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ケロッピー前田 『クレイジーカルチャー最前線』 #23 確かに縄文時代にタトゥーはあった ── 30年に渡るイレズミ研究をまとめた設楽博己『顔の考古学』を読む

驚異のカウンターカルチャー=身体改造の最前線を追い続ける男・ケロッピー前田が案内する未来ヴィジョン。現実を凝視し、その向こう側まで覗き込め。未来はあなたの心の中にある。

あらためて縄文時代に本当にタトゥーはあったのか

 2020年に刊行された拙著『縄文時代にタトゥーはあったのか』(国書刊行会)は、タイトルそのものが読者や世間に対する大きな問いかけだった。

 

 

 その本で詳しく述べていることだが、縄文時代におけるタトゥー論争は、土偶の顔面にみられる文様を根拠に明治時代から始まった。しかし、昭和7年(1932年)に甲野勇は「日本の石器時代に文身の風習はあったろうか」という論文で、それらの事例を5つに分類整理する一方で、土偶の装飾だけを根拠に縄文時代のタトゥーの存在を実証することは不可能と結論づけた。その後、1969年に高山純が著した『縄文人の入墨』(講談社)が過去のタトゥー論争を現代に伝えてくれる、数少ない貴重な資料であった。

 

高山純『縄文人の入墨』

 

 そのような状況に対して、現代人の身体に実際に縄文の文様をタトゥーとして彫ってみようというのが、筆者がタトゥーアーティスト・大島托と推進してきた縄文タトゥー復興プロジェクト「縄文族 JOMON TRIBE」であった。ちなみに、高山が土偶の文様のなかでタトゥーであると確信できるとした「ダブル・ハの字」は、現在、大島托の顔面に施されている。昨今の“縄文タトゥー”の認知度を考えると、当初のプロジェクトの目論見は成功していると自負したい。

 

大島托の顔面に施されたダブル・ハの字(写真:ケロッピー前田)

 

先史学のパラダイム転換

 2021年、古代の顔の装飾をテーマに30年に渡る研究を続けてきた設楽博己が『顔の考古学』(吉川弘文館)を著し、縄文時代のイレズミ問題にひとつの結論を出した。タイトルに「顔」とあるのは、主に「黥面(顔のイレズミ)」に着目しているからである。

 

 

 プロローグには「明治時代に土偶から服装やイレズミなど、先住民の装いや習慣を描こうという試みがなされた。昭和に入ってから科学的な根拠にもとづいてその取り組みかたが批判されていつしか消えてゆき、それにかわって大流行したのが土器の編年研究である」(P4)とある。ここでいう科学的な根拠からの批判とは、先に挙げた甲野勇のことで「先史時代のイレズミの存在の動かぬ証拠はイレズミの遺体の発見であるとして、写実と装飾が混在とした土偶からそのまま当時の習慣や服装を再現する手法に釘を刺した」(P118)と説明された。それにとってかわった土器の編年研究とは、出土した土器を“型式”で細かく分類し、その年代と分布からおよそ1万五千年続いたとされる縄文時代を理解していこうというものである。

「昭和初期は山内清男(やまのうちすがお)さん、八幡一郎さん、甲野勇さんといったいわゆる編年学派が台頭し、人種論的な先史学と決別した時代であった」(P127)とし、明治時代に盛んであった「日本の石器時代人がアイヌ民族なのか、アイヌ民族にイレズミを伝えたという伝承のなかのコロボックルかという、いわゆる人種論的な先住民論争」(P117)は乗り越えられたという。そのことが「先史考古学のパラダイム転換としてその後の研究の方向性を決定づけた」(P128)と断言する。この“パラダイム転換”が起こったことから、縄文時代のタトゥー論争も途絶えていたわけである。

 高山純の『縄文人の入墨』については「非文明社会の習慣を古い文化の参照枠とする“民族考古学”という方法」(P119)を用いたとした。そこから設楽は通過儀礼としてのイレズミの役割に注目し、やはり縄文時代(中期以降)に盛んであった抜歯との関連性を指摘した。

 

方相氏と黥面埴輪

 では、設楽博己はどのように縄文時代のイレズミの存在を明らかにしていったのだろうか。

 ここで重要なのは、9世紀の律令期から古墳時代、弥生時代と遡って、考古学資料を文献資料と照合して議論を展開し、ついには縄文時代に至っていることだ。

 最初に取り上げられる遺物は、9世紀、平安時代初期の遺跡である神奈川県茅ヶ崎市下寺尾官衛遺跡群の七堂伽藍跡から出土した《一つ目墨書(ぼくしょ)土器》である。これは日本最古の妖怪画と言われている。一方、奈良時代に書かれた『出雲国風土記』には、日本で最も古い「鬼」の記述があり、それは「一つ目」であった。  

 ここでキーワードとなるのが「方相氏(ほうそうし)」である。方相氏とは「節分の豆まきで鬼を退治する役を演じる一種の呪術師であり、紀元前5世紀の戦国時代以前に中国で生まれた」(P25)という。たとえば、平安時代の『内裏式(だいりしき)』には「方相は大男で、黄金の四つ目仮面をつけ、黒と朱の着物を着て、右手に戈(か)を左手に盾をもち、やらいの声を上げながら先導して戈で盾を打つことを三回おこなう」(P36)とある。さらに「室町時代あたりで方相は鬼と混同されて追われるものへと転化したとされる」(同)とし、《一つ目墨書土器》の鬼は方相氏と混同されているのかもしれないという。また、中国・漢代の方相氏の造形はパターン化され、「盾や弓などの武器を持ち、仮面をかぶり憤怒や笑いの異形の表情を浮かべ、頭に武器または装飾の突起をしつらえて見得を切るような独特なポーズとる」(P49)というものである。

 方相氏と同様の特徴を持つものは、古墳時代の「盾持人埴輪」にみられ、顔面にはイレズミと思われる線刻が施されている場合がある。

 ここからは、弥生時代末期にあたる3世紀に書かれた『魏志』倭人伝に「黥面文身(顔や身体へのイレズミ)」の表記があることから「古代の日本列島では、男子は全員イレズミをしていたらしい」(P70)とし、弥生土器に刻まれた黥面絵画を参照していく。代表的なものに愛知県安城市亀塚遺跡から出土した壺型の《黥面絵画土器》などがあり、「西は吉備地方から東は関東地方まで、二十個体あまりのものに描かれた三十例以上の顔面線刻絵画が集まった」(P77)という。

 

 

 さらに『古事記』に2ヶ所、『日本書紀』に4ヶ所、あわせて6ヶ所に「黥面」や「文身」についての表記があるが、伊藤純の黥面埴輪の研究を参照することで「記紀の首尾一貫した内容と黥面埴輪の特徴の相関関係は、記紀の黥面の記述が空想上のものでないことと、黥面埴輪の線刻がイレズミであることをお互いに証明しているのである」(P100)としている。黥面埴輪は、大きく二つに分類され、近畿型は茅原大墓古墳の盾持人埴輪を始め、種類のバリエーションが豊富で、それに対して関東型は数は少なく盾持人埴輪が圧倒的で、埼玉県行田市稲荷山古墳のものなどがよく知られる。また、黥面埴輪と弥生土器の黥面絵画に共通する特徴は、近畿型では目尻から出た弧線、関東型では頬の八の字であった。

 それらの検証から『魏志』倭人伝にある「黥面文身」の表記は正しかったとし、「黥面に限っていえば縄文時代から継承された習俗であった」(P102)と結論づけた。さらに通過儀礼としての役割から縄文時代の抜歯とイレズミの関連性を論じ、耳飾りについても検証された。特に縄文後期および晩期において、耳飾りは全国的に大流行し、群馬県桐生市千網谷戸遺跡の土製耳飾りのような透かし彫りが施されたものもあった。晩期になると抜歯する歯の位置や数にもバリエーションがみられ、「縄文時代の終わりころは組織を安定化させる努力の必要が高まっていた」(P125)ため、通過儀礼に伴う装飾も強化されたのではないかという。

 

 

無文字社会においてイレズミは“自然法”だった

 エピローグでは「縄文文化のイレズミの起源と意味は、みずからの社会を律するための“自然法”的な取り決めであった。(中略)台湾原住民ばかりでなくアイヌ民族や沖縄の人々にも共通して認められる文化的な習俗であった」(P217)とまとめた上で、弥生時代以降のイレズミの役割の変容にも踏み込んでいる。

 大陸文化の影響、戦争のはじまり、男女間のパワーバランスの変化、支配・被支配にもとづく格差社会などから、縄文時代のイレズミは弥生時代には戦士の証として男性だけのものとなり、隼人系あるいは蝦夷の風習などとされ、徐々に社会の周縁に追いやられたとする。結びでは、縄文の黥面から鬼と同一視された「方相氏」に連なる「異形」の系譜に、日本ならではの「鬼の悲哀」や「異形に寄せる人々のまなざし」があることを指摘し、古代の精神史を浮き上がらせるのだった。

 改めて、タトゥー文化を古代から丹念に捉え直そうという試みに大いに励まされるとともに、新たな課題をいくつも与えてもらえたことに感謝したい。設楽博己のおかげで、日本の古代のタトゥー研究の新たな扉が開かれた。ここから縄文に始まる日本の文様やタトゥーについての研究が躍進し、人類創世から始まる世界史のなかで位置付けられることを願ってやまない。確かに縄文時代にタトゥーはあった!

 

 

【INFORMATION】

ケロッピー前田『縄文時代にタトゥーはあったのか』

大島托(縄文タトゥー作品)

国書刊行会 2020年3月19日発売

 

本体価格2400円(定価2640円)https://amzn.to/38OTAfb

 

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PROFILE

ケロッピー前田 1965年、東京都生まれ。千葉大学工学部卒、白夜書房(のちにコアマガジン)を経てフリーに。世界のカウンターカルチャーを現場レポート、若者向けカルチャー誌『BURST』(白夜書房/コアマガジン)などで活躍し、海外の身体改造の最前線を日本に紹介してきた。その活動はTBS人気番組「クレイジージャーニー」で取り上げられ話題となる。著書に『CRAZY TRIP 今を生き抜くための”最果て”世界の旅』(三才ブックス)や、本名の前田亮一名義による『今を生き抜くための70年代オカルト』(光文社新書)など。新著の自叙伝的世界紀行『クレイジーカルチャー紀行』(KADOKAWA)が2019年2月22日発売! https://amzn.to/2t1lpxU