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大島托 『一滴の黒 ―Travelling Tribal Tattoo―』 #15 豊穣なるポリネシアンの身体──ザ・キング・オブ・トライバルタトゥーを訪ねて

タトゥー・アーティスト大島托が世界中の「タトゥー」を追い求めた旅の記録。第十五回からはいよいよザ・キング・オブ・トライバルタトゥー「ポリネシアン」編。

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ゴーギャンが愛した絶海の楽園

「もっと本場のデザインぽくしてください」

 00年代に入って、僕がポリネシアンタトゥー全般を日本のマーケットにリリースするようになってから数年が経ち、そろそろ自分の好みのデザインバランスを築き上げてきたかなぁとか思い始めていたある日、わざわざタヒチまで何度かタトゥーを入れに行ったことがあるという愛好家のクライアントとの打ち合わせでそう言われた。

 あらためて彼の身体を彩るいくつかのタヒチアンタトゥーをじっくりと観察させてもらってとりあえず分かったのは、僕が手がけているデザインよりもかなり塗り面積が少なくて、多くのモチーフが複雑にひしめき合っているということだった。

 その頃、僕が参考にしていた資料は昔の人類学者たちが残したスケッチや、ヨーロッパのネオトライバル=ブラックワークのタトゥーイストが仕掛けていた直線的で大きな黒ブロックを、シンプルかつ大胆に配置するというタヒチ=マルケサスタトゥーのトレンドだった。これは現在のブラックワークにおけるヘビーブラック系統全般のそもそもの始まりでもあった。そのようなマルケサスデザインをトライバルタトゥーの最高峰と認識して最も力を注ぎ、けっこういいセンいっているつもりだった当時の僕としては正直なところ、一杯ひっかけて気持ちよく商店街を歩いてたらいきなり背後から塾帰りの小学生の自転車に轢かれた時のことを彷彿とさせるような出来事だった。コントだったらメガネとカツラと入れ歯が吹っ飛ぶぐらいのやつだ。まあ、今回はあくまでも気分だけの話なので笑いの一つも取れなかったのだが。

 

当時、大島が手掛けていた直線的な構図のタヒチアン=マルケサススタイル①

 

 気を取り直し、気分の中ではカウント2ぐらいでスリップダウンであったかのように立ち上がり、そのクライアントがタヒチ島の街中で撮りためたスナップなども何枚か見せてもらって再びデザインに取り掛かってはみたものの、なんだか全然パッとしなかった。分析するにはもっと多くの材料が必要だったのだ。そのスタイルはとにかく複雑だった。

 一か月ほど待っててください。

 すでにブッキングしていた仕事のスケジュールの調整を急いで済ませて数日後、当時は週に一便だけだったエアタヒチヌイの次の便でタヒチに飛んだ。機内を見渡すかぎり他の乗客はみな新婚カップルのようだった。なにせこの飛行機が向かっているのは、かのゴーギャンが愛してやまなかったという、あの絶海の楽園なのだ。

 

 

 なんだかいたたまれないような気分で機体最後尾の席に一人で座っていると男のキャビンアテンダントがやってきた。あっ、と思った。前腕にみっちりタトゥーが入っていた。例の複雑なやつだ。

 彼の方もあれっ? という顔だった。タトゥーだらけの日本人が一人でロマンチックな高級リゾートのタヒチに行くパターンは珍しかったのだろう。

 さっそく彼からいろいろと情報を集めにかかった。

 いろいろ聞いたのだが、結局要約すると、どうやら上手いタトゥーも、旨い食い物もすべてはマルシェ(市場)で事足りるらしかった。小さな街らしい。

 

マルケサスパターンの複雑さ──世界中に氾濫する「ザ・ロック」のコピー

 ポリネシアンタトゥーと聞いて一般的な日本人がイメージするところとしては、まずは9000年代にK-1やプライドで鳴らした格闘家マーク・ハントのぶっとい右腕のサモアのタトゥーなのではないか。その後の00年代~10年代はハリウッドのアクション映画スターで、WWEのプロレスラー「ザ・ロック」ことドウェイン・ジョンソンの左肩から胸にかけてのマルケサス=タヒチのタトゥーが非常によく知られている。あとはやはりラグビー、ニュージーランド代表オールブラックスのマオリのタトゥーだろうか。

 

 

 

 

 これらは新大久保のスタジオでデザインの打ち合わせをしていてしょっちゅう出てくる資料画像でもある。どれもバケモノ級にイカツいマッチョマンたちだ。鍛え抜かれた筋肉に最も似合うタトゥー、それが日本におけるポリネシアンタトゥーのポジションなのだ。きわめて陽性の、眩い輝きと熱量に満ち溢れたトライバルタトゥー。ザ・キングオブトライバルタトゥーだ。

 最近ではディズニー映画の「モアナと伝説の海」でサモアとマルケサスのタトゥーが入ったキャラクターがそれぞれモアナの島の人々、英雄マウイという重要な役どころで登場していた。これは現代ポリネシアンタトゥーの超一流どころがデザインを監修していたので専門家の鑑賞にも十二分に応える素晴らしい出来だった。子供たちの付き添いで一緒に見ていたのだが、このタトゥーの精度の高さには思わず唸ってしまった。が、これをコンサルティング資料に持参したクライアントはまだいない。鑑賞者の年齢層によるものだとすれば20年後には期待したいところだ。

 

 

 いや、実際、僕の方がそんなには保たないだろうからなるべく急いで欲しい。

 現代のトライバルタトゥーの最大ジャンルとして世界的規模で広がりを見せているポリネシアン。そういうニーズに伴ってこれを手がけるスタジオも非常に増えたと思う。

 作家サイドの見立てでは、これらポリネシアンタトゥーの中で、サモアやマオリのデザインは法則性がはっきりしているので、優れた作品を何点か見ていれば、誰かに教わることなく見よう見まねでもすぐに修得できるはずだ。実際、サモアデザインを手がけるスタジオは世界中どこに行ってもあるし、地元の街角のオールラウンダーのタトゥーショップにマオリのデザインを持ち込みで依頼してもそんなに嫌な顔はされないだろう。先ほど挙げたマーク・ハントやオールブラックスの画像を持って来られても皆そこそこには対応可能だということだ。

 ところがザ・ロックの画像の場合はそう簡単にはいかない。世界中いたるところで実に大量の「ザ・ロック残念コピー」が溢れかえっている。胸筋の真ん中あたりに顔モチーフがあって、Tシャツ袖あたりで水平ではない変則的なカットで仕上げていればほぼ間違いなくザ・ロックのコピーなのだ。タイ編でも触れたように、今日のプロのタトゥーイストであればなるべく完全コピーは避けて何がしかのオリジナリティを作品に付与しようと努力するわけなのだが、そのことがかえってアダとなる。

 それをちゃんとやり遂げる上でキーとなるのはデザインの法則性を読み取ることで、それが出来さえすれば正解アレンジの領域が目の前に開けてくるのだが、ザ・ロックの画像一枚を見ただけでそれを理解できる者など事実上いないのだ。マルケサス=タヒチはモチーフの数が圧倒的に多く、それぞれのコンビネーションの定型も非常に多岐にわたっているので全貌を把握しづらく、曖昧な理解のままここに突っ込んでも変なものしか描けないのだ。

 さらにクライアントサイドでは、そのモチーフの多様性が漢字やヒエログリフのような象形文字をイメージさせることから、マルケサスデザインを、思いにままにストーリーを紡ぐことが出来る文章のように捉えている節があるので、プロとしてはそういうニーズにも応えていかなければならない。こうなるともうデザインだけの話ではない。つまり、マルケサスはとてもややこしいジャンルなのだ。

 だからそれを手がける世界中のスペシャリストの数はごく限られていて、たとえ直接の面識はなくともお互いの存在と作品は常に認識しあっていて、それぞれがリアルに影響しあっているぐらいの小さなコミュニティーとなっている。これはさしずめ昭和の日本にあった文壇とか、パリの何とか派の絵画グループみたいなものだ。それぞれに徒党を組んでいるつもりなどはさらさらないのだけれど、実際に共通認識としてのトレンドを作り出すのはこの集まりだ。

 僕は若い時には、ファッションの分野なんかで来年に流行るものが早々にアナウンスされるのを不思議な気持ちで眺めていたが、いざ自分自身で専門分野の一つを担ってコミュニティーに身を置いている今ならばそういう仕組みがよく分かる。こういうのはちょっと目を離していると流れが変わっていたりするので、遅れを取らないようにチェックし続けるのが大変でもある。

 そこに持ってきてさらに、人類学の資料をメインに僕ら欧米マーケットのタトゥーイストたちが組み立てていた古典的なバランスをよそに、現地では独自の進化を遂げたデザインの系統が生まれていたから調べなくてはならないというのが今、飛行機に乗っている理由なのである。

 

Photo by Moana blackstone

 

 なお、さきほどからタヒチとマルケサスというワードが併用されていて混乱を招いていると思うので少し説明しておくと、現在、タヒチアンタトゥーとして認知されているスタイルは、実は同じフレンチポリネシアの中のマルケサス諸島の伝統的なデザインに基づいているのだ。そしてタヒチ島は首都パペーテのあるフレンチポリネシアの政治経済の中心地として、国(独立国に相当するほどの高度の自治権を持つ仏領で、海外領邦と訳される)そのものよりも島の名前の方が広く知られているぐらいなので、タヒチを国の名前だと思い込んでいる人もとても多い。だから同じものが、観光客をはじめとする世界の一般の人たちにとってはタヒチアンタトゥーと呼ばれ、われわれタトゥーイストにとってはマルケサスタトゥーとなるわけなのだ。したがって正確にはこれはフレンチポリネシアで行われているマルケサスデザインのタトゥーということになるのだが、ここからはプロの流儀としてマルケサスで統一しよう。なるべくシンプルにいこう。

 

トライバルタトゥーが歴史に残らない理由

 ちなみに現在タヒチをはじめとするフレンチポリネシア内の様々な島で盛り上がっているトライバルタトゥーが、実はそれぞれの島や村の伝統のデザインではなくて、一律にみなマルケサス諸島のデザインを参考にしていることには理由がある。もともと彼等にもまわりのマルケサスやマオリ、サモアに匹敵するような華やかな個性のデザインの伝統があったと言われているのだが、実際にはほとんど資料がないのだ。ただあったということが伝わっているのみでそれがどのようなものだったのかは詳しくは分からない。一方、マルケサスのタトゥーに関してはオランダの人類学者、カール・フォンデン・シュタイネン(ドイツ語は分からないので発音はテキトー)による前世紀初頭のフィールドワークによって残された詳細な資料があった。たったそれだけのことが歴史の分岐点となったのだ。よそから訪れた観察者がそれを記録したか否かの違いだけだったのだ。

 これは現地の人々には、世代をいくつかスキップしてかつてのタトゥーの記憶を保持しておくことは出来ないという事実の証明だと思う。たとえ教会によってタトゥーが禁じられたのと同時に記録の道具である文字がもたらされていたとしても、なのだ。これは世界中のかつて存在していたであろうトライバルタトゥーに思いを馳せる上でとても重大な事実だ。

 ごく身近な例として日本の北海道のアイヌのシヌイエや沖縄のハジチを見ても、それらはフレンチポリネシアの島々とほぼ同時期の、ほんの34世代ぐらい前まで確実に風習として存在していたのに、現在はそれがあったことさえ知らない現地の若い世代が増え、またそのデザインや習俗の詳細も、やはり東京などのよそから来た学者や役人たちの調査資料を手繰る他に選択肢はない。ここでも現地の当事者たちは記録を残していないのだ。よってトライバルタトゥーは歴史に残らないのだ。

 マルケサス諸島のトライバルタトゥーのデザインは現地ではマケージャと呼ばれ、部族ごとに決められたモチーフを持つ総身彫りで、黒の面積が大きい直線的なパターンが特徴的だ。そしてそこに先述の複雑な線で描写される無数のモチーフが組み合わせられるのだ。

 

Photo by Moana blackstone

 

 サモア、トンガから始まりポリネシア全域へと広がって行き数千年にもわたって進化を続けていったトライバルタトゥーの文化は西暦200年頃にマルケサス諸島に至り、大航海時代後のヨーロッパ人による本格的な入植にともなう終焉までの1000年以上の期間にさらなる発展を独自に遂げ、ポリネシア芸術として、その輝かしい一つの頂点といえる隆盛期を迎えた。

 ほとんどの者が全身を覆うというところまで進んだタトゥーの面積が物語る文化としての大きさ、あらゆる制約から自由になったかのような豊富かつ複雑なトライバルデザインのバリエーション、そしてそれらの表現をすべて可能にした精巧な技術の洗練。現在も残っているフィリピン、ボルネオなどの東南アジア方式と、ポリネシアのサモア方式という世界の二大ハンドタップ技術群を総動員したとしてもまだ追いつかない謎の領域があるほどの広範な表現力だ。

 

マナから身を守るための結界としてのタタウ

 僕の個人的見解として、世界中のそれぞれの部族におけるトライバルタトゥー文化には時代ごとに盛衰があると思っているのだが、このマルケサスのタトゥーが調査された時期はきっとその流行最盛期のど真ん中だったに違いない。南太平洋の一番東の端の方ということは、人類移動の地図の最果てということであり、最も文明から隔たり、最後まで色濃く石器時代だった場所だったということでもある。

 一方、これほどまでの文化にもかかわらず、キリスト教宣教師の布教活動のもとに、非常にあっさりと途絶えたような印象があるのだが、そのことをマルケサストライバルデザインの、日常生活に関わるありとあらゆる物をデザイン化して身体に彫ってしまうような奔放さと併せて考えると、当時のマルケサスの人々にとってのタトゥーとは因習的な重い要素からはすでに解き放たれ、最もカッコいいファッションというぐらいのところまで一般化していたがために、大流行したものほど跡形もなく消えてしまう定めに従って西洋文化という新しいファッションにいとも簡単に取って替わられたという側面があったのかとも感じる。

 トライバルタトゥーの滅びた理由としては、白人の教会に禁止され、祖先からの誇りを無理矢理に奪い取られた、みたいな話が世界的にステレオタイプで語られているのだが、これは当時の状況の半分しか説明してはいないと思う。

 もう半分の事実としては、部族たちも洋服を着て教会に行き、西洋の美味しい食べ物やきらびやかな文化を進んで自分たちの生活に取り込みたかったのだ。

 現在進行形でタトゥーの風習が消え行こうとしている世界の部族をいくつか見て来た上で本当にそう思う。それが人間てもんだろう。

 トライバルタトゥーの記録が歴史に残らない理由もおそらくこのあたりにあるのだ。もし人々が本当に切実にそれを必要としているのならば、たとえ支配者から何度も禁止されようがそれはどうにかこうにかして生き残り続けるものだ。それはサモアのトライバルタトゥーである「ペア」や日本の和彫りの歴史を見れば分かることだ。禁酒法で酒が滅びたことなどないのだ。

 そういえば、タトゥーという言葉の語源はもともとポリネシア語の『タタウ』から来ているのだった。

 フレンチポリネシアの島々にも彼等のタタウとそれを取り巻く精神世界があった。タヒチでは聖なる力『マナ』を備え持った人は、そのような力を持たない一般の人々にとっては影響する刺激が強すぎて危険な存在『タプ』とされ、人々と容易には接触できないように隔離する習わしが存在した。これが今日、英語で禁忌を意味するタブーの語源でもある。

 たとえば権力をもった部族の長や、新生児、生理中の女性などがタプにあたり、それらの人々は完全に隔離して近寄らなければ問題はないのだが、実生活ではニアミスを避けられないこともしばしばあるため、皆、防護服のようにして「タパ」という布を使用していた。これは木の皮を剥いで、叩いて潰し、水に晒して繊維質だけにして作る不織布のようなもので、マナを通さない力があるとされていた。したがってタプがこれを着ればの己のマナを封じ込めることが出来、一般の人々は己の身を守るためにこれを着たのだ。そしてタタウにもタパと同様に、マナを持つ者の身体からそれの流れ出るのを防ぎ、タプでない者にとってはマナから身を守るバリアーとして機能する性質があるとされていた。これは皮膚という人体と外界を隔てる最大の境界面の、すぐ外側とすぐ内側とに施された念入りな結界術なのだと言える。人類が素っ裸を心もとないと感じるようになったのは一体いつからなのだろう。

 世の中に迷惑をかけないように自分自身を制御できたり、降りかかる災難にも対処する知恵を身につけるというのはどこの社会でも大人の証だろう。彼等のトライバルタトゥーであるタタウの文化は、マナやタプという独特の概念を使ってそのことを言い表していたのだと思う。痛みに耐える忍耐力と根気を試されるタトゥーが成人儀礼の装置として採用される事例は世界的に多く見られるが、タヒチのこの風習もまたその中の一つということなのだ。

 背後からいきなり轢き飛ばされたようなこの度の衝撃に、はたして僕は上手いこと対処できるのだろうか。

 12時間のフライトの末、草野球のグラウンドみたいなところに着陸した。

 次回は首都パペーテで働きながらあちこちのスタジオを訪ね回る日々の中から、本場で起きていたデザインの独自進化の謎に迫ってみたい。

 

#16 「現代マルケサスタトゥーを生んだのは観光客とヒゲソリだった」を読む>>

(Top photo by Moana blackstone)

 

 

〈MULTIVERSE〉

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PROFILE

大島托 おおしま・たく/1970年、福岡県出身。タトゥースタジオ「APOCARIPT」主催。黒一色の文様を刻むトライバル・タトゥーおよびブラックワークを専門とする。世界各地に残る民族タトゥーを現地に赴いてリサーチし、現代的なタトゥーデザインに取り入れている。2016年よりジャーナリストのケロッピー前田と共に縄文時代の文身を現代に創造的に復興するプロジェクト「JOMON TRIBE」を始動。【APOCARIPT】http://www.apocaript.com/index.html