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あるキタキツネの晴れやかなる死──映画『チロンヌㇷ゚カムイ イオマンテ』が記録した幻の神送り|北村皆雄×豊川容子×コムアイ ⑶

1986年に北海道屈斜路湖を臨む美幌峠で、大正時代に行われてから75年ぶりに行われたアイヌ民族の幻の祭祀を記録した北村皆雄監督のドキュメンタリー映画『チロンヌㇷ゚カムイ イオマンテ』。その公開を記念して行われた座談会の記録。

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アイヌの歌声

コムアイ ところで、豊川さんは声をあてる時はどういう感覚でやられてたんですか?

豊川 もう必死でしたね(笑)。なんせ初めてのことだったので。まあライブとかで語ったりすることはあるんですけど、アテレコは初めてだったので。

コムアイ 何テイクも録ったり?

北村 いやほとんど1回でしたね。

コムアイ 声のトーンとかは迷ったりしました?

豊川 そうですね、最初はもっと子供っぽい感じとかにしたほうがいいのかなって思って、自分なりに声を作ったりしてたんだけど。北村さんに普通に淡々と語ってくださいって言われたのでそうしましたね。

コムアイ すごくいい声だった。豊川さんは「60のゆりかご」もそうですけど、歌う時もいろんな声を出されてますよね。声から想像する姿と全然違う。おばあちゃんみたいな声を出したり、小さな女の子みたいな声を出したり、いろんな声を切り替えてらっしゃるなって。

 

 

豊川 それは多分、歌の覚え方のせいですね。歌を覚えるときはまず昔の人が歌った歌を何回も聞くわけですけど、私には初めて聞く言葉とかが多いから、とりあえず完コピしようと頑張るんですよね。この言葉はどこから発音ができるんだろう、喉のどこらへんを使ってるんだろうみたいに探りながら完コピしようとしていくと、自然とその人に声が似てきちゃって。だから、覚えた人の声によって歌声も違ってきちゃうんです。

コムアイ すごい(笑)。私は豊川さんの「60の揺りかご」を最初アニメーションのものを見たんですよ。で、てっきりどこかのフチが歌っているんだなって思ってたら豊川さんだった。

豊川 川上マツコさんっていう人がおばあちゃんになってから録音した声を聞いて覚えたんですけど、その人は太くて低くてすごいいい声で、一回は真似してみたんだけど、できなくて。低くて出ない声があったんです。だからその部分だけ自分で高くしたりしてみて。やっぱり昔の人の音源って、おばあちゃんのしか残ってないんですよね。だからおばあちゃんっぽい声になっちゃう(笑)

コムアイ やっぱり歌が上手い人ってなるとおばあちゃんになっちゃいますよね。

豊川 そうなんです。アイヌの若い人がどんな風に歌っていたのか知りたくて、研究者の人にそういう音源ないですかって聞いてみたんだけど、やっぱり知ってる限りではないって言われて。若い人は踊ってて、年配になってから歌ったのかな。それか若い人が働きに出てる時に家に研究者の人が訪ねて、家にいるのがおばあちゃんだけだったとか。

コムアイ 若い人はオリパク(遠慮)するからというのもありそう。アイヌの人たち、年長の人を大事にしますよね。阿寒に行っててそう思いました。最初は「え、こんなに嫌がってるおばあちゃんに歌わせるの?」って思ったんですよ(笑)。キクさん(※)は「私、いやだ、歌わないよ」って言ってるのに、他のお姉さんたちが「いいからいいから」ってマイクを持たせて輪の中心に押し出してて。でもフチも遠慮してるだけなのかな。実際に歌ってる姿を見てみると、本当は嫌ではないのかなって思って(笑)

※本作に登場するキヨさんの娘。アイヌ歌謡の名手。

豊川 遠慮してるだけですよね(笑)

コムアイ 若い人も、普段から歌ってたんでしょうかね。喉の使い方はどうなんだろう。だんだんと声が枯れてきて、喉で出す声になってくのかな。

豊川 私もそこが全然わからないんですよ。

 

 

コムアイ 自分自身では、歌ってて、だんだん声が低くなってきたなって思います。年齢とともに喉が変わっていきますね。それにしてもキクさんの声は引き込まれますね。

北村 僕が以前に話を聞いた時は、もうキクさんしか伝統的な歌い方、あの声を震わせるような歌い方をできる人はいないよ、と言われましたね。

豊川 キクさんはキヨさんにそっくりですよね。

 

キヨさん(『チロンヌプカムイ イオマンテ』より)

 

コムアイ ね、びっくりしました! 顔も声も似てる。今回、この映画をキクさんたちと一緒に阿寒で観たんですが、皆さん色々なこと思い出しながら見てました。「こんな記録をちゃんと撮っておいてくれて本当にありがとう」って伝言を預かってきてます。やっぱり普通に過ごしていたら忘れていくんだと思う。今を生きていくというのはそういうことで、でも映像を見ることによって記憶や体感が蘇るスイッチが押されているようでした。だから、この映画は北海道でたくさん上映してほしいですよね。

 

環境を主体とするアイヌ音楽

DZ お二人にとってアイヌ音楽の魅力はどこらへんにあるんですか?

コムアイ 今回のウタサ祭りに参加してみてあらためて思ったけど、歌に決まった音程がないところが好きなんですよね。ため息みたいに息遣いを大事にしてて、旋律というか音の波はあるんだけど、それがどこにハマるというところがあらかじめ決定されてなくて、歌い始めた人についていく感じ。さらに、ウコウク(輪唱)していった他の人の音程が違っても、それはそれでいいんですよね。テンポもそうで、自然に早くなってったりもして。

 

 

これまで自分の音程が正音階にハマっていないということは音が外れているってことなんだって思っていたんですけど、アイヌ音楽のあり方に触れるとそれがすごい狭い考え方だったんだなって思わされるんです。民族の伝統音楽の中でも特にアイヌの音楽に触れた時にそれを感じた。キーボードがない世界ではその環境の中で適当に決めた音階から歌い始めていいんだなって。

歌がうまいっていうことに関しても、声が透き通ってるとか伸びやかであるとかとはフチたちの歌い方ってまるで違うじゃないですか。歌に対する考え方そのものを変えてもらえた気がする。それにやっぱりウコウクが楽しいんですよね。誰かが歌い出したらすぐに違う誰かが歌を重ねていってね、しかも一瞬で歌えるじゃないですか。そういう生活に密着した歌や踊りにずっと憧れがあったので、まさにこれだなって感じてます。

 

 

DZ 豊川さんはどうです?

豊川 なんだろう。ずっと古くならない気がするんですよね。今聞いてもかっこいいって言うのかな。実際にかっこいいって思うんです、昔の音源を聴いても。こんなすごいことを昔できていたんだって。喉の使い方とかも、こんなの絶対に真似できないっていうか、どんなに頑張っても鳴らせないような音を鳴らしていて。私だと喉の震わせ方が二個も三個も足りなくて、昔の人にいまだに追いつけない。それはきっと今の私たちにとって歌が生活に密着していなくて、それがなくても生きていけるようになってしまったからだと思う。あの時代の人たちは本当に生きていくための手段として歌っていたから必死さが違うんだろうなって。

北村 豊川さんは以前は大阪で日本の歌を普通に歌っていたわけですよね。そっからなんでアイヌの歌をあらためて歌おうと思ったんです?

豊川 私の親はアイヌの保存会に入ってたから、ずっと踊りはしてたんですよね。だからアイヌ音楽は小さい頃から耳にはしてたんです。ただ、その後はアイヌを避けるようになってしまっていて。なんていうか、自分がアイヌであることが恥ずかしいと感じてしまっていたんですよね。でも20歳くらいの時に安藤ウメ子さんの歌をCDで聞いたら、本当に衝撃が走って。アイヌであることを恥ずかしいと思うなんて、自分はなんて恥ずかしい人間なんだろうって思ったんです。だけど、それでもやっぱり自分ではアイヌだとはなかなか言えなくて、その後もアイヌのアの字も口に出せないくらい逃げ回ってて、北海道からもしばらく離れてたんですよね。

ただ、30歳くらいになって7年ぶりくらいに北海道に帰ってきたら、なんかアイヌ音楽をやってみようって自然と思えたんです。そこには空気感の変化も関係していて、それこそ以前はうちの親はアイヌの保存会に入っていたんだけど、家の中でアイヌについて触れるのは避けていたんです。どうしようもなく触れなきゃいけない場面はあるけど、基本的にはアイヌが家庭で話題に上がることはなかった。でも、7年経って帰ってみたら、家族が自然とアイヌの話をするようになってたんです。姉にも子供が生まれていて、子供とアイヌのイベントとかに行くようになったりしてて。そんな中で、私もアイヌのライブイベントに呼んでもらったんです。そこで安東ウメ子さんの歌を歌わせてもらって。それがきっかけだったんですよ。

 

 

コムアイ 家族内での雰囲気が変わってたっていうのは、社会の中での空気の変化とかも関係してたんですか?

豊川 どちらかというと、姉の結婚が大きかったかもしれないですかね。うちの姉はインドネシアの人と結婚したんですけど、外国の人だからアイヌが北海道でどう差別されてきたとかは知らないんです。だから、「アイヌの人って毛深いんだよね~」みたいな感じで、すごく気軽にアイヌについて話すんですよね(笑)。そういうあっけらかんとした人がいたのも大きかったと思う。あと姉が子供にアイヌであることを言わなきゃいけないって思って、それで子供にも話したっていうのも大きかったんじゃないかな。

コムアイ 自分のアイデンティティを誇りに思えなかったとか、子供たちには知らせないでおこうとしていたみたいな話は私もたくさん聞いてます。すごく切ないですよね。同化政策を押し付けたのは和人の方で、でもその和人はそういう歴史のことを忘れて、ただアイヌ文化面白いよねってのん気に言うだけで。

北村 映画の中でアイヌのおばさんが、このイオマンテの儀礼に参加したことで、初めてアイヌであるということが誇りに思えた、って話をしてますよね。やっぱりそういう風に思わせてくれるような何かを持ってるんでしょうね。イオマンテという儀礼には。

DZ そこが文化の力のすごいところですよね。さっきも歌の話の中で、豊川さんがかつては歌が生きるために必要だったって話されてたじゃないですか。これは個人的な話ですけど、以前に北海道を巡っていたときに、夜の山でムックリを鳴らしたことがあるんですよね。もちろん、そこには人間はいなくて、あたりは一面真っ暗で。でも動物の気配だけは感じられて、まあ怖いわけですよ。ただ、その暗闇の中でムックリを鳴らしてみたら、その怖さがふっと消えたんですよね。それまでは山の中で自分だけが異物として存在しているような感じがしてたんですが、ムックリを鳴らすことで自分もまた山の一部になったような感じがしたんです。

コムアイさんのしてくれた話とも繋がりますけど、多分、アイヌ音楽は環境を主体とした音楽なのかもなってその時に思ったんですよね。アイヌの人々は音楽によって自分を取り巻く環境と交渉していたんじゃないかな、と。だから環境によって音程だってリズムだって変えていい。山ありき森ありきの音楽なんだろうなって。でも、ムックリがそこにあったからこそ僕はそのことを感じられたんですよね。文化の型ってその意味ではすごく大事で、一つのメディウムのように記憶や技術を保存してるんだと思います。多分、イオマンテもそういうメディウムとしての機能を持っているんだろうな、と。

コムアイ カムイユカも動物のカムイが語り部になっていて、人間ではないものに主体がありますよね。でも、あのユカを文字を持たないまま伝承し続けてきたって本当にすごいですよね。耳で聞いたものを記憶するっていうことが得意だったのかな。やっぱり文字を書き始めたりするとその能力が下がっていってしまうのかもしれないですよね。ウポポも今はみんな忘れないようにカタカナにして書いていたりするじゃないですか。その方が便利だしそういう風にするわけだけど。こんなの絶対に覚えられるはずないって思いますもん。

北村 沖縄の久高島に一人すごい女性がいましたね。その人は12年に一度だけ行われる祭りの歌を全部覚えているんです。で、その人はやっぱり文字は読めない人なんですよ。12年に一度しか歌わないのに忘れないってすごいなと思って、その方にどうしてそんなに歌を覚えられるんですかって聞いてみたら、「左の耳に神様が囁いてくれるんですよ」って言ってましたね。覚えているとかではないんだ、と。その12年後にも同じおばあさんをまた撮影しているんですけど、やっぱり淀みなく神歌が出てくるんですよね。

 

 

コムアイ クラウドに接続してるんですね。でも、そうじゃなきゃ無理ですよね。

DZ ジュリアン・ジェインズの『神々の沈黙』を彷彿しました。古代の人は自らの意思で動いていたのではなく、脳内に囁かれる神々の声に従って生きていたのだ、という。

……では、そろそろこの場を締めようと思うんですが、最後にもう一度、映画の話に戻りましょう。僕はこの映画を見てもう一つ感じたことがあったんです。それは、よく言われるような「ハレとケ」って実はそんなにパキっと分けられるものではないということです。イオマンテはいわゆる「ハレ」なわけですけど、その「ハレ」の記憶はアイヌの人々の「ケ」にも深く浸透しているんだろうなと思ったんですよね。それこそあのツネ吉の顔を日々の暮らしにおいてずっと引きずり続けることにこそ、イオマンテの儀礼的な意味があったんじゃないかな、と。

コムアイ だからこそ大事に育てるんだろうな。「ケ」を共にしている存在じゃないといけなかった。なぜ殺める存在をわざわざ飼って、わざわざ愛着を湧かせるのか。道で見つけた狐をそのまま送るのとはやっぱり違う意味がそこにはあるわけですよね。熊送りの場合は熊を大きくするためかなって思ってたけど、この映画を見てまた違う見方ができるようになりましたね。

北村 その究極の生の哀しみみたいなものを日常の中でも保ち続けること、暮らしに纏わせていくことが、厳しい自然を生き抜いてきたアイヌ世界を支える重要なものだったんでしょうね。

豊川 ツネ吉のあの顔は本当に忘れられないですよ。

コムアイ 全て分かってる感じでしたよね。

北村 ツネ吉は誰もが神の国へ送られる存在として選ばれ、人間の世界に送られてきたのだとみな思っているのではないでしょうか。善次郎さんキヨさん夫婦はツネ吉をあらかじめ神から授けられたと思っているんですよね。ツネ吉は共同体の神として定められ、送られる神としての役目を持つたものとして育てられた。動物の命はアイヌが決めるのではなく動物が決める。有名な知里幸惠『アイヌ神謡集』の中に、シマフクロウが金持ちの子供の金の矢ではなく、貧しいが高潔な魂を持った家の子供が射る粗末な矢を受け入れる、という話があります。人間が矢を射るのではなく動物側が選んで矢を受け入れる。主体がアイヌ側ではなく動物側にあるということです。だから、アイヌの人たちは動物側に選ばれるように身を律していく。それが生きる規範の一つになっているのだろうと思いますね。

 

(2022年2月、新宿御苑前のヴィジュアルフォークロア事務所にて)

 

映画『チロンヌㇷ゚カムイ イオマンテ』が記録する幻の神送り(4)を読む>>

 

 

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北村皆雄 きたむら・みなお/1942年長野県生まれ。ドキュメンタリー映画監督。早稲田大学第一文学部演劇専修卒業。 1960年代以来、アジアや沖縄・日本各地をフィールドに、映像人類学・民俗学を掲げ百を 超える映画・テレビ番組を撮り続けてきた。1986年に撮影した『チロンヌカムイ イオマンテ』を、後世に伝えるため2021年に完成させた。代表作として『神屋原(カベール)の馬』(1969年) 『アカマタの歌』(1973年) 『見世物小屋』(1997年) 『ほかいびと』(2011年) 『冥界婚』(2016年)などがある。

 

豊川容子 とよかわ・ようこ/アイヌ伝統歌、舞踊を取り入れたバンドnin cup(ニンチュプ)のボーカル。関西を中心に活動したのち北海道帯広に戻り、自身のルーツであるアイヌの歌(ウポポ)を取り入れ歌い始める。短編アニメ『60のゆりかご』(アイヌ民族文化財団)では、夫のルーツである北海道平取地方のイヨンノッカ(子守歌)を担当。アイヌのフチ(嫗)の声をはじめ 、さまざまな声質を変幻自在に操る。2016年度STVラジオのアイヌ語ラジオ講座講師。札幌在住。

 

コムアイ KOM_I/アーティスト。1992年生まれ、神奈川育ち。ホームパーティで勧誘を受けて加入した「水曜日のカンパネラ」のボーカルとして、国内だけでなく世界中のフェスに出演、ツアーを廻る。20219月に脱退。音楽活動の他にも、ファッションやアート、カルチャーと、幅広い分野で活動。2020年にアートディレクターの村田実莉と、架空の広告を制作し水と地球環境の疑問を問いかけるプロジェクト「HYPE FREE WATER」が始動するなど、社会課題に取り組むプロジェクトに積極的に参加している。

 

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〈INFORMATION〉

映画『チロンヌカムイ イオマンテ』、2022年4月30日よりポレポレ東中野ほか全国順次公開

 

監督:北村皆雄

語り:豊川容子

音楽:豊川容子+nin cup

制作:三浦庸子

監修・カムイノミ対語訳:中川裕(千葉大学名誉教授、『ゴールデンカムイ』アイヌ語監修)

司祭者:日川善次郎エカシ

企画・スチル:堤大司郎

製作・配給 ヴィジュアルフォークロア

文化庁「ARTS for the Future!」補助対象事業

公式HP: https://www.iomantefilm.com/

 

〈MULTIVERSE〉

「現代魔女たちは灰色の大地で踊る」──「思想」ではなく「まじない」のアクティビズム|磐樹炙弦 × 円香

「生死観」としての有機農業 ──エチオピアで学んだ生の豊穣|松下明弘

「病とは治療するものにあらず」 ──全生を説いた体育家・野口晴哉の思想と実践

「俺たちはグレーな壁を生き返らせているんだ」──1人の日本人がまなざしたブラジルのストリート|阿部航太×松下徹

「BABU伝」 ──北九州の聖なるゴミ|辻陽介

「汝はいかにして“縄文族”になりしや」──《JOMON TRIBE》外伝

「土へと堕落せよ」 ──育て、殺め、喰らう里山人の甘美なる背徳生活|東千茅との対話

「今、戦略的に“自閉”すること」──水平的な横の関係を確保した上でちょっとだけ垂直的に立つ|精神科医・松本卓也インタビュー

フリーダムか、アナキーか──「潜在的コモンズ」の可能性──アナ・チン『マツタケ』をめぐって|赤嶺淳×辻陽介

「人間の歴史を教えるなら万物の歴史が必要だ」──全人類の起源譚としてのビッグヒストリー|デイヴィッド・クリスチャン × 孫岳 × 辻村伸雄

「Why Brexit?」──ブレグジットは失われた英国カルチャーを蘇生するか|DJ Marbo × 幌村菜生

「あいちトリエンナーレ2019」を記憶すること|参加アーティスト・村山悟郎のの視点

「かつて祖先は、歌い、踊り、叫び、纏い、そして屍肉を食らった」生命と肉食の起源をたどるビッグヒストリー|辻村伸雄インタビュー

「そこに悪意はあるのか?」いまアートに求められる戦略と狡知|小鷹拓郎インタビュー

「暮らしに浸り、暮らしから制作する」嗅覚アートが引き起こす境界革命|オルファクトリーアーティスト・MAKI UEDAインタビュー

「デモクラシーとは土民生活である」──異端のアナキスト・石川三四郎の「土」の思想|森元斎インタビュー

「Floating away」精神科医・遠迫憲英と現代魔術実践家のBangi vanz Abdulのに西海岸紀行

「リアルポリアモリーとはなにか?」幌村菜生と考える“21世紀的な共同体”の可能性

「NYOTAIMORI TOKYOはオーディエンスを生命のスープへと誘う」泥人形、あるいはクリーチャーとしての女体考|ヌケメ×Myu

「1984年、歌舞伎町のディスコを舞台に中高生たちが起こした“幻”のムーブメント」── Back To The 80’s 東亜|中村保夫

「僕たちは多文化主義から多自然主義へと向かわなければならない」奥野克巳に訊く“人類学の静かなる革命”

「私の子だからって私だけが面倒を見る必要ないよね?」 エチオピアの農村を支える基盤的コミュニズムと自治の精神|松村圭一郎インタビュー

「タトゥー文化の復活は、先住民族を分断、支配、一掃しようとしていた植民地支配から、身体を取り戻す手段」タトゥー人類学者ラース・クルタクが語る

「子どもではなく類縁関係をつくろう」サイボーグ、伴侶種、堆肥体、クトゥルー新世|ダナ・ハラウェイが次なる千年紀に向けて語る

「バッドテイスト生存戦略会議」ヌケメ×HOUXO QUE×村山悟郎

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