亀と拳銃
巽会から受けた最大の恩恵は拳銃だった。
「あの頃は、どこでも撃てましたね。気楽な、いい時代です。海辺に、防波堤があるでしょう。でっかい防波堤の下(海側)に下りると、だいたいの音が消えるんです。それで、瓶やら缶やら撃ってね。初めての道具は、38口径。
『撃ってみろ』って渡されて、めちゃくちゃ面白かったんだけど、弾がぜんぜん。この頃は(闇で流通する弾薬の値付けが)高かったから、巽会にもそんなになくて」
そこで、小野は自分で仕入れることにした。まだ、1ドル/360円だった1970年、ちょうど前年に入籍、出産した妻を連れてハワイへ出かけたのである。当時、ブルース・リーが好きだったので、長男には竜と名付けた。
初めての海外旅行にあたり、小野はジャルパックを使ったことのある知人たちから面白い情報を仕入れていた。
「当時の税関じゃあ目視と抜き打ちだけだから、やる度胸がありゃ、何でも持ち込めるって聞いてね」
ハワイでは連日、射撃場へ通い、口径違い、メーカー違いの拳銃を端から端まで撃ち尽くした。そして帰国時には、あらかじめ用意した大型カメラの改造ボディの中に銃弾を詰め込んだ。妻の玲子は、こちらもオーバーサイズのブラジャーを用意し、袋詰めの乾燥大麻で胸の隙間を埋めている。似た者夫婦は何事もなくゲートを通過し、日本に上陸した。
小野は、密輸した銃弾の半分を長谷川に贈った。親分は大いに喜んだと言うが、同時に警戒心も抱いたに違いない。小野は、いささか勝手が過ぎる。
「べつにシノギじゃないんだから。自分で稼いだ金で、女房と遊びに行っただけ。バカンスの何が悪いの?」
ハワイから戻ってしばらくすると、長谷川は組としての大切な仕事を小野に与えた。
当時、しばしば新潟を訪れていた山本健一(山健組)の運転手を任せたのである。
「おれ、あんとき新車のカマロだったんだ」
小野は、銃に次いで車を愛する。
「ヤマケンさん、迫力あったですよ」
次に、長谷川はもうすこし深刻な仕事を命じたという。
「22口径の改造銃、アパートの住所と部屋番号のメモ、それから顔写真を渡されて。『明後日、この部屋から男が出てくるから、弾け』って」
いったい誰を狙ったのか。
「知らないですね。親分に弾けって言われたんで、まあ、やんなきゃいけないから」
小野の話は、この手の返答が少なくない。頭にきた。やんなきゃいけない。仕方ない。
嫌だと思わなかったのか?
「仕方ないでしょ」
長い懲役が待っているのも分かるはず。
「でも、やんなきゃいけない」
巽会や長谷川孝に、それほど忠誠心があったのか。
「いやぁ……忠誠心って言われてもなあ。おれ、そこまで世話になってないし」
ではなぜ?
「だから、仕方ないからだって」
指定された日、小野は明け方から翌日の明け方まで車に隠れて張り込んだが、その部屋からは誰も出てこなかった。
「そんときは、助かったなとは思いました。べつに、ねえ、おれが恨んでる相手じゃねえし。なんか疲れたから、改造銃持っていつもの防波堤に行ったんです。試すかと思って1発撃ったら、もらったハジキ、それで壊れちゃった。チンケな改造銃だったから、1発で銃身(バレル)が外れちゃって。翌日、事務所に持ってったら、長谷川さん、苦虫噛み潰したような顔してたな」
27歳になんなんとする1972年は、とくに思い出深い年になった。
2月20日の夜。
小野は、行きつけの店でテレビを見ていた。接待や地回り、遊びを終えた後、最後に寄るスナックだ。この店のマスターはおとなしく、水割りを足す確認以外には余計な口をきかなかった。他の客に対して、エキセントリックな振舞いをしている場面を見かけたこともあったが、小野には控えめだったという。そのため、このスナックには友人や子分を連れてこないと決めていた。帰って寝る前に、ひとりで寄って気分の熱をなだめる。
「可哀そうに、可哀そうに……誰かが助けにいかないと」
テレビに向かってマスターがつぶやく姿を、今でも思い出す。
その前日――総括と称して、12人を殺した連合赤軍の面々が、長野県の浅間山荘に立てこもった。書記長の坂口弘が管理人を人質にとり、4人の仲間とともにバリケードを築いたのである。それから、約1週間後に機動隊が突入するまでの様子はテレビで生中継され、90%に達する視聴率を得た。
「ブツブツ言ってたんだよ、独り言。そんなの、こっちは気にしないし。だいたいスナックに行くときは、ひとしきりやった後で、おれも酔っぱらってるからね」
その翌々日、しこたま酔っ払い、スナックに寄ることもなく自宅でひっくり返っていた小野は、昼過ぎに目を覚ました。グラスの水を片手にテレビを点けると、警察の包囲網をすり抜けて、ひとりの男が山荘の玄関先に侵入する様子が流れたという。
「あれ、なんか見覚えのある奴だなって」
一方、立てこもっていた当事者である坂口は、管理人室の押し入れの壁をくり抜いて造った銃眼から、謎の男を窺っていた。(以下5行/坂口弘「あさま山荘1972 下巻」彩流社を参照)。
「赤軍さん、赤軍さん。私は文化人です。あなた方の気持ちは分かります……私も左翼です。医者をしています」
謎の男は、あさま山荘の玄関のドアを引っ張り、開けた。
そして、バリケードの向こうにいる坂口や連合赤軍の面々に声を掛けた。
「入ってもいいですか?」
謎の男は連合赤軍に呼びかけ、機動隊にウインクし、そして坂口に撃たれてしまった。
「その変な奴、マスターの田中(保彦)だったんだ……ワケ分かんねえよな」
撃たれたマスターは一時持ち直したものの、頭蓋骨のなかに弾丸の破片が残っており、ほどなく死んだ。
✴︎
それから約1カ月が経った頃――小野は、巽会が面倒をみているナイトクラブの経営者と一緒に、フィリピンを訪れた。渡航の目的は、売春もやるフィリピン人のダンサーを買いつけてくること。すくなくとも、小野自身が受けた説明はそんな内容だった。
マニラに降り立った小野を待っていたのは「この世のものとは思えない。まるで天国のような世界」だったそうだ。
「真っ昼間から女郎屋に行って。夜は夜でクラブの女、朝から晩まで女、女、女、そんでカジノ。天国みたいなときを過ごして。アメ車で、スパニッシュ風の屋敷に行ってね。デカい広間でビール飲んでると、2階の階段から若い姉ちゃんが1人、2人と降りてきて、最終的には50人だから。
夜になりゃ、マニラ湾の海岸線沿いに赤青のネオンがビッカビカ、クラブにもカジノにも生バンドが入っていて。金さえ惜しまなきゃ、指名した女の子は交渉次第でテイクアウト、OKね。って言っても、彼女らだって、最初は気をもたせるからねえ。着いたばっかりの頃は、一晩に3、4軒ぐらいハシゴして、夜のパートナーを探してさ」
小野にかぎらず、70年代にフィリピンへ渡った日本人たちからは、異口同音の褒め言葉を聞く。マニラがすっかり気に入った小野は妻や子供をほったらかし、3カ月に一度は出かけるようになった。つい先頃まで山本健一の運転手や、謎の銃撃まで命じた親分の長谷川は、遊び回る小野に何も言わなかった。
ほどなく、親しい女性ができた。ベースサイドというナイトクラブのバンビー。続けて、別の恋人もできた。同じクラブのホステス、デリヤである。
「デリヤは、タイプでしたね。ひどいもんで、おれにはすでにバンビーという女がいるのを知りながら。この、デリヤってのは、浅岡ルリ子によく似て、かわいいんだ。発情したメス猫みたいにすり寄ってくるんですよ。そして気付いたときには……」
この勝手な言いぐさには、小野の気質の一端がよく表れている。そんなことを続けて1年半が経った頃、久しぶりに長谷川から命令が下った。
「まとまった金を渡すから、道具を持ってこい」
道具とは、つまり拳銃である。
「ことの重大性? でも、ハワイからも弾は持ち込んだから。そんなに、深くは考えなかったですね。マニラじゃ、どこでも拳銃を撃てたし。ただ、親(拳銃)を買うとなると、そこらの店では売ってないから。仲良くしてたポン引きとか、馴染みの白タクの運転手に小遣いやって『拳銃、買いたいんだわ』って言って回って。そしたら、なんとか集まって。25口径、38口径、45口径だったかな。全部で5丁、それぞれの弾も」
さて、この拳銃と弾薬の親子をどうやって密輸したものか。
小野が考えたのは、ごく単純な手口だった。ハワイ旅行では、大型カメラを改造したボディに弾薬を隠した。だが、拳銃本体は弾薬よりもはるかに大きく、重量もある。図体がでかく、中は空っぽで拳銃を詰め込んでも、見た目と重みのバランスで違和感のないもの。
ピンときた。
海亀の甲羅はどうだろうか。
広間の壁に吊るすための高級土産は、背中の甲羅だけでなく、腹側の甲羅もセットになっていた。よく見れば、肉を削ぎ落すためにふたつの甲羅を切り離した後、透明な釣り糸で縫い合わせてある。
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