磐樹炙弦 『ウィッチ・フェミニズム──現代魔女運動の系譜』 #02「蕩尽と知と恋愛の18世紀末(1)──サロン、革命、厄介なもの」
現代魔術研究者の磐樹炙弦が紐解く魔女とフェミニズムの年代記。コロナ禍において人々が逼塞する2020年の今日、ランブイエ夫人の寝室、あのリュエルへと思いを馳せ。
<<#01 序論「“私たちのフェミニズム”の耐えられない軽さ」を読む
女権宣言
1789年8月26日、フランス革命により発足した国民議会が「人間と市民の権利の宣言(フランス人権宣言)」を発表する。アメリカ独立宣言に並ぶ近代国家成立史上の重要なランドマークであるが、宣言発表の直後、これに不服を申し立てる女たちが存在した。
曰く、この宣言が保証するものは男性(Homme) と男性市民(Citoyen)の権利であり、女性や有色人種の権利には触れられていない、と。事実、市民革命後の国民議会では女性の参政権は認められず、1804年制定のナポレオン法典第213条では「夫はその妻の保護義務を負い、妻はその夫の服従義務に従う」とされている。フランスにおける女性の服従義務の撤廃、離婚権の獲得は20世紀に入って段階的に達成され、参政権に至っては「人権宣言」から実に150年後まで待たされることになる。バスティーユ牢獄襲撃を先導した(とされる)男装の活動家テロアーニュ・ド・メリクールや、パンを求める女たちがルイ16世を震え上がらせたヴェルサイユ行進など、フランス市民革命において女性が担った役割は極めて大きい、にもかかわらず。
「フランス人権宣言」に内在する家父長制度的欺瞞を見抜き、不服を申し立てた女優・劇作家オランプ・ド・グージュ(1748-1793)は、人権宣言の文言をほとんどそのままに、「人」を「女性」に、「市民」を「女性市民」に置き換えた「女権宣言」を1791年に発表。これをもって、政治闘争としての近代フェミニズムが狼煙を上げる。
前文 母親・娘・姉妹たち、国民の女性代表者たちは、国民議会の構成員になることを要求する。そして、女性の諸権利に対する無知、忘却または軽視が、公の不幸と政府の腐敗の唯一の原因であることを考慮して、女性の譲りわたすことのできない神聖な自然的権利を、厳粛な宣言において提示することを決意した。この宣言が、社会体のすべての構成員に絶えず示され、かれらの権利と義務を不断に想起させるように。女性の権力と男性の権力の行為が、すべての政治制度の目的とつねに比較されうることで一層尊重されるように。女性市民の要求が、以後、簡潔で争いの余地のない原理に基づくことによって、つねに憲法と良俗の維持と万人の幸福に向かうように。こうして、母性の苦痛のなかにある、美しさと勇気とに優れた女性が、最高存在の前に、かつ、その庇護のもとに、以下のような女性および女性市民の諸権利を承認し、宣言する。
第1条 女性は、自由なものとして生まれ、かつ、権利において男性と平等なものとして生存する。社会的差別は、共同の利益にもとづくのでなければ、設けられない。
オランプ・ド・グージュ「女性および女性市民の権利宣言」(1791)
フランス革命は、まずもって絶対王政と封建的制度に対する立憲政治と資本主義による転覆であるが、同時に家父長制度に対する女性の叛逆が公の政治空間において開始された特異点でもある。この地点から、産業革命、都市の巨大化、社交と情報のネットワークを背景として、階級闘争と性闘争がふたつのパラレルなタイムラインとしてスタートし、巨大な螺旋を描き出す。近現代史を、資本主義とフェミニズムという2匹の怪物–大蛇の、絡まりあう螺旋の交合として見立てる時、その内部で我々が未だ微睡む資本主義世界の原初的な衝動と、「厄介なもの」として繰り返し立ち現れる「魔女」の夢が観えてくるだろう。まずは18世紀末、資本主義とフェミニズムが始まる特異点に至る前史を、魔女の呼吸とまなざしを感じながら俯瞰したい。
サロン
急速に巨大化したヨーロッパ諸都市は、徹底した消費都市という特異な性質を帯びていった。なかでも17世紀を通じて急速な人口増加が見られたのがローマ、アムステルダム、ロンドン、パリであり、とりわけパリの人口増は爆発的だった。18世紀末時点でロンドン100万人、パリ67万人、ナポリ50万人、マドリッド40万人に達し、その全てに巨大な消費の渦があった。渦の中心には王侯貴族、聖職者、官僚の貪欲な「贅沢」があり、それが巨大奢侈産業を駆動する。男も女も見分けがつかなくなるまで着飾り、膨大な量のレース、砂糖、美術品が止め処なく流通した。王侯貴族の富の基盤は土地であったが、彼らに贅沢品を供給する商人たちは顧客を凌駕する富を形成し、新たな階級層、ブルジョワ市民として勃興していった。
彼ら新しい市民階級は、次第にやせ細り縮小していく地主=貴族の領域を侵食した。富を成し子女を貴族に嫁がせた新興成金が、貴族と一体化していく。ある程度の稼ぎとコネがあれば、次代から「新貴族」になれたし、なんなら爵位は購入することもできた。18世紀末時点で、フランスにおける昔ながらの貴族、いわゆる旧家は1400家ほどが残存していたに過ぎないのに比べ、新たに貴族階級入りした家系は25,200家を超える。万人が貴族社会に参入し、贅沢を競い合う巨大なマーケットが歴然と現前し始めたのである。
上流階級の妻、愛人たちは、新たな自由競争市場の只中にあって、贅沢を加速する「欲望」の炎を煽り、その炎にくべる薪木としてより精妙な「差異」を求めた。かつては公の場において権力を可視化するために行われた盛大な祝祭は、人口増加し過密化する大都市においてより「圧縮」された差異を取り込み、変容していく。すなわち、細密な手工芸品を所狭しと押し込んだ寝室と、そこに出入りを許された人物が媒介する知のネットワークが張り巡らされた。資本力を求める斜陽貴族と、ステイタスを求める資本家が互いに溶融する場を、手形や通貨のように流通していく女たちは、自らの存在を支える二層のレイヤー、自由市場と階級構造の重ね合わせが生み出すモアレの場に、もう一つのサブレイヤーを見立てていく。その一時的自律領域は、サロンと呼ばれた。
「貴婦人の集い」
Réunion de dames, Abraham Bosse, 17th century
17世紀から18世紀を通じて形成された貴婦人のサロンは、男性のそれとは異なる女性のルールで支配された社交空間であった。男性の社交は、貴族同士、あるいは貴族と平民の政治的な駆け引き、ビジネスの場であり、権力勾配を読み合う合目的かつ垂直の社交空間である。対して貴婦人たちのサブレイヤーは、無目的かつ水平の社交空間として立ち現れた。
最初期のサロンは17世紀初頭、病弱なランブイエ侯爵夫人(1588-1665)の寝室で催された。そこでは政治の話題は禁じられ、平民と貴族が他愛のない詩と謎かけを楽しみ、友愛を育んだ。寝室 – リュエルでの個人的な集いは、客間 – サロンに拡大していく。蕩尽と知と恋愛で保温された無目的な自治空間、そのオーガナイザーとして、教養を競い合う貴婦人たちが存在感を強めていく。
ランブイエ公爵夫人 (作者不詳 17世紀)
駐在フランス大使とローマ4大名門貴族の子女であるカトリーヌ・ド・ヴィヴォンヌ(ランブイエ公爵夫人)は、20歳で宮廷を引退し、自邸の寝室で最初期のサロンを形成する。“人々はランブィエ公爵夫人のサロンに集い、楽しい語らいの時をもった。話の内容はさまざまで、重要性にも差があるけれども、人が集まるところは、すなわち情報の交わされるところでもあるといえる。ランブィエ館をたずねるメンバーには、政治家あり、軍人あり、文人あり、役人ありで、情報の質も量も豊かである。彼らは自由に出入りしていて、いうなれば毎回無届け集会をやっているようなものであった。文人たちはそのうえに活字というメディアをもっている。必要となれば彼らは自分たちの意見を刷り物にして表すこともできた。しかも当時は文字を読める人のほとんどが文を書き、書く人と読む人がほぼ同数という時代であったから、為政者にとってはインテリは恐るべきものであったろう。”(川田靖子「寝室に集う人々」[「クラブとサロン」NTT出版 1991])
階級、恋愛、スピリチュアリティ
18世紀末市民革命の前景となるこの局面において、資本が流動化させた最も重要な三要素を、階級、恋愛、スピリチュアリティに要約できると筆者は考える。この三要素の流動化・自由化は互いに連鎖しあい、今日に至るまで螺旋のうねりを振動させている。
貴族と平民の間の政略結婚が階級を曖昧にする。複雑な社交と結婚の交錯が正妻と公妾、貴婦人と高級娼婦の区別を曖昧にし、社交界は、なし崩し的に恋愛の自由市場となる。サロンの女主人たちは、寵愛と官能の炭火が絶えない自由恋愛の暖炉をサロンの中心に据えて管理し始める。
スピリチュアリティの流動化とは、ルター(1483-1546)の宗教改革に続く反カトリック潮流を指す。ルターらのカトリック離脱と聖書主義は、信仰の重心を教会から個人の内面へと移動させ、西ヨーロッパ諸侯の権威を後ろ盾するものであったローマ教皇とカトリック共同体をより分散的な宗教政治力学の場へと再編成した。神との関係 – 秘蹟は、教会のとりなしを介さずとも個々人の内的敬虔によって直接に体験され得るものとなり、膨大に印刷され流通する非ラテン語=大衆語聖書とともに、スピリチュアリティの内面化・個人化を推し進めた。
ルタ―聖書(1534年)
1517年、マルティン・ルター「95か条の論題」に口火を切った宗教改革 – プロテスタント諸派の分離は、「聖書のみ」「万人祭司」「信仰義認」を三大原理とする。「聖書のみ」とは、聖書から寓意や暗示など「隠された霊的意味」を教皇のみが読みとれるとする教皇権を否定し、万人が万人の内なる聖霊によって聖書を字義通りに理解することができるとする原理、「万人祭司」は万人がその役割を担い得る教職者として牧師を位置付け、教皇の聖職者任命権を否定する原理、「信仰義認」は外的行為ではなく内的信仰によって義とする原理である。ヘブライ語とギリシア語を原典とする旧約・新約聖書から翻訳された標準ラテン語聖書は知識人・聖職者のみが読むものだったが、ルターはドイツ語聖書翻訳にあたり民衆的な口語表現を採用した。印刷術により量産され広く大衆が読めるテクストから、個々人が聖霊に導かれ意味を汲み取り、原理的には誰もがそれを教え広めることができるとするプロテスタントのパラダイムシフトは、ニューエイジはじめ「スピリチュアリティ」という20世紀的概念そのものの源泉となる。
反カトリック潮流は同時に、貴族-市民社会における恋愛とセックスの自由化を後押しした。カトリック聖職者の独身制度は、俗世界と教会を差別化し権力勾配を生み出すとともに、聖職者組織の男性支配を維持する装置でもあった。俗権力や異端と、教会を分かつ境界線はつまりセックスであり、セックスを遠ざけることは女性を遠ざけること、つまり修道女を除く女性聖職者、女性司祭を認めないことである。カトリック教会はセックス – 女性から切断されているが故に、その聖性と優位性、支配権が担保される。カトリックが聖職者に独身を求め、婚外交渉と中絶を批判し、聖化された特異な女性 – 聖母マリア像を称揚しつつ、度々カトリック内部に勃発する異端的マリア崇拝に頭を抱える複雑な事情、性的コンプレックスがここにある。
カトリック教会は、地上における結婚と家庭の承認者、セックスと生殖の管理者、原罪と救済の調整者であった。しかしプロテスタント運動は、内面化・個人化されたスピリチュアリティと、妻帯して俗世に融和した聖職者組織により、カトリックが掌握していた性の管理者権限を開放する。貴族たちは自由恋愛を容認し、それを政略的に運用する場として、女性的な、水平の社交空間を包摂するようになる。
時に娼婦やお針子などからもピックアップされた正妻・公妾たちが、魅力と栄華の競争市場において次々にサロンを主催する。そこに当代一流の文化人、学者、可能性溢れる若き男たちと女たちを引き寄せるには、恋愛は欠くべからざるスパイスであった。個人の内面的・霊的な自由恋愛を称揚し、階級を縦断する社交回路を開くことは、巨大消費都市にあって溶融していく貴族と資本家、その周囲を取り囲むあらゆる階層の平民の、誰にとっても益のあることだった。
啓蒙思想、理神論、第一波フェミニズム
反カトリックとスピリチュアリティの流動化は、17世紀以降の自然科学と社会哲学の興隆ともパラレルである。
女性科学者の先駆けとしてニュートン「プリンキピア」を仏訳したエミリー・デュ・シャトレ夫人(1706-1749)は、危険思想家扱いの理神論–無神論者ヴォルテールを愛人として匿った。フォントネル、グリムら文人に加え百科全書派を形成するヴォルテール(1694-1778)、ディドロ、ダランベール、ルソー(1712-1778)ら思想家たちが方々のサロンを渡り歩き、イギリスからはヒューム(1711-1776)が招かれ、理性による啓蒙 Enlightment の人脈が織り上げられる。バスティーユ牢獄襲撃に端を発するフランス革命、その血なまぐさい戦争・供儀の混沌は、理性、友愛、科学と自由思想のサロンを揺籃として育まれたのである。
「バスティーユ襲撃」(ジャン=ピエール・ウーエル 1789)
とりわけヴォルテールに極まる理神論は、キリスト教から科学へ、貴婦人のサロンから革命のギロチンへと橋渡しする鍵となった。理神論とはつまり、神は理性であり、この世界は確かに神によって創造されたが、それは自然科学者の発見する諸々の科学的法則込みで創造したのであり、以降神は奇蹟や啓示によって超自然的に干渉することはあり得ない、とする考えである。神が理性であり、物質とは何の関係をもたないのならば、理性は男女で差のあるものではなく、誰もが適切な教育によって理性的な、「啓蒙された Enlightened」人間たり得る。18世紀のサロンを取り仕切った女たちは大なり小なりこのテーゼを引き受け、自由化された恋愛=セックスを政治力として家父長制度の権力勾配をハックしていった。
カトリック支配下フランスにおいて危険思想家として地下出版、投獄、焚書の憂き目を繰り返していたヴォルテールは、オルレアン公養育係ジャンリス夫人(1746-1830)を魅了し、夫人を養育係に重用したルイ・フィリップ2世は、フランスフリーメーソン「大東社」を設立、初代グランドマスターとなる。このメーソン組織は女性、有色人種会員の参加、無神論の許容を掲げたことで、本家英国フリーメーソンと袂を別つことになる。ジャンリス夫人の叔母にあたるモンテッソン公爵夫人(1738-1806)のサロンの常連の一人が、冒頭の「女権宣言」を発表し、後に第一波フェミニズムを代表することとなるオランプ・ド・グージュである。ここに、反カトリック、理神論、フリーメーソン、フェミニズムというお膳立てが揃い踏みする。
危険思想・自由思想とラブロマンス。魅了と政治。宮廷を飾る華としての女たちが、その社交ネットワークを裏表に張り巡らし、結果として革命をもたらす危険思想=自由思想の揺籃を取り仕切る。ここにはある反転、自らの尾に喰らいつくウロボロスの蛇のような循環、「厄介なもの」が垣間見える。
18世紀後半、先鋭思想と革命の予感に満ちたサロンは、そこに集う詩人、芸術家、思想家、主催者たる女主人含めて、海千山千的な階級横断性が担保されていた。以上に挙げた人物のうち、モンテッソン夫人、ジャンリス夫人こそ貴族の出自だが、オランプ・ド・グージュは平民の出であり、名を変え出自をぼやかし、高級娼婦として上流階級を渡り歩く越境的な存在だ。同じく平民出のロラン夫人(1754-1793)を黒幕として形成された共和主義民主派ジロンド派は、革命当時の政権を担うまでに至る。ロラン夫人のサロンには、前出オランプ・ド・グージュに加え、貧民から成り上がった高級娼婦で、交互口淫を表すスラング「69」の命名者であり、革命後期のパリを「自由のアマゾンヌ」として闊歩したテロワーニュ・ド・メリクール(1762-
オランプ・ド・グージュ(1748-1793)
劇作家、女優として知られ、第一波フェミニズムの口火を切った「女権宣言」の作者オランプ・ド・グージュは、偽名と曖昧な来歴の貴族の愛人として貴婦人のサロンと政治党派ジャコバンクラブを闊歩した。自邸に設えた劇場で自作の演劇を上演していたモンテッソン夫人、ジャンリス夫人と親交を深め、ジロンド派を支持。1793年、ジロンド派を追放し恐怖政治体制を進めるロビスピエールを公然と批判し、住民投票による政権選択を訴え、反革命分子として処刑される。
ロラン夫人(1754-1793)
平民出身ながら自身のサロンに形成したジロンド派は革命時の政権を担い、ロラン夫人は影の主導者として「ジロンド派の女王」と呼ばれる。ルイ16世の敵国内通を発表、国王処刑の決定打を打つ。啓蒙思想に精通した共和主義者であったが、ジロンド派がジャコバンクラブから追放されると反革命分子として処刑される。処刑前の辞世の句は「自由よ、汝の名の下でいかに多くの罪が犯されたことか」。
1791年の女性愛国者クラブ(ジャン=バティスト・ルスュール作、カルナヴァレ博物館所蔵)
クレール・ラコンブ(1765-没年不詳)
居酒屋に宿泊する巡業女優であったラコンブは、バスティーユ襲撃後のパリで庶民の生活苦を目撃し、ジャコバンクラブに顔をだすようになる。1792年「8月10日事件」では自ら武装してテュイルリー宮殿襲撃に加わり、負傷するも国民議会から表彰される。女性の武装権と生活必需品の安定供給を主張した「革命共和夫人協会」を組織しジロンド派と対立するも、反サンキュロットの中央市場の女性たちと乱闘事件を起こし、1793年に国民議会は女性による結社活動を突如禁止、ラコンブは逮捕・投獄される。出獄後は再び女優として細々と暮らし、消息を断つ。
テロワーニュ・ド・メリクール(1762-1817)
ベルギーの貧農家庭に生まれ、家出、放浪の末ロンドン社交界に高級娼婦として登場。高い教養を身につけ、貴族・王族を相手取る。バスティーユ襲撃を現場で体験した衝撃から革命に身を投じ、男装でパリを闊歩する「自由のアマゾンヌ」として伝説化する。娼婦稼業で形成した資産で女性と革命家を援助し、「革命共和夫人協会」に先立って女性アクティヴィストを組織するが、ジロンド派と山岳派の対立激化後、反ジロンド派の民衆運動「サン・キュロット」の女性たちによって街頭でリンチにあい、精神病院と療養所を転々として生涯を閉じる。
1792年「女性の権利の擁護」を出版し、英国からオランプ・ド・グージュに呼応したメアリ・ウルストンクラフト(1759-1797)は、無政府主義者ウィリアム・ゴドウィン(1756-1836)、ワーズワース(1770-1850)、コールリッジ(1772-1834)、そしてウィリアム・ブレイク(1757-1827)ら19世紀世代のロマン派詩人たちと親交した、第一派フェミニズム代表するもう一人の人物である。彼女の娘メアリー・シェリーは19世紀ゴシック文学の金字塔「フランケンシュタイン」を執筆し、ワーズワース、ブレイクと並に英国ロマン派を代表する詩人バイロン(1788-1824)の娘にして世界初の女性プログラマと称されるエイダ・ラブレス(1815-1852)(彼女の名は2015年にローンチされた暗号通貨「エイダ・コイン」に冠されている)と友情で結ばれる。第一派フェミニズムの命脈は、ロマン派、ゴシック、そしてサイファーパンクにまで継承される。
メアリ・ウルストンクラフト(1759-1797)
イギリスの作家、思想家。オランプ・ド・グージュとともに第一波フェミニズムを代表する。フランス革命に呼応し1792「女性の権利の擁護」を出版。無政府主義者ウィリアム・ゴドウィンとの間に娘メアリ・ウルストンクラフト・ゴドウィン(後のメアリー・シェリー)をもうけた直後、産褥で死亡。ワーズワス、ブレイク、バイロンなどイギリスロマン派詩人たちとの交流は「フランケンシュタイン」を執筆するメアリ・シェリーとその友人にして詩人バイロンの娘、エイダ・ラブレスに引き継がれる。
サロンの女たちはカトリックからセックスを奪回し、結果として、貴婦人と娼婦の垣根を超える新たな階層、高級娼婦を生み出した。この時代に輝いた女たちは、貴婦人、女優、娼婦、革命家など、社会階層を超え本能的に同期していくシンクロニックな総体であった。巨大都市の経済が彼女たちの / 彼女たちをめぐる欲望=奢侈によってドライブされているのだから、その力は絶大なもの。こうしてみると、農業革命の次に起きた革命は、限定的な性革命だったのかも知れない。商人、印刷物と識字率、セックス。これが18世紀を駆動し資本主義革命をもたらした原動力であり、王と王妃をギロチンにかけ貴族文化に引導を渡した革命直後、踵を返して革命的人権宣言に牙を剥き開始された第一派フェミニズムは、ウロボロスの蛇を召喚し続ける性-資本革命的魔女たちにとっては当然の帰結、螺旋舞踏の継続であっただろう。
異端の系譜
フランスは、魔女狩りに連なる中世異端審問においても特筆するべきホットスポットであった。南フランス・トゥールーズに興隆したグノーシス的異端キリスト教派カタリ派は、12-13世紀に渡り勢力を拡大し、最終的に教皇が派遣したアルビジョワ十字軍によって壊滅させられている。カタリ派はブルガリアの異端ボゴミル派を経由したマニ教的グノーシス思想の色濃い教義を持っていたが、その特筆すべきは女性でも聖職者になれたという点にある。肉体と物質世界を悪とし、物質世界を創造した聖書の神をサタンとする強烈に厭世的なこの宗派は、臨終の際にある信者に「救慰礼(コンソラメントゥム)」という儀式を授けることができる「完徳者 Perfecti」という女性聖職者を擁し、堕落したカトリック聖職者への幻滅もあり民衆の絶大な支持を得た。
カタリ派
10世紀半ばに南フランス・トゥールーズに興隆したキリスト教異端宗派。教会の腐敗を批判し、現世をサタンの牢獄として、女性を含む聖職者らによる救済、民衆運動となる。1209年、ローマ教皇はカタリ派征伐のための「アルビジョア十字軍」を派遣、1244年にモンセギュール山岳寺院が陥落され、壊滅。モンセギュールに保持されていたカタリ派の聖遺物(聖杯)あるいは莫大な資産は秘密裏に持ち出されたという伝承が根強く残り、テンプル騎士団含む後の多くの異端運動、陰謀論に紐付けられることになる。
後の12世紀に同じくフランスに設立されたテンプル騎士団は、最初期のグローバル経済組織として莫大な富を築いたために政争に巻き込まれ、14世紀初頭に異端審問にかけられた後、火炙りにされ壊滅した。この異端審問で訴えられた罪状の多くは根拠の怪しいものだったが、そのうち一つに「不自然な行為(肛門性交)」が挙げられているのが示唆深い。また騎士団の入社儀式ではバフォメットと呼ばれる両性具有の神像の前で忠誠を誓ったともされる。真偽の怪しいこの秘神「バフォメット」は19世紀エリファス・レヴィによって図像化され、魔術結社として20世紀ドイツにリバイバルする「東方聖堂騎士団」の外陣首領に着任したオカルティスト・アレイスター・クロウリーは自ら「バフォメット」を名乗る。
テンプル騎士団のロンドン本拠地、テンプルチャーチ。十字軍から派生し、独自の国際ネットワークで金融資産を形成し、異端審問により壊滅させられたテンプル騎士団のチャーチは、二つの円からなる幾何学図形ヴェシカ・パイシズに基づく女性的曲線で満たされている。
15世紀フランスの細密画には、四つ辻でフリーメーソン儀式にも似た入社儀式を行う魔女の姿が描かれている。この細密画は、より公に知られるメーソン儀礼の成立と同時期かやや先行するため、メーソン儀礼の成立に影響を及ぼしたフランス伝統魔女宗の存在が実しやかに語られている。これに呼応するかのように、英国グランド・ロッジと袂を別つフランス系フリーメーソン「大東社」いわゆるコンチネンタルメーソンは、その信条から「至高存在への崇拝」を削除し、女性と有色人種の入会を許可しているのは、先述した通りである。
15世紀フランスの「魔女のイニシエーション」寓意細密画 。四辻に立つ3人の魔女が、ひざまづく男性志願者の参入儀式を執り行っている。”3人の女性クラフターが、丘の上の十字路に配置している。丘の麓すぐ近くの森と教会、そして十字路が示す4つの基本方位が描かれている。すなわち、北に立つ「神The God」。男性司官の代わりに東に陣取る「若い寡婦The Young Widow」。女性リーダーは南に位置し、その両足で南の座に触れている。西には「女司 The Maiden」。3人の司官の配置が下向きの三角形を形成し、明らかにフリーメーソンとの関連を示している。メーソンにおいては、マスターが東、ジュニア・ワーデンが南、シニア・ワーデンが西に陣取る。北は基本3位階の作業においては空席となる。” (「ジョージ・ピッキンギル資料集 – 英国伝統魔女宗9カヴンとガードナー、クロウリー」W.E.リデル(著)/ M.ハワード(編)/ バンギ・アブドゥル(翻訳)/ 谷崎榴美(監修))
蕩尽の欲望を宮廷に炸裂させ、資本主義革命を召喚して結果的に自らギロチンの露と消えたマリー・アントワネット王妃が象徴するように、理神論、無神論、啓蒙思想の知的揺籃となった貴婦人のサロンが、ついには貴族社会そのものを転覆する資本主義革命へと結実するフランスという国には、中世異端審問から魔女狩りへと繋がる「厄介なもの」が、史実であれ、民衆が求めるイマージュであれ、息づいている。自ら破滅に至るまで富と知と恍惚を欲望し、ローマ教皇を頂点とする男性支配ミレニアムを最初に転覆した聖娼貴婦人たち、人権思想とフェミニズムの生みの母である彼女たちは、極めてフランス的な、異端と魔女の正当な継承者なのかも知れない。
マリーアントワネットの処刑
ウィリアム・ハミルトン – Marie-Antoinette d’Autriche, sur le site de la Réunion des musées nationaux. Exécution de Marie-Antoinette, sur le site de l’Histoire par l’image.
参考文献
「恋愛と贅沢と資本主義」ヴェルナー・ゾンバルト(著), 金森誠也(翻訳) 講談社
「クラブとサロン―なぜ人びとは集うのか 」小林章夫 ほか(著) NTT出版
「サロンの思想史―デカルトから啓蒙思想へ」赤木昭三,赤木富美子(著) 名古屋大学出版会
「異端カタリ派と転生」原田武 (著) 人文書院
「魔女の世界史 女神信仰からアニメまで」海野弘(著) 朝日新聞出版
「ジョージ・ピッキンギル資料集 – 英国伝統魔女宗9カヴンとガードナー、クロウリー」
W.E.リデル/M.ハワード(編) バンギ・アブドゥル(翻訳)/ 谷崎榴美(監修)東京リチュアル出版
〈MULTIVERSE〉
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