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ワクサカソウヘイ 『エクソダス・フロム・イショクジュー/衣食住からの脱走』 #02 磯のベーシックインカム(前編)

衣食住にまつわる固定観念をあきらめることこそ、「将来に対する漠然とした不安」に対抗できる唯一の手段なのではないか。ワクサカソウヘイによるおおよそ“真っ当”ではない生活クエストの記録。第二回は磯のベーシックインカムをめぐって。頼るべきは政府の施しか、あるいは大自然の恵みか。

最近のキッズは亀を棒でつつかない

 私は浦島太郎が羨ましい。

 ご存じのとおり、浦島太郎は亀を助けた御礼に竜宮城へと招かれた。そこに広がるは絵にも描けぬ豪華絢爛の宴の日々。タイやヒラメは舞い踊り、傍らの乙姫からは美酒をすすめられ、目の前には次々と海鮮料理が差し出される。こうして浦島太郎は至福の時間に身を浸す。

 浦島太郎はなんて好条件の見返りを受けているのだろう。ちょっと亀を海に戻す手助けをしてやっただけで、寝泊まりも食事も何ひとつ不自由のない生活を手に入れたのだから。労働と報酬のコスパがよすぎるではないか。

 まあ、そのあとに突然に地上が恋しくなった浦島は浜に戻り、そこで玉手箱を開けて白髪の老人になってしまうという、「ちょっとだけうつつを忘れていた報いだとしても、ちょっと罪と罰のバランスがおかしくないか、それ」的なバッドエンドを迎えるわけだが、後半のパートはどうだっていい。そうした結末になってしまったのは、浦島個人の判断が間違っていたということだ。私だったら、ずっと竜宮城にいる。で、なんの労働もせず、将来に対する不安も抱かず、自動的に提供されるブリの煮つけやカツオのたたきなんかに箸を伸ばしながら、怠惰な生活を続けることだろう。

 ああ、浦島太郎が羨ましい。私も亀を助けたい。ただ残念ながら、現世において亀をいじめたりしている子どもなどいない。スライムをつくる動画とか、謎解きアプリとか、「すみっこぐらし」とかにキッズたちは夢中になっているので、甲羅を背負った爬虫類を棒でつつくことなどしないのである。

お前はハーゲンダッツなのか

「竜宮城があればいいのに」

 他人が聞けば、荒唐無稽にしか思われない願望だ。

 しかし、寝食に対する不安が募りに募り、やがて頂点に達したタイミングなどには、その念は切実なものとして現れる。

 ある年のことだ。

 それまでずっと、なんとか平均的かつ一般的な生活を維持しようと働き続けていた私は、突然にして窮地に立たされていた。体調不良に襲われてしまったのだ。

 身体が思うように動かず、貧血を起こした時のような眩暈が小刻みに訪れる。原稿を前にしても思考は集中力を欠き、筆を進めることができない。

 こうなると休養するしかほかに手はなく、泣く泣く仕事をすべてキャンセルした私は、石となった我が身を沈めるようにして布団に潜りこんだ。

 数か月が経ち、カーテンの隙間から蝉の鳴き声が流れ込む季節がやってきた。ようやく私の体調は回復にこぎつけていた。

 よし、来月からは、また前のように身を粉にして働くぞ。

 ホイップクリームのような入道雲を見上げながら、私は復活の誓いを胸にした。

 ところが、そこでの私の「やる気」を削いでくる邪魔者が存在していた。貯金通帳だ。

 おそろしいことに、数か月の不労期間は、そもそも心許なかった残高を容赦なく削りに削り取っていた。おお、神様。どうしてあなたは、布団でだらだらと『おたんこナース』などを読む間にも時給が発生するような世をお造りにはならなかったのですか……?

 おのずと立ちふさがるのは、「不安」の化け物である。

 たった数か月の休養で、こんなに貯金額が吹っ飛ぶなんて。元の額に戻すには、あと何年かかるのだろう。心の支えとしていた杖を失ったような暗澹とした心地を味わいながら、それでも今日の食材を買わなければと重い足取りでスーパーマーケットに向かえば、なんということだ、野菜が軒並み、高すぎる。ほうれん草が二六〇円って、お前はハーゲンダッツなのか。

 ああ、大変だ。以前と同じように働いたところで、この先お金を蓄えるどころか、食べ続けることすら難しいのではないか。いや、ただでさえ変化の激しいこの時代、いつまで仕事があるかも保証はないわけで、ホームがレスになってしまう状態に追い込まれる可能性だってなきにしもあらずである。不安だ、不安だ、不安しかない。私の頭は、焦げていった。

(竜宮城があればいいのに……)

 そっとつぶやくが、スーパーマーケットにいるのは一心不乱にソーセージの試食をする子どもたちばかりで、亀をいじめている者など、どこにもいない。

夏空のベーシックインカム

 どうして私は体調を壊してしまったのだろう。

 思えば、無自覚のうちに「過剰性」に取り込まれた生活を送っていた。「明日はきっと、今日よりも良い暮らしができるはずだ」。そんな根拠のない幻想に囚われながら、ずっと闇雲に働き続けていた。それはまるで目の前にぶらさがったニンジンを食べようと走り続ける馬のような按配で、走りに走り続けた結果、ニンジンの味を確かめることもなく、力尽きて倒れてしまったのだ。

 縦にどんどん積んでいった積木は、いつか必ず、倒れてしまう。そして私は、その崩れた積み木をもう一度積み直すことに、徒労感をおぼえてしまっている。

 こういう時、ネットの記事などでたまに見かける「ベーシックインカム」というワードに、つい反応してしまう。それは政府が国民に対して必要最低限の現金を支給するという、所得保障制度。つまり、オートマティックな感じに振り込まれる、夢のごときお小遣いだ。ああ、「ベーシックインカム」、なんて甘美な響きなのだろう。それさえあれば、生活費に対する悩みも軽減されることだろう。

 ただ、残念ながら、この日本においてそういった制度はまだ導入されていない。

 となると。次いで、同じくネットに踊っている「不労所得」というワードに反応することになる。アフェリエイトや株によって、所得の底上げを図ることはできないだろうか。

 しかし、私はネットビジネスとか、デイトレードとか、そういったものにとことん苦手意識がある。自慢じゃないが、自分は掛け算の七の段もスマートに唱えられない人間なのである。「七×六」、あれは人類の左脳にバイパス渋滞を起こすための陰謀に違いないと思っている。そのような者に、「不労所得」を企てることなど、無理な話である。

 ああ。

 月々の食費が自動的に流れ込んでくるシステムさえ構築できていれば、この「過剰性」から少しは逃れることができるのに。目の前にある、まやかしのニンジンを必死に追いかけなくても済むのに。

 鉛のようなため息をひとつこぼすが、そんな暗い気分とは無関係に、夏の真っ青な空はどこまでも爽やかに広がっていた。

少年たちは磯でA3サイズのヒラメを獲る

 こうして私は、うだうだと無気力な日々をクーラーの効いた部屋で送っていた。

 ツイッターを眺めれば、タイムラインには眩しい外界からの「フェス最高!」や「花火大会に行きました!」といった声が並んでいる。

 このままでは、自分だけが何もしないままに、夏を終えてしまう。

 私は焦った。とりあえず、人生においてそうそうないこのサマーバケーション期間において、なにかひとつくらい思い出を作っておきたい。山か?プールか?それとも、蕎麦屋か?

 ソファの上から淀んだ目で部屋を見渡すと、一角にあるものが目に飛び込んできた。長いこと放置したままの、シュノーケルセットだった。

 私の数少ない趣味、それは「自然観察」だ。

 庭の石をひっくり返し、そこに蠢く虫たちを眺めては「うわあ……」と胸をゾクゾクさせることに夢中になっていた幼き日。大人になったいまでも、双眼鏡で野鳥を覗くことや、野で虫網をふるうことは、日々の雑事から解放されるためのなによりの愉しみとなっている。

 とりわけ好きなフィールドは「磯」だ。潮が引いた海、その沿岸には生き物を愛好する者であれば無視することはできない異界が現れる。ウミウシ、イソギンチャク、ヒトデ、ウニ、その他諸々。水中眼鏡で潮だまりに目をやれば、その異形の者たちが作りだす鮮やかな景色が広がっている。野や里山のわびさびとした世界と違い、そこにはアッパーな色味が輝いており、それを一度体験した人間は磯だけが漂わせている中毒性の虜になる。

 私もまたその中毒性に取り憑かれた人間で、これまで幾度もうっとりと海中の世界に目を落としてきた。ただ、ここ数年は仕事作業に追われて、なかなか磯に足を運ぶ機会を得ることができないでいた。

 そうだ、磯があるではないか。こんなに時間を持て余している夏なのだから、磯に行かないで、どうするんだ。

 思い立ち、そのまま私はシュノーケルセットを手に、車へと乗りこんだ。不安はひとまず、涼しい部屋に置いておくことにした。

 やがて辿りついた、紺碧の海。

 ああ、ものすごく、夏だ。私はいま、夏休みを全力でやっている。

 水着に着替え、シュノーケルを装着し、はやる気持ちを抑えるようにしながら、岩礁付近の海に飛び込む。

 クサフグが身をよじりながら海藻をかきわけ、ゴンズイたちの群れは玉になりながら跳ねるように砂地を移動し、岩の陰ではタコが艶めかしく腕を揺らしている。磯の周りには三六〇℃、どこを見渡しても非日常なパノラマが続いていて、いままでずっと陸にいた者としては、突然に「異常事態」に巻き込まれてしまったかのような興奮を味わう。

 息継ぎも忘れて、あちらこちらに忙しく目を動かす。

 すると、その時。

 サッ、と視界に大きな影が横切った。

 小さく驚きながら目をやると、なんだ、同類のシュノ-ケラーである。地元の少年たちだろうか、色濃く焼けた黒い肌で海中に差しこむ太陽の光を受けながら、慣れたバタ足でスイスイと私の前を進んでいく。

 おや。

 よく見ると、彼らの手には、棒のようなものが握られている。先端が三又に分かれていて、尖っていて……ああ、ヤスだ。彼らはこの磯で、戯れに魚突きをしているのか。

 いったい、どんな魚を獲るのだろう。たとえ小粒のアジであっても、その泳ぎは速い。シュノーケリングを楽しんでいる最中、私は何度か目の前にいる魚に手を伸ばしたことがあるが、捕まえられた試しなど一度もない。たまに磯に顔を出すイシダイなどの中型の魚なんかは、こっちの姿を見ただけですぐさま逃げてしまう。

 まあ、彼らは海に慣れている様子だから、小魚くらいは突けるかもしれないな。魚突きの経験のない私は、興味津々で彼らの動向を追ってみた。

 ひとりの少年が、岩礁の深みへと、ずんずん潜っていく。

 やがて砂底に辿りつくと、そこで「ズッ」という音を立てて、ヤスのゴムを弾く。

 そして、スーッと垂直姿勢で海面に浮上してくる。ヤスの先に、なにかが揺れている。

 驚いた。

 ヒラメだ。

 それも、かなり大きい。A3サイズのヒラメである。

 ウソだろう。そんなの、獲れちゃうのかよ。ヒラメといえば、高級魚じゃないか。竜宮城で刺身要因としてではなく、ダンサーとしてキャスティングされている魚じゃないか。遊びで突くにしては、ちょっとレベルが高すぎやしないか。

 唖然としている私を尻目に、ほかの少年たちも次々とヤスを弾く。そして、大人の頭ほどもあるカサゴやキジハタを狩り、満足したように岸辺へと戻っていく。

 そっと後を追いかけ、私はまたしても驚愕する。砂浜に置かれた彼らのクーラーボックス、それをチラッと覗き見ると、バラエティ豊かな魚たちがどっさり詰まっているではないか。この量、三日かけても食べきれるものではない。

 ……ん?……三日かけても、食べきれない?

 ……あれ、これ、もしかして、いけるんじゃないのか?

 瞬間、私の頭の中に、なにかが鳴った。

磯のベーシックインカム

 磯付近には、多彩な生き物たちが豊富に潜んでいて、どこに視線を動かしても、こちらの意表を突く景色が存在している。シュノーケリングはどう考えても楽しいレジャーで、私はいままで海中世界を鑑賞することだけで十分に満足していた。

 でも、あっちが意表を突いてくることにただただ甘んじているだけではなく、たまにはこっちからも意表を突きにいってもいいのではないか。

 ヤスで、魚を突いてもいいのではないか。

 私は、九九も満足に諳んじることのできない人間だ。だから、一般的な「不労所得」のシステムを構築することはできない。ただ、人並みに泳ぐことだけはできる。あと、海の潤沢具合も知っている。

 磯だけで日々の胃袋を満たすメソッドを確立すれば。月々の食費を、それでゼロにすることができれば。

 それはつまり、海を「ベーシックインカム」として活用する、ということになるのではないか。

 いつまで存続できるかわからない政府からの支給をあてにするよりも、おそらく人類が滅亡してもずっと存続しているはずの磯をあてにするほうが、どう考えても安定的である。乱高下を激しく繰り返す株に手を出すよりも、干潮と満潮をゆるやかに繰り返す磯に手を出すほうが、明らかに健全的である。

 しかも、ローリスク、ハイリターン。

 このメソッドは、部屋に置いてきた不安にも確実に効くはずだ。ヤスが目の前の海を竜宮城に変えてくれることを知っていれば、「いつか食べ物に困るのではないか」などという焦りは、あっという間に雲散霧消することだろう。

 銀行貯金が心許なくなったら、海の残高に頼ればいいのだ。

 そうだ、ヤス一本をもってすれば、磯は「ベーシックインカム」に成りうるのである。

 

✴︎✴︎✴︎

 

「磯は『ベーシックインカム』に成りうる」

 あくまでこれは、まだ仮説だ。

 仮説を立証するには、実験をするしかない。

 こうして私は、ヤスだけを資本に、「一週間の磯生活」が可能なのかどうかの、臨床実験を行うことにした。つまり、浜辺でキャンプしながら、すべての食料を海から調達するという試みである。

 そんなことやってないで来月からの仕事を探したらどうだ、とも思うが、困ったことにヒマだけは海の水平線のように無限に横たわっていた。

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磯と著者

 

(illustration by Michihiro Hori)

 

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PROFILE

ワクサカソウヘイ /文筆業。1983年生まれ。主な著書に『ふざける力』(コア新書)、『今日もひとり、ディズニーランドで』(幻冬舎文庫/イースト・プレス)、『男だけど、』(幻冬舎)、『夜の墓場で反省会』(東京ニュース通信社)、『中学生はコーヒ―牛乳でテンション上がる』(情報センター出版局)などがある。