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大島托 『一滴の黒 ―Travelling Tribal Tattoo―』 #28 北方の南限に最古のタトゥーを訪ねて|アイヌ・(シ)ヌエ考④

タトゥー・アーティスト大島托が世界中の「タトゥー」を追い求めた旅の記録。舞台は日本の北限であり北方の南限である北海道。アイヌ文様、そしてアイヌに伝わる文身「ヌエ」の曲線を辿る。

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夏休みの自由課題に

 ちょうど夏休みの自由課題作品として息子が足寄町の柴刈さんからいただいた黒曜石を砕いて作った石器で槍を工作中だった。その時に出た大量の剥片の中にはカミソリのようにシャープなものも多かったのでそれを今回の実験に使用することにする。

 

 

 あと、ウポポイの事務所の人からマユンさんがもらって、おすそ分けしてくれたアオダモの樹皮を煮て美しく青ずんだ汁を作った。これは消毒殺菌や麻酔、止血、治癒の促進の作用があるとされるほか、施術工程をスムーズにする重要な繋ぎの役割を果たす。僕がいつも施術で使うヴァセリンみたいなものだ。

 

 

 色素である煤はプレーンなドローイングインクを乾かしたもので、これはもともと煤に水を加えただけのものだから、元の煤の状態に再び戻ったということだ。

 さらにもう一種類の色素としてイカ墨も用意した。近所のスーパーで刺身用アオリイカを買ってきて墨袋から取り出したのだ。ねっとりと濃厚で、磯の匂いがする。いちおう火を通しておこう。これは1889年にアイヌの集落に単身住み込んで多くの記録を取ったイギリス人、アーノルド・ヘンリー・サベージ・ランダーの「Alone with Hairy Ainu」の記述に、彼が滞在していた3つのアイヌ集落では煤よりもイカ墨の方が一般的だった、とあることの興味深い検証だ。

 

 

 被験者には古くからの友人NA2に来てもらった。彼女はボディーピアス、インプラント、タンスプリッティング、スカリフィケーション、そしてハンドポーク、ハンドタップ、コイルマシン、ロータリーマシンという、要するにインクラビングスカリフィケーション以外の全ての術式を経験しているので、これが何なのかをその経験座標系の中で誰よりも正確に示せる人物なのだ。

 

針で刺すか、刃で切るか

 針による施術の深さを参考にしていくつかの異なった深さで皮膚に切り込んでいく。石器とはいえギコギコやらないと切れないようなことはなくスムーズに入っていく。ストレッチは切り口に対して平行にしなければならないことがすぐに分かる。垂直方向に張ると切り口が開いて皮膚が裂けてしまうのだ。

 とにかくタラーっと鮮血が溢れ出てくる。針の施術でも実際に血は滲み出ているのだが、インクとともに刺していくので血の色をダイレクトに見ることはあまりない。が、これはまず切った後に血を拭いて煤を擦り込む手順だからもろに赤い血が流れ出てくるのだ。そのヴィジュアルの違いは大きい。プロのタトゥーイストのレギュラーな感覚からすると、正直大丈夫なのかこれ? と感じる。

 

 

 NA2によると同様の線を針で入れるのよりも痛みが大きいということだ。しかし傷跡を立体化することを目的とするスカリフィケーションと比べれば切り込みが浅いのでそのぶん痛みも軽いらしい。後日、自分の肌にも少し切り込んでみたが、これは大きくはないが鋭い種類の痛みだ。要するに包丁やカミソリの怪我と同じことを意図的にじっくりやっているわけだ。

 タトゥーファン向けに分かるように説明するならば、マシンで1〜3本の極細ライナーで線を引く時の「つうぅぅっ」とくるやつに近いと思う。というか、そう、ハンドポークやハンドタップと比べるとタトゥーマシンの痛みによく似ているのだ。

 でもまあ、マシンのタトゥーでもそうなのだけれど、自分自身でやると施術の方に意識が完全に集中してしまうので痛みはあまり気にならなくなってしまう。3〜4日のちに回復したそれは、深さによってはまばらになっている箇所もあったが割と素直に入っている。派手に血が出たわりにはダメージはそれほどでもなく、針のタトゥーと変わらない回復期間だ。だが、この細い線を密集させて面にするのは根気のいる作業となるだろうし、もっと血まみれになるということだ。

 

 

 同時に、石器時代にも手に入ったであろう針状物体でのハンドポークも対照実験として自分の肌でやってみた。ハンドポークはタトゥー史においてインクラビングスカリフィケーションと隣接すると僕が勝手に想定している、針使用における最古の手法だ。山椒のトゲ、タラの木のトゲ、レモンのトゲ、カサゴのヒレの骨、石鯛のヒレの骨、イノシシの牙を研ぎ上げたもの、を試してみた。

 

 長くなるのでそれぞれの施術の詳細は省くが、それで分かったことは、刺さりやすいものは折れやすく、逆に折れにくいものは刺さりづらいという、いわば当たり前のことだった。皮膚の中で折れた山椒のトゲの先端を、レモンのトゲを使ってほじくり出すハメになった。はっきり言って事前にイメージしていたよりもかなり苦戦したと言っていい。チビチビとしか進まない。血はほとんど出なかった。精密さでトゲ、スピードで石器、といったところだろうか。

 

 

 この結果から考えると、折れにくい丈夫なトゲなどを打撃力で打ち込むハンドタップ技術や、全ての欠点をカバーする金属針が登場するまでの間、「切り」派と「刺し」派の取り回しの良さや結果の安定感は割と拮抗していたのかもしれない。つまり両者が並存していた期間は、僕が思っていたよりも実際は長いのかもしれないということだ。

 

痛みの程度は忘れても流れた血の量は忘れない

 しかし、アイヌは鉄の針を得た後もタトゥーに関しては鉄の刃を選んだのだ。おそらくこれはもうセンスの問題なのだ。鉄製品を得てから近代までの長い時間の中では当然、タトゥーに針を使ってみたアイヌだって何人もいたはずだ。技術はいつでも試行錯誤しながら前に進むからだ。それでも結局それを集団内で本格的に採用することはなかったということなのだろう。きっと満足しなかったからだと思う。

 NA2との事後の会話のなかで分かってきたことは、痛みを乗り越えて回復後に成長のような満足感を得るという心理面に関しては針も刃物も同様で、そもそもタトゥーとスカリフィケーションの間にもその差はないということだ。

 痛みの種類や度合いの違いもあまり関係ない。というのも、痛みというのはかなり曖昧なもので、その瞬間は確かに感じているが、記憶として長く正確に留めておくことが難しいのだ。これはうちの多くのクライアントたちの話をまとめてもその通りで、彫って半年も経てば、人はそれがどんなものだったかを感覚的にはよく思い出せないのだ。頭の中には「痛かった」という言語化された情報が残っているだけだ。

 違いがあるのはやはり出血の感覚だということになる。NA2のエクストリームな話を一般的事例の範囲で要約すると、刃物による施術にともなう流血には、献血でスッキリしたりホッとしたりするのと同様の感覚があるということなのだ。そしてこれは痛みのような内的感覚だけではなく、多分に視覚を伴ってこそのものなのだ。誰でも怪我をしたことはあると思うが、それがどれだけ痛かったかは思い出せずとも、折れた骨の角度や流れた血の量は忘れないものだ。

 往時は何度もセッションを重ねることにより少しずつ大きくしていったというヌエの塗りの線の一本一本は、ひょっとしたら献血カードの記録のような、流してきた血の量と回数を証明するものでもあるのだろうか。それは神に供物を捧げる善行の、誰の目にも確認できる証だったのだろうか。流血することこそが大事。そう考えると針では確かにもの足りないし、はたから見ている村の小さな女の子たちが怖気付くのも無理からぬところがある。

 

瀉血の精神原理

 瀉血という行為はアフリカ、中東、アジア、そして中央アメリカ、などの呪術社会だけではなく、ヨーロッパでも中世まではれっきとした医療行為だった。現代の理髪店のデコレーションの赤と青と白の螺旋上昇するオブジェは人の動脈と静脈を示しているとも言われ、これはかつてのヨーロッパでは床屋も瀉血治療に当たっていたことの名残だ。余分な血を抜くことは余分な髪を切るのと同じように気軽でポピュラーな行為だったということでもある。現代人がサウナで汗を流すような感覚で中世ヨーロッパ人は床屋で血を流して「整って」いたのかもしれない。

 現代の医学では疾病治癒との間の科学的根拠を否定されているが、要するに気持ちの問題で言えばこれは実際によく効くのだろう。そして気持ちが上向けば免疫力が上がり結果的に病気は治りやすくなるというものだ。吸血鬼ドラキュラに血を吸われた人は不死者となるという物語の設定などは、瀉血の精神原理の転用例の一つだと思う。

 たしか僕の叔父にも定期的に献血をすると調子が良くなると断言して献血手帳を何冊もコレクションしていた人がいた。「血の気が多い」のは良くないことなのだとか言って。ひょっとしてそれは昭和の時代には民間療法としてある程度の幅を利かせた信仰だったりしたのだろうか。

 そういえば、電流爆破デスマッチで大量の血と汗と涙とヨダレと鼻水にまみれながら叫ぶ、古の神のような形相の大仁田厚から、あの頃の人々は確かに明日への活力を得ていたような記憶もある。あれがホントの出血大サービスってやつだ。

 ちなみにイカ墨は、施術時には非常に素早く色が入り、術後は薄皮が何度も脱皮するような独特の回復経過をたどったが、結果としてはとても鮮やかに定着している。今、だいたい半年が過ぎたところだ。これは使えるのかもしれないと思いはじめている。比較的に当たりだった魚の骨の針とセットで「海鮮タトゥー」なんてのはどうだろうか。

 

 

 瀉血呪術とタトゥーとの関わりがなんとなく見えてきた。これは膨大な時間の階段を降りて列島の古層に行くためには必要な理解でもある。いよいよ縄文に行ってみたい。

 

 

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PROFILE

大島托 おおしま・たく/1970年、福岡県出身。タトゥースタジオ「APOCARIPT」主催。黒一色の文様を刻むトライバル・タトゥーおよびブラックワークを専門とする。世界各地に残る民族タトゥーを現地に赴いてリサーチし、現代的なタトゥーデザインに取り入れている。2016年よりジャーナリストのケロッピー前田と共に縄文時代の文身を現代に創造的に復興するプロジェクト「JOMON TRIBE」を始動。【APOCARIPT】http://www.apocaript.com/index.html