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藤野眞功 『聞き書き・ごんたくれ』 其の五

インターポールを通じて125カ国に国際特別手配された、最初の〈ザ・ヤクザ〉。小野忠雄が語るゴロマキ人生。

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幽霊になる

 

 

 今回拘束されたのは、ボニファシオの陸軍刑務所である。

 つい先頃、アギナルド基地に閉じ込められていたときには、毎日、デリヤが食事を持って面会に来た。今度も、最初のうちは変わらなかったが、雑居房に放り込まれて半年近くが過ぎると――出られない小野が、デリヤとミッシェルの生活のために、ナイトクラブの権利を手放してまとまった現金をつくると――みるみるうちに面会が減り、ついに姿を見せなくなった

 看守に小遣いを握らせて電話をかけると、デリヤではなく女中が出た。

「奥さまは何日も帰ってきていません。赤ちゃんのミルクも、もうなくなって」

 小野は、ミッシェルの頬にふれたかった。

 そのためには陸軍刑務所から外に出るしかないが、脱獄は難しい。

 しかし塀を乗り越えなければ、ミッシェルのところへは辿りつけない。

 すると、馬鹿げたアイディアが頭をもたげた。

 この身体を捨てて幽霊になれば、どこへでも飛んでいける。

「正直、死ぬのは怖いし、嫌だったですよ、まだ30代前半だし。でも、他に方法を思いつかなかったから。仕方ないよな、うん、うーん。とにかく、そのときは幽霊になるってことしか、外に出るアイディアがなかったから。カミソリで手首切って。切ったとき、血の量が少ないような気がしたから、2回、3回と続けてやって」

 この傷もまた、小野の左手首に何本もの線として残っている。

「そこから血が溢れるのが分かったけど……目が覚めたら、シーツもビシッとかかった綺麗なベッドの上で。こりゃ、夢かと。でも、すぐ気づいた。起き上がろうとしたら、両手とも手錠で動けねえんだ

 意識を失った小野は、死ぬ前に発見され、陸軍病院に担ぎ込まれたのだった。

 その部屋にはもうひとり、両手に手錠をかけられた老人が横たわっていた。フクハラバップの幹部だった老人は抗日ゲリラ戦の英雄だったが、大戦後の自国政権に対してもゲリラ攻撃を繰り返したため、収監されたているのだという。

「金さえばら撒けば、あんたは外に出られるはずだ。だから、死のうなんて考えるな」

 老人は、小野にそんなことを言った。

「シャバに出て、行くあてがなけりゃ、タルラックへ行け。仲間に、おれの様子を伝えれば、あんたを歓迎するだろう」

 落ち着いて考えると、たしかにその通り。ここは、フィリピンだった。

 しかし、デリヤはいったい何をしている? おれの金を持って、女中にミルク代も渡さずに、どこへ行った? 小野は、保釈されるためにばら撒く金を貸してくれそうな友人を思い浮かべようとしたが、誰の顔も見えなかった。

 それではあまりに虚しいので、もう一昼夜、頭を捻り続けると、ひとりだけ浮かんだ。

 デリヤの伯母だ。

 おそらく互いに嫌っているが、彼女は金に不自由していない。

 病院の電話を借りて連絡すると、「ミッシェルを手放すなら、金を貸してもいい」と言った。続けて、小野はアパートに電話をかけ、娘を連れて病院へ面会に来るよう、女中に頼んだ。デリヤが姿を消して以来、約4カ月にわたって給料を一銭も支払っていなかったにもかかわらず(と、後に聞いた)、レイテ出身の女中は自分の金でミルクを買い、ミッシェルの世話を続けてくれていたのだった。

 ミッシェルは元気に泣いていたが、栄養は足りていなかったらしい。看護婦や医者たちが無料で世話を買って出てくれたことに、小野は感激した。それから1カ月近くを陸軍病院で過ごすうちに、数人の患者とも親しくなった。そのひとりが、軍人でも犯罪者でもないのに、陸軍病院に入院していたクリニヨという男だった。

 熱帯性マラリアを患ったクリニヨが、一般市民には開放されていない陸軍病院で治療を受けられたのは、MISG(マニラ首都圏警察軍・特殊作戦部隊/メトロコム・インテリジェンス&セキュリティグループ)の親友が口利きをしたからだという。彼のもとには連日、親類縁者が面会に訪れていた。

「どうしてだか、ぜんぜん分からないんだけど。クリニヨの嫁さんの妹、アイダが赤ん坊のミッシェルをめちゃくちゃ気にかけてくれて。女中も一緒に、自分の家に招待して、腹いっぱい飯食わせてくれたり、贈り物をくれたり。いや、おれは行けないけどね。陸軍病院から出られないから」

 しかし、一安心は長くは続かなかった。ほどなく、デリヤの伯母から「金を用意した」と連絡があったのだ。

 小野は借りた金をばらまいてパスポートとビザを受け取り、ミッシェルは伯母のもとへ消えた。塀の外に出た小野はアパートに残っていた金目のものを売り、女中に給料を払った。それから、消えたデリヤを探した。

「ジョジョ、あのポン引きの仲間ね。そいつの情報で、住んでいる場所が分かったので行って。それで、デリヤとおれはまた一緒に暮らし始めました。そうそう、デリヤと。脅したか? うーん、まあ、ねえ、まあ、脅かすような形だったかもしれませんねえ」

 もう読者は驚かないかもしれないが、小野はまた逮捕される。

 パスポートもビザも所持している小野に対して、入管の捜査官が差し出した逮捕状には〈誘拐〉の文字が躍っていた。

「おれがミッシェル、自分の赤ん坊を誘拐して、どこかに隠したと言うんです。テメエの伯母が借金のカタに奪ったのに……デリヤにハメられたんですよ。あいつは、別の野郎のところに帰りたかったんでしょうね。おれは、また陸軍刑務所。もう頭が混乱して、何が何だか。さすがにでも、アタマが冷えたら想像つきますよ。あの野郎、デリヤの新しい男は、日本人の不良でした」

 小野は日がな一日、雑居房で寝転んでいた。

 ナイトクラブは手放した。ミッシェルもいない。デリヤもいない。金を貸してくれる奴もいない。死ぬことを考える元気も理由もなく、食欲も湧かなかった。塀の外なら、金がなくても喧嘩はできる、拳銃の密輸も。必要があれば殺しもできるかもしれないが、塀の中では何もできない。

 すっかり呆けていたとき、思いもよらぬ面会人がやってきた。

 陸軍病院で仲良くなったクリニヨとアイダが、食事の差し入れにきたのだ。

「なんとかしてやるから、そんなに落ち込むな」

 クリニヨが言ったが、小野は本気にしなかった。

「まあ、時々は差し入れに来てくれるのかな、ぐらいの感じだよね。べつに友達でも何でもないし。おれが一方的に良くしてもらっていただけなんだから」

 しかし、彼らの言葉に嘘はなかった。

「お前が、忠雄か」

 数日後、いつもは尊大に振る舞う看守長の最敬礼を受けて、見知らぬ軍人が現れた。

「心配するな。もうすこしだけ我慢しろ」

 MISGのデニス・ナサイリと名乗ったその軍人こそ、クリニヨの親友だった。

「『もうすこしだけ我慢しろ』とだけ言ったら、すぐにいなくなっちゃうんだからさ。そりゃ、信じないよ。その場には、クリニヨもいないし。だけど、それから一週間もしないうちに、また看守長に呼ばれてね。

事務所へ行ったら、デニスがニコニコしながら椅子に座っていて、その場で解放……もう信じられなかったな。人生で一番興奮した瞬間かもしれない。まだまだ出られないと思ってたし、もし出られたとしても、確実に日本へ強制送還だっただろうし。いやもう、天にも昇る心地でデニスと軍用車に乗り込んで。やった! さあ、シャバに出たぞって思ったら、今度は、車がまた別の基地に入ったから、あれって?」

 小野を乗せて陸軍刑務所を出た軍用車は、クラメ基地に入り、MISGの事務所で停まった。

「正確には、おれは釈放されたんじゃなく、入管からMISGに身柄を移されただけだったんです。だけど『毎日一度は顔を出して、担当官のマテリアーノと世間話をしろ』と言われただけで、あとは自由の身だったから、何にも問題なし」

 MISG――小野にとっては救いの神だが、フィリピン現代史の研究者やジャーナリストの間で、その評判は振るわない。

 戒厳令(1972年)を布告して独裁体制を構築したマルコス政権は、MISGをはじめとする治外法権的な警察軍や国軍の一部グループに〈射殺許可証〉を与えていた。彼らは特権を駆使して、反マルコス派の人士に対してだけではなく、彼ら自身の利益のために誘拐、拷問、暗殺をおこなっていたのである。

 しかし、後のエドサ革命(1986年)において、MISGはマルコス政権打倒のクーデターを主導した国軍改革派(RAM)の一翼をなしたため、当時の壮年士官たちは、現在のフィリピン政界においても大きな力を持つことになった。

 たとえば、このとき小野の担当官になったエドワルド・マテリアーノは、最終的にCIDG(フィリピン国家警察・犯罪捜査隊)長官まで務め、2017年に汚職や偽証罪で有罪判決を受けるまで、名実ともにフィリピン国家警察の将軍(国軍における階級も将軍だった)として権勢を振るっていた。

 あるいは、MISGの出世頭として知られるパンフィロ・ラクソンは、上院議員として国家防衛・安全保障委員会の委員長を務め、来年5月の大統領選へ出馬を表明するほどの大物になっている。小野を助けたデニス・ナサイリも含めて、彼らは皆、バギオのPMA(国軍士官学校)を1971年に卒業した同期生で、小野が会った頃には血気盛んな少壮の士官たちだった。

「忠雄、お前は何でも好きなことをすればいいんだ」

 マテリアーノやラクソンはにこやかに言ったが、その言葉を額面通りに受け取るのは間抜けだろう。MISGも、構造としてはヤクザと同じ。看板の使用権を与えられたとしても、末端の者はあくまで個人事業主なのである。

 というわけで、小野はさっそくデリヤを奪った日本人の不良を脅して、300万円を手に入れた。毎日、MISGの事務所に顔を出さねばならないため、しばらくの間は、歩いて通えるアイダの家に居候することも決まった。約2年前、新潟から遁走して以来、小野は久しぶりに、母の寿美江に電話をかけた。

「お袋は、まさか、おれがこんな苦労をしているなんて思っていなかったみたいで、泣いていました。それから玲子のことを聞くと『もう別れた方がいいわ』って。なんでかって聞いたら『恋人ができたみたい』って……いやぁ、びっくりしましたね。それでもう、おれは完全に、日本に帰る気がなくなったわけです」

 このあたりの話になると、小野に対して、当時の心情を微に入り細を穿って尋ねることに意味を見出せなくなってしまう。玲子はブルース・リーにちなんで名づけられた長男、竜の母親だ。

 そもそも、家族を持ちながらフィリピンに愛人をつくったのは小野であり、拳銃の密輸に失敗したのも小野。妻と子供を捨てて、フィリピンへ逃げたのも小野だ。にもかかわらず、彼は玲子の振舞いに苛立ち、驚くのである。

 こうして、小野はひとりになった。

「やっぱり、パートナーがいないのはね。男としては寂しいですよ」

 嫌な気分を解消するにはシノギを定め、女も必要だ。小野は久しぶりにナイトクラブを巡って、付き合いのあった日本人の不良たちを探した。そして、すぐに見つけた。トラブルは、飯の種だ。

「本格派というより、ちょっとした不良程度の日本人がいましてね。こいつが『どうにかして、国友を潰してくれませんか』って頼んできたんです。国友ってのは、おれがあちこちの牢屋にぶち込まれてる間に羽振りをきかしはじめていた野郎で、九州のヤクザを名乗っていました。

相談してきた奴が言うには『一緒にナイトクラブをやろう。おれがプロテクトするから、お前は金を用意しろ』と強要されていて断れない、と。だけどね、ちょっと弱いでしょ? そんな、ガキの使いみたいな話を、わざわざMISGに持っていけないですよ」

 小野が渋ると、日本人は食い下がった。

「国友を刺せる確実な情報があるんです」

 聞けば、国友は、かつての小野と同じように、拳銃や大麻を日本に密輸しているのだと言う。そして相談者は、国友が大量の乾燥大麻を船積みする日程を、小野に伝えた。

 日程まで固まっているなら、悪くない。小野は思った。

 フィリピンの法を犯す日本人ヤクザを、フィリピンの治安を維持する特殊部隊であるMISGが締め上げる。幸先の良いスタートに、小野はすっかり上機嫌になった。相談してきた日本人と一緒に酒を飲み、女をはべらして久しぶりに楽しんだ。明日にはさっそく国友を恐喝にいくと決めて、相談者のアパートで眠りこけた。

 すると眠ったばかりの明け方、まだ日の出の光も弱々しいなか、目が覚めた。

 妙に冷たい物体が、何度も顔を叩いている。

 

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PROFILE

藤野眞功 ふじの・みさを/著書に、ノンフィクション「バタス」(講談社)、長篇小説「憂国始末」(新潮社)、短篇集「アムステルダムの笛吹き」(中央公論新社)など。フリー編集者としても活動し、横田徹「戦場中毒」(文藝春秋)、高橋ユキ「つけびの村」(晶文社)などを手掛ける。【過去の記事】https://fujinoshin.com/