ケロッピー前田 『クレイジーカルチャー最前線』 #12 縄文タトゥーの視点から考える「日本人はどこから来たのか」
驚異のカウンターカルチャー=身体改造の最前線を追い続ける男・ケロッピー前田が案内する未来ヴィジョン。現実を凝視し、その向こう側まで覗き込め。未来はあなたの心の中にある。
「最初の日本人」とは誰だったのか
『日本人はどこから来たのか?』(文藝春秋、2016年)と題された海部陽介氏の本は、「ミトコンドリア・イブ」などに象徴される遺伝子調査によって、人類(=ホモ・サピエンス)がアフリカで生まれ世界中に拡散したという「アフリカ起源説」が立証されたことを前提に、日本列島に住む人々がどこから来たのかを探求しようというものだった。
その本のなかで、私たちの遥かな祖先は、4万8000年前にヒマラヤ山脈を南北に隔てて拡散した「ヒマラヤ南ルート(インドから東南アジアへ)」と「ヒマラヤ北ルート(南シベリアから東アジアへ)」を経て、対馬ルートを含む、沖縄ルート、北海道ルートの3つのルートから日本列島にたどり着いたとされている。
そこからわかる「最初の日本人」とは誰だったのか、海部氏はその仮説を以下のようにまとめている。
「3万8000年前以降の古本州島に展開した、列島最古の後期旧石器文化は、対馬ルートからもたらされた。このとき朝鮮半島から海を越えてやってきたのが、いわば最初の日本列島人である。この文化にはかなりの独自性があるため、そのルーツを大陸に辿るには容易ではないが、謎解きの鍵となりそうなものが2つあげられる。1つは北方系文化の指標ともいえる石刃技法で、もう1つはおそらく南方ルート由来の海洋渡航技術だ。つまり私は、列島最古の文化を考察するには、アジア大陸の南北の文化が交差した、あるいは混じり合わさったという可能性を考えるべきだと思うのだ」
つまり、人類の拡散の過程で、「ヒマラヤ南ルート」と「ヒマラヤ北ルート」の二手に分かれた集団は、およそ1万年後に東アジアのどこかで出会ったのだというのだ。そして、日本人の祖先は均一ではなく、そのような異なるルートを経て辿り着いた祖先たちの文化のハイブリッドによって、日本ならではの独自性が生まれてきた、というのが海部氏の主張である。
古代の「技術」を再現すること
さらに海部氏は、その本で発表した自らの仮説を実証するため、実際に古代船を再現して台湾から沖縄に渡ることができるのかに挑戦することを計画した。彼は「3万年前の航海徹底再現プロジェクト」を立ち上げ、クラウドファンディングで約6000万円の資金を調達し、その夢の実現を目指したのである。
1947年にノルウェーの人類学者トール・ヘイエルダールがコンティキ号で南米からポリネシアを目指したように、現代人が古代船(筏)で未知の航海を再現することは、それだけで人々のロマンを掻き立てるものである。
結論から先に言ってしまうと、実際に草束舟、竹筏舟などでも試みられたが失敗し、2019年11月、丸太をくりぬいて作った丸木舟で台湾から沖縄への航海を成功させている。
船を作る道具から航海技術まで縄文時代以前にまで遡って再現しようという態度には感服する。そして、この計画が持つ、具体的で実証的な方法は、実のところ、僕がタトゥーアーティストの大島托と始動した縄文時代のタトゥー復興プロジェクト「縄文族 JOMON TRIBE」にも大きな着想を与えてくれた。
そして、このたび、「縄文族 JOMON TRIBE」の成果を1冊にまとめた拙著『縄文時代にタトゥーはあったのか』(国書刊行会)が出版されたが、同じタイミングで、海部陽介氏の新刊本『サピエンス日本上陸』(講談社、2020年)が刊行されている。
あらためて海部陽介氏の新刊本と拙著を合わせて読んでいただければ、彼が古代の「海洋渡航技術」を再現しようとしたのに対して、僕らは縄文時代の「タトゥー」を現代的に再現することに挑んでいるのだということがよくわかってもらえるだろう。
海部説はタトゥー技法の系譜とも符合する
さらに言えば、海部氏が『日本人はどこから来たのか?』で展開した、「ヒマラヤ南ルート」と「ヒマラヤ北ルート」の人類拡散の2つの経路は、民族例に基づくタトゥー研究における原始的な手彫りの技法の系譜とも符合している。
原始的な手彫りといわれる技法には、大きく2つの技法がある。ひとつは「タッピング(ハンドタップ)」という、一本の棒に垂直方向に針を固定し、もう一本の棒で叩きながら彫っていくもので、台湾からフィリピン、インドネシア、メラネシア、ポリネシアなど、南方エリアに伝搬したとされるタトゥー技法である。
もうひとつは「ポーキング」と呼ばれ、棒の先端に針をつけ、そのまま突くようにしてインクを入れる技法だ。カムチャッカ半島からアメリカ新大陸へ、北方エリアに伝搬した技法とされている。
日本はそれらの2つの技法の中間的な位置にあって、縄文時代にはその両方の技法が行われたかもしれないとも考えられる。
僕らからすれば、海部氏が仮説として提出したヒマラヤ山脈を南北に隔てた2つの人類拡散のルートは、原始的なタトゥーの技法の系譜からも支持し得るもので、縄文時代に豊かな文様文化が生まれた背景には、海部氏がいうように、東アジアで南北に分断された集団が再び出会ったことがあったと思えるのである。そればかりか、タトゥーを彫る技術が人類拡散の過程で登場していたとするならば、日本列島に最初にたどり着いた人類がすでにタトゥーをしていたのではないかと考えることもできる。
もちろん、拙著『縄文時代にタトゥーはあったのか』における論点はタイトルにある通りだが、そこでは土偶の文様ばかりでなく、土器の文様ももともとはタトゥーとして人間の身体に彫られていたのではないかということが最も重要な主張となっている。別の言い方をすれば、僕らは最初の文様はタトゥーとして身体に彫られていたとし、その文様はのちに土器に転写され、縄文土器として現代に残されることになったのではないかと考えているのだ。
海部氏が古代の航海の再現を通じて、ホモ・サピエンスの世界的な拡散の旅に日本列島を位置付けようとしたように、僕らはタトゥーを通じて、縄文時代を世界の人類史に接続しようと目論んでいるのである。そういう意味で海部氏の活動や著書は僕らに大きな刺激を与えてくれている。
日本列島に最初にたどり着いた人類は当時の最先端カルチャーの担い手だった
再び、彼の新刊本『サピエンス日本上陸』に立ち戻ってみよう。
この本のクライマックスは、もちろん古代船(丸木舟)による台湾から沖縄(与那国島)への航海である。とはいえ、この航海の目的が「冒険」ではなく「科学的仮説の実証」であるため、航海の成功を持って、物語の終わりとはならない。最後に立ちはだかる根本問題が「祖先たちはなぜ島を目指したのか」なのである。
台湾から与那国島を見るためには、太魯閣(タコロ)の山頂に登らなければならないという。洋上ではまったく「見えない島」をなぜ目指したのかは大きな謎である。海部氏はその未知なる航海を実際に再現した経験から「やらなくてもいいことを懸命にやった」としながらも、「アポロ11号の月面着陸に匹敵する偉業ですね」というプロジェクトを賞賛する言葉を引いて、そこに“人間らしさ”を発見している。
僕からすれば、日本列島に最初にたどり着いた人類は、当時の最先端カルチャーの担い手であり、その叡智を尽くして大海原に乗り出すことこそが彼らのプライドであったのではないかと思う。そして、そんな勇気とロマンに突き動かされて、ついには与那国島に到達することができたのではないかと思うのだ。
縄文タトゥーをめぐる旅は、ホモ・サピエンスの日本上陸とも関わりながら、日本における従来の“タトゥー”のイメージをはるかに超え、人類史とダイナミックに繋がることを目指している。僕らの旅はこれからも続く。
〈INFORMATION〉
ケロッピー前田『縄文時代にタトゥーはあったのか』
大島托(縄文タトゥー作品)
国書刊行会 2020年3月19日発売
本体価格2400円(定価2640円)https://amzn.to/38OTAfb
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〈MULTIVERSE〉
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