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大島托 『一滴の黒 ―Travelling Tribal Tattoo―』 #32 縄文群島の明かしえぬ黒い文身|日本最古のタトゥーを復興する④

タトゥー・アーティスト大島托が世界中の「タトゥー」を追い求めた旅の記録。旅を経て日本にスタジを構えた大島が次に向かったのは列島の古層だった。縄文時代に存在したと目される文身文化。明かしえぬ《縄文タトゥー》を探して。

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器を這う蛇

 埼玉の荒川にほど近い稲作田園地帯で少年時代を過ごした。家まで2kmほどの小学校からの帰り道は決められたアスファルトの通学路は使わず、いつも農道に入り、水路を跳び越え、田んぼの畦の上を伝って近道していた。

 雑草の生い茂る休耕田にはさまざまな羽虫の類いが大量にいて、それをエサにしているカエルもたくさん集まっていた。そしてカエルがいるということは蛇が来るのだ。自分の身長よりも長いアオダイショウ、縦縞が美しいシマヘビ、カラフルなヤマカガシ、ずんぐりと太いマムシ。どれでも見つけ次第、直ちに捕まえた。野原を全速力で這い進む蛇の様子は、まるで空間が切り開かれるような独特の錯視を誘う。シマヘビが特に鮮やかだ。それらは他のどんな生き物の動きとも全く違うのだ。でも、森や川辺ならいざ知らず、水のない開けた休耕田では僕の脚の方が早いのでしくじるわけもなかった。蛇だって普通はこんなリスキーな場所には出てきたくはないはずだが、エサの豊富さに警戒心が押し切られているのだろう。

 捕まえてどうしたということでもない。殺すでも、飼うでも、食べるでもない。まあ、あの頃は大きな町に出ればまだ蛇料理屋があって、そういうところで食べたこともあったし、大人の身長ぐらいはあろうかという自己記録を大幅に更新したアオダイショウを家に持って帰って庭で放し飼いにしたこともあった。そいつは捕まえた後にも僕の腕をキツく締め付けて抵抗したため、こちらも首を押さえつけ続けていたらやがて気絶したので「グロッキー」と名づけた。しばらくは近所のあちこちで日向ぼっこする姿などを見かけたものだった。

 でもそういうことは目的ではないのだ。ただひたすらに捕まえるだけだ。そしてその滑らかでひんやりとした鱗や筋肉の束の力の感触を手のひらに確認した後で放すのだ。それ以外にどうしたらいいのか自分でもよく分からない。不思議なのだが、蛇を見た瞬間に心拍数が上がって、とにかく捕まえなくてはならないと感じて反射的に走り出してしまうのだ。僕の前世はマングースだったのだろうか。いや、一般的にはいきなり蛇に出くわすと悲鳴をあげて逃げ出す人が多いかと思う。行為としては正反対かもしれないが、僕の心理もきっとそれと紙一重の差なのだ。もう少し歳がいってから、これは性的な衝動に似ていると感じたりもした。

 縄文時代の土偶にはタトゥーと解釈できる模様が見られることはよく知られている。だからその頃のタトゥーを復刻するという観点で言えば、普通に考えればそれを正確に人体に彫ることが確実なファーストステップなのだろう。例えば僕の顔に彫られている、学界で「ダブル・ハの字」と通称されるデザインなどは土偶の顔の模様そのままだ。

 

大島托の顔面に刻まれたダブル・ハの字(写真:ケロッピー前田)

 

 しかし、リアルな人体に比して土偶はかなり小さい。したがって、その小さな人形に描写しうるデザインをそのまま人体に転写したところでスカスカの印象なのだ。それはおそらく実際に行われていたタトゥーを記号のように簡略化したフォームと考えるのが、毎日原寸大の身体に向かい合っているタトゥーイストとしての感覚ではしっくり来る。だから僕にとって土偶の模様の存在は今のところ、縄文時代にタトゥーがあったことの印、ぐらいのところにとどまっている。

 模様として僕が惹かれるのは断然、土器の方だ。土器の模様はその模様自体としての充分のサイズだから見応えがあるのだ。

 それに、僕には縄文土器が人にも見えるのだ。だいたいシンメトリーに配されたデザインの成り立ちは、まるでどこかの半裸で暮らす部族の人が身体に纏う見事なトライバルタトゥーのように見える。それは容器の機能を備えつつ、当時の人体を表現した物体なのではないだうかと思っている。我々の縄文タトゥーは現代のマーケットに向けてリリースするわけだから、その視点でカッコ良くなければ話にならない。したがって縄文タトゥーを製作する際に参考にしているのは主に土器だ。今でも人の性質や能力を「器」に喩えたりすることを考えると、これはそれほど突飛なイメージではないと思うのだが、どうだろう。

 縄文デザインと聞いて多くの日本人がすぐさま思い浮かべるのは渦巻き紋だと思うが、実は縄文の縄文たる所以は縄紐を粘土壁に押し付けることによって出来上がるザラザラしたパターンにある。どちらも重要なのだが、どっちかというと地味な方の構成要素が土器のカテゴリーの名称となり、時代区分の名にもなっているのだ。明治時代に大森貝塚を見つけたモースが最初にそう名付けたのだから仕方ないが、一体全体これは巻紋土器とか渦文時代とかではダメだったのだろうかとも思う。

 この特徴的な渦巻きは何なのだろうか。大気、水、炎、といったフラクタルの流れのような不定形の定型表現なのか。そこからさらに発展させて、目に見えない力や心のようなものまでをも表しているのだろうか。

 形にならない形、そんな謎々みたいなものを僕は実際によく知っている。蛇だ。この渦巻き紋はたぶん蛇でもあるのだ。そのように捉えると、ザラザラの縄目模様も蛇の鱗としてすんなりと入ってくるというものだ。

 

大島托による縄文タトゥー(モデル:遠迫憲英)

 

なぜヒトは蛇を特別視するのか

 蛇といってまず思い浮かぶトライバルタトゥーは台湾のパイワン族のデザインだ。これはヒャッポダという大きな毒蛇の体の柄をデザイン化したものだ。その隣のフィリピン、ルソン島の奥地に現代も続くカリンガ族のタトゥーも蛇の鱗を象ったハニカム構造のラインワークが美しい。他にもタイやラオスのスパッツ状に両太腿を彩る魔術タトゥーには明らかに巨大なニシキヘビの柄や胴回りのサイズ感のイメージがオーバーラップされている。このように、トライバルタトゥーのモチーフとしてとても重宝されている蛇なのだが、特に派手な模様の南国の蛇の場合は主に特徴的なその模様が象徴として採用されているのが見て取れるのだ。

 

キュジー・パッドレスによるパイワン族のタトゥー(https://hagamag.com/uncategory/5313

 

 そしてそれと同様の信仰が、蛇の模様が地味になる温帯以北の地域ではその形や動きを意匠化したということなのではないだろうか。それが縄文や古代中華の渦巻きの示すところなのだと僕は感じる。蛇はかつて神の座に悠然とトグロを巻いていたのだろう。

 それに対して現代の日本、特に都市部の人々が抱く蛇のイメージは、欧米ほど酷くはないにせよ、危険、気持ち悪い、など概ねネガティヴだ。これは歴史のある時点で聖と邪が反転したということを示している。反転と言ってしまえば直線上の遠く離れたそれぞれの極にあったものが正反対に裏返るというような大変なことにも思えるのだが、その座標は円環していると考えれば、日常の物事から遠いあたりの非日常のサイド付近で聖と邪はいつも隣り合わせにあり、その反転は実はわずか紙一重の置換だというふうにもイメージできる。あるいはかつてそれは聖と邪が一緒くたになった「おそれおおい」みたいな領域だけがあり、後世にそこから聖と邪が分別されたとも言えるかもしれない。ちなみにこの「おそれおおい」みたいな領域に今もなお留まり続ける、蛇とよく似た生き物に、ポリネシア地域におけるウナギがある。ちなみにポリネシアに蛇はもともといないので、ウナギはかつて先祖たちが見知っていた蛇の代役とも考えられるのだが、「タブー」という言葉はその領域から来たものだ。いずれにせよ、たとえば性の領域などについて考えれば、人の心理としては最も魅惑的なものと忌避すべきものがしばしば同じであることはよく分かると思う。

 現代文化のさまざまな局面ではとかく悪者扱いされがちだが、ことタトゥーにおいては蛇は現代でも堂々たる主役だ。蛇のデザイン、蛇が剣や花やスカルに絡みつくようなデザインは定番中の定番としてオールドスクールデザインにもなっている。そしてなんと言っても、タトゥーカルチャーそのものを象徴すると言っても過言ではない「龍」という圧倒的な人気モチーフは、さまざまな超自然の力を付与されて神格化された、世界を統べる大蛇そのものなのだ。

 何故そうなのかを考えると、脱皮を繰り返して成長していく蛇の様子が、タトゥーの回復プロセスにそっくりそのまま当てはまることの親和性や、さらに踏み込んで言うとそれが人類が普遍的に希求する再生や不滅の象徴として相応しいことなどが挙げられるだろう。

 しかし、蛇が脱皮することをまだ知らない子供にすらもストレートに伝わる強烈なインパクトそのものは、たぶん人類が猿だった頃にまで遡る、とてつもなく古い記憶の深淵から発せられている。それは蛇に遭遇した時の猿たちの異様な慌てふためき方を見ればすぐ分かることだ。霊長類が視界の中から蛇を発見する反応速度が他の哺乳類と比べても特に飛び抜けていることは生物学の世界では知られている。そしてそれは探す対象が蛇の場合にのみ起こる現象なのだ。一説によるとこれは、陸海空の捕食者たちから隔たった樹上の果実食生活で進化した霊長類にとっての脅威が蛇ぐらいしか存在しなかったので、蛇だけを特別視するセンサーが脳内で発達したためだと言われている。

 つまり、身体性を伴う、無意識の領域にまで直接働きかけるような呪術に蛇がいつも特別な存在として登場するのは、我々が人類としての、いや霊長類としての「器」を持つ限りは、洋の東西も古今も問わないということになるのだ。

 

 

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 次回は、やはり現在では貶められているが、かつては無上なるものだったと思われる、もう一つの重大な要素を再考したい。

 

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PROFILE

大島托 おおしま・たく/1970年、福岡県出身。タトゥースタジオ「APOCARIPT」主催。黒一色の文様を刻むトライバル・タトゥーおよびブラックワークを専門とする。世界各地に残る民族タトゥーを現地に赴いてリサーチし、現代的なタトゥーデザインに取り入れている。2016年よりジャーナリストのケロッピー前田と共に縄文時代の文身を現代に創造的に復興するプロジェクト「JOMON TRIBE」を始動。【APOCARIPT】http://www.apocaript.com/index.html