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檀廬影×菊地成孔 『エンタシス書簡』 二〇二〇年二月/菊地→檀「フロイトの息苦しさとユングの癒し」

元SIMI LABのラッパーであり小説家の檀廬影(DyyPRIDE)と、ジャズメンでありエッセイストの菊地成孔による往復書簡。

 

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檀先生

 またしても返信が大変遅くなりまして、度重なる無礼をお許しください。遅くなった理由は他でもなく、最初に書いてしまいますが、私はこの、往復書簡という形式に、大変な可能性と同時に限界も感じ始めていて、限界というのはネガティヴな意味ではなく、私のような小器用で、悪い意味で老獪な文士とは違い、先生が文章を書くというモードに入ると、ある意味でゾーンが凝集され、つまり一種のテーマ主義と言いましょうか、良い意味での形式的硬直があって、会話時の先生が持つ、非常に柔軟な豊かさが、フォームに殺されてしまうように思ったからです。

 以下、一読するに違和感の残る悪文だと思いますが、檀先生の文士としての魅力は、文章ではなく、実際に対話している動画の方が高く引き出されるのではないか? という疑問が、私の中で膨れ上がってしまい、往復書簡の返答に窮する。という始末に相成った訳で、思い切って編集者氏に「往復書簡という形式は、今回の、この返信を以って終了とし、檀先生との対話は別の形式で継続したい。できれば対話を動画で録画した物の連載が良いと思う」旨、提案させて頂いたところ、編集者氏は元より、先生にも御快諾頂戴したとのことで、ですので今回私が書くことは、次の形式の初回に持ち越すことの集積になります。

 フロイディアンの端くれとして申し上げるならば、フロイトの最大の魅力はわかりやすさに尽きます。この「わかりやすさ」は、マルクスのそれやソシュールのそれと似て、まるでプラモデルのように組み立てがシンプルで、よしんばそこに問題があったり、逆に魅力を感じなかったりしたとしても、わかりやすさは不変ですので、基本的にギリギリで19世紀の知でありながら、さながらクラシックスとして、現在でも十分、有効性を失っていない。と感じています。

 人は、自分でも全く理由のわからない行動を起こしてしまい、あまつさえそれに縛られます。人間が、地位や人種や職業や宗教を超えて、「自由が欲しい」と勘違い(一方で不自由も欲しがっているので)する生き物であるのは仕方ありません。フロイトはそれを、一律、記憶がない状態(実際には、自ら忘却しているのですが)に負った心的外傷(トラウマ)のせいで、トラウマとは、本人が完全に忘れてしまった過去の記憶として、我々を縛り、我々自身の主観城は「奇妙」「無根拠」としか言いようがない行動に、明確な根拠がある、とし、治療として、トラウマを思い出させ、本人の口から言語化させることによって「奇妙な行動」は霧散する。とします。

 他にもフロイト理論にはおいくつかの重要な原理がありますが、いずれも非常にシンプルです。私はユングも読みますし、ユングにしか醸し出せない、ユングフルなムード、というのは、あらゆる芸術にも、日常生活にも起こりうる、非常に魅力的な、あるムードとして愛でていますが、フロイトの、全ては個人の中でしか起きない、個人の中での問題。という息苦しさに対する、癒し以上の位置には置けず、日本人の多くがユンギアンであること(これも20世紀の話ですが)も、日本人の和を尊び、個人主義を荒々しい暴虐とでも思い込む性質に、フロイドのハードコアが適性を持たなかったと思っています。

 例えばユングは偏在性について、かなりの夢を読者に持たせますので、成孔少年と、先生の前世であるギンが実際に出会っていた。という実感を、かなり強くもたらせます。私は、ユングよりも遥かに、音楽それ自体に偏在性と時間の遡行性があると感じているので、つまりユングは非常に音楽的で、音楽家が音楽的な物に適応するのは自明であると思っています。私は私の理由、つまり音楽というヌエのような物の下僕として、私の少年期に、ギンと私は最低でも街角ですれ違っていたと確信していますが、それはユングの理論とは別の、音楽的なもので、一番強くそれを感じているのは、ですから先生と往復書簡を行ったり、話している時よりも、同じステージで音楽的に共演状態にある時です。このことに関しては是非、形式を移っても話しましょう。

 私は、先生の主症状である「幻聴」が、どういうリージョンにあり、どの程度の強度を持っているのか、とうとう往復書簡では分かりませんでした。しかし、お会いして、カメラの前で対話をすれば、些か明確になると思っています。

 一般的に精神医療では、幻覚は見えやすく、幻聴は重篤な症状とされます。というか、人間はほぼほぼ幻覚を見ているような生き物で、その代わりに、というと変ですが、幻聴はなかなか聞こえず、言い換えれば、聴覚はかなり強くリアル(これは、言い合いの時の記憶、とかを意味しません。言い合いの時の記憶は、かなり曖昧で、弱度が強いですね)なのですが、視覚は結構な蒟蒻ぶりで、ちょっと意識が曖昧だったりすると、変なものが見えたり、飛蚊症のような擬似幻覚もある、リアルの薄いものです。

 だからこそ、幻聴の言いつけに従って人を殺してしまう、といった行動は深刻この上なく、一方「あ!今、UFOいた!」「なんか、この部屋、いそうだな、、、、あ!やっぱり!」といった症状は、目を細めるほど牧歌的なものです。先生の書簡には、ほぼほぼ100%、幻聴体験が記されていますが、その多くが、他者との対話で、しかも敵対関係にあるので、解離性の人格分裂のように見えなくもないのですが、先生と直接対話した、過去の夥しい時間の中では、一瞬もそうした状態はなかったので、非常に興味があります。これも次の形式に移ったら詳しくお話ししましょう。

 私の30歳は、最初の結婚です。20代に同棲していた女性と入籍し、結婚式を挙げたのが30歳の時でした。それはこの上ない幸福と安心をもたらすと同時に、凄まじい不安と非現実感の始まりでもありました。こうした話も、是非させてください。それでは取り急ぎ、往復書簡の筆は置かせて頂きます。楽しい時間をありがとうございました。より高次元の楽しさに向けて、お若いとはいえご自愛の程、失礼致します。

 

 

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〈MULTIVERSE〉

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PROFILE

檀廬影 だん・いえかげ/平成元年、横浜生まれ。日本人と黒人のハーフ。二十歳よりDyyPRIDE名義でラップを始める。2011年、音楽レーベルSUMMITより 1st ソロアルバム「In The Dyyp Shadow」 、グループSIMI LAB 1st アルバム 「Page 1 : ANATOMY OF INSANE」、2013年、2nd ソロアルバム「Ride So Dyyp」、2014年、2nd グループアルバム「Page 2 : Mind Over Matter」をリリース。2017年にSIMI LABを脱退。現在、小説家。

菊地成孔 きくち・なるよし/1963年、千葉県銚子市生まれ。ソングライター、サクソフォン奏者、ラッパー、文筆家、音楽講師。近著に人気ラジオ番組「菊地成孔の粋な夜電波」(現在終了)のトークを纏めた『菊地成孔の粋な夜電波 シーズン1-5』『菊地成孔の粋な夜電波 シーズン6-8』(共にキノブックス)、新宿区限定リリースの掌編小説『あたしを溺れさせて、そして溺れ死ぬあたしを見ていて』(ヴァイナル文學選書)などがある。