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吉山森花 『だけど私はカフカのような人間です』 第十七回《パニック》について

沖縄県恩納村に生きるアーティスト・吉山森花のフォト・エッセイ。第十七回は《パニック》について。

 

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 新型コロナウィルスや人種差別問題について書きたい気持ちはあったけれど、今の私には無理だと思った。まだ成長段階にあり、自分の怒りさえ思うようにコントロールすることが難しい私に、人間のパニックについて言えることなんてないような気がする。

 あえて今言えることを書くんだとしたら、憎しみあう時間があるならその時間を未来を担う子供たちの教育に使うべきだと思う、ということくらいだ。起こってしまったことは仕方ないし、一向に変わらない政治家たちを変えることは一般人にはとても難しい(なぜなら私達が知ることができる情報はかなり少ない上に操作されている。そして私達が考えているよりもずっと闇が深いと私は考えている)。それならば、先に死にゆく政治家ではなく、これから未来を変えていけるであろう子供達に、個人レベルで世界が良くなるような教育をしていくことの方が良いのではないだろうか。そうすることでしか世界を変えられないんじゃないだろうか。そう私は考える。

 学校教育は私から見たらただの調教でしかない。子供を金を生むロボットかなんかに育てようとしているだけだ。そしてポンコツな人間(いわゆる社会不適合者)がいれば、早いうちに精神病、もしくは何らかの病気とみなして害獣扱いする。そんな教育ではまともな人間が育たないということは、今の日本を見ていれば明らかだと私は思う。

 だから、先に死んでゆく人間ではなくこれから未来を担う人間に注目するべきなのだ。もちろん今この瞬間のことも、目先のこともちゃんとしながら、未来を良くするために、愛する人間がより良い世界で生きていけるように、まずは自分の愛する人間たちと向き合うことが大切なのではないかと思う。

 

 

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 コロナ騒ぎの数ヶ月間、私はいつもと変わらない、いや、いつも以上の快適さで過ごせていたような気がする。それには理由があって、まず、他人がある一定以上の距離を保ってくれるため自分のテリトリーを侵害されることが減った。第二に人間の外出頻度が著しく減ったため、外に出るストレスがなくなり深夜帯なんて天国にさえ思えたほどだった。不謹慎と言われればそうかもしれないが、普段から外に出ることが少なくて、つい最近まで皆が強いられていた自粛期間、おうち時間とかいうものについても、私はそれを何年もしているわけである。私にとって大きなストレスの原因は人間との接触によるものであることは明白で、つまりそのストレスがコロナによって軽減したのだ。分かりやすい話である。

 だから、コロナの騒ぎにネット越しに触れながらも、それはどこか他人事のようで、私は傍観していた。なぜ個人個人の正義を押し付けあって、さらにはそれが怒りに変わってしまっているんだろう。なぜこんなにみんな不安からパニックに陥っていってしまうのだろう。もちろん考えれば理解できるけれど、わざわざパニックになるよりも冷静に普通に過ごしていた方が良いじゃないか。

 人間はみな死ぬ。それが遅いか早いかの違いだけでこんなにも憎しみや怒りが飛び交うなんてなんとも不思議ではないか。

 死ぬ時は人間は死ぬのだ。その時が来るまで楽しいことをいっぱいできるように自分の好きなことをやり尽くすのがこの世界に生きる生物の運命なんじゃないか。自分で選んだ道なら、たとえそれがとてつもなく苦しくても私がやりたいことに違いはない。だから苦しいことの先に成長が待っている。それで死ぬのが怖いと思うのはやりきれていない証拠なのでもっと努力したらいいと思う。誰もがそういう生き方をしていたらパニックももう少し落ち着いていたんじゃないだろうか。そんなことを私は考えていた。

 

 

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 もう一つ、最近は人種差別の問題があった。これに関しては本当に触れたくもないけれど、猫が猫でしかないように人間も人間でしかない。皮膚を剥ぎ取った時に黒人だとか白人だとか黄色人種だとかそんなもん外見からは分からないだろう。そもそも人種とか言う言葉自体が差別的だと思うけれど、なんでも二分したがる人間が野蛮な争いをしているだけにしか私には思えない。それに差別反対といっている人間も差別している人間を悪だとみなした時点で逆差別が発生していると思う。そして自ら人種という言葉の存在を認めていることにもなると私は思う。

 自分が傷ついたから相手を傷つけていい道理なんて存在しない。どんな不条理も受け入れて、それでも状況を少しだけ良くする術を考え、未来につなげていくしかない。世界には欲望を抑えることができない人間達が溢れ返っているが、政治家たちの思惑にまんまと乗せられているようにしか私には思えない。私達は冷静になる必要があるのだと思う。冷静になって誰かの欲望や怒りに呑まれずに個人でできる最善の策を実行していくしかない。

 こんなこと書くから頭おかしいとか精神病だとか言われるのかもしれないけれど、憎しみ合うことに何か大きなメリットがあるなら教えて欲しい。自分の気が晴れる以外に他に何かメリットがあるなら是非参考にしたいし、これから先の私の成長に役立つ情報になると思う。

 

 

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 世界でいろんな人間が苦しんだり悲しんだり喜んだりしている間、私はずっとそんなことを考えていた。自分の苦しみにも繋がる問題であるし、この世はとてもシンプルで、大きくて、同時に個人個人の内にある小さな世界でもあるのだと感じた。良くするも悪くするも個人が変わらなければどうにもならない。歴史が繰り返されているのは、そこが変わっていないためなんだと思う。だから、私にとって社会問題を考えることはイコール自分の問題を考えることに繋がる。

 世界が混乱に満ちているというのに、私はただ不謹慎にも私にとどまり続けていた。けれど、私はそれで良かったとも思っている。争うために、誰かを憎むために、生まれてきたんじゃないのだから。たとえ誰かに罵られても、怒られても、私にできる精一杯のことを毎日こなせたら、それで満足だ。

 

 

Photos by MORIKA

 

 

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PROFILE

吉山森花 よしやま・もりか/沖縄県出身、沖縄県在住。Instagram @morikarma。