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「俺たちはグレーな壁を生き返らせているんだ」──1人の日本人がまなざしたブラジルのストリート|映画『街は誰のもの?』公開記念対談|阿部航太×松下徹(後編)

12月11日公開される映画『街は誰のもの?』を観たあなたは、監督・阿部航太の問いに対してどんな回答を見出すだろうか。〈SIDE CORE〉の松下徹を迎えて行った公開記念対談の後編。

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街と市民とグラフィティ

阿部 グラフィティとミューラルという話でいうと、ブラジルでは結構その境界は曖昧だと感じましたグラフィティは基本はヴァンダルなものでなきゃいけないわけですが、ただブラジルにはプロジェットと呼ばれるミューラルの仕事があって、それをグラフィティライターたちがやってる。もちろん、彼らはミューラルの仕事をグラフィティと呼ぶことはないんだけど、全体の活動の一環としてミューラルもやっていて、それ自体に特に問題だとはしていない。僕はそこに意外性を感じたんですよね。なんていうか、グラフィティってもっと厳格なものだと思ってたんです。

松下 映画に出てきたライターの中で特にエニーボは現在のグラフィティをめぐる世界的な状況みたいなものを全て分かりやすく説明してくれてますよね。もともとヴァンダルだった人も今はプロジェットとかもするよ、とか。確かにグラフィティの世界にはボミング神秘主義みたいな考えがずっとあったんですよ。ヴァンダル以外は認めない、みたいな。ただ、2010年代以降、これはSNSの影響も大きいとは思うけど、そういう神秘主義が薄れていくんですよね。東京にも以前はすごくハードコアにそれがあった。そういうプロジェクトには一切参加しないし、なんならスプレーも盗んだものしか使用しないみたいなすごいライターがいて、今もまだそういう人たちはいるにはいるんだけど、その人たちがグラフィティライターがアートの展示をすること自体に対してアンチかというと、そうでもなくなってきた。今はライターもヴァンダルでグラフィティやりながら描いた絵や作ったTシャツを売ったりしてますから。で、そこで得たお金でスプレーを買ったりしてる。ある意味で外部との交渉を探るようになってきてるんです。ただ、ピシャソンだけは相変わらずそうならないんですよね(笑)。いまだにリスクを追い続けていて、外側の世界に名誉を求めることがない。

阿部 そうですね。そして、そういう人たちにはやっぱり会えないんですよ。それが魅力でもあるんですけど。

松下 それでいいんだと思います。僕はストリートの人にアートの展覧会に参加してもらうみたいなプログラムをやってる側ですけど、ストリートで最もハードコアな人を展覧会に呼ぶ意味って実はないんですよね。実際、僕たちはこの人はアートもやりたいかもしれないという人しか展覧会には呼んでない。そうじゃない人たちに関してはその情報を明るみに出す必要がないわけですから。ただ、そういう人たちがいるおかげでストリートカルチャーが潤沢で豊満なものになっていることは事実であって、だから敬意を持っておく必要はあると思う。

阿部 そうですね。そういうハードコアな世界があるのとないのとでは全然違いますからね。そこに触れることができなくても、それがあるということ自体が重要。ブラジルでは街に行けば実際にピシャソンが至るところにあるわけで、それがとても良かったんですよね。

松下 やっぱりオールドスクールなグラフィティの本質もそういうところにありますからね。その意味でピシャソンはかつてのグラフィティの良さを今も持ち続けてるんだと思う。だから、「街は誰のもの?」という問いに答えがあるとしたら、それはピシャソンを描いてる人たちなのかもしれない(笑)

阿部 (笑)。それでいうと、僕はすごく意外だったんですよね。ピシャソンにせよグラフィティにせよそうだけど、僕は街の壁に描くという行為をそこの場所を所有するような行為として捉えていた節があったんです。でも彼らの話を聞くとそうでもなかったというか、描いたら作品を含めて自分のものではなくなってストリートのものになるんだっていう回答をみんなしていて、そこに驚いたんですよ。

松下 エニーボはオーバー(※)の話もしてましたね。他人の作品の上には描かないんだって。ただ次に出てきた人はめっちゃオーバーしてたけど(笑)。グラフィティの定義は都市ごとに微妙に違いがあって、それも面白いところなんだと思います。ブラジルではみんな「グレーな壁を生き返らせるんだ」みたいなことを言ってましたよね。

※ゴーイングオーバー。自分以外のグラフィティ作品の上に描くこと。

 

真昼間からオーバーするチアゴ・アルヴィン(写真:阿部航太)

 

阿部 そう、表向きな答えとしてはそこなんですよ。

松下 そういう言説になってるわけですよね。要はコミュニティのために描いてるんだっていうニュアンスが強い。描いているところをガソリンスタンドの人に咎められた時も「俺は(この壁を)良くしてるんだ」って答えてましたしね。

阿部 本気でそう思ってるんですよ。

松下 ですよね。多分、そういう文脈なんだと思う。これは東京とかだとまたちょっと違いますから。東京でグラフィティを描く場合、どちらかというと「汚していく」みたいなニュアンスが強い。

阿部 ブラジルって前提として綻びがたくさんあるんですよね。廃墟が廃墟のまま放置されていて、人が通らなくなったような場所が結構ある。彼らはその土地を蘇らせるためにグラフィティをやるんだけど、逆に東京ではそもそもの綻びが少なくて、グラフィティはむしろ綻びを生み出すためになされているように見えます。逆転的なんですよね。

松下 その通りだと思いますよ。ただ同じ日本でも大阪とかだとまたちょっと違っていて、ブラジルに近いノリがあったりもする。あるいは沖縄はもっとブラジル的ですよね。すごいグラフィティが多い。台風があるからコンクリートの建造物が多くて、日差しが強いせいか窓も小さく、つまりグラフィティを描ける壁面部分が多い。風土的にも南の方が大らかで、描いていてもそんなにとやかく言われない。ものすごく面白いシーンが昔からありますね

阿部 へえ、行ってみたいなあ。でも、建物って本当に重要ですよね。ブラジルでもサンパウロはモダニズムが強い時にできた街だから本当にモダニズム建築の街なんです。つまり、いいキャンバスがたくさんある。あと、元々はビルボード広告用に使われていたエンペナっていう壁が至る所にあるんです。要は窓のないまっさらな壁です。かつてはエンペナは広告を掲示する場所として使われていたんだけど、2006年にサンパウロ市の条例で大型の屋外広告が全部禁止になって、一挙に15000個くらいのビルボードがなくなったんです。すると、剥き出しの壁だけが残るわけですよね。そこにプロジェットが入ってきたんです。

 

サンパウロの至るところにあるというエンペナ(写真:阿部航太)

 

松下 面白い話ですね。どうして禁止になったんですか?

阿部 元々が規制がなさすぎてて、いくらでも大きな広告を出してもいいし、電飾をいくら使っても良かったんですよ。それがまあ行きすぎちゃった。で、極端な対応だとは思うけど全部禁止になったんです。

松下 オスジェメオスがよく描いていたような壁ですよね。

阿部 そうそう。それによって一気にやれる場所が増えたんです。建物としても壁が剥き出しなのは不恰好だから何かで埋めたいとなり、ライターに話がいく。そうするとそこにギャランティが発生するようになるんですよね。で、ライターとしてはそういうプロジェットに呼ばれるようになるためには有名にならなきゃいけない。有名になるためにはヴァンダルでたくさん描きまくらないといけない。そんな感じで合法と違法がぐるぐる回ってる感じが面白いんですよね

松下 サーキットができてるってことですね。そうなるとやっぱりそれを海外にあえて出していく意味はなくなってくる。経済を含めて自分たちの街の中で十分に発展してるわけですから。ブラジルのストリートシーンが見えづらいのはそこもあるんでしょうね。

 

食人宣言

阿部 そういえばブラジルには日系の移民もすごくいっぱいいるじゃないですか。だから日系の人が描いたんだろうなっていうグラフィティも結構あるんですよ。海女さんが描かれていたり。そういう混ざり方もブラジルらしいんですよね。

 

海女と浮世絵をモチーフとしたミューラルアート(写真:阿部航太)

 

松下 逆に日本にもブラジルの影響がすごくあるわけで、その交差した感じが面白いですね。

阿部 浜松にもピシャソンがありますしね。

松下 あと豊田の保見団地もそうですね。名越啓介さんが『Familia』という写真集を出されてます。浜松では僕も壁画のプロジェクトをやっていますけど、いい街ですよね。駅前の潰れたパチンコ屋がそのままブラジル料理屋やブラジル雑貨のスーパーみたいになってて。

 

 

阿部 あそこは最高ですよね。複合施設になってて、イベントとかもやってますよね。

松下 僕らが土足で入っていっても「ここ美味しいよ!」みたいに気さくに受け入れてくれて。あと甲府もそうですね。映画『サウダーヂ』。あれもブラジル移民の物語ですよね。こう見ると日本中の各所にブラジルがある。

 

 

阿部 そうですね。そして、そのブラジルがなんなのかと言えば、色んなものが混ざり合ったものでしかない。

松下 ブラジルってもともとインディオの土地だったところが植民地化されることで生まれた国だったわけですけど、そういう歴史的背景の中でアイデンティティの問題について意識的にならざるを得なかったんですよね。たとえば1920年代にブラジルの詩人であるオズワルド・ヂ・アンドラーヂという人が「食人宣言」というのを書いてるんです。ブラジルの文化とは何なのかという問いに対して提唱された一つのイズムですよね。インディオの人々の中には食人習俗を持つ人々もいたわけですけど、そこからイメージを膨らませて「我々は文化を食らうんだ」と。西洋から来たものをどんどん食らい、それによって自分たちの独自の文化を創造していき、我々は発展していくんだと。

 

 

阿部 面白いですね。彼らはアイデンティティを創り出そうとするんだけど、そのアイデンティティが様々な他者性を継ぎ接ぎした複合的なものになっている。

松下 そうそう、最初からポストモダン宣言をしてるんですよ(笑)。そこがやっぱりブラジルのすごみです。

阿部 異文化の取り入れ方もめちゃくちゃ軽薄なんですよね。彼らは文化盗用とか多分頭になくて、自分に1ミリでも重なる要素があったら、それを最大限に使おうとする。あるいは、自分で要素を意識的に選択していくんですよね。たとえばエニーボは白人と黒人のミックスなんですけど、肌の色だけで言えば黒人にあまり見えない。でも彼は「自分は黒人だ」と言って、黒人の絵を描くそこには黒人差別に対する抵抗という意味合いがあるんです

松下 ブラジルは文化とは混ざりあうものだということが前提にある世界だから、仮に文脈がすごく複雑なものでも表層的にそれを攫って自分のアイデンティティに接合できてしまうわけですよね。

阿部 そうなんです。最初、そこが僕にとっては謎で、「で、君のルーツはどこにあるんですか?」って質問を何度もしてたんですけど、本人もよくは分かってないんですよね。おばあちゃんがレバノンにいるんだ、みたいに言うんだけど会ったことはなくて、もちろんレバノンに行ったこともなくて、でもレバノンにアイデンティティを持っていたりして。途中からこの質問自体がナンセンスだし、失礼だなと思ってやめたんですよ。もちろんブラジルをレペゼンしていたり、ブラジル人であることに誇りを持っていたりする人もいるはいるんだけど、ちょっとまた違うところに自分のアイデンティティを置いてる人が多かった気がしましたね。

松下 クレオール的なんですよね。アイデンティティを強く意識するんだけど、肝心のアイデンティティはすごく曖昧で。

阿部 曖昧でグレーなところがあっても別に問題ではないんですよね。それで全然よしとされる。むしろ曖昧であることが当たり前なんですよ。そういう感覚がストリートにも息づいてる気がしましたね。

松下 あとブラジルでは個人よりも関係性に重きが置かれている印象もありますね。1950年代にブラジルは急にモダニズムに傾倒するわけだけど、さっきも話したようにアートの方でもネオ・コンクレティスムが同時に始まったりしてて、ただ、それが単にヨーロッパの具体芸術のパクリみたいにはならないんですよ。ブラジル独自のすごいいい作品が生まれてくるんです。

たとえばリジア・クラークという女性の作家は、鑑賞者が触ることで変形していくアルミの作品を作っていたりして、これはいわゆるリレーショナルアートの先駆けなんですよね。あるいはトロピカリア運動の代表的な作家であるエリオ・オイチシカもその以前はネオ・コンクレティズムに参加していて、ビニールとか布とかを使ってサンバの衣装を作ったりしていました。要するに人と人が関わるという状況を作品の中で表現していて、そういうことをブラジルのアーティストはモダニズムの頃からやってたんです。

 

 

阿部 それは面白いですね。モダニズムの文脈においても関係性を切り捨てなかったんだ。

松下 そうなんです。リジア・パペという作家もそうで、この人も具体主義の作品を作ってたんですけど、やっぱり一つのでかい布に入ってみんなで行進するみたいな作品をつくってる。人間関係を構造的に取り入れるということがブラジルの現代美術の文脈にはずっとあるんです。

阿部 人間と人間との関わりにこだわるというのはブラジルっぽいですね(笑)。すごい卑近な話ですけど、ブラジルではお菓子とかを食べるとき、そこに自分以外の人がいる場合は絶対にその人たち全員に「食べない?」って勧めなきゃいけないんですよ。相手が食べたくないって分かってても、そうしなきゃいけない。ほぼルールみたいになってて、それをやらないと変な空気になるくらいなんです。

ただ、ブラジルでは人と人との関係が深いんだよと言うと「やっぱりラテンの血が」みたいに言われがちなんだけど、実はそういうことじゃなくて、みんなマナーでやってるところもあるんですよね。ブラジルは基本的にバックグラウンドが多様で色々な人間がいるから、そういうコードを張り巡らせることによって関わりを維持してるところがある。そうしないとやってけないんですよね。

松下 それがモダニズムにまで浸透してるっていうのがすごい。

阿部 ですね(笑)。ただブラジルでもブラジリアは人との関係性を切り捨てる形で作られた街なんですよね。だからやっぱりブラジリアにはグラフィティがめちゃくちゃ少ない。唯一地下道にあるくらい。ブラジリアは完全に人工的に作られた街ですから。グラフィティはそういう意味でもひとつの都市の指標になるのかもしれないですね。

 

「未定義の場所」

松下 サンパウロとかではグラフィティライターと市民との関係も良さそうですよね。

阿部 そうですね。世間一般的にはピシャソンじゃないからグラフィティはOKみたいな変な理屈が成り立ってるんですよ。両方違法なんだけど、これはピシャソンじゃないし色があるから描かれてもOKみたいな。

松下 面白いですよね。世界だといかにバンクシーが有名になってストリートアートに注目が集まってもグラフィティそのものは嫌われるじゃないですか。ブラジルだとピシャソンが嫌われてて、グラフィティが好かれてる。

阿部 ピシャソンが日本でいうグラフィティの位置なんですよね。一方グラフィティは市民がラフに「描いてよ」って言えるような関係で。それは日本ではあまり起こらないことですよね。

松下 日本でDIEGOがやってるLEGAL SHUTTER TOKYOっていうシャッターアートのプロジェクトがあるんですけど、海外のアーティストに描いてもいい東京のシャッターを斡旋して、実際に描いてもらってるんですよね。で、現場で描いてたりすると周りから「うちにも描いていいよ!」みたいに声が掛かったりする。実は日本でもそういうことは起こるんですよ。

 

 

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阿部 なるほど。状況次第なんですね。

松下 そう、結局は公共性の問題なんですよね。

阿部 そう思いますね。ブラジルではアートと言う時に、現代美術じゃなくグラフィティやミューラルを指していることが結構ありましたそれくらい身近なんですよね。僕自身、ブラジルに行って初めてグラフィティの存在に気づきましたから。すぐに夢中になって色々と話を聞いて、そしたら街が全然違って見えるようになったんですよね。街ってこんなにも可能性があって、こんなにも面白く使えるんだと思って。その後、僕は日本に帰ってきたわけですけど、その時にようやく日本のグラフィティも目に入るようになりました。それまでは目に入ってなかった。見えてなかったんです。映画の中で僕は不用意に「東京にはグラフィティはあんまりない」みたいな発言をしてますけど、本当にそう思ってたんですよね。

松下 一度認識することによって全てが見えてくるようになるんですよね。

阿部 本当にそうですね。しかも日本の場合は管理が厳しいから、グラフィティが都市の表立ったところではなく隙間にあるじゃないですか。認識するまでは気づきにくい。でも、それは逆にいうと、そここそが都市の隙間だという証明でもあるんですよね。五十嵐太郎さんの言葉を借りるなら「未定義の場所」(※参照|SPOTIFY「ストリートは設計できるか?」guest:五十嵐太郎。そういう視線で東京という街を歩いてみるとグッと面白くなってくる。

松下 全くその通りだと思いますね。たとえば配電盤ってグラフィティが多いじゃないですか。あれは数年に一度のサイクルで掃除されるし、取り替えもされるから、行政としてもいちいち告訴しないでいいやという流れになっていて、ある意味では空白の場所になってるんです。まさに隙間なんですよね。あと「未定義の場所」ということでいうと、僕は戦後の闇市のような、東京が有機的な都市だった頃の名残りがそれにあたるんじゃないかなと思う。東京もまた戦争で焼け野原になって、全てが曖昧になったところにバラックを建てて、そこから立ち上がってきた街ですから。その痕跡がまだ僅かながら東京には残ってる。一方、現代の都市開発が作ろうとしている街には未定義な場所というのはないわけで。

阿部 無くそうとしているわけですよね。ただ、SIDECOREさんの作品を見ていると、未定義の場所を見つけるという側面ももちろんあると思うけど、ある場所を未定義化させてしまうという側面もあると思うんです。

 

《NIGHT WALK tour / TOKYO 2020》SIDE CORE

 

松下 僕らの活動を知ってくれてるんですね(笑)

阿部 もちろん(笑)。ただ、ブラジルに行く前は知りませんでした。日本に戻ってきてグラフィティについて色々と調べているうちにSIDECOREさんにも辿り着いたんです。僕は東京って窮屈でつまらない街だと思ってたんですけど、SIDECOREさんの活動とかを見てると、あ、東京でも何かできるんだなって感じました。別にピシャソンみたいにエクストリームなことをしなくても、街を楽しんでいくことはできるはずなんですよね。ブラジルでもその辺のおっちゃんがグラフィティを描いたりしてましたから、それくらいのテンションで日本もやれればいいのかなって。

松下 日本の街にも全然可能性はあるし、実際面白いんですよ。世界では描けないような場所に描けたりもするし、あと表立ってやりにくいがゆえの面白さもある。たとえば日本では標識が裏と表に一枚ずつ板がついていて、その真ん中に隙間があるんですよ。だから、標識の面ではなく、裏にグラフィティを描くという文化がある。ある意味、独自の表現が生まれてるんです。それに確かに東京はグラフィティがそんなに多くはないけど、瞬間瞬間では意外とたくさん生まれてます。どこかの建物が壊されると、大抵、次の建物が決まるまでそこは駐車場になることが多く、駐車場になった瞬間にみんなバーっと描いて、そしてまた建物が建つタイミングで消されていくんです。ただ、その瞬間瞬間には結構ヤバいピースがあったりするんですよね。

阿部 その儚さもまたいいですね。

松下 そうそう。あと混血文化ということで言えば、最近だとTOKYO ZOMBIEっていう十数人くらいのストリートのクルーが東京にいるんです。彼らはみんな10代で、日本国籍を持っていないメンバーが多い。それぞれにバラバラのルーツを持ってて、全然日本語を喋れない子もいるんです。今、彼らのレターが東京中にありますよ。日本は確かに多民族国家とは言えないけど、それでも東京には様々なルーツの人々がいるわけで、そうした文化の混交が表現としても出てきているんです。

 

 

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TOKYO ZOMBIEは2021年夏の「水の波紋2021」にSIDE COREの呼びかけによりゲスト参加していた。

 

阿部 すごい面白いですね。僕も今、海外にルーツを持つ人達と「街」をテーマに一緒に映画を作ってるんです。異なるバックグラウンドを持つ人たちそれぞれが見る日本の街ってどういうものなんだろうって。やっぱり面白いものって異なる視点が混じり合う瞬間に生まれてくるものだと思うんです

松下 新しい視点が入ってくることで、その場所の新しい見え方が提示されるわけじゃないですか。何もできないと思ってた場所に別の視点が入ってくることで新しい可能性が開けるということがある。さっきのグラフィティの話もそうだけど同じ景色を見ていても認識が違えば全然違って見えているわけで、その意味で僕らは新しい認識を手に入れたいわけですよね。それによって街との関わり方、街の使い方を変えていきたい。都市開発によって街を新しくしていくことなんてできませんから。

阿部 その点、やっぱりグラフィティってすごい力を持っているなって思います。レターでも絵でもいいんだけど、街を歩いていると勝手に目に入ってきちゃうじゃないですか。それこそ暴力的なまでに。アクシデンタルに出会って、それによって認識が変えられてしまうというのは、ものすごいパワーだと思う。ブラジルではたとえば子供達もそういう刺激を浴びながら育っているわけですよね。いかに色んなルーツの人たちがこの街にいるかということをまざまざと見せつけられ続けている。そうすると街のイメージが一つの目的に収斂されないんですよね。グラフィティが多い街っていうのは治安が悪いとか荒廃したイメージで受け止められがちだけど、僕はむしろそっちの方が健康的なんじゃないかなって思ってます。

松下 同感ですね。いやあ……、それにしてもブラジルに行きたいっすねぇ。

阿部 本当に(笑)。また早く行けるようになるといいんですけどね。

 

 

 

OUTRODUCTION

ストリートとはひとつの現象のようなものだ。

それにはいわゆる実体がない。ピアが言うようにそれは刹那的なものであり、あたかもビルの谷間に不意に立ち込めた夜霧のように、ある場所に一時的に現れ、やがて薄れていく。

またそれは人類学者アナ・チンがマツタケについて書いていたのと同じ意味においてノン・スケーラブルなものでもあるだろう。つまり、ストリートは設計するということができない。その現象は意図して立ち上げるということができない。せいぜいできることと言ったら、ストリートという現象が少しでも活性化するように、なんらかの「誘発」を行うことくらいだ。

サンパウロをグラフィティのメッカに仕立てたエンペナの話を思い出して欲しい。それは自治体による屋外広告の禁止令をきっかけとしていたとはいえ、誰かがそこをプロジェットの舞台とするべく企図していたわけではない。つまり、エンペナは偶発的に発生した都市の綻びだ。そして、そうした綻びにこそストリートは現象する。

だから、都市開発を担う人たちに何か提言があるとしたらひとつだ。

その握った手綱を少しだけ緩めて欲しい。その介入と操作をほどほどのところで中断して欲しい。都市空間の中にグラフィティライターが、スケーターが、露天商が、放浪者が、スコッターが、野良犬が、つまり都市のウイルスたちが、徘徊することのできる余白を残しておいて欲しい。

簡単な話だ。目下進んでいるそのプロジェクトを志し半ばで頓挫させればいいだけのことなのだ。跡地の整理だってしなくていい。半端な夢の残骸はそのままに。後片付けの面倒が省けると思えば悪くない話ではないだろうか。

たとえばデザインにおいても余白は重要だ。考えてもみて欲しい。紙面いっぱいに、一切の余白もなく文字が敷き詰められている本など、誰が読みたいだろうか。僕たちが誰かの書いた本を読みながらも独自に思索できるのは、そこにマルジナリア(欄外の余白)が存在するからだ。

その点、阿部航太はデザイナーである。すると、この映画『街は誰のもの?』は、阿部によるソーシャルデザインの一環なのだろうか。そうかもしれない。とはいえ、『街は誰のもの?』は決して説教臭い映画ではない。映画では現代ブラジルの路傍の風景と、そこで生きるものたちの言葉が、ごく淡々と映し出されている。それらの映像はなんらかの特定の目的に沿って纏められたものでもなければ、一つの意味に統合されるように仕立てられているものでもない。シークェンスの切れ目に、スクリーンの陰翳に、登場人物たちの言葉足らずに、マルジナリアは潤沢に存在している。

要するに、あとは僕たち次第なのだ──そう思い至った時、目の前に聳えるグレーの壁はすでに「未定義の場所」へと変わりつつある。

 

取材・文/辻陽介

バナー写真/阿部航太

 

 

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阿部航太 あべ・こうた/1986年生まれ、埼玉県出身。2009年ロンドン芸術大学セントラル・セント・マーチンズ校卒業後、廣村デザイン事務所入社。2018年同社退社後、「デザイン・文化人類学」を指針にフリーランスとして活動をはじめる。2018年10月から2019年3月までブラジル・サンパウロに滞在し、現地のストリートカルチャーに関する複数のプロジェクトを実施。帰国後、阿部航太事務所を開設し、同年にストリートイノベーションチームTrash Talk Clubに参画。アーティストとデザイナーによる本のインディペンデントレーベルKite所属。一般上映としては本作『街は誰のもの?』が初の監督作品となる。

 

松下徹 まつした・とおる/1984年神奈川県生まれ、東京藝術大学先端芸術専攻修了。身近な化学実験や工業生産の技術によって絵画作品を制作。高電圧の電流によるドローイング、塗料の科学変化を用いたペインティングなど、システムがオートマチックにつくり出す図柄を観測・操作・編集するプロセスにより絵画作品を制作。またグラフィティ等のストリートカルチャーに関する企画を行うアートチームSIDE COREのディレクターのひとりでもあり、国内外のストリートカルチャーに関する執筆をおこなっている。

 

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【INFORMATION】

阿部航太監督作『街は誰のもの?』、2021年12月11日、シアター・イメージフォーラムほか全国順次公開。


 

『街は誰のもの?』

監督・撮影・編集:阿部航太

出演:エニーボ / チアゴ・アルヴィン / オドルス / 中川敦夫 / ピア 他

整音:鈴木万里

翻訳協力:ペドロ・モレイラ / 谷口康史 / 都留ドゥヴォー恵美里 / ジョアン・ペスタナ / 加々美エレーナ

配給・制作・宣伝:Trash Talk Club

日本|2021 年|98分

・12月11日(土)より渋谷シアター・イメージフォーラムにて上映
[上映後のアフタートークゲスト]
12/11(土)10:45の回:田中元子(グランドレベル代表取締役)
12/11(土)21:00の回:中川敦夫(グラフィテイロ from ブラジル)
12/12(日)10:45の回:荏開津広(DJ/ワーグナープロジェクト音楽監督)
12/18(土)10:45の回:宮崎大祐(映画監督)
12/19(日)10:45の回:三宅唱(映画監督)
12/25(土)10:45の回:宮越里子(グラフィックデザイナー)
12/26(日)21:00の回:高山明(演出家・アーティスト)*全回、阿部航太監督は登壇

・以降の上映スケジュール
2022年1月2日(日)〜1/7(金):名古屋シネマテーク(愛知)
公開期間調整中:京都みなみ会館(京都)
公開期間調整中:シアターセブン(大阪)

https://machidare.com

 

中村キース・ヘリング美術館にてSIDE COREが作品《IC1》を展示中(〜2022年5月8日まで)

 

 

SIDE CORE:IC1(Imaginary Collection 1)

展示期間:2021年10月30日(土)-2022年5月8日(日)(予約制)

会場:中村キース・ヘリング美術館 自由の展示室

詳細はこちら→https://www.nakamura-haring.com/blog/4474/

 

 

〈MULTIVERSE〉

「生死観」としての有機農業 ──エチオピアで学んだ生の豊穣|松下明弘

「病とは治療するものにあらず」 ──全生を説いた体育家・野口晴哉の思想と実践

「BABU伝」 ──北九州の聖なるゴミ|辻陽介

「汝はいかにして“縄文族”になりしや」──《JOMON TRIBE》外伝

「土へと堕落せよ」 ──育て、殺め、喰らう里山人の甘美なる背徳生活|東千茅との対話

「今、戦略的に“自閉”すること」──水平的な横の関係を確保した上でちょっとだけ垂直的に立つ|精神科医・松本卓也インタビュー

フリーダムか、アナキーか──「潜在的コモンズ」の可能性──アナ・チン『マツタケ』をめぐって|赤嶺淳×辻陽介

「人間の歴史を教えるなら万物の歴史が必要だ」──全人類の起源譚としてのビッグヒストリー|デイヴィッド・クリスチャン × 孫岳 × 辻村伸雄

「Why Brexit?」──ブレグジットは失われた英国カルチャーを蘇生するか|DJ Marbo × 幌村菜生

「あいちトリエンナーレ2019」を記憶すること|参加アーティスト・村山悟郎のの視点

「かつて祖先は、歌い、踊り、叫び、纏い、そして屍肉を食らった」生命と肉食の起源をたどるビッグヒストリー|辻村伸雄インタビュー

「そこに悪意はあるのか?」いまアートに求められる戦略と狡知|小鷹拓郎インタビュー

「暮らしに浸り、暮らしから制作する」嗅覚アートが引き起こす境界革命|オルファクトリーアーティスト・MAKI UEDAインタビュー

「デモクラシーとは土民生活である」──異端のアナキスト・石川三四郎の「土」の思想|森元斎インタビュー

「Floating away」精神科医・遠迫憲英と現代魔術実践家のBangi vanz Abdulのに西海岸紀行

「リアルポリアモリーとはなにか?」幌村菜生と考える“21世紀的な共同体”の可能性

「NYOTAIMORI TOKYOはオーディエンスを生命のスープへと誘う」泥人形、あるいはクリーチャーとしての女体考|ヌケメ×Myu

「1984年、歌舞伎町のディスコを舞台に中高生たちが起こした“幻”のムーブメント」── Back To The 80’s 東亜|中村保夫

「僕たちは多文化主義から多自然主義へと向かわなければならない」奥野克巳に訊く“人類学の静かなる革命”

「私の子だからって私だけが面倒を見る必要ないよね?」 エチオピアの農村を支える基盤的コミュニズムと自治の精神|松村圭一郎インタビュー

「タトゥー文化の復活は、先住民族を分断、支配、一掃しようとしていた植民地支配から、身体を取り戻す手段」タトゥー人類学者ラース・クルタクが語る

「子どもではなく類縁関係をつくろう」サイボーグ、伴侶種、堆肥体、クトゥルー新世|ダナ・ハラウェイが次なる千年紀に向けて語る

「バッドテイスト生存戦略会議」ヌケメ×HOUXO QUE×村山悟郎

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「ある詩人の履歴書」(火舌詩集 Ⅰ 『HARD BOILED MOON』より)|曽根賢

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