大島托 『一滴の黒 ―Travelling Tribal Tattoo―』 #25 北方の南限に最古のタトゥーを訪ねて|アイヌ・(シ)ヌエ考①
タトゥー・アーティスト大島托が世界中の「タトゥー」を追い求めた旅の記録。舞台は日本の北限であり北方の南限である北海道。アイヌ文様、そしてアイヌに伝わる文身「ヌエ」の曲線を辿る。
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渦巻く北の記憶
父は故郷から遠い人だった。
大学入学とともに生まれ育った北海道を後に上京して以来、本州、九州、四国、また本州と、就職、転職、転勤を繰り返し、僕ら家族を引き連れて日本中をあちこち動き回ったのだが、生涯、北海道に寄り付くことは再びなかった。そのことにどんな特別なわけがあったのか、あるいはなかったのかは今となってはもう分からない。そういえば自分の子供時代のこともほとんど語らない人だった。
盆や正月で必ず顔を合わせたり、普通にあれやこれやの付き合いのあった東京都内在住者の多い母方の親戚たちとは違い、僕は北海道の親戚たちをほとんど知らない。たった一度だけ、小学5年の夏休みに2歳下の弟と2人だけで東亜国内航空に乗って帯広の叔母の家に遊びに行き、空港の到着ロビーで出迎えてくれた叔母を見て、その、まるで堅物の父が女装しているかのような佇まいに、兄弟で涙が出るほど笑い転げた思い出がある。父は6人兄弟の末っ子で、たくさんいると聞いていた従兄弟たちは皆、すでに社会人として札幌で働いていて会えなかったが、祖母には会えた。彼女は祖父が亡くなったのちに他の人と再婚しているらしかった。僕が生まれたばかりの頃に福岡まで会いに来てくれたそうだが、物心ついてからはこれが初めてだった。
祖母には木彫りの趣味があって、御盆や皿や物入れなんかをもらった。それらには左右対称の渦巻き模様がとても正確に彫り込まれていた。そのメリハリのきいた深いカーヴィングの印象から、目の前の車椅子の老婆の中に何か男っぽさのようなものを感じたのを覚えてる。僕も小学校の図工の時間の木彫りが好きだと言うと、嬉しそうな様子で今度一緒に彫ろうかねと言っていた。
でも結局、祖母と会うのはそれが最後だった。
化粧した父のような顔の叔母からは毎年いろいろな食べ物が送られてきたことを憶えている。大きな段ボールにぎっしり詰まったさまざまな品種のジャガイモ、新巻鮭、毛ガニ、当時は北海道以外の地域ではほとんど流通していなかったイクラ醤油漬け、ホッケの甘い燻製などだ。中でもコマイの「カンカイ」が僕は好きだった。これは20センチぐらいの、頭を落としてワタを抜いた小型のタラの一種であるコマイを氷点下の空気で完全に乾燥させきった干物で、棒っきれみたいに硬く、スルメの干物と似た強い香りを放っている。
いつもこれは20~30本ほどまとめて届く。これは父ならどうにか手で捻り割ってほぐすことが出来るものだったが、僕と弟は新聞紙に包んで玄関のコンクリート床の上でハンマーでガシガシ叩きのめし、プライヤーで身を引きちぎってから皮や骨を取り除いた。それにマヨネーズをつけていただくのだ。噛めば噛むほどに滲み出す、ふしだらなほどの身の旨味と、それをむしり取るプロセスのじれったさは、毎年僕らを長時間にわたり玄関先で黙々と作業に没頭せしめるものだった。
マヨネーズは、きっとその昔にディップしていた動物の脂の代わりとかなのだろう。すごく石器時代の雰囲気のある食べ物だ。が、今はカンカイはネット通販で北海道からすぐ届く。
ウポポイの奇妙な空白
白老にオープンしたウポポイ(民族共生象徴空間)は2020年の大きな話題の一つでもあった。これはアイヌ文化の復興、創造、発展を図るフラグシップ的な施設だ。数年前に政府がようやく公式にアイヌを北海道や東北地方の先住民族と認定したことの流れを受けてのものだと思う。
オープン当初のラッシュはとりあえず避けて、小2の息子の夏休みに合わせてのんびりと出かけた。東亜国内航空ならぬピーチ航空だ。字面のイメージの違いに時の流れを感じる。
ウポポイ見物は友人のマユンさんが案内してくれた。ウポポ(アイヌ伝承歌謡)のヴォーカルユニット「マレウレウ」のマユンキキだ。彼女はアイヌのトライバルタトゥーであるヌエ(シヌエ※)の伝統手法による実践者でもある。10年代初め頃にうちのスタジオで沖縄のハジチとともにアイヌのヌエのスタートアップ企画をやり始めた時、高尾の家の近所の旅仲間が友人である彼女の活動のことを教えてくれたのだ。何にしても、ウポポイの博物館に展示されている本人にそこを案内してもらえるなんていうのは、またとないぐらいの渡りに舟だ。
※ヌエ、シヌエはヌイェ、シヌイェと表記する場合もある。
実は、せっかく北海道に来たのだから、前々から考えていたとおりマユンさんにヌエを入れてもらおうと思って連絡を取ったのだ。そこにはカミソリ、アオダモ、ヒグマの油などの僕にとっては未知のイメージが錯綜している。SNSで眺めて「いいね」ボタンを押したりコメントを寄せたりするのではなく、ぜひ実際に体験してそれを解りたいところだ。体験しても解らないことももちろんあるが、とりあえず、体験しないで解るという選択肢はタトゥーに関しては絶対に無いからだ。昔の資料によると男が入れていたと伝えられる、弓が上達して動物がよく獲れるようになる小さなマークがあるのでそれを頼むつもりだった。弓はこれから始めればいい。
でも、彼女としては、人に入れるにはもっと自分自身に彫ってからにしたいので現段階ではまだ受けられないとのことだったのだ。まだ紋様に入って行けてない、とも話していた。
ここしばらくヌエの施術が進んでいないようだった彼女に、何か僕なりのサポートが出来ればと考えたのも今回連絡を取ったもう一つの動機だったから、僕としてはまだ実験段階の技でも受け切るプロレス魂はあった。べつに善人面をしたいわけでもない。今後20年ぐらいの大局を見据えた場合、ネオトライバルタトゥーイストの僕が本領を発揮してゴジラのように暴れまわるには、リバイバルタトゥーイストの存在はそれぐらい重要なのだ。一般読者にも分かりやすく例えると、なんというか、駅伝の3区のランナーが2区の様子を見に来たような感じだったわけだが、ここはもう少し待つしかなさそうだった。
僕も独学でタトゥーを始めて、あらかたの失敗を自分の左右の脚の皮膚でやらかした後に仲間に彫り始めたわけだし、そこにきっちりケジメをつけたいという気持ちがよく分かる。また、現代タトゥー愛好家という方向からではなくリバイバルタトゥーにたどり着いたと言う彼女が感じる世間の風当たりの種類は、僕の知るそれとはまた違う独特のものがあるのかもしれない。トリンギットのナハーン、パイワンのキュジー、それからパプアのジュリア。脳裏をそういうタイプの仲間達の面影がよぎる。
ウポポイにはヌエに関する展示はほぼ無いに等しかったが、その奇妙な空白は彼女の活動が実を結ぶのを静かに待っているようにも感じた。
アイデンティティの在処
新大久保のスタジオには北海道のお客さんはわりと多く来る。距離的にもっと近いはずの東北地方全体よりも多いぐらいの印象がある。その中にはアイヌの血が濃い人もけっこういて、もちろん僕なんかは待ってましたと目を輝かせてうちのヌエとハジチの無料キャンペーンのことを話すのだが、沖縄のハジチの場合と比べると話に乗ってくる人は少なく、
「そういう感じでもないんですよねぇ。」
とか言われてしまうことも多い。
なにも一般の話ではない。ボルネオやポリネシアンなどの世界のトライバルタトゥーを入れに来ている人の話だ。そういう感じでもない、というのは、その人のアイデンティティの在処としてということと、そしておそらくは北海道社会におけるアイヌの在処としてということなのだと思う。
沖縄では圧倒的なマジョリティであるウチナンチューと比べ、アイヌは地元北海道においてもマイノリティと位置付けられる。これは何か比較対象として問題があるような気もしないでもない。「ウチナンチュー」が島内で生まれ育ったヤマトンチュー(和人)などを吸収してどんどん増殖していく緩い概念なのに対し、「アイヌ」はシャモ(和人)などとの混交により徐々に薄れて消えていくソリッドでタイトな括りにも見えるからだ。本来、ウチナンチューに正確に対応する北海道側のワードは「どさんこ」なのだが、それだとヌエの話題からは離れてしまう。チュニジア篇で触れたベルベルとアラブの人口カウント方法の話を思い出して欲しい。ベルベルとアラブとのハーフやクウォーターは、「その他一般」的な意味合いも含めて便宜上アラブに数えられているが、実際はほとんどのチュニジア人はベルベルの末裔でもあるのだ。ともあれ、こうしたカテゴライズの名称はアイデンティティの在処に影響するものだと思う。
我々はたいがい姓を一つ持っていてそれにアイデンティティを感じているわけだが、あたりまえのことだが親はそれが父と母とで2つだ。これを10世代遡るなら1024。世代更新を仮に20年とするならばこれはわずか200年前のことだ。そして20世代では1048576。その頃に世界の全地域で万人に姓があったかどうかは別として、計算上はおよそ400年前には百万を超える先祖たちの姓がそれぞれあったということになる。僕らの名前の上についている姓はその中のたったの一つであり、また、それがその他の全てに対して、名前の果てしない長大化を避けるための組み合わせ時の便宜、である以上の何かしらのアドバンテージを持っているわけでもなく、遺伝的にはすべてが全く等価だ。それでもまだ、大昔の先祖に思いを馳せる時、ほとんど無意識に「大島某」という架空の人物をイメージしている自分がいる。そういう話だ。
あと、気候がもたらすパーソナリティの違いはもちろん大きいだろう。寒い地方のタトゥーリバイバルは世界的にあまり進んでいないという現状もある。
次回はその文様の世界に入ってみたい。
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