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大島托 『一滴の黒 ―Travelling Tribal Tattoo―』 #16 現代マルケサスタトゥーを生んだのは「観光客」と「ヒゲソリ」だった

タトゥー・アーティスト大島托が世界中の「タトゥー」を追い求めた旅の記録。今回はキング・オブ・トライバルタトゥー「ポリネシアン」編、第二回。マルケサスの文様パターンをアップデートさせた二つの要素とは?

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テアモとマナオ

 タヒチ唯一の安宿「TE AMOR」はパペーテの外れにある。最近は強盗が出没するから夜は出歩かない方がいいと言われるエリアなのだが、他に選択肢はない。他に安宿がないどころか、パペーテには中価格帯のビジネスホテルみたいな宿泊施設もまったく無く、あるのは全て新婚さんいらっしゃいの高級リゾートホテルや水上コテージだけなのだ。

 空港から宿に向かう時に利用したタクシーの運転手に身の上話をした流れでタトゥーを彫ることになり、着いて早々に宿泊客の自炊用の台所と食堂を兼ねた裏庭で道具をセットすることになった。個室が空いていなくてドミトリー泊だったから作業に使えそうなスペースはそこしかなかったのだ。

 運転手に彫っていると、宿のスタッフや他の宿泊客がわらわらと寄ってきて、ポートフォリオを眺めては次々にオーダーを入れてきた。今回は稼ぎに来たわけではないのでほどほどに対応したのだが、どうやらここはとてつもないタトゥー熱を帯びた街らしかった。

 強い陽射しが路面に作り出す濃い樹々の葉陰を踏み、宿から1キロほど離れたマルシェに行って、さっそく弁当屋でポアソンクルーを買った。これはキハダマグロやビンチョウマグロなどの切り身をサワーココナツミルクで和えたものが代表的だ。まあ、刺身だ。直訳すると生魚だし。それをバゲットに乗せていただく。てんこ盛りにしてかぶりつく。酢で引き締まったマグロの食感はなんとなく鶏肉のタタキに似てる。それをギュムギュムと噛み締めると爽やかな旨味がとめどなく溢れ出す。が、とにかく量がハンパない。ひょっとしてこれは家族向けのパックだったのか。

 すぐ目の前の通りで闘鶏で遊んでるグループがいたので近くで見物した。顔にタトゥーを入れている男が何人もいた。それらはマルケサスデザインっぽいような気もするが、スタイルというほどのまとまりもない、何か子供のいたずら書きを思わせるようなタッチが多いようだった。自分で彫ったのだろうか。

 適当に通りを歩いていくとやがてタトゥースタジオの看板を見つけた。「MANA,O TATTOO」。大きなスタジオだった。ショーウィンドウに飾ってある作品画像も素晴らしい。全体的に例のあのスタイルなのだが、今まで観察してきたものよりもかなり洗練されているように思えた。ポアソンクルーをほおばりつつそれらをじっくりと眺めていたら、スタッフが出てきて中に通され、スタジオ在籍アーティストたちのポートフォリオを見せてもらう間に、日本から持参した僕のポートフォリオも見てもらったりして、あれよあれよというまにゲストワークをする運びになっていた。

 こうしてテアモとマナオでちょくちょくタトゥーを彫りながら、あちこちのスタジオを片っ端から訪ねて回る、僕のタヒチ暮らしは始まった。

 

Photo by Moana blackstone

 

トライバルタトゥーのセクシズム

 マナオは5名以上のアーティストが常に在籍する、タヒチ、というかポリネシア全域でも最大規模のスタジオだった。オーナー彫師のマヌ・ファーロンの父は、タヒチに初めてコイルマシーンを持ち込んでスタジオを構えた人物であり、マヌ自身もローティーンからマシーンを握っていたという、80年代から始まるタヒチのタトゥールネッサンスを肌で知るスタジオの一つでもある。単にスタッフ数や商売規模が大きいということばかりではなく、そこで生み出される作品のクオリティが素晴らしいし、とかくのんびりしがちなポリネシアタトゥー社会の中では異彩を放つきびきびしたスタジオだった。

 スタジオ内は完全禁煙になっていて、僕はいつも表の階段に座ってタバコを吸っていた。隣のドアの外ではよくオネエたちがタバコを吸っていた。着ているものやメイクからしてどうやらプロのようだった。みんなタトゥーが入っている。世界中でいろいろ接客してきて思うのだが、ゲイやレズビアンのクライアントは僕らにとってはごく一般的だ。男性ホルモンを使っている完全男装の元女性、用語が正しいかはわからないがオナベもタトゥー好きだ。でもそれらと比べてみると女性ホルモンを使っている完全女装の元男性であるところのオネエはすごく少ないような気がするのだ。新大久保という歌舞伎町のバックヤードみたいな場所で営業している僕がそう思うのだからこの感覚は統計的にも合ってるはずだ。うぶなベイビースキンを志向する彼女らとしては、タトゥーにまつわるゴツさのイメージは極力遠ざけたいのかもしれない。が、ここタヒチではオネエもみんな入っている。

 かつてタヒチでは一家の長男を母親のアシスタントとして女のように育て上げる風習が存在していたという話を聞いたことがあった。社会の仕組みの一つとして機能していたそういったオネエ達は「レレ」と呼ばれ、昔の中国の宦官がそうであったように政治の中枢にも入り込んで特別な権力を持つ者も多くいたらしい。その頃からの伝統、というか名残りで今もタヒチのオネエ達は堂々としているのだとか。

 一般に男と女のバージョンに柄が分かれていたとされるマルケサスのトライバルタトゥーだが、このレレ達は男と女のどちらの柄も入れていたとのことだった。石器時代のオネエのタトゥー。

 トライバルタトゥーをやっているとしばしばデザインをめぐるセクシズムの窮屈さに辟易とさせられることもあるのだが、こういう話を聞くとそこらへんはもっと自由に考えていいのではないかと思う。

好きにすればいいじゃないか、誰が「どこ」に何を「入れる」のも。

 それにしてもタトゥー熱の高い土地だ。こうして通りを行き交う人々を眺めていても、子供と老人以外は全員タトゥーが入っていると言ってもいいぐらいだ。しかもほとんどがマルケサスデザインだ。

 こうして見てみると、やはり失われつつあるモノの大切さが分かるのは、それが既に失われてしまった地域や文化の価値観だということだ。もっと平たい物言いをすれば、食うに困らない者のみが後ろを振り返るゆとりを持つということになる。ポリネシアの場合、例えばマオリ人はニュージーランド人、ハワイ人はアメリカ人、そしてタヒチはフランス、というようにそれぞれが先進国民でもあるわけで、先住民文化に対する敬意や保護意識がいちはやく育まれた国々の中のゆとりのある先住民なのだ。さてと腹は十分膨れたし、そろそろ自分たちが何者なのかいっちょアピールでもしてやりますかね的な地元住民ほとんど全員参加の圧倒的な勢いにそのリバイバルの特徴がある。まるで神輿の出る地域の祭りみたいだ。そこがボルネオなどとは大きく違う点だ。そしてポリネシアのトライバルタトゥーではサモアを唯一の例外として他では全てそれが一度完全に失われている文化だということが、彼等のリバイバルのバネの強さを考える上で重要なタメの時間であったのだとも思う。

 ここが本物のタトゥーリバイバルの爆心地だ。

 

Photo by Moana blackstone

 

「観光」と「ヒゲソリ」が文様を変えた

 実際に働いてみるとタヒチのタトゥーを取り巻く環境の最大の特徴ともいえる一つの事にすぐに気づく。それはクライアントのほとんどが域外からのバカンス観光客だということだ。ローカルのタトゥー率の高さに言及したばかりではあるが、ここタヒチの主要産業は何と言っても観光事業であり、島民のおよそ倍の数ほど訪れるリッチな観光客によって島の経済は成り立っているのだ。このことは施術をスピーディに、コンパクトにまとめなければならないということを意味している。ハーフスリーブぐらいのよくあるサイズのオーダーなら一回で確実に仕上げる。複数回でじっくりなんてやっていたら旅行スケジュールを圧迫するし、帰りの飛行機にも間に合わない、ということなのだ。だから作品面積のわりに黒塗りの割合を極限まで抑えられるように、もともとはニュージーランドのマオリのデザインである「コル」というシダ植物由来の渦を巻くような抜きパターンを大胆に取り入れ、少なくなった塗り部分もライナーの5とか7でライナリングと同時に一気にこなしていく。マシーンのセッティングはライトで高速。さしずめ一本の手製クラブで全コースをまわる「プロゴルファー猿」みたいな手際のいい彫師がタヒチにはとても多い。

 そしてそれはもう一方でマグナムニードル(平針を上下二段にジグザグに組み上げたもので、大きな塗り作業用の代表的な針)をはじめとする平針のシェーダーを苦手とする人が極端なほど多いということでもあった。

 ある日、テアモで掃除係の女性の亭主がタトゥーを入れにきた。その彼はあの、闘鶏で遊んでいた顔面タトゥーの中の一人だった。巨大なその身体もタトゥーだらけだったが、聞けば彼のタトゥーはそのほとんどが若い頃に刑務所の中で入れたものだということだった。割と長い間そこで暮らしていたのだが、結局、左脚が埋まる前に出所してしまったので、その部位にタトゥーを増やしたいが、現在ヒモ生活の自分にとっては街中のスタジオはどこも料金が高いので、何でもいいから激安でやってくれないか、とのことだった。つまり身体が埋まりきる前に顔を彫ったということだ。ちょびっとじゃない。びっしりだ。しかもデザインは超テキトーだ。我々プロはこういう人を粗末には扱えない。托鉢僧とか巡礼者みたいなものなのだ。

 ちょうどマナオで勉強している最中のデザインを実地で試してみたいところだったし、テアモのスタッフ用の賄いメシ七日分と引き換えで請け負うことにした。これがフレンチ中華スタイルでけっこう旨いのだ。そんな料理のカテゴリーがあるのかどうなのかは知らないが、料理担当者が仏中ハーフだったからそういうことにしておく。とにかくハイエンドかジャンクしか選択肢がないタヒチの食環境ではこういう普通の家庭料理はありがたい。

 が、またしても量はハンパない。当時の僕は30代後半で体重80キロオーバーの食欲旺盛な日本人男性で、なおかつ他所で出されたメシは米粒一つたりとも残すなという教育を徹底して施された者だったが、その僕にしてどうしても持て余してしまうボリュームなのだ。いつも食べ切れない分をフェンス越しに隣家の強面ピットブルに与えていたら、しまいにはサーカスのライオンみたいに従順になった。

 どうやらタヒチの本当のタトゥーリバイバルは刑務所から始まったという側面もあるようだった。僕がパペーテのマルシェ周辺で出会った顔面タトゥーの人々は実はほとんどが刑務所でそれを入れていたのだ。デザインが落書きじみていたのはそのせいだ。まだ現在のようなスタイルも作り上げられてはいない80年代に、古い資料を見ながら何となくそれ風に囚人たちがやり始めてみたわけだ。

 道具は、電池式ヒゲソリシェーバーのヘッドカバーを外して駆動部をむき出しにしたところに針を接続し、ボールペンなどの軸の先から針がピストン運動するようにセットされた手製の装置だったらしい。刑務所内で手に入る物品の範囲内で工夫されたタトゥーマシーンだ。

 ちなみに沖縄の海洋博物館には南太平洋関連の展示コーナーがあるのだが、その展示物の一つにタヒチのタトゥーリバイバル当時のマシーンとしてこれと同様のものが展示されているので興味がある人はぜひ実物を見て欲しい。これを作ったのは僕の友人でもあるヘイマヌ・ミシェルというリバイバルシーンの大物タトゥーイストだが、彼自身がべつに刑務所出身ということではない。刑務所から始まった手製マシーンのスタイルがそのままパペーテを中心とした街中での初期リバイバルシーンでも使われていたということなのだ。

 さらに追記となるのだが、このヒゲソリ改造タトゥーマシーンは80年代以降に独学でタトゥーを楽しみ始めた者たちの間では世界的に同時多発していた現象で、日本の当時の中高生でもこれを作って遊んでいるやつは実際にいた。かつてラトビアの少年院でこれを使っていたという、今は押しも押されもせぬ有名タトゥーイストの仲間もいる。スマトラでは今だに現役で使用されているのも目撃した。

 プロが使っていたコイルマシーンはもちろん第二次世界大戦よりも前からずっと存在していたのだが、それは主に欧米などの一部の地域で専門的に流通するのみで、世界の大半の国々では素人が手軽に入手できるようなモノではなかった。なので、ごく身近な日用品で、誰にでも簡単にタトゥーマシーンに改造しうるものが必要だったわけで、それが世界的規模で電池式ヒゲソリを使って、という発想だったのだ。

 ヒゲソリ用の小さな動力で使える針数は当然限られてくる。そしてボールペンなどの軸をチューブ&チップにするならば針のタイプは丸針のライナーだけだ。つまりは3~7のライナーだけということになる。そのように限定された表現の手段はもちろんデザインのあり方自体にも大きく影響するだろう。かつては鍬や鋤のような形をした大きな平針のみを使用するハンドタップ手法で作られていたデザインと同じものを目指すには開きがあり過ぎるからだ。

 そうして出来上がってくる新しいデザインは当然、ライナーでの施術に特化したものになったので、やがてもっと強力で安定したコイルマシーンが欧米から入ってきた後も、大きな塗りに適した平針のフラットシェーダーには積極的に手を出してこなかったということなのだ。

 フレンチポリネシアの彫師達は皆、昔のオランダ政府に雇われていたドイツ人研究者カール・フォン・デン・シュタイネンの残したマルケサス諸島のトライバルタトゥーに関するスケッチを、ほとんど唯一の手がかりとして現在のマルケサススタイルを築き上げてきたのだが、タヒチならどこのスタジオにも辞書のように置いてあるこの資料の、あの直線的で真っ黒なデザインが、いったいどのような経緯で白がちで複雑に曲線が錯綜するようなものに変貌を遂げたのかということの理由が、これらの体験から分ったような気がして、自分的にはとても納得がいってスッキリした。

 要は観光とヒゲソリなのだ。塗り潰しを極限まで抑えるための幾つかのパターンの繰り返しが現地デザイン進化のポイントだったのだはるばる日本から来た甲斐があったというものだ。

 というか、これがはたして一般の読者に分かるような話だったのかが今更ながら心配ではあるが。タトゥーマシーン絡みの話になるとどうしても夢中になってしまう自分を抑えきれない。

 スタイルの変遷については明らかになった。ではデザインのモチーフやその意味はどうだろうか。これはネットや書籍で調べて見ても全く雲をつかむようなものなので、一般のお客様やその予備軍にとっては関心があっても分からないところだろうと思う。次回はそのへんを掘り下げて見たい。

 

Photo by Moana blackstone

 

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PROFILE

大島托 おおしま・たく/1970年、福岡県出身。タトゥースタジオ「APOCARIPT」主催。黒一色の文様を刻むトライバル・タトゥーおよびブラックワークを専門とする。世界各地に残る民族タトゥーを現地に赴いてリサーチし、現代的なタトゥーデザインに取り入れている。2016年よりジャーナリストのケロッピー前田と共に縄文時代の文身を現代に創造的に復興するプロジェクト「JOMON TRIBE」を始動。【APOCARIPT】http://www.apocaript.com/index.html