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藤野眞功 『聞き書き・ごんたくれ』 其の八

インターポールを通じて125カ国に国際特別手配された、最初の〈ザ・ヤクザ〉。小野忠雄が語るゴロマキ人生。

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国際特別手配

 

村人たちとの宴会は、まだ先。

 

 小野が大人になって初めて泣いたのは、その翌年のことだった。

 1979年、巨大な台風がアモガン集落を襲った。

「何もかも、なし。田んぼが根こそぎやられて、食い物なし。漁にも出られないから、現金もなし。全部なし」

 デニスが誕生した後、テーシーはすぐに第二子を孕み、この頃には生まれていた。次男マイケルの名付け親は、ラクソンである。

 小野は、本家の祖母に頭を下げて、デニスとマイケルのための借金を頼んだが、言下に拒まれた。テーシーも親戚や近所の人々を回ったが、ただの一銭さえ借りることができなかったという。ふたりがアモガン集落でどのように見られ、いかなる立場に置かれていたのかは、すべてこの話に表われているかもしれない。その晩、小野は声を上げて泣き、涙をこぼした。

 そして数日後、銃以外には唯一の財産である腕時計をカタに、町の知人から交通費を借用してマニラへ出た。恥ずかしかったのでデニスやラクソンには連絡せず、こっそりと日本人の友人に会い、借金を申し入れたのだった。

「それで、初めて聞いたの。びっくりしちゃったよ。国際刑事警察機構(インターポール)に特別手配されているって」 

 友人が持ってきた関係資料のコピー(日本が各国の捜査機関に配布した手配書など)には、ご丁寧に〈THE YAKUZA〉なる肩書が躍っていたという。だが、それよりも小野を驚かせたのは、自分にかけられた容疑だった。

「前に言ったみたいに、控訴保釈中に、フィリピンに逃げたことで追われるなら分かるよ。それで騒がれるのが嫌で、アモガン集落に隠れているんだから。でも聞いたら、話が全然違う。おれ、ものすごい悪者にされちゃってんだ。いろんなヤクザとか不良にハジキをあっせんして、日本への密輸を仕切っているとか。拳銃密輸の国際シンジケートのボスだとかさ。いやいや、おれ、そんなことやってねえし。いや、そりゃ、道具を密輸したことはあるよ。だけどそれは、おれがひとりで、自分でやったの。他の奴らとは関係ない。びっくり仰天だよ」

 その前年、旧東声会系の阿部の舎弟たちが東京で逮捕され、違法薬物の所持で起訴されたことは小野も知っていた。

「だけど、あいつらがオマワリと取引するために、てめえらで勝手にやった拳銃密輸のことまでうたって、おれを巻き込んだってのは……それで警察も、おれがフィリピンにいることを知って、情報の突き合わせをしたんでしょ。そもそものさ、高飛びした恐喝の話なんか、インターポールに手配するようなヤマじゃないんだからさ」

 小野はこの年の4月、日本政府(警察庁)によって国際特別手配のリストに登録された。このリストに最初に登録された日本人は、国際的な古美術窃盗グループの一員だった人見安雄である。その後は、テロリストとして日本赤軍の面々が登録されており、いわゆるヤクザとして手配されたのは、小野が初めてだった。しかし、当時の彼にはもう、自分がヤクザだという意識はなかっただろう。 

 それでも、日本からフィリピンへ高飛びしたときには、たしかに小野は巽会の構成員だった。その名前と居場所が、違法薬物の所持で逮捕された(阿部の)舎弟の面々の口から飛び出し、おまけに東南アジアを舞台にした拳銃密輸シンジケートの大物であると供述が得られたのなら、刑事たちが色めき立つのも無理はない。

 数少ない日本人の友人から金を借りられたので、小野は考えを変えてクリニヨやデニス、マテリアーノらに会うことにした。国際手配された事情を話して、逃げ切るために力を貸してほしいと相談したのである。

「大丈夫だ、大した問題じゃない」

 マテリアーノが言った。

「お前が死ねば、それで解決だ」

 彼らは、すぐに答えを出した。

 背丈の近い中国人のフレッシュな死体を探して、小野の所持品を持たせる。あらかじめ金を握らせた刑事と医者に書類を偽造させたら、すぐにその死体を焼いてしまう。これで、手配犯の小野忠雄は「潜伏先のマニラで死んだ」ことになる。キリスト教徒の多いフィリピンでは土葬が一般的だが、「忠雄は日本人だから、火葬でも不自然じゃないだろ」と、ラクソンが続けた。

「問題は、歯だな。いくら背丈が一緒でも、歯型が違うとバレちまう。ありゃ、火葬してもなかなか燃えないんだ」

 デニスも言葉を足した。

 小野らはさっそく、死体を用意できるという華僑系のブローカーに会い、手付金を握らせたが、都合通りには運ばなかった。ラクソンの家で、やきもきしながら死体を待っている間、安請け合いしたブローカーはケソンのナイトクラブで喧嘩の巻き添えを食って被弾し、自分自身がフレッシュな死体になって回収されてしまったのである。そして残念ながら、ブローカーの背丈は小野より随分小さかった。

 やむなくサンバレスへ戻ると、台風一過の快晴で、また漁に出られるようになった。

「小さな島から小さな島へ、マグロを追って1週間ぐらい遠征したり。もちろん、あれよ。おれひとりじゃなくて、地元の漁師と一緒にね。でっかい鮫に追われて、目についた小島へ逃げたら、それが少数民族の島でさ。このときは面白かった。英語も、タガログ語も通じないの。もう原始の村みたいな部落で歓迎してくれて。

野生の鳥やら、見たこともない野菜や果物を振舞ってもらって。映画のジュラシックパークみたいな場所。フィリピンのどぶろく、椰子酒な、それをどんどん飲ませてくれて。陽が落ちてくると、1メートル半ぐらいはあるんじゃないかっていう、でっかい蝙蝠がバッサバッサ、空を舞って。満腹だし、鮫のことなんか忘れて、最高の気分で砂浜で眠ってさ。

そしたら翌朝、めちゃくちゃ臭いんだ。クソと小便で目がさめて、いったいなんだと思ったら、その砂浜が彼らの便所! 昨日、さんざ御馳走してくれた、その部落の十数人。皆、その砂浜で小便とクソね。なんで教えてくれねえんだと思ったけど。よく考えたら、おれも漁師も、あいつらの言葉分かんねえんだったわ」

 この頃、日本大使館は外交ルートを通じてMISGに小野の情報を要求していたが、ラクソンやマテリアーノが握りつぶしていたので、追っ手の気配は微塵もなかった。

「それからの1年は、平和だった。うん。国際指名手配されたから、マニラどころか、もう近所の町に出ることもなくなって。田んぼで米作って、山で撃って、海で獲って。ただの村人。しんどかったのは、虫歯ぐらいだな。アモガン集落だけじゃなくて、イバ村にも歯医者はいなくて。逃げる前から、痛むときはあったんだけど。虫歯かなっていうのはね。ほったらかしていて、あれはダメだったな。ほんとに虫歯だけは、ちゃんと治しておいた方がいいぜ。

毎晩遊んでりゃ、さ。飲んで、派手にやって、痛いのなんか忘れちゃうけど。田舎の夜は、寝るだけだから。そうすっと、痛くてかなわんのよ。気を紛らわせる遊びもないし。しゃあないから、自分で抜いたよ。もう、我慢できないぐらい痛くなった虫食いの歯に、釣り糸巻いて。ああ、手で引っこ抜くなんて無理、無理。バンッと一気にいかないと。

ドアノブね。ドアのとこで寝転がって、両足曲げんだ。そんで、糸の端っこをドアノブに巻きつけるだろ。寝転がったままだと、背中が地面にくっついて、両足はドアの上で垂直に立ってるみたいになるからさ。で、膝を曲げた状態で、歯とドアノブの間の糸はピンっと張ってる。そっから、両足で思い切りドアを蹴って、ジャンプしたらズボッと抜けるよ。めちゃくちゃ血出るけどね。サンバレスにいる間に結局、全部で4本」

 4本のうち3本を抜いているうちに、国際手配から約2年が過ぎた。いつものように毒薬漁法に出ると、サンゴ礁を探していた村人がボートに戻ってきて、しきりと海底を指差す。

「あそこはサンゴ礁じゃない。それなのに海の底が盛り上がって、魚が集まっている。きっと昔の船が沈んでいるはずだって」

 翌日、町へ出てサンバレスの歴史を調べると、この沖合は大航海時代にスペイン船が行き交ったガレオン交易の航路だったと分かった。翌々日、小野と漁師はこちらも伝統漁法のひとつ、爆破漁法で使うダイナマイトを持って、同じ場所へ向かった。

 ドンッと爆発音が響くと、海面が氷山のように鋭角に盛り上がった。ボートも揺れる。ほどなく、吹き飛ばされた海泥で水が白くなる。

 濁りが落ち着くまで、じっと眺める。

 地元民が潜る。

「潜った奴が皿を持って、ボートに上がってきたんです。1発目ですよ、1発目でいきなり。植物の絵が描かれた皿ね。ダイナマイトで吹き飛ばしたのに、どこも欠けていない。一気に心臓が締め付けられて、ズキン、ズキンって、こめかみ辺りの血管が膨れて。頭痛が始まったのを、よく覚えてる」

 小野は固定電話を使える村役場まで出かけ、ラクソンに連絡を入れた。

「もうニヤついちゃって、そっから毎晩、寝つきが悪くなったぐらい。だって映画みたいだろ? インターポールに国際手配されている逃亡犯が、ジャングルに潜伏して。最後は、沈没船からお宝引き上げて、一攫千金! おれは今、今って本当の今じゃなくて、あの当時ね。一世一代の、男一匹の夢をさ、やってやるんだって、そんな感じでさ。もう、稲作だのハンティングだのやってる場合じゃない」

 ラクソンは、彼の個人的なスポンサーだった中国人の富豪を介して、その皿を香港の鑑定士のもとへ送ったという。

「そっからは、トントン拍子。あの皿、本物だったの。明の時代の皿で、本当の本物。ガレオン船が沈んでいるなら、きっとスペインの金貨も積んでいるはずだって」

 あっという間に話がつき、富豪は宝探しへの協力を申し出た。

 

 

〈MULTIVERSE〉

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PROFILE

藤野眞功 ふじの・みさを/著書に、ノンフィクション「バタス」(講談社)、長篇小説「憂国始末」(新潮社)、短篇集「アムステルダムの笛吹き」(中央公論新社)など。フリー編集者としても活動し、横田徹「戦場中毒」(文藝春秋)、高橋ユキ「つけびの村」(晶文社)などを手掛ける。【過去の記事】https://fujinoshin.com/