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大島托 『一滴の黒 ―Travelling Tribal Tattoo―』 #29 縄文群島の明かしえぬ黒い文身|日本最古のタトゥーを復興する①

タトゥー・アーティスト大島托が世界中の「タトゥー」を追い求めた旅の記録。旅を経て日本にスタジを構えた大島が次に向かったのは列島の古層だった。縄文時代に存在したと目される文身文化。明かしえぬ《縄文タトゥー》を探して。

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新大久保アポカリプト

 その頃は大宮の実家、稲城の彼女のところ、友人宅、新大久保のスタジオ、ネットカフェ、などを転々と根城にするような暮らしだった。住所不定というやつだ。まあだいたい週の半分はスタジオだったかと思う。

 スタジオで寝た日は、だいたい朝方に天井から響く「ドシンッ」という音で目が覚める。力士が柱に鉄砲(張り手)を打つような音だ。上の階の日雇い労働者向けの簡易宿泊施設の、2段ベッドの上段から誰かが床に飛び降りる音なのだろう。近くの公園に、今日の仕事を斡旋する手配師が廻ってくる前にみんな一斉にドシンドシン起きるのだ。普通のマンションとかだったら即クレームものなのだろうが、この建物にはそんな高級な住民はいない。

 ある日、隣の闇金事務所に誰かが猛烈な勢いで怒鳴り込んで来たことがあった。薄い壁越しに丸聞こえの会話からすると、どこかのヤクザらしかった。が、時間にして10分以上ガナり続けていたヤクザの声が、あるセリフの途中でいきなりぷっつりと終了して静寂が訪れた。…… きっと何か必殺の罠みたいなものが発動するスイッチを押したんだろう。テーザー銃とか、天井から金ダライが落ちてくるとか。そういう結論に至り、我々は通常業務に戻ったのだ。

 2段ベッドの降り方なんてどうでもいい。

 通りを挟んだ向かいのセブンイレブンで「あじほぐし御飯」を買い、それをどんぶりに開けて熱いジャスミンティーを掛け回す。旅仲間からもらった本場福建省の最高級「茉莉花龍珠」だ。当時はこのコンビネーションにハマっていた。酒が抜け切らない朝には特に優しい食味なのだ。美味いのでみんなに勧めていたが、誰もやらない。見た目の問題だろうか。それともゲテモノ食チャレンジャーでもある僕の味覚への信頼度の低さなのか。

 ともあれ、「あじほぐし御飯」は今となってはもう絶版で、こうして皆のチャンスが永遠に失われてしまったのを僕は残念に思う。

 トイレを洗い、スタジオの床に掃除機をかけ、接客用のグラステーブルを片付け、テレビをつけて、宿題のオーダーデザインを描き始める。現在はほとんど一発でOKが取れるのだが、あの頃は一件のオーダーのために何枚も描いていた。べつに今よりデザインが下手だったわけではないと思う。なんというか、これは僕の人生ではままあることなのだが、相手との話が上手く噛み合わないことが多かったのだ。

 やがて煮詰まって、ニュース番組の字幕をぼんやり眺めたり、古い「刃牙」を読み直したりしているうちにうつらうつらしてきて、床に枕を置いてまた寝てしまう。

 

ジュン・マツイのお膝元

 00年代初めぐらいから下北沢の友人のスタジオのスタートアップに関わったりして日本にはちょくちょく帰ってきてはいたが、本格的に自分自身で開業したのは半ばあたりからで、場所は新大久保だった。

 トライバルタトゥーのジャンルでいうと欧米のシーンではハイダやケルティックなどを経て、すでにサモアやマルケサスなどのポリネシアンの流行が本格化していたタイミングで、僕の興味もそこらへんにシフトしてる最中だった。

 が、その頃、日本で「トライバル」と言えばクレイジーやボルネオを主体として、そのパターンで花とか動物などのモチーフを描写するもののことを指した。まだ指していた、と言った方が正しいのか。いや、ひょっとしたら今でもそういう気配もあるような気がする。ドンキなどで売ってるトライバル柄のシールはクレイジー柄だ。

 そのことの理由を僕なりに考えると、まずは言語的な問題なのかなとも思う。トライバルという語は「部族の」という意味なのだが、クレイジーやボルネオのデザインが80年代末にトライバルタトゥーとして日本に入ってきた時に、人々はそれをいろいろな部族、民族のタトゥーの集まるカテゴリーの名称としてではなく、クレイジーやボルネオのそのアブストラクトな黒のパターン自体を特定する名称として理解したのだと思う。日本語と英語は遠い言語なのでこの種の誤解は他にもよくあることだ。

 そしてもう一つにはジュン・マツイの影響もあるだろう。日系ブラジル人のタトゥーイストである彼は90年代から00年代にかけて南青山で「LUZ」というトライバルタトゥー専門のスタジオを営んでいた。

 

 

 トライバルタトゥーとは言っても、彼の初期の作品はボルネオをベースにしながらも非常に強いオリジナリティを備えた独特のスタイルだった。それは世界のブラックワークタトゥー業界にも大きな影響を与えていて、名手と呼ばれる人たちの作品の多くに今もアレンジされ続けている。若い世代のタトゥーイストたちはもしかしたら彼の作品を知らないままに真似している可能性もある。それぐらいユニバーサルな要素として定着しているということだ。そしてこの人のデザインセンスは人々がイメージするタトゥーイストの枠をはるかに超えていて、ゲームやアパレルなどのさまざまなプロダクトで当時の日本に広く出回っていたようだ。つまりこの国はその傑出したアーティストのお膝元だったわけだ。影響がないわけがないと思う。

 

ジュン・マツイの作品

 

ジュン・マツイの作品集『HARI』より

 

 彼の作品を見た後で、あらためてドンキのトライバルシールを見てみると、それらはジュン・マツイ・スタイルの劣化コピーなのだということがなんとなく見えてくるのだ。

 

トライバルタトゥー百貨店

 そのジュン・マツイがサンパウロに帰還したのと入れ替わるように東京で開業した僕が、まず始めたのは世界のトライバルタトゥーを分類して日本のタトゥーファンに紹介することだった。クレイジーやボルネオだけでなく、ケルティック、ハイダ、インディアン、マオリ、サモア、ハワイ、マルケサス、タヒチ、中南米、台湾、フィリピン、パプア、ヤップ、ベルベル、などをそれぞれのデザインの特性とその背景について解説しながら彫っていった。別の言い方をすれば、それまでの日本のマーケットで主流だった何でもミックスの方向性はとりあえず意図的に排除したということだ。

 あまり親しみもないかもしれない単語をずらずらと並べ立てたが、難しく考える必要は全然ない。それは例えばラグビーとアメフト、ムエタイとキックボクシングはそれぞれ別の競技だと説明するようなものだった。ラーメンは確かに麺だが、麺には他にもウドンやソーメンやソバやスパゲティなどがあるということを紹介するのと同じ感じだ。

 そういう初歩的なところから丁寧に仕切り直してアプローチしていったのは目新しさもあってまずまず受け入れられたと思う。

 トライバルタトゥー百貨店商法が軌道に乗ってからしばらく左団扇で暮らしていたあたりで、ひょんなことから訪れた旅先のタヒチでリバイバルタトゥーの爆風にモロに当てられたことはこの連載でもすでに書いた(※)。ホカホカと頭から湯気が立ち昇る状態で帰国した僕は、これまた僕の人生においてはままあることなのだが、またしても2本に分かれた道の儲からない方に敢えて進んでしまった。分かっちゃいるけどやめられない、というやつだ。

 #16 現代マルケサスタトゥーを生んだのは「観光客」と「ヒゲソリ」だった

 いろいろあるのだけれども、ごく簡単に言うと、デザインの精密さを競うマーケットに反旗を翻して巨大でシンプルなコンセプトを打ち出したのだ。昔からずっと考えていたことを唐突に実行に移したのだ。

 

大島托の作品

 

 創作活動としてはやりたい放題の絶好調で、すぐにSNSでバズり、続いて世界のいろいろなタトゥーメディアで特集を組んでもらえりしたのは良かったのだが、同時に営業成績はガタ落ちしていった。当たり前だ。スッキリ明快にニーズのないことをやっているのだから。そういう路線と従来の商いを併用していれば上手いこと回ったのかもしれないが、一度これと見定めた物事に対する僕のこだわりは病的なほどに頑固なので、本心で接するほどにそれまでの東京のクライアントたちとは話があまり通じなくなっていった。仕方がないので、インド時代からの遊び仲間たちやノリノリのお客さんたちをモデルとして呼び寄せて実験的な作品を彫りまくり、足繁くヨーロッパなどにゲストで出向いてコアなファンをかき集めては糊口(大袈裟か)を凌いでいた。

 

 

✴︎✴︎✴︎

 

 ひと眠りして起きると昼だった。まだ相方の彫あいは来ていない。彼は超夜型なのだ。いつも僕が起きる頃に寝ているようだ。そして僕が寝る時間帯に活動の最高潮を迎えるという。ツートップがそんな感じだから他のスタッフたちも至ってバラバラの登場だ。ルールはないに越したことはない。本番のその瞬間以外は徹底的にイージーなスタジオ。完全なる脱力こそが生み出す最速の一撃だ。つまりはいい加減「刃牙」の読み返し過ぎということなのだ。

 リネンや作業着の甚平などの洗い物を袋に詰めて、文化通りから脇道に少し入った銭湯のコインランドリーに出向く。洗濯機が回っている間に斜向かいのタイ料理レストラン「ルンルアン」で一杯呑み始める。ここはチェンマイ出身の通称「マリコ」という未亡人の女将が切り盛りしてるタイのムスリム料理店で、全階にハラル関係の業者が入っていて最上階がモスクになっているビルの一階にある。にも関わらず酒は何でも出てくるし、店先の路地で使用許可もなく勝手にバーベキューグリルで焼き鳥を焼いていて、銭湯とランドリーとここの作り出す小さな「ゴールデントライアングル」はこの街の日雇い労働者たちの溜まり場になっていた。この空間はひとえに女将の人徳によって成り立っていたところが大きい。

 このルンルアンで昼間からソムタムや裏メニューのライギョやナマズの揚げ物をつまみに酒を呑んでいた僕は、日雇いの先輩方からはマリコの男ではないかと目されていた。日本語が微妙にタイ風のマリコが僕のビール腹を指差して「太いよー、オーシマくん、太すぎるだよー!」とか言っているのが、店の外に変な聞こえ方をしていたのかもしれない。でもまあ、それぐらい毎日のように入り浸っていたわけだ。とにかくヒマだったのだ。

 東京での開業から6~7年ぐらいが過ぎていた。また移住でもするべぇかなぁ、とも考えたが、あともうちょいしつこくブチかまし続けたら崩せるぐらいまでに目の前に立ちはだかる壁は脆くなってきているような気もしていた。

 何より新大久保のスタジオや街が気に入っていた。そんな時期だった。

 その時期に出会った何人かのタトゥー人類学者とのやりとりがその後の僕の方向性に影響を及ぼした。次回はその辺のことに触れてみたい。

縄文群島の明かしえぬ文身②を読む>>

 

〈MULTIVERSE〉

「土へと堕落せよ」 ──育て、殺め、喰らう里山人の甘美なる背徳生活|東千茅との対話

「今、戦略的に“自閉”すること」──水平的な横の関係を確保した上でちょっとだけ垂直的に立つ|精神科医・松本卓也インタビュー

フリーダムか、アナキーか──「潜在的コモンズ」の可能性──アナ・チン『マツタケ』をめぐって|赤嶺淳×辻陽介

「人間の歴史を教えるなら万物の歴史が必要だ」──全人類の起源譚としてのビッグヒストリー|デイヴィッド・クリスチャン × 孫岳 × 辻村伸雄

「Why Brexit?」──ブレグジットは失われた英国カルチャーを蘇生するか|DJ Marbo × 幌村菜生

「あいちトリエンナーレ2019」を記憶すること|参加アーティスト・村山悟郎のの視点

「かつて祖先は、歌い、踊り、叫び、纏い、そして屍肉を食らった」生命と肉食の起源をたどるビッグヒストリー|辻村伸雄インタビュー

「そこに悪意はあるのか?」いまアートに求められる戦略と狡知|小鷹拓郎インタビュー

「暮らしに浸り、暮らしから制作する」嗅覚アートが引き起こす境界革命|オルファクトリーアーティスト・MAKI UEDAインタビュー

「デモクラシーとは土民生活である」──異端のアナキスト・石川三四郎の「土」の思想|森元斎インタビュー

「Floating away」精神科医・遠迫憲英と現代魔術実践家のBangi vanz Abdulのに西海岸紀行

「リアルポリアモリーとはなにか?」幌村菜生と考える“21世紀的な共同体”の可能性

「NYOTAIMORI TOKYOはオーディエンスを生命のスープへと誘う」泥人形、あるいはクリーチャーとしての女体考|ヌケメ×Myu

「1984年、歌舞伎町のディスコを舞台に中高生たちが起こした“幻”のムーブメント」── Back To The 80’s 東亜|中村保夫

「僕たちは多文化主義から多自然主義へと向かわなければならない」奥野克巳に訊く“人類学の静かなる革命”

「私の子だからって私だけが面倒を見る必要ないよね?」 エチオピアの農村を支える基盤的コミュニズムと自治の精神|松村圭一郎インタビュー

「タトゥー文化の復活は、先住民族を分断、支配、一掃しようとしていた植民地支配から、身体を取り戻す手段」タトゥー人類学者ラース・クルタクが語る

「子どもではなく類縁関係をつくろう」サイボーグ、伴侶種、堆肥体、クトゥルー新世|ダナ・ハラウェイが次なる千年紀に向けて語る

「バッドテイスト生存戦略会議」ヌケメ×HOUXO QUE×村山悟郎

「世界ではなぜいま伝統的タトゥーが復興しようとしているのか」台湾、琉球、アイヌの文身をめぐって|大島托×山本芳美

「芦原伸『ラストカムイ』を読んで」──砂澤ビッキと「二つの風」|辻陽介

「死者数ばかりが伝えられるコロナ禍と災害の「数の暴力装置」としての《地獄の門》」現代美術家・馬嘉豪(マ・ジャホウ)に聞く

「21世紀の〈顔貌〉はマトリクスをたゆたう」 ──機械のまなざしと顔の呪術性|山川冬樹 × 村山悟郎

「ある詩人の履歴書」(火舌詩集 Ⅰ 『HARD BOILED MOON』より)|曽根賢

「新町炎上、その後」──沖縄の旧赤線地帯にアートギャラリーをつくった男|津波典泰

「蓮の糸は、此岸と彼岸を結い、新たなる神話を編む」──ハチスノイトが言葉を歌わない理由|桜美林大学ビッグヒストリー講座ゲスト講義

 

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PROFILE

大島托 おおしま・たく/1970年、福岡県出身。タトゥースタジオ「APOCARIPT」主催。黒一色の文様を刻むトライバル・タトゥーおよびブラックワークを専門とする。世界各地に残る民族タトゥーを現地に赴いてリサーチし、現代的なタトゥーデザインに取り入れている。2016年よりジャーナリストのケロッピー前田と共に縄文時代の文身を現代に創造的に復興するプロジェクト「JOMON TRIBE」を始動。【APOCARIPT】http://www.apocaript.com/index.html