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吉山森花 『だけど私はカフカのような人間です』 第十五回《猫》について

沖縄県恩納村に生きるアーティスト・吉山森花のフォト・エッセイ。第十五回は《猫》について。

 

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 昔、あやまって猫を殺してしまったことがある。

 まだ小学生の1、2年の頃だった。私の実家の外には野良猫が数匹居ついていて、その中でも灰色で青い眼をした雄猫に、私はとても親しさを感じていた。彼も私を慕っていて、私が庭にいるといつもすり寄って来ては甘えてくるのだった。丸々と大きくて、しっかりとした足と首、毛はとても艶やかで外猫とは思えないほどに美しかった。私はその猫のことが本当に大好きだった。

 ある日、私は彼と庭だけではなく庭の外の世界を一緒に歩きたいと思った。猫も犬のようにリードをつけたら一緒に歩けるんだと空想したのだ。家の中を探してちょうど良さそうな縄を見つけた私は、いつものように私の足に甘え、擦り寄ってきた彼の首に縄を括りつけた。そうしたら彼はとてもビックリしてしまい、縄を首につけたまま走って何処かへ行ってしまったのだ。私はとても面食らったが、気を取り直して、彼を一生懸命に探した。

 首に縄をつけられることがあんなに嫌だなんて知らなかった、ごめんね早く外してあげるからね。心の中でビックリさせてしまったことを何度も謝ったけれど、彼は見つからなくて、しばらくして私は諦めた。きっと猫だから賢いし、強くは縛ってないからそのうち縄が自然に外れるだろうと思っていた。

 何時間すぎたのかはわからない。私はリビングでテレビを見ていたが、彼のことが気になり、庭に戻ってきてないか確かめるために窓の方を見た。すると彼が庭の木の枝で力なくぶら下がっているのが見えた。私がくくり付けた縄が枝に引っかかっり、首を吊られたのだ。彼は死んでいた。

 本当にとても怖くなって私はその直後のことは覚えていない。けれど卑しかった私は自分がとても大好きだった猫を殺めてしまったことを私よりも年下の従兄弟のせいにしたのを覚えている。

 とても鮮明な記憶として残っていて、私は今でも縄をくくり付ける前に彼が私にすり寄ってきた感触を覚えている。温かくて柔らかくて、私に絶対的な信頼を寄せてくれているのを子供ながらに感じた。だから私はとても怖かった。私の無知が全てを台無しにし、私が最も大切にしたかった命を奪ってしまったことが、悲しくて怖くて絶望的だった。

 

 

 今考えてみるとこのことがきっかけだったのかもしれない。私が死んだ方が良いと思うようになったのと時期が一致しているような気もする。私はもしかしたら無意識のうちに自分の命をもって償わなければならないと感じていたのかもしれない。償えるはずもないし、失った命は戻らない。だからずっと怖くて私はこのことを大人になるまで誰にも話せなかった。今でも彼の埋葬をしてくれた母親にはずっと本当のことを打ち明けることができていない。この文章を書きながらも、私は悲しくて泣いている。そして、いまだ私には母親に本当のことを告げる勇気がないことも知っている。

 こんな情けない人間と一緒に暮らす今の飼い猫たちは私を受け入れてくれるだろうか。時々カルマさんの目を見ているとドキリとする。私の過去のあやまちを知っているんじゃないかと。そして私はカルマさんと天天君に「昔の私は無知で愚かだったんだ。でも今はあの時よりも少しは賢くなったし、正しい愛情表現も学んだはずだから、君たちの命を私の無知で奪ってしまうようなことは絶対にしないよもし万が一君らの命を奪ってしまいそうになりそうなら私を噛み殺してくれ」と話す。

 

 

 私の命をかけてこの子達に責任を果たすことが私にできる彼への償いと思いたいだけなのかもしれない。どの命も平等だと思う。全て同じ重さだと私は思う。だから私の誤ちは死刑に値すると今でも思う。私はことあるごとにこの事を思い出す。そして悲しくて涙が出てくる。何度謝っても足りない。死ぬより生きてこの事を一生考えたい。私が何かの命を奪って生きていることを。だからこそ私は生きなければならない。私の一生を全うすることが彼や、私の血肉となって消えていった命に対する、最大の感謝と償いなんじゃないかと。

 結局のところ、私は自分が許されてもよいという証拠のようなものを探していて、この先もそのためにずっと学ぶことを辞めないのだろうと思う。命を奪いあって生きなければならないこの世界について、全ての生物について、その中で知性と呼ばれるモノを持っているとされている人間について。でも私が一人でそんなことを考えても独りよがりの自己満足にしかなりえないとも一方で思う。

 もし本当にこの世界に罪を完全に許してくれるような場所があるなら行ってみたい。その場所のことを私はきっと知っている。本当は私の中にある。けれど私は怖がりなので、いつも遠回りをしなければならない。

 

 

 私がHAGAZINEで命だの精神だのと言っていることが誰の役に立つというんだろう。そんなセンチメンタルな気分に浸ってしまうけれど、笑っていなきゃ前に進めない。だから私は少しでも笑えるように、書くことで自分の道を切り開こうとしているのかもしれない。

 猫と生活していると私はとても心強くて生きる力が湧く。でもそれは罪の意識から来ているのかもしれない。猫を私の視界に入れておくことによって強制的に生きるということに力が注がれる。なぜなら、彼の命を奪った罪について、もっと考えなければならないから。

 カルマさんと天天君は毎日私にくっついて眠り、私の後をずっと追いかけてくる。私が撫でると喉を鳴らし、鳥を見つけると「カッカッカッ」と鳴く。この子たちの優しくて気まぐれな愛情は私を心底癒してくれるけれど時々不安にもなる。私もカルマさんや天天君と同じなんだと思えるようになりたい。猫を生きる理由にしてはいけないんだ。私は自ら選択して生きているし生かされている。

 

 

 

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(Photgraphy by MORIKA)

 

 

 

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PROFILE

吉山森花 よしやま・もりか/沖縄県出身、沖縄県在住。Instagram @morikarma。