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大島托 『一滴の黒 ―Travelling Tribal Tattoo―』 #26 北方の南限に最古のタトゥーを訪ねて|アイヌ・(シ)ヌエ考②

タトゥー・アーティスト大島托が世界中の「タトゥー」を追い求めた旅の記録。舞台は日本の北限であり北方の南限である北海道。アイヌ文様、そしてアイヌに伝わる文身「ヌエ」の曲線を辿る。

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ヌエの痛みと美しさ

 ヌエは、北海道や千島列島のアイヌのトライバルタトゥーだ。寒い地方の人々らしく、主な施術部位は前腕から手の先、顔、などの服の外に出るところだ。婚姻可能な大人の女の証、ポクナモシリ(死者の国)への通行証、シャモや樺太アイヌからの誘拐防止、などの目的もあったとされる。ついこの前がハジチの話だっただけに、かなりの既視感があるのでこれらの目的の内訳に再び踏み込むことはしないが、それが女性の美の伝統だったという点でもまったく同じだ。

 あえてハジチとの違いを挙げるとすれば、それに臨む当時の若い女の子たちが、ハジチの場合はワクワクして待ちきれない、という感じなのに比べて、ヌエに関しては痛みへの恐怖でイヤでイヤで仕方がない、みたいな記述の資料が多く目につくような気がするところだろうか。あるいはこれは禁止後や禁止間近の空気の中での感想だったのか。

 大ぶりに黒く彩られた唇のタトゥーの存在は世界的にもよく知られている。あんなものが美であるはずはないからやはり誘拐防止の目的に違いない、なんて意見もあるけれど、それはあくまでも外野の意見だと思う。まあ、アイヌ系であっても現代の女性たちにそのセンスが受け入れられるかどうかは分からない、(マユンさんはヌエを身近に見ていた世代の道内各地のアイヌに聞き取り調査を行っていて、そのリポートの中で断絶によって古来の美の感受性そのものが失われたという点を指摘している。)が、僕は唇のヌエに関しては何の屈託もなくとてもセクシーだと感じている。残っている本物のヌエの画像はお婆さんのそればかりだけれど、これが若くて綺麗な女性の唇を艶々と彩っている様子を真剣に思い浮かべて欲しい。

 

唇周辺のヌエ(Wikipediaより)

 

 そういえばシルバージュエリーアーティストのAgueさんも、黒くて大きな唇は普通にセクシーだと思うという意見だった。この感覚にはひょっとしたら性差があるのかもしれない。もしかしたらかつてのそれは男たちの側からの、より積極的な求めに応じたものだったとかなのだろうか。アンタらは見てるだけだからいいけどウチらは痛い思いして大変なんだからね、なんて会話が男女間で交わされたりしたのだろうか。

 

渦巻紋様の系譜

 阿寒湖畔に暮らすAgue さん(下倉洋之)の作品はアイヌ紋様をテーマにしていて、ウポポイをはじめ、道内のさまざまな博物館などでも販売されている。アイヌ紋様に魅せられ、現代生活の中におけるリアルなファッションとしてそこに向き合ってきた専門家だ。2019年に新宿のビームスジャパンで、ちょうど僕らの「縄文族」の少し前にやっていたのが彼らの「アイヌクラフツ、伝統と革新」の展示で、その物作りのレベルの高さに感心し、少しでもノウハウを取り入れたいなと思っていたので、ギャラリー工房を訪ねて泊まらせていただいたのだ。

 

阿寒湖畔にあるcafe & gallery KARIPにて。コーヒーを淹れているのがAgueさん。

 

KARIPではAgueさんが制作したアクセサリー類が展示販売されている。

 

 僕も20〜30代は日常的にアイヌの鉢巻きであるマタンプシを頭に巻いていた。これはカッコいい上に、伸ばしっぱなしの長髪をまとめるのに便利だった。何かと朦朧としがちだったあの頃もそれをキュッと締めると外に出てバイクに乗るぐらいのヤル気も出た。トランスパーティーに行く時でも、スーパーに行く時でも、とにかくいつでも巻いていた。北海道出身の仲間からもらった5本を、日に焼けて褪色し、端がほつれてボロボロになるまで使い回していた。アイヌ紋様のカッコよさは懐古趣味のエスニックな観光土産にとどまるものではない。

 そのマタンプシをはじめ、さまざまな服や木彫製品に施されるゴージャスなアイヌ紋様の世界は、その頃からヨーロッパ人にも認知されていた。当時大流行していたボルネオデザインとも近い渦巻き主体のデザインだったし、さらにトランスパーティーシーンではシンメトリー構図がウケるというのがあって、あの頃はヒッピー相手にいくつも彫ったものだった。

 この渦巻き紋様はアジアの古層で広くシェアされているもので、現在でも広大な中華圏を囲むかのように周辺のトライバルタトゥーや民族テキスタイルパターンに散見することができる。アイヌ紋様だけでなく、その直系の先祖である縄文紋様もその中の一つだ。そしてこれらの分布状況から推察できるのは、その発祥の地がおそらく超古代の中華圏の真ん中あたりだということだ。ラーメンどんぶりの縁のあの紋様は、農耕、都市化がもたらした空間認識の変化によって、滑らかな渦巻きが角張った形に整理されたものだと思う。

 

なぜヌエの紋様は直線的なのか

 しかし、とてもスリリングなことにヌエのデザインは上述したアイヌ紋様群とは大きく違う。それは渦を巻いてはいない直線なのだ。

 

大島施術によるヌエ

 

 通常、ヌエの施術はマキリ(小刀)やカミソリで行われるが、肉やコンニャクを包丁で切ったら分かるように、刃物は柔らかく安定しない素材にたいして曲線を引くことには向いてない。だからこの術式の特徴がデザインに反映されることで独自進化したのでは、とも考える。が、その直線の角をほぐして曲線に変換しても渦巻きにはならない。渦巻きを直線変換すればさっきのラーメンどんぶりのそれになるわけなので。

 新大久保で初めて前腕から指までのヌエを手掛けた時、一定角度から記録された資料デッサンをぱっと見て、前腕部のパターンが複雑でよく分からないなと感じた。でも実際に描き始めるとすぐに合点がいった。これは腕を円筒形と見立てて縦に4ないし8分割すれば同じパターンの連続で腕を一周するのだ。これはヨーロッパのケルティック紋様と同様の、組紐のような編み込みパターンだ。それを角ばらせているのがヌエなのだ。

 実際、アイヌのタリペ(背負い縄の頭に当たるパット部分)などに見られる組紐紋様にはヌエととても近いデザインのものもある。これは紐同士を垂直、平行、の2方向にのみ組み合わせていくという構造的な特徴からやはりカーブを美しく表現するのに向いていないという点でもヌエの術式の条件と似ている。

 

組紐紋様1(ウポポイにて撮影)

 

組紐紋様2

 

 Agueさんは、このデザインの違いは、タトゥーに限らず、例えば木彫りと刺繍の間にもあり、それはそれという捉え方をしていたが、一方でそれらが一つのものを目指している可能性にも触れていた。

 切れ目のない紐の錯綜は迷路でもある。外側のものを内側に侵入させない、と同時に内のものが外へ流出するのを防ぐ境界、つまり結界なのだ。人を容器にたとえるならばこれは密閉性の高い蓋みたいなものだ。こうした護符の役割を担う迷路のトライバルタトゥーは世界中で一般的に見られるものでもある。

 そして渦巻きアイヌ紋様もまた、迷路の結界であるという点ではヌエのデザインと目的を同じくしている。その渦巻き帯パターンは、真ん中に線を仕切りとして配置することで、そこに迷い込んだ者が渦巻きの先端まで辿り着いても解放されることなく延々と折り返させ、翻弄されるように企まれた罠なのだ。

 アイヌは何に対して何を封印したかったのだろうか。

 

コロポックルの正体

 もともとはコロポックルの風習だったものをアイヌが真似てヌエが始まったという伝承がある。コロポックルは北海道にいたとされる小人だ。僕が幼稚園児の頃に放映されていたアニメ「冒険コロボックル」の影響で、彼らを人間の手のひらに乗るぐらいのサイズで認識している40〜50代は多いと思うが、アイヌの伝承に描かれた彼らは人間の小学生ぐらいの背丈だ。

 

 

 彼らはアイヌが北海道に来る前からいた先住民とされている。夜中にひっそりとアイヌの村にやって来て、はっきりと姿を見せることなく物々交換をするなどの付き合いがあったが、男たちが好奇心からコロポックルの女の手をつかんで家に引き入れるとそのことからアイヌをとても怖れるようになりやがて姿を消したという。現在では、これはお伽噺の類として考えられていると言ってもいいだろう。

 でも、と思う。この伝承に乗っかればヌエとアイヌ紋様のデザイン系統の違いはスッキリと説明がつくではないか。さらに積極的に乗り続けるとして、縄文人の直系子孫であるアイヌが、つまりは縄文人が北海道に来る前からいた先住民について考えると、それは現生人類であるホモ・サピエンスではない可能性も視野に入ってくる。

 最近、インドネシアのフローレンス島で発見されたホモ・フロレスエンシスの人骨は背丈が約1メートルで、高度の石器と火の使用が確認されていて、さらに現生人類と同時期に共存していた可能性も指摘されている。火の使用による煤の入手と石器はタトゥーの十分条件でもある。また、現生人類がユーラシア大陸に展開しながらネアンデルタール人やデニソワ人などと混交していたことは最新のDNA研究により既に明らかになっている。アフリカ以外でのその割合は地域集団や個人によって1〜5%で、これは実に現代の個人の5世代前の先祖の一人がそれであることに相当するような大規模な混血なのだ。

 

ホモ・フローレシエンシスの頭骨

ホモ・フローレシエンシスの頭骨(Wikipediaより)

 

 ネアンデルタール人やデニソワ人などは、猟場での競合や暴力的な衝突による要因だけではなく、混血によって現生人類集団に吸収されて徐々に姿を消していった。これなどは本当にちょっと前までは否定されてきた説だ。アフリカ人を基準とした場合のヨーロッパ人やアジア人のダイナミックなルックスの変化は、地道な環境適応進化というよりも彼らとの混血によってショートカットして獲得した形質である可能性が今では高くなってきている。

 ところで、頭が大きくて眉や顎が出っ張り噛む力が強く、腕と脚が短く胴体は樽型のため寒さにとても強い、というのはネアンデルタール人の形質上の特徴なのだが、ちょっと待てよ、おい、と思う。これはそっくりそのまま僕の身体の特徴だ。今度、ぜひDNA検査を受けてみたいところだ。その結果次第では、今後僕が漠然と思い浮かべる大島某という先祖は、棍棒を握って雪の上に裸足で佇む姿となるのかもしれない。

 

タトゥーの起源は現生人類登場よりも古い

 僕はこれまで、スカリフィケーションの風習を持っていた現生人類が5万年ぐらい前にアフリカから出て、ユーラシア大陸で日照量の少ない高緯度地域に適応した明るい肌色になるにつれて、明るい皮膚でも目立つタトゥーを独自に発展させていったというプロセスを想像してきたのだが、最新情報を踏まえてあらためて考えてみれば、ネアンデルタール人やデニソワ人は現生人類よりも何十万年も前からユーラシアに展開して完全なる寒冷地適応を果たしていたのだ。肌色も当然明るかったはずだし、もちろん火も石器も使っていた。彼らがすでにタトゥーをやっていたとしても不思議はないのだ。そこに現生人類が到着し、交流しながらその風習を真似たという可能性はあると思うのだが、どうだろう。

 その場合、タトゥーの起源はいったい何十万年前に遡るのだろうか

 ところで、今回の北海道の旅で出色だったのは網走の北方民族博物館だった。北海道を南限とする視点から見える風景について次回は考えてみたい。

 

北方の南限に最古のタトゥーを訪ねて|アイヌ・(シ)ヌエ考③を読む>>

 

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PROFILE

大島托 おおしま・たく/1970年、福岡県出身。タトゥースタジオ「APOCARIPT」主催。黒一色の文様を刻むトライバル・タトゥーおよびブラックワークを専門とする。世界各地に残る民族タトゥーを現地に赴いてリサーチし、現代的なタトゥーデザインに取り入れている。2016年よりジャーナリストのケロッピー前田と共に縄文時代の文身を現代に創造的に復興するプロジェクト「JOMON TRIBE」を始動。【APOCARIPT】http://www.apocaript.com/index.html