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あるキタキツネの晴れやかなる死──映画『チロンヌㇷ゚カムイ イオマンテ』が記録した幻の神送り|北村皆雄×豊川容子×コムアイ⑷

1986年に北海道屈斜路湖を臨む美幌峠で、大正時代に行われてから75年ぶりに行われたアイヌ民族の幻の祭祀を記録した北村皆雄監督のドキュメンタリー映画『チロンヌㇷ゚カムイ イオマンテ』。その公開を記念して行われた座談会の記録。

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OUTRODUCTION

神社を訪れたら特に願いごとがなくとも賽銭を投げる。これは子供時代より身に染み付いてきた一種の習慣のようなものだ。取り立てて特筆すべきことの見当たらなさそうな極めて素朴な宗教的行為ではあるが、賽銭がその実、古の日本で行われていたとされる生贄儀礼の名残り、あるいは成れの果てであるという説があることは、巷間あまり知られていない。

1931年に出版された平凡社の『大百科事典』第一巻の「イケニエ」の項目では、生贄の種類を五種に分類した上、その一種として「獻錢」が挙げられている。当該箇所を引用すると、

「獻錢または無血の犠牲と稱するものは、カトリック教會に於て行われてゐるものである。日本の賽錢の如きも一種の獻錢であり、無血の生贄であると云へよう」

と、ある。これは要するに、賽銭とはその実において、神の贄へと供するために己が身から切り落とした肉片のメタファーである、ということだろう。なるほど、そう言われてみれば確かに「身銭を切る」なんて喩えも日本語にはある。またそのように考えた場合、古代の生贄儀礼は、時代と共に変わりゆく道徳観に合わせて様態をメタモルフォーズさせながら、現代に至るまで連綿と受け継がれてきたのだ、といったいささか大胆な見立ても行えそうだ。

日本列島においてかつては人間が神の贄に供されていたであろうということは、これまでも神話、伝承、口碑、あるいは民間の噂話の中で、まことしやかに語られ続けてきた。とりわけ関東大震災後の修復工事の折、皇居の二重櫓の内部から発見されたという16体の人骨は、こうした贄や人柱の習俗の実在を仄めかすものとして、その当時、学者識者を巻き込む形でちょっとした論争を巻き起こしている(なお、生贄と人柱とは明確に区別すべきだという主張もある。たとえば六車由美は著書『神、人を喰う』において、生贄と人柱とはその目的、宗教的な意味においても、全く別種のものとして捉えるべきだとしている)

実際のところ、日本の各地には、これは人身御供のことを指しているのではないか、と思しき伝承を有する神社や集落が少なくない。有名なものとしては、かつての諏訪大社における現人神・大祝の分霊である6人の童子「おこうさま」にまつわる伝説や、現在は「はだか祭」として知られる大國魂神社国府宮の追祭における「追人」にまつわる伝説、あるいは日本中に分布する「おなり女」や「嫁殺し田」にまつわる伝説などがある。

ここではそれぞれについてその詳細を記すことはしないが、いずれにおいても人身御供が行われていたという確たる証拠が得られているわけではなく、あくまでも「そういう説もある」という段階に留まる。だが、少なくとも日本に、血の滴る供物によって神々との交渉を図らんとする「贄」の文化が豊かに存在したということは、その実在がはっきりと確認されている様々な動物供儀の事例からも間違いない。また日本の民俗学の祖である柳田國男が論考『一目小僧』に「ずっと昔の大昔には、祭りの度ごとに一人ずつの神主を殺す風習があって、その用に宛てられるべき神主は前年度の祭の時から、籤または神託によつて定まつており、これを常の人と弁別せしむるために、片目だけ傷つけておいたのではないか」などと書いているのを読むにつけ、そうした数々の人身御供の伝説にも、ただの噂話として以上の信憑性があるように感じられなくもないのだ

ところで、柳田は『一目小僧』において、生贄に供される神主は、その儀礼の前の一年間、「ある限りの歓待と尊敬」を尽くされ過ごしたのではないかとも書いている。この「やがて殺めることになる生贄をその事前において歓待する」というプロセスにただちに連想させられるのは、古代メキシコ、アステカ文明におけるテスカトリポカ神の生贄儀礼「トシュカトルの祭」だろう。トシュカトルの祭においても、生贄の儀においてやがて殺められる定めを負った青年は、その儀礼の前の一年間、想像しうる限りの尊崇を集め、歓待を尽くされるままに過ごしていたと聞く。これは柳田の立てた仮説にも非常によく似た話であるように思う。

それで言うともう一つ、人身御供でこそないものの、そのプロセスから連想させられる儀礼が日本列島には存在した。一年以上に渡って家族のように育てたクマを、歌や踊りでもてなした果てに殺め、カムイの世界へ送り返すというアイヌの儀礼、そう、イオマンテのことだ。

さて、ここでようやくイオマンテへと話が至ったわけだが、もちろん意味もなく「贄」の文化についてここまで長々と書いてみたわけではない。筆者はこのイオマンテ(あるいは原イオマンテ※)に、今日の賽銭行為へと至る、つまり古代から現代までをすっぽりと包摂する、壮大なる「贄」の文化の原型に近い姿を見据えているのだ。とはいえ、これはなにも筆者の創見というわけではない。たとえば民俗学者の中山太郎は、1925年に駒込林二名義で書いた論考「動物を犠牲にする土俗」において、すでに同様の見解を示している。

※人類学者の中沢新一の著書『東方的』によればイオマンテが現在のような盛大な儀礼となる前段階においては、狩猟の現場でその都度に小さなカムイ送りの儀が行われていたという。中沢はその段階のイオマンテを「原イオマンテ」と呼んでいる。

中山によれば、アイヌにとって「熊は彼等のトーテムであると同時に熊その者が神」なのであり、その崇拝の対象たる熊を儀礼的に殺めて食するイオマンテは「我國に於ける『直会祭りの終了後に、神前に供えた 御饌御酒を神職をはじめ参列者の方々で戴くこと。「なおらい」と読む』の最も古い姿」なのだという。また中山は、イオマンテの特異性に触れながら、一方で諏訪大社の御頭祭(かつては七十五頭の鹿の頭を一挙に供えたとされる動物供儀の神事)などに言及しつつ、「その源流にはアイヌ系統のあることを忘れてはならぬ」とも明確に書いている。

筆者はこの中山の見解におおむね同意する。ただ一方で、アイヌのイオマンテを、こうした生贄儀礼の系譜上に位置づけることに違和感を覚えるという方もいるだろうとは思う。確かに日本の多くの動物供儀においては、動物の存在は神への供物として、ある意味では道具的な手段として用いられてきたようにも見える。その点、中山も書いているように、アイヌにとっては動物そのものがすでにカムイとして存在している。イオマンテにおいては、そのカムイの魂を人間界からカムイの世界へと送り返すことこそが目指されているのであり、それはすなわち動物=カムイの存在そのものが儀礼の手段ではなく目的となっているとも言えるのだ(※)。この差異は大きい。すると、やはりイオマンテにおけるクマを「贄」と呼ぶことは相応しくないように思えてきそうなものだが、しかしそもそもの「贄」というものを、その漢字の成り立ちにまで目を向けて考えてみた場合、その差異にこだわることが必ずしも妥当であるとも言えなくなってくるのだ。

※この点に関して六車由実は、諏訪大社の御頭祭における耳裂鹿や、各地に伝わる一つ目の魚などの伝承を引き合いに、中世以降の日本の動物供儀における動物もまた、ある種の神性を帯びた存在としてあった可能性を指摘している。また、諏訪には仏教によって禁忌とされていた肉食を正当化するために用いられたという「諏訪の勘文」もある。同文書において肉食は業の尽きた動物を食することによって自らと共に成仏させる行為とみなされていた。つまり、必ずしもイオマンテとその他の動物供儀における動物の位置付けを明確に区別することができるというわけでもないのだ。

漢文学者である白川静によれば、「贄」という字は「贈り物」の意であるという。白川の纏めた『常用字解』の第二版には「贄」について次のように書かれている。

“「摯」、「贄」:形声文字で、音符は「執」。「摯」は「執」の意味を受けて、「しっかりもつ」、「つかむ」という意味になる。「贄」は、人に会ってあげる贈り物である。「摯」も「贄」も間をかたくとりもつ意味の字である。”

つまり、白川の字解に従うなら、「贄」の文化とは「贈り物」の文化でもあるということになる。供儀の目的とは「関係の設定」であるとしたのは人類学者のレヴィ=ストロース(『野生の思考』)だったが、「贄」という漢字にはすでにその成り立ちにおいて「間をかたくとりもつ」という意味が含まれていた。そして、「贈り物」における「贈る」とはまた「送る」ということをも同時に意味するものであるだろう。

そのように考えていくと、大切に育てたカムイとしてのクマに歌や踊り、酒や団子のお土産をたんまりと「贈=送」った上で、その霊をカムイの世界へと「送=贈」りだし、そうした行為を通じて人とカムイの「間をかたくとりもつ」こと、すなわち再びカムイたちがクマの肉や毛皮を「贈=送」り物としてカムイに纏わせ人の世界へと「送=贈」り届けてくれることを願うイオマンテの儀礼とは、「贄」ではないどころか、むしろ「贄」が過剰しているように見える。あるいは、「贈り」と「送り」が複雑な入れ子構造を織りなし、人と動物とカムイの関係が「贄=贈り物」を介して目まぐるしく入れ替わっていくかのようなイオマンテの祭祀様式は、僕たちが今なおその只中にいる「贄」の文化において、最も洗練された「贄」の儀礼の雛型として君臨しているようにさえ思えるのだ。

もちろん、だからと言って、賽銭もイオマンテも様態こそ違うだけで基本的には同じようなものなのだなどと気軽に言うこともまたできない。共に「贈り物」を通じた「関係の設定」であることこそ変わらないが、イオマンテには賽銭からは失われて久しい抜き差しならない命の応酬がある。あるいはイオマンテの祭祀様式には一部の日本の動物供儀においては薄れてしまっている(かのように見える)他種への深い畏敬と尊崇の意識が埋め込まれている。雄弁なる動物たちのまなざしに人間性を認め、そこに確かなシンパシーを抱きつつ、一方でその首筋に容赦もなく矢尻を穿ち込み、苦痛に悶え痙攣し、怯懦に拡張したその瞳孔の沈んだ奥底に、いずれ後先の己の顔貌をまなざす── その絶え間なく相互反射するまなざしの往還にこそ「贄」の文化の核心があるのだということは、やはり簡単に忘れてしまってよいものでもないだろう。

ここでようやく映画の話に入っていくと、1986年に北海道屈斜路湖を臨む美幌峠で、大正時代に行われてから75年ぶりに行われたアイヌ民族の祭祀「チロンヌカムイ イオマンテ(キタキツネの霊送り)」を記録した北村皆雄監督のドキュメンタリー映画『チロンヌカムイ イオマンテ』には、今述べたような「贄」の文化の核心的な部分がありありと表現されていたように思う。

これまで筆者は、ニール・ゴードン・マンローの『イヨマンテ』をはじめ、『沙流アイヌの熊送り』、『十勝アイヌの熊送り』など複数のイオマンテの記録映像を見たことがあるが、本作『チロンヌカムイ イオマンテ』はそうした先行作品とは明らかに趣を異にするものだった。

座談会本文で触れたことの繰り返しになるが、まず本作では大きなクマではなく小さなキタキツネが神送りの対象となっており、だからこそ感触される生贄儀礼の際立った痛切さがあった。映像に登場する日川善次郎エカシが朗々と歌い上げるカムイノミは力強く、また北海道の各地方から集まったアイヌの人々の、儀礼のクライマックスに向けて白熱していく歌や踊りには、時折挿し込まれるキタキツネ・ツネ吉の緊張した表情を捉えたショットとも相まって、すれっからしの胸を揺さぶってなお余りある哀歓もあった。

そして何より、アイヌ伝統歌や舞踏を取り入れたバンドnin cupの歌い手でもある豊川容子に憑依したチロンヌの声と、豊川が制作した劇中の挿入歌が実に素晴らしいのだ。その歌声の霊性に誘われるまま、鑑賞者の意識は35年前の美幌峠、「贄」の祝祭の核心部へと深々と没入させられることになる。

「ウワレ ホ-(多くなっておいで)」

祈りの歌が響き渡るカムイシンタ ウワリモシで、やがて小さな命は晴れやかに蕩尽されていく。本作を撮影し、脚本も手掛けた北村皆雄監督はアイヌの人間ではないが、本作はいわゆる第三者によって撮られたイオマンテの記録映画といったものとは全く異なる、映画の体裁をとった現代のアイヌ神謡なのだとはっきりと感じられた。

果たして、この映画がどのように受け止められるのか、筆者はとても楽しみでならない。本文内でコムアイも語っていたように、何をどう感じるにせよ、その感情の出どころ、その深淵にまで潜行して、しかとその感情に向き合ってみてほしい。いまなお僕たちの眼下に堆積している「贄」の土壌に、その清潔な足裏をどっぷりと深く埋めて、ぬかるみの中を足掻いてみてほしいのだ。

ところで、なぜ動物の神送りであるイオマンテの映画をめぐる本記事の後記においてわざわざ人身御供に触れたのかと訝しまれた方もいるかもしれない。そこには一応の理由がある。人とキタキツネの間が「贄」を媒介にかたくとりもたれた世界においては、人はすでにキタキツネであり、キタキツネはすでに人だからだ。本作はその魂の往還を見事に描き切っていたように思う。そのことが意味する「ヤバさ」から目を逸らして、本作を青白いロマンティシズムのみによって賞賛するのだとしたら、それは嘘というものになるだろう。本作をこれからご覧になる皆さんには是非とも、きちんと震え、きちんと狼狽え、きちんと傷ついてもらいたい

 

文・構成/辻陽介(DZ)

 

 

 

 

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北村皆雄 きたむら・みなお/1942年長野県生まれ。ドキュメンタリー映画監督。早稲田大学第一文学部演劇専修卒業。 1960年代以来、アジアや沖縄・日本各地をフィールドに、映像人類学・民俗学を掲げ百を 超える映画・テレビ番組を撮り続けてきた。1986年に撮影した『チロンヌカムイ イオマンテ』を、後世に伝えるため2021年に完成させた。代表作として『神屋原(カベール)の馬』(1969年) 『アカマタの歌』(1973年) 『見世物小屋』(1997年) 『ほかいびと』(2011年) 『冥界婚』(2016年)などがある。

 

豊川容子 とよかわ・ようこ/アイヌ伝統歌、舞踊を取り入れたバンドnin cup(ニンチュプ)のボーカル。関西を中心に活動したのち北海道帯広に戻り、自身のルーツであるアイヌの歌(ウポポ)を取り入れ歌い始める。短編アニメ『60のゆりかご』(アイヌ民族文化財団)では、夫のルーツである北海道平取地方のイヨンノッカ(子守歌)を担当。アイヌのフチ(嫗)の声をはじめ 、さまざまな声質を変幻自在に操る。2016年度STVラジオのアイヌ語ラジオ講座講師。札幌在住。

 

コムアイ KOM_I/アーティスト。1992年生まれ、神奈川育ち。ホームパーティで勧誘を受けて加入した「水曜日のカンパネラ」のボーカルとして、国内だけでなく世界中のフェスに出演、ツアーを廻る。20219月に脱退。音楽活動の他にも、ファッションやアート、カルチャーと、幅広い分野で活動。2020年にアートディレクターの村田実莉と、架空の広告を制作し水と地球環境の疑問を問いかけるプロジェクト「HYPE FREE WATER」が始動するなど、社会課題に取り組むプロジェクトに積極的に参加している。

 

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〈INFORMATION〉

映画『チロンヌカムイ イオマンテ』、2022年4月30日よりポレポレ東中野ほか全国順次公開

 

監督:北村皆雄

語り:豊川容子

音楽:豊川容子+nin cup

制作:三浦庸子

監修・カムイノミ対語訳:中川裕(千葉大学名誉教授、『ゴールデンカムイ』アイヌ語監修)

司祭者:日川善次郎エカシ

企画・スチル:堤大司郎

製作・配給 ヴィジュアルフォークロア

文化庁「ARTS for the Future!」補助対象事業

公式HP: https://www.iomantefilm.com/

 

 

〈MULTIVERSE〉

「現代魔女たちは灰色の大地で踊る」──「思想」ではなく「まじない」のアクティビズム|磐樹炙弦 × 円香

「生死観」としての有機農業 ──エチオピアで学んだ生の豊穣|松下明弘

「病とは治療するものにあらず」 ──全生を説いた体育家・野口晴哉の思想と実践

「俺たちはグレーな壁を生き返らせているんだ」──1人の日本人がまなざしたブラジルのストリート|阿部航太×松下徹

「BABU伝」 ──北九州の聖なるゴミ|辻陽介

「汝はいかにして“縄文族”になりしや」──《JOMON TRIBE》外伝

「土へと堕落せよ」 ──育て、殺め、喰らう里山人の甘美なる背徳生活|東千茅との対話

「今、戦略的に“自閉”すること」──水平的な横の関係を確保した上でちょっとだけ垂直的に立つ|精神科医・松本卓也インタビュー

フリーダムか、アナキーか──「潜在的コモンズ」の可能性──アナ・チン『マツタケ』をめぐって|赤嶺淳×辻陽介

「人間の歴史を教えるなら万物の歴史が必要だ」──全人類の起源譚としてのビッグヒストリー|デイヴィッド・クリスチャン × 孫岳 × 辻村伸雄

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「あいちトリエンナーレ2019」を記憶すること|参加アーティスト・村山悟郎のの視点

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