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現代魔女たちは灰色の大地で踊る──「思想」ではなく「まじない」のアクティビズム|磐樹炙弦 × 円香(中編)

混迷する時代に現代の魔女たちは何を見据えているのか。現代魔術家の磐樹炙弦と現代魔女の円香が新異教主義の現在・過去・未来を語る。

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カリフォルニアイデオロギーの分裂

円香 今辻さんが話したような問題については実は90年代の時点でもすでに語られているんだよね。たとえば『エスケープ・ヴェロシティ』でも、サイバーヒッピー的なカルチャー、つまり仮想空間に現実逃避していくようなカルチャーに対しては批判的な目が向けられてた。サイバーヒッピーの人たちはテクノロジーが人間社会を良くするということにすごく楽観的だから。現実の問題を無視して、あるいはそれが見えないようにして、人を現実逃避する方向に促しているところがあって、実際そういうとこが批判されてる。これはテクノペイガニズムとは明確に違うところだなと思う。

テクノペイガニズムは片足をテックの世界に置きながら、もう片足は「野蛮」な異教主義に置いていて、ある意味ではその「あいだ」を行き来するものなんだよね。急進的な自由主義でもなく、右や左、ピューリタニズムにも乗らない。つまり、ただ快楽主義的に今を楽しんで、テックを素朴に信仰しているような考えとは対立するんです。楽観的なテック信仰は今のVRの世界にもある流れで、私はそういうノリ、あまり好きじゃないんですよね。

磐樹 今の話に一点だけ補足すると、さっきから頻出しているテクノペイガニズムというのは『サイベリア』で描かれているような人たちのカルチャーの総体を示すものであって、「私がテクノペイガニストです」みたいな人がいるわけではないんだよね。たとえばジェネシス・P・オリッジは自分たちで魔術結社をつくってたし、ライブではコンピューターを用いて祭儀みたいなこともしてたけど、「俺たちはテクノペイガニズムだ」とは言ってなかった。あくまでもジャーナリストが西海岸で当時起こっていたことを表現した言葉であって、何か明確な指針があるような思想ではないんだよ。

 

 

逆に彼らの思想を表すより包括的な言葉としては「カリフォルニアイデオロギー」というものがあるよね。このイデオロギーには陰謀論系の人も含まれるし、現在のチームヒューマンも含まれるし、クィアな人たちも含まれる。明るいところもあれば暗いところもあって、それらを内包する大きな潮流として存在してるものなんだよ。

円香 そうだね。テクノペイガニズムは実践者が自ら表明してきたものではないから。たとえばレイブカルチャーも参加者の意識はどうであれテクノペイガニズム的だしね。テクノとかアシッドハウスを聴きながらダンスして変性意識に到達するというのは、まさにテクノペイガンだからね(笑)

磐樹 ずっと踊り続けたいと思った場合、コンピューターに演奏させるのが最も合理的だということに気づいたというね。人が演奏する場合、入れ替えも必要だし、なんせ疲れるから。まあレイブはテクノペイガニズムの一番明るい部分かもね。だから円香ちゃんがさっき言っていたほど、テクノペイガニズムはその他のサイバー系の流れから独立したものとして語れるものではなくて、少なくとも最初の頃は色んな立場の人間がその大きな流れの中で混ざり合ってたんだよ。

ただ、それも徐々に変わっていった。たとえば『サイベリア』を書いたラシュコフは今はチームヒューマンとしての立場をはっきりさせてる。つまり「何でもかんでもVRだサイバーだというのは危険だ」という立場に振り切ってる。一方でレイ・カーツワイルのようなシンギュラリティだなんだとテクノ楽観主義に突き進んでる人間もいる。元々は楽観と悲観が混在していたところから、綺麗に分離しちゃった感じなんだよね。その分離した楽観派の中でも僕が見ている範囲で最も極みにいる人物がマーティン・ロスブラットという人物なんだよ。

 

 

円香 知らないなあ。

磐樹 マーティン・ロスブラットは米国で最も高い報酬を得ている女性CEOとして知られていて、トランスジェンダーでもある人でね。製薬会社「United Therapeutics」の創設者で、カーツワイルの『シンギュラリティは近い』を元ネタとする映画の製作を手がけたりもしてる。若い頃は衛星通信分野を専門とする弁護士をやってて、その後、シリウスXMという衛生ラジオ放送も創設していたりと、まあ本物の億万長者だよね。

 

 

この人は様々なプロジェクトに関わっているんだけど、まさにカリフォルニアイデオロギー楽観派の極みなんだよ。たとえば彼女はマインドファイル、マインドウェアという、個人のネット上のログを全てファイル化し、それをデジタルで再生するという、つまりはデータ上のクローンを製造して肉体の死を超越することを目指すプロジェクトにも積極的に出資してるんだよね。本気で不死を目指しているわけ。

 

 

円香 そういうこと言う人って本当に多いよね(笑)

磐樹 そう、ある意味ではすでにありふれていて、アウトオブデートな存在でもある。実際、ロスブラットってあまり注目されていなくて、これだけの億万長者でNYタイムズとかにも取り上げられているのに、インスタのフォロワーは2000人程度なんだよ。基本的に世間から相手にされてない。ただ、この人は一方ですごいお金持ちなわけで、実際に色んなプロジェクトを動かしているのも事実なわけでさ。そこにおっかなさも感じるんだよ。

 

 

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ここからは僕の妄想に過ぎないけど、最近、スイスで新しい安楽死のマシーンが販売になったでしょう? 流線型のスタイリッシュなポッドで、中に入ってボタンを押すとすーっと眠るように死ねる。加えてポッドのまま土に埋めれば自然に分解されるようになっていて地球環境にも優しいらしい。たとえば、こういう安楽死ポッドとロスブラットのマインドファイルを紐づければ、「今すぐ安楽死ポッドに登録してマインドファイル用サーバースペース100テラバイト獲得しよう!」みたいなキャンペーンが打てるわけだよ。「さらにマインドウェアを使って再生した人格でSNSアカウントをつくれば、もう100テラバイト獲得!!!」とかね。マインドファイルの再生というのは要するに自分のボットを作るってことでさ、過去のデータから深層学習してその人っぽい発言をSNS上でし続ける存在が現れるわけだ。それが不死ってやつだよ、というのが彼らの考えであって、するとどこかで「みんな早々と身体なんかとはおさらばして不死のデータとして転生しよう」みたいなマーケティングを始めかねないと思っちゃうわけだよ。

 

 

円香 死を乗り越えようというプロジェクトね。でもこういう楽観的なカリフォルニアイデオロギーはさっきも言ったように割と早い段階で批判されてるわけじゃないですか。たとえばダナ・ハラウェイはそういう楽観主義的な要素を持った『エスケープ・ヴェロシティ』のことも批判していて、「私たちが生きている人間の脆さを深く真正面から感じること、つまり私たちは現実に死ぬということ、私たちが現実にお互いを傷つけ合うということ、地球が現実に有限であるということ、私たちが生きることができる惑星は知る限り地球以外にないということ、エスケープ・ヴェロシティなどというものは死に至る幻想であるということ」みたいに書いてるしね。

だからこそ、私はテクノペイガニズムにについて今あらためて考えることにやっぱり興味がある。さらに言うと、そう思ったきっかけはスターホーク(※)で、彼女はコロナ禍以降、図らずともテクノペイガニズムを実践してるんだよね。というのも、コロナになる以前は数百人の魔女たちが一堂に会してスパイラルダンスを踊ったりしていたわけですよね。だけど、今はそういうことができない。それで彼女はインターネットを使って儀式をストリーミングで行なったり、インスタグラムで選挙についてのライヴをしたり、ZOOMを経由したクラスをやり始めたりと、今までとは違うアプローチを一気に始めたんだよね。実際、私もスターホークのZOOMの儀式に参加してるけど、スターホーク自身、魔法円を作るときにパワポとかを使ってて、モニター越しに数百人の人たちに誘導瞑想をかけたりしてて、その状況について「テクノペイガニズムね、うふふ」みたいに微笑むわけ。

 

Starhawk (画像引用元: https://www.thesunmagazine.org/issues/327/louder-than-words)

※スターホーク…1979年に世界的ベストセラーとなった書籍『スパイラルダンス(邦題:聖魔女術・国書刊行会)』を出版し、魔女カヴンでありアクティヴィズム集団である「リクレイミング(奪還)」を組織する現代魔女運動のキーパーソン。

 

それについてどう評価するかは色々あるだろうと思うけど、私としてはそういう風になってくれたおかげでここ1年半以上、国境をまたいでZOOMでサバトに参加したりしているわけでさ。魔女の人たちが『バフィー』みたいにサイバースペースの中で儀式を当たり前のようにやるようになったというのはシンプルに面白いなって思ってるんだよね。

磐樹 うーん、ZOOM使ってサバトをやったりパワポで魔法円を描いているからテクノペイガニズムなんだっていうところには僕はちょっと納得いかないかな(笑)。そういうことでもないだろう、と。

円香 まあ、インターネットを使ってペイガンの人たちが儀式をやるようなことは今に始まったわけではないからね。たしか過去にはセカンドライフにもそういう儀式スペースがあったそうだし。

磐樹 そうそう。別にオカルティズムのネットワークだってメールは使うしさ、日々PCやスマホを使ってSNSで情報交換もしているわけだよ。それは90年代からずっとそうだった。今の話は、ここ数年でオンラインのライブストリーミングが滞りなくできるようになったことで一気にテックを介した儀式というものが可視化された、という話だよね。そういう意味ではテクノペイガニズムはずっと実践されてきたと言える。それが今日のコロナ禍で日の目を浴びることになったというのも、身体とテクノロジーとの同期がようやく取れてきたということだろうね。

円香 ZOOMを介して全員が全力で踊りまくって同時にトランス状態に入るとか、リアルタイムでモニター越しに誘導を受けて深い瞑想状態に入るとか、そういう経験がようやく出てきたってことだよね。ただ、テクノロジーの発達だけではやっぱりダメで、コロナ禍がなかったらこんな急速には広まらなかっただろうなと思う。だって彼らは今まで自然の中で儀式をやってたりしたわけで、それをあえてやめる理由はなかったわけだから。フランス、ブラジル、オーストラリア、北米、日本など世界中の魔女がリアルタイムにサイバースペースのサバトにアクセスするということはここ1~2年前までは無かったはずだよ。

磐樹 まあ、それはそうだろうけど、ただ儀式において最も重要なことはオルタナティブリアリティをいかに共有するかだからね。場所や手段がどうというよりも、問題とされるのはその共有を果たせるかどうかなんだよ。

たとえばエリック・デイヴィスの『TechGnosis』に書かれていたことで一番記憶に残っているのはテーブルトークについての記述なんだよね。エリックはそこで、テーブルトークロールプレイングゲームのプレイヤーは自分たちのオルタナティブリアリティをゲームという形で伝播し、共有しているんだという話をしててね。その対話とネットワークのあり方がリアリティの形成において重要なんだと書いてるんだよ。

 

 

なぜテーブルトークがTechGnosisに関係するのか。グノーシス主義というのは、たとえば「この世界は偽の神様がつくった牢獄である」と考える立場だよね。その立場においては隠されたソフィア、つまりウィズダム(叡智)を発見することで、ようやく本当の世界に目覚める、行けるとされる。つまり、そこでいう「本当の世界」が、オルタナティブリアリティなんだよ。テーブルトークのプレイヤーは対面して、肉声と身振りの身体コミュニケーションを通じてオルタナティブリアリティを共有して、世界中にその秘密ネットワークを張り巡らせる。エリックはそれを、まったくアナログなんだけど、テクノグノーシス現象の一端として捉えていたということだね。

つまり、大事なことは身体感覚を通じたオルタナティブリアリティの共有であって、対面することはそれを可能にする強い前提条件でしかない。今はメディアの速度が追いついたことで、ようやく物理的な対面を伴うことなく身体感覚をある程度やり取りすることができるようになったという話で、だから、スターホークの実践もサイバー楽観主義というよりは、サイバーメディアが身体に追いついてきたことに対する祝福なんだと思う。

2015年にルーマニアのブカレストで開催された大規模なOTAKU FESの取材にいった時に、コスタリカから来た若いトラベラーとベルリンで知り合ったんだよ。彼は世界各地のテーブルトークの集会を巡りながら旅をしていて、ベルリンでもそのネットワークだけを頼りに、それ目的で旅を続けてるわけ。まあすごいなと思ったよね。剣や魔法の国というリアリティをコンピューターを介することなく維持しながら、まさにオルタナティブリアリティのパスポートを使って物理的に世界を移動し続けてるわけだから。ゲームには身体が絶対必要だからこそ、身体を移動させて旅しちゃうよ、ていうテーブルトーク文化に、強烈な越境性、横断性を感じたんだよね。

 

 

円香 面白いね。確かにすごく現代魔女宗に似てる。私もLAの家から2時間も車で離れたマリブビーチで儀式に参加したことがあるんだけど、その当時山火事でマリブビーチが真っ黒こげで禿山になっててさ(笑)。ウーバー降ろされたら何もないの。ちょっとした冒険だよね。そもそもあんな場所に他の魔女が来るのかさえ不安だったし。あと最近だと陰謀論なんかも同じようなところありますよね。

磐樹 基本構造は同じだね。ただ、陰謀論の場合はニュースメディアなんかの影響を結構受けていて脆さみたいなものもあるけど、テーブルトークの人たちはゲームのシナリオが世界観の全てだからもっとハードコアなんだよ。時事にまるで影響されない。

円香 確かにそうだ(笑)。魔女も時事には影響されるからね。

磐樹 要するに1994年の段階ですでに世界にはあちこちへと身体を動かしてギャザリングする一群、たとえばテーブルトークプレイヤーや、魔女のカヴンが存在していて、オルタナティブなリアリティをどう維持していくかということが実践されてたということだね。

円香 それがコロナによって物理的なギャザリングができなくなったわけだけど、同時にストリーミング技術が発達していたから、オンラインを介してギャザリングできるようになった、と。そういえば、さっきゲームの話をしたけど、テーブルトークもゲーミングだよね。

磐樹 ロールプレイングゲームはそもそもはテーブルトークからだからね。

円香 それで言うとQアノンにもゲーム的なところがあるよね。

磐樹 絶対にゲーム感覚があるよね。ウィッカもそうだと思う。ゲーミングとして世界にアフェクトしちゃうよ、という。だから怒られたりしても「これゲームだからさ」で躱すことができるというね。

 

コンセンサスリアリティ/オルタナティブリアリティ

DZ ちょうど陰謀論が話題にあがりましたけど、2020年、2021年はコロナ禍であったと同時に、アメリカ大統領選やワクチンポリティクスなどにも関連する形で「陰謀論」という言葉がすごく盛り上がりを見せた2年でもありましたよね。たとえば哲学者のジョルジオ・アガンベンなどはオフィシャルに発信された情報を疑う人間が「陰謀論者」とラベリングされていく状況を批判する文脈で、陰謀論という言葉そのものが「汚らわしい言葉だ」ということを語っていました。お二人はそこらへん、 つまり、陰謀論や陰謀論者、あるいはそうした言葉がレッテルとして広く流通している状況についてを、どう見ています?

円香 まず第一に、中世/近世の魔女という存在がそもそもの始まりにおいて陰謀論として誕生したということは言っておかないといけないかな。グーテンベルグの活版印刷によって印刷技術が普及した時、同時に世界には印刷された文字によるデマが広がったんです。『魔女に与える鉄槌』という有名な本があって、それによって魔女とはこれこれこういう奴らで、奴らは男を呪ってインポテンツにしているんだみたいな話がまことしやかに喧伝された。魔女はそこから、つまり陰謀論から生まれた存在なんですよ。でも当時、魔女と名指された人たちは実際は産婆さんだったりするわけ。だから、魔女というのはもともと負の刻印のようなものであって、現代魔女はそれを後に自らのアイデンティティとしてあえて採用して、フェミニズム的に意味を換骨奪胎しながらそれを演じていった。そこにこそ今日の魔女文化の面白さもあって、そういう意味では魔女は最初から陰謀論の是非みたいな話の彼岸に存在してるんですよね。

 

『魔女に与える鉄槌(画像引用元:Wikipedia)

 

磐樹 魔女はその存在自体が陰謀のようなものなんだよね(笑)。僕個人の陰謀論観を話すとすれば……そうだな、今って陰謀論がいい意味で使われる言葉じゃなくなってるでしょう? その状況自体が非常にウブなもので、これはかなり良くない状況だろうと思ってる。

陰謀論っていうのはそもそもある種の脳の使い方、リアリティの持ち方における技法のようなものなんだよね。確かに多くの陰謀論者と呼ばれている人たちは、コンセンサスリアリティとは異なる世界解釈を与えられると途端にわーっと盲信してしまうところがあって、それは決して褒められたものではないんだけど、一方でコンセンサスリアリティのみを世界の唯一のリアリティとして採用している人に比べればまだマシ、というか、ある種の健康的な感覚を保持しているとも言えて。本当に必要なのは、一個人としての視点において、複数の陰謀論を同時に走らせるような、そういう並列的な思考法をスキルとして身につけるということなんだよ。

だから、我々はむしろ今、もっと陰謀論的な感覚を鍛えるべきだと考えてて。たとえばロバート・アントン・ウィルソンが『コズミックトリガー』で70年代からずっと言ってきたこと。『コズミックトリガー』が書かれた当時はウォーターゲート事件とかもあった頃で、我々がコンセンサスリアリティとして受容しているものの中には当然のように陰謀的なものも含まれているということが広く認識されつつあった。ありていに言えばマネーの力学がコンセンサスリアリティの裏にあるということに、皆今よりもっと意識的だったんだよね。

 

 

だけど、そうした裏の力学、構造はあまりにも巨大なものだから、我々一人一人が正義感を持って対峙してみたとしても、完全に勝利するということはまず無理で。であるなら、我々を一つの物語の型にはめようとする力に抗して、常に物語を分岐させろ、多様な解釈、多様なレイヤーをいつも保持しろ、と。そういうのがアクチュアルなメッセージだった。もちろん、そこにはアンビバレンスもあって、物語を多様に分岐させていけば完全に頭イっちゃった陰謀論者も当然いっぱい出てくるんだよ。それでも、一つのリアリティに全世界が塗りつぶされてしまうよりは、多様な陰謀論がそこかしこに同時に息づいているほうが、全体としてはマシ、群として健康だと思うのよね。

円香 ただ、今年の頭にQアノンが流行った時には、それを信じ込んで暴走してしまう人たちが問題になったわけだよね。多分、陰謀論がポップ化しすぎたってことなんだと思う。ロバート・アントン・ウィルソンとかが言う陰謀論はリアリティが一つしか存在しないということを疑う思考方法のようなもので、フィクションの力を使って地続きの世界に働きかけていくための戦略だったんだろうけど、それがSNSやAIでブーストされちゃってあまりに大衆化しちゃったがためにああいう暴走を生んじゃったという。とはいえ、Qアノンが議事堂に突撃までしたということが、まさにフィクションが持つ力を示してるとは思いますよね。

 

 

磐樹 僕はあの突撃もある程度は肯定的に見てる面もあるよ。確かにあれは民主主義に対する破壊的な挑戦だし、死者も出してる宗教的な狂信現象に違いないけど、ああいう暴虐、叛乱をアメリカの人たちがまだ起こせるということ自体には希望を感じる。深刻な問題は、今みたいなこと、つまりQアノン現象に肯定的な一面をも見出す、みたいなことを言おうものなら、「ああ、こいつはもうダメだ」と見なされてしまう今日の状況なんだよ。その排除のシステムこそがリアリティを一つに収束させるパノプティコンをなすわけだよね。我々はいつもそういう力に警戒しなきゃいけないと思う。

全てがプラットフォームの中へ中へと入れ子状に閉じ込められていく状況下では、容易にリアリティの多様性は抑制されてしまうんじゃないかな。あるリアリティの外部を想像できなくなってしまったら、我々は容易に自分をマインドファイルだと思うだろうし、自分のボットこそが自分だと認識するようになるよ。あるいは自分は違うんだとどんなに思おうと、周りがみんなそう思っていたら逆らえなくなる。だから、そういうコンセンサスリアリティとは別にウィッカとかテーブルトークとかでオルタナティブリアリティをちゃんと確保しておく、そういう態度に慣れておく必要があるんだけどね。

円香 さっきの辻さんの話ではないけど、たとえば現実世界に疲弊した時に正気を保つためのメタバースみたいな、そういうリアリティが存在していてもいいと思うんだよね。男性として普段振舞ってる人が、VRではバ美肉して女子高生として自撮りを楽しんでいたっていいわけ。確かにそれはプラットフォームに囚われているだけかもしれないし、そこに閉じこもってずっと現実逃避し続けることは素晴らしいことだとは思わないけど、リアリティが複数ある状態ってことは1つしかない状態よりも絶対に生きやすいし、世界がコンセンサスリアリティ一つしかないと思って病むよりはよっぽど良いよね。

 

 

磐樹 一方にQアノンがあり一方にバ美肉もある、ということなんだろうね。そのデタラメさを歓待しようじゃないか、と。

円香 そうそう。それにVR空間で起こっていることだって現実に全く影響がないかと言えば、そんなこともないと思うし。そこは私たちの暮らしと地続きでもあるんだから、何らかの影響はあると思うんだよね。

磐樹 現実に影響しないのであれば、それは魔術ではないからね。僕はその点については結構シビアに見てる。VRにせよメタバースにせよ、結局、それが悪しきオタク的消費文化になってしまうと、そのオルタナティブリアリティはコンセンサスリアリティを揺さぶる力を失ってしまうと思うんだよね。日本語圏では魔術というものも長らくオタク趣味だったんだよ。僕はそこに「ふざけるな」と思ってきたわけ。魔術というからには現実にアフェクトしないとダメだろう、と。自分たちが生きている時代の問題にコミットして、魔術を通してなにがしかのことを言ったりやったりしないとダメだろう、と。僕はそういうことをずっと言い続けてきたわけだけど、まあ、ものすごい反感を買ったよね(笑)。ただ今になると、もうそういう反感も持たれなくなってきた。実際、あちこちで魔女のカヴンが生まれているし、それは一昔前のようなオタク趣味や文芸趣味とは、ちょっと違った文化になりつつある。

円香 最近はアクティビズムやフェミニズム的関心から魔女にリーチする子も多いからね。

磐樹 そうそう、その度合いが高まってる。それは魔術(Magick)シーンよりも魔女(Witchcraft)シーンに顕著な傾向で、彼女たちの方が時代への反応が速くて強いと感じてる。それで言うと、たとえば昨日、今東京でやってるハリーポッターの展示についての誰かのツイートが流れてきてさ。この展示はハリーポッターの背景にあるウェスタンマジックの全体を俯瞰するようなとてもいい展示で、だからその男性もこの展示に行くとキルヒャーの現物が見れて云々と絶賛していたんだけど、ただ、僕はそのツイートを見た時に酔っていたというのもあってなんかカチンときちゃって(笑)

 

 

円香 ああ、なんか書いてたね。見たよ(笑)

磐樹 だってさ、今まさに目の前で原作者のJ.K.ローリングがハリーポッターからクレジットを消されるという魔女狩りが起こっているわけだよ。それをさておいてキルヒャーがどうしたとかグリモアがどうしたとかオタク的な感性でしかそれに反応できないというのはどういうわけなんだ、と。まあ酔っ払ってそんな感じのツイートしちゃったんです、もう消しましたけど(笑)

 

J.K. Rowling (画像引用元:https://www.bbc.com/japanese/53003426)

 

ただ、これは真剣に日本の男と女の象徴的な違いだなとも思う。今、女の子がアクティビズムとして魔女を捉えてオルタナティブリアリティを構築し、なおかつ身体を使って自分と世界を変えようという方向に向かっている一方で、男たちは「ローリングはよく知らんが貴重な資料がいっぱいで興奮した」みたいなオタク的満足感に相変わらず浸ってる。ものすごい落差だよ。

円香 怒られた方は少し気の毒(笑)、私は普通にハリーポッター展を見たいしね。大英図書館や魔術・魔法博物館から日本にはこれまで来たことがないようなものがいっぱい来てるわけだし、ウォーターハウスの絵画が二枚も来るんだよ。私自身、ハリーポッター自体は全く分からないけど、ハリーポッターとは別の観点で魔術、魔女に興味ある方はみんな見に行く展示だと思うよ。

磐樹 僕が言いたいのは、アレイスター・クロウリー以降、魔術は精神分析やポストモダニズムと交配しながら一応「自分と世界に変化を起こす術」として命脈を保ってきたわけで、そこをすぽっと飛ばしてオタク的情報収集でしか反応できないのはどうなのかってことなんだよ。特にハリーポッターをめぐって起こっていることはフェミニズム的にも、あるいは魔女狩りの歴史を持つ魔女的にも非常に大きな話題なわけだし。そこに対するアンテナが立ってなくて、ただファンタジー作家としてしかJ.K.ローリングと今の状況に反応できないなら、すごく悪い意味でオタク性が飽和しちゃって、なんも見えてない的な閉塞感を感じて気分悪いのよね(笑)

 

Aleister Crowley

 

円香 アンテナが立ってないとは限らないよね。アンテナには引っかかっているし、考えてもいるけど、あえてSNSでそのことについて触れないという立ち位置はあるんじゃないかな。特にこの問題は今とても複雑繊細で、J.K.ローリング本人も言ってるようにツイッターという繊細な議論に向かない場でその件について何か言うことって炎上するだけで、あまり得策にはならないと思うんだよね。

磐樹 もちろん、対応の仕方は人それぞれだとは思うけど、コンセンサスリアリティとオルタナティブリアリティの間に摩擦のようなものを生み出すことがオカルティズムという文化のある種のミッションだからさ。得があろうがなかろうが、撹乱していく、コミットしていく。その上でできる限り生き延びる方向に努力しろ、というのがまぁ僕なんかがデモンストレーションしてみせたい「魔術」なんよ。

円香 私もJ.K.ローリングのブログなら読んではいるし、状況をウォッチはしてる。摩擦を起こすことが魔術の使命だというのも分かる。だけど、その摩擦を起こす場って本当にツイッターなのかな。ツイッターでガーっと何かを言って摩擦のようなものを起こしたとして、本当にコンセンサスリアリティが撹乱されるのかという点に関してはちょっと疑問がある。

スターホークが魔女狩りについてのクラスを2020年に開講した時に、人の個別性を見ないでなんらかの断片、あるいは真偽不明な情報に対して反射的にガーっと反応してしまうことによって魔女狩りは起こるんだ、みたいなことを言ってたんだよね。内容というより、シチュエーションでいくつかの条件が揃う事によって「魔女狩り」的な状況が発生する、と。だから、反射的に人を攻撃して燃やしてしまう前に一回立ち止まり、ガス抜きを我慢して瞑想しましょう、と。

J.K.ローリングのクレジットが消されたことは彼女の言動の是非はさておいてもおかしなことだとは思うけど、J.K.ローリングを擁護する人たちだって彼女の言ってることと全然違う事を主張してたりするからモヤモヤする。それに今はその話題はめちゃくちゃ燃えやすくて、どっちのサイドにつこうとも論敵を魔女化せざるを得なくなるでしょ? だから避けてるんだよ。まずは両陣営の主張とかをちゃんと理解しないといけないしね。ウォッチしながらも距離をとってる感じかな。

磐樹 まあ、あえて深くコミットしないという態度も正解だとは思うよ。SNSでああだこうだと発言する以外の戦略もあるし。ただ、その上でも重要なことは、我々がオルタナティブリアリティにただ閉塞するのではなく、そのリアリティによって大多数が共有しているコンセンサスリアリティを揺さぶり、少しでもマシな方向に動かしていかなきゃいけないということ。そこに尽きるんだよ。

以前、メディア美学者の武邑光裕さんが言っていたんだけど、コモンセンスというのは非常に大切なんだと。それが大きく真ん中に安定して存在しているからこそオルタナティブリアリティもありうる。コモンセンスの健康性が失われたら途端に全てがご破算になってしまう。だから、オカルトにせよ、陰謀論にせよ、オルタナティブリアリティを探求するには、今日のコモンセンスがどこにどうあるかをきちんと押さえておくことがすごく大切。

もちろん、炎上して魔女狩りを煽るのが得策じゃないというのも分かるけど、同時に今日のコモンセンスがあまりにもおかしなものになってしまっているなら、ちゃんとトラクション、摩擦を生み出していくことも放棄しちゃいけないんだと思う。そうしないと、単にゲームの世界、プラットフォームの内部に埋没するだけになってしまう。アクティビズムというからには、みんながぶつかり合うコモンの場が、プラットフォームの内部を超えて確かにあるんだという信仰は捨てちゃいけない。その上で互いにリスペクトを持つことは大事だけどね。

円香 ちゃんと相手の言い分を聞くというのは当たり前だけど本当に大切ですよね。TERFの問題もそうで、私がこの問題を知ったきっかけは2019年に私がウィッチクラフトを学んでるリクレイミングというグループが全てのジェンダー、性的志向、人種、背景の人々を受け入れる、トランスインクルーシブなグループあることを表明したことだったんです。自己紹介で代名詞を言うことは2016年には任意だったんだけど、2019年の時点であらためて公式に決まった。その背景にはスザナ・ブダペストがTERFだと批判されるようになったことがあったんだよね。

 

Zsuzanna Budapest(画像引用元: https://www.zbudapest.com/

 

スザナ・ブダペストはスターホークの先輩にあたるラディカルフェミニストのレズビアン分離派カヴンをやってる魔女で、宗教を批判してきたフェミニストの世界に、宗教はいらなくてもスピリチュアリティは必要であるという考えを広めた人、まあ、現代魔女の歴史においてはものすごく重要な人なんですよ。で、彼女のカヴンには元から男の人は入れなかったんです。女性たちが社会で自分たちの意見を言うことが簡単ではなかった70年代から、彼女のカヴンでは女性それぞれの個人の経験を小さなグループの中でシェアしたり、意識高揚するというようなことが行われてた。その当時は社会的な抑圧によってその場に男性がいるだけで自分の考えを表現することも難しいという女性もいたからですね。時には参加者が全裸になって、互いの身体に触れ合うような儀式が行われるようなこともあったらしい。そういうレズビアンの伝統を持ったカヴンだから男性の方は入れませんとなってたんだけど、もちろんブダペストはトランスフォビアではないんです。でも、そのルールだけが取り上げられて問題視され、すごい批判に晒されてしまった。

だからブダペストの弟子筋にあたるスターホークなんかは色々なことを考え抜いた末にはっきりとトランスインクルーシヴを打ち出したわけだけど、とはいえ、スターホークはブダペストを非難しているわけでもないようなんですよね。私もブダペストの功績はリスペクトしてるし、彼女を短絡的にTERFだという風に批判することはそもそもおかしいと思ってる。ただ、そういう背景がきちんとシェアされないままに戦争のような状態になってて……。こういう問題に関しては丁寧に話して落としどころを探るしかないと思うんですよ。ちなみにブダペストのダイアナ派カブンにも現在は男性司祭がいるんですけどね。

磐樹 誰がTERFだ誰がトランスフォビアだとか色々言われてるけど、まずはその物語を疑うことも必要よ。最終的にどういう風に判断してもいいわけだけど、絶対にこうなんだという言説に対してはそれこそ陰謀論的な脳でそれをいったん相対化して、他のありとあらゆるシナリオを走らせていった方がいい。今はこの話題に関しては非常に鬩ぎあってて、互いに引きも引かないテンションでぶつかりあってる。その上で大事なことは、自分自身が揺らいで疑い続けることだろうね。分からないことを自分で考え続けていく機運はそこにしかなくて、だからワクチンもSDGSもフェミニズムもそうだけど、そういうものをいったん全て疑ってみた方がいいんだよ。ただ、今はそういう並列的な視線を持つこと自体がものすごい抑圧されているわけだけど。

円香 そうだね、同時に純粋な女性とか純粋な男性みたいな観念を疑うことも必要。そもそもAとBの境界線の引き方が一つなんてことがあるわけないんだから。あれを疑ってこれは疑わないでは片手落ちだしね。そういう意味では私も複数のリアリティを走らせていくことは必要だと思ってるよ。

磐樹 だから僕は「外部」に期待してるんだよ。それは思想家でもなければ文学者でもない。なんならアーティストでもないかもしれない。彼らは結局、プラットフォームに依存るからね。僕が期待する「外部」というのは、たとえばタトゥーだらけだったり魔女を自称してたりする、キワキワの人たちなんだよ。今時分わっと増えてる、凡庸な陰謀論系の人は、かつての対抗文化が生み出した、どうしようもなくキワに寄ってしか生きられなかったヒッピーやハードコアパンクスやハッカーや魔女のような人たちの、劣化コピーに見える。「外部」のリアリティを想像する一つの企てではあると思うけど、レディメイドな物語を買ってきてそれにベタに乗ってるだけなんじゃないかと。もっとちゃんと気を違えないとね。新しい世代からそういう存在が出てくることを切望してますよ。

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磐樹炙弦 ばんぎ・あぶづる Bangi Vanz Abdul/現代魔術研究・翻訳。メディア環境、身体、オカルティズムと文化潮流をスコープとし、翻訳 / 執筆 / ワークショップを展開。翻訳: レイチェル・ポラック「タロットバイブル 78枚の真の意味」 (2013)/ メアリー・K・グリーア「タロットワークブック あなたの運命を変える12の方法」(2012 ともに朝日新聞出版) / W.リデル「ジョージ・ピッキンギル資料集 英国伝統魔女宗9カヴンとガードナー、クロウリー」(東京リチュアル出版) / 心療内科・精神科HIKARI CLINIC フローティングタンク担当。

 

円香 まどか/魔女。南カリフォルニア大学Jaunt VR LabにてInteractive Animation、VR/XRを滞在研究。西海岸の魔女カヴンにて現代魔女宗をフィールドワーク、WitchcraftやModernPrimitiveの実践を行なう。未来魔女会議主宰。

 

辻陽介(DZ) つじ・ようすけ/1983年、東京生まれ。編集者。学生時代よりコアマガジン社に勤務しアダルト雑誌などの編集を手がける。2011年に性と文化の総合研究ウェブマガジン『VOBO』を開設。2017年からはフリーの編集者、ライターとして活動。現在、『DOZiNE』の主筆を務める。

 

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〈MULTIVERSE〉

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「汝はいかにして“縄文族”になりしや」──《JOMON TRIBE》外伝

「土へと堕落せよ」 ──育て、殺め、喰らう里山人の甘美なる背徳生活|東千茅との対話

「今、戦略的に“自閉”すること」──水平的な横の関係を確保した上でちょっとだけ垂直的に立つ|精神科医・松本卓也インタビュー

フリーダムか、アナキーか──「潜在的コモンズ」の可能性──アナ・チン『マツタケ』をめぐって|赤嶺淳×辻陽介

「人間の歴史を教えるなら万物の歴史が必要だ」──全人類の起源譚としてのビッグヒストリー|デイヴィッド・クリスチャン × 孫岳 × 辻村伸雄

「Why Brexit?」──ブレグジットは失われた英国カルチャーを蘇生するか|DJ Marbo × 幌村菜生

「あいちトリエンナーレ2019」を記憶すること|参加アーティスト・村山悟郎のの視点

「かつて祖先は、歌い、踊り、叫び、纏い、そして屍肉を食らった」生命と肉食の起源をたどるビッグヒストリー|辻村伸雄インタビュー

「そこに悪意はあるのか?」いまアートに求められる戦略と狡知|小鷹拓郎インタビュー

「暮らしに浸り、暮らしから制作する」嗅覚アートが引き起こす境界革命|オルファクトリーアーティスト・MAKI UEDAインタビュー

「デモクラシーとは土民生活である」──異端のアナキスト・石川三四郎の「土」の思想|森元斎インタビュー

「Floating away」精神科医・遠迫憲英と現代魔術実践家のBangi vanz Abdulのに西海岸紀行

「リアルポリアモリーとはなにか?」幌村菜生と考える“21世紀的な共同体”の可能性

「NYOTAIMORI TOKYOはオーディエンスを生命のスープへと誘う」泥人形、あるいはクリーチャーとしての女体考|ヌケメ×Myu

「1984年、歌舞伎町のディスコを舞台に中高生たちが起こした“幻”のムーブメント」── Back To The 80’s 東亜|中村保夫

「僕たちは多文化主義から多自然主義へと向かわなければならない」奥野克巳に訊く“人類学の静かなる革命”

「私の子だからって私だけが面倒を見る必要ないよね?」 エチオピアの農村を支える基盤的コミュニズムと自治の精神|松村圭一郎インタビュー

「タトゥー文化の復活は、先住民族を分断、支配、一掃しようとしていた植民地支配から、身体を取り戻す手段」タトゥー人類学者ラース・クルタクが語る

「子どもではなく類縁関係をつくろう」サイボーグ、伴侶種、堆肥体、クトゥルー新世|ダナ・ハラウェイが次なる千年紀に向けて語る

「バッドテイスト生存戦略会議」ヌケメ×HOUXO QUE×村山悟郎

「世界ではなぜいま伝統的タトゥーが復興しようとしているのか」台湾、琉球、アイヌの文身をめぐって|大島托×山本芳美

「芦原伸『ラストカムイ』を読んで」──砂澤ビッキと「二つの風」|辻陽介

「死者数ばかりが伝えられるコロナ禍と災害の「数の暴力装置」としての《地獄の門》」現代美術家・馬嘉豪(マ・ジャホウ)に聞く

「21世紀の〈顔貌〉はマトリクスをたゆたう」 ──機械のまなざしと顔の呪術性|山川冬樹 × 村山悟郎

「ある詩人の履歴書」(火舌詩集 Ⅰ 『HARD BOILED MOON』より)|曽根賢

「新町炎上、その後」──沖縄の旧赤線地帯にアートギャラリーをつくった男|津波典泰

「蓮の糸は、此岸と彼岸を結い、新たなる神話を編む」──ハチスノイトが言葉を歌わない理由|桜美林大学ビッグヒストリー講座ゲスト講義

「巨大な夢が繁茂するシュアール族の森で──複数の世界線を生きる」|太田光海 × 清水高志

「反・衛生パスポートのための準備運動──連帯主義と生-資本に抗する」|西迫大祐×塚原東吾