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大島托 『一滴の黒 ―Travelling Tribal Tattoo―』 #27 北方の南限に最古のタトゥーを訪ねて|アイヌ・(シ)ヌエ考③

タトゥー・アーティスト大島托が世界中の「タトゥー」を追い求めた旅の記録。舞台は日本の北限であり北方の南限である北海道。アイヌ文様、そしてアイヌに伝わる文身「ヌエ」の曲線を辿る。

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無辺の空

 北海道の田舎の道路をバイクや車で走っているといつも空間の規格の違いに感嘆する。近くに対象物がなさすぎて全然前に進んでいないような錯覚を覚えるほどだ。気がつくとけっこうなスピードを出してしまっている。アジア離れした風景だ。アメリカの穀倉地帯に似ている。広大無辺の原野を入植者たちが計画的に開拓して農地や牧場にした空間だから一軒あたりの面積が桁違いにデカいのだ。僕の曽祖父母の1組もそんな広々とした畑に憧れて富山県から渡って来たという話を聞いたことがあるような気がする。

 美瑛町のバンガローに泊まり、昔からの旅仲間たちとジンギスカンを料理した。地元の人も気さくに混ざってきて賑やかだ。ここのところ毎日やってるおかげで手際がどんどん良くなってきている。通なタレ使いも分かってきた。これは僕の知る限り世界で最も甘い味付けの羊肉料理だ。これは名称こそジンギスカンではあるものの、本来、モンゴル人は羊肉には岩塩しかつけないのだ。というかまずその名を料理に冠することもあり得ない。これは寿司が「聖徳太子」とか呼ばれるようなものだ。ちなみにジンギスカンことチンギス・ハーンは、理論的には始祖ルーシーを除く特定個人としては最も多くの遺伝情報を現代人のDNAに残す存在らしい。

 

大島流ジンギスカン

 

 まあ、ジンギスカンだけに限らず北海道民の味付けは全体的に甘い。卵焼きに砂糖をたっぷり入れていた父の味覚のルーツをあらためて確認した思いだ。

 

美瑛町のバンガロー

 

 それにしても夕刻の空がおそろしいほど美しい。

 

美瑛の夕景

 

ヒグマと鮭の世界の南限

 僕の旅仲間には北海道出身の者は多い。いや、道民人口を考えると、ものすごく多いと言っていい。赤道近辺の海辺の椰子の木陰で毎日飽きることもなくハンモックに揺られ続けている日本人がいたら、経験上それはかなりの確率で北海道からの旅行者だ。彼らは総じて旅の手練れであり、そのうえトロピカル欲求が非常に高いのだ。

 また、北海道に移住した旅仲間もけっこういて、食料自給率200%以上とも言われるその生産力に関連した農業、牧畜、漁業の仕事もたくさんあるようだし、ローカルコミュニティにも馴染みやすく、定着率は高いようだ。なんとなく前回から沖縄と対比して考える癖がついてしまったようだが、これらはみなこちらの移民社会が醸し出す外向きで薄い空気に理由があるのかもしれない。そういえば誰もが標準語を話している。もう一つの東京みたいな側面が意外にもこの自然豊かな大地にはあるらしい。

 自然と言えば、北海道と青森の間の津軽海峡には生物相の境界線が引かれている。サルやイノシシやカブトムシは北海道にはもともと棲息していないし、クマ、シカ、そして絶滅したオオカミなどは北海道以北では巨大化する。

 巨大化したクマ、すなわちヒグマの分布域は北半球でも上の方だ。さまざまなクマの種の中でも肉食性が強い彼らは、その分布域の中でも北に行くほどにさらに巨大化する。これはいわゆる、ベルクソンの法則と呼ばれるものでもある。恒温動物は大きくてずんぐりした個体ほど保温効率が高く寒さに強いのだ。

 

北方民族世界地図(北方民族博物館にて撮影)

 

 ヒグマの分布域は、世界的に農耕が普及した後も長らくそれを選択しなかったタイプの狩猟採集社会の分布域ともだいたい重なる。両者の生活を支えたのは豊富な海山の幸だったわけだが、何と言ってもその象徴的な存在は鮭だ。それぞれの河に遡上する鮭の種類の多さは漁獲シーズンの長さとイコールで、その地域のヒグマの大きさに比例する。そして、北米北西沿岸部のハイダやトリンギットが燻製や干物で保存を利かせた鮭による鮭本位制の資本主義社会を築き上げ、周辺の農耕民と交易していたことはバンクーバー篇ですでに見てきたが、それに近いことは北海道のアイヌによっても行われてきた。

 

鮭の燻製(ウポポイにて撮影)

 

樺太の先住民であるウリチの鮭皮の衣服(北方民族博物館にて撮影)

 

 例の、父と瓜二つの叔母から送られてくる鮭の干物「トバ」は当時はソフト加工なんてシャレたものではなくカビだらけでガチガチの物体だったので、やはりハンマーで叩きのめしてマヨネーズの刑に処していた。これも美味い。水で戻して調理も出来るらしいがうちではやったことはない。養殖と輸送の技術の発展によっていつでも刺身で鮭が食べられる現代社会でそれをやる必然性は低いのだ。

 このように、北海道を南限とする視点から見えてくる北方民族世界は鮭の世界でもあるのだ。なお、東日本に縄文遺跡が集中する現象は、かつてこれらの地域が鮭世界の南限だったことと深く関係しているとも言われる。

 

アンチピリ

 阿寒湖に向かう途中、足寄町あたりの国道沿いに「黒曜石資料館」という手書きの看板が見えたので立ち寄ってみた。ここには館長の柴刈さん自らが「玲瓏石」と名付けた、白いシラーの入った黒曜石がたくさん展示されていた。このあたりでしか採れないものらしい。柴刈さんの黒曜石に対する熱量は非常に大きく、最近、石集めにハマっている息子はイタく感激してその説明に聞き入っていた。割ると鋭く硬い破砕面を簡単に作れるガラス質の黒曜石は石器の代表的な素材で、十勝はその産地としてよく知られている。

 ヌエの施術が古くはこの黒曜石の石器で為されていたことは、ヌエの古い別称の一つである「アンチピリ」が黒曜石を意味することからも分かる。

 前話からの繰り返しになるが、もうちょっと踏み込んで行くと、アフリカを出た時点での人類の皮膚が濃い褐色であったとすると、彼らの身体装飾法はスカリフィケーションということになるだろう。タトゥーもあったとしてもはっきり目立たせることが出来ないので、かなりマイナーな手法だったと思われる。それは南アジア沿岸部を伝うように展開してパプア・ニューギニアやオーストラリアにたどり着いた人々にスカリフィケーションしか伝わっていないことからも推定できる。それらと同様のオーストラロイドとされるフィリピンの先住民ネグリトも、壮麗なるフィリピン諸部族のトライバルタトゥー世界の中にありながらも、近年までずっとスカリフィケーションの風習だけを独自に保ち続けた。その後、人類の北方への展開によって徐々に白く変化していった肌にスカリフィケーションがだんだんと目立たなくなっていき、そこに代わる手法としてメジャーになってきたのがタトゥーなのだと僕は考えている。

 

人類の拡散経路(北方民族博物館にて撮影)

 

 そして、石器で皮膚に切り込むスカリフィケーションと、植物のトゲや動物の骨を針として皮膚に突き刺して色素を送り込む、現代にも繋がってくるタトゥーとの間のプロセスには、石器で切り込んだ皮膚に色素を擦り込むという、スカリフィケーションとより直接的に関係する手法が当然あったはずなのだ。この、始まりのタトゥーとも言える手法はインクラビングスカリフィケーションと呼ばれるが、現在、世界で確認されているトライバルタトゥーの中でも実はこれはかなり珍しい。

 

大島施術によるヌエ

 

 その理由はおそらく、色素を皮膚下に定着させるという目的のみで捉えるならばこれはやや安定感に欠ける手法なので、その原理を理解した上でさらに効率を高めるための応用として針の使用を思いつく者が遠からず出てくるためだと思われる。実際、寛永年間に遊女と馴染みの客との間で流行した、「~命」みたいな「入れぼくろ」や「起請彫り」といった萌芽期の日本の現代タトゥーは刃物で施術されるインクラビングスカリフィケーションそのものだったわけなのだが、ほどなくしてそれは針へと改良されて表現の幅を大きく広げ、やがて国芳などの浮世絵図案を再現できるまでに進化していったという実例もある。

 タトゥー史における最古の姿を、そしてもしかしたらネアンデルタール人やデニソワ人からホモ・サピエンスがタトゥーを継承した当時のそのままの姿を、近代まで残した稀有なる存在がヌエなのかもしれない。それがなぜここまで存続してきたのかをタトゥーイストである僕が考えるには、やはり実際にやってみることが一番の方法だと思う。

 

北方の南限に最古のタトゥーを訪ねて|アイヌ・(シ)ヌエ考④を読む>>

 

 

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PROFILE

大島托 おおしま・たく/1970年、福岡県出身。タトゥースタジオ「APOCARIPT」主催。黒一色の文様を刻むトライバル・タトゥーおよびブラックワークを専門とする。世界各地に残る民族タトゥーを現地に赴いてリサーチし、現代的なタトゥーデザインに取り入れている。2016年よりジャーナリストのケロッピー前田と共に縄文時代の文身を現代に創造的に復興するプロジェクト「JOMON TRIBE」を始動。【APOCARIPT】http://www.apocaript.com/index.html