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我はいかにして“縄文族”になりしや──現在、阿佐ヶ谷TAV GALLERYで開催中の展示「JOMON TRIBE PART 2」に寄せて

現在、阿佐ヶ谷のTAV GALLERYで開催中の展示「JOMON TRIBE 2」。作品モデルとして展示に参加しているHAGAZINE編集人が、本邦初となる「親子縄文」タトゥーと、縄文タトゥーを入れた「理由」について綴る。

本邦初となる「親子縄文」タトゥー

現在、阿佐ヶ谷にあるTAV GALLERYにて展示「縄文族 JOMON TRAIBE 2」が開催されている。会期は11月15日から12月1日まで。この原稿を書いている今日が11月の23日だから、ちょうど展示期間の折り返し地点となる。

 

「JOMON TRIBE 2」より(写真:ケロッピー前田)

 

「2」と銘打っているように、今回は3年前に開催された「JOMON TRIBE 1」を踏まえた第2弾展示である。もちろん、展示されている作品は全て前回から一新されている。中心をなしているのは、この3年間でタトゥーアーティストの大島托さんによって新たに彫られた縄文タトゥー作品の写真群(撮影はケロッピー前田さん)だ。正確な人数は把握していないが、この3年の間にも縄文族の人口は着実に増えているということである。あるいは、前回の「1」の展示に触発されて縄文族に加わったという人もいることだろう。

 

「JOMON TRIBE 2」より(写真:ケロッピー前田)

 

何を隠そう、僕(HAGAZINE編集人)もまた、ある意味ではその一人だ。その結果、今回の展示においては僕の素っ裸を撮影した写真作品も展示されている。すでに初日と二日目にギャラリーを訪れたが、自分の尻がでかでかと映し出された写真を公衆の場で他の人々とともに眺める体験というのは、なかなかどうして悪くないものであった。どうやら僕には露出狂の素養があるのかもしれない。ストリーキングの欲望を抱いたことは、今のところはまだないのだが。

 

TAV GALLERYにて展示中の作品(写真右が筆者)

 

ちなみに僕の尻が写っている写真作品には、僕ともう一人、別の縄文タトゥー実践者が写っており、彼は僕の義理の息子である。年齢差が14つしかないので、親子というほどの垂直的な関係性ではないのだが、とはいえ本邦初となる「親子縄文」作品であることには間違いない。僕のタトゥーが「潰し」を全面的に展開した荒々しい作品であるのに対し、息子のタトゥーは太さの異なる無数のストライプが織りなす繊細な作品となっている。この親子縄文の対比一つをとっても、縄文タトゥーの豊かなバリエーションの一端が伺えるのではないかと思う。

 

「JOMON TRIBE 2」より(写真:ケロッピー前田)

 

もちろん、「親子縄文」に限らず、その他いずれもインパクトの強い作品ばかりだ。たとえば大島托さんのタトゥーデザインのスケッチ、あるいは大島さん本人の顔面に施した縄文タトゥーの写真なども展示されており(まるで首刈り族が戦利品に持ち帰った生首のようで圧巻だった)、見所は豊富だ。掲げられたコンセプトは前回に引き続き「10000年前から10000年後へ」。遺伝子の容器としての身体、そして、その身体に刻まれた古くて新しい文様に耳をすませたなら、はるか彼方から流れてくる「歴史」の音色に気づくことができるかもしれない。是非、会期中に会場にて縄文タトゥーの現在形をご鑑賞いただけたら幸いである。

 

「JOMON TRIBE 2」より(写真:ケロッピー前田)

 

……と、以上は展示の宣伝になるわけだが、ケロッピー前田さんより「辻くんなりの視点からも縄文タトゥーについて書いてみてよ」というリクエストも受けている。そこで、もう少し、何をか書いてみたいと思うのだが、果たして縄文タトゥーについて、ここで僕は一体、何を書くべきなのだろうか。

なぜいま縄文なのか? なぜいまトライバルタトゥーなのか? といったことについては、発起人であるケロッピーさんや大島さんの言葉がすでにあり、そちらを参照していただくのがいいだろう。だから、もし僕があらためてここに書くことがあるのだとすれば、なぜ僕がこの縄文族プロジェクトに乗ったのか、なぜ僕は自分の身体を縄文族プロジェクトに提供したのか、といった個人的な参加理由についてくらいになる。

さしあたって、そんなことに興味を持っていそうな人の顔がまるで浮かんではこないのだが、とはいえ他に書くことも見当たらない。そこで、この記事では以下「我はいかにして縄文人になりしや」と題し、そこらへんについてを、少しゆるめに書いてみたいと思う。

 

我はいかにして“縄文人”になりしや

さて、僕がこの縄文族プロジェクトに参加したのはなぜか。そこにはいくつかの理由がある。

まず前提として、僕がかつてコアマガジンという出版社にアルバイトで採用された際に、最初に担当するように命じられたのが、他でもないケロッピー前田さんだったという縁があった。それは言ってしまえば「たまたま」に過ぎないのだが、人の人生なんてものは、ほぼほぼ偶然によって決定されていくものである。10年来の担当編集者として、「ここらでちょっと体を張っておきますか」的な、いかにもコアマガジンらしいマッチョイズムが動機として全くなかったといえば、嘘になるだろう。

 

ケロッピー前田(写真右)と大島托(写真左)

 

しかし、もちろんのこと、それだけではない。いくら担当編集だからと言って、前田さんが立ち上げたのが「頭骸骨にBSアンテナを埋め込もうプロジェクト」とかだったら、まず参加していない。つまり、シンプルに縄文タトゥーというコンセプトを面白いと感じたから参加した、というのも当然ある。

 

2016年開催の「JOMON TRIBE 1」より(写真:ケロッピー前田)

 

人類にとってタトゥーや身体改造が、かなり古い歴史を持つものであること、あるいは文化の起源に関わるくらい人類にとって根源的なものであることは間違いないだろうと僕は考えている。日本列島に人類の一部が辿り着くはるか以前から、タトゥーやピアッシングの文化は多様に存在していたはずだ。もちろん、縄文時代の列島人もなんらかのタトゥーを入れていたことだろう。だとすれば、それがどんなものであったかを想像したくなるというものだし、しかも、このプロジェクトは、そうした想像をするだけでは飽き足らず、なんの証拠もないままに現代人の皮膚の上に再現してしまおうというトチ狂った企画である。これは面白い。最初にプロジェクトを知った時は、率直にそう感じた。

 

2017年に開催されたドイツ・フランクフルトにおける展示「JOMON TRIBE」のデモンストレーション。全裸が筆者。

 

そして、もう一つ、実際に身体の提供を決めたポイントとしては、僕にとって「縄文」という響きが「ちょうどよかった」というのもある。タトゥーには、個人のルーツやアイデンティティに関わる側面があり、またルーツやアイデンティティとは、自分が生きていく上での一つの指針、流動的な時代にただ翻弄されるだけの生を回避する上での羅針盤にもなりうるものである。

しかし、一方で、ルーツやアイデンティティは、恣意的に形成されやすいものでもあり、また政治的に利用されることもしばしばある。そもそも、自分のルーツというものが、それほど自明なものかと言ったら、そんなこともないだろう。実際、ルーツやアイデンティティをめぐって自問自答してみれば、果たして自分の遺伝子が辿ってきた果てしなく長いルートのどこに切断線を引くのが妥当なのか、たちまち分からなくなってしまう。

 

「JOMON TRIBE 1」より(写真:ケロッピー前田)

 

たとえば僕個人に関しても、東京人、日本人、アジア人、モンゴロイド、人類、生物、多細胞生物と、とことんまでルートを遡ってゆくのなら、最終的には「僕のルーツ? もちろんビッグバンだぜ」とドヤ顔でのたまう他なくなってしまう。これは決して間違ってはいないし、ある意味ではもっとも誠実な態度かもしれないが、これではちょっとばかしスケールがでかすぎて、正直、身も蓋もない。少なくとも、具体的な生を営んでいく上ではなんの指針ももたらしてはくれない。

ルーツやアイデンティティが生きる上での指針となるとすれば、それが一定レベル以上の排他性を持つ限りにおいてだ。しかし、排他性とは一口に言っても、そこには程度というものがある。つまり、僕にとって「縄文」は、この排他性の程度において「ちょうどいい」ものだったのだ。

 

「JOMON TRIBE 1」で行われたデモンストレーション(写真:ケロッピー前田)

 

僕はわざわざ自分の肌にナショナルアイデンティティを刻むほどの国家主義者では決してない。かといって、エスニシティもナショナリティも幻想に過ぎない、僕らはみなコスモポリタンなのだから、と謳うほどにトランスボーダーな人間でもまたない。そんな僕が、自分の皮膚にアイデンティティの印となりそうなものを刻もうと考えた時、これまではちょうどいい文様が存在しなかった。実際にここ10年、口癖のように「タトゥーを入れたい」と言い続けてきたのに、なんだかんだ入れることがなかったという背景には、そうした理由もあった(※)

※もちろん、ルーツやアイデンティティとは関係のない、より個人的な自己表現としてのタトゥーというのも存在する。いわゆるモダンタトゥーと呼ばれる、そうしたタトゥーの存在を否定することは決してしないが、僕個人としてはずっと、自己表現の対極にある、慣習、習俗、儀礼としての共同体的なタトゥーにより強い関心があった。

そこに縄文タトゥープロジェクトが立ち上がったのだから膝を打った。そして、「縄文族 JOMON TRIBE 1」を見たときに、「これだ」と思った。

言うまでもなく、縄文時代に「国家」はない。あるいは、「縄文人」とはエスニシティを指し示す言葉でも、ナショナリティを指し示す言葉でもない。アフリカを出て、ユーラシア大陸に渡り、旅をしながら東へと進み、その最果てでたまたま列島にたどり着き、そこで暮らすようになり、文化を形成した人たち、それが僕の考える縄文人である。列島へのたどり着き方やタイミングも一様ではない。様々な学説があるが、少なくとも二方向以上から複数回に渡って上陸した人たちによって、縄文人なるものは形成されている。

 

(写真:ケロッピー前田)

 

言ってしまえば、「縄文人」というアッセンブリには大した意味がないのである。アフリカから続く旅の果てにたまたまこの列島、あるいは群島に辿り着いただけの人たちだ。この偶然性のみを頼りとする寄せ集め感、セレンディップな光景に僕はシビれる。そして一方で、たまたま辿り着いだけの烏合の衆にも関わらず、そこにはやがて、一万年以上の時間をかけて、はっきりとヴァナキュラーな文化が形成されていったということがまた面白い。

だから、ここにルーツ探しの切断線を引いてみたいと思った。その偶然性から発生したヴァナキュラリティに、自らのルーツを取り急ぎ仮託し、その印を皮膚に刻んでみようと思ったのだ。もちろん、そうとはいえ、アイデンティティとは多層的なものである。縄文人でありつつ、日本人であり、東京人であること、あるいは縄文人でありつつ、ホモ・サピエンスであり、生命であることとは決して矛盾しない。それはそれで、その都度、使い分ければいい。

ただし、自分の身体に目に見える切断線として刻む以上は、ナショナリティなどの“手前”のアイデンティティに基づくものではなく、そのさらに奥底にある文明の古層へと接触するような文様が良かったし、あるいは逆からの視線においては、グローバリズムとユニバーサリズムによる文化の散逸や均質化に抗するような、ヴァナキュラーな特異性のある文様が良かった。その上でも「縄文タトゥー」というコンセプトは——こう言ってしまうとなんではあるが——僕にとって非常に具合が良かったのだ。

 

(写真:ケロッピー前田)

 

参加にあたっては、上述したことの他にもいくつかの考えや動機があったが、長くなってしまうので、今回はここまでにしとこうと思う。また、断っておかねばならないのだが、これはあくまでも僕の場合に過ぎない。おそらく、他の実践者たちは、それぞれに、それぞれの理由があったり、なかったりする中で、縄文タトゥープロジェクトへ参加しているはずだ。会期中にはしばしば縄文族の面々も会場に足を運んでいるようなので、もし会場で見かけることがあったら、それぞれに直接聞いてみるのがいいかもしれない。

そして最後に、ほんの少しだけ後日談を。結局、僕は賢しらにも上述したようなことをあれこれと考えながら実際のタトゥー施術に向かったわけだが、正直、あまりの痛みに、アイデンティティとかルーツとか、一気にどうでもよくなってしまったことをここに告白しておく。さらに驚くべきことは、すでに3年近く定期的にこの激しい苦痛と向き合わされる時間を過ごしているにも関わらず、今の僕は、タトゥーをもっと入れたいという衝動にウズウズしているのだ。長々と読ませてしまったあとで恐縮ではあるが、こうした自分の変化を目の当たりにしていると、タトゥーを入れる理由なんて所詮、「タトゥーを入れたい」という本能的な衝動を正当化するためのエクスキューズに過ぎないのではないかとさえ、最近では思ったりもしている。その意味で言うのなら、「縄文」は僕にとって、至高のエクスキューズであったというわけか。

というわけで、「縄文展 JOMON TRIBE 2」も残すところあと1週間である。まずは実際に現場を訪れ、少しでもそのインパクトを体感してみてほしい。そして、少しでもピンと来るものががあったなら、是非とも、縄文タトゥープロジェクトへの「献体」も検討してみてほしい。僕は、自分の身体を自分の自由にしか使えない、ということの貧しさに長らく倦んできたが、このプロジェクトにおいては自由な表現者としてではなく、不自由な肉人形として参加している(実際に文様もほぼお任せであり、その結果、真っ黒けになった)。皮膚と血を供物に、身体の主体性を明け渡し、歴史の容器になるというのは、想像以上に爽快な体験だ。

ちなみに11月30日には、ギャラリー内でちょっとしたデモンストレーションも行う。僕も生贄のヤギとして半裸で出演する予定なので、もし辱める気分で足を運んでくださったなら、露出狂一年生としては幸甚の至りだ。

 

 

〈INFORMATION〉

 

縄文タトゥー復興プロジェクト 展覧会

大島托 × ケロッピー前田「縄文族 JOMON TRIBE 2」2019年11月15日 – 12月1日 @阿佐ヶ谷 TAV GALLERY

 

 

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辻陽介 つじ・ようすけ/1983年、東京生まれ。編集者。大学在学中よりコアマガジンに勤務し、『ニャン2倶楽部Z』などのアダルト投稿誌やコア新書シリーズの編集に携わる。2011年に性と文化の総合研究ウェブマガジン『VOBO』を開設。2017年からはフリーの編集者、ライターとして活動。現在、HAGAZINEの編集人を務める。

 

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