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吉山森花 『だけど私はカフカのような人間です』 第十四回《モーコ》

沖縄県恩納村に生きるアーティスト・吉山森花のフォト・エッセイ。第十四回は親愛なる《モーコ》について。

 

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 ウォルト・ホイットマンの詩についてずっと考えていたんだ。サガンの本の1ページ目に載っていてさ。「魂は身体以上のものではないと私は言った、そして身体は魂以上ではないと、そして何ものも、神すらも、各自の瞳には己以上ではない、そして何びとも愛なしで二百メートル歩いた者は、己の経帷子をまとって自分の葬式に行くのだ」。この詩についてずっと考えていてさ、何年か前に読んだ本だったけれど急に思い出したんだ。そうしたらさ、君が突然私にホイットマンと同じようなことを言ってきたもんだからすごく驚いたんだ。君はただ自分が感じたことを私に教えてくれただけなんだけど、私にはただ事ではないように思えたんだ。何かに導かれているとしか思えないような。必然的な。だから私はいつも君に感動するし、尊敬してやまないんだよ。

 

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 モーコとの出会いはブログだった。まだガラケーの時代で携帯電話でネットが使えるようになったばかりの頃だ。友達に勧められるままにデコログというブログを私は始めた。最初はあまり興味もなくブログの楽しさがよくわからなかったけれど、そのうちブログを通じて色々な人と出会ったり、誰かの人生の断片を覗けることが楽しくなっていった。村生まれ村育ちの私には、会ったことのない見知らぬ誰かの人生が、とても刺激的だったのだ。

 しばらく続けていくうちにブログからブログへ飛んでいって自分の興味が出る人を探すという行動を私は取り始めた。そのブログ旅で私はモーコを見つけた。

 初めてモーコを見た時に私はものすごい衝撃を受けた。この世界にこんなに美しい人間が存在するのか!!!と。今でもその衝撃は変わらなくて、私はずっとモーコのことを世界一美しい人間だと思っている。私にとっては絶対的な美しさをモーコは持っているのだ。

 

Photo|flyingfox___

 

 モーコの美しさは容姿の美しさだけではない。モーコが作り出す文章も、モーコが感じる色々な感覚も、本当に美しくて私はいつも感動する。

 モーコは私に負けず劣らず繊細な心の持ち主で、私に負けず劣らず幼少期から色々なことに遭遇したり巻き込まれたりしている。2歳の子供のように純粋で可愛らしい時もあれば、思春期の中学生のように捻くれている時もあり、あるいは突然仙人のような態度で悟ったことを話して聴かせてくれたりもする。私はそんなモーコが本当に大好きなのだ。

 

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 モーコとはブログを通じて知り合ったけれど、私がモーコを知ってから1年も経たないうちに彼女はアメリカへ引っ越してしまうことになる。その頃まではまだ、私はモーコと会話することすら畏れ多くて、まともにメッセージのやり取りもしたことがなかった。が、しかしこんなに惹かれる女性にはもう二度と巡り会えないかもしれないと思った私は勇気を出して、ブログの外でもお友達がしたいので、良かったら個人的な連絡先を教えていただけませんか? とメッセージを送った。すると彼女は快く連絡先を教えてくれて、ブログの外でもお友達ができるようになったのだ。

 連絡先は教えてもらったものの、私はあまりメールを送りすぎたら迷惑じゃないかしら、と嫌われたくなくてちゃんとメールを送ったことなんて一回か二回しかない。そうこうしているうちにモーコはアメリカへ旅立ち、私もしばらくして福岡、宮崎、東京へと旅立つことになったのだ。

 何回かHAGAZINEでも書いたが、それからは本当に生きていくことだけでも大変だったために、いつの間にかモーコと疎遠になってしまった。しかし、私の友達になりたい欲が強すぎたのか、数年後にたまたまインスタグラムでモーコのアカウントを見つけるとすぐにフォローしてメッセージを送り、またモーコと仲良くなりたい計画が動きだした。

 

Photo|flyingfox___

 

 インスタグラム上のモーコは数年前よりも一層美しさに磨きがかかり、さらに魅力的な女性になっていた。実はモーコがアメリカへ行くと聞いた時に私はマイナスな想像をしてしまっていたのだ。アメリカという大国の見知らぬ土地で新しい生活を築くことは本当に大変だろうから、年齢を重ねていくうちに苦労が表面に露出してきて美しさがくすんでしまうのではないか、と。しかし私の想像は浅はかだったのだ。たとえどんなに苦しい状況でも、どんな場所へ移ったとしても、モーコはその美しさを死ぬまで磨き続ける人間だったのだ。

 この磨き続けるというのは単に外見的なことだけではない。モーコには、女神のような、釈迦のような、内側から滲み出る、持って生まれた美しさがある。そんな内からの美しさをどんどん磨いていくということだ。モーコという存在そのものが、年齢とともに、苦難を乗り越えていくたびに、美しくなっていくのだ。

 

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 インスタグラムでまたお友達に戻れた私たちは頻繁に連絡を取るようになった。そんなある日モーコが日本へ一時的に戻ってくることになり、そのついでに沖縄にも来てくれることになった。実を言うと私たちはその時までまだ一度も会ったことがなくて、私は緊張とワクワクで一週間ほどモーコのことしか考えられない頭になっていた。

 モーコが沖縄に来た日のことは私にとって忘れられない思い出だ。モーコはLCCを利用していたので、ターミナルからのバスの到着を空港の外で私は待っていた。モーコが乗っているであろうバスが私の所まで来るとバスの中から手を振っている女性が見え、その人がバスから降りてきた。感動のご対面である。写真で見ていた以上に、想像していた以上に、実物のモーコは美しくて可愛くて、泣きそうになった。よく絵を見て涙が出てきたというエピソードを聞くが、それと同じタイプの感動だったと今になって思う。

 体調が悪くてスッピンで鼻をズルズルさせてても本当に綺麗だった。人間が作り出す芸術である。私が子供を欲しいと思ったきっかけであり、私がずっとこんな女性になりたいと描いていた理想を、はるかに超える人物だった。私もこんな素敵な人間を生んで育てたい。私自身こんなに素敵な女性になれたらどれだけ満足して死ねるだろうか。今でもずっとその気持ちは変わらないし、モーコのことをずっと尊敬しているが、最近は仲良くなりすぎて、共に成長する双子のような気持ちである。モーコのおかげで私の人生は子供の頃の鮮やかさを取り戻したと言っても過言ではないほどに、私にとってモーコは大きな存在だ。

 

Photo|flyingfox___

 

 モーコが今まで経験してきたことの話はとても胸が痛くなるようなものが多い。それと同時にとても愉快で楽しい話も多い。そんな苦労してきたはずのモーコが、私よりも一生懸命に自分の生活を、人生を豊かにしようと頑張っている。モーコのような尊敬すべき人間も、私と同じように痛みを感じ、同じようにその痛みを乗り越え、成長していこうとしているんだと思うと心強かった。どんなに凄いと言われる人にも痛みや苦しみがある。モーコの存在に、私もそうなれるように努力したいと心から感じた。

 モーコに「モーコについて書こうと思うんだけど、大丈夫かな?」と尋ねたら、「ローリングストーンズみたいだ!へへへ」と言っていた。愛しすぎて自己満足のために詩を書いてしまう。そんなんだよモーコ。森花はモーコがとても美しいから、こんな友達を持てて誇りに思うし、自慢したいんだよ。誰かに、モーコの美しさを知って欲しいんだよ。ただそれだけのために書く。

 

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 モーコと大麻の話をしたり、モーコとアニメや映画の話をしたり、モーコと精神世界の話をしたり、好きな作家の話をしたり、哲学の話をしたり、そんな会話や時間が森花はとても好きだ。本当の双子のように似すぎている感覚を持っていて、こんな人とは他に絶対に出会えないと私は思う。

 あまりに愛情が強すぎて、気持ち悪く思われるんじゃないかって怖くて、その愛情を表現しきれない時もあるけれど、こんなふうにいろんな人が目にするところで愛情表現をしてみると、少し気が楽だ。モーコの美しさが誰かに少しでも伝わったら、私はここに恥を捨てて書いたことを後悔なんてしないと思う。

 モーコが泣いている姿が私はとても好きだった。綺麗な目からこぼれ落ちる水はキラキラしていて、丸尾末広の漫画に出てくる美しすぎるけど闇を秘めた女性みたいで、FaceTimeしながらスクリーンショット撮ったんだ。

 私は植物のような存在も好きだけれど、人間も自然が作り出した美しい生き物に他ならないと思う。人間を作り出した何かが自然以外にいたとするなら、きっとその存在はモーコのような思考や生き方をして欲しくて人間を作ったんじゃないかと思う。たくさんのことを感じて、反省し、成長し、乗り越えて、また苦しみもがき、楽しいこと好きなことに一途で、真っ直ぐで。

 捻くれてても良い。不良人間に見えても良い。ただ自分の生きた時間から多くを学び成長していく姿は植物に引けを取らないほど美しいし、植物にさえない美しさもきっとあるんだと思う。不自然な生き方をしていない人間はこの地球に存在するどの自然にも負けないくらい美しいんだよ。そこに葛藤と表現があることが私は人間の美しさを際立たせると思っている。どんな自然よりも美しくて、どんな自然とも同じように輝いている。だから私はモーコと私の生き方に誇りを持つべきだと常日頃から感じているのだけれど、私にはもう少し深く静かに考える時間が必要みたいだ。

 

Photo by MORIKA

 

 

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PROFILE

吉山森花 よしやま・もりか/沖縄県出身、沖縄県在住。Instagram @morikarma。