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HAGAZINE

磐樹炙弦 『ウィッチ・フェミニズム──現代魔女運動の系譜』 #01 序論「“私たちのフェミニズム”の耐えられない軽さ」

20世紀後半の第二波フェミニズムから21世紀初頭の第三波フェミニズムのうねりにおいて、如何にしてフェミニストと魔女たちの共謀がとりなされたか。その年代記を現代魔術研究者の磐樹炙弦が紐解く。

エマ・ワトソン、グレタ・トゥーンベリ、ひろゆき

202027日、ハフィントンポスト日本語版に掲載された記事「ひろゆきさん、どうして今の日本ではフェミニズムって言葉を使わないほうがいいのですか?」と、続くハッシュタグ #私たちのフェミニズム での炎上は、日本語圏における「フェミニズム」を取り囲む状況について、改めて考えさせられるものであった。

https://www.huffingtonpost.jp/entry/story_jp_5e3cb7f5c5b6b70886fd0627

件の記事では、「今の日本」で「フェミニズム」という「言葉」が如何に扱われているかを明らかにするため、敢えて専門家ではない、様々な「異なる意見」をピックアップし、それに「耳を傾ける」ことをルールとする、という企画・編集方針が前置きされる。その上で、インタビュイーであるひろゆきの生活感覚に基づいた語りが(ライターや編集部の意見ではない、と釈明されながら)かつて何度も繰り返されたバックラッシュを執拗に再確認するような字面となって積み上げられ、少なからぬフェミニストたちを憤慨させた。

前編がリリースされた直後からハッシュタグ #私たちのフェミニズム は紛糾し、続いて、膨大な注釈と当たり障りのない提言で満たされた後編がリリースされた。前後編を通読すればそれなりの印象、良く言えばバランスのとれた、悪く言えば当たり障りのない記事となったが、 #私たちのフェミニズム には、怒りと不快感を露わにした「フェミ」の短絡、無理解を揶揄し、敢えて「ふつうのおじさん」を代表するかのようなひろゆきの佇まいをむしろ称揚するツイートが溢れた。

結果的に、この記事はフェミニズムに関心を持たない層にもリーチし、物議を醸した。つまりコンテンツとしては成功した、と言えるかも知れない。一方で、誰かの不快感をPV数に変換する「炎上マーケティング」以上の印象を、私自身はこの記事に対して持つことは出来なかった。インタビュイーの立ち回り、ライターの思い、編集部の采配に、後ろ暗いものがあるとは思わないし、真摯な分析が今後の編集方針にフィードバックされるだろう。その上で私は、あたかもバズワードのような軽さで「フェミニズム」が語られることに、強い違和感を感じた。

政治運動としてのフェミニズムの歴史は、フランス革命に続く国民国家の成立、アメリカ合衆国の独立といった近代の幕開けとともに始まる。つまり近現代史と同じ幅と奥行きを持つものであり、時に衝突、投獄、テロリズムさえ伴ってきた文字通り「闘争」の歴史である。1975年、国連が「国際女性デー」を制定するに至り、加盟国が取り組むべき共通ミッションの一つに位置付けられた今日の「フェミニズム」を、「印象が悪いから」と脱着可能なバズワードのように語るひろゆきは、確かに今日日本の「ふつうのおじさん」を象徴してもいるのだろう。

フェミニズムの扱いについて疑義を表明したのは、ひろゆきだけではない。2014年9月、女優エマ・ワトソンは、国連機関UNウィメンの親善大使としてのスピーチにおいて、彼女の周囲でフェミニズムが「厄介なもの」として扱われている、という報告から語り始めた。しかしエマは、その「厄介なもの」を自ら引き受け、さらに一歩踏み出す意志を宣言する。「ハリーポッター」のハーマイオニーとしてデビューした子役女優は、先人である第二派フェミニズムの戦果に敬意を払いつつ相対化し、雑誌にトップレス・ファッションで登場し物議を醸し、女らしさを楽しむ第三波フェミニズムのアイコンとなった。

 

『VANITY FAIR』2017 MARCH

 

エマ・ワトソンとはまた違った領域で今、存在感を放つ女性がいる。グレタ・トゥーンベリだ。若き環境闘士としてのグレタ・トゥーンベリが、直接にフェミニズムと関連して語られることは少ない。未成年であり自閉症の診断を持つグレタは、二重の意味で「成熟した女性」の範疇から外れている。それでいて、トランプやプーチンから憎まれ口を引き出す16歳の少女グレタは、やはりフェミニズム的なアイコンでもある。

 

 

エマ・ワトソンとグレタ・トゥーンベリは、ともに「厄介なもの」- 女性と自然 – の代理人である。「厄介なもの」は、「厄介さ」それ自体を何度も繰り返し蒸し返し、男性世界の前に立ちはだかる。20世紀のパラダイムシフトに数えられるフロイト精神分析理論を男根崇拝と一蹴し、急進的な女性優位を掲げるラディカル・フェミニズム、自然との関係回復が女性問題と深く関係するとするエコ・フェミニズム、マルクス主義モデルによって性的な搾取構造を暴き解体する左派フェミニズム、自由こそを最大公約数として連帯の可能性を極大化するリベラル・フェミニズムと、近現代史と並走する女性闘争史の混沌と多様性は、確かに平均的日本人にとってイメージしにくいものだろう。

だからと言って、国連のミッションを担うエマと、大国首脳陣を困惑させるグレタの、その背景にある「厄介なもの」を、厄介だから排除せよという素朴なロジックで蓋をする、あるいは知らぬ存ぜぬで通すことは、もはや不可能だ。さてしかし、我々は何を未だ知らないのだろうか? 結局のところ「厄介なもの」とは、何なのだろうか? それを突き止めるためにはひとまず、「厄介なもの」に対峙し、矮小化を挑み、冷笑する側に、何があるかを見てみよう。

 

「厄介なもの」と絶望

「今の日本でフェミニズムという言葉を使わないほうがいい」と提言するひろゆきは、1976年生まれ、1999年に匿名掲示板「2ちゃんねる」を開設する。「2ちゃんねる」は匿名性と管理放棄すれすれの自治方針の危ういバランスで駆動しながら、あらゆる「政治的正しさ」に牙を向く「名無しのネット民」を造形した。インターネット黎明期における役割と功罪は様々あれど、ミソジニー、差別的言説、露悪と冷笑と憎悪、ネット廃人といった、大きな負債をそこに醸造したことに異論はないだろう。また、「2ちゃんねる」を模倣するかたちで英語圏に飛び火した4chanは、同様にヘイトと陰謀論の牙城となり、その嫡子としてインセル(involuntarily celibate – 不本意の禁欲主義者)というコミュニティを生み出した。

エマ・ワトソンの国連大使スピーチに先立つこと4ヶ月前、2014年5月カリフォルニア州で22歳のインセル、エリオット・ロジャーによる銃乱射事件が起こる。6人を殺害、13人を負傷させた後、エリオットは自らの頭蓋を撃ち抜き自殺した。犯行予告はYoutubeにアップロードされ、両親とソーシャルワーカーに送付された文面では、自らの不本意な童貞としての境遇への呪詛がミソジニーと人種差別意識とないまぜに綴られていた。エリオットは4chan、Redditといった匿名掲示板のインセルコミュニティで、ヒーローとして賞賛される。

 

 

エリオット・ロジャー事件に先行し1999年コロラド州で起きたコロンバイン高校銃乱射事件では、スクールカーストの最下層でやり場のない怨讐を募らせる「トレンチコートマフィア」が注目された。以降、大小の模倣事件が今日まで散発的に続いている。インセルもトレンチコートマフィアも、それを語り継ぐコミュニティには少数ながら女性も存在すると言われるが、総じて男性のホモソーシャルなコミュニティであるとされる。

トレンチコートマフィア、インセル、その他匿名ネットに生成される大小の「絶望」のコミュニティは、エマとグレタが体現する「厄介なもの」への抵抗勢力、あるいは悲痛な無意識の防衛反応のように見える。エマとグレタが、光源としての「厄介なもの」からプリズム分離されたそれぞれの光線であるように、巨大な「絶望」の黒い光もまた匿名性のプリズムを通って、時にインセル・テロリストに、時に「ふつうのおじさん」に、絶え間なく媒介されている。そのように見立てることで、先の記事と #私たちのフェミニズム は、「厄介なもの」と「絶望」がせめぎあう集合意識の場として立ち現れてくる。

 

魔女の舞踏 – 螺旋のフェミニズム

「絶望」と拮抗する「厄介なもの」として、近現代史と同じ幅と奥行きを持つ政治闘争としてのフェミニズムを指摘するだけでは、まだ充分ではない。フェミニズムは政治闘争であると同時に、少女、母、老婆へと絶え間なく変容するそれぞれの「今ここ」で、何度も繰り返し語られる「わたし」の語らい、という側面をも併せ持つ。フェミニストはある程度まで、勇猛果敢な「わたしたち」のイデオローグであり、またある程度まで、傷つきに寄り添い、沈黙と物語を共有する「わたし」、癒し手でもある。

言い換えれば、直線的な時間軸上に展開する政治闘争としてのフェミニズムに、治癒的な円環運動としてのフェミニズムが、重ね合わされている。その重ね合わせには、近現代フェミニズム史を超え広がる、より大きく「厄介なもの」、原初的な女性性の力動を見出せる。さらにそこに、最初の、あるいは原初のフェミニストとしての「魔女 Witch」の佇まいをみることは、それほど突飛なことではない。

中世魔女狩りで火炙りにされ、後に妖術禁止法が廃止された20世紀英国でリバイバルした秘儀的セクト、あるいは個人的でスピリチュアルな実践としての「魔女」と、近現代フェミニズム運動史を結びつける視点は、特段に目新しいものではない。それどころか歴史的事実として、魔女のイメージはフェミニスト理論家によって、フェミニズムの戦略は現代の復興魔女たちによって度々、相互に援用されてきた。以下に挙げるのは、ボーヴォワール、ジェーン・フォンダと共闘したラディカル・フェミニズム理論家であり詩人、ロビン・モーガンがニューヨークで結成したフェミニストグループ”W.I.T.C.H.”の、1968年のマニフェストである。

 

“魔女とはいつも、グルーヴィで、勇敢で、攻撃的で、知的で、賛成せず、冒険的で、好奇心に溢れ、独立し、性的に解放され、革命的であろうとした女性たちだ。(おそらくはそれ故に、900万人もの女たちが焼かれたのだ。)魔女は、最初の友好的なドラッグディーラーとユーザー、最初の出生コントロールと中絶の実践者、最初の錬金術師(クズを金に変容せしめ、貨幣の価値を全面的に破壊する!)であった。誰にも屈せず、あらゆるうちの最も古い文化 – 死の商人たちが性的に、経済的に、そして霊的に抑圧する帝国主義男根社会が、自然と人間社会を制服し、破壊する以前の、男たちと女たちが等しく共有していた真に協働的な社会 – の担い手である。

WITCHは、すべての女性たちの内に生き、笑っている。彼女は、控えめな微笑みに、愚かしい男性支配への服従に、私たちの病んだ社会が要請する化粧と窮屈な服の裏に隠された、私たちそれぞれの自由な精神だ。WITCHに「参加」する方法はない。あなたが女性で、自分自身の内部を見つめる意志を持つなら、あなたは魔女だ。ルールはあなた自身がつくる。あなたは自由で、美しい。見えなくなっても、あなたが選ぶ魔女の姿で現れてもいい。魔女の仲間たちとあなたたち自身のカヴン(13人がちょうどいい)をつくり、あなたたち自身の行動をとりなさい。

あなたはあなた自身と同様に、男性兄弟たちを性的役割のステレオタイプから  (それを彼らが好んでいようといまいと関わらず ) 解放することを誓う。 「私は魔女!」と3回叫び、そのことについて考えれば、あなたは魔女になれる。女性で、奔放で、怒り、喜び、不死であるなら、あなたは魔女だ。”

W.I.T.C.H. (Women’s International Terrorist Conspiracy from Hell) Manifesto, 1968

 

 

 

3つの世紀末

このように重ね合わせられた多重的なフェミニズム、あるいは政治的魔女ムーブメントの場を、通時的な時間と共時的な円環が織りなす螺旋のフェミニズム史観として描き出すことが、本連載「ウィッチ・フェミニズム」の狙いである。それは男性的-アポロン的自明性-単一性の「起立」とは成り立ちを異にする、女性的-ディアナ的/ディオニュソス的自明性-多重性の「裂け目」、男根Iに拮抗する女陰II、視えないものをるパースペクティブを、フェミニスト、魔女たちと改めて共有する目論見となる。

次回から、螺旋舞踏の中心と周縁に見え隠れする、近代合理精神から排除あるいは隠された「厄介なもの」の守護者たる「魔女 Witch」の年代記を紐解いていく。20世紀後半の第二波フェミニズムから21世紀初頭の第三波フェミニズムのうねりにおいて、如何にしてフェミニストと魔女たちの共謀がとりなされたか、その必然性を探るために、18世紀末 / 19世紀末 / 20世紀末の3つの世紀末においてそれぞれ起こった出来事、すなわちロマン主義、オカルトリバイバル、サマーオブラブとサイバー革命をランドマークとして設定する。そこにいた人物と出来事、シンクロニシティを、私の視野から精査していく。

フェミニズムの語りと魔女の舞踏を巧妙に重ね合わせ、ずらすことで生み出されるモアレ模様は、正しさに硬直しようとするフェミニストの悲痛をしばしの間、舞踏の恍惚に解き放つ飛行軟膏となるだろう。そして巨大で奇妙な星座の下、「厄介なもの」が再び、生き生きと自らを語り始める。

 

 

〈MULTIVERSE〉

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PROFILE

磐樹炙弦 ばんぎ・あぶづる Bangi Vanz Abdul/現代魔術研究・翻訳。メディア環境、身体、オカルティズムと文化潮流をスコープとし、翻訳 / 執筆 / ワークショップを展開。翻訳: レイチェル・ポラック「タロットバイブル 78枚の真の意味」 (2013)/ メアリー・K・グリーア「タロットワークブック あなたの運命を変える12の方法」(2012 ともに朝日新聞出版) / W.リデル「ジョージ・ピッキンギル資料集 英国伝統魔女宗9カヴンとガードナー、クロウリー」(東京リチュアル出版) / 心療内科・精神科HIKARI CLINIC フローティングタンク担当。

Web: bangivanzabdul.net

Twitter: https://twitter.com/bangi_bot