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太田光海 『ナンキ ──まどろみの森で』 Episode 01「異文化への切実な好奇心」

映画『カナルタ 螺旋状の夢』の監督・太田光海が綴るもう一つの“カナルタ”。アマゾン・シュアールの森で青年は「ナンキ」と呼ばれていた。

 

異文化への切実な好奇心

 小さい頃から、僕は異文化に興味があった。もう少し根本的なことから始めれば、「他者」という存在に関心があったのだと思う。保育園にいた時から、おもちゃを分け合いっこしたり、お菓子を誰かにあげたり、もらったり、逆におもちゃを強引に奪われてしまったり、殴られたり、笑いあったり、といった周りの子供たちとのやりとりが不思議でならなかった。どうしてこんなにもみんなは自分と違うんだろう?どうしてみんなケンカをしてしまうんだろう?と常に自分に問いかけていた。そして、お昼寝しなさいと言ってくる大人や、運動会でみんなで出し物をするために練習させられることにも、日頃から疑問を抱えていた。楽しいこともたくさんあったのだろうけれど、総じて僕の記憶の中での幼少期は暗い。こちらの意図がどれだけ「仲良くしたい」という純粋な気持ちから来ていたとしても、周りがそう受け取るとは限らない。気が弱く泣き虫だった僕は、背が組の中で一番高かったにも関わらず、いじめられっ子だった。

 小学校に進学してからも、「アキミくんは変だ」とよく言われていた。何が変なのかは自分でもわからない。それでも、確かにみんなの輪の中に入りたくてもなかなか入れなかった。例えばみんなが話題にしているテレビの話がわからない。どんな芸能人がいるのかも、詳しくない。みんなが大笑いしている冗談が全然面白いと思えない。逆にみんなが全く面白いと思わない場面で急に一人で笑ってしまう。みんなが夢中になっているものに全然興味が持てず、自分だけがハマっている趣味や遊びがあった。そうこうしているうちに、「空気の読めないやつ」というレッテルも貼られてしまった。親の教育方針だったのか、家では「自分が思うことは100%主張していい」という主義だった。だから素直に思ったことや感じたことを伝えたり、相手と意見が違ったらそれを正面から表明することが当たり前だった。でも家の外では違った。子供たちの間には様々な見えないルールが存在していて、それを破ると反感を買ってしまう。何が原因なのか、皆目検討がつかない。正直、家族の外で他の子供と付き合うのがいつも怖かった。

 この頃からかもしれない、僕が「文化」(明文化されたルール以外のルール)というものの存在に気づき始めたのは。世の中は決して「正しい」ことだけが通るわけではない。「善意」があったとしても、そしてそこに自分にとっての「筋」があったとしても、その社会での伝え方のルールや行動の規範を守らなければたちまち悪者にされてしまう危険がある。人を殺すことはよくない、戦争はやめた方がいい、という当たり前に聞こえる主張ですら、言い方によっては反感を買ってしまうこともある。僕は特に、日本で育つ中で「空気を読む」という発想や「同調圧力」が嫌で仕方なかった。みんながみんな同じでなくてもいいはずだ、それぞれ個性があるのだから、それを大事にすればいいはずだ、と常に思っていた。人なんて違って当たり前。育つ環境や地域によっても全く違うし、さらにその中でも個々の考え方や感じ方は変わってくる。しかし、現実の社会ではそのことが認められていないように感じた。その上、タチが悪いことに、「ゆとり世代」の僕は学校でやたらと耳障りのいい「個性重視」の方針について聞かされながら、それと矛盾する教育や評価にさらされていた。知的好奇心は旺盛で学力面では優秀だったものの、忘れ物が多く、やろうと思っても言われたことを言われた通りにできない僕は、いつも先生から貶められ、通信簿は低評価だった。子供ながらに様々な面で明らかな不自由を感じていた僕は、常に憤っていて、学校では先生と派手な口論ばかりしていたし、多分クラスから浮いていた。

 「人はみんな違っていい」ということを確かめたかった。周りが認めてくれないとしても、自分の中では確信を持っていたかった。そのために、口でその主張を繰り返すだけでなく、何かもっと大きなことを成し遂げて証明する必要があった。当時は具体的に何を成し遂げればいいのかわかってなかったと思うけれど、中学校の頃から漠然と「海外に行きたい」「外の世界についてもっと知りたい」とは考えていた。日本のルールだけがこの世の理(ことわり)ではない、ということを身をもって体験したかったし、証明したかった。「このまま日本に留まっていたら、自分は精神的に殺されてしまう」とすら思っていた。

 究極的には、「世界から戦争をなくしたい」「弱いものが虐げられる世界を変えたい」と本気で願っていた。中学生の時に区のプログラムで広島平和記念式典に出席し、現地のご老人たちから原爆が投下された当時の話を聞いた経験も大きかった。卒業文集では「世界平和を目指すために、将来は国連職員になりたい」とクソ真面目に書いた。日本の基準で見れば、超がつく個人主義者で、論争家で激情家だったと思う。でも、「自分たちと違う」という理由で誰かが傷つくことをなくしたい、という思いは純粋だった。そこには、「変な人」である自分でも居場所のある日本(世界)になってほしい、という切実な気持ちも間違いなく関係していただろう。

 そんなときに、親の知り合いを通じて、ボランティアによる高校生の国際交換留学をサポートしているYouth for Understanding (YFU)というNPO法人について教えてもらった。1年間、留学先の現地の高校に編入し、現地の家庭にホームステイするプログラムだという。少年ながらに、「今しかない、このチャンスを絶対掴み取ってやる」と思った。応募当時は中学3年生で、おそらくまだ15歳になっていなかった。面接や英語の試験などがあり、無事に日本からオランダへ派遣される留学生として合格すると、嬉しさと同時にとてつもない不安に襲われたのを覚えている。幸運なことにその時点で親とともにヨーロッパで数週間過ごした経験はすでにあったものの、一人で現地の家庭に住むこと、現地の学校に編入することは全く別の次元の話だった。そもそも自国の日本で同級生の輪に入れないやつが、外国でどうやって友達を作ればいいんだ、と悩んだ。それでも、決まったことはやり遂げないといけない。意を決して、高校一年生の夏、僕は「異文化」のオランダに飛び込んだ。

 

 

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〈MULTIVERSE〉

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PROFILE

太田光海 おおた・あきみ/1989年東京都生まれ。映像作家・文化人類学者。神戸大学国際文化学部を卒業後、フランス・パリに渡り、社会科学高等研究院(EHESS)で人類学の修士号を取得。同時期に共同通信パリ支局でカメラマン兼記者として活動した。英国マンチェスター大学グラナダ映像人類学センターに在籍中、アマゾン熱帯雨林の村に約1年間にわたり滞在し、成果を映像作品にまとめ博士号を取得。その初監督作『カナルタ 螺旋状の夢』が2021年10月2日より日本で劇場公開。

【Twitter】@akimiota
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