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ワクサカソウヘイ 『エクソダス・フロム・イショクジュー/衣食住からの脱走』 #04 食べるべきか、食べないべきか、それが問題だ(前編)

衣食住にまつわる固定観念をあきらめることこそ、「将来に対する漠然とした不安」に対抗できる唯一の手段なのではないか。ワクサカソウヘイによるおおよそ“真っ当”ではない生活クエストの記録。第四回は私たちにつきまとう食の悩みを巡って。合言葉は「食べるものがなければ、食べなければいいじゃない」。

私は「食べられない」少年だった

 私はドラゴンボールの孫悟空が疎ましかった。

 彼は本当に、よく食べる。テーブルの上に提供された骨付き肉や怪魚のソテー、それに大盛りの白ご飯などを、まるでなにかに急き立てられているかのようなスピード感でもって、ガツガツと胃袋に送り込む。

 いや、孫悟空だけではない。ルフィにしろ、ゴンにしろ、少年ジャンプで描かれているヒーローたちは総じて大食漢である。キン肉マンなんて牛丼を飲むようにして平らげていた。そこにあるのは「食べることこそが正義」なる暗喩である。

 なぜ、そんなヒーローたちが疎ましかったのか。それは私が「食べられない」少年だったからだ。

 小学生の頃、給食の時間が苦痛でしかたなかった。

 食が細く生まれてしまった私は、目の前のトレーの上に置かれた白飯や牛乳、変に黄色なシチューたちなどと、毎日毎日涙目になりながら、格闘していた。

 級友たちは次々と給食を完食し、配膳台に皿を戻すなり、ドッヂボールだサッカーだ、などと嬌声を上げながら校庭へと消えていく。そんな中で、私だけがひとり、教室の隅でモソモソとパンを咀嚼し続ける。

 すでに自分の身体は、食べ物を必要としていない。朝食の納豆ご飯や味噌汁が、まだ胃袋から退場していないのに、そこに昼食を送り込むなんて、土台無理な話だ。やがて喉は、嚥下を拒み始める。それでも食べ続けなければならないのは、教壇からじっとこちらを見つめる、担任教師の目があるからだ。

「世界には、飢えて苦しんでいる人たちが、たくさんいるんだよ」

 ある日、「もう食べたくありません」と給食の酢豚をギブアップした時、担任教師は薄笑いでもって、私にそう告げた。

「だから、がんばって、食べようね」

 だったらこの酢豚を、いますぐその飢えた人々に届けてやってくれ。そう反論したかったが、語彙も度胸も不足していた小学生は、「……はい」と呻くように返事をして、トレーの置かれた席へと戻った。

 酢豚はたっぷりと、餡でとろみがかかっていた。せめてあっさりしていてくれよ、なにをとろむことがあるんだよ。お前がとろんだところで、誰が得するっていうんだよ。

 名付けようのない感情を、酢豚にぶつけたところで、なにも解決しない。ああ、自分が悟空だったら、きっとスルスル、このとろみを飲むことができるのに。

 すでに昼休みを楽しみ始めている女子たちが、私を横目にクスクスと笑っている。私は再び、酢豚と格闘を始める。静かでみじめで孤独な天下一武闘会は、毎日の昼休みごとに、私の机の上で展開されていた。

『一日三食、きっちり食べましょう』

 教室のうしろに貼られた献立表には、そんな一文が掲げられていた。

 

そんなことで、お前は、食っていけるのか

「生きている以上、食べなくてはならない」

 その命題は、大人になってからもことあるごとに、私の目の前に立ちはだかった。

 たとえば、二十歳を過ぎた、ある時のこと。

 私は会社や組織に所属せず、身一つで生きる道を将来に選んだ。そのことを父親に告げると、彼は苦々しい顔を浮かべたのちに、私にこんなことを問いただしてきた。

「そんなことで、お前は、食っていけるのか」

 う、と私は呻いた。呻くしかなかった。どうしようもないほどに、それは正論だったからだ。食えるかどうかわからないことを仕事にして、どうするんだ。もし食い詰めてしまった時のことまで、お前は考えているのか。父は、正論を続けた。私はオカリナを鳴らしたような小さな声で「もし食べられなくなったら、その時にどうするか考える……」とだけ答えた。

 それからたとえば、三十歳を過ぎた、ある時のこと。

 私は体調を崩し、すべての仕事をキャンセルし、半年間の休養を余儀なくされた。やがて身体の調子は元に戻り、再起を図っていたタイミングで、知人にこんなことを尋ねられた。

「でも、復帰したところで、ずっと食べていけるかどうかは、わからないでしょ?」

 うう、と私はまたしても呻いた。ずっと食べていけるかどうかなんて、天のみぞ知るところだったからだ。私はテントの入り口のチャックを閉める時の音のような細い声で「まあ、なるようになるさ……」とだけ答えた。

 「それで食べていけるのか」。この言葉を前に、これまで幾人の人々が、未来への自己決定を躊躇したのだろうか。このセリフを他人から放たれたことで、自分の望んでいた仕事を全うする前に散った人も大勢いることだろう。それは端的に、「呪いの歌」だ。

 この「呪いの歌」は、なにを楽譜にして鳴り響いているのだろう。

 それは、「飢えることの恐怖」を旋律とした、悪魔の楽譜だ。

 飢えることは、怖い、辛い、恐ろしい。

 人間、飢えたら、おしまいだ。

 飢えてはいけない。飢えることだけは、避けなければならない。

 そんな音符が、この「呪いの歌」の不協和音を奏でている。

 『それで食べていけるのか』、もしくは『一日三食、きっちり食べましょう』といったタイトルが、その楽曲には冠される。

 お父さん、お父さん、魔王が来るよ。そんな感じで私はずっと、飢えの悪魔からプレッシャーをかけられ、生き続けていた。

 

「食べるものがなければ、食べなければいいじゃない」

 しかしある時、そんな「呪いの歌」が、急に薄まった。それは、前章に記した「磯生活」の中でのことだった。

 磯の魚や貝に食を頼る生活を一週間続けていた最中、私はアベレージにして「一日一食」のリズムで食べ物を口にしていた。そういうルールを設けていたわけではなく、獲物を手にすることができる日とそうでない日に極端なバラつきがあり、とてもではないが「一日三食」を叶えることが難しかったのだ。

 だが、「一日一食」生活は、非常に満ち足りたものであった。

 朝起きて、なにも食べずに海に潜る。ヤスを片手に磯周辺を旋回しているうちに、次第に太陽は真上にのぼっている。そうしているうちに空腹を感じ、その日に獲れた魚や海藻に手を伸ばす。そしてまた海へと潜り、陽が落ちるころには疲れて寝てしまう。そんな生活を続けているうちに、身体に「軽やかさ」みたいなものを得るようになり、飢えに襲われるどころか、常に爽快な気分を味わっているほどであった。

 こうした一週間が終わり、日常生活に戻ってから、私はとある疑念を頭に浮かべた。

 そういえば、「一日三食、必ず食べろ」って、あれは誰が言い出したことなのだろう……?「一日一食」でも、明確に生きることができたぞ……? なんなら「一日三食」の時よりも、調子がよかったぞ……?

 それによく考えたら、「朝食べて、昼食べて、そして夜も食べる」って、かなりアナーキーなリズムではないのか。特に、朝食から昼食までのスパンの短さよ。「はい、朝食をクリアしたら、ちょっとだけ働いてもらって、またすぐに昼食に挑戦してもらいます」って、狂いトライアスロンではないか。いや、「一日三食」のリズムが身体や性分に合っている人もたくさんいるのだろうけれども、そうではない人もきっと大勢いることだろう。少なくとも、私は後者だ。

 「一日に三回、必ず食べましょう」というのは、根拠のない合意なのではないか。私はそんな合意書に、サインをした覚えはない。

 もしかして、飢えることって、そんなに怖いことではないのではないか。そんな疑念もまた、私の頭によぎった。

 

「食べるものがなければ、食べなければいいじゃない」

 マリー・アントワネットはそんな極論は述べてはいないが、もしここまでの道中で誰かに「食えなくなったらどうすんだ」と詰められるのではなく、「食えなくなったら食べなければいい」と諭してもらえていたら。もしかしたら私は、余計な圧を感じずに生きてこられたかもしれない。

 しかし「食べるものがなければ、食べなければいい」と結論を出すには、まだ早い。磯での一週間内においても、私は一日に最低一食は口にしていたのだから。

 そこで私は、手始めに簡単な断食に挑戦してみることにした。なにも食べず、口にするのは水だけと決め、三日間を過ごすことにしたのである。

 

断食三日目のクライマックス

 昔読んだ本の中に、「『冒険』とは常態化されたシステムの外に飛び出す行為を指す」なる一文があったことを覚えている。それに沿うならば、断食とはまさしく、私にとって「冒険」だった。

 「食べるべき」を前提としたシステムから飛び出した私は、断食のジャングルへとおそるおそる足を踏み入れた。いままで信じてきた戒律に背き、寺から脱走した僧のような気分である。

 

 ああ、これは天からの罰であろうか。断食一日目の夜、私は激しい空腹に襲われた。そういえば、「磯生活」の初日、ほとんど獲物がなかった夜も、私はこうして身をよじっていた。いや、でもあの時は、味噌汁だけは口にできていたから、今夜よりかはマシだった。

 なにも食べないと、こんなにも凄まじい空腹を味わわなければならないのか。

 稲妻のような飢餓感が走り、頭の中に「王将の餃子セット」や「カレーハウスCoCo壱番屋のフィッシュフライカレー」、「丸亀製麺のぶっかけうどん(並・冷)」などの幻影が巡る。私は食こそ細いが、食べることは決して嫌いではない人間なのである。幻影が示している通り、特に国道沿いにあるチェーン店のメニューが好きだ。ああ、いますぐ国道沿いに走りたい。

 しかし、そんな想いをぐっとこらえ、毛布にしがみつき、空腹の嵐に耐えた。なんだよ、結局は飢えるって超怖いことなんじゃん、なんで断食なんて試そうと思ったんだよ、などと自分を呪っているうちに、トロトロとした眠気が押し寄せてきて、あれ?ちょっと空腹感が和らいでいる? と思っているうちに、気づけば夢の中にいた。

 

 明けて断食二日目の朝。いつもの習慣で、パンをトーストしようとして、あ、そうだ、食べちゃいけないんだと手を引っ込める。昨晩、虎のような空腹に喘いでいたのが不思議なほどに、食欲は落ち着いていた。コップに水を注ぎ、それだけを口にして、仕事を始める。

 正午を過ぎたあたりで、少しだけ空腹が訪れる。しかしそれは、ハムスターサイズの「可愛い」空腹だった。「いまはキミとはかまっていられないんだ」と告げると、そのハムスターな空腹は少しだけ寂しそうな顔を浮かべて、巣へと戻っていった。

 もう二十四時間以上、なにも口にしていない。生まれてきて三十余年、こんなに長時間絶食したのは初めてだ。風邪をひいた時でも、お粥くらいは口にしていた。いったい、なにがこの先に待ち構えているのだろうとドキドキしながら、午後の時間を過ごす。

 再び夜がやってきた。水を飲み、布団に潜ると、またしても空腹が姿を現した。しかしそれは虎のようなサイズ感のものではなく、さりとてハムスターほど小さいわけでもなく。いうなればアライグマのような空腹だった。

 勝てる、このサイズの空腹だったら、勝てる。

「もう戻ってくるな!仲間と一緒に、森で暮らすんだ!」

 ラスカルを野に放つようにして、空腹に別れを告げる。するとシュルシュルと胃袋の飢餓感は消え去り、私は穏やかな眠りについた。

 

 劇的な変化が起きたのは、三日目のことだった。

 朝、起きるなり、頭がシャキッとしていたのである。

 私は万年低血圧で、布団から起き上がっても普段一時間ほどは正常に思考が起動しない。それがどうしたわけだろう、今日は起きざまに視界がクリアで、なんだか言いようのない活力に溢れているのである。水を少しだけ飲み、そのままノートPCを開いたかと思えば、あっという間に原稿を一本、終わらせてしまったではないか。なんだ、どうしたんだ。急に人生のクライマックスシリーズが始まったのか。

 いや、違う。私はハイ状態になっていたのだ。断食が「キマって」しまっていたのである。

 これはあとで知った話であるが、断食をすることで躁状態を経験する人は多いらしい(もちろん、個人差はあるだろうが)。少なくとも断食三日目の私は、いままでに感じたことがないほどの爽快感に包まれていた。アイディアが次々に浮かび、見るものすべてが新鮮で、思考が整理されていくような快感を得ていた。

 ヤバい、断食って、合法ドラッグではないか。大変なものに手を出してしまった。

 怖くなった私はその夜、空腹感など微塵も伴ってはいなかったが、国道沿いに走り、丸亀製麺でぶっかけうどん(並・冷)を食べた。すると強烈な眠気に襲われ、ハイ状態は強制終了、ふらつくように布団へと飛び込んだ。

 こうして三日間の断食は終わった。

 明くる朝、目を覚めせばそこにはきっちりと低血圧が待ち受けていて、頭はいつもの通り、濁っていた。数時間後、空腹感もしっかりと現れた。

 

 振り返れば振り返るほど、それは不思議な体験だった。

 食べない状態を続けていると、徐々に元気になっていき、飢餓感はデクレッシェンドで萎んでいく。逆に食べてしまうと、怠さで身体が重くなり、空腹に悩まされる。なんだ、これはいったい、どういうことなのだ。

 それからというもの、私は毎週「三日間の断食」を試すようになった。

 コンスタントに断食を取り入れているうちに、明確に成果が現れたことがふたつある。

 ひとつは、暮らしの能率が目に見えて上がったことだ。一週間のうち、三日間は「一日三食」の縛りから解放されるわけだから、極端にゆとりが生まれる。いままで調理と食事に充てていた時間が、余剰分として計上されるのだ。その発生した時間で皿を洗い、本を読み、誰かに手紙を書く。なんとも村上春樹クオリティな生活が、そこに誕生するのである。しかも必ず三日目にはハイな状態を迎えるわけで、仕事もスイスイと進んでいく。

 もうひとつの成果は、家計簿の中に現れた。一週間のうち、三日間は「一日ゼロ食」なわけで、ということは週のアベレージは約「一日二食」ということになる。こうなってくるとエンゲル係数は緩和されることになり、いままで常に纏わりついていた正体不明の切迫感も薄まっていく。

 お父さん、お父さん、魔王がそんなには追ってこないよ。

 

そして断食の向こう側へ

 あれ? 私はここで、はたと気がついた。

 飢えることって、そんなに悪いことではないのではないだろうか。

 飢えるのって、本当は、けっこう最高なのではないか。

 食えなくなったら、普通に飢えればいいのではないだろうか。

 「一日三食」は、「一日二食」まで下げても、なんの問題もなかった。というか、私にとっては「一日二食」のほうが身体にフィットしていたわけで、だとすれば小学生の頃に教室に貼ってあったあのスローガンは、偽りに満ちた悪魔の囁きということになる。「食えなくなったらどうするんだ」の正論に対して、バット大振りで「その時は飢えればいい!」と打ち返すことができるようになった、ということになる。

 いやいやいや、「三日断食」の成果を知ったくらいで、大風呂敷を広げすぎだ。

 断食の向こう側の景色を見なければ、本当の意味で「飢えの恐怖」の欺瞞を暴くことはできない。

 断食の次の段階って、なんだろう。

 それはきっと「不食」である。

 ずっと食べないでいると、いったい、どんな感じになるのだろうか。

 もし「不食」が成功すれば、私は一生、食べ物のことで頭を悩ますことはなくなる。それって、逆張りの成功者ではないか。生涯において、二度と飢えることに怯えなくて済むなんて。

 こうして私は、絶望に備えるための自己レッスンとして、期限を決めないで、いけるところまで「不食」を試してみることにした。

 「食べないとどうしてハイになるのか」の謎についても、ついでに解き明かしてみたくなった。

 

 自分はいったい、誰に喧嘩を売るために、こんな天下一武道会をひとりで開催しているのか。よくわからなくなってきたが、うしろから魔王が追ってくるから、もう止まれなかった。

 

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(illustration by Michihiro Hori)

 

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PROFILE

ワクサカソウヘイ /文筆業。1983年生まれ。主な著書に『ふざける力』(コア新書)、『今日もひとり、ディズニーランドで』(幻冬舎文庫/イースト・プレス)、『男だけど、』(幻冬舎)、『夜の墓場で反省会』(東京ニュース通信社)、『中学生はコーヒ―牛乳でテンション上がる』(情報センター出版局)などがある。