logoimage

逆卷しとね 『ガイアの子どもたち』 #04「革命こそが総合芸術だ」──人民の敵・外山恒一は「集団」を創造する

学術運動家・逆卷しとねが毎回異なるゲストと共に、オリジナルなクリエイターという“古いフィクション”を乗り越え、「動く巨人」と共に行う制作という“新しいフィクション”の可能性を考察する対話篇。三人目のゲストは政治活動家にして、2021年2月末に初個展を控えている革命的“芸術”家・外山恒一。

<<#01 序論「巨人と/をつくる──涯てしない“わたしたち”の物語」

<<#02 不純なれ、異種混淆の怪物よ──大小島真木は《あいだ》をドローする

<<#03 革命はこの〈せせこましい身体〉から始まる──長谷川愛と「あいみょん革命」の20XX

<<#05 BUMMING AROUND UNIDENTIFIED LANDSCAPES──宮川敬一はどこの馬の骨かわからない「風景」を放浪する

INTRODUCTION ──「鍋と謀りごと」

 2020年9月東京。革命家・長谷川愛さんとの対談中、僕が愛さんの肩書は革命家ということにしましょう、と言うと、「本当の革命家に失礼ですよ」と愛さんは謙遜した。謙遜してもしょうがない。愛さんが出した本のタイトルは『20☓☓年の革命家になるためには』なのだからどうしようもない。あれはアーティストブックなどではなく、ある種のオルグ本なのだ。

 革命のイメージは大きく変わった。少なくとも先進国において体制転覆が起こることはない。今や体制転覆の大半は軍事力を背景としたクーデターになっているのも仕方がない。たいてい、革命は小さな擾乱の連続である。常識を疑い、己の身体に即した呪いと問いを引き受け、これを解決するために日常的に行動に移す。安易な転覆を目指さず地道にリサーチを重ねて行動する長谷川愛は、立派に革命家だと思う。僕の不用意な舌禍が淵源とは言え、地道な革命の細流を断ってはならない。不遜かも知れないが胸に手を置き、自然な流れに身を委ね、ものごころつく前からの(?)革命家をお呼びしよう。

 

3/7に全国の書店に並ぶ外山恒一の最新著『政治活動入門』(百万年書房)。とてもかわいい。

 

 革命家・外山恒一さんと出会ったのは、小倉Gallery Soaphttp://g-soap.jp/index.htmlで酒を傾けていた、2019年の秋のある晩だったように記憶している。ふらりと訪れたスキンヘッドの、いかついブーツを履いたその男は、ニコニコと笑みを浮かべ、物腰柔らかに、とある劇団のビラを配っていた。少しだけお話をした。全国のロックバーで聞きこみをし、そこから2軒目、3軒目と聞きこみを重ねているうちに、初めて訪れる地でも、地元民も知らないディープな飲み屋にたどり着く。およそそのような内容だった。あと30年生きるのが目標なのだとも言っていた。30年も経てば、意識をプログラムに変換するする技術が完成し、機械の体と永遠の命を手に入れて、つまり永続革命をとことん担える。なんだかよくわからないが、実現してしまいそうな気がする。素敵な人だった。

 

 

 

 なぜなのかはさっぱりわからないが、2/27からGallery Soapで開催される外山恒一展のメイキング過程に首を突っ込むことになり、2020年秋以降、数回に渡り外山邸や居酒屋にて密談を重ねてきた。この人は決して難しいことは言わない。ヒカリモノは苦手だが、ニコニコとアブナイことを口走る。違っていると感じたらはっきりと「違う」と言う。アドリブが利かないときを除けば、はきはきしている。人格攻撃はしない。嫌いなものは嫌いと断言する。気持ちがいい。蓄積されている知識はすべて身になっていて、わずかな消化不良もないように見える。吸収する前は無用だったものでも、ひとたび吸収すれば必要なものに変わる。空理空論は喋らない。外山恒一が理論より先行している。自分史研究家を名乗っていた時期もある外山恒一にとって、どんな理論も行動より前に存在することはない。時代? 時代は回るというが、外山恒一の回転に比べれば周回遅れである。

 僕と編集の辻さんは、外山邸に一泊した。インタヴュー後には鍋をご馳走になり、お笑いとモノマネの外山コレクションをさんざんぱら堪能し、ファミレスで昼ご飯を食べてお別れした。礼節ともてなしの人である。しかし忘れてはならない。美しい花には棘がある。美味しい話には裏がある。外山恒一のもてなしはすべて謀略の一部である。政治はひとりではできない。巻きこみ事故が必要である。どんなに些細な出来事も、致命的な事故になりうる。もう遅い。あなたは街宣車の後輪に巻きこまれている。

 果たして、2/27より始まるGallery Soapにおける「人民の敵 外山恒一展」はアートなのか、政治なのか。あまりに答えの見え透いている羊頭狗肉を頭の片隅に置きながら、外山さんとの対話へとお進みいただきたい。

 ただし、橋は焼け落ちました。帰り道はありません。

 

 

 

 

芸術には「あえて」性がなくてはダメだ

逆卷しとね(以下、逆卷) 2021年の2月27日から福岡県北九州市小倉北区のGallery SOAPで個展『人民の敵 外山恒一展』開催が予定されていますよね。しかし、外山さんは周知の通り政治活動家であって、少なくとも芸術家と自称はしていない。外山さんは「芸術が力を持つためには芸術を自称してはならない」というようなことも書いているし、アート界から一定の距離をとっている。いきなりですが、外山さんは芸術というものを、どういう風に考えているんですか?

外山恒一(以下、外山) そもそも人はなぜ芸術をやるのか。おそらく現状に対する何らかの不満や違和感があるからだよね。今の音楽や映画がつまらない、オレのほうがもっと良いものを作れる、というようなことも含めて。その部分においては政治運動も芸術活動も変わりがない。ただ、政治運動が目指しているのは常に「結果」なんだよ。実現したい政策なり社会体制なりがあって、そのためにやるのが政治運動であり、その過程でさまざまな方法がとられる。その方法が結果的に芸術の文脈においても面白い表現活動になっているということがありうるわけだけど、政治運動の場合は、それはどこまでも「目的」のための「手段」としてある。

一方、芸術の場合は、表現そのものが「手段」ではなく「目的」になっている。それこそジョン・レノンのように、音楽の力で社会を変えるんだという志があったとして、これが政治運動であれば、実際の楽曲がどんなに駄作であっても、それが社会を動かす役に立ったならそれで成功だよね。しかし、芸術活動としてやってる場合、そういう結果をもたらしたとしても、その作品自体が音楽として優れていなければダメなわけだ。政治運動と芸術活動はそこが違う。「目的」であるか「手段」であるかという違いがまずある。

さらに言うと、ぼくは芸術には「あえて」性がなくてはダメだといつも言ってる。いま言ったように、芸術家はもともと社会や世界になにがしかの違和感なりがあり、現状に介入していこうというモチベーションがあるからこそ芸術をやってると思うんだけど、現実の世界に介入するんなら、政治的な運動をやったほうがいいに決まってるんだよ。「解釈は受け取る人の自由」とか言ってしまえるような、まどろっこしい遠回しな表現ではなく、解釈の余地なんかないストレートな言葉や行動で訴えるほうが早い。「現状に満足できない」んだったら普通に政治運動すればいいじゃんって思うわけだよ。

しかし芸術家はそうはせずに、あえて音楽だったり美術だったりと、本来は手段であったはずのものを目的にして、いわば目的と手段を履き違えて(笑)、芸術家なんかやってるわけでしょう?  別にそれはそれでいい。ただ、なぜ自分はそんなヘンな選択をするのかという自問自答がない芸術はつまらないと思う。しかも常々言ってきたように、芸術を自称した瞬間に安全な鑑賞の対象となってしまうわけで、そういうことを芸術家たちはどこまで自覚しているのか。そういう緊張がないと面白くならないし、実際のところ、今の芸術家たちにそうした緊張感はほとんど感じない。だからいわゆるSEA(ソーシャリー・エンゲージド・アート)と呼ばれるようなものも、よくは知らないけど、そんなに面白いものは多分ないんだろうと色眼鏡を常時着用して話を聞いている。

かつての赤瀬川原平などが面白かったのは、そういう自問自答があったからでしょう。彼らの世代は、芸術家としての活動を始めただろう若い頃に、身の回りに政治運動をやっているような同世代がいくらでもいたわけだよ。すると、なぜ自分はそっちへ行かずに芸術なんぞをやるのかということが自ずと気になっただろうし、どこまでそうした気持ちを言葉にするかは別としても、感覚のレベルでそうしたプレッシャーがあっただろうと思う。そういう環境が今はない。政治運動にやたら打ち込んでいる同世代がいっぱいいるみたいな状況がない中で芸術を選択したら、緊張感は当然生まれない。

実際、ぼくより10コくらい年上の芸術家たちは多分、80年代初頭あたりに「没政治的だ」みたいなことを、もっと上の、60年安保とか全共闘とかを体験してきた世代から批判的に言われてもいて、そうした中であえて「だとしても没政治的にやるんだ」という緊張感をもってやっていたわけだよね。ただそれももう40年も前の話。80年頃に20歳だった彼らの世代もいまや緊張感をなくしてる。3.11直後、被災地の人々に、何の役にも立たんハートマークの入った布を送りつける運動を日比野克彦が呼びかけてたらしいけど、ひどい話だと思うね。その点、ぼく自身は政治活動家であって芸術家のつもりはないんだけど、結果的には今、ぼくの方がずっと、現代美術で名のある人より芸術的にも面白いことをやっている自信はある。

逆卷 なるほど。政治運動家は社会の変革が目的なのだから、芸術を含むあらゆる他のものはひとしなみ手段として考えることになる。けれども、政治運動家は存在自体がそもそもアブナイのだから、直接的にアブナイものをぶつけるだけだと世間にはアブナイものとして見られるだけで終わってしまう。だから外山さんがさまざまなものを政治運動のひとつの手段として用いる際には、予めアイロニーやユーモアを折り込んだ屈折した態度で臨むことになる。

対して、芸術はどんなに政治的であろうとも、目的が表現である以上、政治を手段としてしか扱えない。どういうことかというと、危険な政治性がたとえ作品のなかにあったとしてもそれが芸術表現を目的にしている以上、美術館に展示されて「これは芸術ですからね」というエクスキューズに回収されてしまう。芸術は制度的に、芸術という免罪符をベタベタ張られた結界のなかに囲われていて、社会をダイレクトに変える力をそもそも持てないように去勢されている。芸術には本来、そういうもどかしさがあるわけですね。

だから、社会を変えることを目的にしたいなら美術の制度を超えて直接働きかけることができる政治をやればいいのに、あくまでも芸術にとどまるというのはどういうことなのか考える、というのが筋というものですよね。そういうことを踏まえると、外山さんの活動が残してきた資料をアーティストユニットのSecond Planetがキュレーションするという「外山展」、いったいどういう展示になるんでしょう。楽しみですね。

というふうに、ユーモアとアイロニーを実はシリアスに戦略化している外山さんなんですけど、いまだ世の中では「面白おじさん」だと誤解されている節があります。面白さ、あるいはアイロニーやユーモアは、政治的に必要なんですよね。これらを安易に没政治的なものとみなしてしまうような風潮があるけど、それらは本当は政治を目的とした表現なのであって、そのことがまだいまいち理解されていない。そういう観点に立って、外山さんの政治活動について、あらためて振り返りつつ迫っていけたらと思っています。

外山 はい、お願いします。

 

泡沫候補の芸術家たち

逆卷 ではまずベタなところから入ると、世間では外山恒一=東京都知事選の泡沫候補というイメージがいまだ強いと思います。そこで外山さんの系譜上の先輩にあたる人はいないのかなと色々と調べていたら、ネオ・ダダイズム・オルガナイザーズの唯一の女性である岸本清子さんが雑民党というところから1983年に出馬されていたらしいんですよね。

外山 雑民党は東郷健のところだね。東郷健センセイは泡沫候補の偉大な先輩です。

逆卷 そうですよね(笑)。実はこの岸本清子さんも「私は地獄の使者である」というずいぶん聴衆を置き去りにする無理筋の切り込みから始まる風変わりな政見放送を残していて。これは是非とも外山さんにお見せしたいなと思ったんです。

 

 

こういう感じなんですけど、泡沫候補の後輩としてはいかがでしょう?(笑)

外山 そうだね……。東郷健もそうだけど、一方でおそらく新左翼的な反体制のイデオロギーを持ちつつも、他方でスピ系というか、陰謀論みたいなのが混ざりこんでるんだよね。そういうのはいかがなものかと普通に思う(笑)。ただ、ぼく以降は泡沫候補といえば単にふざけた人ばかりになってるけど、ぼく以前は、この人みたいに反体制的な側面の濃い人と普通にイッちゃってる人が混在してた。東郷健や赤尾敏はまあオーソドックスな反体制派のカテゴリーの人ではあるんだけど、キャラがもともとヘンだから話題になったタイプだよね。たぶんこの人もそういうタイプで、まあ、表現そのものがぶっ飛んでいるというより、本人がそもそもおかしい。

 

 

逆卷 その点が外山さんと先輩泡沫候補たちは違いますよね。外山さんの場合はひとつのキャラクターとして「外山恒一」を作り込み、あくまでもパフォーマンスとしてあの政見放送をやったわけで。

外山 うん、主張の内容は本気だけど、キャラは完全に別人格。そういうパフォーマンスとしての観点から言うと、この岸本さんも、最初のテンションのままずっといけばもっと面白くなったかもしれない。これでは中途半端。言っていることはわりかしベタな反体制なんだけど、この内容を「地獄の使者」のフォーマットのまま喋ることは、たぶん工夫すればできたはずだよ。その辺の詰めが甘い。あと、この人も、直接そうは言ってないけど要は「バビロンシステム」みたいな話をしてる。アート系の人が政治にハマるとすぐにそういうこと言い出すけど、何なんだろうね(笑)。

逆卷 (笑)。この人たちは少なくとも既存の選挙システムを使って政治を変えようという風には一応しているんだけど、外山さんの政見放送では「選挙に行くな」がメインの主張になっていて、もはやこの政治システム自体をぶっ壊さなきゃいけないという、そういう方向の政見放送なんですよね。

外山 ぼくはむしろ、この人たちがなぜこんなにも真面目に訴えているのかが分からない。これで本当に当選すると思っているのか、と。泡沫というのは当選しないことを前提にやらなきゃいけないんです。それで言うと、ぼくが選挙に出るに際して、過去の事例で多少なりとも意識していたものがあるとすれば、前衛芸術家の秋山祐徳太子なんだよ。と言っても、反面教師として。彼は前衛芸術家でありながら、文化にもっと予算を割こうだの、芸術の溢れる街づくりだのって方向で選挙運動を展開したようなんだけど、いやいや、前衛芸術家が選挙に出るなら選挙そのものを前衛芸術にしないとダメでしょう、と。自分の選挙活動にはそういう批判も込めてはいた。さっきの人だってネオ・ダダを称してたんなら、能力的にどうなのかは知らんけど、とことんアートであることを志向すべきだったと思う。

 

 

逆卷 たしかに外山さんの方がちゃんとダダしてます(笑)

 

「悪い政治家をやっつけます!」

逆卷 外山さんは泡沫候補として全国にその名が知られたわけですけど、ただ外山さんはもう選挙運動には一区切りつけていますよね。その最たる原因は選挙カーとして使っていた街宣車がオシャカになったのが大きいのかなと思っているんですけど。

 

 

外山 それもあるね。ただ、あの都知事選の時はまだ車の免許を持ってなかったから、選挙カーもなかったんだよ。

逆卷 そうなんですね。車の免許を取ったのはいつなんです?

外山 都知事選の数ヶ月後。本当は都知事選で選挙カーを使いたかったから、それまでに免許を取ろうとしてたんだけど、仮免までしか間に合わなくて。まあ、「仮免練習中」の表示をつけた選挙カーという案もあったんだけど、車の入手も間に合わなかったし。

逆卷 都知事選は2007年でしたね。

外山 そう。その1週間後ぐらいに熊本市議選にも出ていて、その時は選挙カーもどきは手に入れて、弟に運転してもらって選挙戦をやった。で、そのさらに1、2ヶ月後に原付のショボい交通違反で捕まってしまって、裁判だ何だと色々あったんだけど、裁判官が嫌な奴でね、たぶんもともとぼくのことを少しは知ってて、それも都知事選とかじゃなくて別の裁判でかつて法廷侮辱をやりまくった話が伝わってたんだと思うけど、とにかくハナっからぼくに反感をむき出しにして、高い席から何度も説教してくるんだよ。「だいたい君はね、原付の免許しか持ってないんだろう?  車の免許というのはもっと難しくて、君みたいないい加減な人には取れないんだよ」とか言われてさ。それでちょうど仮免のままだったから次の公判までに免許を取得して、「いやあ前回、裁判長にあんなふうに言われて、やっぱり世の中は厳しいんだなあ、ぼくなんかに車の免許は取れないんだなあと不安に思ったんですけど……取れちゃいました!」って言って免許証を見せてやったら、裁判官がますます怒り始めた(笑)。

逆卷 罰金12万円の裁判ですね(笑)。その判決を受けて動画『償い』も作られてますね。

 

 

外山 求刑の8倍っていう面白判決。でも動画を作ったのはその一審判決より前じゃなかったかな。裁判官に人気の曲だと小耳に挟んでたんでね。当時、東京地裁にも変わった裁判官として有名な人がいたでしょ?  判決を言い渡す時に被告人によく説教をするという、出たがりな性格の。その裁判官が何かの事件の判決を言い渡す時にまた、「反省が見られない。さだまさしの『償い』という曲を聴いてみなさい」とか説教してたんだよ。そんな奴に裁かれたくないなと思うよね。で、まあ、「反省の気持ちを込めて」と称して、要は裁判官という人種を茶化す意味で、その歌を熱唱する動画を作った(笑)。

逆卷 (笑)。まあ、そんな感じで裁判とかありつつも、その頃の外山さんは結構頻繁に選挙に出ていましたよね。熊本市議選の後は鹿児島市議選にも出て「安定した泡沫候補」を自称されていた。

外山 頻繁と言っても、もともと都知事選に出られるかどうか分からなかったから同時並行で準備を進めてた熊本市議選と、そのちょうど1年後の鹿児島市議選ぐらいですけどね。そこでいう「安定」も当然、当選するという意味ではなくて「なんとか供託金は取り戻す」という意味だね。都知事選は返還ラインのハードルが高くて没収はそもそも前提だったけど、その2つの市議選では、どっちも20票差くらいのスレスレで取り戻したんだ。だって一応ぼくは、「投票なんか行くな」と呼びかけてるわけでしょ? そこを踏み外すと幻滅されてしまう。だけど本音としては、せめて供託金は取り戻したい。選挙そのものを全否定する過激派というパブリックイメージを裏切らないようにしながら、最低限の票は集めなきゃいけないという非常にデリケートな、「難しい戦い」を要求されていたわけですよ。

 

 

逆卷 その後も、選挙に乗じてはイタズラをするという運動を各所でされていましたよね。

外山 まあ街宣車を手に入れちゃったから……

逆卷 どういう経路で入手されたんです?

外山 原発推進派の候補者を選挙期間中に街宣車で追い回して嫌がらせをするというアイディアがひらめいて、そのために次の国政選挙までに街宣車を入手したいと、いつ衆院解散があってもおかしくないと言われてた2012年の春ぐらいから思ってたんだよね。そしたら、ちょうどそのタイミングで街宣車を手放したいという右翼青年と知り合って、15万円で譲ってくれるという話だったから、これは買いだと。

逆卷 2012年末の衆院選が街宣車デビューですよね。原発推進派の選挙カーを街宣車で追い回して落選させるという。原発推進派懲罰遠征でしたっけ。

外山 とりあえず落選させることを目標にしていたわけではないんだけどね。落選させるのが目的なら、標的を誰か1人に絞って、徹底的にやります。ぼくは九州各地の10数人の候補者を、1人につき1日ずつと決めて、大移動を繰り返しながらやってた。一種の落選運動ではあるんだけど、真の目的は、こういう落選運動のやり方もありますよ、と全国の反原発派の諸君に気づかせることで、注目されないと気づいてもらえないから、わざわざいろんな工夫をして、むやみに面白くすることを最優先にしてたな。ぼくが頑張って誰か1人を落選させたところで全体の趨勢には何の影響もないけど、さらに次の選挙とかで、全国各地でそういう運動が展開されれば、話は違ってくるでしょ?

 

 

逆卷 でも、よく右翼の人は反原発の外山さんに譲ってくれましたね。

外山 元自衛官の若い人。詳しくは知らないけど、何かの問題で政府に腹を立てて、国会正門前だか首相官邸前だかで切腹を図って、もちろん死にはしなかったけど自衛隊はクビになって、あるいは自分から辞めた上でそういう行動に出たのか、ともかくそういう事件を起こして、その後は地元に帰って右翼団体を立ち上げたという変わった青年だった。知り合ったのは、ぼくの昔からの知り合いが熊本に山本太郎を呼んで講演会をやって、その打ち上げの席だったんだけど、講演会の時点では見かけなかった、もう風貌からして右翼だと察しがつくようなコワモテの若者が突然そこに現れて、もちろん山本太郎もその場にいたし、ヤバいかなと一瞬警戒したんだよ。そしたら、「自分は右翼の人間ですけど、原発には絶対に反対です」と言い始めてね。「講演もお聴きしたかったんですが、所用があり、せめて御挨拶だけでもと思って」と言うから、じゃあ座ってこれから打ち上げに参加し始めるんだろうと思うじゃないですか。そしたら、「この後、仲間たちと高千穂に登ってまいりますので、これで失礼します」って言って帰っちゃった。面白い若者だったなあと思ったけど、しばらくして別ルートで連絡がついて、街宣車を手放したいって話も聞いたんだよ。

厄介だったのは、くだんの街宣車は、その時点では彼が所有者ってわけではなかったことでね。何年か前に別の右翼の人に譲ってて、その人ももう手放したいと言うんで、初代の持ち主でもあるその青年も、誰か買い取ってくれる人を探す手伝いをしてただけなんです。ぼくが買い取るという話そのものは、あっというまに進んだんだけど、いざ引き取りに行ってみると、その2代目の所有者ってのが、どうやら幸福の科学の信者なんだよ。そうカミングアウトされたわけじゃないけど、幸福実現党のポスターとか貼ってあったからさ(笑)。だけど原発推進派ってことでしょ。まさに街宣車を譲り受けるという時にそれが分かって、譲渡のための書類を今から交わすわけだし、これはちょっとまずいな、と。なんせ、こっちは原発推進派を追い回すつもりで街宣車を入手しようとしているわけだからね。実際その場で、「譲るのはいいんだけど、一体どういう活動に使うの?」と聞かれてしまって、いよいよヤバかった。だけど嘘をついて、後から「騙された!」ってことになるのもまずいから、ちょっと返答に詰まって、でもどうにかアドリブで「悪い政治家をやっつけます!」って(笑)。

逆卷 嘘ついてない(笑)

外山 そしたら「頑張りなさい」と言われて、手続きも無事に完了した。誰を「悪い政治家」だと思うか、そんなのはそれぞれの主観の問題だ(笑)。

 

やっぱりね、直接会うことが大事なんだよ。」

逆卷 ところで、外山さんの活動としては選挙活動の他にも飲み歩きがありますよね。全国を回って飲み歩きされたと聞いてます。それも街宣車で移動してたんですか?

外山 そうだね。ぼくは都知事選の後しばらくは基本的に自分の拠点に引きこもってて、「一緒に何かをやりたい奴はそっちから訪ねてこい」的なスタンスでいたんだけど、まあネットとかを経由して訪ねてくる奴なんてろくな奴がいないわけで(笑)、これはいかんとなり、BARラジカル()を始めたんです。店という開かれた場所を拠点として、そこに訪ねてこいという形になったわけで、いろんな奴が来たけど、ただ今度は店番をやってるんで福岡から全然出られなくなってしまう。それがかなりストレスだった。だからその反動もあって、車の免許もすでにあるんだし、全国あちこちを回ってみたくなった、という。

※2011年3月18日に福岡市早良区西新に外山の友人が開業し、開店から約10ヶ月間、外山が「雇われ店長」的に常駐して接客していたバー。

 

BARラジカル、外観(当時)

 

BARラジカル、店内①

 

BARラジカル、店内②

 

逆卷 前に聞いた話だと各地の面白そうなロックバーを回ったりしてたんですよね?

外山 うん。ただ、最初は単なる飲み会をやってたんだよ。なんのツテもなかったんで、ツイッターとかで「何月何日何時に広島駅なんとか口改札前に集合」とか書いて、集まってきた人たちと近所の居酒屋に入って飲む、みたいな。そういうことを10数ヶ所でやってみたんだけど、新潟でやった時に、最初は笑笑だったか和民だったか、とにかく普通の居酒屋で飲んでたら、参加者の1人が「二次会はないんですか?」と言い出した。「やってもいいけど、どこか知ってる店とかある?」と聞いたら、「いい店があります」って連れて行かれたのが「大衆酒場ソクラテス」って店だったんだよね。「あの店です」って言われて看板の店名が目に入った時点で笑いがこみ上げてきたな。実際すごい面白い店だったし、もしかしたら全国各地にこういうヘンテコな飲み屋があるかもしれないと思って、その年はそれ以降、予定どおりに普通の飲み会をやりつつ、予定を入れてない日は各地でヘンテコな酒場を探訪するということも同時並行で始めたんだよ。そしたら案の定、次々に見つかって……

 

 

逆卷 どういう風に探したんです?

外山 「ヘンな飲み屋」で検索してもしょうがないし、単に検索で探り当てるのは難しいでしょ。そこで考えたのは、ヘンなミュージシャンの足跡を辿るという方法(笑)。最初は、ぼくのストリート・ミュージシャン時代の仲間で、今ではいわゆる「ミュージシャンズ・ミュージシャン」というか、つまり玄人受けするタイプの、数は少ないながらも全国各地に熱心なファンがいるという弾き語りの人がいて、全国各地の飲み屋でもライブをやってるから、彼のサイトで過去のライブ履歴を調べて、店名と住所を全部メモってね。そこを訪ねてみるという方法を取った。彼みたいなヘンなミュージシャンを呼ぶ飲み屋は、やっぱりヘンなはずだ、と。

他にも、友人の友人として面識がある程度なんですけど、やっぱり玄人受けのマニアックなミュージシャンを具体的に知ってて、よく飲み屋でもライブをやってるし、やっぱり多少なりとも変わった飲み屋が呼ぶんだろうから、そっちもライブ履歴を漁ってね。もちろん彼らがまだ行ってない地域もあるし、そういうところでは「○○市、遠藤ミチロウ」とかで検索してね。そうすると遠藤ミチロウがライブをやったことがある飲み屋の名前が出てきたりする。遠藤ミチロウを呼ぶような飲み屋もヘンに決まってるでしょう(笑)。

逆卷 (笑)。行き当たりばったりじゃなかったんですね。

外山 そうそう。遠藤ミチロウとかを呼んでるようなパンク好きの人がやってる飲み屋なら、ぼくが過去にやってきたことを武勇伝的に話すと面白がってくれがちなので、ある程度盛り上がってきたところで、「ぼくみたいなのを面白がってくれそうなマスターがいる飲み屋って、この近辺に他にありますか?」って聞くと、ネットでは出てこなかった情報をいっぱいくれたりする。そんな感じでわらしべ長者みたいに、次から次へと渡っていくという、そういう飲み歩きをしてた。ロックバーというのは、そういう探し方だから結果的にそうなってるだけで、もちろんいわゆるロック・スピリット的なものにこだわりがある人なら話の合う可能性も高いから、どうしても事前に何の情報も得られなかった場合には、とりあえず現地を歩き回って、ロックバーっぽい店構えの飲み屋を探したりもするけどさ。

逆卷 なるほど。確かにその方が外山さんの支援者になるポテンシャルを持った人に出会える確率が高そうですね。

外山 検索ワードをどう工夫すれば目的の情報にたどり着けるか、普段みんな考えるものでしょう? つまりもし似たようなことをやってみたければ、でかいハコでしかやってないようなメジャーどころは除外して、各自、このミュージシャンを好きな人となら話が合いそうだという、なるべくマイナーなミュージシャンの名前とかで検索してみればいいんですよ。しかし、「詩の朗読」というワードを思いついた時は我ながら天才だと思った。滅多にないんだけど、ポエトリー・リーディングのイベントを過去に1度でもやったような飲み屋が稀に検索に引っかかると、まず間違いなくおかしな店だもん(笑)。

逆卷 その活動を始めたのはいつくらいでしたっけ?

外山 2012年か、2013年か。この飲み歩きにはもう一つ意味があって、昔は「4年に1回」とかだった劇団どくんご()のツアーが毎年おこなわれるようになってまだ3、4年目だったから、客席がまばらな時も結構あって、だからどくんごの公演予定地に数日前に入って、あらかじめ営業しておくという、どくんごの工作員も兼ねてた。実際にそれで結構お客さんが増えた公演地もあったみたいでね。まあ自分のことより宣伝しやすいから。自分の宣伝はいやらしくなりがちでしょ。でも他人の宣伝なら……

 

 

今年(2020年)の初めに書いた「コミュ力をつけよう!」的な文章があるけど、あれは他の誰よりもまず我が政治組織のメンバーを念頭に書いたものなんだよね。もともとコミュ障だったぼくがここまで頑張ってきて、その挙句にネットアイドルにもなったんだから、君たちはぼくというネットアイドルの存在を利用して、もっと各地で足を使って宣伝しろ、と。ぼくが自分で自分の宣伝をするのは難しいんだから、ぼくがどくんごの宣伝をしているように、君たちがぼくの宣伝をしないでどうする、と(笑)。

※1983年に埼玉大学の演劇研究会を母胎に発足した劇団。外山曰く「最初は、テント芝居では必ず終演後にその場で打ち上げが始まるし、それを、ぼくが2001年当時にやってた、だめ連福岡ってグループの勢力拡大のために政治利用してやろうと思って、彼らの九州での公演を見に行ったんだよ。どうせかつていくつか存在したような極左系の、政治的イデオロギーまみれの芝居をやってるんだろうと舐めてかかってたら、めっちゃ面白かった。結果、すっかりこっちがどくんごの手先になるという(笑)」。

 

「界隈」をつくる

逆卷 今の話を聞いてても思うんですけど、外山さんにとっては飲み歩きも政治運動なんですよね。

外山 薄い支持層を広げるための活動ですからね。19世紀の昔から宣伝は政治活動の基本だし。

逆卷 そこが面白いなあと思う。今の人たち、特にネットの人たちって左と右みたいな大きなくくりでやりあっていて、敵を倒すことに血道をあげている感じがするけど、その時に味方を増やすことをあまり考えてないように見える。その点、僕は外山さんの政治運動は最初から仲間を増やすということに力を使ってきているように見えるんです。それこそ今年(2020年)やった緊急事態宣言下における街頭飲みとかもそうですよね。この前、富永京子さんとのトーク(※)で、95年のオウム地下鉄サリン事件の自粛時には何もできなかったけど、今回コロナ禍自粛ムードのなかでは一定のことはできた、と言ってましたよね。

※20201025日(日)「外山恒一 × 富永京子 社会運動史研究最前線!」高円寺パンディットhttp://pundit.jp/events/5058/

外山 今回は自分自身もできたし、そういう飲み歩きとかであちこちに作ってきたいろんな知り合い、友人、支援者とか、つまり「界隈」一帯で反自粛の動きがそれぞれ自発的に出てきた感じが良かったね。それは自分の、同調圧力的なものに簡単に屈したりしないような人を発掘したり、育てたり、それらをどんどんつなげて刺激を与え合わせたりという、ここ10数年の運動の成果だなと思いました。

 

 

逆卷 だから、街頭飲みを始めると急に外山さんがまた変なことをやりだしたぞって、面白おじさん的に見られがちだけど、外山さんの中ではずっと前から、それこそ反管理教育の頃からずっとやっていることの延長にすぎないんですよね。合宿(※1)であったり日本破壊党(※2)であったり福岡だめ連(※3)の活動であったり、もちろん真面目な要素はあるんだけど基本的にはそれぞれ飲み会的に意見の異なる人たちが同じ場を共有するきっかけを外山さんはつくってきたという印象があります。

※1 外山は2014年の夏以来、8月と3月の年2回、全国の学生向けに参加費無料、食住最低限保障の「教養強化合宿」を自宅で開催している。

※2  外山は1993年に「反共左翼革命結社・日本破壊党」を結成している。

※3 外山はぺぺ長谷川と神長恒一によって結成された「だめ連」を97年に九州へと「輸入」している。

外山 やっぱりね、直接会うことが大事なんだよ。コロナ禍で進んでいるのは直接会うことの否定であって、だからけしからんわけだけど、たとえば対立する立場の人が議論するにしても、実際に会って議論するのと、ネット上で議論するのとでは、全然違うんだよね。直に会って議論した場合、言葉を間違えたりしてこじれちゃうと殴ったり殴られたりする展開もありうるわけだ。だからこそ緊張感がある。結局、そういう緊張感なしの議論って決裂したら「はい、さようなら、ブロックします」みたいな感じになるだけで、化学反応的なことはほぼ起こらない。

それこそうちの合宿に集まってくるのは毎回10人くらいなんだけど、大雑把にいうと、2人が単なるミーハーで、4人くらいが単に向学心旺盛な学生、あとの多少なりとも政治的な4人のうち3人が左派で1人が右派、みたいな感じが平均的なパターン。そういう連中が10日間もここで過ごしていれば、何かしら化学反応が起こる。そのためにも、ぼく自身は学生同士がだべってたりするときは2階に引っ込んで席を外すようにしてるんだよね。学生同士が勝手に交流してる方が大事かなと思って。

 

 

逆卷 その場合、外山さんの存在も合宿も、立場の違うやつらが一堂に会するための口実ってことですよね。それはミニマルな政治だと思う。コロナ禍以前からですけど、違う立場にいたり、違う考えを持っている人間が交わりづらかったりする状況ができているじゃないですか。クラスターというのがまさにそうですけど。

外山 ただ最近の若手、うちの桜子(※1)なんかもそうだけど、人と関わること自体が嫌だっていうタイプが多い。でも、それじゃあ運動できないよっていう(笑)。ぼくが10代の頃に反管理教育運動(※2)を始めた時も、いろんなとこ行って面白い奴を探すところから始まったし、いくら結果的には無駄足が多くなるとしても、そういうのが運動の基本だと思ってたからね。いろんなところに懲りずに顔を出すことを億劫だと思うような人は……まあ少なくとも活動には向いてない。

※1 山本桜子は外山が率いるファシスト政党「我々団」の芸術部門担当を自称。芸術弾圧誌『メインストリーム』編集。https://twitter.com/saqrako

※2  外山は10代の頃より反管理教育のための政治活動を行なっていた。その結果、高校を中退している。

 

 

逆卷 そうですね(笑)。二日連続で、Gallery Soapで宮川敬一さん(※1)やBABU(※2)と話してたんだけど、アートって居酒屋だよね、って宮川さんたちが言ってて。実際、宮川さんが二〇年余りSoapでやってることって、アート関係者に限らないいろんな有象無象が集まって毎日のように飲み会をやり続けてるようなものですね。その延長線に制作や展示がある感じ。仲間を増やす、つながりをみつける、という観点から言うと、アートと政治運動の境界は曖昧だなと思う。宮川さんたちがやっていることに政治性がないかと言えばそんなことは当然ないわけですし。

※1 小倉のギャラリーSOAPのオーナー、アーティスト。

※2 小倉を拠点に活動するストリートアーティスト、スケーター、タトゥーイスト。

外山 そうだね。どくんごにシンパシーを感じたのも、彼らが打ち上げというものをすごく重視していたからというのがある。ぼくも多少は縁があった従来の極左系のテント芝居は、もちろん打ち上げは毎回やるんだけど、全体的にイデオロギー的な側面が優先されてる感じがあって、集まってきた人たちを自分たちのイデオロギーのもとに組織化しようとしてる印象を強く受けてたんだけど、どくんごにはそういう感じがなく、そもそも芝居自体がイデオロギー的でもなく、いろんな領域からいろんな人が客席に集まって、打ち上げにも残って、化学変化が起こることの触媒になるという、それこそが、芝居という形態でおこなわれている自分たちの運動の成果なんだってふうに彼ら自身が肯定してるように見えた。そこにシンパシーを感じたんだよね。

逆卷 だから、合宿では詰め込み型の勉強をメインにしつつ、飲み会も大事にしている。外山さんの分け方では左翼がロジックであるのに対し、右翼はロマンなんですよね。実際、飲み会はロジックじゃない。同じ空間を共有して一緒の盃を回し飲みするみたいな、言語的なロジックを介さずとも仲間であると感じられるような場であって。

外山 交流の中で化学反応が起こることが楽しいんだからね。今もここを拠点に不定期に飲み会をやってるけど、ここにはさっき言ったように右からも左からも人が来る。お互いあまり対立陣営の人と会う機会がない人たちだから、ここで会うと議論にもなりはするんだけど、そのうち馬鹿話とかになっていって、徐々にイデオロギー的なところを超えた雰囲気だったりメンタリティだったりが互いに分かってくる。そういうこと自体が重要だとも思う。そもそもファシズム運動ってのは右と左とが影響を受け合わないことには始まらないので、そういう意図もあるっちゃあるけど、具体的にやってることはただの飲み会なんだ(笑)。

 

 

思想ではなく、同じ場を共有しているものが仲間

逆卷 今、ファシズムの話が出ましたけど、外山さんが言われているファシズムは一般的に理解されているファシズムとは少し違うわけですよね。それこそ今のSNSなんかを見ていると、リベラル派もネトウヨもみんなすごく一色に染まりやすくなっていて、その光景は全体主義のように見えたりもするわけだけど、外山さんの飲み会はそうじゃないわけで。外山さんの考えるファシズムでは参加者が一つのイデオロギーに束ねられる必要はないんですか?

外山 世間ではファシズムが誤解されてるんだよ。ファシズムの歴史を調べてみると、そもそも元祖のムッソリーニがやっていたことだって、イデオロギー的では全然ない。ムッソリーニのファシスト党の結成集会からしてそうで、いろんな奴が集まってて、それぞれ言いたいことを好き勝手に言ってて、互いに矛盾するようなことがさんざん言われてさえいて、ただ、そこに集まって場を共有し、一緒に熱くなって盛り上がってる。だから我々は仲間なんだ、と。これが本来のファシズムなんだよね。内容とかは二の次なんだよ。

 

 

逆卷 フランス革命の標語の「自由、平等、博愛」について、あの「博愛」とは本来「fraternity」であって、「友愛」とか「同志愛」と訳すべきだというのはよく言われてますけど、外山さんはむしろ「団結」と意訳して捉えた方がいいんだと、2020年頭の文章にも書かれてましたね。

外山 そう。だから重要なのは「仲間」なんだよね。ファシズムというのは確かに仲間と仲間ではない奴をはっきりさせるみたいなところはあるんだけど、そこでいう仲間というのは別に考え方や思想を共有しているのが仲間なのではなくて、同じ場を共有してる奴が仲間なんだよ。

逆卷 そこらへんは右翼的ですね。

外山 右翼というのは理屈ではないからね。理屈に反発する人が右翼になる。全てを理屈で切るんじゃない!っていうメンタリティが右翼の基本。

逆卷 ということはつまり、外山さんの合宿では昼は左翼になってお勉強をして、夜は右翼になって飲み会をしているわけですね。

外山 まあ……、右と左の間の対立はあるんだけど、右と左も当たり前だけど色々いるんだ。そもそも、お互いに相手のことを「こういう奴ら」と決めつけすぎで、実際にリアルに会って話したら全然イメージが違ったりするんだから。実際にネトウヨの人とかに会うと「支那人が~」とか言い出したりするし、左翼的な人はいきなり反発しちゃうわけだけど、そういうところは適当に聞き流して、なんでそういう問題に興味を持ち始めたのかみたいなところから色々と聞き出していくと、その人の表層的なところじゃないとこが見えてくる。そこを大事にすればいい。

在特会みたいなのを敵だとして潰せばそれでいいかといえば、そういうものじゃないからね。彼らがなぜそっち側なのかということを分からないと彼らを変えることだってできないわけで。そうでないと運動にもならない。やっぱり在特会みたいなものが本当にダメだと思うなら、彼らを変えるということを追求していかなきゃいけないわけだよ。まあ、とはいえ、なかなか話しても埒が明かないネトウヨも確かに多い。ただ、逆にネトウヨも目の前に左翼の人がいて話をするときにはやっぱり自分を相対化して話をせざるをえないでしょう。そういう経験を繰り返していくことだよね。

 

 

逆卷 人は変わりうるということですよね。実際、生まれてから死ぬまでに人はどんどん変わっていく。ある時点でネトウヨになったり、PC的な価値観にがんじがらめになったりしても、ずっとそのままとは限らない。出会い方次第で、何かが変わるかもしれないわけです。

外山 たとえばぼくはもともと、共産党から排除されて新左翼と呼ばれた人々、つまりいわゆる過激派の末裔だし、共産党こそ絶対悪だと思ってるけど、とはいえ共産党に入ってる人とか、共産党シンパの人とかとも機会があれば交流はしてるんだよ。敵だ、悪だ、潰せ、と仮にしてみたところで、現時点では実際にそこにそういう人たちが存在しているわけだから。ただ、最終的にファシズム革命政権樹立の日、「審判の日」にまだ共産党員だったら弾圧の対象だけど(笑)。

 

軽率な奴じゃないと政治活動なんてできない

逆卷 ところで飲み会では参加者同士の恋も起こったりするわけですよね。

外山 まあ若い連中が集まれば当然そういうことも起こるでしょう。ただ、そこでの関係がこじれて、後からセクハラだなんだと問題になったりしたら鬱陶しいなあとは思う。PCの問題は厄介ですよ。

逆卷 人間関係は実際のところ一人一人の具体的な関係であって、それぞれに事情があるから一般化は簡単にできないはずなんだけど、セクハラなるワードはそれを一般化して単純化してしまうところがありますよね。実際、そこにはもっと色々あるはずで、セクハラとして糾弾されるに至るまでのプロセスも全然違う。途中までは良かったのに最後だけでダメになっていたり、あるいは最初からダメなやつもいたり、色々ある。外山さんは一貫してPCには批判的で、個別の問題を男女の問題に一般化するな、ということを訴え続けてきた。

外山 PCが一般的にも問題として注目されるようになったのは最近だけど、もともと90年代に入る前後からPCは問題になり始めてたんだよ。「言葉狩り」というワードはもっと以前からあるし、その欧米版としての「PC」という言葉も、『政治的に正しいおとぎ話』っていうPCを茶化したような本が90年代初頭にベストセラーになったこともあった。言葉狩りにしてもPCにしても左翼が始めたことで、ぼくはそういうのに対してずっと批判的だったし、9293年ころから「異端的極左活動家」を名乗ってもいたんだけど、何が異端なのかというと反PCであるということだったんだよね。

逆卷 その後、左翼はどんどんとPC的な方向に傾いていきましたからね。

外山 それでぼくは左翼をやめてファシズムを掲げることにしたわけだ。最近もぼくはあちこちで反PCを口にしてて、まあ批判的なまなざしを浴びるんだけどね。大体さ、若い男子が自分好みの女子と二人きりになる機会があり、良からぬ衝動に突き動かされて相手を押し倒してしまったとして、その行為の是非はともかく、しかしそういう振る舞いに絶対に及ばないような奴に政治活動が担えるかという話なんだよ。軽率な奴じゃないと政治活動なんてやらない。冷静に将来のこととかを考えたら政治活動なんかに関わらない方がいいわけで、なのに一時の衝動につい身を任せて、「許せない!」とか言って決起したりして政治活動家になっていくわけでしょ? そういう人は生活の全領域でやっぱりそういうタイプなはずだし、だから怒りに任せて政治活動をやりつつ異性関係も潔癖なんていう、そんな奴はいるわけないんだよね。政治活動は普通は後先を考えず衝動的に始めるんだから、そんな奴は異性関係でもたまについ衝動的なことをやらかしちゃうのがむしろ自然でしょう。それをセクハラだと言っていちいち排除してたら、まともな活動家はいなくなるぞと思う。

 

 

逆卷 それはそれですからね。菅野完さんとかもそうだけど。

外山 彼はめちゃくちゃ優秀な活動家だよ。人を口説くのが本当にうまくて、まああくまで左派系の運動関係者たちの間で広まってる定説というにすぎないですけど、次々に周りの女性に手を出して、節操がなかったらしい。ただ、そういう人だからこそ籠池夫婦をたらしこんで、政府に都合の悪い秘密情報を聞き出したりもできたわけですよ。

逆卷 口説きのテクニックがね(笑)

外山 ある人の同じ部分が、時と場合によって、良いふうにも悪いふうにも出る。左派的なモラルに合致する出方だけ期待しちゃダメなんだよ。

逆卷 問題が起こったらそこはそことして個別に話し合って解決していけばいいわけですしね。

外山 そう。何か問題を起こしたら周りから顰蹙を買って、半年くらいシュンとしていればいい。よっぽどひどいことだったら別だけど、たいていの場合はホトボリってものがあるでしょう。

逆卷 外山さんは牢屋の中にいたわけだし(笑)

外山 ぼくは復活したけど普通は2年も投獄されるとこまで追い込まれたら潰れるよ。菅野完にいたっては運動への出入り禁止だからね。永久追放ってことでしょ。どうかと思うよ。本来、左翼は犯罪者の更生を認めないような刑事司法には批判的なはずじゃないのか。でも自分たちの世界に限っては、一度でもそういうチョンボを犯したら終身刑なんだから。更生の可能性なんか全く認めてない。

逆卷 外山さん更生は?

外山 大いにしてないです(笑)。

 

路上の人民たち

逆卷 ここまで聞いてきた飲み会的な運動も含めて、外山さんは芸人ではないわけなので、「面白主義」を目的としているわけではなく、それを政治の手段として採用しているわけですよね。それはやっぱり、運動史を意識してのことでしょうか。つまり、まず全共闘のようなガチのベタな政治運動が盛り上がった時期のあとに浅田彰や糸井重里のようなシラケ世代が登場して、以前の運動のありかたが否定された状況のなかで、外山さんはなにかを始めないといけなかった。全共闘のような運動を繰り返してもしょうがない、というのが大きかったんです?

外山 まあ……始めはそういう脈絡はよく分かってなかったですよ。ただ、89年、90年くらいの頃は、まだ中核派とか革マルとかってのがそれなりに存在感があって、若手の活動家の周辺にはそういうのがすぐに忍び寄ってきていたんだよね。そういう環境で政治運動をやっていると、混同されるわけです。過激っぽいことを言ってるとますますそう。そこで差異化を図ったというか、そこまで意識していたわけでもないけど、彼らと一緒にされてはいけないということが、仲間を集めていく上での当たり前の大前提だったからね。そうでないと、「またなんか危ない連中が危ないことをやってる」と思われて終わってしまう。

 

日本破壊党のビラ(1993年)

 

逆卷 彼らとは違ってそんな危ない運動の話じゃありませんよ、と。

外山 そう、危ないと思われないようにするのはすごく重要だった。それこそSEALDsとかがああいう感じにしてたのもそういうことでしょう。ただ、そこで間違えてはいけないことがあって、危ないと思われたくないからといって、主張や活動そのものを、本音を曲げて穏健にするというのではダメなんだよ。

逆卷 もちろんそうですね。

外山 こっちははっきりと過激な思想を持っているわけで、そこは曲げずに訴えなきゃいけない。ただ、それを受け取る側に「これは今までの連中とはなんか違うぞ」と感じさせる方法を追求してきた。その結果として「面白主義」なんです。今やもう修行が進んで、「絶対危ないに決まってるけど面白そうだ」って感じを苦もなく提示できるぐらい洗練されてきた(笑)。

逆卷 方法論として確立されたのはいつ頃なんです?

外山 20代のうちから試行錯誤を繰り返して、方法論を言語化する努力もしてきたつもりだけど、都知事選はやっぱり大きかったかな。あの時は選挙期間中毎晩、高円寺駅前で集会をやったんだけど、最初のうちは誰も警戒して近寄ってこなかったんだよね。数日目に政見放送が流れてからも、しばらくはそう。遠くからこちらの様子を窺ってる奴がたくさんいるのは分かるんだけど、なかなか寄ってこない。それが5日、6日と経つうちに、徐々に近寄ってくる奴が増えて、そのうち毎晩何百人に取り囲まれるようになった。で、そいつらが次から次へと質問を浴びせかけてくるわけだけど、とにかく次から次だから、1つの質問に長々と答えてるわけにもいかないでしょ。二言三言で気の利いたコメンントを返して、「はい次!」とさばいていかなきゃいけない。まさに千本ノック状態で、それが都知事選の終盤1週間ぐらい、毎晩5、6時間続く。もともと文章を書くのは得意だったけど、喋りは苦手で、自分にそんなことができるとは全く思ってなかった。しかし、やるしかない状況に追い込まれたら人は何でもやるんだね。それ以降、何の準備もなく人前で話すことに全く抵抗がなくなった。

 

 

逆卷 暴露療法的な感じですね(笑)

外山 そうだね。政見放送自体は、稽古ありの一人芝居だからコミュ力なんていらないんだよ。でも、それで人が集まってしまったがために、強引にコミュ力を鍛えられることになった。

逆卷 ただ、それ以前にもストリートミュージシャンとして路上ライブをずっとやられてましたよね? 路上ライブもまた政治活動の一環だったんです?

外山 最初の目的は仲間集めだった。18くらいの時に「よかトピア」という、正式には「アジア太平洋博覧会」だったか、行政主導の大きなイベントが福岡で開催されたんだけど、そういう時って左翼系の市民運動家は何だかんだ難癖をつけて反対運動をするもんなんだよね。その時も「よかトピア」に対抗して、今の福岡市役所らへんにあった広場で、左翼の市民運動家たちが3日間くらい「真のアジア太平洋博覧会」的なイベントをやる、ということになったみたいでさ。その事前の宣伝のビラ撒きに際して、ただビラを撒いてるだけでは人が受け取ってくれないからって、「そうだ、外山くんはギター弾けるらしいし、ちょっと横で弾き語りしててよ」って言われたんだ。「そんなこと言われても、ブルーハーツしか弾けないですよ」って言ったんだけど、「いいからやってよ」ってことで、初めて往来で弾き語りをやったんだよ。

実際にやってみたら、当時のブルーハーツは世の中に多かれ少なかれ確実に苛立ってる若者が聞く音楽だったこともあって、ブルーハーツを歌ってるだけでそういうタイプの若者がどんどん声かけてきてくれてね。お、これは使える、と。それでその後、市民運動家たちのイベントとは無関係に、天神の街頭で弾き語りを続けた。案の定、同世代の若者たちとも次々と知り合いはしたんだけど、なんかお金を置いていってくれる人もいて……それがいけない。あれ?と思って帽子とか置いてみたら、どんどんお金が入る。「これは食っていけるじゃないかっ!」となり、最初は西鉄福岡駅前でやってたんだけど、すぐにもっとお金が入りそうな、当時はすごく賑わってた、飲み屋街の親不孝通りに移って、もちろん時間帯も遅めにして、そしたらますます儲かるようになり……、まあ堕落の一途です。

 

 

逆卷 それは堕落ですね(笑)

外山 で、だんだんと同じように街頭で歌う人が増えてきちゃって、そしたら客が分散して、1人あたりの儲けは減るでしょ。それでまだ他に誰もやってなかった中洲に移ったの。中洲だしヤクザとか出てくるのかなと思ったてら、まったく来ないんだよね。若者の飲み屋街だった親不孝通りと比べて、飲んでる人の年齢層も高いから、ますます儲かるようになった。しかし、ぼくがやって安全だと分かると、他の奴らもどんどんと中洲に移ってきて、そうするとまた儲からなくなっていく。しょうがないからそれまではブルーハーツとジョン・レノンと忌野清志郎くらいしか演ってなかったんだけど、そのポリシーを捨てて「なんでも演ります」みたいに転向して。長渕をやれと言われれば長渕も演ったし、松山千春も演ったし、「神田川」だの「なごり雪」だの毎日のように演ってたし……、まあ堕落の一途です。

逆卷 (笑)。ただ、それが外山さんの生活を支える大事な収入源だったわけですもんね。

外山 そうそう。しかも労働時間はすごく短い。そもそも毎日8時間歌い続けるなんて声が続かないし、無理だからね。週4日ぐらい、13時間とかで十分生活できた。ギターさえ持参すれば旅先でもやれる仕事だし、それであり余った時間を活動につぎ込むこともできたわけだ。18の終わりから、5年ぐらい前に声を潰してしまって辞めるまで四半世紀以上、主にそれで食ってたよ。

逆卷 路上ライブが最盛期の頃には雑誌の『SPA!』 とかでも取り上げられて、サブカル的な文脈で書き仕事もされてましたよね。

外山 そうだね。ただ、ライターの世界で多少なりとも思想的なことを書いたりしながらも、現実の生活ではモノホンの大衆の人たちと共にあるという状況で、どんどん内面的に分裂していったんだ。お金を入れてくれる通行人の酔客ももちろん大衆だけど、それ以上に、日々交流があるストリートミュージシャン仲間たちが、ことごとく大衆なんだよ。それまで反管理教育の運動とかで知り合った政治系の同世代との関係は、ごく数人を除いてその頃には疎遠になってて、そういう話題を何ら共有できないモノホンの下層の人民の若者と日々付き合ってね。これはぼくがオウム事件の時に問題意識を言葉にできない失語症的な状態になってしまったという伏線にもなっているんだけど。「この人たちに通じる言葉がないよな」みたいな絶望があった。

逆卷 社会とか政治とか大きなことには興味がなくて、目の前のリアリティしか持っていないような人たちってことですよね。そういう人たちとの交流はきつかったんです?

外山 きつかったし、それこそね、もう、露骨な差別発言とかも日常茶飯事なんだよ、彼らは。そういうこと言っちゃいけないことくらい小学生の時に学べ、みたいに思うんだけど、いちいち注意したりすると角が立つしさ。

逆卷 確かに、外山さんは10代の頃から政治活動をしていたから、言っちゃえば政治的意識が極端に高い人たちとの交流を続けてきたわけで、路上に出て、そういう意識をまるで持ってない人と、ある意味では初めて付き合うようになったわけですもんね。

外山 そう、完全なる人民と。でもそれは、ぼくの中ではリアルタイムではきついことだったんだけど、いいことでもあったと思う。ただ政治活動とかだけをやっていると、その世界の中だけで人間関係が完結しがちだし、特に東京とか京都とかだとそうなりがち。福岡の場合はそこで完結したくても、そもそもそういう人が少ないからね。一定の問題意識を共有している奴だけで何十人も集まるということが、実際ありえない。だからその意味では、福岡でやり続けてきたということが、ぼくのバランス感覚を狂わせなかった大きな理由になってるかもしれない。

東京に行けば、それこそぼくみたいに極端なスタンスを取っている奴でも、ちょっと呼びかけたら数十人とか集まっちゃうし、ぼくですらそうなんだから、もっと穏健な政治活動ならもっと集まっちゃうよ。そういう環境だと、「みんながこんなに安倍政権に反対しているのに選挙ではなんでこんなに与党が勝っちゃうんだ!? 分かった、開票が操作されてるんだ!!」みたいなことになっちゃうわけでしょう。地方でやってりゃそんな勘違いしませんよ。3.11後にSEALDsとか反原発とかが話題になっていた頃でさえ福岡では全くそんなもの盛り上がってなかったもん。

 

 

逆卷 国会議事堂がないですしね(笑)。当時は人民との連帯を目指そうとはしなかったんですか? 初期の共産党みたいに。

外山 それ以前の反管理教育運動の頃は普通に人民との連帯を考えてたよ。ただ、その発想が消えたのもオウム事件の影響が大きい。あの時に、オウムに対する警察の不当な弾圧、つまり微罪逮捕や別件逮捕が連発されるのを当然のごとく支持している、リベラル層を含む人民の姿を見て、「あ、人民は敵だったんだな」と思い知った。それまでも薄々そう思わないでもなかったけど、それでもこのどうにも分かり合えそうにない人たちの中に入っていかなきゃいけないんだし、みたいに普通の左派的な発想で動いていたんだけどね。

 

「現実の怒りと妄想的人格が重なった時に運動が始まる」

逆卷 「人民の敵」誕生の瞬間ですね(笑)。ただ、思えばずっと外山さんは人民の中で浮いている変な奴を探して、日本中を回られてきたのかもしれないと感じました。実際、88年くらいの頃、まだ学生だった頃から外山さんは全国ヒッチハイクの旅をしている。とにかく外に出て行って仲間を集めようとしてきた人っていう印象です。

外山 学生時代というか、大学は行ってないんで高校時代ってことだけど、福岡では本当に孤立して運動してたんだよね。だけどやがて1人だけ広島に同世代の面白い奴を見つけて、さらに情報通だったそいつに誘われて、東京で半年おきに開催されてた新聞部員たちの合宿に参加したらいろんな奴が全国から集まってて、そこには変な奴がいっぱいいた。こうなると、各地にそういう奴がいて、それぞれ地元では孤立してもいるだろうけど、実はそういう連中をつなげるネットワークがこんな形で存在していて、互いに互いをライバル視してるような感じもあって……という状況が楽しくなってくるんだよ。まだまだ発掘できていない猛者が各地にいるんじゃないか、とも考えるよね。アイドルのスカウトみたいな感じ。あるいは『ドカベン』みたいな野球漫画の感覚。「鳴門の牙」と呼ばれてる奴が高知にいるらしいぞ、一体どの程度の奴なのか、行って探し出して確かめてやろうじゃないか、みたいな。

実際、だいぶ遅ればせながら20代半ばに『ドカベン』にハマった時に思ったことなんだけど、ぼくにとって「運動が盛り上がっている」という状態のイメージがまさに『ドカベン』なんだよね。各地に猛者がいて、それが年に1、2回開かれる全国大会とかに一斉に結集する、いろんな試行錯誤をやってる奴が各地に散らばって点在していて、それがたまに集まって激論する、みたいな。当時の全国高校生会議()はそういうものだった。だけど高校生会議をやったことで、みんな東京に縁ができちゃって、それまではそれぞれ地方で孤立しながらやってたのに、高校生会議でできたツテを頼りにみんな東京に出てしまったんだよ。一堂に結集させたことが、かえって東京集中を加速させてしまって、それがぼくには納得いかなかった。だから、ぼくも本音では東京に出たかったけど、いやいやここで東京に出てしまったら苦労して全国的なネットワークを作った意味がないってことで、福岡は全然つまらないと思いながら、意地でも福岡にとどまり続けたわけだ。

文中の「新聞部員たちの合宿」から過激な部分が分岐し、89年から91年にかけて、反管理教育や反原発をテーマに戦う全国各地の中高生を組織した運動体。外山はその主要活動家の一人だった。

 

 

逆卷 なるほどなあ。『ドカベン』が理想というのは面白いです。政治運動は一人じゃ当然できないですしね。仲間が絶対に必要で、人称は「I」じゃなくて常に「WE」なんですよね。まさに「我々団」。そういう意味でも外山さんの活動というのは、学校に馴染めなくて、疎外感を抱いて、その寂しい気持ち、この違和感は自分だけなのかみたいな孤独、その孤独に抗するみたいなところを出発点にしてるのかなとも感じます。

外山 どうなんだろうね。中学は私立のかなり変わったところで、社会研究部とか、実際には現代史研究部と言ったほうがよさそうな歴史研究部という部活があったりして、そこの連中が熱くなって天下国家を語り合ってたし、全国各地に反体制的な運動がたくさんあることも、レーニンというあだ名の教師から社会科の授業で教わっていたわけだしね。むしろ周りにそういう熱い連中がたくさんいたので、ぼく自身は中学時代は政治や社会にはまったく関心がなくて、そういう話はこういう頼もしい連中に任せておけばいいと安心してた。でもまあ、各地の反体制運動の詳細を週に何度も聞かされるという形で一種の人権教育を受けてもいたわけだから、別の系列の高校に進んで、しかもいわゆる管理教育の全盛期で、人権も何もないような環境に放り込まれたら、やっぱり声をあげなきゃいけないんじゃないかって思っちゃうわけだ。で、声をあげてみたら、まあ動くのはぼく1人ではあったけど、共感を示してくれるぐらいの奴は現れたりするし、学校の帰りに色々な不満を言い合ったりはしてた。だから、自分がなんか特殊なことをやっているとか、特殊な問題意識を持ってるとかいう感覚もあまりなかったんだよね。

逆卷 外山さんにとっては自分が生きやすくなるように周囲を変えていくということが自然なことだったのかな。当時だとまずは学校がその周囲になっていたわけだけど。

外山 中学生の頃から、山中恒の『ぼくがぼくであること』とか井上ひさしの『偽原始人』とか、親や先生の理不尽さに子供達が抗して立ち上がるような小説を熱くなって読んではいたから、そういうのに結構刺激されていたのかもしれない(笑)。自分が立ち上がれば、周りも立ち上がって、小説みたいになるんじゃんないか、と。

逆卷 それは正義感が中心だったのか、あるいは一種のヒーロー意識みたいなものがあったのか。

外山 まあ両方かな。現にひどい目にあっているわけだし。こんな理不尽は許せんって怒りは当然あって。同時に小説で仕入れてたようなイメージというかね、ヒーロー願望みたいなものもあった。その後に知り合う仲間たちにも「叛逆のヒーローになるんだ」的な妄想の持ち主は多かったよ(笑)。

逆卷 そういう意味でも外山さんはフィクションを現実に持ち込んで、現実をフィクション化していく人なのかもしれない。

外山 現実とフィクションの区別がつかないやばい奴みたいだ(笑)。ただ、妄想は大事だと思うけどね。現実的な怒りと妄想的な人格が重なった時に運動が始まるという気がする。そういう意味では妄想的に叛逆のヒーローを志すというのは珍しくなくて、ただ普通はそういう妄想を抱いた人はパンクバンドを始めたりするんだよ。今ならヒップホップなのかユーチューバーなのか、知らんけどさ。

逆卷 でも外山さんはなかなかバンドを組まないですよね。組んでもすぐ解散してる。

外山 うーん、もしかすると、たまに会っての飲み会とかではない、バンドみたいな持続的な関係になってくると、ぼくも多少はイデオロギー上の一致を求めてしまうんじゃないかな。

逆卷 それは我々団に関してもそうなんですか?

外山 我々団に関しては一応、建前的にもイデオロギー的一致を求めてるからね。だから広がらないっていうのもある。ただ最近はそれでもいいかと思ってはいてね。なんかこう、限定していくような集まり方を一方では志向しつつ、それとは別立てで運動の裾野を拡張していくようなことを進めていくみたいな感じでいいのかもな、と。

逆卷 入団のハードルも高いですしね。外山さんの書いた文章を暗唱できるようにならなきゃいけない、とか(笑)。

外山 文章じゃなくて、綱領だけどね。原稿用紙1枚分もない程度の。あと暗唱じゃなくて、穴埋め問題にしても解けるようにしておけ、と。

逆卷 それはDPクラブ()が有象無象まで巻き込みすぎて最終的に解体されてしまった経験もあるからなんですかね。

外山が高校中退後すぐに結成した、「反管理教育」を掲げる中高生グループ。

 

 

外山 それもあるかもしれない。だけどそもそも、集団的な運動がうまくいった経験が、ぼくには全国高校生会議しかないんだよ。並行して福岡でやってたDPクラブではぼくがリーダーだったけど、高校生会議ではぼくはリーダーではなくて、リーダーを支える中心メンバーの1人というか、ナチスで言えばゲッベルスとかヒムラーとかの役回りだったし、たぶん自分がリーダーになって組織を運営していくということが向いてない。さっきも言ったように、自分の組織を大きくすることはできないんだけど、どくんごの手先としては我ながら優秀だと思うしさ。これまでは、組織を作るということを、向いてないなりに自己流でやろうとしてきたけど、正直、いまだにどうすればいいかわからない。ぼくみたいに個人活動を延々とやってきたような奴じゃなくて、中核派をやめた奴とか、組織の経験がある奴がトップに立たなきゃとダメだなって思ってる。高校生会議も、事実上のリーダーみたいな人はいたけど基本的には個々に自立した活動家のネットワークでしかなかったし、要するにぼくは組織の中で動いたことがないから。

逆卷 でも党勢拡大にこそ繋がってはいないですけど、オウム事件の時にできなかったことがコロナ禍ではできたわけで。ゆるいつながりみたいなものは広がっていっている気がします。

外山 核の部分は広がらないけど「界隈」みたいなものはすごく広がってる気がするね(笑)。

 

 

政治活動家はすべてを政治に変える

逆卷 色々と聞いてきましたけど、最後にまとめると、僕はやっぱり外山さんが集団を創りだすということに重きを置いているところに面白さを感じているんです。九州炭鉱のサークル村(※)の活動に際して谷川雁が「集団創造」という言葉を使っていますよね。要はサークル村では個人が何かを書いたとしても、それはサークル村という環境の中で生まれたものであり、集団でつくられたものである、と。これは非常に面白い見方だなと思うんだけど、僕は集団創造には集団を創造するという側面も見出すことができるんじゃないかと思っているんです。さらに、その時の集団創造は実際に政治運動をやる前の前提となる前政治的なもの、あるいは政治の条件の構築とも言えるんじゃないか、と。

※1958年から61年にかけて、炭鉱労働者を表現でつなぐことを目指し、筑豊地区を拠点に行われた文化運動。

というのも、さっき話にも出たように政治は一人ではできないんですよね。集団がなかったら政治って成り立たなくて、だからこそ集まるのが大事。だから外山さんが政治活動家として行っている飲み会や展示は、前政治的な集団「界隈」の創造に向かっているようにも思うんです。

外山 集団を創ることもそうだし、集団で創ることもそうだし、そうしたもの全てを包摂する出来事が革命なんだと思う。ストリートミュージシャン時代の初期の密接交際人民の中に一人、小賢しいインテリみたいな奴がいたんだけど、そいつがなんかの飲み会の時に「映画こそが総合芸術だ」とかくだらないことを言ってたんだよね。その時にぼくは内心、「何を言ってるんだ、革命こそが総合芸術だろう」と思った。革命の中には映画も含まれているし、飲み会も含まれているし、小説も含まれているし、とにかくいろんな奴がいろんなやり方で社会に関わっていって、それらの連鎖反応の先にフランス革命や68年の運動がある。つまり革命こそが総合芸術なんだよね。

逆卷 今回のインタビューのタイトルが決まりましたね(笑)。要するに外山さんの一連の活動は全て革命の名の下において繋がっていくんだ、と。

外山 最近、小野田襄二って人にあらためて注目しているんだけど、この人が昔、面白いことを書いていてね。要約すると、たとえば小説家なり演劇人なりの芸術家が飲み屋でクダを巻いていても、それは別に文学活動でも演劇活動でも何でもないんだけど、政治活動家が飲み屋でクダを巻いている場合、それ自体が政治状況や運動状況に影響を与えうるんだ、と。「酔っ払ってこんな本音を言ってた」とか、あるいは単に「最近あいつは酒に溺れてる」ということでも、噂が広がったりするのは政治的な作用を及ぼしかねないでしょ?

この小野田襄二は全共闘運動の直前ぐらいの時期まで中核派の大幹部だった人なんだけど、たぶん中核派幹部時代に、どっかの大学に用があって顔を出したら、たまたま見かけた別の党派の学生のシャツがものすごくくたびれていたらしい。そこで小野田はかわいそうだなって思って、なんとなく新しいシャツを買って渡したそうなんだよね。別に小野田はそれで何かを意図していたわけでもないんだけど、そんなさりげない行為も、情報の伝わり方次第では強力な政治的メッセージになりうるんだよ。活動家にとっては日々24時間のあらゆることが、意味を持ってしまう可能性がある。20代前半の時期に読んだ、小野田のその文章には影響を受けたね。

逆卷 実際、外山さんの本棚って色々な本がありますよね。あからさまに政治系の本ばかりではなくて、ダウンタウンのVHSとかまである。でも、この空間ではその全てが政治的なんですよね。外山さんの本棚にあることで、政治的なポテンシャルを持ったものになっている。

外山 あらゆるものがこの時代を彩っているわけだからね。今日は、政治活動家であるぼくが「ギャラリーで個展を開く」って形で芸術の領域に近々登場することが最初の話題になっていたけど、逆を言えば左右の政治活動家が芸術とかに一切興味を持ってなかったりするとしたら、その方がありえない。いやいや、あらゆるものが関係してくるだろう、と。あるいは、反レイシズムの街頭行動のような露骨に政治的な場に参加してない人間をサブカル呼ばわりするという、野間易通の態度は本当にどうかと思う。じゃあ、お前がこれまでやってきたノイズ系のバンドとかには全く政治的意味がなかったのか、と。単なる趣味としてノイズ系バンドをやってたんだったとしたら、野間のほうこそサブカル野郎だと見なさなきゃいけなくなる。

逆卷 国会だけが政治ではない。デモに参加するのも政治なんだ。そこまでは分かるとして、じゃあデモに参加しなければ政治ではないのか、と。そうなってしまうとオルタナティブな可能性が政治の常識に囲い込まれていってしまう。それは違う。

外山 しょっちゅう街をふらついているだけでも政治だからね。それこそ今ならマスクをせずに散歩したり、電車に乗ったりすることが、ものすごく政治的な活動になる。それによって明らかにメッセージを発してしまっているわけだから。

逆卷 コロナ禍以前には政治的に見えなかったことが政治化されているというところはありますよね。つまり、政治の舞台は状況次第でも変わっていくということ。そして、その状況の変化はコントロールできない。外山さんはそうした状況の変化に常に対応するためにも手広くやっているのかなという気がします。今度始まるGallery Soapの展示もその一環で、そうした諸々の先に革命がある(笑)。

では最後に、外山さんからこれを読むかもしれない人民に向けて一言もらって、このインタビューを終えたいと思います。

外山 えーと、外山恒一を嫌いになっても革命を嫌いにならないでください。……だいぶ古いな。じゃあ、「寺山修司が生きていたら……、忌野清志郎が生きていたら……」、何を言っているんだ、外山恒一がいるじゃないか、と。

 

 

2021年12月、福岡・外山邸にて|編集:辻陽介

 

 

OUTRODUCTION ──「蛇足」

 この対談に後書きはいらないのではないか、とさんざん悩んだ。蛇足にしかならないのは目に見えている。けれどもこの対談を読んだ後でもなお、マッチョだ、やっぱりただの面白おじさんじゃないか、革命なんぞ起こるわけがないだろう、お前もその一味なのだろう、という謂れのない反発を受ける可能性は、残念ながら、ある。リテラシーに乏しく、重箱の隅が気に入らなければ重箱ごとゴミ箱に投げ捨ててしまう、是々非々で判断できない短絡的な無辜の民が繁殖している。だからわざわざ蛇足を書くことにした。対談を読んでよくわかった人は読まなくて構わない。不満や怒りを覚えつつこの蛇足を読む羽目になっている人はどうかその無能さを呪ってほしい。

 ツイッターやフェイスブックなどのおもちゃを介して、政治運動ができると勘違いしている人があまりにも多い。かつてのコーヒーハウスやサロンのような公共圏が今やウェブ上に展開されているわけではまったくない。むしろそのような公共圏は衰退の一途を辿っている。SNSが新しい公共圏として脚光を浴び、ものの十秒で賛意を表明できるハッシュタグや署名が政治運動だと思われているようだが、そんなものはあまりおもしろくもない錯覚に過ぎない。意見のすり合わせはもっと地味で、時間がかかる。ひとりの具体的な人間を理解しようと努めた経験のある者ならわかるだろう。ある人間がもっている意見の背景にはいろいろなもつれがある。差別的でおよそ救いがたい意見は、それほど断罪するほどでもないさまざまな事情にコーティングされていることもある。善意から発した正しい意見が、ただの特定個人に対する私怨とないまぜになっていることもある。

 そもそも誰かの意見を知ることは、人間を理解することとは無関係だ。理解する必要がないという向きはこのまま退場してもらって構わないが、少しでも理解する必要があると感じている人にはまだ見込みがある。もちろん、完全なる理解などどこにも存在しない。だからといって、氷山の一角である「意見」がダメだから氷山を丸ごと寸胴鍋に放って溶かしてもよいと考えるならば、君たちが問題視している温暖化はますます進行するだろう。完全なる理解などありえないから、場をつくるために礼やもてなしが必要になるのである。ひとつの意見が共有できなくとも、いや完全にはわかりあえないからこそ場の共有は欠かせない。ところが場を共有しているという感覚を生じさせてくれるインターフェースはウェブ上のどこにもない。トピックや意見をいくら共有しても、分断は深まり、修羅場は続くだろう。

 さまざまな細かい利害を調整するプロセスである政治が、賛否を決定するプロセスに堕するのだとしたら、それにかかわる個々人や集団も同じくらい単純になるだろう。実にシンプルに設計されている投票を始めとする政治制度は、とりわけ小泉政権期から始まったシングル・イシュー・ポリティクスによって単純の極みに達した感がある。Yes/No枕ですべてを占うがごとき今般の政治的醜態は目に余る。衆愚からすると権力を握っているように見られている人間に発する醜聞に賛否で応えるという構図によって、世界はふたつに裂ける。初めから世界には敵と味方の二種類しかいなかったかのような幻想のもとに、衆愚は相争う。争いはどんどん泥沼化する。隣り合ったふたつの沼はさらに深くなり、それぞれ夾雑物を一切排した透明度を獲得し、澄み渡る。

 ウェブの世界を離れても、寛容はいたるところで失われている。ひとつの欠点がたちまち全体化され、それを理由に排斥される。過去の過ちや失言は幾度となく掘り返され、変わらず間違いを犯すどうしようもない人間として何度も同定される。全体主義をつくるのは主要閣僚ではなく、今まさに誰かをなにかの理由で糾弾し続けている衆愚である。クレームを入れ、正しくないイベントを潰す衆愚である。差別のない世界を理想化するあまり、欠点や過失をいつまでもネチネチと責め続ける腐った心根である。よく考えてみてほしい。その悪を為すとあなたが思っている人間は、実際のところあなたの生活にはまったく関係ない。自分の生活圏とは無関係の悪を叩き続けることに執心するあまり、自分が警察活動に与していることを忘れてしまっている。あなた自身がその警察活動に苦しめられた過去さえあるかもしれないというのに?

 イベントや展示の潰しあいが続き、毒にも薬にもならない清潔なものしか表に出ることは許されなくなった。かつては、互いの信頼、あるいは共犯関係のもとにつくりあげられていた些細な出来事が、その場を共有していないものたちによって公共の場に引っ張り出され、たちまち中止に追い込まれる。多様性? どこに多様性があるのだろう。僕たちは、多様であることを知らないことによって多様性を謳歌してきた。ウェブの発達のせいだろうか、あなたは理解が不可能なくらい世界が多様であることを知ってしまって、どれもこれもが気に入らなくなってしまった。単一民族神話を信じる人も、多様性を擁護する人たちも、どちらも互いを殺して、最終的には多様性を殺すことにやっきになっている。

 残念なことに、以上の話に国境はない。欧米世界はこのような政治的状況を打開するための模範になるどころか、率先して地獄を掘り続けている。どこにも成功したモデルはない。

※僕の意見に説得力がないと感じる向きは、巷に跋扈する「ツイッター批評」ではなく、以下から始まる北川眞也のインタヴュー前後編すべて(https://note.com/kenjisugimoto_19/n/nbce90f683952)とマーク・キングウェル『退屈とポスト・トゥルース SNSに搾取されないための哲学』(上岡伸雄訳 集英社 2021年)でも読んで考えてみてほしい。

 

 

 模範にはもちろんならないが(大変アブナイので)、外山恒一は打開のヒントをたくさん握っている。

 外山恒一は、80年代終盤の管理教育批判からコロナ禍における自粛批判の運動に至るまで、一貫して知らない世界にアウトリーチし、人民の同調圧力に抗いつつ、地道に界隈を広げてきた。不幸なことに「我々団」党勢拡大にはつながっていないけれども、界隈の広がりはさまざまな政治運動の可能性を掘りだしている。界隈には右も左もない。思想の異なる、それぞれ異なる政治的課題に取り組む活動家たちに溢れている。思想の違いは友敵の関係を意味しない。意見は違っても信頼しあうことは可能だ。そのぐらいのことは僕ですら経験的に知っている。界隈をつくるということは、場を共有する経験を重ねるということであり、たとえある争点で折りあわなくても、殴り合いをしたとしても、対話を持続することが可能な信頼関係をつくる、ということだ。この地獄を直視するとき、界隈をつくること以上に政治的な活動が他にあるだろうか。

 栄光の歴史ではない。外山恒一が経験してきたものは挫折の連続である。そして政治運動史もまた挫折の歴史である。革命を目的に置く限り、革命に至らないものはすべて失敗になる。けれども成功を保証されていない行動を起こさない限り、失敗を経験することはできない。現状の政治文化において、絶対的に正しいことが自明の、決して失敗することのない安全地帯から、間違っているものたちに対してヤジを飛ばし続ける行為は、少なくとも外山恒一の政治活動とは無関係である。

 失敗を叩くことに終始している限り、挑戦をしてみようという意欲など湧くはずがない。守りに入る。堅実になる。隙のないキャリア形成に血道をあげる。答えを知っている大人たちが失敗した者を叩き続けて、なにが生まれるというのだろう。だがそもそも大人たちは成功した社会をつくりあげてきたのだろうか。その答えは絶対的に正しいわけではなく、間違っているのではないだろうか。いや、答え以前に、そもそも問い自体が政権や権力者、あるいはインフルエンサーから与えられた、答えるには値しない、実にくだらない問いなのではないだろうか。問いは与えられるのではなく、行動の中でぶち当たった障壁と共に自分でつくるものなのではないだろうか。

 外山恒一の歩みは失敗と自問自答、試行錯誤の連続だ。だがその他になにも残らなかったわけではない。歩みのあとには、「界隈」が息づいている。外山が歩まなければ「界隈」はつくられなかった。あなたも失敗を恐れず歩むべきだ。

 冒頭で「革命のイメージは大きく変わった。少なくとも先進国において体制転覆が起こることはない。」などと不用意に書いた。しかし日本はもう先進国ではないというのは公然の秘密になっている。したがって理論上、体制転覆は起きてしまう。どうすれば体制転覆が起こるのだろうか。

 今度、Gallery Soapに押しかけて外山さんに直接訊いてみてはどうだろうか。合宿に参加して、「我々団」の党員になってみてはどうだろうか。それぐらいのことで別に死にはしない。

 

 

 

✴︎✴︎✴︎

 

外山恒一 とやま・こういち/1970年生まれ。福岡を拠点とする革命家。80年代後半に「反管理教育」の活動家となるも、いわゆるポリコレの風潮に反発し、孤立無援の〝異端的極左活動家〟として90年代を過ごす。思想的にはマルクス主義、アナキズムを経て、03年に獄中でファシズム転向。07年の東京都知事選に出馬し、過激な政見放送で一躍注目を浴びる。近年は〝右でも左でもないただの過激派〟として独自の活動を続けるかたわら、後進の育成や革命運動史の研究にも力を入れている。著書に『良いテロリストのための教科書』『全共闘以後』『政治活動入門』など。

 

✴︎✴︎✴︎

 

 

 

〈ガイアの子供たち〉

<<#01 序論「巨人と/をつくる──涯てしない“わたしたち”の物語」

<<#02 不純なれ、異種混淆の怪物よ──大小島真木は《あいだ》をドローする

<<#03 革命はこの〈せせこましい身体〉から始まる──長谷川愛と「あいみょん革命」の20XX

<<#04「革命こそが総合芸術だ」──人民の敵・外山恒一は「集団」を創造する

<<#05 BUMMING AROUND UNIDENTIFIED LANDSCAPES──宮川敬一はどこの馬の骨かわからない「風景」を放浪する

 

〈MULTIVERSE〉

「土へと堕落せよ」 ──育て、殺め、喰らう里山人の甘美なる背徳生活|東千茅との対話

「今、戦略的に“自閉”すること」──水平的な横の関係を確保した上でちょっとだけ垂直的に立つ|精神科医・松本卓也インタビュー

フリーダムか、アナキーか──「潜在的コモンズ」の可能性──アナ・チン『マツタケ』をめぐって|赤嶺淳×辻陽介

「人間の歴史を教えるなら万物の歴史が必要だ」──全人類の起源譚としてのビッグヒストリー|デイヴィッド・クリスチャン × 孫岳 × 辻村伸雄

「Why Brexit?」──ブレグジットは失われた英国カルチャーを蘇生するか|DJ Marbo × 幌村菜生

「あいちトリエンナーレ2019」を記憶すること|参加アーティスト・村山悟郎のの視点

「かつて祖先は、歌い、踊り、叫び、纏い、そして屍肉を食らった」生命と肉食の起源をたどるビッグヒストリー|辻村伸雄インタビュー

「そこに悪意はあるのか?」いまアートに求められる戦略と狡知|小鷹拓郎インタビュー

「暮らしに浸り、暮らしから制作する」嗅覚アートが引き起こす境界革命|オルファクトリーアーティスト・MAKI UEDAインタビュー

「デモクラシーとは土民生活である」──異端のアナキスト・石川三四郎の「土」の思想|森元斎インタビュー

「Floating away」精神科医・遠迫憲英と現代魔術実践家のBangi vanz Abdulのに西海岸紀行

「リアルポリアモリーとはなにか?」幌村菜生と考える“21世紀的な共同体”の可能性

「NYOTAIMORI TOKYOはオーディエンスを生命のスープへと誘う」泥人形、あるいはクリーチャーとしての女体考|ヌケメ×Myu

「1984年、歌舞伎町のディスコを舞台に中高生たちが起こした“幻”のムーブメント」── Back To The 80’s 東亜|中村保夫

「僕たちは多文化主義から多自然主義へと向かわなければならない」奥野克巳に訊く“人類学の静かなる革命”

「私の子だからって私だけが面倒を見る必要ないよね?」 エチオピアの農村を支える基盤的コミュニズムと自治の精神|松村圭一郎インタビュー

「タトゥー文化の復活は、先住民族を分断、支配、一掃しようとしていた植民地支配から、身体を取り戻す手段」タトゥー人類学者ラース・クルタクが語る

「子どもではなく類縁関係をつくろう」サイボーグ、伴侶種、堆肥体、クトゥルー新世|ダナ・ハラウェイが次なる千年紀に向けて語る

「バッドテイスト生存戦略会議」ヌケメ×HOUXO QUE×村山悟郎

「世界ではなぜいま伝統的タトゥーが復興しようとしているのか」台湾、琉球、アイヌの文身をめぐって|大島托×山本芳美

「芦原伸『ラストカムイ』を読んで」──砂澤ビッキと「二つの風」|辻陽介

「死者数ばかりが伝えられるコロナ禍と災害の「数の暴力装置」としての《地獄の門》」現代美術家・馬嘉豪(マ・ジャホウ)に聞く

「21世紀の〈顔貌〉はマトリクスをたゆたう」 ──機械のまなざしと顔の呪術性|山川冬樹 × 村山悟郎

「ある詩人の履歴書」(火舌詩集 Ⅰ 『HARD BOILED MOON』より)|曽根賢

「新町炎上、その後」──沖縄の旧赤線地帯にアートギャラリーをつくった男|津波典泰

PROFILE

逆卷しとね さかまき・しとね/学術運動家・野良研究者。市民参加型学術イベント 「文芸共和国の会」主宰。専門はダナ・ハラウェイと共生論・コレクティヴ。「喰らって喰らわれて消化不良のままの「わたしたち」――ダナ・ハラウェイと共生の思想」(『たぐい vol.1』 亜紀書房)、Web あかし連載「ウゾウムゾウのためのインフラ論」 (https://webmedia.akashi.co.jp/categories/786)、その他荒木優太編著『在野研究ビギナーズ 勝手にはじめる研究生活』(明石書店、2019 年)、ウェブ版『美術手帖』、『現代思想』、『ユリイカ』、『アーギュメンツ#3』に寄稿。山本ぽてとによるインタヴュー「在野に学問あり」第三回 https://www.iwanamishinsho80.com/contents/zaiya3-sakamaki