本人もそれまで知らなかったから、楽しんで書いています。僕自身、あの二章でワンダーがモコモコと膨れ上がりましたよ。
ケロ 第3章以降は、アルバート・アイラー、サン・ラー、ジョージ・クリントンなど、アーティストごとに扱うことで、ちょっとトーンが変わっています。
後藤 アルバート・アイラーの章に“インゲニウム(天啓)”(P114)という言葉がでてくるんですが、これはジーニアス(天才)と同語源で、フマニスムの伝統では「何かと何かが似ている」と発見することがインゲニウムの作用なんです。僕がこの本で実践したのはインゲニウムであるとも言えます。そのことは、エルネスト・グラッシが『形象の力 合理的言語の無力』(白水社)で説いていることですが、つながるはずのないものをつなげていくと、映画と文学とか、絵画と音楽とか、ジャンル超えちゃうんですよ。今の批評のあり方からすると曖昧だとか、厳密でない、分析的でない、不完全な批評であると言われてしまうかもしれませんが、僕からすれば、本来的な知性のあり方とは直観的かつ総合的なもので、魔術も総合的な知性なんです。そういう意味では先祖返りした本かもしれないですね。たとえるなら、令和のパラケルススが書いた音楽批評とも言えます。
ケロ おお、錬金術的な!
後藤 そうそう。まぜまぜしてグチャっとしたものを出して、何これって喜ぶ人もいれば、ウッとなっちゃう人もいます。センスの問題だから、ウッとなった人は僕とはご縁がございませーん、と言うしかない。ところで、ケロッピーさんはサン・ラーあたりから読まれたと。
ケロ そうですね。個人的にサン・ラーは好きだし、知っているミュージシャンだと音がイメージしやすいので、真っ先に読みたかった章でした。
後藤 サン・ラーに反応する人は多いですね。日本では昨年、映画『サン・ラーのスペース・イズ・ザ・プレイス』(1974年)が公開されて再評価が盛り上がりました。僕の本でもサン・ラーのお陰で宇宙というテーマが決まったからね。
BLM(ブラック・ライヴズ・マター)以降のヒップホップ
ケロ さらにヒップホップについて、二つの章があります。
後藤 そうです。第六章はホラーコアに割いています。ヒップホップ好きにはワオッ!みたいな感じでしょう。ニッチだけど書いておかないと、ネットにしか情報がないから。日本のシーンにも影響があったのに、ヒップホップ正史なるものからも邪道という扱いでした。
BLM以降に大きな変化があって、2015年にケンドリック・ラマーの『トゥ・ピンプ・ア・バタフライ』というアルバムが出て、ジョージ・クリントンとか、2パックとか、今までのブラックミュージックの歴史を絵巻物のようにみせていく、壮大なアルバムに仕上がっています。感動的な作品ではありますが、マニエリスム的にはヴンダーカンマー(驚異博物館)というキーワードが重要で、ガラクタから珍品までを自分の欲望に忠実に一ケ所に集めて、ゴチャゴチャにさせたときにできるカオスを楽しむ文化としてのセンスからしたら、あまりに整頓された音楽なんですね。ヒップホップってウータン・クランみたいに、もっとガチャガチャしたものじゃねえのかよと疑問でした。
つまり、BLMが見せてくれるものって、その清潔さのフィルターを通じて濾過された文化を作ってしまっています。アフロフューチャリズムもそうですが、公民権運動以降の進歩的な黒人像を前提にして、肌の色を超越した次元でやりましょうという理想はわかるんですが、往々にしてしょうもないポストモダン言説の再生産にしかなってない。ときに人殺しだったり、飲んだくれだったり、女たらしだったりするブルース・ピープルの居場所は、そのキラキラ世界にないわけです。
ケロ キャンセルカルチャーに行っちゃうと面白くないわけですね。
後藤 そうです。だから、アフロフューチャリズムはリアルからフィクションへの移行を促した功績も大きいですが、正直、限界も感じます。アフロフューチャリズムの先、BLM以降のもっと先の未来まで考えて書いた本なんですよ。
キャンセルカルチャーを凌駕するアフロ・マニエリスム
ケロ 黒人文化における悪趣味で残酷な部分は、それ自体が歴史的な事実だから、それを切り捨ててしまうとわからなくなってしまうことがありますよね。だから、やっぱり残しておかないといけないところもあると。
後藤 僕はその立場ですよ。『ゼム』という映像作品についても書いていますが、1950年代が舞台で、コンプトンの白人が多く住む地帯に引っ越してきた黒人家族が壮絶な人種差別に見舞われる話なんですが、おぞましい強姦シーンがあったりして黒人トラウマポルノみたいな評価をされちゃっています。ただ『奴隷船の歴史』(みすず書房)なんかを読むと、もっと酷いことが行われていたと知り唖然とするわけです。それなのに、映像だとショックを受けてしまう人がいるからダメみたいな、バランスを求める人たちもいるけど、それで本当にいいの? と思うわけです。
それこそ、日本の90年代カルチャー、ケロッピーさんが活躍した時代の露悪文化ですよ。露悪って美が持っている欺瞞をからめ手から暴くための装置でもあったはずです。美というものが持っている差別的で隠蔽的な構造に対する、イデオロギッシュでグロテスクな闘争だったわけじゃないですか。それが今は全然通じなくなっちゃった。露悪というものが持っていた、ある種政治的な側面ですよね。僕は、それを2020年代的な問題意識で書きたいというのがあって、ホラーコアについての章をわざわざ入れたんです。この章はケロッピーさんたちの世代に対するオマージュでもあります。
ケロ ありがとうございます。負の部分を否定しないという正しさはありますよね。
後藤 この本には時限爆弾的なところがあって、絶対に2022年的な言説にしてやるもんかという立場がありました。スターリニズムの反革命的時代に、中世・ルネサンスのカーニヴァルのグロテスクを言祝いだバフチンのラブレー論と精神は同じですね。おそらく、今のBLM的な言説に縛られたら、2、30年後には絶対に凡庸に見えますから、そのときに恥じないものを書きたかったんです。この時代にありがちな過去の言説、でなくね。
ケロ 明らかに行き過ぎているキャンセルカルチャーはあるから、それにどう対峙していくかということはありますよね。
後藤 黒人音楽について書くふりをして、実は自分の思想を書いているだけとも言えます。つまり、この大炎上時代に好きなことをやりたかったら暗号を使う、隠喩を使う、レトリックを使う、道化のジョージ・クリントンになるしかないんですよ。直接言ったら殺られちゃうなら、華麗に言葉をヴェールに包んだり、暗号化するしかないでしょう。アルバート・アイラーも黒人差別が厳しい中で、「Masonic Inborn(生まれつきフリーメーソン)」という曲を作るわけですよ。かつてフリーメーソン憲章には生まれつき自由人(白人)でなければ入れないという条項があって、自由黒人も元奴隷だったら入れなかった。だから、あえてそれを曲のタイトルにして白いフリーメーソンの欺瞞を婉曲的に突いたわけです。黒人差別に対するNOを曲のタイトルだけで暗示しているわけですよね。ハイコンテクストな文脈がわかる人にしか、わからないんですけど。だから、今の時代は検閲する側の知性を上回るしかないんです。そのために真に知的な文体を復権しなければならない。そんな反逆の書でもあるんです。
ケロ まえがきには、静かなやり方でとありますが、非常に熱いエネルギーが溢れています。
後藤 それは、今が2020年代であるということも大きいです。ちょうど100年前は、1960年代と並んで20世紀のツインピークスをなす、モダニズムの前衛が台頭した1920年代ですよね。だから、それから100年たった今、当時はスペイン風邪があって今はコロナだしで時代的に重なっているということを、僕の世代の人たちに意識して欲しいんですよ。この閉塞感を破るには、このタイミングしかないだろう。2020年代を新たな1920年代にしようではありませんか!
ニーチェの歴史観だと、点と点でつながる歴史には寸断と飛躍によって生じる独自の波動なりグルーヴがあって、一番しなやかで強靭というんですよ。だから、昭和~平成~令和とか線でつながる年表的な歴史なんて歴史じゃない。かけ離れたある時代と時代がバチーンとつながった瞬間に歴史は生まれるんです。ルネサンスが古代文化の復興だったみたいにね。それが僕の天啓なんです。読者に言いたい、お前が見つけろ! 歴史の点と点を!「こ、これは俺そのものだ!」って過去の人物なり出来事をレアグルーヴを探るDJの魔術的手つきで発掘して、その感動を起点に独自の文化史を作ってほしい。
ケロ 黒人音楽史という名の自分史発見の時限爆弾ですね。そんな本が生み出されたことこそが2020年代の希望です。今後のご活躍も期待しています!
インタビュー・文/ケロッピー前田
【INFORMATION】
後藤護 著『黒人音楽史 奇想の宇宙』(中央公論新社、2022年刊)
「静かなやり方で」、新しい歴史を紡ごう
奴隷制時代から南北戦争、公民権運動をへて真の解放をめざす現代まで。アメリカ黒人の歴史とは、壮絶な差別との闘いであり、その反骨の精神はとりわけ音楽の形で表現されてきた。しかし黒人音楽といえば、そのリズムやグルーヴが注目された反面、忘れ去られたのは知性・暗号・超絶技巧という真髄である。今こそ「静かなやり方で」(M・デイヴィス)、新しい歴史を紡ごう。本書は黒人霊歌からブルース、ジャズ、ファンク、ホラーコア、ヒップホップまで、黒人音楽の精神史をひもとき、驚異と奇想の世界へと読者をいざなう。古今東西の文献を博捜した筆者がおくる、新たな黒人音楽史。
12/15(木)「クレイジーミュージック探訪 ~ 黒人音楽史 奇想の宇宙 編」@阿佐ヶ谷TABASA
会場:阿佐ヶ谷TABASA https://asagayatabasa.com
開場 19:00 開演 19:30 料金 ¥1000+D
予約 https://asagayatabasa.com/events/kureijimyujikkutanbo-kokujinongakushi-kisonouchu-hen
出演 後藤護(暗黒批評)持田保 ケロッピー前田
後藤護 ごとう・まもる/1988年山形県生まれ。暗黒批評。著書に『ゴシック・カルチャー入門』(Pヴァイン、2019年)がある。主に『キネマ旬報』『ele-king』「Real Sound」などに映画・音楽・マンガに関するレヴューを寄稿。魔誌『機関精神史』編集主幹。「リアルサウンド ブック」に「マンガとゴシック」連載中(書籍化予定)。
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