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藤野眞功 『聞き書き・ごんたくれ』 其の六

インターポールを通じて125カ国に国際特別手配された、最初の〈ザ・ヤクザ〉。小野忠雄が語るゴロマキ人生。

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テーシー

 

小野が持っていた「週刊宝石」(昭和57年10月2日号)の記事。

 

「最初は、夢かと思ったね。だって夢でもなけりゃ、ハジキで顔突っつかれて起こされないでしょ。寝ぼけたまんま、こう、半目を開けたら、目の前にハジキを持った国友と子分どもがいて、びっくり。で、その子分どもの中に、昨日の日本人ですよ。ったく、呆れました。睨みつけたら、ずいぶんバツの悪そうな顔して……うーん、野郎、ホント頭くるな。てめえが、『国友を潰して下さい』って頼んできたのに」

 「動くな」、「起きろ」、「立て」、「歩け」と命じられ、パンツ一丁でテラスに立たされた小野は、国友が構えるリボルバーの弾倉に目をこらしたという。

「野郎、ハジキ握る手が震えているように見えたから……ひょっとして、たんなる脅しだけで、弾入れてないんじゃないかって期待したんですけどね」

 残念ながら、弾は装填されているように見えた。

「こっから飛べ! 弾かれたくなかったら、てめえ、こっから飛び降りろい!」

 国友は銃を突きつけたまま、怒鳴ったそうだ。

 情けない日本人の部屋は7階にある。飛び降りれば、死ぬだろう。たしかに、転落死なら綺麗だ。国友は罪に問われず、邪魔者も消える。死にたくなければ詫びるのが早いが、そのつもりもなかった。頭に血が上っていたので、飛び降りても、撃たれても、どうせ死ぬなら国友を巻き込んだ方がまだ気が晴れる。というわけで、小野は突進した。

 怒鳴り声を上げて殴りかかったつもりだったが、喉が渇いて声にならない。間に入った数人の子分を次々に殴り、殴り返された。揉み合っていると、「おい! 待て、おい!」。天井に銃口を向けて、国友が制した。

「その瞬間ですね。当然、顔には出さなかったですけど、助かったと思いました。この野郎は撃てねえって」

 国友はゆっくりした動作で、握っていたハジキを居間のエアコンの前に置いた。それから、顎をしゃくって、小野を別室にいざなった。子分は居間だ。この先どうなるか、すぐに分かった。

「野郎、部屋に入ったら、急に口ぶり変えて、コレだもん。『小野ちゃん、根性あるわ。うん、根性ある。性根っ玉が違うな。あいつ(国友を売った日本人)はダメだ、どうしようもねえ。これからはさ。小野ちゃん、おれたちは友達付き合いしようや』なんて言って。ポケットから丸めた札束取り出して、よこして。はは、そりゃ受け取りましたけど。腹ん中じゃ、友達になる気なんかないですよ。向こうも同じでしょう。お互い、後でケジメとるつもり」

 これでまた、小野は当座の現金を得た。まずは居候先のアイダにいくらか渡し、MISG担当官のマテリアーノとは寿司屋。デニス、ラクソンとは一緒にカジノで楽しんだ。その後、国友はといえば、小野がケジメをとる前に、マカティの駐車場で撃ち殺されてしまったのだった。

「国友は、関東のヤクザの看板使っていましたね。実際は、マニラに来たときはもう足抜けしていて、ただの不良だったみたいだけど。それがフィリピンで羽振り良くなっちゃったもんだから、九州の武闘派の組に商売持ちかけて、引っかけちゃった。そうしたら、日本からヒットマンを送り込まれて、あっさりやられちゃって」

 この事件は「日本のYAKUZAが殺された」としてマニラでも大きな話題になり、当時の報道では――NBI(検察局)が国友のアジトを捜索したところ、コルトの45口径が13丁、38口径が24丁。サイレンサー付きのリボルバーが4丁、それに自動小銃が2丁。他に乾燥大麻などが見つかった――と報じられている。

 もし、国友が撃ち殺されていなかったら、小野はどうやってケジメをつけただろうか。金を用意して、MISGの面々に頼むつもりだったのか。

「いや、そんなことしないって。MISGに、そんなチンケなこと頼めないよ。日本じゃ、どうもマルコス時代が誤解されているんじゃないか。70年代、80年代に、フィリピンでそれなりに好き勝手やった日本人の不良たちが頼りにしていたのは警官とか、軍の下士官とか、たいていは、そんなもん。あとまあ、政治家の取り巻きとか。MISGはぜんぜん、そういう不良とはまったく違うから。デニス、ラクソン、マテリアーノなんか、バリバリのエリート軍人でしょ。

町場の警官なんかは、無茶な遊びをしたい観光客の外国人にたかったり、セットアップする程度だけど。MISGは、射殺許可証を持っている特殊部隊ですからね。観光客じゃなくて、がっちりセキュリティのついている企業経営者とか、フィリピンの議員連中まで拉致して、クラメ基地に監禁しちゃうんだ。それから自分たちの正体を隠して、別の誘拐犯を装って、身代金を要求するのね。で、金が入ったら、監禁していた奴を殺しちゃう。こっそり殺すとかじゃなくて、基地の路上に引きずりだして撃ち殺したり。手錠外して、『行け』って怒鳴ってさ、解放してやったふりをして。それで、さらわれた奴が走って逃げ出したら、後ろから撃ったりね。拷問もすごかった。爪と肉の間に電極刺して、高圧電流を食らわせたり……だけど、べつに酷いとかは思わなかったな。

マルコスとか、その子分たちだけがえげつないことをやったわけじゃないからね。アキノだろうがその子分だろうが、アロヨだろうがその子分だろうが、みんな同じことやるんだから。今のドゥテルテもそうだし、次に大統領になる奴だって同じ。(来年の大統領選に出馬を表明している)ラクソンは、これが最後のチャンスだから、もし勝ったら面白い。

だからって、おれはあいつがクリーンだとは言わないよ。おれはラクソンの仲間だけど、仲間であるかどうかってことと、これは自分も含めてね、それが正義とかクリーンなのかってのは、そりゃ、まったく別の話だから。自分が一蓮托生で、誰に賭けるのかって話をしてるだけ。おれはMISGに助けてもらった。だから、あいつらに人生を賭けたってだけで。正しいとか、間違ってるとか、そういうのは関係ない。

だけど、うーん……MISGのあいつらなんかは、ほんとに誰かの頭を撃ち抜いてさ、マンガみたいに頭蓋骨が破裂して、人間がベシャッと倒れて、血……血は、最初はパッと明るい赤で、だんだん暗い色になっていくんだけど。脳みそと一緒に転がった目玉を拾って、そのぬちゃーっと糸引くやつを、わざわざ指で弾いて、笑ってんだから。そういうところは、おれもよく分からなかった。普通に殺せばいいのに。わざわざ目玉とか、耳とか、舌とかいじくって、そんなことして楽しいのかねえ。いまだに分からないけどね。でも、彼らはやっぱり人生で殺してる数が違うから。あんまりいっぱい殺ってると、そんな感じになっていくのかもしれない」

 アイダの家に居候をするうち、小野は一緒に住まうテーシーに好意を抱くようになった。彼女はアイダの妹で、大学生だった。

「アイダにも、ジョイ(夫)にも、まったく警戒はされていなかったです。いや、おれだって、最初はそんな気なかったし。テーシーは、大学の経済学部に通っていて。一族の希望というか、ずいぶん期待されてた。アイダとテーシーの親は政治家とか、軍人官僚じゃないから。そういう家の娘じゃないのに、ちゃんと大学に通っている女なんて、当時は珍しかった。それを、たんなる居候のね、ルンペンみたいな日本人がちょっかい出すのはまずいってことぐらい、おれにだって分かります」

 それも、しばらくの間だけだ。ある日、付き合いの長い東京の興行師から、仕事が舞い込んだ。とある政治家のドラ息子が物見遊山に行く。マニラで、そのケツ持ちをしてほしい、というのである。

「『とにかく金は持っているから、思う存分遊ばせてやってくれ』ってことで、ドラ息子の兄弟が来たけど、まあ、ひどかった。ほんとに生意気なガキ、金さえありゃあ、何でも思い通りになると勘違いしてる野郎ども。やれ『拳銃が撃ちたい』、撃たせてやりましたよ。やれ『シャブほしい』、くれてやったよ。様子がおかしくなっても大丈夫なように、ちゃんと見張りもつけてね。やれ『女、女』、いいよ、いいよって。そうしたら、こいつら、札びら叩けば『テーシーを抱けるのか』って、おれが頭きたの分かったんだろうね、すぐ黙ったけど。アイダとかテーシーは、おれの人生を救ってくれた恩人なのに、こんなクソガキどもがさ。そんなんだったら、まだ、おれとテーシーが一緒になった方がいいじゃない?」

 その気になって接すると、どうやらテーシーもまんざらでもない様子である。

 ほどなく、我慢が利かなくなった。

 腹を括ってクリニヨに相談すると、怒るどころか「本気で惚れていて結婚する気があるなら、さっさと子供を作っちまえよ」と言う。そんなわけで、小野は1220日に決行した。自分の33歳の誕生日で、テーシーはまだ大学生。その後、ふたりはアイダに隠れて外で密会していたが、ほどなく露見した。

「あんたは悪魔よ!」

 アイダは激怒して、小野を家から追い出したが、テーシーはすでに身ごもっていた。

 事態を知ったクリニヨやMISGの面々は、笑って慰めてくれたという。

 追放処分を下された小野は、マビニのマンションでひとり暮らしを始めた。テーシーの妊娠は、アイダも知っている。赤ん坊の顔を眺めれば、そのうちに父親が必要だと分かってもらえるだろう。

 ある夜、部屋で遊んだ女性の見送りに出た小野は、途中の楷でエレベーターに乗り込んできた日本人グループと喧嘩になった。リーダーらしき男が詫びたので、牽制のため、互いのルームナンバーと名前を交換して部屋に戻ったが、おさまらない。

「酒飲んだりして、最初は我慢したんだ。腹の虫が収まらないから、やっぱり野郎の部屋に行こうと思いついてね。それで包丁を握ったら、ちょうどドアをノックする音がして。『小野さん、阿部(仮名)です』って」

 先ほどのリーダーらしき男が、日本酒の一升瓶を抱えてドアの前に立っていた。

 阿部は、1966年に解散したことになっていた六本木の暴力団、東声会の流れを汲む組織(以下、旧東声会系と表記する)の組員で、ルソン島南部のパンパンガにシャブの密造工場を作ったり、サンボアンガで養殖真珠の窃盗団を組織していた。

 のちに、小野が親しく付き合わざるを得なくなるのは阿部ではなく、阿部の兄弟分の三浦だが、その話に進むためには、一足先にテーシーとの顛末に触れておかねばならない。法律上の妻である日本の玲子は「おれの印鑑を偽造して、勝手に離婚届けを出していました」。というわけで、小野はいつでも再婚できる状態にあった。

 しかし彼には、テーシーはもちろん、クリニヨやマテリアーノらにも伝えていない秘密があった。MISGのおかげでフィリピンでの自由を得たが、まさにこのとき同時進行で、小野は日本の法律を犯していたのである。

「だから、あれですよ。おれ、最初にいたヤクザから絶縁されたでしょ、硎谷一家。愚連隊の奴さらって、海の家の砂浜に埋めようとしたとき。(系列団体の組長の)倅を巻き込んだから、どうのこうのって言われて。あの後、オマワリが動いて、おれ、パクられたんです、もう巽会に移った後にね。それで、地裁で実刑がついてたから、とりあえず控訴して。その保釈中にフィリピンに行ったんだよね」

 結果として、小野は、海外へ高飛びした形になっていた。

「高裁の判決(宣告)期日までには戻ってくる気でいたし……だけど、マニラで何回もパクられて、刑務所ブチ込まれて。パスポートも取り上げられちゃったんだから、そんな帰国どころじゃないよ」

 高等裁判所で実刑が確定した後、いっこうに出頭しなかったため、小野は逃走犯として検察に追われる身となっていた。しかし、捜査の動きはあくまで日本国内に向けたもので、海外にいることは突き止められていなかったと思われる。

 それでも、首都マニラに留まり続けるのは具合が悪い。都市部で金を稼ぐためには、ヤクザや不良と付き合い、衝突し、トラブルの種を探し続けることが欠かせないが、やりすぎれば、いずれ誰かに売られてしまうだろう。この状況でテーシーと一緒になるためには、いったん身を隠す必要がある。

 アイダは、身重のまま大学を卒業したテーシーをクリニヨの家に預けていた。しかし、クリニヨはそもそも結婚に賛成だったので、すぐに小野へ知らせ、彼の家で再会したふたりは結婚を決めた。そして、小野の高飛びの状況を踏まえて、サンバレス州の実家へ逃げることにしたのだった。

 

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PROFILE

藤野眞功 ふじの・みさを/著書に、ノンフィクション「バタス」(講談社)、長篇小説「憂国始末」(新潮社)、短篇集「アムステルダムの笛吹き」(中央公論新社)など。フリー編集者としても活動し、横田徹「戦場中毒」(文藝春秋)、高橋ユキ「つけびの村」(晶文社)などを手掛ける。【過去の記事】https://fujinoshin.com/