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吉山森花 『だけど私はカフカのような人間です』 第十八回《無知》について

沖縄県恩納村に生きるアーティスト・吉山森花のフォト・エッセイ。第十八回は《無知》について。

 

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 身体が重すぎて内臓を吐き出したくなる。身体の内側に私を苦しめるドロドロとした重りが敷き詰まっているのが許せない。食事がうまくできないのもきっとこのせいだ。これ以上重いものを背負いたくない。全部吐き出して、伽藍堂になって、空のペットボトルのように叩くとポコポコと鳴るような、そんな人間になれたら、このクズ具合も少しはマシになるのだろうかと考える。重くて動けない。二日食事をしないくらいがまだしも少しは、人間のように、アリのように、働ける。食事は罪だろうか。この世界の生物は全て罪を背負っているから地上から離れて暮らすことはできないのだろうか。空を自由に飛んでいるように見える鳥でさえ地面に降り立たなければ眠ることを許されないだろう。自由に飛んで見える鳥さえも地上に縛り付けられた罪深い生物なんだろうか。どうりで身体が重いわけである。鳥もきっと身体が重いと感じているに違いない。解き放たれてずっと空を飛んでいたいと願っているに違いない。

 

 

  私はいつも何も知らない。何も知らなすぎてとても怖くなる。己の無知に恐怖してもっと学ばなければ、もっと多くを知らなければ、という強迫観念に陥ってしまう。私はあまりにも何も知らないのだ。何も知らない私が何かを沢山知っている人達に発言したり、自分の持っている知識を話すことがとても恥ずかしい。恥ずかしいけれど黙っていることもできない自分をもっと恥ずかしく思う。私が勤勉な人間で真面目で何かを知っている人だと思う人も少しはいるかもしれないけれど、それは誤解であり、私のパフォーマンスにきっと騙されている。私は人間に少しでも近付きたいだけの愚かで無知な動物である。

 毎日知らないことが増えていくので、自分なりに調べるのだけれど、調べても調べても無知で愚かな動物であることが変わることはない。怖くて怖くて自分の小さな脳味噌で想像したり考えたりしてみる。それがどうも見当違いなところへ毎度行き着いてしまうため、私は更に絶望し、人間のふりをした犬畜生めがっと思うのだ。そもそもおこがましいことなのかもしれない、私みたいな愚かな動物が人間に近付きたいなどと願うことは。そうわかってはいても憧れる。

 大降りの静かな雨の中、建物の陰で雨宿りする自分を妄想する。冷たい空気に包まれ、暖かい匂いを感じ、雨が地上に打ち付けられる音に癒されながら煙草を呑む。煙が湿った空気に足を引っ張られながら重そうに空へ昇っていく様を見つめながら、私は自分に酔いしれ、良い女でありたいと願う。そんな妄想をすると少しだけ感動が戻ってきてくれて私はドン底から這い上がれる。

 良い女と思いたい。良い女になりたい。良い女だと思わせてほしい。良い女として扱ってほしい。それに見合う人間にならなくてはいけない。そんな女になるためにはもっと沢山のことを学び、もっと沢山のことを乗り越えなくてはならない。私はマイナスなのだ。マイナスの人間が最初からプラスの人間のようになるためには努力を怠ってはいけないのだ。誇りを持ち、常に挑み続けて、柔らかく形を変える。そうやって生きてきた。今苦しいのは私がまだ良い女にはなれていないからなのだ。しかし、良い女になろうにも、常に自分の内側が生み出す苦しみに足を引っ張られていて、容易ではない。

 

 

 無知を恐れるのは私が無知だから。人間を恐れるのは私は他人にはなれないから。私が想像もできないことをそれぞれがそれぞれの肉体の内側で計り知れない広さで思考していると思うと、私なんかにはもう手に負えなくなってしまう。ただでさえ自分の内側の果ても見えないのだ。自分の計り知れない果てと他人の計り知れない果てについて考えながら正気でいられるだろうか。正気でいなければならない。だけど、触れ合うと爆発してしまうのではないかといつも怖くなる。私と目が合った瞬間お互い爆発して消滅してしまうんじゃないかと。それは賭けなのかもしれないけれど、だとしても人間と話さなきゃならないでしょう? 生きている限り人間と会話しなければ人間は生きることが難しいでしょう?

 無知であることに感謝する日もある。何も知らなくてよかった。けれど知ってしまって知らなければよかったと思うこともある。そして知らない自分を物凄く恥じる日もある。知らないがゆえに誰かの悲しみを無粋に扱ってしまう。そんな自分が嫌いで、だから知らないこと見えないことが数億個はある前提で話をしようと心がけているつもりなのだ。それでも容易ではない。誰かの感情や気持ちをどうしても粗野に扱ってしまう。そんな女になんかなりたくはないのだけれど。

 知らなくてもよい、何も知らなくてもよい。何も知らない上で私が信じることができたらそれでよい。たった一つのことでも、それだけを私が信じることができたらそれでよいと思う。たとえ無知でバカにされても罵られても。それでも罵られ続けると人は誇りを忘れてしまう時がある。だから私はずっと愚かな生物というカテゴリーから抜け出すことができないのだ。一瞬の出来事に、その些細な出来事に自分が傷ついたという理由で、信じるべきモノから目をそらすべきではない。

 

 

 いい加減、暗い話はやめにしよう。確かに私が生きてきた人生で何の心配もなく過ごせた時なんてほとんどなかったし、成長すれば成長に合わせて乗り越える壁の難易度も高くなっていっているけれど、いい加減諦めるべきだと思うよ。傷つく時間すらもったいないんじゃないだろうか。あと何年生きれるかもわからないのだから、傷つく暇があるなら自分の好きなように好きなことにもっと一生懸命に取り組むべきだと私は思う。誰もが苦しんでいて、誰もが幸せにあふれている世界で、その時間を楽しめないのはもったいない。

 言いようのない幸福を味わって、そこから突然に絶望的な気持ちになって、その幸福を求め狂ってしまう。ジャンキーの気持ちが今ならよくわかります。最初は逃げたい気持ちからだった。それがどんどんと深い沼へと変わっていって、私は息をするのも怖くて、沼から顔を出す勇気さえ見失っていた。

 無知な人間が今日も安いウィスキーに慰められ、それも悪くないとまた自分を慰める。私の予定では三十を過ぎたら素敵な人間と出会ってその人間と死ぬまでの時間を共に切磋琢磨する予定だったけれど、子供の頃に描いた予定はことごとく粉微塵に打ち砕かれている。大好きな作家達の本を読んでみたらいい。きっとどの作家も思い通りになんか生きれてないはずだ。たとえ憧れて尊敬している人間達でもそんなもんなのだ。

 鳥が羨ましいと思った時もあったが、鳥もまた私と何も変わらないのだと思った。一瞬でも空を飛ぶことができる鳥は自由に見えて羨ましくも思うけれど、きっと鳥は不自由で堪らなくて自分が飛べる限界の高さから真っ逆さまに落ちて、燃えてしまいたいと思っているかもしれない。

 

 

 

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Photos by MORIKA

 

 

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PROFILE

吉山森花 よしやま・もりか/沖縄県出身、沖縄県在住。Instagram @morikarma。