大島托 『一滴の黒 ―Travelling Tribal Tattoo―』 #31 縄文群島の明かしえぬ黒い文身|日本最古のタトゥーを復興する③
タトゥー・アーティスト大島托が世界中の「タトゥー」を追い求めた旅の記録。旅を経て日本にスタジを構えた大島が次に向かったのは列島の古層だった。縄文時代に存在したと目される文身文化。明かしえぬ《縄文タトゥー》を探して。
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TATTOO BURST
旅先ではなるべく自分の他には現地の客しかいないメシ屋に行くことをにしている。そういうところで出てくる意外性のある味に、なるほどそう来ましたか~なんて感心するのが好きなのだ。
旅先ではないのだが、ここはいつも自分の他には中国人しかいない。だから給仕には日本語がほとんど通じない。基本はメニューの指差しだ。まあ、写真主体のメニューなのは助かる。大久保通りの中国東北料理屋「延吉香」の羊肉串が僕は大好物なのだが、一緒に来れる人はかなり限られる。日本の常軌を逸する辛さなのだ。その唐辛子の丘の急な斜面を越えたところには芳醇かつ複雑な旨味と香りの絶景が広がっているのだが。
身体改造ジャーナリスト、ケロッピー前田はその景色が見える人だった。
2012年に「TATTOO BURST 」の取材をしてもらってから、彼とよく呑むようになった。「TATTOO BURST 」は90年代半ばに登場して僕らの界隈をザワつかせたあの「BURST」から派生したタトゥー専門誌だ。よくよく考えるてみるとバーストの発行期間は僕はまるまる日本にいなかったことになるのだが、今、ネットでバックナンバーを見ても不思議なことに全部の表紙に見覚えがあるのだ。シヴァ派の修行者たちでにぎわうヒマラヤ山中にも、内戦下のカンボジアにも、バンコクのジャンキーホテルにもそれは普通にあったからだ。自然に誰かから誰かへラグビーボールのように廻っていく展開力を持ったある種の実用情報雑誌だったと思う。
そのケロッピー前田と僕は、汗だくで激辛羊肉串にクミンやら何やらの配合された秘伝パウダーをふりかけながら、ショボい世の中をザワつかせるような企画をブチ上げたいと考えていた。いや、世の中が本当にショボかったかどうかは正確には知らない。が、実は「TATTOO BURST 」は僕を紹介してくれた号が最終刊となっていたのだ。そして僕は住所不定にもう少しで無職が付いて完全体になりそうなぐらいのヒマさ加減だった。つまり我々に限っては状況は確実にショボかったのだ。
モダンプリミティブの宿題
何故こんなにショボいのかを、身体改造とトライバルタトゥーの専門家が酔っ払って話し合うと、いつも決まって出てくるワードが「モダンプリミティブ」だった。この重大なメッセージがベルリンの壁崩壊前後の世界に発信された時、僕らはそれぞれまだプロではなかったのだが、それは言い訳にはならないだろう。かつての人類はなぜ身体改造を、そしてトライバルタトゥーを行なっていたのか、そして現代の我々が再びそれを実践することの意義は何なのかというこのラディカルな問いかけを、この国に紹介すべきそれぞれのジャンルの担当者は僕ら自身だったはずなのに、目の前の景気の良さに流されて宿題を先延ばしにした結果がこの有り様なのではないだろうかという話を何度もしたと思う。
ざっくり言うならば、70年代以降のアメリカに登場し始めたタトゥーを含む身体改造の新しいムーブメントは、人生観に始まり、社会観、世界観、そして宇宙観にまで及ぶ人々のリアリティの転換を示していると言える。何から何に転換したのかというと、それは国家や巨大宗教といった大きな集団のマニュアルから個人の真実へとだ。僕がイメージしているのは以下のような感じだ。
かつて古代に個人が各々に実践していた身体改造は、集団の規模や密度の高まりに応じて通過儀礼として形を整えて共有されるようになり、やがて農耕や牧畜といった技術革新を経てさらに飛躍的に大きくなった集団で徐々に特定の聖職者やシャーマンのみがそれを体験して残りの人々に伝える形式の祭祀へと効率化されていった。そして複雑になった社会を運用するためのツールとして文字が編み出され、それは意識の空間を拡張したのと同時に、身体感覚とそれを取り巻く現実空間の価値を軽くしていった。結果、近代までに最大化した社会である国家と巨大宗教において、肉体はもはや概ね否定されるべきものとなっている。今では裸で出歩くと逮捕されるのみならず、鼻や口まで不織布で覆い隠すことまでもが強制され始めている。
そのような身体性を失って形骸化した巨大な社会呪術に飽きたらなくなった人々によって、まるで古代に回帰するかのように己の肉体を介することで新たに獲得された個人の呪術。それが僕の考えるモダンプリミティブの思想だ。
だからそれを実践するには先史の風俗を探求することが手っ取り早い。まあ、あくまでもひとつの物差しに過ぎないけれど、それは文字の使用を境界線とした場合の向こう側の世界だ。日本では、北海道で明治時代以前、沖縄で14世紀以前、と地域差はあるが、本州、四国、九州では概ね7世紀の古墳時代以前、弥生、縄文といった時代だ。その中でも列島の全体を貫く共通の基盤であり、かつ身体改造(学問の世界では身体変工か)の風俗が華々しいのはなんと言っても縄文時代だろう。
しかし、前回も言及したが現代の日本でそれを実践するには差し当たっての問題がある。いわゆるリバイバルタトゥーの手法が通用するほどの正確な資料は無いということと、タトゥーファンと考古学、歴史愛好家の人的な重なりがほとんどないということだ。
ビールの大河の果てに
まあ、リバイバルとして難しいのであれば、縄文インスパイアの現代タトゥーという方向に舵を切ることは出来る。これまで世界中のさまざまなトライバルタトゥーと向き合ってきたのでその普遍的な性格は分かっているつもりだし、現代のマーケットでプロとして四半世紀も生き残ってきたわけだからその現代用のアレンジも問題ない(と思いたい)。つまり、入れたい人さえいれば製作それ自体は僕の馬鹿力で何とかなるのだ。
真の難題は、「タトゥーファンに歴史の本を手に取ってもらい、考古学、歴史愛好家にタトゥーを入れてもらうということ」だ。もうこの一文を書いただけでもすでに目眩がするほどの断崖絶壁に挑むということなのだ。僕自身が本を読まないタトゥーファンそのものなのだからそれは誰よりもよく分かる。しかしそれを無くしてリアルな現象としてのモダンプリミティブはありえない。
でも、あらためて考えてみるとこれは「BURST」がやっていた、不良に本を読ませ、インテリを犯罪行為に誘なう(やってないか)、というのにそっくりの図式なんじゃないかと思うのだ。そして目の前の、汗で眼鏡を曇らせた非常に背の高い男がそれをやっていた張本人なのだ。つまりそのミッションインポッシブルを完遂するには、ケロッピー前田の整然とたたみかけるような文章の力と、広範囲に渡る周到な仕掛けの数々が必要不可欠と思われたのだ。
こうして羊肉を食べたあとの無数の金串の墓標の立つ丘とビールの大河の果てに、ついに我々のコラボレーションプロジェクト「縄文族」は猛烈なダッシュで走りだした。
なお、その後、どこかの海岸で公然とタトゥーが締め出されたり、タトゥーイストが医師法違反で検挙されたりといったことが続き、ショボい状況は僕らに限ったことではないことが明らかになり、なんだか僕らの気分としてはレジスタンスの支援作戦に国際結社モダンプリミティブから投入された特殊工作員みたいな感覚も出てきた。
いよいよ縄文タトゥーを彫り始めた。それをデザインする上で僕が追っているイメージについて次回は触れてみたい。
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