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大島托 『一滴の黒 ―Travelling Tribal Tattoo―』 #33 縄文群島の明かしえぬ黒い文身|日本最古のタトゥーを復興する⑤

タトゥー・アーティスト大島托が世界中の「タトゥー」を追い求めた旅の記録。旅を経て日本にスタジを構えた大島が次に向かったのは列島の古層だった。縄文時代に存在したと目される文身文化。明かしえぬ《縄文タトゥー》を探して。

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強迫観念に対する流血の抵抗

 僕の高校は男子校で、しかも荒川を跨いだすぐ隣の田舎の駅にあるそこに淡々と通っていただけだったからよく知らなかったのだけれど、大学で東京に出てきてからよく見かけるようになったものの一つに女の子の腕のリストカット痕があった。

 酷くなったり軽くなったりを繰り返す鬱のサイクルの中で何度か自殺に考えを巡らせていた当時の僕にとって、それらはなんとなく好ましいものに見えていた。「カワイイ」と「カワイソウ」の境界線を取っ払ったような、ちょっと心を病んでるような感じの娘が多かったし、同類として共感したのかもしれない。

 ちょっと不思議に思ったのは、それをやっているのはほぼ全て当時の僕と歳の違わない若い女の子だけであり、ずっと上の世代の女性の腕にそれを見たことがないということだった。さらに、これは世代には関係ないが、それをやっていない女性たちの中にはその行為をものすごくネガティヴに捉えていて、怒り出す人もいるぐらい否定的な場合も多いということだ。日本の女性には一般的に身体に残った手術痕なども過剰に気にする人が多い気がする。本人たちは「キズモノ」は男に嫌われるなんて思っているのかもしれないが、ほとんどの男の好みのポイントはそこじゃない。逆に、女は包茎など関心ないが、日本の男は女に失笑されないようにと童貞のうちから大枚叩いて手術するのだ。どちらもバカバカしいけれども根強く抑圧的な強迫観念だ。リストカットはそういう価値観に対する反抗だったりもするのだろうか。

 まあ、少なくとも学生時代の僕のまわりの男で、女の子たちのリストカットをそこまで感情的に強く否定している人はいなかった。男たちはせいぜい単純に手首を切ることの痛みや血のイメージが生理的に嫌でオエーっとなるぐらいのものだ。

 僕も自分自身でそれをやりたいとまでは感じることはなく、また、自分の中のいったいどんな部分がそれに共感しているのかも判然とはしないままにいつしか保留して普通に受け流すようになった。おそらくほとんどの男にとって、それは自分自身の問題としてYESNOかの判断をリアルに迫られるほどに近しい物事ではないのだと思っていた。

 

リストカットとモダンプリミティブ

 旅をしながらパーティーフリークのコミュニティでタトゥーイストになってからは、若い女性のリストカットは別に日本に限ったものではなく、欧米人もやっているのだということが分かった。リストカッターとタトゥーファンの人口円には重なるところがかなり大きいようで、行く先々のゲストハウスに設けられた僕の即席スタジオではそれはもはや珍しいものでも何でもない日常の風物詩と化していた。そして、リストカッターでありタトゥーファンでもあるその人たちは同時にボディピアスのファンであることも非常に多かった。

 やがて僕と似たような境遇の旅のピアッサーとも交流するようになると、過激なボディピアスファンのコミュニティの中には男のリストカッターもわりといるということが見えてきた。『マッドマックス怒りのデスロード』や『北斗の拳』とかの世界の登場人物みたいなナリの面々だ。自分自身で切るという行為が進展し、それをもっとデザインとして整えて他人に施す専業の者も出てきていたようだ。そしてそれはセルフハーム(自傷行為)とは分けて、スカリフィケーション(創傷)と呼ばれていた。これはただ呼び方が違うだけで本質は変わらない。自傷とアートの違いはそれに対する社会の是認度の違いだけであり、状況次第ではタトゥーも自傷行為でもあるわけだから。

 

 

 さすがにその頃になると、ちょっと影のある女の子だけの趣味、という僕のリストカッター観はかなり変わってきていた。

 考えてみれば普通の男たちだって傷は好きなのだ。「スカーフェイス」とか「高倉健」とか「キャプテンハーロック」とか「花山薫」 とか「不死身の杉元」とか「不死川実弥」とか。傷は修羅場をくぐって血を流した漢の証だ。そういうのはもちろん本当に修羅場で負った傷の場合もあるわけだが、多くの実際の刃傷沙汰では都合よくカッコいい角度で顔を斬られるなんてことはまず難しいだろう。そもそも男が刃物で攻撃する場合、殺す目的なら首や胴体、そうでない時は腕や腿の外側だろう。とりあえず顔じゃない。顔や頭は鈍器で狙う場合の的なのだ。

 だから実際のところとしては不良少年たちは昔から自分たちで顔をほどよい感じに切り裂いてきたのだ。これはれっきとした自傷行為だ。少年期の僕のまわりにも何人かいた。が、一見したところのそのノリがあまりにも違うため、女の子たちの自傷行為と同じ括りで見えていなかっただけだったのだ。これはちょっとした盲点だった。

 そういった経緯をたどって僕は、自傷行為というものは目的や心理の如何を問わずに全てが肉体を使った表現活動であり、それはまた古代の風習のモダンプリミティブ的なリバイバルでもあると考えるようになってきた。

 実際に精神科の症例としてリストカットが報告され始めたのは60年代のアメリカからであり、それはヒッピーや現代魔女などの文化の登場と時期と地域をまったく同じくしている。僕よりずっと上の世代のリストカッターが日本では見られないことは、それらがある程度遅れて日本に上陸したからなのだろう。ちなみに中国では今、それが社会問題化してきていると聞く。

 縄文タトゥーを己が身に纏う精神科医、遠迫憲秀は、リストカットはアメリカ西海岸でそれらのポストモダン文化から出てきたウーマンパワー運動とシンクロし、現代社会において女性の性が無意識の抑圧から解放される過程の葛藤の表現でもある可能性を指摘している。そして第二次性徴の経血といった経験要素がその表現方法に関わっているかもしれないともいう。さらには最近の日本におけるリストカット症例の減少とタトゥーやボディピアスの社会是認度の上昇とは関係があるのではとも。これは非常に興味深い話だったので、そのうちあらためて詳細に紹介出来ればと思う。

 

遠迫憲英

 

縄文時代の「血祭り」文化

 古事記ではタトゥーは「さけるとめ」と記されている。目尻に施された、黥く=裂く、つまり肌を切り裂くタトゥーだ。北海道のアイヌのヌエに近代までその手法が続いていたことも併せて考えると、古代の日本列島全体でこの彫り方はごく一般的だったはずだ。

 効率的に墨を定着させることが可能なトゲ、針を敢えて使わずに、刃で切るということの意味。それが血を流すことそのものにあったであろうことは、実際に黒曜石の刃によるタトゥーを試してみた体験の結果として見えてきた。

 

黒曜石の刃によるタトゥー

 

 昨今のポップな縄文ユートピア観には全然血が足りていないように感じる。流血もタトゥーと同様でやはり直接の考古遺物として残るものではないから言及出来ないとも言えるけれど、それ以前の問題としてただ現代日本社会の一般的な衛生観念からみて口当たりの良い部分ではないから、テーブルに乗せられていない感じがするのだ。

 だが考えてもみて欲しい。彼らは意図的に歯を抜いたり削ったり頭蓋骨に穴を穿ったりし、大きなボディーピアスをし、そして高い確率でスカリフィケーションやタトゥーを盛大に行っていた人々なのだ。その世界観から「血祭り」を抜きにしてしまったら相当に事態を見誤ることになると思うのだ。ここは一旦、血液というものに関して今の常識的予断を抜きにニュートラルな姿勢で向きあってみたら良いと思うのだ。他者のそれではなく、自分自身の血に。

 血を流すことをアートとした「ウィーンアクショニズム」がヨーロッパに出現したのもやはり60年代だった。日本で最初の流血パフォーマンスアートの一つと思われる「血的行為」の主宰CoCo Katsuraに話を聞いてみると、その儀式的空間で流れる鮮血は、「本物の言葉、本物の絵の具」だという。不確定でまやかしのようなリアリティの世界の中でたった一つだけ本当であることが確実に保証される特別なもの。それは自然界のあらゆる素材のなかで最も人間存在にとっての真実を表す材料であり、さらには汗、涙、唾液、鼻水、糞尿といった他の全ての分泌物を超える、人間が出し得る極限の、最上級の表現手段なのだという。

 

CoCO KatsuraのInstagram 

 

 かつて本気の度合いを示すために血判状をしたためていた日本文化にいる我々にはとても良く伝わるのではないだろうか。いや、かつても何もない、僕の仲間は隣の中学のリーダーとの決闘に挑むにあたって実際にそれを書いていたから凄くよく分かる。そのことも今更ながら思い出した。つまりこれは人類が言語や道具という今日主要な表現手段を獲得した時期よりももっと深い根本的なものと言って良いのだろう。

 そのような最前線の現場の専門家の意見を聞いて思うのは、血液にこの上ないほどの美しさを見出しているということであり、その次元と比べると北海道篇の最後で触れた、中世ヨーロッパの瀉血治療ですらすでに浄穢逆転した後の価値観なのだということだ。そこではすでに血液が余分なものとして抜かれていたからだ。そういえば、アイヌ女性のヌエの施術での流血も、女には悪い血が溜まるので定期的に抜かなければならないなんていう同様の衛生観念が反映されたような説もあった。その延長線上のずっと先には今日の、吸収パッドに青い液体が染み込む生理用ナプキンの広告があるわけだ。

 古代の血は嘘偽りのない無上の浄なるものだった。その後それは歴史の中でいつしか不浄へと入れ替わり、ずっと転落し続けたのだ。しかし今、その無上の浄の美しさに再び立ち返り、自分の血を愛しむ、センスの鋭い人々が現れはじめている。そういうことなのだ。

 ちなみに、現代の流血パフォーマンス、スカリフィケーション、自傷行為で血を流すのはなぜ女が圧倒的に多数なのかもCoCoちゃんに聞いたところ、一言で即答、「男には射精がある」。

 女の赤に男の白。紅白歌合戦か。いや、そう考えると日の丸というのは本当に凄いデザインの国旗だ。さすがは縄文の末裔の国ということか。

 

 

 かつて女の子たちのリストカットになんとなく共感していたのは、もういい加減死のうとか考えていながらもとりあえずシコシコやらずにはいられなかった青年期の、僕のやぶれかぶれな生命力の部分だったのだと、いきなりストンと腑に落ちた。

 ところで、赤と白のイコン、といえばもちろんあの、光の国からやって来たヒーローを思い出さずにはいられない。

 

縄文群島の明かしえぬ黒い文身|日本最古のタトゥーを復興する⑥>>

 

〈MULTIVERSE〉

「BABU伝」 ──北九州の聖なるゴミ|辻陽介

「土へと堕落せよ」 ──育て、殺め、喰らう里山人の甘美なる背徳生活|東千茅との対話

「今、戦略的に“自閉”すること」──水平的な横の関係を確保した上でちょっとだけ垂直的に立つ|精神科医・松本卓也インタビュー

フリーダムか、アナキーか──「潜在的コモンズ」の可能性──アナ・チン『マツタケ』をめぐって|赤嶺淳×辻陽介

「人間の歴史を教えるなら万物の歴史が必要だ」──全人類の起源譚としてのビッグヒストリー|デイヴィッド・クリスチャン × 孫岳 × 辻村伸雄

「Why Brexit?」──ブレグジットは失われた英国カルチャーを蘇生するか|DJ Marbo × 幌村菜生

「あいちトリエンナーレ2019」を記憶すること|参加アーティスト・村山悟郎のの視点

「かつて祖先は、歌い、踊り、叫び、纏い、そして屍肉を食らった」生命と肉食の起源をたどるビッグヒストリー|辻村伸雄インタビュー

「そこに悪意はあるのか?」いまアートに求められる戦略と狡知|小鷹拓郎インタビュー

「暮らしに浸り、暮らしから制作する」嗅覚アートが引き起こす境界革命|オルファクトリーアーティスト・MAKI UEDAインタビュー

「デモクラシーとは土民生活である」──異端のアナキスト・石川三四郎の「土」の思想|森元斎インタビュー

「Floating away」精神科医・遠迫憲英と現代魔術実践家のBangi vanz Abdulのに西海岸紀行

「リアルポリアモリーとはなにか?」幌村菜生と考える“21世紀的な共同体”の可能性

「NYOTAIMORI TOKYOはオーディエンスを生命のスープへと誘う」泥人形、あるいはクリーチャーとしての女体考|ヌケメ×Myu

「1984年、歌舞伎町のディスコを舞台に中高生たちが起こした“幻”のムーブメント」── Back To The 80’s 東亜|中村保夫

「僕たちは多文化主義から多自然主義へと向かわなければならない」奥野克巳に訊く“人類学の静かなる革命”

「私の子だからって私だけが面倒を見る必要ないよね?」 エチオピアの農村を支える基盤的コミュニズムと自治の精神|松村圭一郎インタビュー

「タトゥー文化の復活は、先住民族を分断、支配、一掃しようとしていた植民地支配から、身体を取り戻す手段」タトゥー人類学者ラース・クルタクが語る

「子どもではなく類縁関係をつくろう」サイボーグ、伴侶種、堆肥体、クトゥルー新世|ダナ・ハラウェイが次なる千年紀に向けて語る

「バッドテイスト生存戦略会議」ヌケメ×HOUXO QUE×村山悟郎

「世界ではなぜいま伝統的タトゥーが復興しようとしているのか」台湾、琉球、アイヌの文身をめぐって|大島托×山本芳美

「芦原伸『ラストカムイ』を読んで」──砂澤ビッキと「二つの風」|辻陽介

「死者数ばかりが伝えられるコロナ禍と災害の「数の暴力装置」としての《地獄の門》」現代美術家・馬嘉豪(マ・ジャホウ)に聞く

「21世紀の〈顔貌〉はマトリクスをたゆたう」 ──機械のまなざしと顔の呪術性|山川冬樹 × 村山悟郎

「ある詩人の履歴書」(火舌詩集 Ⅰ 『HARD BOILED MOON』より)|曽根賢

「新町炎上、その後」──沖縄の旧赤線地帯にアートギャラリーをつくった男|津波典泰

「蓮の糸は、此岸と彼岸を結い、新たなる神話を編む」──ハチスノイトが言葉を歌わない理由|桜美林大学ビッグヒストリー講座ゲスト講義

 

PROFILE

大島托 おおしま・たく/1970年、福岡県出身。タトゥースタジオ「APOCARIPT」主催。黒一色の文様を刻むトライバル・タトゥーおよびブラックワークを専門とする。世界各地に残る民族タトゥーを現地に赴いてリサーチし、現代的なタトゥーデザインに取り入れている。2016年よりジャーナリストのケロッピー前田と共に縄文時代の文身を現代に創造的に復興するプロジェクト「JOMON TRIBE」を始動。【APOCARIPT】http://www.apocaript.com/index.html