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ワクサカソウヘイ 『エクソダス・フロム・イショクジュー/衣食住からの脱走』 #11 昆虫から始める働き方改革

衣食住にまつわる固定観念をあきらめることこそ、「将来に対する漠然とした不安」に対抗できる唯一の手段なのではないか。ワクサカソウヘイによるおおよそ“真っ当”ではない生活クエストの記録。第十一回は不自然な「労働」がもたらす「不安」をめぐって。

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寅さんはいつだって余裕だ

 私は寅さんを尊敬している。

 映画『男はつらいよ』の主人公である、車寅次郎。人呼んで、「フーテンの寅」。彼は全国津々浦々を股に掛けながらのテキ屋商売で生計を立てている。

「よう、労働者諸君!今日も一日、ご苦労様です!」

 柴又に帰り着くなり、寅さんはそんな声を家族や近所の者たちにかける。その姿は、実に晴れやかである。「ああ、自分はカタギでなくて、最高だ」と心から感じている様子が見てとれる。

 寅さんの口から「生活上の不安」がこぼされることは、ほとんどない。テキヤという、どう考えても不安定な労働に従事しているというのに、彼はいつだって余裕をたたえている。

「なあ、さくら。兄ちゃん、そろそろ就職を考えているんだけどさ……」

 寅さんの口から、そんなセリフが発せられることなど、ありえない。

「いやあ、いつ見てもキレイな団子屋だな。掃除も行き届いているし、福利厚生も充実していそうだ。ここで働けたら、最高だろうなあ……」

 寅さんの口から、そんな社会に媚びたセリフが発せられることなど、あるはずがない。

「以前よりこちらの団子屋さんの成長ぶりには注目していました。御社で活躍の機会をいただければ、いままでのキャリアを発揮して顧客を勝ち取りたいと考えています。ゆくゆくはリーダーやマネージャーの立場を目指したいとも思っています」

 寅さんの口から、そんな就活生のようなセリフが発せられることなど、まったくもって、考えられないのである。

 寅さんは、労働について頭を悩ませることをしない。どこかひとつの場所で生活に追われることをよしとせず、風に吹かれるようにして旅を続けている。彼は、自身にとって「自然な生き方」を見つけているのだ。その姿は実に軽やかで爽やかで、そして私はそこに強く憧れてしまう。

 どうしたら、寅さんのように、「労働呪縛」に負けずに生きることができるのだろうか。

 

世界は「労働」によって塗りつぶされている

 「労働」という言葉に触れるたび、濃い不安に胸を締めつけられる自分がいる。

 生きていく以上、労働から逃げることは、およそ不可能だ。親元から離れた時、多くの人はなにかしらの職を手にし、勤めの対価として金銭を受け取ることで、生活を自分のものにしていく。これがこの世に敷かれている、ベーシックルールである。

 このルールがきちんと機能するように、社会にはあらゆるジャンルの職業が用意されている。製造業、消防士、害獣駆除業、漁師、保育士、通訳、営業、工事作業、警備、システムエンジニア、その他諸々。ハローワークの採用情報の案内板、そこはまさに、業種のエレクトリカルパレード。この世界は隅々まで「労働」によって塗りつぶされているのである。

「安心しろ、ルールを設定した以上、ジョブはきちんと用意してやった。自分にとって最適な職業を選択し、すみやかにこのゲームを始めろ」

 「生きる」と「労働」を不分離にプログラムした顔も知らぬ誰かが、その案内板からこちらに向かって急き立ててくる。こうして私は、不安を強く露わにし、その場で立ちすくんでしまう。

 このルールに則って、いまからゲームプレイを始めたとして。

 その先で勝利している自分の姿を、まったくもって想像することができない。

 いままで、アルバイトを含めて、いくつかの労働に手を染めてきた。

 その中ではもちろん、「働くことでしか得られない喜びや快感」というものを、何度も瞬間的に味わったりしたものだ。

 しかし、勤め続けているうちに、「これは自分にとって不自然な仕事だ……」ということが体感として徐々に理解できてしまい、結局は職場を辞している自分が現れる。そうやって就いては辞めてを繰り返していると、次第に「負の経験値」は蓄積されていく。そして気がつけば、「自分にフィットしている労働なんて、この世にひとつもないのでは……?」ということになり、ただただ途方に暮れる現在を迎えている。

「そう、お前に合った労働など、この世にはひとつもない。みんな我慢をしながら、仕事に身を費やしているのさ」

 そんな「呪いの歌」が、聴こえてくる。両脚が震える。

 困った。いまの私に、このゲームを始める自信はない。装備品も乏しく、普通自動車免許と英検四級の資格しか持っていないのだ。「若さ」というアドバンテージスキルだって、とっくに消滅してしまっている。

 労働は、この世に満ちている。

 しかし、私にとっては、そのどれもが不自然で不当なものなのだ。

 それでも労働をしなければ生きてはいけぬというのなら、負け戦は承知の上で私はなにかしらの職に手を伸ばさなければならない。不自然で不当であることを無理やりに受け入れ、傷つき、寅さんに「労働者諸君、ご苦労!」と嫌味を投げられても歯を食いしばって、仕事に従事しなければならないのである。

 そうやってHPをすり減らし続けた挙句に現れるのは、はっきり「ゲームオーバー」の表示であろう。

 それは、「呪いの歌」が作り出した、暗黒の未来だ。

 重苦しい気分が、べっとりと押し寄せてくる。

 なんとかして、「自分にとって不自然でないジョブ」を見つけなければならない。それが「ゲームオーバー」を避けるための最善の策なのだ。それが「労働が生み出す不安」に対抗するための、唯一の手段なのだ。

 しかし、そのジョブをどのように発見すればいいのか、それが全然、わからない。

 

転向する友人たちと転向できない私

 なぜ、ここにきて、私は「労働」にまつわる不安を強く抱えることになったのか。

 大きな理由、それは周囲の景色の変化にあった。

 私の周りには、自分と同じように、これまで「職に就いたり辞めたり」を繰り返しながら、おおむねブラブラとした不安定な暮らしを営んでいる友人や知人が多くいた。彼らは「そのうちになんとかなる」という合言葉を嘯きながら、単発的な労働を収入源とし、その片手間でバンドや演劇などに明け暮れていた。それはまさに現代版の「車寅次郎」であり、そういった友人たちのフーテン的な態度を見るにつけ、私は「彼らが大丈夫なら、自分だってこのままで大丈夫だろう」と安心感を得ていたりした。

 ところが、ここ数年で、その友人たちが、こぞって「就職」を果たし始めたのである。

 最初は、「どうせまた気まぐれで就業しただけなんだから、そのうちに全員、辞めるはずだ」などと高を括りながら見ていたのだが、どうにも今回は様子が違うことに、次第ながら気がついた。

 みんな、目が真剣なのである。

 「漫画を描くことこそが自分のすべて」と高らかに宣言していたはずの友人は、下北沢のラーメン屋に就業し、麺の湯切りに精を出している。

 「詩人としての人生をまっとうする」と熱く語っていたはずの友人は、カード会社に就業し、テレフォンオペレーターとして対応業務に汗水を流している。

 そして、みんな、こんなことを私に言うのだ。

「この仕事、なかなかに自分に合っていて、なんだか長く続きそうだ」

 おいおい、どうしちゃったんだ。あの頃のキミたちは、どこにいってしまったんだ。ストロングゼロを片手に濁った瞳を浮かべながら、「なんかわからないけど、エジプトとか行きたい、他人のお金で」などと誰の心も動かさない夢を語っていたあの頃、リメンバー!

 「労働」に対してナメてかかっている者同士だと思っていた友人たちが、実は自分の目の届かぬところで、虎視眈々と「労働」に折り合いをつけていたのだ。この事実を目の当たりにし、私はクイックで焦った。そしてハッと気がついた。

 自分には、なにもない。

 「自分」と「労働」を折衷するためのカードを、なにも持ち合わせていない。

 改めて、周りを見渡した。そこはどう観察しても「景気のよい」世界ではなく、ハローワークの案内板に貼りだされているあまたの採用情報は、私の目にはどれも黒ずんで見えた。「世界恐慌」などという穏やかでない言説が時折に囁かれてもいたりして、そんな荒野を装備もアイテムもないままに進むことなど、どう考えても、不可能に思えた。

「死の予感しかしない……」

 不安を抱えるな、というほうが無理な話であった。

 

ここ掘れ、ワンワン

 世界は無情にも変わっていくのだ。

 漫画家はラーメン屋の店員となり、詩人はテレオペに従事し、経済は抗いようもない圧力によって地に落ちたりするのである。

 過去のノスタルジーにしがみついている場合ではない。世界が変容するなら、私も行動を変容させなければならない。

 しかし、具体的にはなにをしたらいいのか、それが皆目見当もつかない。

 いったい、自分はどういった糸口から、「自分にとって不自然でないジョブ」を探し当てればいいのだろう。

 考えることを一度あきらめた私は、戸外へと散歩に出かけた。

 春先、桜は七分咲きを迎えていた。平日の昼間、おそらくほとんどの大人たちがこの時間、「労働」に勤しんでいるのだろう。そんな中、自分だけがこうして、ふらふらと散歩をしている。これまでには覚えたことのなかった罪悪感に、気分を重く沈める。

 気づけば、近所にある祖母宅へと足を運んでいた。

 そこの庭には、猫の額ほどの小さな畑が備わっている。祖母が家庭菜園などを楽しむための畑である。

 ぼんやりと、その畑を眺める。キャベツなどの作物の周りを、モンシロチョウが揺れるようにして飛んでいる。

 小学生の頃は、よくこの庭先で虫と遊んでいた。土を掘り返してはオケラに目を細め、葉をめくってはそこにいるゾウムシを採取することに夢中になったりしたものだった。

 そんなことを思い出していたら、靴の先に、蟻の行列を発見した。幼き頃、特に気に入っていた虫がこの蟻で、地面に這う彼らの姿を飽きもせず陽が暮れるまで観察していたものである。

 懐かしい想いに駆られながら、その行列がどこまで続いているのか後を追う。そこには蟻の巣があり、彼らはそこにせっせと餌を運び込んでいる。

 蟻ですらも、「労働」に精を出している。そして「労働」の袋小路に追いやられた私は、こうして地面を眺めている。なんともやるせない気分だ。

 ふと、庭先に置かれたシャベルが目に入る。

 小学生の頃、よく蟻の巣の横に穴を掘った。巣の奥の様子がどうなっているか知りたかったのである。なるべく巣を破壊しないように慎重に掘り進めてはいたが、結果的には杜撰な工事となり、蟻たちの生活に多大な迷惑をかけたりしていた。で、そのうちに「蟻の巣の観察」という当初の目的は消え失せ、「どれだけ深い穴が掘れるか」という別の命題にのめり込み始めたりもしたものだ。

 あの頃は、土と戯れることが、なによりも自分にフィットしているジョブだった。

 ああ、「ただ深い穴を自分のペースで掘る」っていう労働が、この世にあればなあ。

 そんな世迷言を浮かべながら、なんとはなしに、シャベルを手に取り、地面を掘ってみる。

 ザクッ、ザクッ、ザクッ。

 そうそう、こんな感じで、だんだんと土の色が変わってくるんだよな。なんかの幼虫が出てきたりするんだよな。

 掘っているうちに、小学生の頃の感覚を思い出し、なんだか手が止まらなくなる。

 楽しい。

 どうせ家に帰っても、「労働」について出口のない悩みを巡らせ、気を滅入らせるだけなのだ。だったら今日はここで、なにも考えずに、飽きるまでシャベルをふるっていようか。

 平日の昼間に、なんの目的もなく、穴を掘り続ける。

 客観的に見ても主観的に見ても非常にバカバカしい行為と言えるが、しかし直面している現実的な問題からひと時の逃避をするためには、うってつけのバカバカしさでもある。

 そうだ、「本当の労働」なんて、今日はもうあきらめてしまおう。そして「ニセ労働」に従事してやろう。

 ザクッ、ザクッ、ザクッ。

 ザクッ、ザクッ、ザクッ。

 ザクッ、ザクッ、ザクッ。

 気づけば、一心不乱に穴を掘っている自分が、そこにいた。

 途中で物置から大きいシャベルを持ち出し、それまでの手持ちサイズのものと替える。どんどんと穴は深くなり、自分の腰までがすっぽりと埋まるほどにまで到達した。

 

ワクサカソウヘイの「穴」

 

 もう、辺りにはすっかり、夕陽が射し込んでいた。

 私の額には、大粒の汗がいくつも光っていた。

 とんでもない充実感である。

 自分の掘った穴を改めて眺める。それは、私が今日という日を費やして行った「ニセ労働」の証だった。

 ああ、好きなことのために身体を動かすって、素晴らしい。

 私は久々に「働くことでしか得られない喜びや快感」をしみじみと味わった。賃金などは一切発生していないという根源的な問題は全力で無視して、達成感だけに身を浸した。

 自分、土と戯れるのは、いまでも好きなのだな……。

 土とただ戯れるだけの労働があれば、いますぐにでも従事するのにな……。

 この時、「ん?」と頭によぎるものがあった。

 穴をシンプルに掘るだけの労働はないかもしれないけれど、でも、それに近しい労働なら、けっこうあるぞ……?

 農作業とか、工事作業とか、採掘業とか、あと植木屋とか。

 ……、……、……。

 あれ、なんだろう。

 さっきまで直面していた不安が、少しだけだが、薄れた気がした。

 しかし、それは本当に、少しだけだ。

 「労働呪縛」は依然として、私の両肩にじっとまとわりついていた。

「遊び」を「労働」にメタモルフォーゼする

 「呪いの歌」はそれからも折に触れては私の鼓膜を震わせ、不安を煽ってきた。

「お前に合う労働など、ひとつもない。我慢だけが人生だ」

 早く、自分に適したジョブを見つけなければ、このままずっと、暗黒の気分で生きることになってしまう。ゲームをプレイする前から、残基がなくなり、エントリー資格すら失ってしまう。

 そんな感じで胸がざわついた時は、祖母宅の庭へと足を向けた。そして、あの穴を眺めた。時には、続きを掘ったりもした。

 穴を掘っていると、瞬間的ではあるのだが、気が紛れるのだ。労働に関する不安について、頭を悩ますこともなくなるのである。それはつまり、目の前の問題を捨て置いて、束の間の「遊び」に逃げている状態であった。

 そう、穴掘りは、私にとって「遊び」なのだ。不当な圧力や雑音が一切混じらない、自然的な「遊び」なのである。

 あとは、これに賃金さえ発生すれば、私はずっと穴を掘っていられるのに……。

 この「遊び」が「本当の労働」にメタモルフォーゼさえすれば、時に蟻の行列を愛でながら、また時には幼虫の発見を喜びながら、長く勤しむことができるのに……。

 そんな感慨がよぎった瞬間、かつてはフーテン、現在は就業者である友人たちの顔が浮かんだ。

 漫画家から、ラーメン屋に。詩人から、テレオペに。

 彼らは口をそろえて、こんなことを言っていた。

「この仕事は、長く続けられる気がする」

 どうして彼らはそう宣言できるほどに、いまの労働にフィット感を得ているのだろう。

 もしかして、彼らにとっては、ラーメン屋やテレオペも、「遊び」なのではないだろうか。

 つまり、私がいま幻想として抱いている「賃金が発生する穴掘り」を、彼らは現実のものとして手に入れた、ということではないのだろうか。

 これまでずっと「遊び」に全精力を注ぎ、「労働」をナメ続けていた者たちが、いまの働き口を突然にスッと受け入れることができたのだ。そこには私の知らない、「辻褄合わせ」の魔法があったはずなのである。

 教えてほしい、穴掘りの「遊び」を、ジョブにチェンジさせるための呪文を。

 私はさっそく、友人たちに連絡を取った。

 

湯切りの感覚

「いや、ざっくり言っちゃえば、前からラーメン屋で働いてみたいな、って思っていただけなんだけどね」

 私の「さぐり」に最初に応えてくれたのは、「漫画を描くことがすべて」だった友人である。

「ただ、まあ、ラーメン屋の仕事は、自分にとっては全然、不自然なものではないね、うん」

 それってつまり、「ラーメンを食べること」が好きだったから、ってことなのか。

「いや、特別にラーメンが好物、ってわけではないなあ。カレーとかのほうが好きだし」

 じゃあ、たとえばだけど、ラーメンを題材にした漫画を実は現在構想中で、そのネタ探しを兼ねての就職、とかなのか。

「いや、まあネタにはなるだろうけど、そこまで漫画を主に置いて、ラーメン屋に就業したわけではなくてさ……」

 なんとも煮え切らない回答ばかりである。そういえば、この男は前からなにを尋ねても、ぐずぐずとした答えしか返してこない者であった。こんな調子で、ラーメン屋ではきちんと湯切りとかできているのだろうか。

「あ、でも、湯切りの感覚が好きなんだよね」

 そこで急に、友人の目が輝いた。いったい「湯切りの感覚が好き」とは、どういうことなのだろうか。

「なんかね、麺の湯切りをしている瞬間の感覚が、漫画の筆入れが終わる時の感覚と似ていて、ちょっと爽快なんだよね。あと、盛り付けた器をお客さんに提供するのも好き。〆切が守れた!っていう達成感を毎回得られるんだよ」

 ほう……。

 私はそこで、身を乗り出した。そうだ、こういう話が聞きたかったのだ。

「出汁を煮ている時の感じも好きだな。ネームを準備している時に似ていて。あと、ラーメン屋って分業制だから、ひとつの作品の完成に向かってみんなが手分けして取り組む、っていうチームプレイの醍醐味もあるんだよね。漫画のアシスタントをやっている時みたいな感覚になれるのよ」

 彼の言おうとしていることが、なんとなく、わかってきた。

 そして、上手くは言えないが、私は妙に、救われた気分を得ていた。

「なんかね、『ウソ』がないんだよ。自分にとってラーメン屋の仕事は、漫画を描いていた時の自分と一緒で、『ウソ』がどこにもないんだよね」

 次に、詩人からテレオペに転身した友人に話を聞いた。

「まあ私の場合、詩人を辞めたわけではないんだけどさ。いまもテレオペをしながら、相変わらず詩は書いているよ」

 詩人なんてそもそも儲からない、それが彼女の口癖だった。

「これまでは単発の仕事で小刻みに生活をしのいでいたわけなんだけど。その中で派遣社員としてやったテレオペの仕事が、なんか、自分に合っていたんだよね。お、これはいいぞ、って」

 合っていた、とは具体的にはどういう感じだったのだろうか。

「えーとね、なんかさ、カスタマーセンターとかに電話をかけてくる人って、基本的には困りごとを抱えている最中なわけじゃない?だから、最初からイライラしている人も多いんだよ。そういうモードの人たちに、冷静で簡潔な言葉を投げかけることで、穏やかさを取り戻してもらうって業務が、詩をつくっている時の感覚と似ていたんだよね」

 おお……。

 私はすっかり感心してしまった。ラーメン屋の友人が語っていたことと、いま彼女が語っていることは、異口ではあるが同音だ。

「だからそれに気づいた時、やっと肩の荷が下りた気がしたよ。自分は『詩人』になりたいんじゃなくて、言葉を使ってなにかと関わることが単純に好きなんだって。この歳になってから、まさかテレオペの仕事で『自分の好きなこと』がわかるとはね」

 

「好きな感覚」というアイテム

 彼女の話を聞き終わった時、私までもが、肩の荷の下りた気分であった。

 憑き物めいた「労働呪縛」の握力が、ふっと緩んだのである。

 彼ら友人は、「遊び」をそのままに「労働」へと変化させる魔法を使っていたわけではない。

 その代わりに、彼らは「自分の好きな感覚」を、少しだけスライドさせて、いまの仕事と自己の自然的なフィッティングを行っていたのだ。

 考えてみたら、私はいままで、世にはびこる採用情報のひとつひとつの概要を確認しながら、「ああ、自分に合う労働など、どこにもない」とため息をこぼしているばかりであった。情報と対面するばかりで、それ以上のアクションはなにも起こしてこなかった。だから、「呪いの歌」に負け続けていたのである。

 まず、やるべきことだったのは「業種」の地図を眺めることではなく、「自分の好きな感覚」というアイテムを探ることだったのだ。

 たとえば、私は穴を掘ったり、蟻を眺めたりする感覚が好きだ。それを少しだけスライドした時に現れる、農作業や工事作業といった労働はおそらく、いまの自分にとって、さほど不自然なものではないはずだ。

 以前の私は、「自分の好きな感覚」を抜いた状態で、それらの業種の採用情報に触れていた。もちろん、そのどれもが、鈍色のものとして目に映った。

 しかし、いまはどうだろう。かなり、前のめりで農作業とかやってみたいと思ってしまっている自分がいる。虫とも時には遊ぶことができるだろうし。穴を掘ることに集中していいのなら、工事作業も、アリである。

 なにはなくても、まずはいつもと行動を少しだけ変えて、アイテムを探す。そのアイテムは、思っているよりも簡単に見つけることができる。誰もが「自分の好きな感覚」を無意識的ながらも大きな拠りどころにして、毎日を生きているからだ。しかも「自分の好きな感覚」というのはひとつではなく、いくつもあったりする。

 そのアイテムをはっきりと獲得した時、地図はようやく、可視化される。

 そしてとるべき行動を、やっと理解することができる。

 

クサフグとマネーの予感

 私は「自分の好きな感覚」をさらに確かめるべく、春から初夏へと差し掛かった海へと潜った。シュノーケリングである。

 ブクブクブク、シュコー。

 ヒトデがいる、アジがいる、海藻がゆらゆらと波に揺れている。

 海の世界と触れている時、五感が満たされていくのがわかる。自分にとって「ウソ」が少しもない、大好きな感覚だ。今日はヤスを持ってきてないけれど、自分は魚を突く時にも快感を覚えたりする。

 これをちょっとだけスライドして、漁師業を自分のジョブの選択肢に加えるのもいいかもな。そんなことを考えながら、岩場から岩場へとシュノーケリングを続ける。

 ふと見ると、海藻が生い茂る「海の草原」の中に、何十匹ものフグがいる。クサフグだ。

 彼らは皆、一様にして動きが鈍い。だからもしヤスがあれば簡単に突くことができるわけだが、しかしクサフグは猛毒を持っている魚として有名だ。捕らえたことは、これまでに一度もない。

 シュノーケリングからの帰り道、魚屋に寄り、鯛を購入した。

 家に帰り、調理法を予習しようと、YouTubeを開く。様々なチャンネルで、魚のさばき方をレクチャーする動画がアップされているのである。

 ふと、画面の右端に登場した「あなたにおすすめの動画」に目が留まった。そこには「クサフグを食べてみた」というサムネイルが表示されていた。

 え、クサフグって食べられるのか……?

 おもわずクリックする。そして驚く。クサフグは、フグ調理師免許を取得し、適切な処理さえすれば食べても問題ないばかりか、実に美味なのだという。

 おいおい、マジかよ。てことは、フグ調理師免許さえ手に入れれば……。

 先ほどの海中景色を思い出す。クサフグは「モブか」というほどに、大量に泳いでいた。あれが、然るべき技術さえあれば、すべて食べ物に変わるのである。

 私は、魚を突く感覚も、さばく感覚も、大好きだ。これをジョブに変換できないか。

 「クサフグビジネス」というワードが浮かぶ。語感が「サブスクビジネス」に似ていて、なんだかマネーの予感が押し寄せてくる。

 たとえばだけど、生態系を荒らさない程度にクサフグを自分で調達して、それを提供する小料理屋をいずれ開いたりしようかしら。

 そんなことを思いついた瞬間、「労働呪縛」は完全に、影も形も、すべて消滅した。

 なんだ、「自分にフィットしている労働」って、実はめちゃくちゃあるじゃないか。

 もう、これから進む先に「ゲームオーバー」の表示は見えない。

 誰がつくったかは知らないが、このゲーム、裏面や抜け道だらけではないか。リセットし放題ではないか。休み休みやりながらプレイすればいいやつではないか。

 「自分の好きな感覚」さえ知っていれば、もうなにも怖くはないではないか。

 

あきらめよ、さらば与えられん

 世界は無情にも変わっていくのだ。

 漫画家はラーメン屋の店員となり、詩人はテレオペとなり、クサフグはその年によって増えたり減ったりする。

 いや、もっと大きなものだって変わっていく。環境に変化があれば、いま手にしている労働は、明日には業種ごと消えてなくなる可能性だってあるのである。

 世界は変容することを「常」としている。だから、私たちも行動の変容を「常」としなくてはならないのかもしれない。

 「穴掘り」によって、私はいちど、労働をあきらめた。そうすることで、「自分の好きな感覚」が明確に現れた。それはハローワークのどんな業種情報もこちらには与えてこなかった、確かな心強さを秘めていた。寅さんは「カタギ」をあきらめたことで、軽やかな暮らしを発見したのだろう。

 なにかをあきらめると、なにかは必ず、明らかになる。こうして私は、ささやかではあるけれども、行動の指針に変容を加えることができたのである。

 これまでなにが不自然だったのか、なにに無理があったのか、そうしたことを明らかにしながら、私たちは暮らしを再構築し、この世界にまた付き合っていく。

 あきらめることは、重要だ。

 祖母宅の庭を眺める。

 私の「働き方改革」のムーブメントは、この庭からはじまったのだ。

 掘られた穴は、まさに記念碑たるものだ。

 もう大丈夫だ。この穴さえあれば、私はもう「労働」に弱腰で向かうことはない。この穴によって、私は「労働呪縛」に打ち勝ったのである。

 もしこれから迷うことがあれば、この穴の続きをまた掘ろう。さすればすぐに、新たなアイテムがもたらされることであろう。

「おい」

 うしろから、声をかける者があった。

 祖母である。

「お前だろ、穴を掘ったの。あぶねえから、今日中に埋めておけ」

 ぶっきらぼうな祖母の命令、それを断る術を知らぬ私は、自身の成功体験の証であるその穴を、泣く泣く土で埋めることになった。

 陽が落ち、穴は消滅し、私はまたちょっとだけ不安になった。

 

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PROFILE

ワクサカソウヘイ /文筆業。1983年生まれ。主な著書に『ふざける力』(コア新書)、『今日もひとり、ディズニーランドで』(幻冬舎文庫/イースト・プレス)、『男だけど、』(幻冬舎)、『夜の墓場で反省会』(東京ニュース通信社)、『中学生はコーヒ―牛乳でテンション上がる』(情報センター出版局)などがある。