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大島托 『一滴の黒 ―Travelling Tribal Tattoo―』 #30 縄文群島の明かしえぬ黒い文身|日本最古のタトゥーを復興する②

タトゥー・アーティスト大島托が世界中の「タトゥー」を追い求めた旅の記録。旅を経て日本にスタジを構えた大島が次に向かったのは列島の古層だった。縄文時代に存在したと目される文身文化。明かしえぬ《縄文タトゥー》を探して。

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ラース・クルタクとの邂逅

クチンの大通りで僕は「ケドンドン」を探していた。

イバン族の調査という名目でライギョ釣りにかまけていた最中に奥地の田舎の屋台で飲んだ、少し干し梅が乗った清涼感たっぷりでシャクシャクした喉ごしの、緑色の甘酸っぱいフレッシュジュースを、彼女にもぜひ味わってもらいたかったのだ。が、通りのその手の店を片端から聞いて回ってみたのだが、扱っているところはなかった。みんなよく知ってるんだけど、そういえば最近この辺じゃ見かけないなぁ、みたいな反応だった。ちょっと古い世代の飲み物なのだろうか。

その道すがら、看板にデカデカとクレヨンしんちゃんのイラストが描かれたタトゥーショップを見つけた。いや、初めに通り過ぎた時は普通にクレヨンしんちゃんグッズの店だと思ったのだが、ケドンドンが見つからずに通りを引き返して来た時にタトゥーショップだと気づいたのだ。

ほんの気まぐれで中に入ってポートフォリオを見せてもらったら、とんでもなくハイレベルのシリアスなタッチのブラック&グレーの使い手だった。その真顔で冗談みたいな男、エリック・クエイは2日後に開催されるというタトゥーコンベンションの企画に携わっていて、僕に審査員としての参加を依頼してきた。そういうコンベンションがあるなんて全く知らなかったが、エリックは面白い人だったし、とりあえず引き受けた。

教わった住所のコンベンション会場はかなり立派な建物だった。前夜にホームページで参加者リストを見たら海外アーティストは三分の一ぐらいで、知った名前はカリマンタン島のハンドタッパーのヘンドラぐらいか。あとはマレーシア国内のさまざま作風のタトゥーイストたちだった。多民族国家ではあるが、いちおうイスラムを国教とするマレーシアでは全土を通じた公のタトゥーマガジンやタトゥーコンベンションといったものはなく、イバンなどの部族たちが趨勢のここボルネオ島ではそれらが可能となるという状況なのだ。が、エントリーしている国内のタトゥーイストたちのほぼ全員が中華系の名前だった。エリックもそうだ。面白い国だ。

ホール内に入るとすぐ正面にあたるところに大量に平積みにした分厚い本と女物の極小布地のブラジリアンビキニを売っているメガネをかけた白人の中年男がいた。なんだかコミケっぽいなとか思いつつもその分厚い本を開いてみて、愕然として手がプルプルと震え出した。男が話しかけてきたが、僕は吃ってしまって上手く返答が出来ない。そこにはフィリピンのルソン島奥地で今も細々と生き残っているカリンガ族のトライバルタトゥーと、現在アメリカのLAで復興を遂げつつあるフィリピン諸部族の壮大なリバイバルタトゥー運動が圧倒的な画像量で収められていたのだ。

 

 

これがタトゥー人類学者ラース・クルタクとのまったく偶然なる出会いだった。ともに審査員だったこともありすぐに意気投合した。これ以降、沖縄やアイヌ、といったそれぞれの地域のトライバルタトゥーの復興や、古代のタトゥーを考察するといったテーマで我々の活動はリアルタイムでなんとなくシンクロしていくことになる。

 

 

ミッシングリンク

タトゥー人類学者といえばトマシュ・マデの存在も僕にとっては欠かすことは出来ない。彼はインスタがメジャーになる前の時期のFBで高い人気を誇ったトライバル系ブラックワークのセレクトページ「Tatuaz Etniczny / Ethnic Tattoo」の主催者で、ポーランドのタトゥーマガジン「Tattoo Fest」のライターだ。現在の世界のトライバルタトゥーのコミュニティの形成に大きな一役を買っている人だとも思う。

彼とは趣味がとても合っていたようで、当時の僕の実験的な作品のほとんどをそのページで紹介してもらうほどに贔屓にしてもらった。欧米で最初に僕の特集記事を書いてくれたのもトマシュだ。その時の記事は後にエール大学出版の「The World Atlas of Tattoo」にも転載された。これはタトゥー人類学者の目線で選ばれた世界のタトゥーイスト100人、という非常に名誉なものだった。商売がガタガタの状況で彼女が出産し、プレッシャーからなのだろうかエゲツない肋間神経痛に見舞われてジタバタもがいたりしていた当時の僕にはそれがどれだけ嬉しかったことか。なお、誌面ではカットされていたが、実はそのインタビューの中で僕はトマシュにすでに訊ねられていた。

ところで日本の縄文時代のタトゥーのことはどうするつもりなのか、と。

 

 

北は北海道、クリール諸島、カムチャッカ半島など、そして南は沖縄、台湾、フィリピン、ボルネオなど、アジアの太平洋沿岸島嶼部には広く近代までトライバルタトゥーの習俗が存在していた。それらの連鎖の真っ只中に位置する日本の本州、四国、九州といった島々にもかつてはそれがあっただろうと推察することは至って自然なことだろう。実際、これらの地域の土の中から出てくる土偶、埴輪、土面などの縄文から古墳時代ぐらいに渡る、人物を象るスタイルの遺物には当時のタトゥーの柄と解釈することが可能な模様が多く見られる。特に縄文時代の遮光器土偶のド派手で不思議な佇まいなどは世界的にもよく知られているところだ。

そして島嶼部の風俗というものは、概ねかつて大陸部で行われていたそれが保存された「記憶のカプセル」であったりもすることを考えると、古代のアジア地域全域には遍くタトゥーが存在していたことも容易に想像できると思う。

僕は現在の日本という国からの視点で、便宜上その領域を縄文という名称で呼んではいるが、国という概念のなかった頃に無数の部族や血族が蠢いていたであろう当時の有り様は、日本という括りよりさらに細分化して捉えるべきであろう事柄であると同時に、もっとはるかに大きな範囲で俯瞰すべき現象のはずでもあると思う。それこそ自分を縄文人だと思っていた縄文人などはいなかったわけで。

ラースやトマシュにつつかれるまでもなく、そういう領域に僕が興味がなかったわけがない。自分でも前からちょっとは調べてはいたのだ。知られている土偶の完成度はどれも高く、それを入り口にすることは一見容易いようにも感じられるのだが、もう一歩以上踏み込むとそれが実に広大な地域の長大な時間に関わるものだということ、そしてその割には材料があまりにも少ないことが分かってくる。貴重な出土物自体はたくさんある。膨大と言ってもいい。それらの編年資料なども精密極まりない。が、タトゥーとほぼ特定されているのは、服や装飾品の可能性が少ない顔の模様ぐらいという地味さで、身体部のタトゥーに関しては、例えばそれが凍土の中から保存状態の良いミイラの肌の上に見つからない限りは答えが出ず、日本の気候や土壌からそれを期待することは無理だという。

これでは今、世界で行われていて僕もよく知るリバイバルタトゥーの手法ではどうにも歯が立たない。それらはほんの少し前まで実際に行われていて、祖父母が入れていたなどの身近さと正確な記録資料が豊富にあるのが前提となっているからだ。

またタトゥーである限りは必ずそれを実際に己の身体に不可逆的に纏う人々が必要なわけだが、現代日本のタトゥーファンと、考古学、歴史の愛好家のそれぞれの形成する人口の円のベン図には重なる部分がほとんどないようにも思えた。現に、現代タトゥー文化としての和彫りが登場してから現在までのおよそ200年あまり、そして日本の民俗学、考古学が初めて縄文時代のタトゥーの可能性に言及してからだいたい130年間、かなりの長い時間だが両者は袖振り合うことすらもなかったのだ。

肉体の感覚や経験を楽しむ人と、書物から得られる知識や空想を好む人の違いは日本ではかくも大きいものなのか。あるいは先史、未開の人類文化のイメージに対してロマンチックな憧れを抱けるほどには、まだそこから充分には隔たっていないアジア地域の一員だからということなのだろうか。だとすればどういうアプローチが有効なのだろうか。

とは言っても、ラースのような、自分自身がタトゥーだらけの学者がホワイトハウスで講演を打つなんてのはそれこそ10年前にはアメリカでも考えられないことだったろう。今まさにそういう波が順次世界中に押し寄せ始めようとしているのかもしれなかった。

まったくもってケドンドン探しというのは一筋縄ではいかないらしい。

有効な次の一手を暗中模索する中で僕はとうとうケロッピー前田と出会ってしまったのだった。

 

 

縄文群島の明かしえぬ文身③を読む>>

 

〈MULTIVERSE〉

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「世界ではなぜいま伝統的タトゥーが復興しようとしているのか」台湾、琉球、アイヌの文身をめぐって|大島托×山本芳美

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「ある詩人の履歴書」(火舌詩集 Ⅰ 『HARD BOILED MOON』より)|曽根賢

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「蓮の糸は、此岸と彼岸を結い、新たなる神話を編む」──ハチスノイトが言葉を歌わない理由|桜美林大学ビッグヒストリー講座ゲスト講義

 

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PROFILE

大島托 おおしま・たく/1970年、福岡県出身。タトゥースタジオ「APOCARIPT」主催。黒一色の文様を刻むトライバル・タトゥーおよびブラックワークを専門とする。世界各地に残る民族タトゥーを現地に赴いてリサーチし、現代的なタトゥーデザインに取り入れている。2016年よりジャーナリストのケロッピー前田と共に縄文時代の文身を現代に創造的に復興するプロジェクト「JOMON TRIBE」を始動。【APOCARIPT】http://www.apocaript.com/index.html