タトゥー・アーティスト大島托が世界中の「タトゥー」を追い求めた旅の記録。旅を経て日本にスタジを構えた大島が次に向かったのは列島の古層だった。縄文時代に存在したと目される文身文化。明かしえぬ《縄文タトゥー》を探して。
2021.5.19
<<#29 縄文群島の明かしえぬ黒い文身|日本最古のタトゥーを復興する①
ラース・クルタクとの邂逅
クチンの大通りで僕は「ケドンドン」を探していた。
イバン族の調査という名目でライギョ釣りにかまけていた最中に奥 地の田舎の屋台で飲んだ、少し干し梅が乗った清涼感たっぷりでシ ャクシャクした喉ごしの、緑色の甘酸っぱいフレッシュジュースを 、彼女にもぜひ味わってもらいたかったのだ。が、通りのその手の 店を片端から聞いて回ってみたのだが、扱っているところはなかっ た。みんなよく知ってるんだけど、そういえば最近この辺じゃ見か けないなぁ、みたいな反応だった。ちょっと古い世代の飲み物なの だろうか。
その道すがら、看板にデカデカとクレヨンしんちゃんのイラストが 描かれたタトゥーショップを見つけた。いや、初めに通り過ぎた時 は普通にクレヨンしんちゃんグッズの店だと思ったのだが、ケドン ドンが見つからずに通りを引き返して来た時にタトゥーショップだ と気づいたのだ。
ほんの気まぐれで中に入ってポートフォリオを見せてもらったら、 とんでもなくハイレベルのシリアスなタッチのブラック&グレーの 使い手だった。その真顔で冗談みたいな男、エリック・クエイは2 日後に開催されるというタトゥーコンベンションの企画に携わって いて、僕に審査員としての参加を依頼してきた。そういうコンベン ションがあるなんて全く知らなかったが、エリックは面白い人だっ たし、とりあえず引き受けた。
教わった住所のコンベンション会場はかなり立派な建物だった。前 夜にホームページで参加者リストを見たら海外アーティストは三分 の一ぐらいで、知った名前はカリマンタン島のハンドタッパーのヘ ンドラぐらいか。あとはマレーシア国内のさまざま作風のタトゥー イストたちだった。多民族国家ではあるが、いちおうイスラムを国 教とするマレーシアでは全土を通じた公のタトゥーマガジンやタト ゥーコンベンションといったものはなく、イバンなどの部族たちが 趨勢のここボルネオ島ではそれらが可能となるという状況なのだ。 が、エントリーしている国内のタトゥーイストたちのほぼ全員が中 華系の名前だった。エリックもそうだ。面白い国だ。
ホール内に入るとすぐ正面にあたるところに大量に平積みにした分 厚い本と女物の極小布地のブラジリアンビキニを売っているメガネ をかけた白人の中年男がいた。なんだかコミケっぽいなとか思いつ つもその分厚い本を開いてみて、 愕然として手がプルプルと震え出した。男が話しかけてきたが、僕 は吃ってしまって上手く返答が出来ない。そこにはフィリピンのル ソン島奥地で今も細々と生き残っているカリンガ族のトライバルタ トゥーと、現在アメリカのLAで復興を遂げつつあるフィリピン諸 部族の壮大なリバイバルタトゥー運動が圧倒的な画像量で収められ ていたのだ。
これがタトゥー人類学者ラース・クルタクとのまったく偶然なる出 会いだった。ともに審査員だったこともありすぐに意気投合した。 これ以降、沖縄やアイヌ、といったそれぞれの地域のトライバルタ トゥーの復興や、古代のタトゥーを考察するといったテーマで我々 の活動はリアルタイムでなんとなくシンクロしていくことになる。
ミッシングリンク
タトゥー人類学者といえばトマシュ・マデの存在も僕にとっては欠 かすことは出来ない。彼はインスタがメジャーになる前の時期のF Bで高い人気を誇ったトライバル系ブラックワークのセレクトペー ジ「Tatuaz Etniczny / Ethnic Tattoo」の主催者で、ポーランドのタトゥーマガジン「Ta ttoo Fest」のライターだ。現在の世界のトライバルタトゥーのコミ ュニティの形成に大きな一役を買っている人だとも思う。
彼とは趣味がとても合っていたようで、当時の僕の実験的な作品の ほとんどをそのページで紹介してもらうほどに贔屓にしてもらった 。欧米で最初に僕の特集記事を書いてくれたのもトマシュだ。その 時の記事は後にエール大学出版の「The World Atlas of Tattoo」にも転載された。これはタトゥー人類学者の目線で 選ばれた世界のタトゥーイスト100人、 という非常に名誉なものだった。商売がガタガタの状況で彼女が出 産し、プレッシャーからなのだろうかエゲツない肋間神経痛に見舞 われてジタバタもがいたりしていた当時の僕にはそれがどれだけ嬉 しかったことか。なお、誌面ではカットされていたが、実はそのイ ンタビューの中で僕はトマシュにすでに訊ねられていた。
ところで日本の縄文時代のタトゥーのことはどうするつもりなのか 、と。
北は北海道、クリール諸島、カムチャッカ半島など、そして南は沖 縄、台湾、フィリピン、ボルネオなど、アジアの太平洋沿岸島嶼部 には広く近代までトライバルタトゥーの習俗が存在していた。それ らの連鎖の真っ只中に位置する日本の本州、四国、九州といった島 々にもかつてはそれがあっただろうと推察することは至って自然な ことだろう。実際、これらの地域の土の中から出てくる土偶、 埴輪、土面などの縄文から古墳時代ぐらいに渡る、人物を象るスタ イルの遺物には当時のタトゥーの柄と解釈することが可能な模様が 多く見られる。特に縄文時代の遮光器土偶のド派手で不思議な佇ま いなどは世界的にもよく知られているところだ。
そして島嶼部の風俗というものは、概ねかつて大陸部で行われてい たそれが保存された「記憶のカプセル」 であったりもすることを考えると、古代のアジア地域全域には遍く タトゥーが存在していたことも容易に想像できると思う。
僕は現在の日本という国からの視点で、便宜上その領域を縄文とい う名称で呼んではいるが、国という概念のなかった頃に無数の部族 や血族が蠢いていたであろう当時の有り様は、日本という括りより さらに細分化して捉えるべきであろう事柄であると同時に、もっと はるかに大きな範囲で俯瞰すべき現象のはずでもあると思う。それ こそ自分を縄文人だと思っていた縄文人などはいなかったわけで。
ラースやトマシュにつつかれるまでもなく、そういう領域に僕が興 味がなかったわけがない。自分でも前からちょっとは調べてはいた のだ。知られている土偶の完成度はどれも高く、それを入り口にす ることは一見容易いようにも感じられるのだが、もう一歩以上踏み 込むとそれが実に広大な地域の長大な時間に関わるものだというこ と、そしてその割には材料があまりにも少ないことが分かってくる 。貴重な出土物自体はたくさんある。膨大と言ってもいい。それら の編年資料なども精密極まりない。が、タトゥーとほぼ特定されて いるのは、服や装飾品の可能性が少ない顔の模様ぐらいという地味 さで、身体部のタトゥーに関しては、例えばそれが凍土の中から保 存状態の良いミイラの肌の上に見つからない限りは答えが出ず、日 本の気候や土壌からそれを期待することは無理だという。
これでは今、世界で行われていて僕もよく知るリバイバルタトゥー の手法ではどうにも歯が立たない。それらはほんの少し前まで実際 に行われていて、祖父母が入れていたなどの身近さと正確な記録資 料が豊富にあるのが前提となっているからだ。
またタトゥーである限りは必ずそれを実際に己の身体に不可逆的に 纏う人々が必要なわけだが、現代日本のタトゥーファンと、考古学 、歴史の愛好家のそれぞれの形成する人口の円のベン図には重なる 部分がほとんどないようにも思えた。現に、現代タトゥー文化とし ての和彫りが登場してから現在までのおよそ200年あまり、 そして日本の民俗学、考古学が初めて縄文時代のタトゥーの可能性 に言及してからだいたい130年間、かなりの長い時間だが両者は 袖振り合うことすらもなかったのだ。
肉体の感覚や経験を楽しむ人と、書物から得られる知識や空想を好 む人の違いは日本ではかくも大きいものなのか。あるいは先史、未 開の人類文化のイメージに対してロマンチックな憧れを抱けるほど には、まだそこから充分には隔たっていないアジア地域の一員だか らということなのだろうか。だとすればどういうアプローチが有効 なのだろうか。
とは言っても、ラースのような、自分自身がタトゥーだらけの学者 がホワイトハウスで講演を打つなんてのはそれこそ10年前にはア メリカでも考えられないことだったろう。今まさにそういう波が順 次世界中に押し寄せ始めようとしているのかもしれなかった。
まったくもってケドンドン探しというのは一筋縄ではいかないらし い。
有効な次の一手を暗中模索する中で僕はとうとうケロッピー前田と 出会ってしまったのだった。
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